純白の少女 1
何も見えない。何も感じない。
だけど、意識だけはハッキリしている。
ここはどこだろう。
私は何をしているのだろう?
分からない。何も思い出せない。
なら、いつも通り目先のことを考えよう。
簡単だ。まずは目を開けて、手足に力を込めて、ゆっくりと身体を起こすだけで良い。
(……あれ、動けない?)
手足の感覚はハッキリしている。
だけど動けない。手首と足首の辺りに何か硬い感触があって、それが邪魔をしている。
何があるのだろう?
疑問に思って目を向けても、真っ暗な世界しか見ることができない。
「あら? 目を覚ましたのかしら?」
その声を聞いて、ビクリと身体が震えた。
「ふふ、これも月夜の導きかしらね」
若い女性の声だった。
その少し低くて心地良い声は、しかし私を混乱させた。
「……ええっと、どちら様ですか?」
「難しい質問ね。自分が何者か。それを理解することは、遍く人類が目指すべき到達点のひとつと言っても過言ではないわよ」
(……変な宗教にでも入ってるのかな?)
「シュレディンガーの猫をご存知かしら? 有名な思考実験のひとつが多次元宇宙で突然変異を繰り返してある種の概念に昇華したものよ」
(……どうしよう、全然わからない)
「一言で説明するなら、あらゆる事象は他者に観測されることで形を得るということ。私を観測する者達の言葉を借りるなら──ニノ。この二文字が、質問の答えになるかしら」
(……え、もしかして自己紹介だったの?)
「……ねぇ、貴女、まさかとは思うけれど、引いてる?」
(……やばっ、バレた? なんで!?)
「いやいやまさかまさか。そんなこと、有り得ないわよね?」
(……はい、そうです。引いてないです!)
「表情で返事をするのが趣味なのかしら? せっかく口だけは拘束していないのだから、人類が持つ叡智──言葉を奏でる方が文明的であると思うわよ」
「……ええっと、ニノ、さん?」
「質問を許可します」
よく分からない流れのまま会話成立。
私は様々な疑問で頭がパンクしそうになるのを感じながら、どうにか口を動かした。
「……私、どうなってますか?」
「封印されているわね」
「封印!?」
「煩いわね。もっとお淑やかに囀りなさい」
「すみません……えっと、どうして封印されているのでしょうか?」
「心当たりは? 例えば、昨夜は何をしていたのか、とか」
何って、普通に仕事から帰って……あれ?
「分からない、です」
「本当にその返事で良いのかしら? あなたの生殺与奪を決める権利が私にあること、正しく理解できている?」
その言葉で再び緊張感が高まった。
改めて記憶を遡るけれど、本当に何も覚えていない。普通に仕事をして、普通に帰宅して、それから……ダメだ、やっぱり思い出せない。
「あらあら、怯えさせてしまったかしら?」
囁くような声。
とても心地良い声質なのに、暗闇の中、何も分からない状態で、しかも相手の顔すらも見えないから恐ろしくて仕方がない。
「……もしかして、ステータス画面のこと、ですか?」
私は慎重に問い掛けた。
仕事が終わってからのことは思い出せないけれど、それ以前のことなら覚えている。
こんな出来事に巻き込まれる理由は、あの謎の立体映像しか思い浮かばない。
「面白い言葉が出たわね」
その声は少し弾んでいるような気がした。
「もう少し詳しく聞かせて頂戴」
「……ええっと、目が覚めたら、謎の立体映像が、見えました」
「それから?」
「それから……それだけ、です」
予想と違う反応だった。
ステータス画面という単語で何か伝わるか、もしくは頭のおかしい人と思われることを予想していた。
「スキルという言葉を聞いて、何か思い当たることはあるかしら?」
その一言で私は確信した。
彼女は、ステータス画面を知っている。
「……空欄、でした」
「なるほど。では次が最後の質問よ」
彼女は少し間を空けて、
「貴女の右眼は、いつから紫色なのかしら?」
と、どこか愉しげな声色で言った。