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ほほえむ太陽  作者: 十月夏葵
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五杯目 シナモンミルク

「文香ちゃーん、起きて。もう夜だから、帰らないと」

「あんまり帰りたくないでーす」

「ん、目が覚めたな。そーだなー、帰りたくないっていうなら賄いでも食べてくか?俺も丁度これから夕飯だから、文香ちゃんさえよければ。今日の賄いナポリタンだけど」

「今日の晩御飯まだ決めてない。てか、まだ何も決めてない」

じゃあ、食べていきなと言われ、店舗におりた。もうドアにはクローズと掛けてある。…一体、今何時なんだろう。辛うじて西の空はまだ濃いオレンジだった。正確には西の空は濃いオレンジ、群青、藍色の三層だった。ケーキを食べ終わったのが12時少し前。みどりさんと話したのが、十分とか。で、私は一体何時間寝ていたんだろうか。

「マスター、今って何時?」

「いま?6時15分位かな。うちは9時開店6時閉店だから」

確実に6時間は寝ていた計算になる。いつもベッドで寝ても一時間毎に目を覚まして、最悪明け方まで眠れないこともあるのに。しかも、起こされて起きるなんて。そういえば、来た時よりも随分頭がすっきりしたような。

「すごく深く寝てたから、起こすか迷ったけどあんまり遅くなるのも危ないし。夜中に中途半端にお腹が減ると辛いから。俺、寝る前は飯テロ系のものは読まないようにしてる。おいしそうな物見てるとお腹減るから」

信じられないとでもいうような表情でもしていたのか、単純に私が分かり易いだけなのか、聞きたいことすべてに答えてくれた。そうか、そんなに良く寝てたのか…。それは頭もすっきりしてるはずだ。徹夜するとさすがに頭がぼんやりするし、最近良く頭使ってたから余計に疲れていたのかもしれない。頭は眠れって命令してるけれど、身体的に寝れないからか、ここのところ頭がさえない気がしてた。

「いつもの席で待ってて、すぐにできるから」

「何か手伝い……」

「いいよ、プロに任せて座ってな」

立ち上がりかけたところを、ポンポンと頭をなでられ席に戻らされた。

年上の男のずるいところってこういうところだと思う。私は自分で思うほど大人じゃないことを知っている、でも大人のフリしてる。そんな自分をあっさりと子供扱いする。そういうところが年上はズルいんだ。あんまりにも当たり前すぎて、わざわざ口に出して言わないところが。

「お腹空いたな……」

そういえばお腹空いたと思うことも久しぶりかもしれない。そりゃ、レポートとか書いてるとなんとなく小腹が空いたなと思うこともあるけれど、そういえば最近お腹が減ったと思うこともなかった。食べる事よりなにより、寝ることを体が要求してたせいで、食欲とかが睡眠欲に負けて、割合が少なくなってた気がする。そして、多分間違ってない。

「お腹空いてるときは何でも美味しいから、お腹減ってたなら良かった」

「もう、出来たの?!」

ほんの5分ほどの出来事だった。みどりさんといい、マスターと言い魔法でも使えるんだろうか。そんなちょっとの時間でなんでこんな洋食屋さんの本格ナポリタンみたいなのが出来るというのか。

「すぐ出来るって言ったじゃん。もともと、明日マヨネーズであえてサラダにして食べようと思ったからパスタは多めに茹でてあったし。具材も炒めといたから、あとはそのフライパンにもうゆで上がったパスタを投入して、ケチャップと隠し味少々と塩コショウ適量いれてガッと炒めたら出来るでしょ」

私を起こしに来た時点で大体の用意は既に出来ていたらしい。男の子ならまだしも、文香ちゃん沢山食べる方でもなさそうだからと。追加でゆでる必要も炒める必要も特に感じなかったということらしい。めっちゃ美味しそう。マスター、料理も上手いのか。私より下手したら女子力高いんじゃ……。そんなことを思いながら、手をあわせた。

「いただきます」

「お、えらいね。じゃ、俺もいただきます」

ピッカピカに磨かれたフォークでナポリタンを巻いていく。学校の食堂で茹でたてパスタがあるけど、ナポリタンはない。女の子はパスタ好きだから、学食でも人気のメニューだし、カルボナーラやたらこクリームの日はそれこそ並ばないといけないぐらいだ。

