私の革ジャンからおっさんの声が聞こえる
涼しくなってきたので、古着屋で革ジャンを買ってみた。
色はキャメルブラウンでどんなお洋服にも合わせられるし、シルバーのアンティークっぽいボタンで前を止めるタイプのやつで、ごつい感じになりすぎないところもいい。
これが、黒でファスナーだったりすると、これからツーリングですか? みたいになるから。
試しに羽織ってみる。
これいいかも、ってすぐ思った。かっこいい。
背中から腰にかけてのラインがきれいに出て、なんだかしゅっとして見える。
服を買う時はフィット感が大事、というのがあたしのルールだ。体のラインがきれいに出ないお洋服は、どんなに安くても結局着なくなるから。
鏡の前でいろんな角度から眺めてみる。うん、やっぱりいい。大きめの襟も小顔効果があるし。
「すごくいいと思うよ」
その時だ。なんか声が聞こえた気がした。
でもあまり気にしなかった。近くには他にも買い物客がいたし。
お値段は1,350円。手ごろだったので買って帰った。
革ジャンがしゃべり始めたのは、家に帰ってファッションショーを始めてからのことだった。
……え? みんなするでしょ? しない? ファッションショー。
◇◇◇
デニムに合わせるのはもちろん当然として。あたしの好きな薄手のフレアスカートにも多分絶対あう。
あとはそうだな、ワンピに合わせてもいい感じかもな。
帰り道の電車の中でそんなことを考えながら帰ってきたので、帰宅したらまず手持ちのお洋服との相性を見るためのファッションショーだ。
うん、この革ジャン、丈も長すぎず短すぎずでほんときれい。
お店で試着した時も思ったけど、腰高に見えるのって大切だよね。
だけど着てる最中ずっと声がするのよ。
「すごく似合うよ、でもカーディガンのボタンはとめたほうがいいかもしれない」
「マキシスカートも悪くないけど、ちょっと重たくなるかもしれないね」
「ああ、それいい! すごくいい!」
あたしの脳内ギャラリーじゃない、明らかに中年のおっさんの声で、着替えるたび感想を言ってくるので、あたしは我慢ができなくなって、着ていた革ジャンを脱いでベッドにたたきつけた。
うるさい。ていうかそれ軽くセクハラだし。
裏地についているタグを見ると、羊革、とある。
羊革ならメエって鳴け。それならまだわかる。
なんでおっさん声でちくちくねちねちファッションチェックされなきゃならないのよっ。
脱ぎ捨てられた革ジャンは沈黙している。
しばらくにらんでいたけど、しゃべりだそうとしないので、おとなしくなったのかと思ってもう一度羽織ってみる。
やっぱ勝負服にも合わせてみたいじゃん。
そしたら革ジャンが遠慮がちにまたしゃべる。
「あんまりこういうことは言いたくないけど、二十五歳を過ぎてそんなミニを履くのはどうかと思うんだよねえ」
うるさい! このセクハラおやじ!
「いやいや違うよ、セクハラとかじゃなくて。好きなもの、似合うものを着ればいいと思うんだけど、女性は冷え性が多いって聞くし。秋冬の装いでそんな足を出すと心配になっちゃうよねえ」
……だからあんたは田舎のおばあちゃんか。足腰冷やすなとか。
ほっといて。この一年彼氏もいないわけだし、次の彼氏だって見つけたいわけだし。男ウケするデート服は重要でしょうが。
……ていうかそうだよ、なんで一人暮らしの女の子の部屋に、彼氏も入れたことないこの部屋に、おっさんを入れないといけないわけ!
あたしが言うと、革ジャンが生意気に反論する。
「おっさんが嫌なら新品を買いなさいよ。自分で古着屋で買っといて、それはないだろう」
うるさいそういう問題じゃない。
腹が立ったので、その日は革ジャンをクロゼット(という名の押し入れ収納の中に突っ張りポールを渡しただけのしろもの)の中に突っ込んで、そのまま寝た。
すぐに白黒つけるのって、いいことばかりとも限らないもんね。
あー早まったーってこと、あたし、何回もある。
保留にするって大人の処世術じゃない?
