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Journal.3 ~我思う、故に我行く~

だいぶ日が空いてしまった、、、。


 鬱葱(うっそう)とした森の奥の、草木も眠る丑三つ時。少し開けた川の畔は、爽涼なせせらぎに包まれ、あえかな蛍の光が舞っていた。

 その光の粒がそよぐ中を、川に沿って1頭の巨獣が堂々と歩く。背中に、黒衣を羽織った美少女と気を失ったままの大きな猫を乗せながら、リラと嵐のような追い駆けっこを繰り広げていた時の獰猛さは鳴りをひそめたその足取りは、雄渾(ゆうこん)でありつつも泰然としていて、森の王の行進と呼ぶに相応しい。

『―――このまま川沿いに進めば、以前に住み着いていた破落戸(ならずもの)の群れが建てたと思われる小屋がある。古く粗末ではあったが、人間の手に成る建物だ。夜を明かすに不足は無かろう―――』

 薄暗い月明かりの中でも、透明度の高さがわかる清水の上流を鼻先で示し、自らの背に座っているリラに目的地を告げる。移動を提案したのは、傑出した魔法の手腕を持つとはいえ、見た目には線の細いひ弱な人間と小動物を、夜の森のど真ん中に放置するのは避けるべきと判断したからだ。目を覚まさない猫をリラが介抱したがった、というのもある。

「へぇー、小屋ねー。こんな奥まったところによくもまぁ…いや、ならず者ってことは奥まってるからこそなのか…」

 その背中の上から無造作に伸ばした手を揺らし、細く白い指に寄ってくる光で遊びながら、蛍火乱飛(けいからんぴ)する雅な空気を楽しむリラ。モニター越しでは、到るところで見飽きるほどに使い古された光景だが、こうして自分の身で、現実として体感すると新鮮で悪くない。

『―――ときに、リラ。そのキャスメルだが―――』

 のっしのっしと歩みながら、王熊は少し首を捻り、背中に座るリラと彼女が抱える小動物に横目を向ける。

「……キャ()メル?お腹でも空いたの?ちょっと待ってね…。はい、あーん」

 耳慣れない単語が聞こえ、聞き間違えたかと思い、語感が近い単語に補完する。キャラメルであれば、インベントリの中に文字通り売るほどの在庫が余っているので、分けることに否やは無い。余談だが、彼女は生産系スキルのうちで2つのみ取得出来る最高ランク『マイスター』の枠を『料理』と『錬金術』で取得しており、ゲーム中に溜め込んだ大量の消耗品が行き場無く積み上げられているのだ。そして転生前も料理は得意であったし、森で王熊に追い駆けられる前に摘んでいた自前のお菓子も、納得の出来と言える味だった。ペンデュラムを手に取るまでもなく視界に浮かび上がるインベントリから取り出し、大きな熊の横顔に差し向けるキャラメルも、当然そんな彼女の手作りであり自信作である。ちなみに『バベル・オブ・エタニティ』でのキャラメルのフレーバーテキストは集中力の増強。バフとしてはクリティカル率UPだった。

『―――…それは何だ。果実の類か?―――』

 突き出された、人間の基準で一口サイズの立方体。初めて見るその物体に戸惑いつつも、それから立ち上る甘い香りに刺激され、鼻をクンクンと鳴らす。どうやら食指は動いたようだ。

「まぁ、君の口には小さすぎる気もするけど、その分いっぱいあるから。……何しろ、今回の引き継ぎでオクに投げ売りして存在すらも忘れてた売れ残りの在庫なんかはもれなくインベントリに放り込まれてたからね。……キャラメルだけでスタックにして7本の3千5百個…この世界(ここ)に来てインベントリが倉庫と統合されてたみたいでよかったよ。四次元魔石(ポッケ)様様だよ…」

 全く以て様様である。セリフの途中から、虚ろな遠い目で明後日の方向を眺め始めたリラの腰にぶら下がっているペンデュラム―――ゲームではインベントリやマップ、各種画面を展開するキーアイテムで『魔石』と呼称されていた、このオーパーツが無ければ、今頃は想像を絶する大荷物になっていたことだろう。

『―――…何を言っているのかは解らぬが、食って良い物なのか?―――』

「むしろ食べて。魔石に入れてる間は腐ったりしないっぽいけど、それでも3千個は持て余すよ…」

 少しの逡巡を挟み、やがて王熊が口を開ける。その舌の上に、リラは茶色い塊を1つ…乗せた後に、すかさず何時の間に用意していたのか、もう片方の手で鷲掴んでいた大量のキャラメルを突っ込んだ。

 驚き、矢庭(やにわ)に口を閉ざす熊。その鋭い歯がガチンと打ち鳴らされる前に、素早く手を引き抜いたため、イタズラ好きな繊手は食い千切られこそしなかったが、代わりに歩く足を止めた熊が抗議の視線を彼女に向ける。

『―――リラよ…―――』

 普通の人間では、それだけで竦み上がりそうな獣の眼。しかし、それを受けてリラは竦むどころか、楽しそうにクスクスと笑っている。

「まぁほら、遠慮しないで。ビックリさせたのは謝るけど、でも美味しいでしょ?」

 そんな美少女の笑顔を前に王熊は憮然と閉口したが、その閉じた口の中で広がる甘味と食感は、未知であると同時に確かに美味でもあった。

「もし気に入ったら、いくらでもおかわりあるからねー」

 言いながら、キャラメルの詰まった革袋をザラザラと揺する。この革袋も、生産スキルの〝裁縫〟による産物であり悲しき売れ残りの1つだが、スキルが『マイスター』に到達していない分、お菓子や薬よりは数も少ない。…それでも嵩張ることには違いないが。