「学食ではナポリタン出ないから、久しぶり。中学の学校給食以来食べてないかも」

「学食は本格イタ飯が売りなのかも。オムライスと一緒でナポリタンって日本生まれだし。日本生まれ日本育ちの洋食の一個」

そういえば、割と日本人の舌や食卓事情に考慮してアレンジしたレシピが、そのまんま広まった洋食は多いという。コロッケとかカレーとかもかなりアレンジされてるらしい。

「美味しい。なんていうか、コクがあるっていうか。本当にケチャップと塩コショウだけ?」

「コクに関しては隠し味の関係。もともとこれも祖父さんのレシピなんだけど」

「何、その隠し味って」

私の質問に何かを言いかけてやめた。結局聞けた言葉は

「企業機密」

だった。そうか、企業機密か……、納得いかない。

偶にプロが作る○○の作り方とかやってるけれど、プロは絶対全部種明かししてないと思う。そこには調理器具の能力不足、私自身の技術不足もあると思うけれど、やっぱり何か秘密にしてる部分があると思う。同じレベルのものが家庭で作れたら商売にならないのは分かるけれど、ヒントくらいくれたっていいじゃないか。

そんな感じでじっとマスターを見てみたけど、笑っていなされた。人はそれを大人の風格という。まさにそんな感じの余裕だった。

「洗い物はお手伝いします」

「いいのに」

「伝票書いてないから、マスターこの代金ロハにする気でしょ。それじゃ気が済まないから、後片付けくらいお手伝いします」

二階の簡易ベッドを6時間も占領して、その上私ワガママ同然の賄いがタダなんて私の気が済まない。別にこれぐらいマスターは貸しだとかなんだとか考えてないだろうけど。それこそお腹を空かせた野良猫に、偶々持ってたロールパンちょっと上げたみた。そんな感じなのかもしれないけれど。長く付き合う気があるのなら、というより例えば短い付き合いだとしてもその辺はきちんとしたい。

「じゃ、お言葉に甘えて洗ってもらおうか」

「洗い物は苦手じゃないの」

「何か苦手なのある?」

「……暑くなると出てくるあの黒くて、長い銅線状のものを頭部に自慢げにちらつかせて、めっちゃ早くて、信じられないくらい生命力逞しい上に飛ぶと膨張して見える奴かな」

人類の大体は苦手だろう。だから夏になると盛んにCMが流れるのでは?もう見るのもおぞましいけれど、からっぽの器同然とはいえ家を我が物顔でうろつかれるのはムカつくので、奴対策は暑くなる前から入念にしている。冬の間に絶滅すればいいのにと本気で思っている。

「飲食店は大体どこも戦争だと思うよ。衛生って言う名前の信用問題だから。俺の店ではゴローさんという隠語で呼ばれてる」

飲食店では各店舗によって独特の名前で呼ばれているというけれど、本当だったんだ……。ま、今は寒いから別に何でもいいけど。

「あ、水道は右がお湯。ちょっと古いからあったまるまで時間かかるから。洗剤とスポンジは置いてあるの適当に使って」

「はーい」

スポンジを手に取り、少し洗剤をつけて泡立てる。この洗剤いいな、どこのメーカの奴だろ。最初パッケージの上部分をはがす時に失敗したのか、パッケージがなかった。ボトルだけでは最近見分けがつかない。

出来るだけ丁寧に洗った。手伝って手間を掛けるようだったら本末転倒だ。伏せかごに食器を置いていく。そういえば、厨房って初めて入った。洋食屋さんでもやっていけそうな本格仕様。オーブン有り。見た感じ調理器具もそろってるし、業務用冷蔵庫。前は軽食以外のハンバーグとかシチューとか作ってたのかな。

マスターは聞けば何でも大体答えてくれる。偶にはぐらかすような答えだったり、秘密とか言われたりするけど。はぐらかした割に、好きな女性のタイプも答えてくれた。一通りのことは話してくれたけれど、これ以上の事は聞かない限り話さない。みどりさんが教えてくれたみたいな、黒歴史っていうのもあるかもだけれど。そう考えるとそこそこ長い付き合いになって来たけれど、ほとんど何も知らない。

「深刻な顔、似合わない」

「ふえっ?!」

考えことしてる時に急に声を掛けられて変な声が出た。手が滑りお皿を落としかける。びっくりしたぁ。いつ来たのか、ミルクパンらしきものを火にかけながらマスターがこっちを見ていた。

