Journal.4 ~ちょっと不穏に思えてきた~
まずは更新が遅くなったことに謝罪を
本当に申し訳ない(;・∀・)
「なぁおい、聞いたか?『災厄の指先』が近くに来てるって話」
「ああ。帝国軍もそれなりの数で包囲に動いてるんだってな」
「あのお触れ書きか。この村も安全とは言えないかもな…」
「やめろよ。こんな辺境で、村を焼かれたらどこに行きゃ良いってんだ」
「第一位とはいかなくても、せめて第三位の冒険者が村にいてくれれば…」
「静かで暢気なだけが、この村の取り柄だったのになぁ…。それが、井戸端でこんな話をするなんて…」
「世も末だな…」
「全くだ」
のっしのっしと、4つの太い脚で力強く草を踏み締め、森の奥地より高木の少ない草原を巨大な黒熊、ルークが歩く。
その背中には、当たり前のように黒衣を羽織ったリラが座り、更にその膝の上にはベージュの毛玉、ナイトが丸まって暢気な寝息を立てている。
「何わろとんねん!」
のんびりと草原を進む1人と1頭と1匹。その1人の方が、唐突に涼やかな美声を張り上げた。
「どうした、何か視えたか?」
その声に、歩む足は止めず周辺を警戒しながら厳かな低音で問うルーク。背中に乗る魔術師は、今まで見知ってきた人間とは違う視点を持っている。何か、彼女でなければ気付かないような異変を感じ取ったのかもしれない。
「いや、草がいっぱいだから、なんとなくお約束かなって」
返ってきた答えは、おおよそルークには理解が及ばない内容だった。
歩きながら首を持ち上げて草原を見回してみるが、本当に草がいっぱい生えているだけで、特に変わった様子はない。長閑で平穏な、ただの草原だ。
やはり、この魔術師は他の人間とは違う。その不思議な感性に、何度目かの狐に抓まれたような気持ちでルークは緑の絨毯の上を歩く。
「草と言えばさー」
そんなPTメンバーの心象など気にせずカリカリとスティック菓子を齧っていたリラが、ふと思い出したようにその手を止めた。
「すっごい今更だけど、君たちって雑食?普通に私の料理とか食べて大丈夫?」
確かに今更である。キャラメルに焼き魚、他にも朝食として森の川でルークが捕まえた川魚をリラが自前の簡易器具と周辺から採取したハーブなどで調理したムニエル。どれも人間が食べるような嗜好食品を振る舞った後で訊くのもどうかと思いつつ、今後の食生活のためにリラは訊いてみた。
「毒でなければ食らう物を選びはせん。味の良し悪しに好みはあれど、他の下級の獣のように偏ってはおらん。そんなことでは森で生きては行けぬからな。キャスメルもまた、儂とは理由こそ違えど結論は同じだろう。人間と交わる機会に恵まれる分、食事もその文化に則したものとなるのが道理だ」
どうやら問題は無いらしい。朝食のムニエルを作った傍から平らげおかわりまでしたルークが言うのだからそうなのだろう。
「よかった。それじゃあ、これからも私の女子力が腐ることは無いわけだね」
細く切ったじゃがいもを固めに揚げたスティック菓子を食べながら上機嫌に言う。誰であれ、作った料理を食べてもらえる相手がいるというのは嬉しいことだ。自分だけのために作る料理ほど、面倒で味気無い物は無いのだから。
(2人ともすごい勢いでおかわりまでするしねー。お昼は何作ろっかな。朝に採ったパセリとシソ、あとはミント類が余ったから、サラダも良いかな。サラダに合いそうなメインディッシュとなると……)
「……ん?」
と、南中しかける太陽に手を翳して、ひとまずの目的地と定めた山脈の稜線を眺めながら昼食の献立を考えていたリラの双眸が、ある一点を凝視するように細められる。それまでは草と木の陰に隠れていたが、遥か遠くに望む山脈の手前に、閑閑たる草原には似付かわしくない、不自然な塊が蠢いているのが見えたのだ。
「ねぇ、ルーク」
「うむ。見えた」
