三杯目 ミルクティー
四杯目 ミルクティー
やっと巡り会えた、第3水曜限定のケーキに。幸運なことに今日はレポート提出だけ、5分で帰っていいと言われた。一度食べて見たかった。1限終わってかけつけても、絶対にもうない数量限定のケーキを。
「ギリギリセーフ。ラスワン」
マスターが息せき切らせてやってきた私に笑いをこらえながら、ケーキを出してくれた。
「よかったなぁ、文香ちゃん。女の子ってのは甘いものが良く似合う」
源さんがわははと笑う。目の前に出されたケーキはキラキラと光っている様だった。
「ガトーショコラにフランボワーズソースをかけた、なんつってたかな。なんか長ったらしい上にこじゃれた名前のケーキ」
名前は覚えられたなかったらしいが、とりあえず概要は分かった。光沢のあるフランボワーズソースに意外にもサックリしてそうなガトーショコラ。そっとフォークを通し、フランボワーズソースがこぼれないように口に運ぶ。
「……おいしい」
「ははっ、目がキラキラした。よかったなぁ、ミドリ」
「名前で呼ぶなっていってんだろ。ったく、3人目は女の子が出来るって信じてたから、女の名前しか用意してなかった親ってどう思う?!」
店の奥からのっそりと現れた人がバンッと大きな手でカウンターを叩いた、大きいな。私の身長は女子平均よりちょっと高い160で、マスターが15センチぐらい高いから175そこそこ、この人180はあるよね、マスターより10センチぐらい高いから、185以上はあるんじゃ…。
「わけもなくうちの常連を怖がらせるな。コレ、俺の幼馴染でうちにケーキ卸してる、ケーキ屋の2代目。あのほら、駅前の町の洋菓子屋さんみたいなあのケーキ屋」
「ああ、イートイン席が何席かある。レポート前とかたまに行くけど、いつもイートイン席空いてなくて……」
嘘でしょ。こんな大きな手からこんな繊細なケーキが生み出せるというのか。一体どんな魔法を使ったというのか。こんな明らかに緻密に計算されつくしただろうと思われる、バランスのいいケーキ。私、こんな美味しいケーキ初めて食べたけれど。いつも誕生日に一人ひっそりと買うコンビニケーキとはなにかが明らかに違う。甘いけどくどくなくて、へんに酸味を主張しないフランボワーズソース。それをこの人が作ったというのか。すごく繊細なデザインのケーキもあるって聞いたから、てっきり女性が作ったものかと。
「あはははっ、びっくりしてる。いやぁ、機会なかったから言わなかったけど、パティシエってコイツ。まあ、ケーキのデザインやらは奥さんがやってるらしいけど」
「いうなよ、俺が頭上がらないみたいじゃん。文香嬢、お噂はかねがね。今度は君をイメージしたケーキ作るよ」
「来て早々常連の娘さんを口説くな。奥さんにチクるぞ」
スパンッといい音と共にミドリさんの頭がマスターによってはたかれた。なんか漫才を見てるみたいだった。これもまた付き合いの長さってやつかな。
「なあー春海、トーマスから手紙とか来た?」
「手紙はないけど、電話はあった。なんか酔ってたみたいでテンション高すぎて、8割以上は何言ってるのか意味不明だったけれど。今はトルコだってことは分かった」
「トーマス?」
私の疑問そうな顔に、幼馴染の1人だと教えてくれた。なんでもカメラマンさんで1年のうち3分の2は海外にいるらしく、手紙や電話の度違うところにいるらしい。
「前パリから手紙きたっきり連絡がねえから、まだヨーロッパちょろちょろしてんのかと思ったんだけど。何アイツ今アジアにいんのか」
「多分。トルコっていってたのが4日前だからもう移動して、インドで象のってるか、タージマハールでも見てるかもなぁ」
短期間で移動しすぎ。しかし、放浪癖がある人なのか、そんなアクティブでも何の疑問もなくそうかもなーとミドリさんは同調していた。というかヨーロッパをちょろちょろって範囲広すぎないか?