「そのお皿、お気に入りだから割らないでね」

「わ、割ってないよ。ちょっと手が滑りかけたけど」

「ははっ、冗談だ。いっぱいあるお皿の一枚だから、割っても気にしないで。でも、深刻な顔が似合わないのは本当」

考え事をしていると深刻な顔をしてしまうのは、もう癖なんだと思う。別にそんなに深刻になるような考え事じゃなくてもだ。それはここにきて初めて気が付いたけれど。

「なにか、考え事?」

「大したことじゃなくて、今日提出したレポートの評価とか」

学生は大変だねと笑われた。言えるわけがない、マスターのこと考えてて、急にその人から声を掛けられて驚いたなんて。言えるわけないというか、ムリ、言えない。

「マスターは何してるの?」

「んー、大変なのに律儀にお片付けしてくれてる文香ちゃんに魔法の飲み物でも作ってあげようと思って」

作ってるのはどう見ても、フツーのホットミルクっぽい。上に膜ができないように時々ゆっくりかき混ぜている。ホットミルクって電子レンジより鍋でやったほうが美味しいと思う。レンチンより手間がかかるけれど、ちゃんと見てたら膜が出来たりしないし。あの膜みたいなの好きじゃないんだよね。ココアも鍋の方が好きだ。食器は無事に全部すすぎ終わり、水切りかごに丁寧に伏せておいた。

「先にカウンター座ってて」

「見てたら、ダメなの?」

「魔法の飲み物だから」

すぐ出来るからと追い出された。仕方なく既に私の定位置となっているカウンター席に座って待つ。私の目の間にほこほこと湯気が立つカップが置かれたのは本当にすぐだった。

「ホットミルク…?」

「飲めばわかるって。冷めないうちにどうぞ」

ふーふーと息を吹きかけて、口をつける。柔らかいミルクの風味と共に何か香辛料系の風味がした。これって…

「シナモン?」

「そう、一般的な香辛料のシナモン。アップルパイとかで使うやつ。それとちょっとグラニュー糖。冷えてくると恋しくなるんだよな、コレ。体があったまるし、優しい味がするから」

分かる気がする。素朴なものほど優しい味がする、これも。

「マスターが優しいから、優しい味がするんだと思う」

「えー、ご褒美だって。それ以上でもそれ以下でもないよ」

マスターはそう言ってたけれど、私が帰ってもよく眠れるように作ってくれたんだと思う。体が温まると眠くなるから。それにもう夜は寒い季節。いつの間にかコガラシが吹き始めた。

「ありがとう、ごちそうさま」

「お粗末様でした。送るよ?」

「徒歩で15分だよ?平気平気」

「何言ってるの、もう暗いし。この辺は街灯も暗いし、何かあってからじゃ遅いから」

徒歩でたったの15分だ。街灯も暗いといってもちゃんとあるし、坂を下りたら割と人通りの多い通りに出る。心配されるほどの道じゃないけど、心配してくれるのは嬉しくもあった。でも、ちょっと反発もしたくなった。

「子供扱いしないで」

「それこそ何を言ってるんだか」

やれやれとでも言いたげにため息をつかれた。子供を子ども扱いするのは当たり前だけれど、一応二十歳だもん。法的にはもう成人だもん。立派な大人とは言い難いけれど、子供ではないもん。

「本当に何を言ってるんだか。れっきとした女の子扱いだよ。ユウキやカズマだったら一人で帰らせたよ。暗い夜道を男に送らせないなんて、ナンセンスなことすんな」

女の子扱い…。ほほに熱が集中する。別に子ども扱いが絶対嫌だってわけではない。マスターから見て私が子供なんてことは知ってる。ちゃんと自覚してる。

でも、私だって女の子だから女の子扱いされたい。私にとっては特別なことだ。

「じゃあ、お願いします」

外は風が冷たかった。歩きながらもう一度聞いてみた。

「どーしてもナポリタンの隠し味はヒミツ?」

「何でそんなに知りたいの?そんなに気に入った?」

「美味しくて気に入ったから、お家でも再現したくて」

フツーのケチャップであの深い味わい。隠し味に秘密があるならその秘密を知って、自宅でも再現してみたい。ナポリタンって自宅でも簡単にできるパスタの一つだし。コスパよさそうなのがイイよね。コスパ大事。いくら多額の生活費と言っても無限ではないので。

「じゃ、尚更秘密。食べたくなったら、いつでもおいで。文香ちゃんのお願いならいつでも作るよ」

「マスター昔女の子にズルいって言われませんでした?」

「別に言われなかったけど。覚えておきな、大人の男ってのはズルいもんなんだよ」

だから、その余裕がだよ。掌の上で転がされているような気がしてならない。

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