短くPTの足へと呼びかける。呼びかけられたルークも短く答えた。
「あれって人だかり…だよね。気のせいかな、武装してるように私には見えるよ」
「ほう、目が良いな。儂には人間の群れが荷を引いているとしか見えなんだ」
「弾幕STGも好きだからね私。…ていうか、その荷は投石機に戦車だよ。…え、何?この辺りって戦時中なの?」
見るからに物々しい、攻城兵器に戦闘馬車を引く武装した人の1団。サーカス団の舞台設備にしては、些か剣呑に過ぎる様相だ。
当然ながらゲーム以外で戦争の経験など無いリラは、顔を引き攣らせながら年長の相棒に問う。せっかく人類を見付けたというのに、社会情勢や経済状況などを学ぶ前に戦争なんぞに巻き込まれてはたまらない。医者としても、1人の少女としても。
「知らぬ。儂は人間の世俗を気にしたことなど無いからな。…危険な荷なのか?」
質問には然もありなんと答え、逆に聞き慣れない言葉とリラの態度に神経を尖らせるルーク。幸い、この武装集団の進路はリラたちが来た森とは反対に近い方角へ向かっているため、ルークや森へ危害が及ぶ可能性は低そうだが、それでも心中は穏やかとはいかないらしい。
「危険も何も…あれじゃ、まるで軍隊だよ。…ナイト、起きて」
城か要塞でも攻めようかと言わんばかりの規模で行軍する遠方の兵馬から目は離さず、お菓子袋を魔石に収納したリラは膝の上の毛玉を揺さぶる。森に引き篭もっていたルークは知らずとも、最近まで人間と関わって生きていたナイトであれば、何か知っているかもしれない。戦争となれば否応にも入り用となる鉱物資源を扱っていたのなら尚更だ。
「んにゃ…、ニャア…木の実のジャムおいしーにゃ…」
両手で揺り起こされ、むにゃむにゃと寝起きの顔を洗いながら身体を起こすナイト。見ていて和む可愛らしい画だが、今はそれどころではない。
「ナイト、君の知る限りで、人間たちが何か大きな戦いの準備してたとかの心当たりってある?」
眉根を寄せて、起きたばかりの猫っ顔に問うソプラノは、いつものゆとりある穏やかなものではなく、張り詰めた糸のように平坦な冷ややかさを伴っている。
その声音に、寝ぼけ眼を擦っていたナイトも何かを察したようで、大きな瞼を見開いてブンブンと首を横に振った。
「にゃっ!?ボクたち、キレイな石コロや鉄のカタマリを交換しに、村には3日に一度は行ってたけど、そんな様子はなかったニャア」
「なら、戦いの準備とまでは言わなくても、それまでより鉄の発注が増えたとか、おかしな注文をされたとかは?」
頬に指を添えて続けたリラの問いにも、ナイトは首を横に振る。元来、キャスメルは争いを好まない種族であり、わずかでもその芽があれば敏感に察知するとルークから聞いていた。そのキャスメルであるナイトが、そんな気配は無かったと言うのなら、信じても良いのだろう。
(…投石機が1基、いや、組み立て前も含めて3基はあると見ていいかな。戦車が…あれは弩砲まで積んでるね…15はある。人の方は、旗印なんて知らないから無視。装備は……ってマジで私の目って良すぎない?いや、確かにゲームの頃はこのくらいの距離からの偵察とか当たり前だったけどさ)
数キロ先の少なく見積もっても千は下らない兵団を軽く分析し、それが出来てしまった自分の視力の良さに内心で驚く。もとより目の良さや反射神経などには自信がある方だったが、明らかに転生前より視力が良い。ルークと初めて遭遇したときからも感じてはいたが、キャラクターレベルがカンストしていることを差し引いても、この『リラ』の性能は明らかにオーバースペックだ。以前の自分に出来なかった事が、簡単に出来てしまう。
(目もそうだけど、ルークを足止めしてナイトを守った時の身のこなしも…つまり、引き継いだ〝経験〟は『リラ』の戦闘経験も含まれていて、それがこの身体に染み付いてる…ってところ?)
