173 輸送任務(5)
俺が、どう説明すればダンをダークサイドに引き込めるかと悪しき顔で頭を働かせていると、アルがよろよろと近づいてきた。
その頬はたった半日の航行ですでにややげっそりとしている。
「アレン。ダン。
かっこ悪いところ見せちまったな。だが多少は揺れにも慣れてきた。流石に昨晩ぐらい揺れたらまだきついが、これぐらいなら何とか耐えられそうだ」
アルの強がりにダンは優しく微笑んで、だが首を振った。
「船酔いは仕方がないさ。鍛えようがないからな。
慣れの部分もあるが、今日明日で何とかなるものでもない。アルもまた酔うとは思うけど、その事を気にする必要はないさ。
だけど陸に上がればほとんどの人はすぐ回復するし、何とか耐えてもらうしかない。
悪いが遠慮なくいかせてもらうぞ、アル」
ダンが決意を込めた顔でそう宣言すると、アルは『覚悟を決めておくよ』と力なく笑った。
それを見て、銀髪サラ髮のカプリーヌさんが可笑しそうに微笑む。
「男の子の友情は手厳しいですね、ダニエル・サルドスさん。
……あなたたち二人が何をしていたのか、私には理解が及びません。ですがまだ学生のあなたたちの、この国を想う覚悟は半日で十分伝わりました。苦労をかけますが、引き続き宜しくお願いします」
「う〜ん、私は魔法以外には余り興味がないんだけどな。
でも……胸にくるものはあったよ。仲間を信頼しているんだね。
無理はしないでね」
魔女っ子のルルーシュさんはそう言って片目をつむり、自分のバッグから傷薬を取り出してダンの両手を治療した。
「包帯もまく?」
「いえ、手の感覚が鈍るので包帯はやめておきます。ありがとうございます。魔力ガードの魔力を節約しすぎました」
ダンはそう言って苦笑した。
本来、帆船のラインワークに手の感覚もクソも無いのだが、揚力を最大限引き出そうとするには、手から伝わる異常を瞬時に察知して船を切り返す準備が必要らしい。
万が一俺が風をコントロールしきれなくなった時、速度が出過ぎていて転覆に繋がる恐れがあるからだ。
ダンの手を治療したルルーシュさんは、笑顔で俺の方へと向き直った。
「さて……
噂は聞いていたけど、とんでもない体外魔力循環の練度だね。いや……もはや魔力操作だとか循環だとか、既存の概念では表現できないな。
風魔法。確かにこれまでの常識を覆す新たなる魔法の概念だ。
魔法研究者として素直に称賛に値すると思うけど……」
そう言ったルルーシュさんは、笑顔をジト目に切り替えた。
「……君が手を振りかざすたびに風向きが変わって、ロングのローブが捲れそうになるのには参ったよ、捲り職人さん?
真面目にやってるんだよね?
なんでそんないやらしく笑うお面なんて着けてるのかな?」
こ、この国宝級の菩薩像に勝るとも劣らない薄くて深い微笑が、いやらしいだと……?
奈良県民から苦情がくるぞ!
「ご、誤解です!
製作者に意図を確認したわけではありませんが、この微笑みが意味するものはおそらく慈悲の心です。
もちろんローブを捲る気など微塵もありません!」
俺が慌てて釈明すると、ルルーシュさんは疑り深そうに目を細めた。
「えーほんとかな? 一度トイレに立った時に、見事に捲られちゃったんだけど?」
そこでダンが苦笑しながらフォローした。
「さっきまでやっていた全力航行に、邪念が入る余地はありません。それは操船していた俺が一番わかります。そう断言できるほど、アレンは一分の無駄もない風のコントロールをしていました」
「ま、アレンはどこかふざけた奴だけど、やるときはやる奴だからな」
アルがそう力強く同意すると、ルルーシュさんは噴き出して表情を緩めた。
「ぷっ。
ごめんごめん、冗談だよ。
ま、一度油断して捲られちゃったけど、見られても恥ずかしくない真っ赤な勝負下着を着けておいてよかった」
「えっ?」
偶然見えてしまったその下着の色は、確か白――
俺がハッとして顔を上げると、口元に菩薩のような微笑みを浮かべたルルーシュさんがじっとりとした目でこちらを見ていた。
「見たね……?」
俺は目を逸らして首を振り、同じく目を泳がせているダンに話を振った。
「……見てません。ダンは見たかも?」
「なんでそうなるんだ! 俺に振るな! 見てません!」
「嘘つけ! お前の位置からあれが目に入らないはずがないだろう!」
「あれって言っちゃってるじゃねーか! 道連れにしようとするな!」
「おい! 俺が船酔いで苦しんでるときに何やってんだ!? まさかこの国の危機に、いつものおふざけでわざと船揺らしてた訳じゃないよな?!」
「うるさい! 元はといえばアルがイチャコラしてるのが悪い!」
「わざとなんじゃねーか!」
と、このように俺たちがぎゃーぎゃーと騒いでいると、カプリーヌさんは楽しそうに笑った。
「ふふふ。本当に仲がいいですね。
通常、王立学園生同士の会話にはもっと抜け目のなさというか……政治臭のする打算が感じられるものですが……
林間学校で記録した、あの常識外れなスコアの秘密の一端を見た気がします。
私もあなたたちの学年で入学したかった。羨ましいものです。
スカートが風で捲れて国が救われるなら安いものです。私もスカートに穿き替えたほうが早く進めるなら、喜んで着替えますが?」
