207 古都ラベルディン(6)
「……どうしました、アレン?」
フレーリアさんは一度話を区切った。
俺が挙手したからだ。
他の大陸からの開拓者の話はまぁ驚いたが、その可能性については頭にあった。
むしろ地球からの転生者で、他の大陸とその住人が存在する可能性に思い至らない奴はいないだろう。
聞きたい事はいくつかあるが、まずどうしても気になる事を聞いてみた。
「そうですね、色々と気になる事はありますが……まずなんで神官がそんなに強いのか、という点に突っ込まずにはいられませんね」
何が神速の鉄塊だ……。
強いにしても、神官なのだからもっとスピリチュアルでロマン溢れる強さであるべきだろう!
祈りを通じて炎の大精霊、サラマンドルを召喚するとかさあ!
もし俺にもその神官の才能が受け継がれていて、鍛錬すれば使えるようになる、とかなら朝から晩まで祈り倒すのに……。
「まずそこなのですか……? …………では上階へと参りましょうか」
俺がこのように聞くと、フレーリアさんは意外そうな顔で目を瞬いた後、上へと続く階段を登り始めた。
「……カナリア様が生きた時代は、今よりもずっと人口が少なく、国の体制も軍組織も不完全なものだった事でしょう。ですが、それを差し引いたとしても、アレンの言う通り一人の人間が成し得た戦果としてはあまりに常軌を逸しています」
たった一人で千からなる敵の精鋭軍を葬り去り、草原を血の海に染めた、など『鉄拳の魔女』カナリア・ドスペリオルの伝説は有名だ。
…………今思うとどっかで聞いたような話だな……。
俺はチラリと隣の姉上を見た。
仮にそのカナリアさんが姉上の上位互換だったとしても、他のオリジナル・ファイブ連合軍……例えば建国祭で知り合ったオリビアさんクラスの才能を持つ人が大軍でやってきたとして、とても対抗できるとは思えない。
流石に一人で戦ったというのが誇張だとしてもだ。
……いや、仮に姉上が武を極める道を歩んでいたとしたら……と思わせるから恐ろしいが、まぁ普通に考えて難しいだろう。魔力の量には限界があるしな。
ライオは林間学校で百人斬りをやったそうだが、それはあいつが魔力量バカである事に加えて、彼我の実力に大きな開きがあったから出来た事だ。
防衛側にかなり有利な地形を、ベスターが敵方に強制した事も大きい。
フレーリアさんの案内に従い、間の階は一旦素通りし、内階段を通って上のフロアへと上がる。
そこは、中心にどう見ても邪神にしか見えない禍々しい像がある広間だった。
四方に石柱が配され、その上に馬鹿でかい魔石と思われる石が輝いている。
「この広間は通称『演舞の間』。巫女が破壊神シド――本来は表裏一体にある破壊と再生を司る神ですが――その眷属である軍神マルゴンへと祈りを込めた舞を捧げる事で、その加護を得られるとされています」
「か、神の加護……?」
俺がつぶやくようにそう言うと、フレーリアさんは頷いた。
「……カナリア様は、ドスペリオル家が絶体絶命の窮地に陥った際、この演舞の間で舞ったそうです。巫女の舞や儀式の作法などはスカンディも殆ど把握していなかったらしく、ラヴァンドラから伝わっていたのは伝聞程度のものでしたが……カナリア様は強き信念を持ち夜通し舞い続け、そして成した。禁断の『神降し』を――」
き、禁断の神降しだと?!
なんだその響きは…………。
めちゃくちゃかっこいいじゃないか!!!
しかも大切なのは作法ではなく、強き信念だと!
もしかして俺にもできるんじゃないのか?!
ていうか出来るだろう! 神の力を借りたいという信念には定評がある!
