Journal.5 ~わたしがおもうさいつよのぶき~
せっかくのボーナススキルだもんね
使っていかないとね
ルークにナイトを、そしてナイトにお気に入りのレア装備を託して、リラは張り詰めた空気が漂う兵馬に向かって、穏やかに微笑みながら一歩一歩を優雅に踏み進めていく。
(逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…)
しかし、見せ掛けはともかく、その思考は初号機に乗り込んだ中学生並に緊張していた。
(やっばいよ近付けば攻撃適正くらい見分けられるかと思ったけどそんなこと無かったよ撃ってくるのは魔法?物理?今からでも着替えたほうが良いかなこの金策装備で防御力なんて全部あのローブありきだしっていうかこの距離で装備の変更とかする余裕あるの?いちいち全部脱いで改めて着るわけじゃないよねストリッパーかよいやハニトラって意味ならアリかないや無ぇよ痴女かよ私は脱がない絶対脱がない)
「見抜き死すべし慈悲は無い。…すぅ…はぁ…。おけ。つまり撃たせなきゃ良い」
頭の中は錯雑としていても、表面上は穏やかな微笑みから深呼吸と結論を小声で吐き出して、身構えるルークたちとちょうど同じ距離まで隊列に近付いたところで足を止めた。
(とりあえず、急に攻撃態勢に入った理由がわかんないんだよ。旅行者って名乗ったから?だとしたら、いよいよもって21世紀の常識を投げ捨てる覚悟しないとね。……逃げた方が早い気がしてきたよ)
鋼の表情筋にムチを打ちつつ、内心で密かに辟易する。とにかく、このまま膠着を続けても埒は明かない。まずは自分たちは銃を向けるに値しない無害な存在だと理解してもらう必要がある。
(では…女子力抜錨)
心の中でげんなりしている自分を奮い立たせ、貼り付けた笑顔の内側から研ぎ澄ました感覚で目前の兵士たちの一挙一動に気を配りながら、リラは武力に頼らず戦う覚悟を決めて両手を下ろした。
その様子に、攻撃を予期してか再びどよめきが湧き起こる。だがリラは気にせず、下げた手でスカートの裾を摘み上げて、上品な一礼と共に明朗なソプラノを響かせた。
「誠に申し訳ありません、ランセル様。この度は私の不徳から、ご気分を害されてしまったこと、深くお詫び致します」
ともすれば、それは何処の領主の娘かと思うほど洗練された所作だった。これで着ているものがシンプルなブラウスとスカートの貿易セットではなく立派に仕立てられたドレスであったら、間違いなく馬上の兵士たちは即座に馬を降りて平伏しただろう。名指しで謝られたランセルなど、顔を青くし危うく落馬しかけたほどだ。
(先制としては上々かな?ふふり。子供の頃から成金相手に鍛え上げてきた処世術と私の女子力が合わさり最強に見える!…改めて、喋れるようになって、本当に良かった)
実際のところ、顔を青くしたいのはリラも同じであったが、先進国に於ける資産家の息女として育った経験則と、何よりそれを活かせる〝声〟がここで役に立った。もし本当に、彼女が高貴な出自を持つのであれば、そんな相手に武力をひけらかしたこの時点で、兵士たちは身動きを完全に封じられたことになる。本当でなくとも、それが判明するまではリラのターンだ。そして、リラはターンを返すつもりは無かった。
「ご随行の皆様に於かれましても、私どもの異様に動転なされたものとお察し致します。私の浅学ゆえに配慮が及ばなかった事を、どうかご容赦くださいませ。つきましては、当方に争う意思は無く、また害する目的も無い旨をご理解頂いた上で、矛を収めて頂ければ幸いに存じます」
動揺が広がったことで生まれた付け入る隙を見逃さず、心情から切り離した表情で微笑みかけて、動きを伺う。銃を構えていた何人かは、既に砲身を持ち上げて射撃の態勢を解いていた。
それは現代日本が誇る対人話術の奥義にして、同時に初歩となるビジネスマナー。相手から本物の武器を向けられるという、これまでの人生では現実離れしたと言っても良い事態に焦りこそしたが、冷静に考えればリラも外交交渉という意味では完全に丸腰というわけではない。この前世で培った教養と、聞き流せないほどの美声という〝武器〟がある。相手も同じ人間であり、軍人という明確な立場を持つのだから、言葉が通じてコミュニケーションが図れる以上、クレーム対応然り、取引相手への謝罪然り。現代社会で通用する礼節と誠意と女子力であれば、大なり小なり時代や文化に左右されど、絶対に通用しないということは無いのだ。
