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Journal.2 ~痛いのは嫌だと思うから~

ブクマあ(・∀・)り(・∀・)が(・∀・)と(・∀・)う!ございますん♪


、、、予定と変わってしまったけど冒頭のモノローグは『喋ってない方』のやつですはい


 弱肉強食。

 それが世の理なのだと教わり育てられてきた。

 だからだろうか。

 父も母も兄も弟も妹も。

 いつも怯えて暮らしていた。

 かく言う自分も。

 怯えて、震えて、(かしず)いて。

 弱肉強食。弱者は強者に食べられる。

 それが世の理なのだと教わってきたから。

 それならば…。


 食べられもせず殺されるのも、同じく世の理なのだろうか―――。




「ある~…日ぃ♪森の、ぉ~中~♪」

 雲ひとつ無く、眩しい程に大きな月の明かりが照らす森を、爽やかな夜風に乗ってよく通るソプラノが吹き抜けていく。

「クマ…さ~ん、にィ~……♪」

 しかし、常ならもっと明朗であるはずのその歌声は、何処か掠れているように聞こえる。

 というのも……。

「追っかけらァれぇッッてるぅうァァァアア!!!」

「グゥワォオオオオオオオ!!!」

 その歌い手であるリラが、巨大な猛獣から全力疾走で遁走している最中だからである。

「なんでェェ!?なんでこのクマこんなでっかいのぉぉ!?ってかなんで追っかけてくるのぉぉ!!」

「ガオオオオオオ!!!」

 これまで、リラの知識の中では世界最大級の熊といえば、グリズリーとして知られるハイイログマと、日本列島内で最大最強の哺乳類と言われるヒグマが双璧という認識だった。

 しかし今、狭く険しい悪路をトップアスリートさえ凌駕する速さで駆け抜ける彼女を、咆哮を上げながら追走する黒々とした毛並みの獣は、目算でそれら最大級の熊の4倍はあろうかという巨大さである。

「ショートフェイスベアとかどんだけ昔に絶滅したと思ってんの!?自重しようよ!!」

「ゴァアアアア!!!」

「もうヤダぁああ!こんなの異世界確定じゃないのよおおー!私の女子力に溢れたオサレな人生設計がぁあ~~!!」

 嘆きながらも、走る速度は落とさず疾走する。不幸中の幸いか、『バベル・オブ・エタニティ』でのステータスを引き継いでいるリラには〝移動速度+270%〟という永久バフが乗っている。ここに更に速度上昇の魔法を重ね掛けしているため、逃げるだけなら追い付かれることは無い。

 木々の間を縫い、地形を跳び越え、土を踏み散らして、リラは(はし)る。その後ろを。

 木々を薙ぎ倒し、地形を押し割り、土を砕き散らして、クマが追う。

 両者ともに疲れた様子を見せず、このまま一晩中追いかけ回されるのかと、華奢な魔術師の少女が額に嫌な汗を流し、進行方向に横たわっていた古い丸太を跳び越えた時。

「―――あっ!?」

「―――フニャッ!?」

 丸太を越えた先、ちょうどリラの着地地点となるであろう位置で蹲っていた、()()()()と目が合った。

(―――まずい!間に合ってッ!)

 咄嗟に身体を捻り、無理矢理に重心をずらしながら、腰のホルスターからタクトを引き抜く。

 その動作の流れを断たず空中で後ろを振り返り、抜いた勢いで狙いも定めぬまま魔法の指揮棒を思い切り振り上げた。

「《漂白された視界(ブリーチド・サイト)》!」

「グゥア!?ガアアッ!」

 その巨体が仇となってか、迷い無くリラに追い縋っていた巨獣は、彼女が当てずっぽうで放った、視覚を奪う魔法を受けてその追跡を止めた。

「あいったっ…!」

 咄嗟の迎撃だった上、無理に身体を捻ったこともあり、受け身を取ることもままならず、毛玉の横わずか数センチの地面に背中から叩き付けられる美少女魔術師。だが。

「さすが環境無効、なんともないぜ!」

 痛がったのは衝撃を受けたその一瞬だけですぐに立ち上がる。

 ダメージは受けず、痛覚や触覚への刺激は感じる。不思議なその感覚に何とも言えない表情を浮かべながら、リラは横で震えている毛玉を見る。

 薄暗い夜の森の中ということもあり、丸く蹲っているそれが何の生物なのか彼女の目には判然としなかったが、自分たちが置かれているこの状況で、捕食する側かされる側かで言えば、間違いなく後者の小動物だろうということは想像に難くはない。