だが問題は……舞などと言われても、俺はダンスの類に全く縁がなかった事だ。
前世でも、俺の世代は体育でダンスなどなかったし、歌と違ってかなり能動的に行動しなくてはダンスを習得する機会などない。
運動会も真剣に取り組んでいないから、碌に記憶がない。
唯一俺が踊れるのは、一人暮らしをしていたアパートの近所で毎年開催されていた納涼祭の盆踊りくらいだ。
「…………レン……アレン? どうかしましたか?」
俺が必死に思考を巡らせながらぶつぶつと呟いていると、フレーリアさんが不思議そうな顔で首を傾げた。
「……禁断、とされる理由は何ですか? 何か呪いのような副作用があるとか」
フレーリアさんは首を振った。
「はっきりとは分かりません。カナリア様は天寿を全うされたといいますし、身体に何らかの反動があったとも伝わっておりません。ですが……人智を超えた力を一人の人間が振るう、その事が世に及ぼす影響は計り知れません。カナリア様も、蟻象戦争以後は決して表舞台には立たれなかったそうです。
もしも権力者にその実態を知られてしまっていたら、力を利用したい者、排除したい者、双方から狙われ、決して安穏な生涯は送れていなかった事でしょう。本人が望む望まないに関わらず世俗から距離をおかざるを得なくなった、それがある意味呪いのようなものだったのかもしれませんね……」
フレーリアさんは、厳しい顔でそんな事を言った。
神を宿した代償が、田舎でスローライフだと……? 全然OKなのだが……!
「…………神の波動を感じます。軍神マルゴンは、そこに居ます」
俺は自信満々に断言した。
何を祈ればいいのかはよく分からないが、その存在を信じない事には始まらないだろう。
とにかく今は、手持ちのカードでできる事をやってみるしかない。
俺はこの塔の扉を開くことすら出来ないのだ。次の機会がいつになるか、そもそも次があるのかも分からない。
頼む神! 俺にスピリチュアルな力を貸してくれ!
そう強く念じながら、俺はパパンがパンと手を叩いた。
そしてまずは手始めに左足と左手を下げ、右手は何かを覗くようにして顔へかざす。次に、右足と右手を下げ左手を同様に顔へとかざした。
この動きの意味には諸説あるらしいが、富士山などを遠望している動きを模したもの、等の説があるらしい。
「あ、アレン……? あなたはいったい何を?」
「静かに! マルゴンがこちらを見ています!」
すかさず下がった右足から前に進み、両手で丸を作る。
この動きは満月を、次の歩みながら突き出した腕に逆の手を添える動きは人や川などの『流れ』を模していたはずだ。
考えてみると、盆踊りは何だか神に捧げるのに相応しい『舞』のような気もしてきたぞ?
感じる……神の波動をびんびんに感じざるを得ない!
などと考えながら、俺が渾身の盆踊りで邪神像の周りを二周回ったところで、フレーリアさんは遠慮がちに口を開いた。
「……軍神マルゴンの加護を受けられるのは巫女……女性だけのようですよ、アレン」
…………早く止めてよ!
◆
神の男女差別により俺はいよいよ不貞腐れ、部屋の隅で体育座りをして顔を埋めた。
風が運んでくるナタリアさんとフレーリアさんの、生暖かい視線が痛い。
「ふふっ。アレン君の踊り、何だか可愛らしい動きだったねっ。映像記録装置持ってきたら良かった〜。上手く場所が分からないように加工して、アレン君のお友達とか、みんなに見せたかったな〜」
殺す気か?!
「ところでお婆様、その魔磁気反転が万年周期で起こるっていうのは確かなの?」
姉上は首を傾げながらフレーリアさんに尋ねた。
「……流石にそれは分かりかねますね。そもそもラヴァンドラがどの程度の歴史を持つ国か、当時の技術レベルがどの程度だったかなど、詳しい事は殆ど何も伝わっていないのです」
俺は姉上が何を言いたいかを何となく察して顔を上げた。
「そうなんだ〜。ここ数年、魔磁気が弱くなってる気がしてたから、もしかして関係あるのかと思ったけど……考えすぎだよね」
いやいや、妙なフラグを立てるのは止めてくれ……。
どう控えめに見積もっても技術力が格上の、しかも新大陸の開拓に野心を燃やしているお隣さんなど、迷惑極まりない……。
さらにオリジナル・ファイブの実力からして、生来の魔法力はおそらく比較にも――
そこまで考えて、俺はある可能性に思い当たった。
「……ドスペリオル家を含む開拓者は、いわゆる『魔族』なのですか?」
御伽話に出てくる魔族は、明らかに人でないものとして描かれている。
角や牙があったり、耳がとんがっていたり、もっと顕著な例では背に羽を持つなどの特徴だ。だがその共通する特徴として、いずれも桁外れの魔法力がある。