カプリーヌさんに生真面目な顔でそう言われ、俺とダンは指をツンツンと合わせた。
「……いえ、ズボンのままでいいです……」
ここで『お願いします』なんて言える根性はない……
◆
マイノアは、広大なルーン平野の王家直轄領とドスペリオル侯爵地方の境目にある、マルニーニ子爵の領地にある河川港だ。
結構水量のある支流がルーン川に流れ込んでおり、昔からの要衝なのか歴史を感じる味わい深い街並みが見えたが、下船する時間はなかった。
接岸したのはほんの五分ほどで、Cランクの氷の魔法士が一名合流し、魔鳥で依頼していた資材を積み込んだくらいですぐに出立したからだ。
その後、俺は睡眠をとることにした。
俺とダンの最低どちらか一名は起きていて、風魔法を使って船を加速させる必要がある。
もちろん、先ほどのように俺が風をコントロールしてダンが操船するのが一番速いのだが、長期戦なので計画的に休みを取る必要がある。
集中力を切らして転覆などしたら洒落にならないからな。
ダンは魔法で風を減速して揚力を生み出すことはすでにできている。
おそらく他の魔法研の部員でこれができる奴はいないだろう。
それほどダンは魔力操作のセンスに秀でているし、坂道部で取り組んでいる瞬間魔力圧縮も、初めに体得するのはおそらくダンだろう。
何よりダンには情熱があるしな。
他のアホどもも、別の情熱で単純に風を起こすという技能にはかなり習熟してきているが……
だがAクラスでもライオに次ぐ魔力量を誇るダンでも、まだ魔力循環のロスが無視できないレベルであって、万全な状態から八時間ほど船を動かすと魔力が枯渇する。
操船にも身体強化魔法を使うので魔力が必要だし、この作戦中は十分に魔力を回復させるほどダンも休めないだろうから、徐々にダンが連続して風をコントロールする時間、つまり俺が寝られる時間は短くなっていくだろう。
休めるうちに、可能な限り休んでおく。
操船をダンとキャスさんに任せ、俺はメインキャビンで眠りについた。
五時間ほど眠り、今度はダンとキャスさんに代わり俺とグラバーさんで船を動かす。
縦帆船は傾きながら進むので、呼吸を乱すと転覆する恐れがある。
息が合うまでは十分安全マージンを取る必要があるので、速度はダンと組んで動かしていた時の八割ほどだろう。
その後、俺が前でダンが後ろの初めの組み合わせに戻り、以後はこのパターンを繰り返す形に落ち着いた。
アルがイチャコラしていないし、幸い風がいいので、少し余裕のある走りでもそれほどペースを落とさずに走れた。
王都を出てちょうど一日半が経過したところで俺たちはドスペリオル侯爵領都、古都ラベルディンに到着した。
ドスペリオル家創生の地と言われ、遥か昔からドスペリオル家が統治する都で、その昔は大陸一の栄華を誇ると言われた。
遠くに霞んで見えるのが、有名なラベルディンの塔だろう。
大昔に実在し、大陸に安定と繁栄をもたらした伝説の皇帝アイオロスを祀ると言われているその塔は、内部には原則としてドスペリオル家の人間しか入れないそうだが、このラベルディンの街の有名な観光スポットで、他国からも観光客がたくさん来るそうだ。
それほど高い建物の無い、趣のある美しい街並みの中に屹立するその塔は、不思議なほど街と調和が取れていて、どこから見ても一幅の絵のように美しい。
……ここが母上が生まれ育った街か。
今は時間がないが、いつかのんびり観光にでも訪れてみたいものだな。
美しい港に船を着けると、そこには品のあるダークブラウンの髪色をした老婆が供を連れて立っていた。
グラバーさんが応対に出ると、老婆は深く頭を下げた。
「お勤めご苦労様です。
近隣からかき集めた物資はこちらに纏めてあります。
間に合うかどうかは微妙なタイミングでしたが、ヘルロウキャスト異常発生の第一報を受け、ラベルディンにありました物資と人材は第一陣としてすでに船でヤブレ男爵領へと向かっております。
王都より一日半でここまで来られる早船ならクルージュ半島辺りで追いつけるでしょう。魔鳥で連絡をしておきますので合流してください」
「お久しぶりですな、フレーリアさん。
ドスペリオル家の多大なる協力に感謝する。
のんびり昔話……といきたいところだが、生憎今は時間がない。
どうか、ご壮健に」
「王国の貴族として当然の務めを果たしているまでです。
……グラバー殿に私などが言う事ではありませんが、外海は荒れやすく魔物も手強いと聞きます。どうかご安全に。
ご武運をお祈りいたしております」
そう言って老婆は両手の指を緩く絡ませて顔の前に掲げ、少しだけ膝を曲げる古い騎士礼をとった。
そうこうする内に水夫たちが物資を手際よく積み込んでいく。
寄港時間は十分に満たないだろう。
第一便に間に合わなかった魔法士二名が乗り込んだのを確認し、ダンの操船で岸壁からゆっくりと船が離れる。
フレーリアと呼ばれた老婆の強い視線を感じ、俺は迷った挙句お面を外さずに振り返って、皆と同じように右手を胸に当てる騎士団式の答礼をした。
確かに視線を感じたのだが、俺が視線を投げた時には、フレーリアさんは古い騎士礼の格好のまま目を伏せていた。
出港を知らせる貝笛の低い音が響き、俺の胸は不思議と悲哀を感じるその音にずきりと痛んだ。






