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ウォーリー その2

 家に戻ってやることもなく過ごしていると、突然チャイムが鳴り響いた。新聞勧誘はおろか、熱心に外国の神を勧めてくる迷惑人すら寄りつかないこのアパートに客人とはいったい誰かと思いつつ、玄関扉を開けてみれば、そこにいたのは江村と鹿間のふたりだった。江村の寒風を思わせるその表情を見た瞬間、『2045』での出来事が思い出され、肩から下げた大きなエコバッグを見ると同時に、「あの中に入っている包丁で鹿間の解体ショーをこれからここでおっぱじめるのでは?」という妄想が脳内を駆け巡り、結果的に一歩下がりながらボクシング選手の如く身構えてしまったのは言うまでもない。


 最大限に警戒しながら「よう、ふたりとも」とあくまで友好的に迎えてみると、黙って頷いた江村と鹿間は勝手に玄関に上がり、後ろ手に扉を閉め、靴を脱ぎ捨てて、スタスタと廊下を歩いて居間へ向かっていった。


 手慣れた押し入り強盗みたいなスピード感だ。唖然として固まっていると、江村は「こっち来て」と居間からこちらへ手を振る。まるで自分の家のように振る舞いやがる。今まで知る由も無かったが、存外図太い神経を持っているのかもしれない。


 とりあえずキッチンで三人分の麦茶を用意して、それから居間に向かえば、食卓代わりに使っている背の低い丸テーブルの上には何故かタッパーに詰められたカレーが用意してあった。こうなると、驚きよりも恐怖が勝る。


「いつの間に用意したんだ、こんなもの」


「作って持ってきた」と江村は言って畳に投げ出してあったエコバッグを指した。「いったどうしてこんなことを」と聞く暇も無いうちに、テーブルの前に座した江村は自分で持ってきたカレーをスプーンですくって一口食べた。


「大丈夫。毒は入ってないから」


「だから黙って食え」と言いたいわけだろう。こうなると、もう回避は不可能だ。わけのわからないまま江村の対面に腰かけた俺は、心中で「南無三」と唱えながらスプーンを手に取る。


「突然ごめん」と江村が常識的なことをふいに言って頭を下げたのはその時のことだ。それから、じっと黙っていた鹿間も「すいませんでした」と頭を下げた。


「いや……何事もなけりゃそれでいいんだが、大丈夫なのか?」

「ええ。江村さんとはきちんと話し合って仲直りしましたから」

「そうか。……ちなみに、どうしてあんなことになった?」


「ムカついたから」と江村は即答する。その有無を言わさぬ雰囲気に圧され、何も言えなくなった俺はとりあえず黙ってカレーを一口食べた。しかし、不思議と味がしない。なにかの間違いかと思い二口目を食べてみたがやはり同じ。辛くもなければ甘くも無い。無である。これではカレーの匂いが付いた質量のある雲を食ってるのと変わらない。


 自身の分のカレーを一口食べ、なにかに納得したように深く頷いた江村は、大きなため息を吐いた。


「どう? 美味しくないでしょ」

「マズイ。店のコーヒーと同レベルだ。どんな作り方したらこんなものが生み出されるんだ」

「すごい甘口のルーとすごい辛口のルーを混ぜたの。そしたら、無になった」

「なるわけねぇだろ。なんで打ち消し合うんだよ」

「ほら。遠慮しないでどんどん食べて。今日のお詫びなんだから」


「遠慮させてくれよ」という言葉が喉まで出かけたが、お詫びと言われてしまうと無碍にもできない。俺はほとんど無心でスプーンを動かし続け、カレー(無)をひたすら胃の奥へと流し込んでいった。鹿間も黙ってもそもそ食い続けた。どんな罰ゲームだ。


 三人で向かい合わせの消費作業の最中、江村はぽつぽつと呟いた。


「ねぇ、伊瀬冬。今日もきっと、伊瀬冬はあの人の夢を見るんだよね」

「ああ。俺もそう思う。楽しみだ」

「楽しいことばかりじゃないと思いますよ。昨日みたいに、また面倒な事態に巻き込まれるかもしれません」と鹿間は忠告するような口ぶりである。


「いくら面倒ごとが起きたって、最終的には解決すりゃいいだけだ」

「……そうなることを信じてますよ。私も、江村さんも」


 鹿間の言葉に力強く頷く江村。ふたりの素振りはとても冗談を言っているようには見えなくて、俺はやけに真面目に「善処する」と答えることしか出来なかった。





 やがて待ち望んでいた夜が来た。やるべきことを迅速に済ませた俺は、いそいそと布団に潜って目をつぶった。閉ざされた視界にすぐさま源尾の横顔が浮かび、俺は掛布団に「ぐへへ」という笑い声を漏らした。


 だんだんと遠のいていく現実の中、ふと過ぎった鹿間と江村の言葉。


 わかってる。夢の中は楽しい出来事ばかりじゃないことくらい。わかってる。厄介事が待っていることくらい。でも、それがいい。だからいい。


 俺はきっと今日も大変な厄介事を解決し、スーパーマンのように颯爽と源尾のことを救うのだろう。最高だ。これ以上の体験を人生の中で味わったことが無いくらいに。


 意識が落ちる寸前に、「そういえば」と不必要な気づきが頭の片隅でわずかに光る。


 今日は、現実の源尾から連絡が無かった。


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