271 昇格とクラン(3)
アレンがシェルに返り討ちにされてプンプンと怒って出ていった後。
「……腹が太ぇなぁ……」
その背をニヤニヤと見送ったシェルは、ふいに真顔になって呟いた。
「……えぇ。まるで講釈師のように軽快に語りましたが、普通は心が折れるでしょう。いくら成算があったにしろ、光源の全く無い地下空間に生き埋めになった時点でトラウマになってもおかしくはない。思わず耳を疑うほどの内容ですが……」
「何だ? 疑ってんのか?」
サトワはゆっくりと首を振った。
「事実、でしょうな。その後の調査結果との矛盾もありませんし、何より彼の言葉の奥には本物特有の生々しさがあった。会長の冒険譚と同じです。だから聞く者の心を惹きつける」
シェルは、くくっと小さく喉を鳴らすように笑った。
「まぁな。俺も興味の向くまま色々聞いてみたが、印象が全然ぶれねぇ。まず間違いなく全部真実だろうよ。あの臭ぇセリフも含めてな。ぷっ!」
シェルがそう言って悪い顔で笑うのを見て、サトワは嗜めた。
「そ、それだけ昂っていたという事でしょう。なにせ状況が状況ですからな。……私は彼の今回の探索に向けた妥協のない準備に感動しました。私が彼に依頼したのは護衛です。にも関わらず、忙しい王立学園生が自分で鉱物の原石を買い集め、特注のツルハシまで作って備えてきた。それだけでも感心させられましたが、先ほどの話によると王立図書館で鉱山関連の本を片っ端から読んで、かつ理解していたようですな。生きて帰ってきただけで奇跡のような話ですが、全てはその妥協のない準備の賜物です」
「……まあ……俺ぁ準備が嫌えだから準備しなくてもいいように鍛える派だがな。ま、俺の真似をする必要はねぇ。探索者が百人いれば流儀も百通りある。あいつは現場での応用も利くしな」
サトワは可笑しそうに笑った。
「……言われてみれば二人は正反対ですな。……ですが、なぜかそっくりなようにも思えます」
「そうか? ……サトワに『探索者を味わい尽くす』と啖呵を切ったのはちょうど一年前か。有言実行してやがるなぁ」
シェルはよっこらせと言って立ち上がった。
「どこかに行かれるんですか、会長?」
「あ? 決まってんだろ。レンから聞いた面白え話を酒場で言いふらしてこねぇと!」
ルンルンと出ていこうとするシェルを、サトワは慌てて窘めた。
「またそんな。目立ちたくないと言っているのですし、少しは自重してあげたらいかがですかな……。ベンザ君が立ち上げた新クランも、ぶっ潰してくるだなんて怒っていましたし。有望な若手が集まっているようですし、面白そうなクランなのですがなぁ」
ベンザは協会にクランの立ち上げを通知していた。
クランというのは独り立ちした一人前の探索者が所属する会社のようなものだ。
りんごの家などの、いわゆる低ランクの探索者たちが相互扶助のために集まる互助会と違い、特に協会から正式に認可されたり何らかの条件があったりするものではない。
大体がDランク以上の独り立ちした探索者たちで自由に結成され、その目的は様々だが、集団で難易度の高い任務に当たったり、依頼内容に合わせてパーティメンバーを融通したりする。
ただでさえベンザたちが布教活動をしているところに先のロッツ事務所襲撃事件、さらにはドラグレイドの件も相まって、『探索者レン』の知名度は爆発的に広がりつつある。
そのマッドドッグと繋がりを得たい、あるいは多少ぶつかってでも自分の力を世間に知らしめたいと、一癖も二癖もある若手探索者たちが国中からこの王都へと集結し、収拾がつかなくなっている。
ベンザとしても勝手にクランを立ち上げるのは気が引けたが、その受け皿が必要だったのだ。