『―――大概にしろ。それより、そのキャスメルの事だ―――』

 リラの手元で乾いた音を立てるキャラメルは文句無く美味であり、気に入りもした王熊だが、しかし素直にそれを言うのは些か癪でもある。目的地への進路に向き直り、歩みを再開しながら、先程タイミングを逃した話を再び切り出す。

「あー、聞き間違いじゃなかったんだ。キャスメル……キャス…メ……坊やだからさ(キリッ」

『―――いや、そのキャスメルは坊やと呼ぶには育ち過ぎている。既に独り立ちはしていよう―――』

「赤いほうき星の人じゃなかったか…えっと、じゃあ……」

 頬に手を当て周囲に『キャスメル』なる言葉と符合しそうなものを探してみる。が、目にも耳にもそれらしいものは確認できない。

『―――まさかとは思うが、それも知らずに助けていたのか―――』

 キョロキョロするリラの様子を背中に感じ、やや意外そうに再度王熊は振り向く。

『―――お前が抱えている、その生き物だ。社交性を重んじ、人間の社会とも密に関わっていると聞いていたが…?―――』

 本当に知らないのか?とでも問いたげに熊の横顔がリラを見上げる。当たり前のことだが、王熊はリラが別の世界から転生してきたということを知らない。おそらく、この猫―――キャスメルと人類との関わりは、世俗から遠いであろう森の王が知っている程度には常識らしい。

(『ネコ』じゃなかったんだ…言われてみれば、骨格とか違うもんね)

「いやまぁ、自分で言うのもなんだけど、いろいろあって世間知らずでねー…」

『―――だろうな。でなければ、人里で討伐が布告されているという儂を恐れぬ筈も無い―――』

「…悪かったね。で、このキャスメルの仔がどうかしたの?」

 世間知らず、という言葉に返された、若干の呆れが混じった肯定に口をへの字に曲げつつ、リラは膝元で横たわっているキャスメルの頭を撫で付ける。意識を失ってから大分経つが、目を覚ます気配は、未だ無い。

『―――お前は魔法を使うのだろう?儂は魔法の知識に疎いが、儂を討たんと戦いを挑んできた冒険者たちが、気絶した仲間を魔法で気付けしているのを見たことがある。よもや、お前ほどの腕を持ちながらそれが出来ぬわけでもあるまい。何故そうせぬ?―――』

 それは、尤もな疑問であった。出来るか出来ないかでいえば、当然……。

「そりゃもちろん出来るけど…。でも、今は特に急いでるわけでもないしね。詳しいことは、落ち着いた場所でちゃんと診ないとわからないけど、身体の大きさから考えて、今は無理に起こす方が却って危ないかもしれないんだよ」

 ここまで様子を見た限り、脈の乱れも無く、心原性意識障害は考えにくい。直前まで蹲って震えていたのが持病によるものかどうかが気にはなったが、体温と心拍、発汗から考えて脳卒中の類も可能性は低いだろう。リラとて資格こそ取ることは叶わなかったが医者の端くれ。ただ、熊に跨ってお馬の稽古に興じていただけではなかったのだ。

「一概には言えないけど、気絶や卒倒ってのは主に脳の血流が原因で起こるものなの。今回のケースでは原因は状況から考えて血管迷走神経反応(VVR)。まぁわかりやすく言うと、ビックリして頭から血の気が引いたってとこだね。人間なら引っ叩いたり、揺すったり、それこそ魔法でなんてのもアリだけど、生憎と私も獣医学は専門外なんだよ。魔法で急に回復させた場合の予後に、脳や血管にどんな影響が出るのかわからないから、やるとしてもちゃんとした処置と診断が出来るような場所じゃないとね」

 すぐに生命に関わるような心原性失神や血管性失神であるならば、動物とはいえ彼女が気付くような症候が表れてもおかしくはない。もしそうであった場合は、やはり魔法でも何でも使って手を尽くすつもりでいた。しかし、現状は肉球を指でつつくとピクピクと反応を返す程度で目立った容態の変化も無い。外傷の手当くらいなら、人間に対する処置の応用でなんとかなるかもしれないが、さすがに内科方面となるといざという時の専門知識に欠ける。脱水や鬱血に気を付けて安静にしていれば回復するのがこの手の失神の特徴なのだから、わざわざ藪をつついて蛇を出すことなど無い。という判断だ。

『―――そうか。考えあってのことならば良い。魔法というのも、存外と万能でもないのだな―――』

 今まで見てきた、魔法をまるで神の御業か何かのようにひけらかす人間の魔導師たちを思い浮かべ、王たる熊はどんな感慨を抱いたのか、前を向いた黒い(まなこ)を緩く細めた。

 そんな老熟した黒熊が浮かべる表情の変化に気付いてか否か。リラは自分が知るものより星が多いと感じる夜空を見上げ、キャラメルを1つ、自らの口に放り込む。

「そりゃあそうだよ。魔法使いは、きっと万能なんかじゃない。古事記にもそう書いてあるし」

 舌に乗った甘い塊をコロコロと転がしながら、常よりいくらか低めのトーンで静かな美声を空に吐き出す。見知った星座が1つも無い、満点の星空に。

「だからこそ、究めていくんだよ、一つ一つを。万能じゃないから、むしろ出来ることなんて限られてるから、出来ないことより出来ることを、一つ一つ究めていって、重ねていって、増やしていって。『こんなの出来ない』って背を向けるんじゃなくて、その言葉の後に『でもこれなら出来る』って、少しでも前を向くために」




『―――様子はどうだ―――』

 簡素な丸太の柱と朽ちかけた壁に天板を載せて屋根としただけの、見るからに在り合わせの材木で建てたとわかる豆腐ハウスの中。天井から吊り下げたランタンの灯りに照らされる、やはり簡素な木組みのベッドの上。敷かれた黒いローブをクッション代わりに横たえた、ベージュの毛並みが美しいキャスメルの傍らに腰掛け、先程までステータスを視認化する魔法で患者を診察していたリラに、王熊はその容態を問うた。