俺がそのように問うと、フレーリアさんは難しい顔でしばし思案した。
「……魔族の定義が曖昧なので何とも言えませんが、スカンディがこの大陸に来た時代には、開拓者は生来の魔法力が明らかに異なる人種でしたので、元からこの大陸に住まう者にとっては忌まわしい異人種として見られた事でしょう。
もっとも、今は混血が進み、魔法力に優位性のあった開拓者の血は大陸に広く浸透しましたので、異人種とまでは言えないと思います」
……まぁ魔法の才能は遺伝的な要素も強いし、その有無が生涯に及ぼす影響は、昔は今以上に大きかっただろうから、その血脈が爆発的に広がったであろう事は想像に難くない。
この大陸に存在する貴族家は全てオリジナル・ファイブの血を引く、とされているのはある意味間違いではないだろう。
「では、最上階に参りましょう。もっとも、最上階は物見櫓で、このラベルディン周辺がどちらの方向にも遠望できると言うだけで何があるという訳でもありませんが」
フレーリアさんに促され、俺たちは一つ上、この塔の最上階へと内階段を登った。
◆
「見てアレン君! すごい景色だねっ」
最上階は外回廊に出られるようになっており、このラベルディンの中心地から全ての方向が一望できるようになっていた。
「ええ姉上、綺麗ですね」
やや強い風に吹かれながら、眼下に広がる美しい街並みを、そして遥か彼方に広がる小麦畑を見渡し、俺は相好を崩した。
小さな頃から高い所に登るのは好きだ。
高いところで風に吹かれていると、何となく自由になれる気がするからだ。
バカと言われようと、煙と言われようと、今世ではこの『好き』という心を大切に生きると決めている。
「……お婆様、もう一つ聞いてもいい? この塔はなぜあっちが正面に作られているの?」
姉上はそう言って、東北東の方角を指差した。
「あちらが正面、ですか? 塔の外壁は円形ですし、入り口が南にある他は内部も全て前後左右対称の作りになっていると思いますが……」
姉上は人差し指で顎を触りながら、『う〜ん』と悩ましげな声を出した。
「建物としてはそうなんだけどね……。塔全体をおっきな魔道具と捉えると、魔力の流れからしてあっちが正面かな〜って感じて。東側の方が建物を保護する力も強そうだし」
姉上がそう言うと、フレーリアさんとナタリアさんは顔を見合わせた。
「この塔が魔道具、ですか? 塔に登る前にもそのような事を言っていましたが……確かにこの塔は現代の技術とは異なる保護魔法で守られており、アイオロス様の時代からその構造は変わっていないそうですが……伝承によると、イブリース家で変人と呼ばれていた魔道具士がアイオロス様に招かれて建てた、との事です」
イブリース家もまた、オリジナル・ファイブの一つに数えられる歴史の長い家だ。
「……仮にこの塔が魔道具だとして、お姉様にはいったいどういった魔道具かお分かりになるのですか?」
ナタリアさんの問いに、姉上は首を振った。
「うーうん、そこまでは分からないな。でもこれだけ大規模な魔力回路が組まれているから、ただの建物保護魔法って事はないと思うんだけどな〜」
そう言った姉上は、目を細めながら、愛おしそうに塔の壁を手でさすった。
「……折角の春休みなのですから、ここに留まって塔の研究をしてみてはいかがですか? ね、おばあちゃん!」
俺がそのように勧めると、フレーリアさんは『ローザがそう望むのであれば、当家としては歓迎します』と言った。
「え〜? でも折角アレン君と帰省するつもりだったのに……」
「わくわくしているのでしょう? 顔を見ればわかります。
……自分の心には正直に生きた方がいいですよ、姉上。
俺は探索者としての仕事があるのですぐにでも出立しなくてはなりませんし、それに家には帰らずに途中で別れてドラグレイドへと向かうつもりですしね」
「え〜そうなの? ……じゃあ私は春休みの間ここに残ろうかな……。お世話になるね、お婆様」
姉上がそう言うと、フレーリアさんは『いいでしょう』と言った。もちろんその顔はデレデレだ。
「あ、あの、ローザお姉様……。研究のお邪魔にならない範囲で構いませんので、私にも昨日のように稽古をつけて頂けますか? 騎士団の配属に向けて、できるだけ自分を研ぎ澄ませておきたくて……」
「もちろん! お世話になる立場だし、なっちゃん強いから遊ぶの楽しいしねっ」
ナタリアさんが遠慮気味にそう言うと、姉上は快諾した。
昨日肋骨にひびが入ったと言っていたナタリアさんの顔は、目に見えて華やいだ。