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マニアック その6

『剣の舞』が響き渡る中、俺と源尾は通路を夢中で走っていた。ぞろりぞろりと背後から追って来るのは人間ではなく、人体模型をはじめとした、モナ・リザの絵画にベートーヴェンの肖像画、女子トイレの幽霊めいた顔のない少女、美術室の石膏像に家庭科室にいる首のないマネキンといった、学校七不思議では常連の面々。まるで悪夢だ。いや、元から悪夢か。


 たいして走ってもいないのに息が切れてきた。脚が思うように動かない。雲の上でも走っているような気分だ。源尾も似たような状態らしく、あごを上げて辛そうに走っている。抱き上げてやりたいのは山々だが、今の状態でそんなことしたら共倒れだ。手を引いて走るので精一杯である。チクショウ、夢なんだからスーパーマンになったってバチは当たらないだろ。


 体力は長く続かず、限界に達した俺達はそろって倒れこむように床に身体を預けた。後ろから迫る化け物たちから目をそらすように前を見れば、数十メートル先から人型の影がゆっくりと近づいてくるのが視界に映る。額に流れる汗を拭って目を凝らすと、なんとそいつは学校七不思議における御大将、動く二宮金次郎像だ。挟み撃ちか、おしまいだ。ここで奴らに捕まって学校七不思議のひとつにされるんだ。


 だけどせめて、源尾だけでも助けなきゃならん。でなけりゃ俺はとんだ役立たずだ。


 身体に残っていた力を振り絞り、壁に手をつきながらなんとか立ち上がる。すると、右手側にあったはずの壁の固い感触が急になくなり、バランスを崩した俺はまた倒れこんでしまった。何事かと思って見れば、手をついたところが開いた扉に変わっていた。中の様子が伺えたが、また長い通路が伸びているものの、少なくとも七不思議の連中は見当たらない。逃げるのならばここしかない。


 再びなんとか立ち上がった俺は、未だ立ち上がれない源尾をなんとか抱き上げ、扉を抜けた先の通路にゆっくり降ろす。それから自分は元来た方の通路に戻ってドアノブに手をかけた。


「源尾、少し休んだら逃げろ。とにかく逃げろ」

「ダメだよ。伊瀬冬くんも、伊瀬冬くんも一緒じゃなきゃ……」

「俺はここで囮になって少しでも時間を稼ぐ。こんなとこまで連れてきた借りを返させてくれ」


 源尾はうわ言のように「ダメだよ」と繰り返しながらこちらへ腕を伸ばす。「ごめんな」と返した俺は扉を閉める。同時にカチャリと鍵のかかる音がドアノブから鳴った。オートロックかよ。だったら俺も向こうに残るんだったな。


 大草原に寝転ぶかの如く、五体を床に預けて天井を見上げていると、視界に七不思議連中が割り込んできた。生気の感じられない奴らの冷たい瞳はこちらをじぃっと凝視している。なんとも気色が悪い。


「……食うなら食えよ。腹壊しても知らんけどな」

「――そんな。食べるだなんて勿体ない。あなたには、もっと楽しいことをしてもらうの」


 聞きたくない声まで聞こえてきやがった。カチョウの奴だ。間もなくして声の主も七不思議に混じって視界に入ってきやがった。


 カチョウは嫌味な笑みを浮かべながら言った。


「それにしても、迫る魑魅魍魎から必死で逃げる男女。なかなか愉快な見世物でしたよ」

「そうかよ。だったらお楽しみ料だ。一発殴らせろ」

「ご勘弁を。それより、源尾さんはどこへ行ったの?」

「さあな。どっかに勝手に逃げたから知らん」

「あら、源尾さんってやっぱりそういう子だったんだ。人はそう簡単に変わらないわね」

「今日会ったばっかりのお前に何がわかるんだよ」

「わかるわよ、全部。クラスの男子に媚びるあの笑顔も、胃もたれするくらい甘い声も、かわいこぶったわざとらしい仕草も、ぜーんぶ知ってる。大っ嫌いだったから」

「……お前、はじめから知ってたのか」

「当然じゃない。ここはあの子の記憶が創り出した世界。私はあの子が知ってる……あの子をいじめた佐藤彩奈と同じ存在なんだから」


 不愉快なまでに愉快そうにそう言ったカチョウは、俺を指さしてどこかへ連れて行くよう指示を出した。それに従い二宮金次郎とマネキンが俺の肩を左右それぞれ抱えて無理矢理抱き起こすと、そのままズルズルと俺の身体を引きずりだす。


「もっと丁寧に扱えよ」とぼやいたら無機質な瞳がぎろりとこちらを向いたので、それ以上はなにも言わずにおいた。





 二宮金次郎達に連れられるまま廊下をしばらく歩き、階段をずいぶんと下っていくと、やがて牢屋に辿り着いて、想像の通りそこにぶち込まれた。牢屋といえど、たとえば檻に囲まれた石畳の空間というわけではなく、四畳半ほどしかない狭い座敷の部屋である。恐らく、元は宿直室か何かだろう。


 この際、俺の命運はどうだっていい。問題は、源尾が上手く逃げ切れたのかという点である。とりあえずはカチョウの奴も源尾の場所を把握していないようだったし、問題ないとは思いたいのだが……こればかりはわからない。


