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エレクトリック・ドリーム その3

 二十畳ばかりはある広い部屋。壁には古びたハリウッド映画のポスターや、あかんべーをするアインシュタインの写真などが貼ってある。三台のデスクの上にはそれぞれパソコンが置いてあり、ファンの回る起動音が微かに聞こえてくる。


 長机と並ぶマグカップは見当たらないが、この空間には見覚えがある。俺が「人間ではない」と宣告された部屋だ。あの飴玉を口にしたせいでここに戻ってきたのだろうか。「誰かいないか?」と声を出そうとしたが言葉にならない。なんだか妙な感じだ。


 やがて視界に映り込んできたのは源尾だ。ほんの少しだが、今の源尾より髪が短い。すると今まで声が出なかったのに、意志とは無関係に「やあ」という声が出てきた。こんな気取った挨拶をする俺ではない。なんだ、どうなってる。


 視界に映る源尾は「お疲れ様。調子はどう?」とこちらを見ながら言う。「疲れていない」と俺じゃない『俺』は返した。俺のくせになんともつまらん奴だ。なんだか恥ずかしくなってくる。


「こういう時、人間は『お疲れ様』っていうものなの。覚えておいて」

「わかった」と『俺』は淡白に答えてさらに続けた。


「お疲れ様。調子はどう?」

「私は……そうね、あんまり良くはないかな」

「どうかしたのか?」

「大丈夫。ただ、ちょっとプレッシャーでさ。『ISY』を作って、天才なんて身の丈に合わないこと言われて……」

「わかるよ。きっと俺なら力になれる」

「わかってる。あなたなら間違いなく力になってくれる」


 そう言って源尾は『俺』をじっと見た。


「ねえ、あなたに名前を付けていい?」

「俺にはもう『ISY』という名前があるんじゃないのか」

「あれは名前であって名前じゃない。ほら、『ISY』じゃ呼びにくいし」

「それなら、なんて名前をつけるんだ?」

「伊瀬冬くん、なんてどう? 『I Save You』だから、それをもじって伊瀬冬くん」


『俺』は何も考えていないような声色で「伊瀬冬くん」と呟き、それから小さく呟いた。


「……今日から俺は、『伊瀬冬くん』」


「ええ。改めてよろしくね、伊瀬冬くん」と源尾が微笑んだその瞬間、水面を手のひらで打ったように景色が歪む。ぶよぶよとした視界が形を取り戻した時、『俺』の目の前には水島さんがいた。ここまできてようやく俺は、自分の過去を回想しているのだと理解した。


「聞いてよ、伊瀬冬くん。私、またここの職員にキモチワルイって陰口されちゃった。失礼だと思わない?」

「でしょうね。確かに、見た目と喋り方が合ってませんから」

「ちょっと。こういう時は『そんなことないよ』って言うのがあなたの役目じゃないの?」

「そんなことないよ、なんて言われて元気づけられる人でもないでしょう、水島さんは」


「まあね」と笑いながら返した水島さんは、いじけたように視線を足元に落とす。冗談交じりの演技のようではあるが、その実、本当に悲しんでいるように見える。当時の『俺』にもそれがわかったらしく、「あの」と歯切れ悪く切り出した。


「水島さん。俺は今のあんたが好きですよ。楽しいし、明るい。一緒にいて面白いです。少なくともチームのみんなは、あんたのことが好きだと思います」

「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも、本当にそうかしら。みんな無理してるだけで、私なんている意味ないのかも」

「人間、自分の価値には自分では気づけないものですよ。水島さんは間違いなく必要です」

「……なかなかサマになってきたじゃない? その調子よ」


 そう言って水島さんが笑った瞬間、また景色が歪んで変わる。次に現れたのは鹿間だ。眉間にしわを寄せた怒り狂った表情でこちらを睨みつけていた。『2045』で見せていた、理屈っぽい雰囲気は微塵も感じない感情剥き出しの顔だ。


「伊瀬冬! テメェ、なんてことしてくれたんだオイ!」

「おう鹿間、何があったんだ」

「クリスマスプレゼント! 彼女に渡したんだよ!」

「そうか。喜んだだろ、あのネックレス」

「違う! 私が選んだプレゼントだ!」

「……おい。やめろって言っただろ。まさか本当にアレ渡したのか?」

「渡したよ! 渡したんだよ! ソーラー充電で動く招き猫!」

「……そしたら?」

「フラられたに決まってんだろ! 『人間失格』の文庫本渡されたよチクショウが! テメェの言うこと聞いてりゃこんなことにならなかったのに、なんでもっと推してくれなかったんだよ!」

「……知るか。選んだのはお前だろ」


 心底呆れたように言った『俺』は、わざとらしく長いため息を吐く。


「とりあえず、今日からお前は先輩後輩関係なく誰に対しても敬語使え。その年中慌てた性格少しでもどうにかしろ。それから落ち着いて見えるように眼鏡でもかけろ。そこからだ」


