15 新学級でのかまし方(1)
「あの、母上…
クラスの所のあれはいったいなんでしょう…?」
母上は、難しい顔で掲示板を見ていたが、ふっと笑みを浮かべたかと思うと、ゆっくりとこちらに向いた。
「アレン。Aクラスでの合格おめでとう。
貴方は自分自身の強い意思で、この学園へ入学する権利をつかみ取りました。
わたくしは、貴方を誇りに思います」
……嬉しい。
本当に王立学園進学でいいのか迷いがあった。
状況に流されているだけではないかと、不安だった。
だが、子供の努力をいつも的確に褒めてくれる母上の、最上の称賛を聞いて、俺のやってきたことが間違いではないと思えた。
そうだ。
この道は、俺が自分で、自分の『やりたいこと』をして『自由気まま』に生きるために、最も適した道だと、自らの手で勝ち取った道だ。
学歴も出世も糞くらえだ。
必要なら俺は、この勝ち取った権利をいつでも捨てる。
だが今は、この3か月間、ゾルドと手を携えて、共に歩んだ勉強の価値を信じよう。
騎士として強くあるために、『アレン』が12年間積み上げてきた努力の価値を信じよう。
涙が頬を伝う。
一度流れ出したら止まらなかった。
母上は、『あらあら』と言って、口を綻ばして笑い、俺の体を優しく抱きしめてくれた。
あったかい…。
母上の心は大きい。
この大きさのありがたさを、価値を、俺は知っている。
一呼吸置いて、母上は、俺の顔を両手で挟み、唇の端を吊り上げたかと思うと、一言、とても小さな声で言った。
「アレン。あなたを信じていますよ」
その目は全く笑っていなかった。
涙は引っ込んだ。
よく見ると、俺の頬を挟んだ母上の両の手は真っ白で、冷え切っていた。
怒っている時のサインだ。
つい先ほどまでポカポカと温かな気がしていた俺の体感温度は急降下した。
「あ、あの、母上…それはいったいどういう意味…?」
急激に喉が渇き、美しい涙が流れていたはずの目もドライアイかの如くカピカピに乾燥している。
「さてと。私は今日にでも子爵領に向けて出立します。
アレンの朗報を一日千秋の思いで待っているベルやゾルドに伝えないと」
「そうですね。いえ、そうではなくて、母上はあの『!』の意味をご存じなのですか?」
「騎士たるもの、潰されそうになったら、逆にすべてを叩き潰すくらいの気概がなくては、舐められますよ?」
母上は少女のように口元を綻ばせて笑った。
「そうですね。いえ、そうではなくて、」
話が微塵も通じない…
少女のような口元とのギャップが酷い。
「ほら、合格者のオリエンテーションは11時からでしょう。
初日から遅刻しますよ」
母上は、俺の背中を押すと、正門に向けて踵を返した。
訳が分からなかったが、俺は母上に慌ててこれだけは言った。
「母上、美味しいごはんをありがとう!行ってきます!」
育ちのいい母上は、あまり家事が得意ではない。
だが俺のために、出来合いの物では済まさずに、毎日食材の買い出しに行き、悪戦苦闘しながらも栄養が考えられた温かい食事を朝と夕に出してくれた。
母上は照れ笑いのような顔で振り返って、応えてくれた。
◆
案内に沿って、学舎に入る。
石造りの建物というほかは、日本人基準で特筆すべき点はそれほどない。
足元に敷かれているのが、磨き抜かれた大理石であることと、昨日は閉じていたが、エントランスの左手には、豪奢な家具が無数に並べられたラウンジがあることぐらいか。
300人しかいない学校にこんなデカいラウンジ必要か?
ちらりと横目で見ると、上級生と思しき人たちが、ラウンジから好奇な目でこちらを見ていた。
コーヒーに似た、香しい匂いがエントランスに漂っていた。
2階にあるAクラスの教室の前に着く。
◆
…緊張するな…
前世では青春をすべて勉強に捧げた。
中学も高校も、1年生の4月から受験勉強をしていたのだ。
前世の親には、口癖のように『周りにいる同級生は、すべて蹴落とすべきライバル』だと言われてきた。
当然学生らしい思い出も、親友と呼べるような親しい人物もいなかった。
『アレン』も、11歳までは地元の幼年学校に通ったが、領主の息子であり、魔法的な素養がずば抜けて高かったこともあり、どこか距離を置かれていた。
この王立学園では、出来れば、今しかできない学生らしいことをしてみたいと思っている。
部活動をしてみたり、彼女を作ったり、友達と魔法の研究をしたり、探索者登録をして魔物退治をして金を稼いだり、悪友と寮を抜け出して、夜の街をぶらついたりしてみたい。
成績などどうでもいい。
俺は今を楽しみたいのだ。
……そのためにはやはり初めが肝心だ。
最初に一発かますべきか、無難に入るべきか…
…まぁここはまだリスクを取るような場面ではないな。
今の俺には前世のようなコミュ障属性はないのだ。
無難に、自然に入って、まずは普通に友達をつくる。
俺ならできる。
多少のイレギュラーが発生したら、後は『風任せ』でいこう。
俺は意を決して教室のドアを開けた。
「待っていたよ?アレン。
君に会いたくて仕方がなかったんだ」
目の前で、フェイがニコニコと笑っていた。
◆
いきなりの逆風に、俺はドアを閉めた。
迂闊だった…
その可能性は十分考えられた筈なのに、何も対策を練っていない…
母上の様子がおかしかったので、クラスメイトの名前すら確認せずここまで来てしまった。
対策を考える間も無く、ドアは自動で開いた。
「……これはこれは、フェイ様ではありませんか!」
「それはもういいよ」
ちっ。
とりあえず俺はフェイを無視して、サッと教室を見渡した。
教室には、シンプルだががっしりとした作りの机と椅子が、スクール形式に並べられていた。
すでに、いくつかの生徒たちのグループが出来て、楽しげに談笑している。
これは出遅れたか?
