280 消えた聖女(5)
「……話を戻していい?」
俺と怪童が真意を探り合うように互いの目を見ていると、ココが話を引き戻した。
そのまま俺と怪童の微妙な空気感など我関せずといった感じで、机上に出した王都東の地図を元に調査方針を説明していく。
ポイントは三つ。
一つは先週のエミン教会での慈善活動中にジュエと接触した不審な人物を見た者がいないか、目撃者を探す事。
師匠によると、ジュエの執事は治療中絶えずそばに控え、目を離す事はなかったとの事だ。
であれば、あからさまに不審な会話があればすぐに気がついたはずだ。
だが治療部位に予め文字を忍ばせておくなど、コミュニケーションを取る事は不可能ではない。
先程のベンザの話からすると、この辺りで暮らす人間はジュエの世話になった奴も多そうだし、犯人に加担する可能性は低いだろう。
であれば、治療を受けた見慣れない奴が犯人だった可能性は高い。
患者が地元の者なのかどうかまでは、その執事には流石に分からないだろう。
次に、ジュエが出て行った後、本人を目撃した者を探す事。
ココはこめかみに指をやり、市販の王都東地区の地図をじっと見つめながら三本の線で地図を区分けした。
そのまま地図に色を入れていく。
「先週の土の日、午後四時以降に、この色を塗られた範囲を中心に目撃情報を集めてほしい。特に人目につきにくい場所」
地図を覗き込むと、ジュエが馬車を降りた学園裏門から徒歩距離が離れるほど色が薄くなっている。
「……なるほどな。ジュエの歩行速度と、馬車を降りてから一度帰るまでの時間から、時間内に到達し得る範囲を割り出したのか」
ココはこくりと頷いた。
「ジュエちゃんは、不自然なくらいいつもと全く同じ歩容だった。それはもしかしたら、ジュエちゃんからの……隠れたメッセージかもしれない」
ココと一緒に探索者活動をすると、山歩きなどの工程表を作る際、驚くほど正確に踏破時間を予測する。
ココの説明によると、地図を眺めていると勝手に頭の中で歩いている映像が早送りで流れる、との事だ。
言っている意味は分かるが、なぜそんな事が出来るのかはさっぱり分からない。
色が三つに塗り分けられ、裏門から徒歩距離が離れるほど薄くなっているのは、滞在して何者かと交渉する時間を考慮しているからだろう。
つまり、色が薄くなるほど犯人と接触した場所である可能性が低くなり、塗られていないところは少なくとも徒歩で移動した可能性はゼロと言える。
それでも結構な範囲だが、闇雲に探し回るよりはよほど効率がいいだろう。
そして情報を視覚化して地図と重ねた事で、お世辞にも頭が良いとは言えないベンザ達にも分かりやすくなった。
最後の調査ポイントは裏稼業からの情報収集だ。
情報屋はもちろん、違法な素材を売買する裏商人、運び屋、果ては人身売買や殺し屋などの、犯罪行為を稼業にしている人間はどこの世界にも一定数いる。
できればそんな奴らと関わりたくはないが、餅は餅屋だ。
流石に私が犯人ですという奴はいないと思うが、犯人がジュエを攫った後、仮に手紙に書かれていた通り他国へと連れ去るのだとすれば、当然正規の手続きではない方法で移動し、国境を越えるだろう。
であれば、それはどんな方法でどんなルートを辿る可能性があるのか。
王都の裏側で生きているこいつらだからこそ知り得る、その辺りの情報収集を俺はベンザ達に頼んだ。
◆
「――その倉庫はどうやらロザムール帝国の息が掛かった業者の持ち物みたいです」
ある程度情報が整理されてきたところで、俺は約束通り騎士団に報告を入れた。
「……たった一日でここまで情報を集めるとは……流石だね、アレン君。いや、この場合は王都裏社会で飛ぶ鳥を落とす勢いの大看板、マッドドッグを褒めるべきかな?」
俺が報告を一旦区切ると、ダンテさんはそう言って苦笑した。
ジュエに接触したと思われる怪しげな人物はまだ見つかっていないが、ジュエ自身の目撃情報はすぐに集まった。
そりゃ立ち姿からして明らかに一般人とは異なるジュエが、供も連れずにその辺の下町を歩いていたら目立つだろう。
ジュエは最終的に、下町にある倉庫街のとある建物へと一人で入るところを目撃されていた。