有り得ない話では、なさそうに思う。
何しろスキルや魔法に消耗品、フレーバーテキストまで完璧に引き継いでいるのだ。ゲームの中での経験を引き継げていても、おかしくはない。
だが、それはつまり―――
「リラ」
不意に、鼓膜を震わせたバリトンボイスによって、リラの意識は思考の彼方から草原の真ん中へと引き戻された。人差し指に触れる頬の筋肉が強張っていることに気付く。慌てて、戻ったばかりの意識を動員して頬と眉間を無理矢理に緩めて取り繕う。
「……ああ、sorry。うん、ついこの間まで人間と接触してたナイトに心当たりが無いんなら、きっと急な出兵なんだろうね。どこぞにLサイズのモンスでも―――」
「―――違う」
いつの間にか足を止め、美少女の思い詰めた思案顔を見上げていたルークが、草原を見渡すように首を巡らせた。
「…何を気に病んでいるかは、敢えて質さぬ。だが、次の食事の内容を考えているのであれば、儂にも口を挟ませろ」
一陣の風が吹き抜け、足元から爽やかな若草の香りを運び上げる。
その風の中に紛れ込ませるように、リラは小さく嘆息する。膝の上で「おさかな、おさかな」と燥ぎ出した、ナイトの頭を撫でながら。
「………。フフ、そうだねー。1番いっぱい食べるのルークだもんね」
言って、微笑むその表情は既に、邪気なくもどこか垢抜けた、いつものリラに戻っていた。
「哨戒班から報告します。遠方、不帰の森方面にて、こちらへ向かってくる怪しい人影を捉えております」
「何?不帰の森だと?ベヒモス……王熊の住処じゃないか。そんな場所から人が来るのか?」
「はい…。それも、見た目はただの少女ですが、王熊と同等と思われる体長のベヒモスの背に乗って移動していると」
「おまえは何を言っているんだ」
「も、申し訳ありません。しかし、私も単眼鏡で確認したところ、確かにベヒモスに騎乗する少女がこちらに向かってきていまして…」
「俄には信じ難いが…斥候を出せ。危険な距離に近付かれる前に、その身元を明らかにしろ。場合によっては、その場で討ち取れ」
「はっ!」
「…ドラゴンと並び立つ地上の覇者の背に乗るような者など、そうは居ない。奴であるのなら、ここで引導を渡してくれる」
「あ、こっちに気付いたみたい。向かってきてるのは軽装の騎兵…1個小隊くらい、ってことは斥候かな。…にしては何だか物々しい気もするけど…」
額の上で翳す手を日除けにしながら、兵士の集団を観察していたリラの目が、数十人から成る騎馬隊の接近を捉えた。せっかく人間を見付けたのだから最寄りの人里までの道を尋ねようと、渋るルークを説得して足を向けたところだったので、近付いて来てくれるなら丁度良い。……その後ろからは、弩砲搭載済みの戦闘馬車も付いて来ているが、まさか急に撃ってきたりはしないだろう。装填作業を行っているように見えるのは、きっと気のせいだ。少なくともリラはそう思うことにした。
「あの旗印は…帝国か。儂を討つと息巻く徒党がいつも掲げている印だ」
立ち止まり、リラの視線を追い頭を擡げて、その先からこちらに向かって駆けてくる騎馬隊の旗を視認したルークが忌々しげに牙を剥き出す。「帝国」と発言した辺りから、ただでさえ不機嫌で低い声が更に重みを増したことから察するに、どうやらかなり折り合いが悪い相手らしい。
「…ルーク。気持ちはわからないでもないけど、今は抑えて。私が住んでた国にはこんな言葉があるよ。『昨日の敵は今日の友』ってね。今までは話も通じなくて、自衛のためには多少の示威行為も必要だったかもしれないけど、私が間に立てる今はもう違うんだから。ね?」
これは下手をすれば一触即発となりかねない。だが、それは出来れば避けたいところで、可能なら平和的に情報を聞き取りたいリラは、ルークの逆立つ獣毛を、額から下げた手で落ち着かせるように撫で付けながら考える。