だって作りもディテールもむちゃくちゃ好みだし。
革ジャンが風を通さなくてあったかいのはもう知ってるし。
去年別の古着屋で買った革ジャンは色味に惚れ込んで買ったけど、どうやら合皮だったらしくて、二、三回着ただけで背中から破けて着れなくなった。それが残念すぎたから、次の秋は絶対本革の革ジャン買おうって決めてたんだ。
あたしの体形は厚みがない華奢な感じで身長がそこそこある。身長があるっていうことは手足も長いってことだから、そういう体にぴったり合うジャケット類を探すのは、かなり難しいんだ。
だからこのおっさんの声がする革ジャンを捨てるという選択肢は、とりあえず保留にしておいた。
しばらく放っておいたら、黙るかもしれないし。
でもその考えは間違いで、そいつはあたしが着るたびになにかしらしゃべった。
◇◇◇
デートをすれば、背中のあたりから声が聞こえる。
「その男は自分勝手だ。やめときなさい」
どうやら革ジャンの声はあたし以外には聞こえないらしい、というのはすぐにわかった。デートの相手も、電車の中で乗り合わせた人も、まったく素知らぬ顔だったからだ。
「今日、会ってからずっと、そいつは自分の話しかしてないじゃないか。付き合う前のデートでそんな扱いするなんて、付き合ったらもっと雑になるよ」
う、うるさい。背も高いし、顔もいいし、いい会社に勤めてるし、なんか洗練されてるし、他になにが必要だっていうのよ。
「どうしてそんなに相手に合わせようとするの。明花ちゃん全然楽しめてないでしょ」
おっさんが語尾に「の」ってつけるな。あと、明花ちゃんて呼ぶな。
だって相手の言うことと違うことを言って、変にキレられたりしたくないもん。
キレなかったとしても、たいがい男の人って、デートで女の子が『でもあたしはこう思うな~』ってことを言うと、不機嫌にならない?
もうその辺りは二十代前半で学んでる。
せっかくのデートで雰囲気悪くなるのもったいないし。
でもその日のデートは、食事だけで終わりにした。
相手の男は怪訝な顔をしてたけど、背中のほうで絶え間なくしゃべってるおっさんに言い返したくて仕方なかったから。
家に帰ってから思い切りおっさんと口ゲンカしたら、なんだか言いたいことを全部言えたせいかすっきりして、その夜はよく眠れた。
慣れてみると、革ジャンは悪いやつではなかった。
いいやつとはまだ言わないでおくけど。ほら、保留って大事だから。
仕事で嫌なことがあったりすると、帰り道の間中ずっと慰めてくれたりもした。
「悪くない、悪くない。明花はなにも悪くない」
最寄り駅から早足で帰るなり、あたしは玄関で靴も脱がずにうわああんと声をあげて泣いた。
秋が深まり、風が冷たくなるにつれて、革ジャンの使用頻度は上がっていった。
それに比例して、革ジャンの口うるささも。
夜更かしするなとか。外食は控えて自炊をしろとか。野菜と玄米食べろとか。
帰りの電車を降りるあたりからスーパーのある方向に誘導してくるから、一度うるさくてその場で脱いでやった。
そしたら肌寒くて、もう一回羽織ってそのあと革ジャンとケンカになったけど。
コンビニで菓子パンばっかり買うんじゃありませんもよく言われる。
「美味しいものは糖と油でできている」
って、限定味のマリトッツォの前で立ち止まった瞬間に言われる気持ちわかる?
でも契約先の女性社員さんから最近言われた。「桜井さん、最近落ち着いてる」って。
なんだろね? 前は落ち着きがなかったってこと? ってちょっと思ったけど、思い当たるふしなんかなくて、そうですか、どうも。ってにっこり無難に返したけど。
革ジャンを買ってからそろそろ一カ月がたつ。
決まった彼氏はまだできない。
休みだからって昼まで寝てるのはよくないって革ジャンが説教するから、天気のいい日は散歩に行くようになった。
ひとりで遊びに行くなんて絶対無理って思ってたけど、背中にうるさいくらいしゃべるのがいるから、退屈はしない。
会社での雑談の時に、そういえば先週、隣駅の門前町に行ってみたんですよーって言ったら、その場にいた社員さんが全員こっちを見た。「桜井さんが門前町とか言うの、なんか……意外性あるね」って言われたけど。どういうことかな。
炊飯器でも玄米は炊けるって革ジャンがしつこく言うから試しにやってみたら、まあ、はじめてにしてはいい感じにできた気がする。思ってたほどまずいもんでもなかったし。
会社帰りに寄り道しようとするとすごいうるさいから早く帰るようにしたら、必然的に早く寝るようになって、なんかお肌の調子もよくなった気がするけどコイツの前では絶対言わないようにしてる。
最近の悩みごとは、靴だ。
革ジャンの言う通り、仕事帰りにスーパー寄るようにしたら、今まで履いてたヒールじゃきつくって。野菜って重いし。
あと、休みの日に散歩に行くようになったから、楽に歩ける靴が一足あればいいなあって。
できればスニーカーじゃなくて、パンプスでもなくて、仕事にも履いていけるようなきれいめの革靴がいい。
でも、靴を買って、そいつもしゃべりだしたらどうしようっていうのがあたしの迷っている理由だ。
今でさえうるさいと思ってるのに、それが倍に増えるって考えたら……。結託されたら絶対負けるし。
革ジャンなら途中で脱げるけど、靴はうるさくなっても途中で脱げないしね。
この靴しゃべりますか? って店員さんに聞くわけにもいかず、デパートの靴コーナーでじいっと靴を品定めしてるあたしに、革ジャンは珍しくおとなしい。
それがあたしを余計に迷わせている。