131 狂犬が怒るとこうなる(2)
「俺に関わるな」
とりあえず俺は、馴れ馴れしく俺の肩に置かれたヤギ髭の手を払い退けて、東支所の出口へと足を向けた。
すると、多少は腕に覚えのありそうな、と言っても俺から見たら一般人も同然だが、上背のあるガチムチ男2人組が、俺の行手を阻んで指をポキポキと鳴らしながら凄んできた。
だがその所作からはまるで迫力を感じない。
探索者ランクで言うと、Cランク以下だろう。
一般に、探索者ランクBとCには隔絶した差があると言われる。
Cランクは本気で努力すれば誰もが到達できる領域、Bランク以上は何か特別な才能を持った人間だけが到達しうる領域だ。
「このまま帰れると思うのか?
こっちは2週間近くこんな所で見張りをさせられて、嫌気がさしてんだ」
「りんごの家にも行ったが、あのリンドとか言うロートルは、てめぇの住処すら知らねえ帰れの一点張りで、話にもなりやしねぇ……
あんまり俺らを……ロッツ・ファミリーをイラつかせるんじゃねぇぞ!!!」
俺の脳裏に一瞬シェルのオジキの顔が浮かび、『ぶん殴った方が早ええ』と耳元で囁かれた気がしたが、俺は持ち前の忍耐力でもう一度警告した。
こちらの荒っぽい常識に毒されてきてはいるが、前世は事なかれ主義の日本人なのだ。
「よく聞こえていなかったようだから、もう一度言おう。
俺はお前らと関わり合いになるつもりはない。
だがそれは『こちらに火の粉が飛ばない限り』という条件付きだ。
俺と『りんごの家』には関わるな」
そう言って2人に殺気を向けると、2人はややたじろいだ。
だが学習能力が決定的に欠如しているヤギ髭が、次はロイのアニキの肩に腕を回しながら、あろう事かこんなセリフを吐いた。
「オメェは確かに強えよ狂犬。
だが大人には大人の戦い方ってのがある。
忙しいBランク探索者様が、四六時中皆の事を守っていられるのかぁ?
なぁ、ロイ君は不安だよな?
あと今換金に行ってるのは……ポー君とリーナちゃんだったか?
…………王都は狭えぞ!!」
俺はふーっと長い息をした。
別にヤギ髭が言う『大人の戦い』になっても、第3騎士団に所属してこき使われている俺が負ける要素などないが、そういう問題ではない。
ヤギ髭は越えてはいけない線を越えた、と、そう思った。
……師匠の指示は何だったかな。
確か『お前は探索者として自然に接して、深入りするな』と、『何かあれば報告しろ』、かな。
俺が自分でも不思議なほど冷え切った頭でそんな事を考えていると、ヤギ髭はさらに言葉を続けた。
「なに、ついてさえ来れば悪いようにはしねぇよ。
若頭はおめぇの事が気に入っているからな」
すでに俺がキレている事にすら気づいていない哀れなヤギ髭は、まるで良い知らせでも伝えるかのような口調でそんな事を言った。
例えば今日こいつらの脅しに屈してついて行って、今日はおとなしく帰れたとして、この先こいつらの意に沿わない事があると同じ文句で脅してくる事は明白だ。
未来永劫俺の自由を、決して後悔する生き方はしないと決めている今生を、こいつらに縛られながら生きるなどあり得ない。
何事も最初が肝心だ。
俺は師匠の言いつけを守り、『探索者レン』としてごく自然に接するため、ヤギ髭へと歩み寄り身体強化した左膝をその鳩尾へと叩き込んだ。
「ぐぅぇぇえ!」
ヤギ髭は吐瀉物を撒き散らし、その場にうずくまった。
◆
俺はヤギのような髭を生やした男が親しげにレン君に話しかけるのを、信じられない気持ちで見ていた。
レン君と、あのロッツとかいうスジを通さない野郎どもが繋がっているなんてあり得ない!