眼前から迫り来る兵士たちは、まず間違いなく戦闘に及ぶことを踏まえた斥候部隊だろう。のんびりと草原を歩く巨大な熊と、その背に乗って食事の献立を話し合う少女という絵面が、遠方からどう見えたのか、少なくとも、簡単な職務質問で済むという雰囲気ではなさそうだ。
「…ふん。では、話さえ通じれば戦わずに済むとでも言うつもりか」
重厚で鋭い棘を含んだバリトンが、剥き出された牙の隙間から漏れる。それは、リラに抱えられて話を聞いていたナイトが、思わず身を震わせてオロオロと狼狽えるほどに殺気立ったものだった。
そんな声を向けられながら、それでも。
「話が通じたから、私たちは戦わずに済んだんじゃなかった?」
鮮明で柔かい微笑を伴ったソプラノは、そんな棘など意にも介さず平静だった。年長の連れ合いを頼りに出来そうにない以上、自分がしっかりする以外に無い。初遭遇となる人類との意思疎通に関して不安を心の隅に抱えつつも、責任感の強い性分が彼女に平静を保たせていた。
「心配しないで。これでも留学経験あるし、仮に言葉が通じなくても気合と女子力で何とかするよ」
「じょしりょくってすごいにゃ~」
「すごいでしょー?」
「何とかなれば良いがな」
「まぁ、最悪あの人達にも妖精さんになってもらうよ。とりあえず私に任せて」
(…欲を言えば言語文化なんかも〝環境〟の括りだったら楽でいいんだけどねー。さすがに欲張り過ぎかな)
ちょうど真上に差し掛かった太陽の下、一糸乱れぬ陣形を維持して迫る騎馬隊を見据えるリラ。頼みの綱は、動物への意思伝達も可能にする美声。そして転生して以来、目立った恩恵を実感できていない特異点たる精神。声はともかく、不確定要素と言える未検証の精神を当てにするのは彼女本来の流儀ではないが、手段も情報も無いに等しい現状に於いては、その不確定故の未知数にどうしても期待せずにはいられない。
(何にせよ、こっちの話に聞く耳を持ってくれるか…かな。はてさて、女子校上がりのデスワ式交渉術が異世界の軍人にどこまで通用するか…)
やがて軍馬の蹄が土を叩く音が聞こえ始め、目測でおよそ50メートル強の距離まで来たところで、隊長と思しき先頭の騎兵の合図と共に止まる部隊を、リラは注意深く眺めやる。一目には発見当初の懸念であった接触と同時に攻撃の気配は無く、相手側もこちらの様子を伺っているようにも見える。部隊を割って、包囲を始めるような動きも無い。それどころか逆に、一見すると過密な程に密集し、まるで寡兵が大群に突撃でもしようかという雰囲気を感じる。騎馬隊の背後に控える戦闘馬車も同様であった。
(…数で上回ってるのに密集隊形?…こんな開けた平地で?)
この世界に於ける軍略の定石など知らないが、多勢が無勢を、それも年若い婦女子を前にして包囲しないまま数の利を捨てた密集陣形を組むというのは、リラの目には少々、不自然に映った。彼女が知る歴史上の軍略家にも、密集陣形を用いることで戦果を挙げた者もいるにはいるが、それは多くが格上の相手に対しての、地形や環境を利用した奇策であったり優れた戦略に基づくものだ。こんな草原のド真ん中で単騎と向き合うには適さないはずである。
(これは…つまりルークへの警戒がそれだけ強いってことなのかな…。にしても、だったら尚更、囲んできそうなものだけど…)
不審には思いつつ、あくまで思うだけに留め、表情は柔和な笑顔のポーカーフェイスを作る。いわゆる、他所行きの顔だ。高く挙げた両手を大きく振り、ひとまず敵意は無いことを主張してみる。
「中二病ならきっと文化を超えて愛される。フゥーーッハッハッハッハッハ!兵士さーん!私の言葉、通じてるー?」
出来るだけ悪い刺激とならないよう、よく通る高音を表情と共に努めて明るく投げかける。ルークにそうであったように、この美声による呼び掛けが闘諍を未然に防ぐカードであることを期待して。