「か…構えを解け!彼女は違う。人違いだ」
案の定、ランセルはリラの落ち着き払ったソプラノとは対照的に、取り繕うようにテノールを震わせて周りの部下たちに号令する。その顔は、部下の前での失態による羞恥のためか、予想外の事態に青ざめていた先程とは打って変わって紅潮すらしていた。
(ふぁっ!?人違いで銃なんか向けられるとか草が生えるわ草原だけに。…とか言ってらんないなぁ、当事者だと。とりあえず、これでヘイトは下げられたかな。采配ミスがよっぽど恥ずかしいみたいだけど、まぁ、おあいこだよ)
ひとまず、火急の要件を満たしたことで軽く胸を撫で下ろす。と、ついでに慌てる騎兵の姿にもほくそ笑んでおく。もちろん表には出さない。
「失礼した、ご令嬢。帝都より賜った兇徒の征伐という任務の重責からか、頭に血が登っていたようだ。こちらこそ無礼を許してほしい。どうか頭を上げてくれ」
「お心遣い、痛み入ります。それにしてもご令嬢だなんて…先程も申しました通り、一介の旅客で御座いますわ。それよりも、そんな大命を帯びられたご公務を、知らず識らずとはいえ妨げてしまった事が心苦しいばかりです。改めて、お詫び申し上げます」
(…ってことは軍が動くほどの犯罪者と間違われたの、私たち?誰と間違えたか知らないけど誤認逮捕ってレベルじゃねぇぞ!?写真の無い時代だとしてもせめて似顔絵とかさぁ!?軍隊まで動員しといてそこだけガバいって何?イジメ?)
鉄壁の笑顔で含羞みながら、転がってきた最後のピースでようやくリラは合点がいった。つまり、彼らはリラたちのことを、討つべきテロリストだか下手人だかと勘違いしたのだろう。確かに、巨大な熊なんかに跨って闊歩する姿は、リラの常識でも悪目立ちするだろうことは少なからず想定していたが、それにしたって、急に武器を向けるなど早合点が過ぎるというものだ。傍迷惑にも程がある。
「知らなかった?妙だな。近隣の村々には触れを出していたはずだぞ」
華やかな仮面の裏で毒突く美少女の恨み言など露知らぬまま、その前まで進み出て下馬したランセルは怪訝そうに眉根を寄せる。それを見て、リラは内心で舌を打った。
(ことごとくタイミング悪いなぁ。そういう情報を集めたかったから人里を探してる最中だったのに…。ルークのこともあるから、素直に異世界から転生して来たんですなんて言ったら十中八九めんどいことになるよね…ソースは女の勘)
いっそ作為的なものさえ伺えるほどの間の悪さに、リラは苦虫を噛み潰したような気持ちになる。こんな状況で異世界から来た魔術師だなどと言おうものなら、平和な街の衛兵であればともかく、ろくに確認も取らないまま武器を抜くほど切迫している彼らは間違いなく危険人物と判断するだろう。
となれば、それっぽく聞こえる物語をでっち上げるしか無い。そう判断し、穏やかな物腰からは想像出来ない早さで頭を回す。まさか、言い訳のために国家試験を上回る勢いで頭を使う日が来るとは思わなかった。
「重ね重ね、申し訳ありません。恥ずかしながら、つい昨日まで世俗から離れた隠遁の身であったもので…。あちらの森を抜けた先に、豊かなお花畑が広がっているのはご存知ですか?」
自らが知る少ない地理情報の1つである、不帰の森とその向こう、転生直後のスポーン地点でもあった花畑を、伸ばした手で差し示し即興のシナリオを読み上げる。材料となる情報は限りなく少ないが、それはそれでフロム脳の本領でもあった。
「実は、あのお花畑の近くに居を構えていたのです。あまり人里にも出なかったもので、件のお触れというのも、知る術を得ませんでした」
「ほう、花畑…不帰の森を越えてということは、あの絶景と名高い『魔境の虹』か」
(固有名詞の香ばしさよ…ってかつくづく物騒すぎない!?ネーミング誰!?…たしかに絶景ではあったけども!)
