Journal.9 ~見えないところで思うだけ~
許せサスケ。説明パートはこれで最後だ
―――暗い。
―――熱い。
―――痛い。
―――重い。
「たす…けて…」
この場の全てが、ありとあらゆるものが、その一言を圧倒していた。
「た…すけ、て……」
誰でもいい、どこでもいい、どうか届いてくれという一縷の望みは、果たして誰にもどこにも届くことはなく、押し潰されていく。
伸し掛かる瓦礫の向こうの僅かな隙間、そこから漏れてくる光に向かって手を伸ばしても、その小さな手が掴めるものは、何もなかった。
ただ1人の手を除いて。
「たすける…から…、つかまって…!」
それは救いを求めて伸ばされたものと同じく小さな手。僅かな光が差し込む狭い隙間に潜り込めるほどに、幼い救い手。
「……」
助かるためには、その小さな希望に縋るしか無いと思った。
掴めもしない光を押し退けて、代わりに真っ暗になった闇の中に割り込んできた、自分と同じ大きさの手に。
「たすけて、コトハ…―――」
真っ暗だった闇の向こうから、声がする。
(……夢…?)
「―――ょ、―――」
「―――だな―――エルフの―――」
流れていく血に体温を持っていかれるような冷たさも、もう感じない。
「聞こえる?助かったんだよ、目を開けてみて」
半ば夢見心地な気分のまま、天からの迎えかと聞き紛うような美声に促され、目を開けた。
「おはよう。コレ見える?指何本?」
「…に…、2本…です」
「イィデデデデ!!痛ぇ痛ぇって!離しやがれコラァ!」
開いた目に映ったのは、想像していた天上の世界とは大分違った光景だった。傍らに座り込んで自分に微笑みかけている朱衣の美少女と、その美少女に腕を捻り上げられチョキの手を強制させられている青年剣士。半ば呆気にとられながらも、取り敢えず訊かれたことには素直に答える。
「あ、これは気にしないで。寝てる女の子にちょっかい出す不届き者への単なる制裁だから。とりま、私はライラック。通りすがりの女子力高めな魔法使いだよ。好きな肉料理はジンギスカンだよ。じゃあ、君の名前と、何があったか、話せる?」
「何が……?…、……!?」
用は済んだとばかりに掴んでいたカイルを手首ごと放り投げたリラの、宥めるような、それでいてよく通る澄んだ美声で問われ、答えようとしたことで我に返り、弾かれるように跳ね起きる。掛けられていた薄手のブランケットにさえ驚き、そこでようやく、自分が場違いな絨毯の上で横になっていたのだと気が付いた。
「あれ…え、と…あたし…」
その状況が、自らの直近の記憶と著しく食い違っていることに混乱してか、リラに劣らず整った顔立ちを曇らせるその美少女は、緩いウェーブのかかった金髪を揺らしつつぎこちなく周りを見回して、安堵とも不安とも取れる息を吐き出した。しかしながら、ただでさえ痩せこけて血の気も薄いその顔色は、横に細長く伸びて尖った外耳の先端まで蒼白が占めており、それを見る限り、後者の割合の方が大きいようだ。
「大丈夫。大丈夫だから、落ち着いて。ほら、じゃあまずは、ゆっくり深呼吸しよ」
その様子を見て、リラは混乱の最中にある患者の背中に、服の意味を為さないほどボロボロになった粗末なチュニックの上から優しく手を置き、ゆったりとしたリズムで上下に擦る。
(骨盤輪骨折、椎体骨折に非穿通性の肺損傷、腹部の刺創、その他の合併損傷に感染症どころか骨まで届いてた腐敗、千切れかけてた脚まで…見事に完治してる。あれだけの重傷を負って瀕死で耐えたこの人も大概だけど、それを一滴で治す私の薬ってマジで宇宙の法則乱してるよね…。あー…副作用さえなければ論文にまとめて発表とか狙えたかなぁ)
「あ…ありがとう、ございます…。その声……、貴方が、あたしを…?」
「カメンライドは出来ないけど通りすがりの魔法使いだよ。リラって覚えてね☆」
促されるまま深呼吸をして、動揺を残しつつもいくらか落ち着きを取り戻した長耳の少女に、作った声音と表情でリラは笑いかける。一見してキャピキャピした自己紹介をしながら、その頭の中では予測され得る後遺症や合併症の可能性と符合する兆候がないか、目まぐるしく照合が行われていた。
「それで、まずはこの状況についてなんだけど…」