「機関車トーマスみたいにいろんなところにいるからトーマス?」
機関車トーマス。内容は覚えてないけれど、昔幼稚園のクリスマスプレゼントでもらった絵本。毎日でも読んでいた気がする。その言葉に2人はナイナイと手を振った。
「「顔がトーマスに似てるから」」
2人の声がぴったりと揃って思わず失笑した。流石幼馴染。ただ、その一言でそのトーマスさんとやらにがぜん興味が湧いた。
「それ言いだしたの春海な。俺的にはマンガとかのヤバい単語に伏せ字として出てくる、あの謎の顔マークとかにも似てると思う」
「いやぁ、あのパッチリした目とあの鼻から口の謎のラインはトーマスだろ」
「商店街の角にある薬局のカエルにも似ておったよ。目の感じが。あのカエル色剥げて面影なくなりおったけど。大丈夫か、頭があのカエルみたいにツルツルになっとらんか?」
源さんがジョークなんだか、本気なんだかわからないことを言う。そのカエルなら知ってる。色んな人が触ったり、長年の直射日光や風雨のせいで塗装がすっかりハゲていて、よく見ないとカエルには見えない。あそこ西日キツイから。
「ちょっ、ヤメテ源さん。文香ちゃんに淹れてるミルクティーこぼれんじゃん。笑いで手が震える…」
「え、私ミルクティーなんて頼んでないけど…」
「そのケーキにはミルクティーが合うよ。話に聞いた通り酷いクマ作ってるお嬢さんに素敵なパティシエさんからプレゼント」
「要するにコイツのおごり。自分で素敵なパティシエとかいうな」
いつものカップとは違い、ちゃんとソーサがついたティーカップを置かれる。このお店ティーカップなんてあったのか。そりゃ紅茶も出せるって聞いたからあるだろうなと思ったけれど、このお店で紅茶飲んでる人なんて見たことなかったし。
「美味しいです」
「茶葉にはこだわってんの。それはアッサムティーのミルクティー。俺はミルクティーならこの茶葉が一番だと思ってる」
「春海はそう言うのこだわるよな。まあ、良くあるアールグレイとかより香りが強くないからその分ミルクの風味が感じられるけれど」
ミルクティーは本当にケーキによくあった。初めて知ったけれど、あったかいものって眠くなる。紅茶、コーヒー、緑茶とかそういう物にはカフェインが含まれるから、眠いけど寝れない時飲む飲み物のイメージがある。まったく効かない人もいるけど。
「眠そう。そういえば、文香ちゃんは知ってる?コーヒーや紅茶にミルクいれるとカフェインの効果はなくなるらしい。俺も聞きかじっただけだから、眉唾かもだけど」
そうなのか。ただでさえ眠れないのに、わざわざ飲まないから知らなかったけれど。それにインスタントコーヒーって別に安くないんだよね。ここに通うようになってから、明らかに舌が肥えたのかインスタントコーヒーだと味がしなくなった。
「てかさー、カウンターで寝てるって聞いたけど首とか腕とか痛くない?俺も学生のころは授業中とか机に突っ伏して寝たけれど、別に寝心地良くないじゃん」
前々から思っていたけれど、言わなかったことをミドリさんがさらりと口にする。確かに姿勢は楽ではない。でも、普通寝る場所じゃないところを一席占領して寝てるわけだから、文句なんて言えるはずがない。それにブランケットも借りてるわけだし。私物でも良くはないんだけれど。
「あー、そうかもな。確かに机やらテーブルやらって姿勢に負担掛かるよな。良く寝てるから何も言わなかったけど」
「春海、上貸してあげたら?簡易だけどベッドあるじゃん。一時期ここにお前住んでたし。毛布位あんだろ?」
「丁度昨日干したところ。天気よかったし。よかったら使ったら?2階は外階段使わないとだけど」
ちょっと気になって聞いたことがあるけれど、ここはカウンターと客席、コーヒーが並んだ棚の横にあるドアを開けると厨房がある簡単な作りだと。でも、いつ見てもここは平屋ではなく2階建ての建物。見かけだけではないとは思っていた。
「え、流石にそれは申し訳ないというか…」
「家主がイイって言ってるんだからいいんだよ。ミドリー送ってやって、どうせもう帰るんだろ?」
「帰るけど、俺でいいの?」
「簡易ベッドの上に毛布が畳んで置いてあるし、俺がカウンター空けるわけにはいかない。閉店までに起きない様だったら起こしてからかえるよ」
