第八話「月明かりの下で」
少年は、コハクの手を握ってゆっくりと立たせる。しっかりと立てたことを確認したのち、少年はしゃがみ込み、自分の背中に乗るよう指示をした。
コハクは歩けるから大丈夫と遠慮するが、先程までの恐怖や膝の傷が痛む。うまく歩けそうにないため、ありがたくおぶってもらうことにした。
「しっかり掴まれ」
「え、ちょ、え?」
少年は、脚にグッと力をいれたかと思うと、勢いよく走りだす。背丈はコハクと変わらないが、辛そうな素振りはなく淡々と担いで走る。
しばらくそうしていると、森の端にある木の下に到着した。少年が足を止めたので、コハクは下りようとしたが、片手でコハクを担ぎ、もう片方の手と足を器用に使ってひょいひょいと木を登り出した。
コハクは突然のことに驚くが、それよりも落ちないように少年を掴む腕に力がはいる。
太く、安定した枝まで担がれたところで、ようやくコハクは背中から下りて、腰を下ろした。突然の連続に頭の整理が追いつかないコハク。だが、一番最初に伝えたいことは決まっていた。
「た、助けてくれてありがとう」
少年の方へできるだけ身体を向けてお礼を言う。
「全然」
「それにしても、突然登るからびっくりしちゃった」
「すまない、血が出てるから…木の上なら動物に狙われないと思って」
「なるほど」
コハクは自分の膝を見る。滴る血が痛みを倍増させているような気がしている。
「あぁ。それより膝」
そういうと少年は、ポケットから赤と白のチェック模様をしたハンカチを取り出し、丁寧にコハクの膝を拭った。
突然のことでされるがままになっていたコハクも、あとは自分でするからと持参していた包帯でくるくると膝を巻く。
その間に少年は一度木の下へおりて、ポケットからライターを取り出す。血のついたハンカチに火をつけて燃やし、燃え移らないように火を足で踏みつける。
再びひょいひょいっと木を登って腰を下ろすと、二人揃ってふぅっと一息をついた。
「これで獣が追ってくることはない。あとはテントへ戻るだけだ」
満月が二人を照らす。コハクは、持っていたランプを咄嗟のことで手放してしまったため、月明かりがあったことは不幸中の幸いだろう。
「あのさ、シュウトくん…で合ってる?」
一息ついたところで、コハクがずっと知りたかったことをもう一度聞く。シュウトの顔は何度か見ていたものの、しっかりと目を合わせたことはなかったのだ。
「…違う」
少年は小さな声で、だがはっきりとその言葉を口にした。先程の穏やかで優しい声とは違い、その一言には棘のような尖ったものがこもっている。
コハクは確信はしていなかったものの、予想だにしていなかった返答に驚く。
だが少年は、すぐにその質問に答え直した。
「いや、シュウトだ」
あまりにも冷たく尖った最初の答えが違和感を感じさせる。だがコハクも、今はそれを追求するべきではないと感じたのか二つめの答えに納得するフリをした。
二人の間に少しの静寂が流れる。シュウトが立ち上がろうとしたとき、コハクは勇気を振り絞ってもう一つの質問をかける。
「な、なんで助けてくれたの…?」
シュウトが口にした「関わらないでほしい」という言葉と、自分を命懸けで助けてくれたことに疑問を感じて恐る恐る聞いてみる。
すると、またコハクの予想を裏切るような答えが待っていた。
「お前なら、助けてやってもいいと思えた」
「私なら…?」
「マフラー」
「え?」
「マフラー、毎日持ってきてただろ」
「…。あ…!!」
少し思考を巡らせたものの、あの日マフラーをくれた人がシュウトなのだとすぐに理解をした。
あの時の優しい声とマフラーの温もりを思い出して、心を膨らませる。だが、なぜ毎日自分が来ていたことを知っているのか疑問に思った。
「実は俺、毎日あの木の上にいたんだよ。こうして登ると見晴らしがいいから」
「…。ってことは…。私、毎日”見晴らされてた”ってこと?」
コハクにとっては真剣で、頭を凝らしながら答えたその言葉に、シュウトは思わずクスッと笑う。
「やっぱりお前、面白い」
「え、えぇ?」
なぜ自分が笑われたのか分からず戸惑うコハクにシュウトは言葉を紡ぐ。
「あんなマフラー返さなくていいのに、毎日毎日届けようとしたり、こんな俺に関わらなくていいのに、作戦とか考えたりして…怪我した兎助けようとしたり」
次々に紡がれる理由とともに、シュウトの表情は穏やかになっていく。ずっと無表情で口数の少なかったシュウトは、こんなにも柔らかい表情をする人なのだとコハクは初めて知る。
「だから助けた」
はにかんで答えられたその言葉には、ポカポカとした優しさがこもっていてコハクの心を温める。コハクは、ありったけの思いを込めて伝えた。
「ありがとう」
身体の奥から伝ってきた気持ちは、コハクの思いを素直に乗せて言葉になる。伝えたいこと、話したいこと、知りたいことはまだまだたくさんあるが、今はこの言葉を伝えられただけで良かった。
二人は、少しの間夜風に包まれてから、みんなが就寝しているテントまで戻った。