思わず声に出しかけたツッコミを慌てて飲み込む。不帰の森といい、魔境の虹といい、地名くらいもう少し言葉を選べなかったのだろうか。…というより、まだはじまりの町にすら辿り着いていないというのに、名前に悪意しか感じないような場所でスポーンしたということが嫌過ぎる。
だが、そんな繊細な乙女心を他所に、再びランセルの顔色が変わったことでリラも再び身構えた。地名への愚痴については、あとでルークにでも聞いてもらうとして、散漫しかけた注意を今一度戻す。
「魔境の虹から来たということは、昨日の天の怒りに巻き込まれたのではないか?」
「………ここではリントの言葉で話せ(ボソッ」
耐え切れなかったようだ。しかし、なんとか小声に抑えて表情も崩さなかった自制心は褒めても良いくらいだろう。
「…む?」
「…コホン。恐縮ですが、その『天の怒り』とやらの仔細をお伺いしても?」
次から次へと飛び出してくる固有名詞に、もう何もかも投げ出して必要な情報だけ問い質したい衝動に駆られたが、その名詞の意味するところを何かの口実に出来るかも知れないと思い直して踏み留まる。焦ってはいけない。交渉とは、焦ったほうが負けるものなのだ。何と戦っているのかは彼女にもよくわからないが、勝負だと思えばこそ、頭は冷静でいられるのだ。
「いや、すまない。杞憂であれば良いのだが、ちょうど昨日のこの時間、魔境の虹の辺りで天の怒りが落ちたのを見てな。兵士たちの中には、これも兇徒によるものではと恐れている声もあり、住む人間のいない未開の地とはいえ気になっていたのだ」
(…訓練されたネラーかな?ピンポイントで聞きたいとこだけジャスト回避してくるとかワロリッシュ)
おそらく悪気は無いのだろうが、絶妙に話を逸らされた気になったリラは釈然としない。…が、雰囲気としては、何かしらの災害に類する非常事態というニュアンスだけは汲み取れた。
昨日の今頃の時間と言えば、リラは紐無しバンジージャンプをしていた頃だろうか。思い返してみたが、いい歳して子供のように大泣きした黒歴史くらいしか思い出せる出来事は無い。ということは、その前に起こったのだろうか。
(『天の怒り』…自然災害だとしたら、落雷か竜巻あたり?地震…だと『大地の怒り』とか言いそうだし。どっちにしろ、ほっとけないアトモスフィアが漂ってきたなぁ…)
もし、『天の怒り』がリラの転生前に起こった災害を指している単語なら、こんなところでのんびりしている暇など無い。場合によっては、人間の生活圏に被害が出ている可能性もある。そうであるなら、元・医学部生として到底看過できる事態ではなかった。
災害時に於ける人命救助は時間との戦いだ。生存者を1人でも多く救うには、救助活動を行う人数も1人でも多いほうが良い。
「ふふ。お気遣い、有り難う御座います。幸いなことに、空の向こうからちょっとした落とし物があった程度で、大事には至っておりませんわ。それより…」
この際、人里の情報云々は抜きにして、その災害の話を聞きたい。ついでに、内容が適当であればその煽りを受けて住居が失くなり移住のために旅をしていることにしてしまおう。そう考え直し、言葉を繋ぎかけたリラの台詞は、ランセルが食い気味に身を乗り出して遮った。
「ちょ、ちょっとした落とし物だと!?大事に至っていないと言うが、あんな物が落ちてきて周辺は無事では済むまい。…では、貴嬢は助けを求めてあの危険な森を抜けてきたということなのか!?何ということだ…そんな相手に我々は…。よもや、人が住んでいるなどと考え及ばず楽観していた、許してくれ」
「…………」
精悍な顔に憐憫の情をありありと浮かべて頭を下げるランセルを見て、リラは察した。察して、とうとう笑顔が崩れ…こそしなかったが凍り付きはした。
(……転生したら、災害扱いされた件。…そりゃそーかー)
考えてみれば、至極当然の事だった。隕石である。クレーターである。場所が悪ければ大惨事である。