「……ニャア……ミャァア……」

 ―――ほんの一瞬だけ、この生物を囮にして逃げるという案が頭を()ぎる。

 しかし、それはそれで寝覚めが悪い。何より、この毛玉では容易く踏み潰されて終わりだろう。

(まいったなー。震えてるだけで逃げ出す様子も無いし…)

 視認不可というデバフを与える魔法《漂白された視界(ブリーチド・サイト)》。これはあくまで、一定時間だけ相手の視覚を妨害するというだけのものであるため、対峙する猛獣を根本的に排撃出来るものではない。つまりただの時間稼ぎであり、この隙に逃げる算段を整えられなければ意味が無い。

 事実、逃走劇が始まってすぐの時、この魔法によって視覚を奪われた獣は、匂いと音を頼りにリラを見失うこと無く認識し、デバフが切れるまで追跡し続けたのだ。

(食べ物とか投げ付けても目もくれず追っかけてくるし…。どーしたものかな)

 空腹によって気が立っているのなら、彼女のインベントリに積み上げられている数多くの食糧アイテムで気を逸らすことも出来たのだろうが、どうやらそうでもないらしい。

 まもなく視覚妨害も切れる。やはり、この毛玉を投げ付けるべきか…。

(…論外。それこそ、鬼畜(ケモノ)のすることだよ)

 弱肉強食という、自然界に於ける食物連鎖の掟。前世で医学を志し、その過程で多くの生命と向き合ってきたリラにとって、その掟は逃れ得ぬ真理であると同時に、譲れ得ぬ信念でもあった。

 だからこそ、足元で震える『弱肉』は、無為な『肉塊』であってはならない。

(囮にするにせよ、しないにせよ、私が何もしなくちゃ、この仔は巻き込まれ損…だよね)

 喰われるわけでもなく、ただ理不尽に殺される。(けもの)以下の鬼畜(ケモノ)の所業だ。

()()()()()()()()とはいえ…さて、やれるかな」

 覚悟を決めたアークウィザードの眼差しが、鋭く研がれる。

「グァァアアアア!!」

 時を同じくして、付かず離れずの距離で様子を伺っていた野獣が咆哮と共に立ち上がる。視覚が戻り、リラの応戦の構えを見て取ったのか、すぐに襲いかかるのではなく、武道家のように隙の無い仁王立ちで彼女を見下ろす。

「限界まで手加減はするけど、痛かったらゴメンね」

 言い終わらないうちに、右手に構えたタクトを手首のスナップで振り上げる。

「グオオオオオオオオ!!!」

 それを開戦の合図と受け取ったか、その巨体では考えられない疾さで詰め寄る猛獣。大人の胴体程はある太さの豪腕を高く振り上げ―――


「《空圧・包帯法(ドレッシング・エア)》」


 ―――振り上げた巨腕が振り下ろされることは無く、まるで何かに縛り付けられたかのように、ピタリと虚空で静止した。

「ゥウ!?グルル!グァルル!!」

「なるほど…。やっぱり、異世界ではあってもゲームじゃなくて現実なんだね。『バベル』では応急処置にしか使えなかった回復魔法を攻撃に応用出来るなんて」

 応急処置の魔法《空圧・包帯法(ドレッシング・エア)》。『バベル・オブ・エタニティ』に於いて、〝裂傷〟や〝火傷〟といった継続ダメージを与える状態異常を治療するために、リラが職業スキルを用いて作成した魔法の1つ。()()()()()()()()()()()ことでの〝治療〟を目的としているため、分類上は回復魔法だ。