まぁ仕方ない。大した遅れではないだろう。
席は特に決まっていないようなので、俺はなるべく人畜無害な雰囲気を醸し出しながら、空いている窓際の席に向かって歩きだした。
「相変わらずアレンはつれないね?
それにしても、騎士コースの実技試験の結果には、さすがに僕も驚いたよ!」
当然かのようにフェイがあとをついてくるが、無視する。
と、そこに、水色の髪を短く切り揃えた、目鼻立ちのクッキリとした、スラリと筋肉質そうな男が、友人らしきを2人伴って近づいて来た。
髪の色はあれだが、野球部にいそうなタイプだ。
「今アレンと聞こえたけど…君がアレン・ロヴェーヌかい?」
「そうだけど…君は?」
用件を聞く前に、とりあえず名前を聞き出す。
ふふふ。
俺はこの王国の子爵以上のすべての貴族名と、特産品などの領地の簡単な情報を記憶している。
領地の話題などから話を広げて、この大事な初戦を制する!
「あぁ悪い、俺はアルドーレ・エングレーバー。魔法士コースで魔法士専攻だ。
気軽にアルって呼んでくれ」
ほう。
エングレーバーと言えば、俺と同じ子爵家。
しかも見た目野球部のくせに、憧れの魔法士。
…こいつとは仲良くしたいな。
「エングレーバーといえば、エンデュミオン侯爵地方にある、魔法士の杖の素材となるアンジュの木が特産として有名な子爵家だな。
これからよろしくな、アル」
アルはやや驚いた顔をしたが、『流石だなっ』と笑顔で肩を叩いてきた。
アンジュの木はマイナーな素材だからな。
しかしこれは中々好感触じゃないか?
「あっれ〜?僕の時と何か違くない?」
後ろでフェイが何か呟いているが、無視する。
「友人を紹介するよ、アレン。
えーっと、こいつはココニアル・カナルディア」
そういって、隣の背の低い男を紹介してきた。
「ココ、コココココっ」
……人見知りか…
なまじ気持ちが分かる分、邪険にする気にはならないな…
まるで前世の自分を見ているようだ。
カナルディアは、確か元は名門伯爵家だったが、今は訳あって男爵家のはずだ。
薄い醤油顔にポッチャリした体型で、間違っても女の子にモテそうも無いところも好感がもてる。
そしてー
「ココと呼んでいいか?
君のご先祖様が出した、カナルディア魔物大全は、俺も目を通した。
製作者の熱意が伝わる実に素晴らしい著書だ。
そこから察するに、もしかしてココは官吏コースか?
これからよろしく」
カナルディア魔物大全は、この王国に生息する魔物の生態と生息域を詳細に記した過去の名著だ。
俺は時間を見つけては読み込んでいる。
ココは顔を上げて目を見開いた。
そして何かを言いたげな顔をしていたが、
「う、うん。ココって呼んで。官吏コース。よろしく」
と、ようやくそれだけを言った。
うん。こいつとも仲良くできそうだ。
開幕2連勝!
「きゃはは!
アレンはなんで受験科目にも無い魔物大全なんかに詳しいの?
君は僕を驚かすのが好きだね?」
「お前に言ってねーよ」
しまった…あまりにうざくて、つい反応してしまった。
怪訝な顔でフェイとのやり取りを見ていたアルだが、気を取り直して、もう1人の紹介を始めた。
「で、こっちはライオ・ザイツィンガーだ。って、流石に知ってるか」
青みがかった光沢のある黒髪に、スラリと高い上背。とんでもない美形だ。
まさに、貴公子と呼ぶにふさわしいこいつは……
…やばいな。全く知らん。