 悔しそうに「ぐぅ」と唸って歯ぎしりした鹿間が、がっくりうなだれ膝を突いたその時、また景色が変わる。細部こそ違うが、どうやらここは俺の部屋らしい。部屋にいるのは『俺』と、すっかり細身になった大藪さんである。俺自身は『俺』のことを動かせず、第三者視点で眺めることしかできない。


 部屋を見回し、それから窓の外を眺めた『俺』は、心底嬉しそうに大藪さんに声を掛ける。

「凄いですね。これが架空環境ですか」

「うん。試用段階だから、まだまだこの程度の狭いものだけどね。これからは臨床におけるあらゆるケースを想定して、どんどん様々な場所を設計していくよ。何か意見はあるかな?」

「意見……ってわけでもないんですけど、ひとつお願いがあるんです」

「いいよ。がんばってる君にもご褒美が必要だ」

「喫茶店でコーヒーが飲みたいです、俺」

「……コーヒーが?」

「はい。みんなが飲んでるのをよく見るので」

「でも……それは難しいかもしれない。君には人間でいう味覚、嗅覚、触覚が無い。見せかけだけは作れるけど、あれを味わせてあげる技術が無いんだ」

「いいんです、見せかけだって。みんなと一緒の、人間になったような気分になりたいだけなんです」

「……伊瀬冬くん。僕に言わせれば、君はもう立派な――」


 微笑みかけた大藪さんの姿が消え、今度は小さくなった江村が真正面に現れた。俺の部屋だったはずの周囲の景色も、馴染みのある『2045』のそれに変わっている。「調子はどう?」と江村に言われてやや驚いたものの、俺の背後にある席に座ってコーヒーをすする『俺』がいるのだとすぐに気づいて安心した。


「いつも最高だ」と答えた『俺』の対面に腰掛けた江村は、小首を傾げながら俺をじっと見つめた。


「ねえ、伊瀬冬。どうして伊瀬冬はそうなったの?」

「そうなった、ってのは?」

「心、あるでしょ。絶対に」

「だと思うか? 科学者だろ、お前」

「証明はできない。でも、あたしは……というかみんなは、あなたに心があると思ってる。ねえ、どうしてそうなったの?」

「……誰にも言わないって約束するか?」


 こっくりと頷く江村。それを見た『俺』は「よし」と呟き、小さな声で告白をはじめた。


「ある人を〝特別〟だと感じた。そしたら、その特別な人のために誰でもない自分になりたいって思ったんだ。それで、こうなった」

「……なるほど。それで、その〝特別〟っていうのは誰のこと?」

「言わん。絶対に言わん」


「……隠したって無駄でしょ」と江村が呟いたその時、録画映像を早回しするように景色が急速に変わりはじめ、思い出がいくつも駆け巡る。


 あからさまに嫌そうな顔で俺に「さん」付けする鹿間。身体の無い俺に筋トレの大切さを説く水島さん。黙って本を読みながら時折こちらをつまらなさそうな目で見る江村。徹夜三日目で限界が来て床で寝る大藪さん。はじめて自分の〝身体〟ができた日のこと。はじめてコーヒーを飲んだ時のこと。はじめてのクリスマス、年越し、正月、バレンタイン、子供の日、七夕、ハロウィン――。


 はじめて、はじめて〝俺〟を〝俺〟であると認識した瞬間、源尾の笑顔。


 流れる景色がもとの速度に戻った時に、目の前にいたのは源尾だった。なにやら真面目な表情で『俺』と向き合っている。


「伊瀬冬くん。ごめんね、急にふたりで話したいなんて言って」

「いいんだよ、別に。それよりどうしたんだ、そんな顔して」

「……単刀直入に言うね。『ISY』の企画凍結を迫られた」

「……何があったんだ?」

「……無視出来ないほどの〝揺らぎ〟が、伊瀬冬くんにあるからだって。上は、あなたの心の価値をわかってないの」

「……それで、俺はどうなるんだ?」

「あなたの心の有用性を証明するため、なんとか試験をやって貰うように話をつけたけど……それに通らなきゃ、破棄だって」

「なんだ、よかった。だったら大したことでもない。さっさとその試験ってのをやりゃいい」

「……でも、自分で設定しておいて何だけど、かなり厳しい試験になるかもしれない。伊瀬冬くんでも、できるかどうかは五分五分かも」

「大丈夫だ。源尾の希望に応えること以上の無理難題なんて無い」


「怒るよ?」と険しい顔で言って、その表情をすぐに笑みで崩した源尾は「頼りにしてるね」とはにかんだ。『俺』が「任せろ」と胸を叩いて請け負ったところで、源尾が再び険しい表情になり、小さく息を吐いて首を横に振った。


「ごめん、ちょっと呼ばれたみたい。試験の詳細についてはまた後で」


 そう残して源尾は消えた。源尾が座っていた席を馬鹿みたいに見続けていた『俺』は、「かわいいな、ちくしょう」と呟いた。俺は心から同意した。


 全ての景色が遠のいていく。どうやら思い出の時間も終わりらしい。


 それにしても……そうか。これなら俺が〝本物の源尾〟を忘れなかった理由もわかる。


 当たり前のことだったんだ。今の俺が俺でいられるのは、源尾に惚れたおかげなんだから。



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