「…ってことは冗談で書いてたフレーバーテキストも、まんま反映されるわけか。漂白された視界(ブリーチド・サイト)で本当に目が見えなくなってたみたいだから、まさかとは思ったけど…。よかったー、下手に詠唱したり攻撃魔法とかぶっ放したりしなくて」

タクトをホルスターに収め、不可視の包帯に全身を絡め取られた狂獣に歩み寄るリラ。包帯は不可視であると同時に、空気の圧力による束縛であるため、力任せに暴れるだけでは抜け出すことは叶わないのだ。

「さ、あと1手でチェックメイトだよ。出来れば性能を把握しきれてない攻撃はしたくないし、諦めて退散(リザイン)してくれないかな?」

 未知の世界での、未知の獣。その巨大な身体に据えられた巨大な頭部に、相応の脳―――即ち、言語と状況の理解に足る知性を備えていることを期待して、穏やかな美声で語り掛ける。言葉は通じずとも、せめて、敵意は無いことが伝わってくれればいい。

 果たして、その申し入れは通じたのか。見えない拘束に藻掻いていた熊は、じっと見上げてくる小柄な少女を前に、徐々に大人しくなっていった。

 その様子を見て満足げに一息吐いたリラが、包帯を解こうと黒い巨躯に手を伸ばした時。

『―――強き者よ―――』

 何処からともなく聞こえた、体幹まで響くかと思うほど重厚なバリトンボイスに彼女の頭が揺さぶられた。

「ぅおぅっ!?」

 伸ばした手を思わず引っ込め、キョロキョロと周りを見渡すが、声の主と思しき人影は見当たらない。

『―――強き者よ、何故だ。何故、戦わぬ―――』

 よく聞くと、その声は〝音〟というより〝念〟。転生前に、目も耳も無いまま意識で直に感じていた、あの声無き言葉に近いような気がした。

「えっと…まさか」

 当惑に目を見開き、中空に(はりつけ)た獣を再び見上げる。

 低く唸りながら見下ろす獣は、物理的な重さを錯覚するほどの圧を込めた視線を、変わらず彼女に向けていた。

『―――答えよ―――』

 おそらく、目の前の獣がこの声の発信者。そう思い至ったリラは…。

「キェェェェァァァアアシャァベッタァァァァアア!!!」

 驚きのあまりか、鈴の鳴るようなソプラノボイスを更に裏返して、某ハッキョーセットのように叫びながら飛び退いた。異世界モノのお約束である。

『―――先に喋ったのはお前だ、強き者よ。何より、対話を望まぬのなら、益々何故、儂を生かす―――』

 重圧を伴う視線はそのままだが、どうやら言葉を交わす意思はあるらしい。いきなり喋り出したことに驚きはしたが、それはリラにとっても僥倖と言えた。

「何故ってそりゃ…理由が無いからだよ。逆に訊くけど、そもそも何で追っかけてきたの?縄張りをー、とかやられる前にー、とかなら、逃げ出してる私をあんなしつこく追っかけること無かったでしょ?…割とガチで怖かったんだから」

 そう言ってリラは口を尖らせる。あどけなさの残る少女の顔と相俟って可愛らしい仕草に見えるが、片や2階建ての家屋に届こうかという巨獣。片や魔術師とはいえミドルティーンにしか思えない見た目の小娘という構図のためか、それはある種、異質な表情だった。

『―――お前は…何者だ―――』

 未だ捕われたままの獣もそう感じたのだろう。警戒と闘志が滲む瞳を、より殺気立たせ、底の見えない深淵に問うように誰何する。

「順序が逆でしょー。私も答えたんだから、まずは私の質問に答えてよ。あと、ヒトに名前を訊くときはまず自分からって、それ一番言われてるから」

 言い聞かせるようなリラの物言いに押し黙り、喉を震わせて唸る獣。しばらくそのまま睨み合いが続いたが、やがて少女の言い立ての方に理が有ると判断したのか、或いは、単純に強者に従うことにしたのか、厚みのあるバリトンを再びリラの頭に響かせた。