 あぐらをかいて源尾の安否を心配していると、座敷牢の扉にノックがあった。どうせサトーの奴だろうと思い返事をしないでおいたら、「伊瀬冬くんっ」という声が耳をくすぐった。源尾だ。慌てて起き上がり、扉についた覗き窓から外を見れば、申し訳なさそうに微笑む源尾がすぐそばに立っている。


「源尾、逃げろって言っただろ。なんでこんな危ないことしてるんだ」

「ご、ごめん。でも、伊瀬冬くんを置いて逃げられるわけないよ。一緒にって、約束したでしょ?」


「だからって」と言いかけたが、ここで言い争っても仕方がないと思って言葉を切り、「とにかく」と続けた。


「ここから離れるのが先だ。どうにかして外から開けられないか?」

「うん、待ってて。鍵があるの」


 そう言いながらポケットから鍵の束を取り出した源尾は、そのひとつひとつを扉の鍵穴にあてがい、どれが刺さるか確認をはじめる。


「伊瀬冬くんと別れてからね、『絶対に助けなきゃ』って思って。そしたら、わたしの前にこれが落ちてきたんだ。それで、ぐるぐるお城を歩き回ってるうちに、ここまで来れたの」


 カチャンという軽い音が鳴り、扉が開く。それと同時に部屋に飛び込んで来た源尾が、「会いたかったよ!」と俺の腰に腕を回した。想定外に嬉しい出来事に言葉を失った俺は、助けてくれたことに感謝の言葉を述べなければならないところを、何も言えずにただ立ち尽くした。


 7・5秒の致命的なフリーズ後、「ありがとう」と辛うじて喉から絞り出した俺は、「行くか」と続ける。「うんっ」と源尾が返事をしたその時、ぱちぱちと拍手をする音が廊下から聞こえた。外を見れば、タカラヅカ風の協力者――タカハシが壁に背を預けて立っている。


「タカハシさんっ、無事だったんですね」

「えぇ、この通りぴんぴんしてる」

「ならよかった。あんたも一緒にこんな城出よう」

「いや、残念ながらそうはいかない」

「なんだ。まだこんな城に未練でもあるのか」


「違う」と即答したタカハシは首を横に振り、呆れたように息を吐いた。その細い身体が一瞬にして敵意で満ちるのを感じ、俺はとっさに源尾を背後に隠す。


「サトー様は、希望から絶望に変わる瞬間の人間の表情をこの世でもっとも美しいと感じているお方でね。僕から言わせて貰えばありきたりな価値観だとは思うが……野暮な台詞は慎もう。今ここで大事なことは、そんなありきたりな彼女を楽しませるのが僕の役目ということ。そして、君達はここで終わりだということだ」


 タカハシが軽く指を鳴らす。廊下には先の七不思議連中が再び現れる。今回は逃げられるような扉は無い。奴らをまいて逃げられるほど廊下も広くない。源尾は俺のシャツの裾をきゅっと握る。細かい身体の震えが腕を通して伝わる。ここで諦めてたまるか。座敷牢の扉を閉め、籠城の構えを取る。「無駄なことを」とタカハシが笑うのが覗き窓から見えた。城主によく似たあくどい笑みだ。


 ふと脳裏に過ぎるのは、源尾をなんとか逃がした先ほどのこと。あの時の俺は、『なんとしても源尾だけでも逃がしてやりたい』と心から願った。そしてその願いに答えるように、無かったはずの扉が現れた。源尾もそうだ。俺のことを『助けたい』と強く思ったからこそ、鍵の束が落ちてきたのではなかろうか。


 そうだ。ここはあくまで夢の中。本気の本気で〝できる〟と思えば、きっとすべてが可能になる。


 考えを巡らせる間にも、奴らは力ずくで扉を開けようと、交互に体当たりを繰り返している。もう時間は無い。


 行くぞ、俺。やってやれ、俺。お前はヒーローだ。ヒーローはバケモノを倒して、それで――。


「……かわいい女の子を必ず助ける」


 一、二、三と心の中でカウントしてから強く扉を蹴る。蝶番がはじけ飛び、吹き飛んだ扉と共に人体模型が壁に叩きつけられ、全身のパーツがばらばらになった。なんてバカ力だ。自分でも信じられん。


 あまりに急な出来事に俺は思わず唖然となったが、その隙を逃さず二宮金次郎像がすかさず襲い掛かってくる。とっさに出てきた手の平で押すと、銅像であるはずのそれは、まるで地面に叩きつけた豆腐のように粉々に砕け散った。


 残った五不思議は怯えたらしく、尻尾を巻いて逃げ出した。逃げ遅れたタカハシは、すっかり青ざめた表情でその場にへたり込んでいる。殴るのも気が引けて、しかし多少は痛い目に遭って貰わないと割に合わない気がして、軽めにデコピンをしようとすると、俺が指を構えた瞬間にタカハシは「きゅう」と妙な声を上げて気を失った。こうなるとさすがに手が出せない。


「す、スゴイよ伊瀬冬くんっ! スーパーマンみたい!」


 はしゃいだ様子の源尾が頰を赤くしながら俺の身体を揺する。その言葉ですっかり調子づいた俺は、源尾に背を向けながら片膝を床について言った。


「乗れ、源尾。こんなとこ、とっとと出ちまおう」


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