177 辞令
夜8時に輸送任務を完了した俺とダンは、倒れるように漁村の宿で眠りにつき、翌日の朝まで睡眠を貪った。
木製のベッドは硬く、とても快適とは言えない宿だったが、俺は住環境に拘りは無いし、ダンも育ちは庶民なので気にならないようだ。
午前6時ごろまでダンと二人部屋で寝て、窓にさす朝の光で目を覚ます。
身支度を整えて部屋を出ると、こぢんまりとしたダイニングでグラバーさんとキャスさんがコーヒーを飲んでいた。
「おはよう。よく眠れたか?」
頷き、『お二人とも早いですね』と俺が返事を返すと、キャスさんは相好を崩した。
「俺たちもさっき起きたところさ。
まさかジュレからここまで、休みなしで走り切るつもりとは思わなかった。君らが決死の航行を続けているのに、まさか大人が寝るわけにはいかないだろう。
いささか歳は感じたけどな。
嵐で足止めされた時は任務失敗も覚悟したけど、そこから巻き返して宣言通りきっちり六日。君たちが稼いだ『刻』は千金よりも重い。でしょ、グラバーさん?」
グラバーさんがゆっくりとした動作でコーヒーに口をつけ、口を開く。
「金に代えられるものではないがね。
一糸乱れぬ二人の操船も見事だったが……何よりも、何としても六日以内で運ぶという執念。
君達の覚悟は、余す事なく陛下へと報告させてもらう。
……君達が成し遂げた輸送任務は、あらゆる意味で時代の節目になる事は間違いない。可能な限り正確に記録が残るように尽力させてもらおう」
グラバーさんがこんな事を言ったので、俺は慌てて手を振った。
「俺たち二人だけの力ではありません。
航路の選定や魔物への対処、寄港地での補給、魔法士や積み荷の調整、宿の手配などのロジスティクスが完璧で、非の打ち所がありませんでした。
とても緊急任務とは思えなかったです。
これがどれほどの人達の才覚と苦労の上に成り立っているか……
俺たちが力を出せたのはみんなのお陰です。
正確な記録、というなら、そのバックヤードも含めた「チーム」に強く言及してほしいですね。
もちろん俺たちが寝ていた間に、そして今も現場で卵の処理に奮闘している魔法士も含めてです」
ロジ周りの調整の大変さは、前世の社会人時代に自社イベントの開催をした際に嫌と言うほど味わった。
元来は兵站を意味するその言葉に類する仕事は、完璧を追求すればするほど考慮すべき事が膨れ上がる。
ましてや携帯電話もメールも無い世界の突発的な緊急任務で、これ程完璧に根回しする事がどれほど大変だったかは考えるまでも無い。
俺がその苦労を想像して顔を引き攣らせながらそう言うと、グラバーさんとキャスさんは目を丸くしてから顔を見合わせた。
ダンだけは苦笑している。
「何を言っているんだアレン?
これだけの大発見をして敢えて情報を秘匿していたのは、センセーショナルに自分を売り込むためじゃなかったのか?!
あぁいや、その事を責めるつもり全くないぞ?
国を救い、そして新たなる世界を切り拓いたんだ。堂々と英雄として歴史に名を刻むべきだと思う。わざわざ功績を薄める必要は無いだろう」
キャスさんがこのように勧めてくれたが、俺ははっきりと首を横に振った。
くどいようだが俺は別に偉くなどなりたくない。
むしろ大袈裟に騒がれてこれ以上名前が売れたら、自由気ままに好きな事に取り組んで生きるというささやかな願いすら叶わず、社会の中でがんじがらめにされてしまう。
まぁいざとなったら全てをぶん投げて辺境でスローライフ、というある意味で異世界転生の正道的な奥の手もあるが、それは最後の手段だ。
「……君達が何を成し遂げたのか……
あぁいや、無粋な事を言うのは止めておこう。
確かに聞き届けた。君の『想い』をね……」
グラバーさんは俺の目を暫く見ていたが、最後にはこう言ってくれた。
また派手な噂が飛び交いそうで実に憂鬱だったが、意外と柔軟な人で助かった。
これで少しはソフトランディングできるだろう。
「ところで、ダニエル君。
君には仮団員として王国騎士団の第二軍団に所属してほしいと思っている。
敢えて伏せていたのだが、実は王都を出立する前から辞令を預かっていてね。私の目でしっかりと確認して、その価値を見極めよ、とのお達しだった。
結果は……説明するまでもないがね。
君達が切り拓いた帆船の新たな運用方法は、王国騎士団に必要不可欠な技術となることは間違いない。
我々は教えを乞う立場だが、任務を通して実地で学ぶ際や機密に触れる軍船の調達時などに、君に騎士団員の立場がないと困った事が頻発するだろう。
勿論、戦力としても大いに期待している。
可能な限り学業に支障がないよう配慮するので、出来れば受けてはもらえんかね?」
俺はすぐさまダンの肩をばしりと叩き、手放しで称賛した。
「おぉ! 俺はゴドルフェン先生に頭をぺこぺこ下げて何とか通してもらったのに、騎士団側から入団を請われるとは、流石は帆船部で初代部長を張っているだけはあるな、ダン!」
くっくっく。
ダンが騎士団入りしたら、目立ってしょうがなかった俺の一年生での騎士団入り実績も薄まる。
全くもって完璧な流れだ。
だが、俺が『自分はお願いした立場だがダンは請われた』という事を強調しながらニコニコと笑顔を差し向けたところ、ダンは俺を冷え切った目で見た。
「……何がぺこぺこだ、悪い顔しやがって……。
職員室でゴドルフェン先生に掴みかかって言い負かした挙句、陛下に騎士団入りを直訴させた事は子供でも知ってるぞ。さては目立ちたくなくて俺を隠れ蓑にするつもりだろう」
ちっ。
相変わらずダンは俺の邪な考えを的確に読んでくるな……。
そもそもなんでそんな事を子供が知っているんだ……教育に悪いだろうが!