『―――儂は、この深き森にて営みを見届けるもの。お前が言う〝ナマエ〟は持たぬが、人間からは王熊(ウース・レックス)と呼ばれている。追い立てたのは……お前たち人間の狡さを危惧したからだ―――』


 鈍く頭を揺さぶる低音が、最後の方でわずかに震えた。それは怒りか、それとも、『王』の名を冠する自分を、棒切れの一振りで組み伏せたリラに対する、もっと別な感情によるものか。

 その、自らに誇りを持つ者特有の簡潔な名乗りと弁明を受けて、リラも礼儀として相手の質疑に回答する。

「Okay。私は、名前はライラック。フレンドからは、リラって呼ばれてたから、そう呼んでくれると嬉しいかな。一応、しがない魔術師のつもり。この森に入ったのは道に迷ったからで、別に何かしに来たわけじゃないよ」

『―――しがない魔術師、だと?―――』

 リラの自己紹介に、それまで警戒しながらも大人しかった熊の王が口元を強張らせ牙を剥いた。

『―――馬鹿を言うな。帝国の1等魔導師が、三日三晩寝ずに唱える儀式魔法すら寄せ付けん儂の毛皮を以てして、手も足も出せぬような()()()を無詠唱で、それも2つも披露しておいて、しがない魔術師である筈は無い!―――』

「大魔法……って、どっちも公式が最初から用意してあるテンプレを少しアレンジして名前とフレーバー書き直しただけなんだけど…ってか儀式魔法ってなにそれかっけー」

 自ら言う通り、リラが使用した魔法は2つとも、大魔法どころか無名の魔法効果を遊びで改良(アレンジ)しただけの、普通の低コスト魔法である。

 漂白された視界(ブリーチド・サイト)に至ってはそのアレンジすらろくにしていない。視認不可のデバフも、『視覚を奪う』と言えば多少は格好良く聞こえるが、要は、攻撃の命中率が下がるというだけのシンプルなデバフなのだ。せいぜい、効果持続中のキャラクターの目元に目隠しのエフェクトが出ていたりする程度で、プレイヤーが受けた場合も、実際にモニターが真っ暗や真っ白になったりするわけではない。リラが使うそれも、職業スキル〝魔法調整〟を用いて魔法の名前とエフェクトをそれっぽく差し替え、その魔法のターゲットとなるものを〝攻撃対象〟ではなく〝範囲指定〟とすることで、申し訳程度に汎用性を向上させただけの、言ってしまえばただのフラッシュバンである。

 さらに言うと〝魔法調整〟のスキルも、最高位である3次職の偉大なる魔法使い(アークウィザード)で習得する〝魔法創成〟の単なる前提スキルという扱いであり、1次職から習得可能な基本スキルの1つであった。

『―――あくまで身分を隠すか、人間。…その侮辱に、爪を以て報いられん不幸を呪うぞ―――』

「本当にしがない魔術師だってばー!…ただ、昔のRP(ロールプレイ)の関係上フレーバーで悪ノリはしてるけど」

 今はそのフレーバーこそが問題なのだが…こればかりは、こんな悪ノリが許されていた仕様が悪いとしか言い様が無い。

(だってネタで書いたフレーバーテキストが現実になるなんて思わないじゃん!)

「~~~っわかったよ!ちゃんと名乗るよ」

 今にも首だけで噛み付いてきそうな程に牙を剥き出し、視線だけで射殺さんばかりに睨み付けてくる王熊に、とうとうリラが折れた。ここは多少、話を盛ってでも納得させ、落ち着かせなければなるまい。でなければ、拘束を解こうにも、また暴れ出されては面倒だ。

「…と言っても、今となっては、ほとんど意味を為さない肩書だけどね。私は……」

 そこで一旦、言葉を切り、一呼吸置く。あまり大袈裟にならないように、言葉を選びつつ、当時のことを思い出し、懐かしみつつ。

 リラは名乗った。


「私は、ライラック・ヴァーミリオン。翼を持つ民が、天に屹立する塔と雲の海で暮らしていた頃、すべての空からドラゴンを狩り尽くした『色羽(いろは)六傑(ろっけつ)』筆頭、『朱羽根(あかはね)』リラ。この名に聞き覚えが無いのなら、私は君の前ではやっぱりしがない魔術師だよ。ちょっと女子力が高いだけのね」