「はん。誰も頼んでねぇのに勝手に目立ってんだから自業自得だ。……あの歳でAランクなんぞになったら嫉みやっかみもこれまで以上に増える。Bランクに上げた時ですら山ほど苦情がきたからな。どうせこの状況で隠し通せるわけもねぇし、それなら少なくとも俺が認めてるって公言すりゃ少しは静かになるだろうよ。それには飲み屋で噂にするのが一番早え。いちいち頭の固ぇバカどもに説明なんざしてられねぇからな」
サトワはシェルの話を聞いて意外そうに片眉を上げた。
「彼を守るため、ですか……。なるほど、以前からやけに積極的に広めていると思ったら、会長にも会長なりの考えがあったのですな?」
サトワにそう確認され、シェルは耳をほじりながら頷いた。
「あたりめぇだ。さっきわざわざ喧嘩を売ったのも、きちんと自分であいつの成長度合いを測っとくためだ。疑ってるわけじゃねぇが、本人の話を鵜呑みにしただけじゃ流石に説得力がねぇだろ?」
サトワがうんうんと頷く。
「親心ですなぁ。それにしても会長が一探索者にそれほど目をかけるのは珍しいですな。いくら『りんご』出身とは言え……。今更ではありますが、やはり会長から見てもそれだけの素材だと?」
シェルははて、と首を傾げた。
「別に特別扱いするつもりはねぇけどよ。俺ですら何しでかすか分からねぇから、好き勝手やらせた方が面白いっつーだけだ。……さてと、オチを忘れねぇうちに飲みに行かねぇと。えーっと……何だっけ? まぁいっか、適当に補完すれば!」
「……あまり面白おかしく、話を歪曲しませんようにな……」
「歪曲じゃなくて補完だ! じゃあなっ!」
シェルは今度こそルンルンと出ていった。
◆
俺は王都東の下町にあるボーグバースという名の店に向かって歩いていた。
下町で適当に聞き込みをしたところ、そこにクラン『マッド・ドッグ』の中心メンバーが屯していると聞いたからだ。
王都東支所の若手アウトロー探索者達が屯するその店は店内が無駄に広く、味もくそもない安酒が飲め、ビリヤードのようなテーブルゲームが無料でできる盛り場だ。
以前所用があって来た時の印象では、金がなく、だが体力と時間だけは有り余っている若手探索者が、あーだこーだと将来の夢を語りながら暇を潰すためにあるような場所だった。
その青春臭のする店の雰囲気自体は嫌いではなかったが、俺がそこに訪れるのは大体馬鹿がりんごの家に粉を掛けてきて物の道理を教えるためだったので、碌な思い出がない。
確か、店を訪れるのはコモンウェルスのメジャーとかいう探索者養成学校上がりのバカが、取り巻きを使ってりんごのチビ達にカツアゲを繰り返した時以来か。
『おりゃ~しらねぇよ。証拠もないのに養成出身の俺に手を出したらランク降格もあるぞ? 文句があるなら証拠を出せ』とか何とか言ってきたので、『今すぐ俺を降格させろ』と取り巻きごと徹底的に詰めたのが最後だ。
どうやら、俺がBランクに上がったのが気に入らなかった養成学校の先輩連中に唆されていたらしいが、そんな事は俺には関係ない。
ぜひランクを降格させてほしかった俺は、毎日降格はまだか、早く俺を降格させろとお願いをしに訪問した。
最後は事務所にまでいって、俺の降格を手伝ってくれるという先輩にも徹底的にお願いして回った。
すると、最後はコモンウェルスの代表がおやっさんに詫びを入れに来て、なぜか俺がおやっさんにやりすぎだと説教され、しかも降格もされないという踏んだり蹴ったりの思い出だ。
話が逸れたが、シェルのおじきの挑発に乗った挙句、物の見事に返り討ちにされて大いにイライラしている俺がそこを目指しているのは、ベンザが勝手に立ち上げた『マッド・ドッグ』なる新クランをぶっ潰すためだ。
別に八つ当たりではない。
そもそも俺はマッドドッグなどと自分で名乗った事はないし、俺と無関係のクランというならあいつがどこで何をしようと別に構わない。
だがサトワ曰く、総長に俺の名を使ってクランを立ち上げているらしいからな。