その建物はロザムール帝国との貿易を主に担っていた貿易会社の持ち物なのだが、両国の関係悪化もあって現在は開店休業中との話だ。
「……厄介だな」
ロザムール帝国と聞いて師匠が顔を顰める。
現在、ロザムール帝国と正規に国交があるのはミンスの街だが、わざわざ依頼するまでもなくあの街には検問がある。
となれば、非合法なルートで国境を越える可能性が高く、それらを全て手当するのは現実的ではない。
「……二つ、当たりを付けてます。一つは、その夜に今は稼働していない筈のその倉庫からりんご箱を満載した馬車が出ていったのを見た奴がいます。時刻からしてその馬車にジュエが乗せられていた可能性が高い。今、行方を追っています」
これは近くの倉庫で荷物の積み下ろしの日雇い仕事をしていた探索者が見た情報だ。
複数人で外で休憩している時に見たとの事なので、まず間違いはないだろう。
「もう一つは、セレナード地方エルオンス山の中腹に人間を含む非合法な商品を扱う村があるとの情報があります。そこには土の魔法士が維持している帝国と行き来できる長大なトンネルがあるそうです。『業者』を使って帝国に密輸するならそこを経由する可能性は高いとの事です」
俺がそのように付け加えると、流石の師匠も驚いたように目を見開き、ダンテさんを見た。
ダンテさんが眉間に皺を寄せて、ゆっくりと首を振る。
「……何で騎士団が必死こいて調査していた情報をてめぇがあっさり掴んでんだ、クソガキ」
「……最近帝国からその逆ルートを通って流れてきた、とある探索者から聞きました。……怪童、と呼ばれている男です。俺のクランに入りたいと言うので、入れました」
「んだと……」
俺が正直にそう報告すると、師匠は絶句した。
……このリアクションからして、俺が帝国を旅行した際、怪童と接触した事は当然ながら耳に入っているようだ。
「…………怪童が誰だか、アレン君も知ってる筈だよね? 信用できるの?」
とんでもない人格者であるダンテさんも、流石に懐疑的な目で聞いてくる。
俺はあっさりと首を振った。
「まだ二回会っただけの、ただの他人ですからね。信用なんて全くしていませんよ? ですが、野放しにして自由に動かれる方が危険かと思いましたので。それに……この情報は確認する価値があると思っています」
根拠は? と聞かれたので、俺は話を聞いた際の印象を正直に答えた。
怪童は多くを語らなかったが、帝国は変わるべきだと言った。
怪童自身もそうだが、今回あの国への旅の途中に目にした隷属階級より下の、身分すらない帝国の人々の惨状は目を覆いたくなるほどのものだった。
そして、そうした人間が生きていくために手を染めるのが人攫いなどの闇のビジネスであり、それがさらに非合法な手段で生きていかざるを得ない人間を増やすという、悪循環に陥っている。
「帝国を変えるために俺を利用するつもりかと聞いたら、そう取ってもらっても構わないなんて言ってました。食えない野郎ですが、嘘をついているようには見えなかったです」
俺がそのように説明すると、師匠は俺の目をじっと見た。
「…………何が怪童とやらの、本当の目的だと思う? まさか自分でその村まで確かめにいくつもりじゃねぇだろうな」
俺は首を振ってから、肩をすくめた。
「怪童の目的は……さっぱり分かりませんね。普通に考えたら、時間をかけて少しずつ信用させて、大事なところで裏切るつもりだと思うのですが……。病気のあいつには、そのかける時間がない。本人に聞いたら、『漢を学びにきた』なんてふざけた答えではぐらかすばかりで……。いつかは国に帰るつもりだと明言してましたし、信用を得る気すら無さそうです」
俺がそのように説明すると、師匠は難しい顔でしばらく何かを考えていたが、やがて長い長いため息をついた。
◆
セレナード地方にあるらしい犯罪村については騎士団の方で動いてもらえる事になった。
忙しい師匠が直々に出向くようなので、どうやら前々からマークしていた重要な案件なのだろう。
そちら方面は師匠に任せて、俺たちは引き続き王都で情報収集にあたる事になった。
正門横の守衛所で待たせていたココと合流して歩き出す。
そこで俺は、こっそり跡をつけてくる人物に気がついた。