(ルークは大分ピリピリしてるけど、まぁこの距離だし、私が気を引けば良いとして…。エリアは遮蔽物の無い平原で視界は良好。大丈夫。退路を断たれてもいない。大丈夫。落ち着け、私)
恐々とする内心を、アークウィザードの少女はモニター越しに戦場を席巻してきた記憶と経験で押し退ける。生来の理詰めな思考もそれを後押しした。
そんな彼女の明朗な愛想がどこまで通じたのか。先程部隊に停止を命じた1人の軽騎兵―――兜を被っていない精悍な顔はおよそ三十代半ばに見える騎士が、率いている隊から1馬身ほど進み出たところで、リラに劣らずよく通る鋭いテノールを張り上げた。
「レースガルド帝国軍第2等魔導騎兵隊主席、ランセル・ベリオットが相対す。ベヒモスに乗り不帰の森を抜け出てきた貴嬢は、さぞ腕に覚えがあるものと見受ける。あの森から生きて出られる冒険者となればゴールドは下るまい。不躾だが、名を聞かせてもらえるだろうか」
「………これが俗に言うパージでコクーンされた状態か。そう来たかー」
遮る物の無い草原で声高な名乗りと共に誰何され、リラは思わず吐き出しそうになった溜息を飲み込んだ。
言語も環境であれ、と祈ったのが功を奏したのかは定かではないが、言葉は確かに聞き取れた。少なくとも、名乗られた上でこちらの名を訊かれていることは理解出来た。その点では、最悪の事態は免れていると言っても良く、それがわかっただけでも喜ばしいことではある。…あるのだが。
(考えとくべきだったなぁ…異世界基準の固有名詞連発じゃあ、違う意味で会話になんない…)
他所行きの笑顔が僅かに引き攣る。広い草原のド真ん中、カンニングに使えそうな情報の媒体など皆無に等しく、旅の連れは2人共人語を習得して1日しか経っていない、自身の名すら持たなかった者たちだ。人類が用いる用語や固有名詞などを説明するに足る知識を持っているとは考え難い。
(前後の脈絡から察するしか無いかなぁ…。まさかリアルで真面目にフロム脳を回す日が来るなんて…。いや、どっちかと言うとノムリッシュ翻訳か)
転生して以降、何度目かの予想の斜め上を行く現実にはそろそろ頭も慣れてきた。ひとまず言語に適応出来たのなら、やりようはある。ここが女子力の見せ所だと思考を切り替え、ランセルと名乗った騎兵の言葉を反芻する。
2等魔導騎兵隊主席。肩書の意味はさておき、小隊規模を率いていることから、その立場はリラの知る尉官相当の指揮官だと考えていいだろう。ベヒモスと聞いて彼女の頭には某大作RPGシリーズの巨大モンスターが真っ先に思い浮かんだが、乗っていると言っていることから、おそらくルークを指している種族名と思われる。不帰の森というのも、他に森と言えそうな場所に関わった覚えも無いため、自分たちが出て来た森のことなのだと推測する。ゴールドという言葉からは通貨を連想しかけたが、何処の馬の骨とも知れない者に出会い頭で金の話をするのもおかしい。つまり冒険者とやらの格付けか、それに準ずる等級の呼称だと判断するのが順当だろうか。そしてその位置付けは、本職の兵士をして腕に覚えがあると言わせる程であるらしい。
(となると、行政は把握してなきゃいけない。…なるほど、一歩間違えば保護を求めるどころか未確認の脅威と認識されかねないわけだね、私たちは…)
特に何も無ければ、素直に通りすがりだと名乗ろうと思っていたリラであったが、ランセルの口ぶりから察するに、どうやら得策ではないように思う。まさかあの静かな森が冒険者を篩に掛けるほどの危険地帯だったとは思っていなかった。これは考え無しに非力な少女と名乗る方が却って面倒になりかねない。ルークでそれは経験済みなのもあり、何より目の前の兵力を相手に面倒は避けたい。
かと言って、下手に有力者を名乗ろうにも、照会でもされてしまえばすぐにバレる。そして相手は、兵を率いて国の名を明示し堂々と名乗れる権限を持っていることから、それが出来ると考えるべきである。