確かにロッツ・ファミリーとの交渉窓口に通りすがりのデブを指名して、『迷ったらお前の心の羅針盤に従え』などと丸投げした俺にもほんのちょっとだけ責任はある。
だが流石にこれは権限の濫用だろう。
俺はおじきにぶん殴られて腫れ上がった頬をさすり、ズキズキと痛む脇腹を庇いながら、身体の丈夫なデブに八つ当た、じゃなかった、苦情を言うために何やら騒々しい路地を折れた。
……ところで愕然とした。
突き当たりにある店までの狭い路地の至るところで、人相の悪い若者がうんこ座りをして下品な笑い声をあげており、迷惑極まりない。
中には笑顔でお互いを交互に殴り合っている、危ない奴らもいる。
ここは難破した海賊船か……いったいあのデブの羅針盤はどこを指し示しているんだ……。
確かにベンザには一匹狼を気取らず友達ぐらい作れと助言したような気もするが、少しは人選を考えろ……。
ウンザリしながら路地へと入ると、付近で屯していた二人組がにやにやと笑いながら俺を指差したかと思うとすくりと立ち上がり、行く手に立ち塞がってくる。
案の定の展開だ。
「おいお前。ここはお前みてぇな子供がうろついていい場所じゃねぇぞ? 血の気の多い探索者達が山ほどいて、近頃は気が立っている奴も多い。悪い事は言わねえから帰んな」
おおぅ? 見た目は厳ついのに思ったよりも温和な物言いだな……。
もっとドスの利いた声で脅してくると思ったのに拍子抜けだ。
「あんたらには関係ないだろう。そこをどいてくれ」
取り敢えず俺はそう言って、二人組の間を強引に通ろうとした。
どうせ話し合いでは解決しないだろうと思ったからだ。
「待ちな……」
するともう一人の奴がすかさず俺の肩を掴んできた。
――やはり時間の無駄か?
「……まだ俺に何か用か?」
俺がゆらりと振り返ると、男はなぜかすちゃっと傷薬を差し出してきた。
「脇腹……痛むんだろう? これ、使え」
おおぅ? 既視感のある動きだな……。なぜかどこかのデブが脳裏に浮かぶ。
俺が尚も戸惑っていると、何を勘違いしたのか男はいい笑顔で俺に傷薬を押し付けた。
「金なんざいらねぇよ。お前も読んだんだろ、『兄貴の唄』をよう。困ってる奴、自分より弱え奴には優しくしねえとな!」
「…………読んでないっす」
汚い歯をきらりと輝かせて爽やかに親指を立ててくる傷薬君に、俺は傷薬を押し返した。
◆
店内に入ると、中は人でごった返していた。
奥の方にはベンザをはじめ見知った顔もちらほらと見えるが、いったいどこにこんなに人がいたのかと思うほど見知らぬ顔も多い。
「いけ~ベンザ! 西支所に負けんなよっ!」
入り口付近でそれとなく様子を窺うと、どうやらデブはなぜか早食い対決をしているようだ。
見ているだけでのどが渇きそうな一メートル近くあるぱっさぱさなフランスパンに、これまた水分をまるで感じさせないぼっそぼそのサラミソーセージが乗っている食い物を一心不乱に口に押し込んでいる。
そして全く意味不明だが、なぜか一本喰い終わるとベンザは対戦相手の横っ面に左フックを入れた。
「ぷぉっ!」
対戦相手は魔力ガードで何とか拳に耐え、涙目で引き続きパンを齧っている。それを見たベンザは再び次のパンに取り掛かった。
俺はいったい何を見せられているんだ……?
パンを一本喰い終えた対戦相手が、遠慮のない右ストレートをベンザの顔面に入れる。
「ぐっ……! ふんっ!」
ベンザは垂れた鼻血を鼻息で吹き飛ばしながらこれに耐えた。
直後にベンザはさらに一本喰い終えて、再度左フックを叩きこんだところで対戦相手はどうと倒れ、KOされた。
「ふんっ! 早食いマッドドッグ顔面パンチでは誰にも負けねぇ」
ベンザが手をパンパンと払い、周囲のメンバーがやんややんやと歓声を上げたところで、俺とベンザは目が合った。
他人のふりをする間もなく、ベンザは満面の笑みになり即座に腹から声を出した。
「レン君ち~すっ!! お久しぶりっす!」