もっとも、怪しい人物という訳ではなく、それはよく知っている少年の気配だ。
俺が振り返ると、慌てて路地裏に隠れる。
少し迷ったが、俺は跡を追いかけてみた。
「何か用か?」
優しく声をかけると、その少年……りんごの家に所属しているポーは、『あの、騎士様、その、俺……』などと言ってしどろもどろになった。
……どうやら俺の正体には気がついた上で、敢えて気が付かないふりをしてくれていたらしい。
もしかしたら、おやっさんあたりから正体を探るのを止められていたのかもしれないな。
「ぷっ! 何が騎士様だ、ポー。久しぶりだな。元気にしてたか?」
俺は仮面を顔から逸らして、なるべく軽い調子で声をかけた。
するとポーはへなへなとその場に崩れ落ちて、その顔をくしゃくしゃに歪めた。
「……ごめん、レン兄っ。俺、おやじに、止められてるのに、どうしたらいいか、分からなくてっ」
あのロッツ・ファミリーとのいざこざ以来、俺はりんごの家と距離を置いていた。
俺はそれを望んでいなかったが、おやっさんの指示だ。
『お前がりんごの事を大切に思ってくれてるのは嬉しい。だが、今回の件でよく分かった。りんごはお前の弱点になり得る。その事が広まったら取り返しのつかねぇ事態になるかもしんねぇ。それはりんごを預かる身としても、お前を引き受けた身としても、許容できねぇ。お前は一度りんごと距離をおけ』
実際にりんごの家を巻き込みそうになったばかりの俺は、渋々おやっさんの提案を受け入れた。
ロッツの事務所へ乗り込む前に互助会を辞めると宣言したが、その後正式に退会願いを出して、書類上の関係は絶ってある。
だが俺は、今でも自分をりんごの一員だと思っている。
「……水臭いこと言うな、ポー。りんごの皆は今でも俺の家族だと思ってる。何か困り事があるなら遠慮なく相談しろ」
俺が目線を合わせて頭に優しく手を置くと、ポーは目に涙をいっぱいに浮かべてこう言った。
「リーナが……帰ってこないんだ。人攫いに捕まって……売られちまったかもしれない」
心臓が、どくりと跳ねる。
「……詳しく話せ」
「先週末……教会で炊き出しがあるからって……手伝いに行ってくるって出かけたっきり、帰ってこねぇんだ。神父や聖女姉ちゃんにも聞いたけど、どうやら教会には来なかったみたいで……」
「……聖女姉ちゃんに、直接ポーが聞いたのか?」
「え、うん。ちょうど姉ちゃんのファンとかいうおっさんに、手紙を渡してくれって頼まれたからついでに。でも姉ちゃんは、リーナの事はまだ見てねぇって」
瞬間、二つの事件が脳内で一つに繋がり、震えるほどの怒りが湧き起こる。
「……そうか。……ポーもリーナも、聖女姉ちゃんと顔見知りなんだな……」
……おそらくジュエはこの二人と俺の関係を知っており、犯人は先に無防備なリーナを捕らえて、ジュエはそれを餌に釣り出されたのだろう。
わざわざポーとリーナの二人を巻き込んだということは、これは俺へのメッセージか。
ご丁寧に、りんご箱を積んだ怪しい馬車を使っている事がいい証拠だ。
舐めた真似しやがって――
「…………レン……兄?」
ポーに震える声で名を呼ばれ、俺は優しくその頭を撫でた。
震えるほどに腹を立てているのに、なぜか自分の体から一斉に血の気が引いて、研ぎ澄まされていくような感覚がした。
◆
馬車から箱に入れられたまま積み降ろされ、ぞんざいに引っ張り出される。
手の錠を確認された後、目隠しが取られると、そこはかび臭い地下牢だった。
乱暴そうな男はそのまま牢に鍵をかけ、階上へと上がっていった。
どうやら人攫いの拠点らしく、いくつかある牢屋からは啜り泣くような声が聞こえる。
「ごめん。ごめんなさい。私のせいで……お姉ちゃんまで……」
目隠しが外された瞬間、リーナの目から涙が溢れる。
ジュエは錠をはめられた手で腫れたリーナの頬を魔法で治療し、伝う涙をそっと拭ってからゆっくりと首を振った。
「貴女は、何も悪くありません。おそらく……巻き込んでしまったのは私です。申し訳ありません」
コツコツと石階段を降りてくる、何者かの足音が響く。
キィと音を立てて開かれたドアの先から現れた、狐を思わせる目の細い男をジュエは鉄格子越しに睨みつけた。
「……必ず私が、貴女を家へと帰します」