(そうなると、この場合の最善手は…旅の行商、いや、簡潔に旅人とでも名乗るのが無難かな。…身元不明なのは変わんないしパスポート見せろとか言われたら詰みそうだけど)
現状の身分を詐称せず、尚且つ危機回避に長けていておかしくない境遇となると、選択肢はそう多くはない。ルークやナイトを含め自分の身形を顧みても、これが最も自然に立ち回れるポジションではないだろうか。
限られた情報を元にほぼ一瞬で巡らせた思索の糸から釣り上げたその結論に、リラは懸けてみることにした。作り慣れた愛想笑いを崩さぬまま、口を開いて高らかなソプラノを奏で上げる。
「そんな大袈裟なものじゃなくて、ただの旅行者でーす。私はライラック、このコがルークでこっちがナイト。いま道に迷って困ってるところなんですけど、近くの街か村の方角だけでも教えて頂けませんかー?」
リラの両手で高く持ち上げられ、楽しそうにニャーニャーと鳴くナイトとともに、上体を左右に揺らして朗らかさを演出するのも忘れない。その下で不機嫌そうに唸っているルークに出来るだけ注意を向けないようにという意図もある。
果たして、その愛嬌がどう伝わったのか。リラの耳に聞こえはしなかったが、目にはランセルの背に居並ぶ兵士たちが何かに狼狽え、どよめき始める様子が映った。
「…にゃ?『ゆびさき』って、ボクたちかにゃあ?」
ふと、高い高いをされて子供のように燥いでいたナイトが、ピクリと三角耳を震わせた。
「にゃふ、あの人たち、旅してる『ゆびさき』探してるのかにゃ」
「何その一昔前のホラーみたいなワード。ていうかナイト、耳いいんだね。さすがネコ…いやキャスメル」
どうやら、猫のような見た目のナイトは聴力も猫並であったようだ。そのナイトが聞き取った『ゆびさき』という単語は、リラのフロム脳を以てしても翻訳できるものではなかったが。
「…ふん、何ぞの供物にでもするつもりか。わざわざ群れてまで探さずとも、指なら何奴にも生えていように」
相変わらず不機嫌さを隠そうともせずルークは鼻を鳴らす。当然ながら、彼も『ゆびさき』が何のことか知らないようだ。
「『ゆびさき』ねー。何かの隠語か、通称か…。まぁ、私たちには関係―――」
無さそうだね。と言いかけたその台詞は。
「―――seriously…?」
驚愕と困惑を足して割り損ねたような震える感嘆詞に取って代わられた。
騎兵たちが、馬上で構えたマスケット銃をリラたちに向け始めたのだ。
「…おっと。ルーク落ち着いて。まだ早いよ」
自らが座る巨獣の肩が強張るのを感じ、殊更に平坦な声で言いながら、リラ自身も作り笑いが歪になってきたのは否めない。多少の警戒はされても仕方ないと思っていたが、この状況は〝多少〟と考えて良いのだろうか?
「…リラ、知っておるか。あの細長い筒は、先端から礫を撃ち出す道具だ。それもかなりの疾さでな。儂のような毛皮を持たぬお前たちでは、この距離でも無事で済むとは限らんぞ」
今にも咆哮に変わりそうなほどに低い声で唸るルーク。銃がどういうものかを知っているのは説明の手間が無くて良いのだが、この場合は知らずにいてくれたほうが楽だったという気もする。
「にゃ…?にゃ…?ボクたち悪いコトしたニャ?コワイことされるにゃ…?石コロはもう持ってニャ…ニャムっ!?」
穏便とは言えなくなってきた状況を前に遠くない過去のトラウマを思い出したか、怯え震え出したナイトをリラは黒衣の中に抱き込む。その表情からは、既に笑顔は消えていた。
「恋しいな、現代日本の、事なかれ主義。トモゾーじゃないけど心の一句。あー…ルーク、とりあえず、いきなり襲い掛かるとかはナシにして。銃は確かに脅威だけど、こっちに疚しいことは何も無い以上、そうそう撃っては来ないはずだよ」
(何しろ、向こうは国の旗を掲げてるんだから、下手すりゃ責任問題に…いや、こんな近代以降の常識が通用するのかどうかもそろそろ疑ったほうが良いのかな…?)