レン君に初めて会った時のことは、はっきり覚えている。
あの日、ゴールド・ラットの若いのが、解体現場でりんごに新しく加入したガキにサボってるのを注意したら、逆にハンマーで脅されて仕事現場から追い返されたって報告があった。
舐められたらお終いの世界だ。
俺は、その報告を頭から信じて、リンドとか言う厄介なロートルがいるっつう『りんごの家』へ落とし前を付けるために、助太刀としてついてった。
そこで俺は初めてレン君にのされた。
俺がロイに喰らわせた腹へのワンパン、崩れ落ちてからの踏みつけをきっちり返されて、俺はあっという間に気を失った。
歳下に負けただなんて、信じられなかった。
俺はその時まだ、素手でのケンカでは自分が最強だと、すぐ喧嘩しちまうからEランクなだけで、腕っ節なら誰にも負けねぇと小さな世界で増長してた。
実際俺は、田舎から出てきたばかりっつう、世間知らずのCランク探索者にも喧嘩で勝ったことがあった。
事件の後で、会長が依頼主に裏を取ったところ、今回の件は明らかにラット側が加害者だったと聞かされた。
だが俺の気持ちは収まらなかった。
そのちっぽけなプライドにかけて、来る日も来る日もリベンジに行って、来る日も来る日ものされ続けた。
「俺に関わるな」
レン君は、ヤギみたいな髭を生やした男につまらなそうに言った。
……そうだ。
俺がリベンジに行くたびに、決まってあのつまらなそうな顔をされて『もう俺に関わるな』と言われた。
その相手にされてない感じが、むしろ俺の事を気遣っているような態度が癇に触って、俺は大してない貯金を使って毎日治療をしてリベンジに行っていた。
せめてこっちを向かせる。せめてワンパンだけでも――
俺はその日、いつにも増して硬い決意でレン君にリベンジに行って、そしていつものようにのされた。
悔しかった。俺は声を殺して泣いていた。
するとレン君は、俺を軽々と抱き起こして立たせたかと思うと、俺が腰に吊っていた傷薬をかけて俺を治療し始めた。
俺が困惑していると、レン君は少しだけ嬉しそうに笑って、俺をもう一度ぶっ飛ばした後、こう言った。
『明日は休めよ』
大の字で倒れ伏しながらそのセリフを聞いて、なぜか俺は笑っていた。
悔しさはどこかに消えていた。
避けようと思えば避けられただろうに、毎日毎日面倒臭い俺の相手を会えば必ず律儀にして、怒りもしていなかった。
次元が違うと、そう思った。
今日レン君に、俺らの纏め役として立って欲しいとお願いしたら、すげなく断られた。
確かに散々迷惑かけた俺らが、困った時だけ助けてくれ、何てのは都合がよすぎるってことは自分が一番分かっている。
でもレン君は、ただ強いだけじゃない。
もしかしたらレン君なら――
心のどこかでそう期待してしまう、そういう不思議な器のでかさを感じさせる人なんだ。
レン君の行く手をガタイのいい2人組が塞ぐ。
俺が見たところでは、精々俺と同格くらいか。
2人がかりだとしても、レン君相手じゃお話にならない。
案の定、レン君に凄まれて腰がひけている。
するとヤギのようなひげを生やした男は、こんな汚ねぇ事を言った。
「オメェは確かに強えよ狂犬。
だが大人には大人の戦い方ってのがある。
忙しいBランク探索者様が、四六時中皆の事を守っていられるのかぁ?
なぁ、ロイ君は不安だよな?
あと今換金に行ってるのは……ポー君とリーナちゃんだったか?
…………王都は狭えぞ!!」
レン君は長い長い息を吐いた。
そしてゆっくりとヤギ髭の方へと振り返り――
その顔を見た俺は思わず息を呑んだ。
レン君の顔は真っ白だった。
まるで鼓動すら止まったかのようにその気配は消え、色のない目でヤギ髭を見据えて静かに立ち尽くしている。
レン君の圧力が消えたからか、バカなヤギ髭は緊張を解き、勝ち誇ったかのような顔で『ついてくれば悪いようにはしない』というような事を言っている。
俺はその時初めて見た。
これが――
レン君はつかつかとヤギ髭野郎へと近づいて、躊躇いなくその膝を腹へと叩き込んだ。
胃の中身を吐き散らしながら崩れ落ちる男を見る、容赦の無い冷徹な目。
これが本当の――
『狂犬』
◆
「てめぇ、俺らロッツファミリーに歯向かって、ただで済むと思ってやがんのか!」
ガチムチ2人が慌てて後ろから襲い掛かってくる。
俺はガチの顎を左足で蹴り上げて3メートルほど吹っ飛ばした後、降ろした左足を軸にムチの右脇の下辺りに右足の後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
恐らくは2人とも骨折しただろう。
ガチとムチは悶絶した。
俺はヤギ髭の側へと戻り、口元に冷笑を浮かべて優しく提案した。
「まさか俺が、そんなつまらねぇ脅しにビビると思われてるとはな……
望み通り挨拶に行ってやろう……あの三下の所にな」
だが手加減したはずのヤギ髭は、打ちどころが悪かったのか、それとも効いてるふりをしているのかは分からないが、苦しそうに呻くばかりで返事がない。
やるなら徹底的にやらなければ逆効果なので、このままレッドの奴に挨拶に行こうと思っていたのに、これではどこに行けばいいのかすら分からない。
俺がどうしたものかと考えていると、実に品のない笑顔のデブが近づいてきてスチャッと傷薬を差し出し『どうぞアニキ』とか言ってきた。
「…………誰がアニキだ!」
俺はベンザの頭をひっぱたいて、傷薬を受け取った。