「どう、も何も……」

 尋ねられ言葉を濁す、ホルターネックブラウス姿のリラ。それまでとは打って変わって歯切れの悪い態度に、患者に対して何の思い入れも無いはずの王熊も思わず身構えてしまう。

『―――(あつ)いのか?―――』

「ううん。そういうんじゃなくて……」

 悪い事態を想像した質問に対して、リラは首を横に振り……。

「魔法スゲー!マジパネェ!万能じゃん!?まさかレントゲンやエコーの造影まで出来るなんて思わなかったよ!しかもX線の投射も不要とか被曝(ひばく)不安思想ドコ行ったし!!」

 自分の両手の親指と人差し指の指先を、それぞれ突き合わせて作った長方形の窓を覗く。たったこれだけの動作と一言の呪文だけで、X線どころか機材さえをも必要としないレントゲン検査が行えるなど、転生前の世界ならノーベル賞ものの技術ではなかろうか。

『―――…問題は有ったのか、無かったのか?―――』

 惜しむらくは、この感動を分かち合える同好の士がここにいないことだった。この世界に於ける人類の文明社会がどの程度まで発展しているかは定かではないが、この小屋までの道中に王熊と会話を交わして得た情報から、少なくとも、森の猛獣への対処に自治体が布告を出し、不特定多数の民間人、それも各自で勝手に武装までさせて駆り出す程に法整備が進んでいない上、飛び道具と言えば専ら魔法やスリングに臼砲…。絵に描いたような剣と魔法の世界ということは明白である。期待は出来ない。

「…ごめん、取り乱したよ。診た限りでは健康体だね。典型的なVVRってとこ。治療らしい治療は必要無いね」

 言って立ち上がり、大きく背中の開いた白いブラウスを揺らして背伸びをする。夜の気温を少し肌寒く感じたが、我慢出来ないほどでもない。〝環境の影響を受けていない〟だけかもしれないが。

「…そう言えば、気になってたんだけど」

 勉強やゲームで徹夜慣れしてしまったためか、特に眠気も感じていないリラは、このまま患者の経過を観察して夜を明かすつもりで再びベッドサイドに腰掛ける。そして手元に置いたキャラメルが詰まった革袋を見つめ続けている森の王に向けて、そのお菓子袋と共に遭遇したときからの疑問を差し向けた。

「君って喋れるんだよね?なのに、今まで本当に人間と仲良くしたこととか無かったの?」

『―――何を言っている?人間の鳴き声など、儂が理解できる筈無かろう―――』

「……pardon(え、なんて)?」

 素直に受け取るのが恥ずかしいのか、荒っぽく革袋をひったくりながら答える甘党の熊だが、その行動以上に、返答の内容の方で、リラは何とも言えない表情になった。

「……じゃあ、何で私と会話できてるの…え?もしかして私の盛大な独り言?イマジナリーフレンド?」

『―――儂は思い、考えたことを念じて伝えているだけだ。旧い知己から教わったもので魔法の一種らしいが、詳しくは知らぬ。『王熊(ウース・レックス)』という呼び名もこのときに伝え聞いて知ったのだ。お前も似たような魔法の類で儂に話しているのだろう?―――』

「いや……私は至って普通に日本語を…日本語!?てか日本語って〝私の〟母国語じゃん!この世界で通じるの!?」

 ついに気付いてしまった。古今東西で故郷を離れる者が必ずぶつかる最大の壁に。

「いやいや待って、落ち着こう、私。2、3、5、7、11、13…」

 頭を抱えてリラは素数を数える。本当にそれで落ち着けるのか、などと言ってはいけない。それほどパニックになっているのだ。

(こーいう異世界モノって基本的に言葉は通じるよね。字が読めないとか文化が違うとかで主人公が戸惑うのはよくあるけど、人類相手に言葉が通じなくて困ってる描写なんて見たこと無いもん。せいぜい、オークとかゴブリンとか普通の人間以外の亜人種との意思疎通で齟齬が出てくるくらい。その点、理由はともかく私はこうして森のクマさんとも平気で会話できてるし、大丈夫。……大丈夫…だよ、ね?)

『―――魔法の事でお前に解らぬ事が儂に解る道理も無いが、魔法でないとするのなら、お前のニホンゴとやらが特殊なのではないか?―――』

 ブツブツと、とうとう2百を越えるまで素数を数え出したリラとは対照的に、モギュモギュとキャラメルを咀嚼しながら、冷静に分析する森のクマさん。よほどこの味が気に入ったのか、空になった革袋を名残惜しげに覗き込んでいる。

「241、2百5じゅ……え、日本語が…?」

『―――少なくとも、儂にはお前の声が、他の人間のものとは明確に違うものとして聞こえている。発音なのか話し方なのか、何がどう違うかと問われれば、儂も計り兼ねてはいるが…。言葉の意味を理解できているのも、それと無関係ではなかろう―――』

 革袋をリラに突き返しながらも手放そうとしない行動と態度で、言外におかわりを要求する熊が言う、他の人間とは違う()。人里に出ても言葉が通じないかもしれないという不安から、柳眉を八の字に曲げる彼女に心当たりは、無いでもなかった。

 〝聞こえれば誰もが聞き逃がせないような声〟。確かにそう望んだ覚えがある。しかし、ただ〝美声〟というだけで、言葉の壁を取り払うことなど出来るのだろうか。

「…一理はあるかも。でも確かめるには、やっぱり人を探すしか……」

 受け取った革袋に、インベントリからザラザラとキャラメルを移しているところで、何かを閃いたようにその手を止める。確かめる方法も、無いではないのではないか。

 最初は、手荷物を確認するために使用し、それ以降は何の疑いもなく異次元ポケットのように使っている魔石。だが、ゲームでこの魔石が展開していたのは、インベントリのみではない。