ああそうと呟いてミドリさんが送ってくれた。初めて上がった2階は1階よりこじんまりした一室で、微かにコーヒーの匂いがした。
「意外とマメだよね、コレ毛布干すついでに絶対掃除もしてるし、窓も定期的に開けてるだろ」
確かに空気がこもってる感じはしないし、埃っぽくもない。毛布もふかふかしてる。そのまんま顔うずめて寝たいけれど、これを枕にすることもないだろう。
「ねー、文香ちゃんって苗字は?」
「ひなた、日向文香」
「俺は木下碧。婿養子だから、もともとは近藤碧っていうんだけど。子供のころは『こんちゃん』って呼ばれてた。春海もそう呼んでたんだよ、昔は」
近藤にはありがちなあだ名だと思う。私も小学校のクラスメイトに近藤さんがいたけれど、
クラスの皆が彼女のことを『こんちゃん』と呼んでいた。
「少し昔話しようか。俺と春海の馴れ初めとか。トーマス、ああアイツは牧田ゆらっていうんだけど、小学校の3年から同じクラスでたまたま進学先も一緒。まぁ、成績が似たり寄ったりだと志望校って被りがちじゃん?偏差値に合って、近けりゃいいじゃん?みたいなところがあるし」
近くに座ったミドリさんはゆっくり読み聞かせるように話してくれる。それが耳に心地良かった。
「名前が女みたいだからよくからかわれたよ。今はすっかり落ち着いちゃったけれど、結構ヤンチャ坊主だったよ、春海は。いじめっ子のリーダー格とタイマンはって、二度と名前をからかわないってクラス全員の前で約束させたんだよ。子供の喧嘩だから、どっちも傷だらけで、泣いたやつが負けって感じで。俺もそこからからかわれなくなって、もともとシンパシー感じてたっつーか」
ちょっと想像できない。たしかにワンパクな子もいたし、それは『ワンパクでもいい逞しく』みたいな感じだったけれど。マスターは穏やかで落ち着いた感じするから、なんかクラスに一人はいる皆に優しい子だったと根拠もなく思っていた。それがヤンチャだったとは意外というか。子供時代なんてみんなそんなものかもしれないけれど。
「あ、俺が言ったことはヒミツね。向こうが悪かったとはいえ、泣くまではやりすぎだっておじいさんにめっちゃ絞られて軽くトラウマというか、今の春海にとって黒歴史扱いされてる話だから」
「内緒にしておきます」
「お願いね。文香ちゃんに話したなんて知られたら、俺のところ怒鳴り込みに来そうだから。妻がここのコーヒーのファンだったのもあって、妻は春海の味方だし。妻の尻に敷かれてる身でそれはヤバい」
奥さんに頭があがらないのは本当らしかった。夫婦の形とはそれぞれなんだな。源さんはなんだか亭主関白みたいな感じだったけれど、ミドリさんはかかあ天下と呼ばれるものらしい。家庭はかかあ天下の方かよいとか言われるので、それはそれで二人のベストな形なのかもしれない。
「文香ちゃんって、月に似てるよね」
「月、ですか?」
そんなこと生まれてはじめて言われた。というより、今まで何かに似てると言われたことがない。そもそも、そんな大きいもので例えられることもあんまりないだろう。
「あ、褒め言葉だよ。柔らかくって、でもどっか凛としてていいねってこと。俺の妻もそんな感じ。結婚する前に妻にこう言われた『あなたは地球に似てる』って。潮の満ち引きって月の引力で起きる、月は地球の重力で地球から離れられないんだって」
イマイチ話の趣旨がよくわからないが、小さくうなづいておいた。内容が理解できないわけではない。
「そうやって影響し合う関係もいいけれどさ、月が明るいのって太陽を反射してるから。文香ちゃんはきっと地球みたいなやつより、太陽みたいなやつが合いそうだよね。文香ちゃんだけの太陽はきっとあるよ。見つかったら、その顔色もきっとよくなる」
クマが酷いのは自覚していたけれど、顔色も良くないんだろうか。確かにここ最近レポートもあったし、いつも以上に寝てないけれど。
「おやすみ、文香ちゃん。またね」
「あの、ありがとうございます。次のケーキ楽しみにしてます」
楽しみにしててと言って、軽く手を振り出て行った。不思議な人だな。でも、地球に似てるっていうのはなんとなく分かる気がする。それに地球は青いという。日本ではミドリを青ということもある。それならぴったりだと思う。
「私だけの太陽…」
それはもう見つかっているような気もする。目を閉じるとより深くコーヒーが香った気がした。