ルークにはああ言ったが、かくいうリラも内心は穏やかとはいかなかった。兵士たちをよく見ると、構えている銃はカービンやドラグーン・マスケットのような馬上での取り回しを考えた小型化がされていない。つまり戦場に於ける最適化が為されていない。魔法という別の形での飛び道具の存在により、銃の発達が遅れているのは当然とも思えるが、そうなるとそもそも携行する意味は薄い。であれば、あのマスケット銃は魔法が使えない、それか使えても戦力としての計算に入らない兵士のための単なる物理攻撃武器か、或いは銃自体が魔法を撃ち出す外付けデバイスということになる。何れにせよ、騎兵が前線で使用することを想定して作られているとは言い難い。そのことから、彼らの文明水準は軍事面で見れば竜騎兵という兵科が普及しだす近世以前に相当するのだろう。社会的思想も同様だと仮定すると……むしろ君主の権威を笠に着た無実の有罪といった理不尽くらいは平気で有り得そうである。
(…FUC。せめてそのナントカって帝国が封建制かどうかさえわかればなぁ。世相的に市民革命の前か後かでだいぶ身の振り方も変わるってのに。そういうの調べる前にこうなるんだもん…この逆浦島太郎状態よ)
いっその事、よくある転生モノのように未知数の戦闘力に物を言わせてみようかなどと半ば現実逃避のような考えが頭に浮かぶ。物資は有り余っているし、ルークも居る。何より、キャラクターレベルがカンストしているデバッファーは伊達ではない。レイドボスや格上のプレイヤーを相手取りでもしない限り、たかだか小隊規模を蹴散らすくらいは、おそらく造作も無い事だ。少なくとも、ゲームの中でならそうだった。
そう。ゲームの中でなら。
脳裏を過った荒唐無稽な発想を、リラは勘案することも無く打ち払う。
ここは現実である。ゲームとは違い、プログラム化されたNPCなど存在しない。
例え、それまで顔も名前も知り得ない、自分にとって有象無象のその他大勢であっても。
例え、これから顔も名前も知り得ない、自分にとって無関係な赤の他人であっても。
〝自分以外の誰か〟の人生が、そこには必ず存在する。
ここは現実である。ゲームとは違い、自分だけに許された世界観など存在しない。
要するに、彼らも怪我をすれば痛いのだ。老若男女貧富を問わずに。
そんな彼らに、分別無く持てる力を振りかざすなど、法治の行き届いた先進国で育ったリラに言わせればそれこそ理不尽の権化だろう。
仮に、ここが彼女の知る中世から近世のように理不尽や不条理が横行する世界であったとしても、それはリラの信条の下では、自らの理不尽な行いを正当化する理由にはならなかった。
(ネタみたいなフレーバーがまるっと反映されるレギュレーションな以上、迂闊に派手な攻撃なんか出来ないしなぁ。ゲームの世界が現実だったらー、なんて空想したことが無いわけじゃないけど、いざこうなってみると考えものだね、まったく…)
「はぁ…。ごちゃごちゃ考えるのはキライじゃないけど、それは創作物に対してなんだよね―…」
言いながら、何を思ったのかリラは着ている黒いローブを脱ぐと、縮こまるナイトをその黒衣で手早く包み、薄手のホルターネックブラウスから華奢な背中を晒す姿のまま、ナイトを残してルークの背から飛び降りた。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるよ。2人はここで待っててね」
そして、何処へと問う間も無く、何食わぬ顔で自らに銃口を向ける戦列へ向かって歩き出す。
その歩き出すまでの動作があまりにも自然だったので、思わず呆気に取られたまま見送りかけたルークであったが。
「待て、リラ!血迷ったか」
慌てて、低い声を荒げて非武装な少女を呼び止める。彼の知る限り、銃とは人間が扱う兵器の内で最も凶悪と言って良い代物だ。そんな物が口を開いて待ち構えている中へ、魔術師とはいえ無防備とすら言える装いの彼女を黙って行かせるわけにはいかない。
「如何な方策を以て対話を試みるつもりか知らんが、身一つで臨まねばならんものではあるまい。儂を盾にしろ。この身とこの毛皮であれば、彼奴らの礫も魔法も通りはせん」
