258 昇竜杯(7)
各国選手たちの様子が中継されている観覧会場で、観客たちの噂話が盛り上がっている。
アレンがドルの事を『空前絶後の大魔法士になる事がすでに約束されている男』などと断言したからだ。
皆、改めて魔光掲示板に示されているドルの選手データや初日の結果を確認し、首を捻る。
光属性を含む四属性持ちというのは確かにこの昇竜杯の出場選手としても際立っているが、十三歳で魔力量3800というのは、『空前絶後の大魔法士』としては平凡すぎるだろう。
実際問題として、歴史に名を残すような魔法士は押しなべて魔力量が豊富だったと伝えられている。
威力面でも、連射性能という意味でも、最終的には魔力量がその限界を決めてしまうからだ。
「う~ん……確かに初日の魔法制御力には目を見張るものがあったが……」
「あぁ。もしかしたら研究者として、という意味かもしれないな」
「なるほどな。それならあの魔法制御力や性質変化の才能が活きるだろう」
一般観覧席に座る妙に目の肥えた事情通が、そんな風にしたり顔で結論を出しかけたその時、アレンはこんな事を言った。
『かぁ〜まったく! 世界中がルドルフ・オースティンの名前を聞くだけでちびるのは、もはや既定路線だろうが……!』
そのセリフを聞いて、会場は一瞬静まり返り、ついでざわめきが一段と大きくなる。
反面、VIP席に座り外交に精を出していた各国の偉いさん達は口数が減り、その目つきを険しくした。
アレン・ロヴェーヌとしても、映像でロザムール帝国皇帝ラウールを始めとした各国の重鎮が見ている事は百も承知だろう。
という事は、今アレンは『お前らは将来、ドルの名前を聞いただけでちびる』と言ったに等しい。
勿論はったり、つまり政治的な駆け引きである可能性もある。
むしろドルの魔力量を考えたら、そちらの可能性の方が高いくらいだろう。
だが百戦錬磨の重鎮たちが見た限りでは、アレンとドルのやり取りからは演技がかった『臭み』が感じ取れなかった。
もしかしたら、本気で断言しているのかもしれない。あのアレン・ロヴェーヌが。
否が応にも、皆の視線がルドルフ・オースティンへと集中していく――
◆
「となりで観戦してもいいかしら、ムジカ?」
VIP席の後方で昇竜杯を見ていたカタリーナは、フィールドへと続く出口に最も近い場所で心配そうにモニターを見ているムジカを発見して降りてきた。
もちろん、この生真面目で人のいい王家の娘にして王立学園体外魔法研究部の顧問を務めるムジカから、可能な限り情報を、特にルドルフ・オースティンの情報を引き出してやろうという思惑がある。
もっとも、ムジカとしてもそんな事は百も承知だ。
「……お好きにどうぞ。先に言っておきますが、もしも不穏な動きがあれば、私は誰に何と言われようともフィールドに入って試合を止めます。邪魔をすれば……容赦はしません。たとえあなたでも」
ムジカが目も合わせずに淡々とそう告げると、カタリーナは自身の顎を人差し指で差しながら、困ったように首を傾げた。
「心配性ねぇ。フィールド設営とチェックは全出場国で共同して行われたし、何より各国の宝ともいえる選手たちが出場している昇竜杯で、あからさまな罠なんて仕掛けられる訳がないでしょう。さすがに出場国全てを敵に回したら帝国はもたないわ。自国民もたくさん見ているし」
カタリーナはそう言ったが、ムジカは全く信用していない。
昨日の事件は帝国にとって明らかに悪手だ。アレンの情報を得たいのは各国とも同じだろうが、その為に帝国だけがとんでもない泥を被っている。
帝国の大国として長年築き上げてきた信用は、たった一晩で地に落ちたと言っていい。
となれば、帝国の利害を超越した理解不能な事件が起こる可能性もゼロではない。
「……あの空前絶後の大魔法士候補さんは、いったい何をしているのかしら?」
カタリーナは単独で行動しているドルが映されているモニターを指さして、楽しそうにくすくすと笑った。
ドルはビレッジフィールドで入手した貴重な魔力回復薬を消費しながら、単独で隠密行動をとっている。
普通に考えれば地物や敵の配置を調査していると思われるが、どう見てもただ斥候をしているだけには見えない。
特徴的なのは、時折停止して意味不明な言葉をぶつぶつと口にしながら手を不自然な形に組み合わせ、地に手をついて静止し、また動き出すその行動だ。
「…………あれは、印を結んでいます」
ムジカはカタリーナと目も合わせず、淡々と答えた。
一応説明しておくと、印というのは忍者が不思議な術を使う時に両の手を複雑な形に合わせる、日本人にはお馴染みの動作の事だ。
ドルがどうしても詠唱はしたくないと言うので、代替手段としてアレンが提案したものだ。
アレンが前世で小学生の高学年だった頃、とある忍者漫画が大流行していた。
親に漫画を禁止されていた前世のアレンは当然ながら読んだ事すらなかったのだが、クラス中の男子生徒が実に楽しそうに印を結ぶ練習をしているのを横目で見ていた。
心の表層では『くだらない』などと自分に言い聞かせていたが、もちろん心の奥には名状し難い負の感情が渦巻いていた。
その時の鬱屈した感情を拗らせに拗らせて、三十も過ぎてから印について調べ、大人が一人で夜な夜な両手を合わせる練習をしたという悲しい過去がある。
それをドルに伝授した。
初めは監督命令で嫌々やっていたドルも、地爆の発動には少し時間が掛かる事もあり、ルーティーンとしてすでに癖になっている。
「イン? ……一体何の意味があるのかしら?」
カタリーナに問われ、ムジカは意味ありげににやりと口角を吊り上げ、沈黙した。