 再びパンパンにキャラメルを詰め込んだ革袋を、ずんぐりとした身体を丸めて待っている甘党の熊に手渡しながら、リラはもう片方の手で腰からぶら下がっている魔石を持ち上げる。もし、彼女の想像通りなら、このオーパーツで確認できるはずだ。あわよくば、最寄りの人里も。

(インベントリ開くのと要領は同じでいいのかな。頭の中でショトカを押すイメージで…)

 目当ての画面を思い浮かべながら、仮想のキーボードを脳内で叩く。すると……

「……出ちゃった」

 インベントリと同じように、虚空に浮かび上がるキャラクター情報画面。そこには名前、職業、Lv、各種装備…と、()()リラの情報が、見慣れたフォントで映し出された。


―――――――――

 名前:ライラック・ヴァーミリオン

 種族:魔神

 レベル:115 NEXT EXP:[――――――]

 クラス:スペルユーザー【偉大なる魔法使い(アークウィザード)

 装備

 右手武器:ひのきのぼう【クラフト片手杖・打撃】

 左手武器:なし

 翼:エンプレス・エースディバインフェザー・スペシャルカラー【染色加工済】

 頭:なし

 肩:ドラゴニュートの龍鱗套【簡易脱衣ON】

 トップス:貿易商の私服(上)

 ボトムス:貿易商の私服(下)

 靴:貿易商のブーツ

―――――――――


「…いつもの金策装備だわぁ。なつかしー……っと、言ってる場合じゃないか。でもこれで、通貨が何であれお金に困ることは無さそうかな。アラヤダ意外とイージーモード」

 感傷に浸りかけた意識を引き戻し、表示されているタブを捲って目的の情報、自分が習得済みのスキルを表示する項目のページを開く。


―――――――――

 大いなる秘術(アルス・マグナ)(魔神専用スキル):【スティグマをセットしてください】

 覚醒スティグマ:【適した装備を選択してください】

        :【適した装備を選択してください】

        :【適した装備を選択してください】

        :【適した装備を選択してください】

―――――――――


「…だと思ったよ!どうせ通常装備じゃグマもマグナも使えないだろうなって!まぁ、攻城魔法(スティグマ)なんて、そうそう使うことにはならないだろうけど」

 自身の最も強力な攻撃手段がすべて空欄なことはさておき、表示を更にスクロールする。その下に、ついに探していたものを見つけた。


―――――――――

 EXボーナス

 女神の美声(ヴォクス・デア):常世の全てに聞こえる声。人も動物もその声に耳を傾ける

 有り得ない(シングラリィ・)肉体(コーパス):現世の法則を無視した肉体。形ある特異点

 有り得ない(シングラリィ・)精神(スピリトゥス):人世の理から隔絶した精神。形なき特異点

―――――――――


「何、このスレが香ばしくなってきそうなフレーバーは……」

 記載されているテキストは、どれもラスボス染みた雰囲気を醸す香ばしい内容だった。読みがラテン語というのも、その香ばしさに拍車を掛けている。まるで昔のRPに合わせたようなイタい文面。はっきり言って余計なお世話である。

 しかし、テキスト自体はともかく、書かれていることを素直に解釈すると、改めて自分がとんでもない加護を受けて転生したのだと実感する。人も動物もその声に耳を傾ける。と記されているということは、やはり王熊との会話が成り立つのは、このEXボーナスのおかげなのだろう。〝精神〟については未検証だが、少なくとも、〝声〟による動物への言葉の伝達、隕石の衝突並みのクレーターを残すほどの衝撃に耐える〝肉体〟。…()()()、というかラスボスそのものではないか。

「まぁ、意図して攻撃された場合はさすがに環境として処理されないんだろうけど…そういう意味じゃ、紙装甲なのは変わらないのか。……戦術攻撃は無効で弱パンが怖いとか、普通は逆じゃないかなぁ…」

 目の前の、魔法戦に特化した自らのステータス数値を眺めながら呟くリラ。言語の問題は、ひとまずなんとかなりそうではあるが、これはこれで生きやすいかどうかで言えば一考の余地を残す問題だ。

『―――取り込んでいるところ悪いが、目を覚ますようだぞ―――』

 頬に指を突き、安堵したりげんなりしたりと百面相していたリラの横から、大きな体躯を曲げてベッドを覗き込んだ王熊が、患者の容態の変化を告げる。リラは1つ嘆息し、この問題については、もうなるようになるだろう。と頭の片隅に押しやった。

 身体を傾けて、背後のキャスメルを振り返り…その視界に飛び込んだ光景に絶句した。驚くべきことに、それはまるで人間の子供のように、上体を起こして座っていたのだ。背もたれも何もない、木の板を重ねただけのようなベッドに畳んで敷いてあるローブの上で。