地鳴りのように喉を鳴らして提案するルークは、おそらくかつて森の中で銃を備えた人間と会敵したことがあるのだろう。その提案は、固まってはいるものの明らかな数と射程の優位を保持する相手に挑むなら、確かに有効な手段であることはリラにもわかった。しかし、荒々しいバリトンで呼び止められ、頬に人差し指を突きながら振り向いたリラの表情は少々、困り顔だった。
「いやまぁ、それも考えなかったわけじゃないんだけどねー。でもそうなると、私の女子力でも君の無言の圧力を隠し切れないというか…1手でも読み違えばその場で『よろしいならば戦争だ』になりかねないしさ。それに、これ以上近付いてナイトに怖い思いさせたくないじゃない?」
そんな飄々としたソプラノは、場違いなほどに平静で。困ったように眉根は寄せつつ、口元では緩やかに笑みさえ浮かべるその表情に、ルークはわずかな違和感を覚えた。それは昨夜の、出会ったばかりのリラに感じた、あの異質とも言うべき温度差と同じものだった。
「お前は―――」
「おっとそれ以上いけない。…女の子の腹の中を深読むのは嫌われちゃうよ?」
それでも何かを言いかけたルークの言葉を、リラは両手を突き出して制止する。どこまで真剣なのかわからない和やかな微笑みを向けられて、ルークは閉口するしか無かった。
「大丈夫、信じて。気休めかもしれないけど、ナイトもその服に包まってれば安全なはずだから。見た目は地味だけど最高グレードのレア服なんだよ、それ」
そう言い残し、くるりとスカートを翻して臨戦態勢の騎兵隊に向き直ったリラは、再び軽い足取りで歩を進めていく。
その様子を、せめていつでも駆け出せるよう姿勢を低く保つルークは釈然としないままに見送った。
(リラ、お前は…)
見送りながら、両手をよく見える位置に挙げて草原を歩いていく細身の背中と、小賢しく武装した兵士たちとを見比べるルークは、彼女の姿に妙な納得をしている自分に気が付いた。
まるで自分の身の安全など考えていないかのような言動と、そこから見え隠れする、向き合った相手への無条件での信頼。これこそが初めて対峙したときから感じていた、底知れない温度差の正体なのではないか。そう思い至ったことで、ルークがリラに対して抱いていた得体の知れない距離感が、腑に落ちたのだ。
強者特有の自信や余裕といった、揺るぎない裏付けの上に成り立つ風格とは明確に違う、誰もが一度は思い描きつつも、環境や立場との摩擦からいつからか擦り切って忘れてしまうような、儚い理想。
彼女が所々で漂わせていた、あの異質な雰囲気は、この忘れてしまった理想像だったのだ。
(お前は…本当にそれで良いのか)
しかし、ルークは知っていた。
この世界は、そういった理想に対して特に残酷だということを。
一度は思い描いた事があると言えたのは、彼が実際にそうだったからだ。
だからこそ、リラのそれを窺い知る事が出来た。だが。
だからこそ、想像してしまうのだ。その後を。
(それでも…或いは―――)
その上で、彼女は理想を纏い続けるのだろうか。
もし、そうだというのなら。
「小僧」
背中から伝わる小刻みな振動、その発生源へと首を傾け、視線はリラに固定したまま、低い唸り声だけを背後に向ける。
「構えろとは言わぬ。だが、振り落とされんよう腰は据えておけ」
「ニャア…た、たたかうのかにゃ…?でもボク、ブキ持ってないにゃあ…」
「戯け。獅噛み付くにも作法があろうと言ったのだ。儂らから事を構える義理は無いが、事が起こらぬ道理も無い」
それでも、彼女の理想が翳ることが無いのなら。
儚いと思っていた理想が儚くなく、強かな現実にも拮抗し得るというのなら。
(女子力…女子の力、か。やはり、儂は物を知らな過ぎるのだろうな)
魔力でもなく、武力でもない。そもそも聞く限りでは戦うための力であるかも疑わしい、未知の力。
その力が秘める未知の可能性なら、既知の理不尽を打ち払えると、信じてみても良いのだろうか。
「…ならば、潰されては困るな。この可能性の芽を」
呟いて、武装した兵隊に向かって、身振りを交えて何事か訴えかけている丸腰の少女という構図を眺める眼差しを、より鋭く尖らせる。
少なくとも、あちらの兵が戦う構えでいる以上、警戒してそれが過ぎるということは無いのだから。
何気に主人公が米帝プレイをしていた過去を持つという裏設定は公然の秘密
ちなみに学生時代の得意科目は化学と世界史でした