「ど…どうかお顔を上げて頂けますか?そのような大袈裟なものではないのです。確かに、住まいを失い難儀をしてはおりますが、とうに縁を離れた独り者ですので、大した痛痒ではありません。差し当たって救助などのご支援も必要とはしておりませんので、お心だけで十分ですわ」
とは言ったものの、このランセルの慌てよう、そして天の怒りといういかにもな呼ばれ方を鑑みるに、どうやら隕石の衝突という事態は、掲示板に『地震キタ━━━━━(((゜∀゜)))━━━━━!!!!』と書き込んで済まされるレベルではないようだ。初めから吹聴するつもりなど皆無であったが、今後はより慎重になるべきかも知れない。今更だが、人気の無い場所に落ちられて良かったと思う。
(とりあえず、これ以上この話題を掘り下げられる前に訊きたいこと訊いとこう。…なんだか見えてる地雷の気配がする)
いかに自他共に認める考察勢出身とは言え、さすがに口先八丁にも限界がある。これ以上は掘り下げた話題が墓穴となりかねないと判断したリラは、早々に話の広がりを断つことにした。出来るだけ多くの情報が欲しいことは欲しいが、現状であまり欲張ったところで、持て余すことは目に見えている。単語の意味を教えてくれるグーグル先生は、ここにはいないのだ。
「それよりも、ランセル様?差し支え無ければ、最寄りの市街の方角をお聞かせ願えませんか?如何せん、引き篭もりが長かったもので、地理に疎く困っていたところでして…」
「あ、ああ、そうか…。しかし、本当に大事無いのだな?見たところ、身一つのようだが…。ここから最も近い人里と言えば、山を越えて更に南下した先の『ミリオ村』が位置としては最も近い。しかし、ここからでは麓を迂回するしか道らしい道も無く、その迂回路にも亜人種の野盗や野生の猛獣が出たりと、帝都から兵站の援助がある我々でも一筋縄では辿り着けん。支援は要らぬと言うが、貴嬢1人では…」
「野盗、ですか…」
(物騒な…。てか野盗て、まさか生で聞くことになるなんてね…)
ランセルが手で指し示したのは、当初リラたちが目指していた山脈だった。その先を視線で追いながらリラは何度目かの辟易した溜息を内心で吐く。軍事的には銃が配備され補給を充実させる程度に発達していても、治安や社会情勢では話が違うということなのだろう。
(たしかに昔はPKを狩り歩いたりしてたけどさぁ。リアルでもやりたいなんてほどサイコパスなつもり無いから出来ればスルーしたいけど…さすがに補給線に乗っけてくれとか言えるほど私も面の皮は厚くないし、何より今のPT状態じゃあねぇ…)
亜人種や魔法が存在するファンタジックなこの世界に於いて、喋る熊に喋る猫がどれほど珍しいものかはわからないが、ナイトはともかくルークが何事も無く馴染むはずが無い。30メートル近く離れてもなお、背中に感じる圧迫感は、その懸念を裏付けるには十分と言えるだろう。元より道を尋ねるだけで不必要な接近はしないつもりではいたが、戦意を向けられ一層彼の気が立っている今、人間に慣れさせる為に必要な荒療治だなどと考えるのは危険だ。他でもないリラ自身がこの世界に慣れていない以上、危ない橋は渡るべきではない。
とは言え、ミリオ村を目指すなら目指すで、野盗というのは無視できない問題であった。軍人の口から一筋縄ではいかないと聞かされれば尚更である。
もちろん対策案が無いわけではない。リラが野盗と聞いて思い浮かべたのは略奪や強奪といった、物資を奪う目的での襲撃だが、もしそうであれば、予め金目の物でも用意しておき、必要に応じて差し出せば血を流さずにやり過ごせるのではないだろうか。別に富豪として左団扇で暮らしたいわけでも、戦士として名を馳せたいわけでもないのだから、使いもしない高価な武具や換金用の工芸アイテムなどを出し渋る理由も無い。強いて言うなら、気ままな行商人プレイに憧れてはいるが、それならば、マイスターまで極めた錬金術と国家試験を受けるまでに修めた現代医学の知識を活かせば、十分に旅の薬売りとしてやっていけそうでもある。転生前の世界のように免許や資格や知名度だの派閥だのが関係しなければの話だが。