「―――……ニャアぁ?」

 キョトンとした後、寝ぼけているのか、緩慢な動きで顔を洗う。この顔を洗うという動作だけが猫っぽく、それ以外はまるで人間のそれだった。

「……中に人でも入ってるの…?」

 思わず口を衝いて出たその声に、キャスメルの三角耳がピクリと動く。顔を洗う手を止め、つぶらな瞳で発言者の顔をじーっと見上げる。

「………」

 リラも黙ってじーっと見返す。

「…………」

「…………」

 沈黙し、1人と1匹が見つめ合う。

 その沈黙を破ったのは、リラだった。

「……かわいいからいーや。とりあえず抱っこさせてー♡」

 ベッドサイドから跳ね降り、床に屈んで愛らしい小動物に向けて、満面の笑みで両手を広げる。しかし……。

「……にゃ…ミャー…」

 キャスメルは慌てるように首を左右に巡らせ、やがてその身体が小さく震えだした。

『―――怯えているようだが―――』

「8割方は君のせいだと思うよ。人間で言うヤクザ顔なのかもね。少し離れといてもらえる?」

 満面の笑顔を崩さぬままサラッと毒を吐きつつ、釈然としなさげな熊が狭い室内で移動したのを確認して、広げていた両手をベージュの毛並みにそっと伸ばす。

 ビクリと跳ねる小動物。どうやら怯えていたのは黒い巨獣だけが理由ではなかったようだ。

「…その反応は割とショックだよ。これでも人畜無害な女子力の求道者を自負してるんだけど」

『―――笑わせるな。人畜無害な手弱女(たおやめ)が、儂を組み伏せ背に乗り(あまつさ)え暴言など吐くものか―――』

「意外と根に持つんだね…。女の子に嫌われるよ」

 ともかく、この怯え方は尋常ではない。同時に、不遇な扱いを受けた弱者というものをよく知るリラには、この怯え方に覚えがあった。そう、ただ怯えているというより……。

「……人間から、酷いことでもされた?」

 伸ばしていた両手を収め、屈んだままで穏やかに問いかけるリラの美声に、再び三角耳が反応を示した。

「そっか…」

 目を伏せながら呟いて、頬に指を添えて思案する。相手が人間の子供であれば、話を聞いてカウンセリングの真似事くらいは出来る程度に知識と経験はあるが、動物が相手となると、話は違う。

『―――おい、小僧―――』

 黙り込んだリラの横から、王熊が進み出てきた。王の貫禄を持つ巨体で以て、震えるキャスメルを見下ろす。

『―――お前にも事情はあろう。それを今は(ただ)すまい。だが、それが恩人への態―――』

「はいちょっと黙ってて―」

 王の風格は、急に立ち上がった自称・女子力の求道者が鷲掴みで口に突っ込んだ大量のキャラメルの甘い香りで上書きされた。

「まぁ、最適解ではないんだろうけど、今はこれしか無いかな」

 そのまま、熊の口から引いた手で腰のホルスターからタクト(ひのきのぼう)を抜く。話せないから手詰まりになるなら、話せるようにしてしまおう。

「『バベル』では妖精にしか使えなかった、ストーリー進行用の演出呪文だけど、君たちも私から見れば十分妖精みたいなものだしね」

 そしてその先端を、(おのの)きながら身を竦ませるキャスメルに向けて。

「【特定対象(妖精さん)相対位相同期(お話しましょ)空圧・包帯法(ドレッシング・エア)》】」

 傷付けることも苦しめることもない回復魔法に、()()()()()()()()魔法効果(呪文)を付け足して発動させた。

「ニャッ!?フニャァア~~!」

 一瞬だけ、身体に巻き付いた空気の包帯に驚いたためか、鳴き声まで震わせて小動物は跳び上がる。どうやら、猫に見える外見通りに俊敏性は高いようだ。王熊に使用したときのような拘束が目的ではないとはいえ、危うく掴み損ねてしまうところだった。

 【特定対象】に【相対位相同期】。ゲームだった頃は、『妖精』という特殊なNPCに向けて撃つ魔法の詠唱に組み込むことで、その妖精との会話進行用ダイアログを表示させるという、一部のクエストを進行させることで習得する呪文。リラが言ったように、戦闘ではもちろんだが、この一部のクエスト以外では全く使われることの無かった演出用の呪文だ。……そんな呪文にわざわざ職業スキルを用いてまで詠唱ワードを書き込んでいる辺り、当時リラがどれだけ筋金入りだったかも伺える。

「にゃう…み、見逃してほしいニャ…オカネはニャいけど、ドングリがいっぱい落ちてるとこ教えるにゃ…ミャア…たすけて……」

 果たして、リラの読みは的中し、彼女がタクトを収納する間にキャスメルはベッド隅で身体を丸めて蹲り、人間の言葉で命乞いをし始めた。

「ボ、ボクはもう、なにも持ってないにゃあ…なにも持ってきてないにゃぁ…置いてきたもの、全部あげるから、許してほしいニャ…」

(やっぱり、これはナニカサレタ案件かな。外見にもレントゲンにも外傷は認められなかったけど…つまり、()()()()のものを見てしまったか…)

 小さな身体を更に縮めてガタガタ震える、か弱い動物を前にしてリラの片眉が少しだけ釣り上がる。

 リラの「人間に」という単語に反応し、今も「お金」を引き合いに出しているということは、やはり『人間』というものに恐怖を抱いているが故の、この有様なのだろう。これは一筋縄ではいかなそうだ。

「……ねぇ、お腹とか空いてない?」

 再びベッドサイドに歩み寄り、ゆっくりと、よく見えるように両手を差し伸べる。今度は触るためではなく、インベントリから取り出した、その手の上の物、簡素な木の皿に乗せられて湯気を立ち昇らせる、美味しそうな焼き魚を見せるためだ。

「みゃ…?おなか、すいたにゃあ」

 怯えながらも、焼き魚には魅力を感じたのか、リラの顔と皿とを交互に見比べるキャスメル。

 好物だったのか、じきに、その視線は魚に釘付けになっていった。

「おさかにゃ…」

 落ち着いたとは言い難い様子ではあるが、恐怖から意識を逸らすことに成功し、皿を置いてリラは柔らかい微笑を浮かべる。ゲームでの要塞攻略戦に於いて大活躍するため大量に作り置きした結果、倉庫の肥やしとなった不良在庫がこんな形で活躍するとは思っていなかったという苦笑も含まれていそうだが、傍目からは、慈母のような笑顔に見えた。