「……そんなものは根も葉もないただの噂だ。ちょっと意見交換はしたがな。
で、どうするんだ、受けるのか?」
ダンはがっくりと肩を落としてから俺を睨んだ。
「どうするもこうするも、ここまで事が大きくなったら受けざるを得ないだろうが!
実家や、百歩譲ってグラウクス侯爵までならともかく、陛下や騎士団長まで話に巻き込みやがって……
いつからこの絵を描いてたんだ?!」
「え……まぁ初めからだな」
「は、初めからだと!
…………それは具体的にはいつだ?」
「初めは初めだ。揚力の存在に気がついた時。即ちオジロシャチの群れに追いかけ回されている時から、この展開は見えていた」
俺がそう言っていい笑顔で親指を立てると、ダンは再びガックリと肩を落とした。
まぁダンからしたら驚くのも無理はない。
俺はその存在を思い出し、風魔法で揚力の増幅ができると気がついた時から、どれほど世の中に影響を与えるかはすぐに予測できた。
風魔法の新たな可能性に気がつき嬉しい反面、これまた面倒な事になりそうだと頭の片隅で考えていると、好きな事に夢中になっているダンのじゃがいも面が目に入ってピンときた、という訳だ。
ダンからすれば、再現性があるのか、どれほど応用が利くのかも不透明な未知なる技術だ。
俺とは想像が及ぶ範囲に差が出るのは仕方がないだろう。
「まぁ俺がしたのは楽しそうだから帆船部を始めようと誘ったぐらいで、別に強く方向性を誘導したつもりはないぞ?
ダンが自分の意志で決断し、好きな事に真摯に取り組み、新たな技術領域を切り拓き、その結果、国を救った。
俺はきっとそうなるだろうと思っていた。
それだけの事だ、英雄!」
俺は放心しているダンの肩を再びばしりと叩き、グラバーさんへと向き直った。
「風魔法による帆船の運用を習得するならダンに習うのが適切ですよ、グラバーさん。
俺の専門はあくまで風魔法で、帆船は趣味です。とても論理的に説明できる自信はありませんし、それほど時間も取れません。
帆の表面積や形状、風を受ける角度などの複雑な要素と発生する揚力の関係などの基礎研究から、帆船部の練習船の設計のマネジメントまで、全部ダンがやっています。
ダンはこの分野では世界一の専門家と言えます」
俺がそのように総括すると、グラバーさんは気の毒なものを見る目をダンに向けた。
「……詳しい事は分かりかねるが……君も大変なのだね、ダニエル君。それでは――」
そう言ってグラバーさんが立ち上がり、キャスさんに視線を送ると、キャスさんが足元の箱から真新しい第二軍団のマントを取り出した。
「こんな味気ない田舎宿で任命するのもどうかと思うけど、善は急げと言うからな。
さて――
辞令!
王立学園1年Aクラス、ダニエル・サルドスを、王国騎士団の仮団員に任ずる。
以後、第二軍団長、グラバー・フォン・オーシャンの指揮下に入り、学業に支障なき範囲で任務に従事せよ。
ユグリア王国騎士団長、オリーナ・ザイツィンガー。
代読、キャスター・ブロウ」
ダンは一度強く目を閉じて深呼吸し、右手を胸に当て顔を上げた。
「はっ!」