ヘルムート
悪いことをすると、ヘルムートがやってくるよ。ヘルムートがやってきて、お前なんかばくりと喰っちまうんだ。
祖母は怖い話で人を脅かすのが好きだった。しかし今思い返してみると、なぜこんなおとぎ話に怖がっていたのか分からない。少し考えれば、子供を怖がらせるための嘘だと分かりそうなものなのに。
昔の事を思い出したのは、おどろおどろしい刑務所を前にしているからだろうか。凶悪犯ばかりが収監されているこの刑務所は、おとぎ話の怪物が出てきてもおかしくないほどの雰囲気だ。
彼女――人からはサードと呼ばれている――は深呼吸を一度して、刑務所の中へ入っていった。
この刑務所の名はディヤルバウル。ディヤルバウル刑務所は五つの棟からなり、四つ目と五つ目が特に危険と言われている。なぜならそこはドラゴンのための牢だからだ。目を合わせただけで死んだ、耳をかしたら呪い殺された、集団でいけば後ろから順に消えて行ったなど伝説には事欠かない。看守ですらうかつに近寄れない場所なのだ。
サードは四つ目の棟、D棟へ向かって歩いて行った。そこはこの刑務所で最も安全で、危険な場所だ。
なぜ安全か、それはこの階にはDDと呼ばれるドラゴンが一匹しかないからだ。そのドラゴンはDDといい、彼は快楽殺人者ではない。このD棟にいる限り、意味もなく殺されることはない。
なぜ危険か、それはそのドラゴンがこの刑務所で最も強力なドラゴンだからだ。この階に他のドラゴンが収容されることはあった。だがしかし、そのたびにドラゴンは姿を消した。
理由を聞かれたDDはただ一言、「こんどはもっとうまい奴を連れて来い」と言った。巨大な口には真っ赤な血が滴っていたらしい。
サードはかつり、かつりと足音を立ててD棟を歩いた。この塔に侵入した瞬間から、DDは間違いなくこちらに気付いている。ならば堂々と歩いたほうが、刺激せずに済む。
「こんなところになんの用だ? ヘルムートに食われるぜ」
闇の向こうから声がする。小さな窓からわずかに太陽の光が届く程度で、刑務所の中は薄暗い。
「ヘルムートがいたならば、先に食われるのはそなたのほうだろう」
小さな笑い声が闇の向こうから届いた。
「女か。珍しいな。もう少しこちらに寄れ」
しばらく歩くと、大きな牢の向こうに、小さな人影が見えた。口元には何かの血がついている。
その奥を見れば、血の滴るドラゴンの亡骸があった。おそらくはこの刑務所の囚人だろう。何らかの手段でとらえ、殺し、餌にしていたようだ。
「すまないな。食事中だったか」
牢は暗く、そこにいる人の姿は良く見えない。だが間違いなく彼がDDだろう。
強い力を持つドラゴンは、魔法で自らの姿を自由に変えることができる。古来より、人の姿を取るドラゴンは多い。はるか昔の神話にも、人の姿で現れるドラゴンがいるほどだ
「おとぎ話のヘルムートは悪人を食べるダークヒーローだが、本物はただの暗黒竜だったんだぜ」
まるで見てきたように彼が語った。
DDはこの刑務所では、最も古いドラゴンだ。ヘルムートと出会っていてもおかしくはない。おとぎ話がもしも真実ならばだが。
「そなたがDDか?」
サードはそう問いかけた。
「そうだ。そしてお前は誰だ? 人の子よ。見たところ、貴族のようだが」
「ギーズ家次期当主のカリムだ。人からはサードと呼ばれている。今日はそなたの力を借りに来た」
牢の奥から青年が歩いて来た。黒い髪はぼさぼさで、手には手錠がつけられている。見た目はまさに囚人と言った風体だが、目だけが違った。どこまでも深い闇色の目。その目を見ただけでサードは、恐怖のあまり金縛りにあったように動けなくなった。
DDの目が、サードの金色の髪を、青色の瞳を、胸の家紋を、腰にかけたサーベルを、引き締まった足を順に見て、言った。
「なるほど、ライダーか」
「その通りだ。DDよ、私のドラゴンとなれ」
恐怖に抗い、胸を張ってサードは言った。DDは恐ろしい。だが頭を下げるつもりはなかった。サードは勝つために手段を択ばない人間だが、誇りを捨てるつもりはなかった。それにここで頭を下げては、ずっと立場が下になる気がしたのだ。
「断る、と言ったら」
「諦めて他のドラゴンを探すだけだ。そなたより強いドラゴンを探すのは難しいだろうが、仕方がない。ドラゴンとライダーの間に大事なのは信頼関係だからな」
「そこまで正直に話すか、面白い奴だな」
「私はそなたと信頼関係を築こうとしている」
「その割に態度が大きいな」
「対等な信頼関係だ」
サードは真っ直ぐにDDを見据え、そう言い切った。
「ははは、対等! この俺と対等だと。ただの人間のお前と、俺がか? ちっぽけな人間のお前にその価値があると思っているのか?」
DDがおかしそうに笑った。だが人を馬鹿にしたような笑いではない。ただ愉快なのだろう。
貴族であるサードにもその気持ちは理解できる。強い力を持つと、対等な相手というのはいなくなるものだ。平民から勝負を挑まれたときなど、サードは同じように笑っていただろう。
「私と共にいれば自ずとわかる」
サードは胸を張って言った。自分にそれだけの価値があるかどうかは分からない。だが、あると信じている。それが貴族というものだ。
サードの言葉を受けて、DDはさらに愉快そうに笑った。
「くくく、最高に愉快だなお前は。俺を相手にその態度をとれるというだけで価値がある。ただし……震える手は隠しておいた方がいいぞ」
サードはとっさに手を後ろに回した。虚勢を張るのに必死で、手が震えていることに気が付かなかった。
「そんな目で見るな。俺は褒めているんだぜ。ここに来るのは能天気なバカと、実力差も分からず挑んでくる愚か者ばかりだ。だがお前は違う。馬鹿でも愚か者でもない。勇敢な女だ」
「褒められている気がしないな」
褒められているというよりは、子ども扱いされているようにサードは感じた。はるか高みから見下ろして、人間にしてはよく頑張ったと言われているようだ。
「お前の価値は認めよう。お前は交渉のテーブルに何を乗せる? お前は俺の力が欲しい。お前は俺に何をくれる?」
見返りの要求は、想定できたことだ。サードはそのためのカードを用意していた。
「自由を」
「…………俺を刑務所から出すということか。魅力的な提案だが、どうやるつもりだ?」
「龍人祭の期間中は、出場選手に限り特例で刑務所の外での生活が認められている。監視付きだが、私が監査官になれば問題はない」
「龍人祭。確か……建国記念日のレースだったか」
「その通りだ。準備期間も含まれるので、最長三か月。三か月間の外での暮らしが、私がそなたに提供できるものだ」
「……俺のいない間に、外はずいぶんと様変わりしたようだな」
DDは小さな窓から外を見た。小さな窓だが、ドラゴンの視力なら多くのものが見えていることだろう。
「今一度聞こう。DDよ私のドラゴンとなれ」
「いいぜ、サード。俺のライダーになれ」
DDはにやりと口をゆがめて笑った。返り血にぬれた姿で笑うDDは、あまりにも禍々しい。
サードは一抹の不安を覚えた。はたしてこのドラゴンを外に出して大丈夫なのだろうかと。
だがいまさら引き返すわけにもいかなかった。サードには叶えたい願いがあった。
9話まで連続投稿します。そのあとは毎朝0時に投稿