(…ま、野盗だ冒険者だなんて非社会的な常識が成り立ってる時点でそんなのどーせザルなんでしょ、ぼく知ってる。とりま、貨幣価値がどうであれ、貴金属や食べ物ならハズレは無いだろうし、野盗はそれで―――)
と、さほど悩むことも無く結論を出しかけたところで。
「取り立てて厄介なのがオーガ…人喰い鬼とも呼ばれている怪物の群れだ。知っての通り、奴らは人の肉を喰らう上に、分けても若い女性を…巣に連れ帰る習性がある」
ランセルが当たり前のようにその台詞を続けたことで思考を停止せざるを得なくなった。
「おーが…」
(…お手本のようなフラグ立て乙。…っていや待って?説明はありがたいけどそのフラグ、回収するの私なんだよね?O M G…二次元ドリーム◯ベルズの回し者かこのおっさん)
リラの笑顔が再び凍り付く。彼女の常識で『くっ殺』が許されるのは創作物の中だけだ。それが現実になるばかりか、他人事でさえなくなるなど勘弁してほしい。
(だけどまぁ、この世界で生きてくなら遅かれ早かれ…か。ならいっそ、私のスペックを把握するチュートリアルだと考えようかな。最悪POTガブ飲みで逃げに徹すれば何とかなるでしょ)
特異点たる身体が受け付けないのは、あくまで環境やオブジェクトのみ。普通に攻撃されれば普通にダメージを受けるだろう。しかし、リラもアクションMMOにて六傑に数えられたトッププレイヤーの1人である。装甲に頼らず生存し続ける立ち回りは得意とするところでもあった。
心の中では、一際大きく溜息を吐くと同時に、いよいよ異世界転生らしくなってきたという実感に、知らず凍り付いていた口元が、融けるように緩み出す。それは意図して貼り付ける作り笑いとは違い、どこか危うげな艶を伴っていた。
その艶を浮かべたまま、リラは今一度、上品にランセルへと頭を下げる。
「貴重なご助言、心に留めさせて頂きます。この度はご多忙な中、お時間を割いて頂きまして誠に有難う御座いました。お務めに際しましては、一層のご武運をお祈り申し上げますわ。それでは、ご機嫌よう」
情報へのお礼と共に、別れの挨拶を述べるリラ。だがそこで、何を思ったか途端に慌て出したランセルが声を裏返して引き止めた。
「な、行くのか?待て、いくらなんでも危険過ぎるぞ!」
リラとしては、聞くべきことを聞いた以上、もう長居は無用だった。むしろ、軍人に対してこれ以上の探りを入れてもボロを出しかねない。まして、相手は厳戒態勢を敷いている討伐軍。そうでなくとも、既に一度テロリストの疑いを掛けられているのだ。出したボロにどんな炎が燃え移るか分かったものではない。
しかし、呼び止められたからには、応じざるを得ない。ここで無下に扱って悪い印象を残そうものなら、それこそ今後の禍根とならない保証も無いのだ。
半ば嫌な予感を覚えつつ、リラは引きかけた姿勢を再び正す。
「そうだ、今から護衛として何人か兵を預けよう。編成が済むまで待てないだろうか」
(…見えてる地雷をわざわざブン投げて来やがった)
案の定、その提案は現時点での彼女にとって非常にリスキーな選択を課すものであった。
確かにお約束と言えばお約束な展開ではある。この後に、兵士の前で戦闘を行い、この世界に現存しない戦闘能力と技術を以て『オレ、なんかやっちゃいました?』という展開だ。もはや様式美でさえある。しかし、いくら様式美を愛するリラと言えど、無知蒙昧な現状で下手に目立つことの危険性を考えると、この選択はわざわざ天秤に掛けるまでもない。
かと言って、言葉を選ばずに断ってしまうと、それはそれで問題だ。言外に、『軍が梃子摺るような相手も敵ではない』と言ってしまうようなものであり、目撃させるか否かの違いでしかない。
それ故に、これ以上のフラグとなるような言質が飛び出す前に暇乞いをしたのだが…。
(空気読んでよ…ってのも無理な話か。あくまで善意の提案だろうし…。でも、お生憎様、私はこの人生では自分の趣味のために生きるって決めてるからね。そのフラグは全力で圧し折らせてもらうよ)
ネットもゲームも無い、世紀末一歩手前なこの世界での自らの趣味。すなわち女子力の研鑽。それには、軍隊に目を付けられるような話題性など不要であり、それどころか邪魔ですらある。