 狩り尽くした…と言っても、ゲーム内で狩猟・討伐が可能なドラゴンを、希少種やボス含めて全種制覇したというだけだが、これによるキャラクター称号も獲得しているので嘘は言っていない。『バベル・オブ・エタニティ』というゲームは〝天を衝かんと(そび)える幾つもの塔。そこで暮らす、有翼の民であるプレイヤーと空の覇者たる竜との戦争〟を描いているものであるため、これも嘘は言っていない。

 『色羽の六傑』というのも、一応は実際にそう呼ばれていたもので、ゲーム中での事実上のエンドコンテンツ、運営が本気でユーザーを殺しに来たとまで言われた最難関の隠しPvEエリア『竜要塞・パンデモニウム』を、実装直後のアップデートで弱体化される前に攻略し、そのランキングに名を残した6人のプレイヤーPTの呼び名である。リラはその6人の中で唯一の魔法職C(クラウド・)C(コントローラー)であったと同時に、その都合上まとめ役のような立場でもあったため、筆頭というのも嘘ではない。

 楽しかった過去を思い出したためか、少しの憂いを帯びた声音に、王熊はようやく剥いていた歯牙を収める。

『―――朱羽根…?聞いたことが無い―――』

(でしょーねぇ!)

『―――しかし、腑に落ちた。ドラゴン…あの忌々しい空を飛ぶ蜥蜴どもをも屠れる程の名士だというのなら、侮った儂が不覚を取るのも道理。人の身ながら、見上げたものだ―――』

(この世界ドラゴンもいるんかい!)

 ともあれ、鋭い目付きは保ちつつも、ひとまずは落ち着いてくれたようだった。その様子にリラは軽く嘆息し、今度こそ、巨体を圧し縛る空気を解く。

「昔の話だよ。だからしがない魔術師なの。さ、解いてあげるけど、今度は暴れたりしないでね。私も、特に何かしようってつもりは無いから」

 見えない拘束から解放され、身体の自由を確かめるように胴を震わせる巨熊。その体躯を改めて見上げると、黒々とした至大な図体は一層の威圧感を感じさせる。

『―――1つ訊こう、ライラック・ヴァーミリオン。頑なに儂との戦いを拒んだお前が何故、急に儂と向かい合った?―――』

「…あっ」

 投げかけられた疑問のおかげで、喋るクマに驚いて以降すっかり忘れていたことを思い出し、リラは暗い足元に目を凝らしながら、注意深く()()を探した。一通り探して見付からなければ、身の安全のために逃げたということだから、それはそれで構わない。ただ、出来ることならその前に少しだけモフっておきたい。

「いたいた。モコモコ、まんまるー…くない!?」

 果たして、目当ての毛玉は程無く見付けられた。…が、それは初めに見たときとは違い、丸く蹲ってはおらず、横に伸びて転がっている。

 リラは慌てて駆け寄る。万が一にも周りを巻き込むような余波を発生させないために、敢えて攻撃魔法ではなく回復魔法を使ったのだが、それでも空気を操る性質上、やはり少なからず影響が出たのかと心配し、力無く横たわる小動物の傍に跪き、その身体を触診する。

(見た目は…ネコ…?…なのかな?とりあえず心臓は動いてる。呼吸もしてる。骨…も、骨格は私が知ってるネコとは少し違うみたいだけど、関節の位置関係もズレてない。外傷は無し。局所的な腫れや熱も見当たらない…)

 柔らかい毛質の上から、一般的なイエネコより二回りほど大きな猫の全身をくまなく触り終え、ひとまず胸を撫で下ろす。どうやら、荒ぶる熊の王と対峙した際の、かの咆哮に腰を抜かし、そのまま気絶してしまっただけのようだった。

(野生の動物でも臆病な動物はストレスで気絶したりするって言うしね。獣医学は専門外だけど、外傷が無いなら、とりあえずは安心できるかな)