「おかわりもいっぱいあるからねー。その代わり、後でゆっくりモフらせて?」




「【特定対象(妖精さん)相対位相同期(お話しましょ)空圧・包帯法(ドレッシング・エア)》】」

 わずかに動いた空気の流れが、黒々とした巨体の剛毛をふわりと揺らす。

「……ふむ。やはり、儂の毛皮でお前の魔法は防げぬか」

 人語を得た熊が、自らの身体を見渡しながら低く呻く。これが第一声な辺り、よほど毛皮の魔法耐性に自信があったと同時に、それが通用しないことが悔しいようだ。

空圧・包帯法(ドレッシング・エア)は回復魔法だからね。君の言う魔法って火の玉を飛ばしたり雷を撃ったりとかでしょ?そういう攻撃魔法とは判定が違うんだよ。少なくとも私が知ってる範囲で出せる結論はそんなとこ。……この声で詠唱してるから防げない、なんていうチート疑惑も微レ存だけど。まぁ、細けぇこたあ良いんだよ。私は考えることをやめるぞジョジョ」

 元来、あまり好ましくは思っていない『チート』という言葉が自分に当て嵌まってしまうことに、前世でのゲーマーとしては少し複雑な心境ではある。しかし、アクティブスキルならまだしも、3つともパッシブスキルのようなので、上手く付き合っていくしか無いのだろう。

 ここはもう、ゲームの世界ではない。複雑な乙女心はそう割り切ることにして、4尾目の焼き魚を頬張っているキャスメルに向き直るリラ。長く食事を摂っていなかったようで、最初の一口こそ警戒していたが、一度かぶり付いてからは、骨も残さぬ勢いで無心に魚を食んでいる。

「しかし、お前は一体、何処にそんなにも食い物を持っているのだ」

 キャラメルといい、焼き魚といい、ポンポンと出しては与えるリラを見て気になったのか、相変わらずキャラメルを貪りながら王熊が問う。気にはなっても、遠慮をするつもりは無いらしい。

「女子力の為せる業だよ。ほら、見ての通りインベントリの大半は食べ物と薬のデッドストックだからね…ははは…はぁ」

 開いたインベントリ画面を王熊が見えるように身体をずらし、乾いた笑いと憂いの色濃い溜息を吐く。その画面には、『色羽の六傑・朱羽根』とは別に『弁当屋』という異名も取っていた彼女が、自ら言う通り食べ物のアイコンで埋め尽くされていた。

「…何も見えぬ。そもそも、儂にはお前が虚空から物を取り出しているように見えている。それも魔法か?」

「…考えてみればプレイヤーのUIが他のヒトに視えるわけも無かったね。じゃあ、これも細かいことってことにしておこうか」

 画面を閉じて、改めてキャスメルの方を向く。ちょうど焼き魚を食べ終え、満腹になったか満足そうに顔を洗っている。

「さて、あまり調味料は使ってないけど、お腹はいっぱいになれた?」

 ベッドサイドに腰を下ろし、キレイに平らげられた皿を片付けて、未だ警戒はしながらも概ね落ち着きを取り戻した様子の小動物に努めて穏やかに話しかけた。声をかけられたキャスメルの方も、初めのときほどの怯えは見せず、つぶらな瞳でリラを見返し、後ろ足で直立して頭を下げた。

「みゃあ…ごちそうさまでしたにゃ。こんにゃに美味しいゴハンを食べたのは初めてだったにゃ」

「2本足で立てるんだ……。タル爆弾とかすごく似合いそう…」

 そんな、モンスターをハントしに行くときの相棒を思い出す振る舞いはさておき、リラはキャスメルが座布団にしていた龍鱗のローブを軽くはたいてから羽織り直す。寒さは苦にならないとはいえ、やはり露出に慣れていないせいか、脱いでいる間はどうも落ち着かなかったのだ。

「事情を聞く前に、自己紹介するね。私はライラック。リラって呼んで。こっちのコワモテのクマさんが…名前は無いんだったっけ。まぁ、見た目は怖いかもしれないけど、取って食べたりしないから、安心して」

 はい、と手を差し出し、会話のバトンを明け渡す。促されたキャスメルは、些か怖じ気付きながらも、ポツポツと話をし始めた。




 キャスメルが話した内容は、まとめるとおおよそリラの推測した通りだった。

 まず、キャスメルとは王熊が言っていた通り、社交的で高い知能を持つことから人間社会に溶け込み、場所によっては街で共存している種族であり、とても友好的な関係であることが多いらしい。

 今回、リラたちが保護したキャスメルもまた、街で暮らしてこそいなかったものの、人が住む村に程近い鉱山で同族たちと共に暮らし、そこで掘れる鉄や一部の貴金属といった鉱石をその村を通じて取引を行い、生計を立てていた。

 リラが知るイエネコより少し大きい程度でしかないキャスメルの身体は、労働力として優秀とは言えず、鉱山自体も小さな規模であったため、採掘作業の効率も悪く決して高い収入を得ていたわけではないが、それでも日々の生活の糧とするに十分な稼ぎにはなっていたという。

 豪華な門扉も、美麗な壁も、贅沢な食卓も無かったが、キャスメルの一族は慎ましくも逞しく、幸せな生活を送っていた。

 だが、そこへある日、武装した人間が何の前触れもなく襲撃してきた。

 非力な非戦闘種族であるキャスメルが、その武装集団に抵抗し得る術など持ち合わせている筈もなく、鉱山はあっと言う間に制圧されてしまった。

 ……問題は、ここからであった。

 襲撃者たちは、鉱山を制圧するにあたって、逃げ惑うキャスメルたちを例外無く虐殺し始めたのだ。

 その中には、鉱山制圧時のことを泣きながらリラたちに話す、このキャスメルの家族も含まれていた。

 抵抗も、反抗もしていない、する暇も無い、一方的な蹂躙。戦う術が無いことを自覚し、素直に鉱山を明け渡したにも拘らず。だ。

 そんな中から、命辛辛(いのちからがら)でもたった1匹で逃げ出せたのは、両親が庇ってくれたからだという。

 だが、その代償が一族全員を目の前で皆殺しにされた挙げ句の孤独。力無い弱者であるが故の、泣き寝入り。

 どちらが良い、という問題でもないのだろうが、事の顛末を語り終えたキャスメルは、逃げた先でリラに食べ物をもらえたのだから、逃してくれた家族には感謝している。と話を締め括った。