富にも名声にも、興味が湧かないわけではないが、そんなものは寄り道に過ぎない。そこに旅の帰着を見出すつもりは、毛頭無いのだ。
「お気遣い頂きましたところ、大変申し上げ難いのですが…私の連れ―――あちらに控えさせたベヒモスですが、実は、人間の武装の類を嫌っている気がありまして…」
(ルーク、ゴメン!あとでハチミツいっぱい掛けたパンケーキ作ってあげるから、今だけ籠城させて)
心の中だけ回れ右をして、再び頭を下げる。ベヒモスという種族が戦闘力としてどう認知されているかはわからないが、あれだけの図体だ。追いかけっこをした際に見せた膂力も踏まえて、最低限の自衛力としてのアピールには十分だろう。
「誠に遺憾では御座いますが、朋友の心の平穏のため、お気持ちだけ頂戴したく存じます」
優雅な気品が漂う、丁重でいてはっきりとした断りを受けて、ランセルの視線が未だに威嚇の姿勢を保っているルークへと向けられる。これだけ離れているにも拘らず、その獣の眼光は、目を合わせるや全身が音を立てて震えるかというほど鋭く感じられた。
「そ…そう、か…。うむ…確かに、あれだけ育ったベヒモスであれば、オーガであろうと遅れは取るまいな…」
そんなありふれた猛獣などとは比べ物にならない眼差しに射竦められては、兵士といえどこれ以上は食い下がれない。戦力云々以前に生物として、本能がアレには近付くべきではないと、恐怖という形で訴えている。
「…承知した。引き止めて済まなかったな、ご令嬢。だがせめて、道中の安全は祈らせてくれ。天女アザーズの加護があらんことを」
「ご理解頂き有難う御座います。こちらこそ、貴方に…そして世に平穏のあらんことを」
(私どっちかっていうとハヴォック神の信者なんだけどね…ってかなにその外なる神性みたいな名前の天女…)
最後まで独特な世界観の固有名詞を残しながら、ランセルは傍らの軍馬に飛び乗って馬首を返し、名乗ったときのように通りの良いテノールを張り上げた。
「脅威は無かった。各班、速やかに撤収し持ち場に戻れ!…では、縁があれば、また会おう」
「ええ。ご機嫌よう」
討伐兵と縁があるような生活など、本音では心底から遠慮したいところだが、表面上はあくまで社交的な笑顔を浮かべて、リラは隊列に戻っていく騎士を一礼と共に見送る。
やがて、数十の馬の蹄の音が遠くフェードアウトしたところで、やっと、その笑顔の仮面が取り外された。
「はぁぁぁ……まいったねー。思ってたより手強いよ。実際マッポーだよ」
そよ風に揺れる前髪を掻き上げながら、盛大な嘆息。それもそうだろう。
ルークやナイトから事前に話を聞いていたことで、ある程度の覚悟はしていたし、全く異なる文明の世界であることも考えて、心の準備もしていたつもりだった。
しかしながら、彼女が置かれている状況は、その上でも手強いと言わざるを得ない。
「さて、ミリオ村…か。休める村だといいなぁ。あーでもその前にオーガと野盗か…。オーガ…話が通じるといいけど、それすら出来ない敵だとして……ふふっ、ソロで太刀打ち出来るかなぁ」
クスリと笑って、踵を返す。
考えるべき問題が多い。前世では液晶越しに計算するだけで解決していた問題が、今やモニターを介さず目の前で直面している。それも計算どころか立式のための条件すら虫食いのように穴だらけときた。
(そして〝私〟がやりたいコトを、他でもない〝私〟が〝私〟のために考えてる)
「これが…〝私の人生〟。フフフ」
気疲れしたり、感動したり、驚愕したり、困惑したり。実に面白い人生である。コレが全て自分のものだというのだから、破顔せずにいられない。
風が顎下に運んだ後ろ髪を手櫛で払いながら、もう片方の手を振りルークを手招く。
「近くに村があるんだってー!ごはん食べたら、そこに行こー?」
考えるべき問題は、確かに多い。しかし、今は。
その問題を考えていることが、何よりうれしくて仕方がなかった。
次回、ようやく戦闘回、、、か?(←オイ
ともあれ、お着替えが入る予定。備えよう