『―――見知り合いか?―――』

 当の強面な熊がのっそり歩み寄り、その隣に並ぶ。彼女と彼女が抱え上げた小動物とを交互に見遣り、安堵で頬を緩ませるリラを見てか、両者の間に知己の縁があるものと思ったらしい。

「んー、いや別に?そもそも初めて見る動物…?…だし。あ、さっきの質問の答えだけど、あのまま君がドカドカ走ってたら、この仔が巻き込まれて危ないかもしれなかったからだよ。私1人が逃げるだけなら、あのままチェイスを続けても良かったんだけどね」

 膝に乗せた大型猫を優しく撫でながら、さも当たり前のようにリラは答える。実行するかどうかは別として、その考えは仮に医者を目指していなくとも当然だと思っていた。

『―――路傍の小物を守るために、この儂を相手に回したと?―――』

 しかし、深き森の野生で生きる獣の王にとって、その答えは意外なものだったようだ。頭を震わせる低音にかすかな驚きの響きが混ざる。それに対して、今度はリラが小首を傾げた。

「…だって、ケガしたら痛いじゃない。そこが路端だろうと宮廷だろうと。人間も動物も、老若男女貧富を問わず、ケガしたら痛いし、痛いのはイヤでしょ?」

 何いってんだこいつ…とでも言いたげに、かつての医学部生が無骨なクマの顔を見上げる。

「何より、関係無いからこそ、とばっちりでケガなんかさせちゃ可哀想だよ」

 言って微笑む黒衣の美少女。その言葉も、その行動も。森の王にとって、そのすべてが、これまで見てきた『人間』とは何かが違う、全く知らないものだった。

 木々に囲まれ、長らく生き、多くの生命の営みを見届ける上で、嫌でもその眼に映してきた、『人間』たちの営み。その多くは蛮行だった。その殆どは楽しむためだった。奪っては殺し、嬲っては殺す。生きるためではなく、楽しむために。

 そんな人間たちを見てきたからこそ、たとえ鼻歌交じりに森を歩くのが年端も行かぬ少女でも、生かしてはおけないと思った。

 1人を生かせば、その1人が徒党を組んで10人に。その中の1人でも生かせば、今度は更に数を増やして100人に。そうやって森を蹂躙する。楽しそうに、蹂躙する。

 ……それが、『人間』だと思っていた。

(―――笑わせる。斯様(かよう)に無知で王を名乗っていたとはな―――)

 リラに届く言葉にはせず、細長い口の中だけで自嘲する。もちろん、世の中には今見ているような人間ばかりではないのだろう。しかし、今まで見てきたような人間ばかりでもないと、初めて知った。

『―――ライラック・ヴァーミリオンよ―――』

 誰から継いだわけでもないが、王と扱われるようになって百余年、狭窄(きょうさく)していた視野が広がったような気がした。その恩人に対し、乱暴に追い回した非礼を詫びようと、先程までより幾分か穏やかなバリトンボイスを響かせる。

「あー…リラでいいよ。そっちのが慣れてるし。…それに正確には、ヴァーミリオンって渾名(あだな)というか、私の一張羅が軒並み赤いからフレンドが勝手にそういう名字を付けたっていうか。語感が良いからそのまま名乗ってるけどね」

『―――では、リラ―――』

 動物に表情というものがあるのか知らないが、リラの眼には、精悍な真面目顔と映る獣面を彼女に向け、王熊は首を垂れて頭を下げた。

『―――済まなかった。お前はこの森にとっての敵ではなかった。許せ―――』

 唐突に謝られたリラは、何のことかと人差し指を頬に突きキョトンとする。だがそれも一瞬で、すぐに大きな瞳に少女らしい煌めきを(たた)える。

「じゃあ、あとで背中に乗っけてよ。それで許してあげる」

 鈴を転がすような声でそう言って、夜風に靡くフサフサの毛皮と大きな背中に目を輝かせ、リラは嬉しそうに破顔した。

オープニングの場面はいつ出すの?とか訊いちゃダメ

気長にお待ち下さい(意味深

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