もちろん、印の意味などムジカにはさっぱり分からないから答えようがない。
アレンには何度もその狙いを尋ねたのだが、『かっこつけのため』、『絵面が地味なのは地爆の大問題』などと返して取り合わない。
ムジカとしては、敢えて余念を挟む事で負荷をかけ、危機的な状況で余裕を生むための訓練と解釈している。
「……よく聞こえないのだけれど、彼は何を言っているのかしら?」
「臨兵闘者皆陣列在前ですね」
ムジカは淡々と答えた。
「……も、もう一度聞いてもいいかしら?」
「臨兵闘者、皆陣列在前。九字切りと呼ばれる、魔なる者を退けるための呪いだそうです」
ムジカは常識でも説明するように、アレンが言っていた事をそのまま伝えた。
「く、九字? ……魔なる者……? 魔族? ……まさかドスペリオル家の秘伝……いやまさか……」
『ジュステリア:ガプラ退場。ユグリア王国合計1ポイント』
と、そこでドルが仕掛けた地爆をジュステリアの選手が踏み抜き、退場となった。
「な、なんですって……」
カタリーナは瞠目した。
いや、試合を見守っている観客全員が、信じられないものを見たという顔をしている。
今ジュステリアの選手が踏んだ場所は、五分も前にドルが何事かを呟きながら手をついていた場所だ。
今ドルは遥か離れた場所にいる事を、観客はモニターを通じて全員知っている。
つまりルドルフ・オースティンは、身体から離れた場所では長時間エネルギーを維持できないとされている、絶対的な魔法の原則をひっくり返した。
実は地爆も、落とし穴を掘ったり、自然水を集めたり、火を点けた木が燃え続けたり、などといった魔法で物理現象を誘発しているのと原理的には同じ事だ。
だが観客の目には、不可能と言われている『魔法の設置』をしたように見えている。
退場となった選手を見ると、まるで魔法攻撃を察知出来なかった事に呆然としている。
近くにいたジュステリアの残り二選手も慌てて周囲に警戒を巡らせるが、人の気配は全くない。
「…………さっきあの子が言っていた魔法を撒いてくるってそういう事? いいの、こんな画期的な魔法を披露して。各国は徹底的に研究するわよ?」
「別に構いませんよ。いくら研究してもルドルフ・オースティン君の地爆は真似できっこありませんから」
『臨兵闘者皆陣列在前!』
と、そのようにムジカが断定的に言ったところで、ドルが慌てた様子で印を結び、ふわりと走り出した。
その背後にはクワァール共和国の選手がおり、ドルを包囲するように動き出し――
『クワァール共和国:インサ退場。ユグリア王国合計2ポイント』
そしてドルが印を結んだ場所を踏んだ所で地が爆ぜて、退場となった。
正体不明の攻撃を受けた事で、残りの選手達も足が止まる。
ドルは悠然と包囲を突破した。
「……どういう事よ……あの子、今地面に手をついてすらいなかったじゃない」
カタリーナが何とか笑顔を貼り付けてそんな苦情を言っても、ムジカはくすりともしなかった。
「彼の才能の真骨頂は四属性に及ぶ性質変化ではなく、その超人的な魔法制御力にあります。恐らく足で魔法を発動したのでしょう。ちなみにあの魔法は三属性の混合魔法です」
「三属性の混合魔法ですって! それを足で練り上げて、あの妙な手の動きをしながら発動したとでも言うつもり……?」
ムジカはため息をついた。
「……私としては、暴発する危険があるので足魔法の練習は止めるよう何度も指導したのですけどね。俺は皆に比べて平凡だと……俺から器用さを取ったら何も残らないと言っていましたので、練習を続けていたのでしょう」
ムジカは自分の至らなさを恥じるように、唇を噛んだ。
「私はあの魔法の原理を知っていますが、恐らく求められる繊細さは、まさに針の穴を通すようなものでしょう。仮に私に属性的な適性があったとしても、絶対に真似できません。それを足で発動するだなんて。しかもまだ十三歳……末恐ろしい子」
ムジカ・ユグリアは同世代で、若かりし頃からその天才的な魔法士としての能力を、カタリーナは嫌と言うほど知っている。
そのムジカが震えるようにそう評した事で、カタリーナはやっとルドルフ・オースティンがやっている事を正しく理解した。
「……空前、絶後……」
三属性に及ぶ性質変化の才能の稀少性、十分な魔力量、そして天才的な魔法制御力に志の高さ。
それらが全て揃って初めて成し得る魔法。
過去はもちろん、未来にも同じ魔法が実現できる人間は二度と現れないかもしれない。
「対処方法もお教えしましょうか? ルドルフ・オースティン君がいると分かったら、全員が常に魔力で足をガードしながら進めば問題ないでしょう」
それがどれほど魔力的に不利な状況を相手に強いるか。
たった一人が存在するだけで、例えば数千人の軍が常に無駄な魔力を浪費し続けるなど、とても現実的な対処方法とは言えない。
つまりは対処しようがないという事だ。
「……だから敢えて、これだけの研究成果を公表したというわけね」
ムジカはそこで初めてくすりと笑い、首を横にふった。
「……恐らく、彼の考えは違います。本当に、この程度の事を隠しても仕方がないと考えていると思いますよ? ルドルフ・オースティンのこの先を考えると、こんな程度は大した事ではないと」
ムジカが見たモニターへと目を向けると、試合が俄かに動き始め、そこにはお面を付けたまま気持ちカメラ目線で地に手をついているアレンがいた。
「四大精霊が一柱、レ・ノーム。礎たる大地よ。風の契約に基づき偉大なる地の力を借り受ける。――砂嵐」
砂礫が舞い上がり、草原の視界が一気に悪くなると、観客席のざわめきは潮が引くように静まっていった。