「まるで山賊じゃないの。この世界の法規制どーなってんの」

 キャスメルの話を聞き終えたリラは、まずは耳と同時に社会秩序を疑った。

「珍しい事でもあるまい。儂が当初お前を敵と判断したのも、これが『人間』だからだ」

「どんだけ世紀末なのよ。……これでモヒカン肩当てがファッションのトレンドとか言ったら私グレるよ」

 げんなりとした面持ちで、リラはキャラメルを1つ口に含み、四角く膨らむ頬に人差し指を添える。資源開拓を目的として、その筋の人間がキャスメルの(ねぐら)である鉱山に入る。それだけなら何もおかしい事は無いし、むしろ、キャスメル側としても、より良い鉱山経営には人の手が不可欠だろう。すでにただの『獣』ではなく、共存できる1つの種族として社会性も確立されているのなら、逆に遅いくらいだとも思う。故に、社会性を認められているのなら、それが何であれ奪うという行為は罪として糾されるべきであり、簒奪という手段に意味は無いはずだ。

(それとも、そう思っているのはあくまで()()()側だけで、人類にとってはそうでもないのかな。だとしたら、資源施設に住み着いた害獣を追い払う程度の認識だったってことになるけど…)

 だとしても、皆殺しはやり過ぎだろう。それも、無抵抗な相手に。

(考え過ぎ、かな。それならそれで良いんだけど。でも、なーんかキナ臭いんだよねぇ)

「…まぁ、なんであれ、これから行く宛とかは無いわけだね。さて、ものは相談なんだけどさ」

 頭に浮かんだ不穏な推測。それは口にも顔にも表さず、リラは敢えて結論を出さないままキャスメルに話しかける。

「実は私も行く宛が無くってねー。衣食は在っても住が無いの。どう?一緒に女子力を究める旅に出てみない?」

 結論を出すには、あまりにもこの世界を()らな過ぎる。人間の1人にすらまだ会ってもいないというのに、現時点で人類社会を悲観的に捉えるのは早計だろう。

 そして、そんな彼女にとって、人外とはいえ案内役の存在は非常に貴重だ。何より、このモフモフしたベージュの毛皮とこれでサヨナラというのも寂しすぎよう。

「にゃ…?じょしりょく…って、美味しいのかにゃ?」

「女子力に味は無いけど、美味しいものがいっぱい作れるようになるよ」

「さっきのお魚もかにゃ?」

「私の女子力をもってすれば、あれをもっと美味しく出来るね」

「にゃああ…」

 お魚をもっと美味しく出来る。そう聞いてつぶらな瞳を輝かせるキャスメル。リラは決して嘘は吐いていないが、この小動物は、『女子力』なるものが何なのか、きっとわかっていない。

 そして、わからないまま答えた。

「ニャア!旅にでるにゃ。ボクもじょしりょくになるにゃ!」

 それまでの悲壮感など忘れたように、短い手足を振って跳ねる。細長い尻尾も左右に揺れ動き、心の底から嬉しいようだ。

「待て」

 だが、そんなキャスメルとは裏腹に、横合いから静かな物言いが付けられた。落ち着いたバリトンボイスを響かせて、冷静に状況を見極めた上で言葉を繋ぐ。

「行く宛の無い者が()()、ここに集ったことになるが、群れることは構わぬとしても、旅をするとなれば、考え無しにとはいくまい。当面だけでも、何か指針は必要だ」

 巨体に似合わぬ正論を唱え、ついでにと空のキャラメル袋におかわりを所望する森の王。その指摘は、もちろんリラも織り込み済みであったが、気にしたのは別のところだった。

「3者…って、君もついてくるの?十中八九、森の外に出ることになるよ?」

 もともと、1人で人里を探すつもりでいた。それが旅の道連れが1人や2人増えたところで一向に構う事は無い。むしろ話し相手がいるに越したことは無い。しかし、王熊は森の守護者であることに誇りを持っているはずだ。誘おうかとは考えなかったわけではないが、王熊の方から言い出してくるとは予想していなかった。

「だからこそだ。儂も、この森で生きて長い。しかし、森の外では、赤子とさして変わらぬ狭き生よ。真に森を護らんとするのなら、儂にも、広げねばならぬものがある」

 お前のように広き目を―――。それは言葉にはせず、心の中で誓うに留める。声に出してしまうと、途端に安っぽく聞こえてしまうような気がしたのだ。

 王熊の決意を込めた瞳を正面から見つめ返し、リラはクスリと表情を崩す。

 黒々としたフサフサの毛皮と、ベージュのモフモフした毛皮。それぞれに手を伸ばし、微笑んだ。

「やったぜ!ケモナー歓喜のPT結成!」

「ケッセイにゃ!」

「パーティか。まるで人間の冒険者だな」

 コミカルなネコとシニカルなクマを両脇に、良い旅になりそうだと天涯孤独の魔神の少女は破顔する。未だかつて、こんなに面白そうなPTが、あっただろうか。

「ねぇ、それなら2人にちゃんと名前を決めようよ。範囲が広い種族のとか長ったらしい渾名とかじゃなくて」

「ナマエ…にゃ?」

「儂には既に……」

「長いから却下。『うーちゃん』とかにしときなよ。呼びやすいしカワイイよ」

「断固拒否する」

 あーでもないこーでもないと、それからしばらく名前についての議論が白熱した。

 ようやく話がまとまるころには、既に夜は明け、眩しい朝日が窓から差込み始める時間になっていた。

「リラよ。それで、どうするつもりだ」

 朝日が目に眩しいのか、一層際立つ黒い顔を窓から逸らしつつ、ベッドに座ってキャスメルの肉球をつついて遊んでいるPTリーダーに問う。

「どうするって?」

「決まっている。言っただろう、何か指針は必要だと。儂には、既にお前が何処かに目星を付けているように見えるぞ」

 肉球に触れる指は止めず、意外そうに王熊に振り向くリラ。すぐにふわりと微笑を浮かべ、朝日に似合う澄んだ美声で答える。

「そんなことは無いよー。でも、そうだね。強いて言うなら……」

「ニャハっ、ニャハっ、くすぐったいにゃ~」

「……鉱山って、一度行ってみたかったんだよねー。それに民間武装勢力なんてのも、ミリオタの端くれとして興味はあるし」

 結論を先送りにした、この世界での人類の有り様。こうして転生した以上、これからはこの世界で彼女も生きていかなくてはならない。そのためには、この目ではっきりと確認しておく必要があった。

 生きやすい社会なのか、否か。生きやすいならそれで良し。生きにくいなら、それをどう生きやすくしていくか。

「…ふん。だが、どうやって辿り着く?其奴も逃げ延びることに必死なあまり、道など覚えておらんと言っておったぞ」

 あくまで無邪気な少女を演じる姿に、小さく鼻を鳴らしつつ、具体案について言及する。まだ一晩の付き合いでしかないが、この少女は、当然のようにそれを用意していると確信していた。そして、おそらくはお茶を濁すだろうとも。

「うーん、まぁ」

 果たして、老練な熊の予想は半分は当たっていた。だがもう半分は外れていた。

「たぶん、これで何とかなるよ」

 言って彼女が片手に持ち上げてみせたのは、魔石のペンデュラム。インベントリ、キャラクター情報といったUIを、リラのみにだが表示させるオーパーツ。

「ここまで使ってきて、インベントリの枠といい、キャラ情報の正確さといい、ほとんど想像以上と言っていい性能だしね。思ってたのといろいろ違うこの世界(場所)で、これに関してだけはまさに至れり尽くせり……だからきっと、マップも」

 キャスメルを離し、ベッドから降りて、魔石を掲げる。インベントリやキャラクター情報と、それまでと同じ要領で、マップを呼び出す脳内のキーボードを叩く。そして、浮かび上がった。

「…………」

 何もない、一枚の羊皮紙……いや、画面の中央、自らを示す三角形のアイコンと、それを囲む、自分たちがいる小屋を示す四角形の枠、それに繋がって伸びる、この小屋に来るまでに歩いた川沿いの道のりをトレースしたような、不規則な、しかし精緻な地形データを反映した、長い管が。

「…………」

 リラは、何も言わず顳顬(こめかみ)を押さえた。

「…どうした?」

 リラの長い沈黙に、王熊が不審そうに首を傾げる。

「……FUC(くそが)!至れり尽くせりかと思ったけどそんなことはなかったよ!」

 頭を抱えて膝を着き、明朗なソプラノボイスで伏せ字ギリギリの罵声を叫ぶ美少女。

「まさかの!まさかのマッピングから始める異世界生活!FT(ファスト・トラベル)はさすがに無いだろうなとは思ったけど、マップもかよぉぉぉオオオ!」

「にゃにゃ!?どうしたニャ?どっかイタいにゃ?」

「……小僧、此奴と旅をする気なら今から慣れておけ。呪文ではないようだが、時折不可解な言葉を唱えながら一喜一憂する」

 ペンデュラムを握りしめた拳でリラはガンガンと床を殴りつける。前途多難。そんな四字熟語が頭に浮かぶ。PT結成の瞬間の、あの素敵な旅の予感は何処へ行ってしまったのだろう。


「……フッ、いーよ、やってやろーじゃないの。こうなったらワールドワイドに伊能忠敬やってやる!」


 この世界に来て、およそ一日。いろいろあって、そのどれもが、思っていたのといろいろ違った。

 この期に及んで、ついにリラも吹っ切れた。両の拳を高く突き上げ、勢いよく立ち上がる。

「これを私たちの旅の目的にしてやる!世界一周、いや世界制覇!全世界のマッピング!マゼラン?ドレイク船長?知らんな!何番煎じだろうとやるったらやるよ!世界よ!これが女子力だ!!」

 朝日に照らされる、粗末な豆腐ハウスの中で高らかに宣誓し、突き上げていた拳を降ろして深呼吸する。

「すぅー…はぁー……よしっ」

 未だ不透明なままの未来。それを見据えて、しかしながら、リラの瞳は透き通っていた。

 そんな彼女を前に、出立を予期した2頭の獣―――世界に向けて共に歩むPTメンバーも、晴れやかに立ち上がる。たとえどんなに多難でも、その前途は洋々であると、根拠は無くとも、そう信じさせてくれるものをリラの瞳に感じていた。

「ルーク」

「うむ」

「ナイト」

「ミャア!」

 リーダーの点呼に返された、鷹揚な頷きと軽快な一鳴き。

「まずは1番近い村か街を当たってみよう。さぁ、行こう!」

 赤いフレアスカートを翻し、森の守護者と地獄からの生還者を両脇に並べて。

 魔神の少女の、世界を制覇する旅が始まった。


ブクマが8人もいるー!(∩´∀`)∩ワーイ

感謝ヽ(´∀`*)ノ感激ヽ(;´Д`)ノ雨ヽ(@´з`@)ノ 嵐♪

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