「あ、はい…。あたしは、ロ……ロゼ、といいます。未登記ですが、一応…冒険者をしていまして、村の依頼で蛮族退治を……」
リラの手から改めて受け取ったブランケットを羽織り直し、辿々しい口調で名乗った少女―――ロゼの様子を一通り観察し、ひとまずは、意識にも肉体にも目立った異常はないことを確認して、ようやくリラも胸を撫で下ろした。
「冒険者…なぁ。にしちゃ、装備が貧弱すぎねぇか」
と、息をついたリラの横合いから、血塗れの折れた半弓を手にしてカイルが口を挟んだ。
「フリーにしたってあんまりだぜ。仲間にイジメられでもしてんのか?…ってか最後にメシ食ったのいつだよ」
「…人のこと言えるの?君たちが使ってたのだって、私から言わせれば、まぁまぁ貧弱な部類だったよ」
「…高そうな服と本なんて探索ナメた格好してるお前が言うな。つーか、あれはあれで精一杯だったんだよ」
カイルの指摘に、リラは苦笑混じりに肩を竦めたが、言われてみればという納得もしていた。ゲーム内で一握りのトップ層であり且つ、武装というものに異世界の価値観を持つ自分から見れば貧弱とはいえ、彼らは確かに冒険者と呼べる程度に装備も身体も整えられていた。それに比べて、目の前のロゼの出で立ちは、草臥れたチュニック…だった襤褸布のみ。仮に破損していなくとも『冒険』に適しているとは言い難く、何より……。
(まぁ、食事は間違いなくロクなもの食べてないだろうね。けど問い詰めるほどのことでもないかな。咄嗟にウソ吐いたんだとしても、私たち自身が怪しい2人組な以上、身を守るためなら別に不自然でもないし)
「言ってくれるね…。つまりナメた格好で探索できちゃう私みたいに、事情は人それぞれってことでしょ。じゃあ、話せるようになったことだし…はい、コレ。気に入るかわかんないけど、とりあえず着といて。なんかここ危ない場所みたいだし」
訝りながらも、それは人差し指を添えた微笑の内に隠し、代わりに、予め見繕っておいた服飾装備をいくつか取り出して、半ば強引にロゼへと押し付ける。どんな事情があったとしても、蛮族が闊歩するような密林の中で、連れて行くにせよ別れるにせよ、半裸に近い格好の婦女子をそのままにしておくなど、女子力の申し子として言語道断だった。
「えっ?あ、あの…んムグっ」
戸惑いつつ遠慮がちに何かを言おうとした口には、キャンディを放り込んで黙らせた。
「はいはい、遠慮や驚きなら飽きるほど聞いたよー。でも今はそんなこと言ってる場合じゃないってことで、ほら」
言って立ち上がり、リラはカイルを追い払うように「向こうを向け」とジェスチャーしながら、近くの茂みにロゼを促す。促されて、だが何故かロゼは動こうとはせず…。
「……うっ…うぐっ……うぅ」
受け取った衣服を両腕で抱えながら、噛み締めるような嗚咽とともに大粒の涙を零し始めた。
「!?…どこか痛むの?動くのが辛いなら無理はしなくていいよ。カイル君、もうしばらく周り見てて」
寛解したはずの患者が容態を急変させたことで、リラの表情が強張った。一瞬、エリクシルの副作用かと疑ったが、目に映る限り、その様子は苦しんでいるというより悲しんで泣いているようにも見える。より詳しく診察するべく、リラは再びロゼの傍らに腰を下ろしかけるが……。
「ふぐぅぅぅ…!嫌ですぅうう…!死゛に゛だぐな゛い゛でずぅぅ~~…!!」
「ひゃっ!?待っあばばばばばば―――!?」
突然、手に持つ衣服と恥も外聞もかなぐり捨てたように泣き喚きながら掴み掛かられ、その肩を前後に物凄い力でガクガクと振り回された。
「斬首ですか!?石打ちですか!?腹裂きですか…!?というか何の罪ですかぁ!?」
「ちょ、おち、着いっグェッ」
「ハール規制区に許可無く入っちゃった罪ですか!?気付かなかったんです、本当なんですぅ!」
「知らない地名!お願い、待っ…ぐふッ」
「聖霊様へのお供え物を隠れて食べてた罪ですか!?あれでも、ちゃんと日が経ってるものを選んでましたから!」
「お腹壊すよ!?カ、カイル君!Saveビっ…がっ噛んだ」
唐突に始まった、ガリガリとキャンディを噛み砕きながらの必死な懺悔を受けて、リラも戸惑い、こちらは噛んだ舌の痛みに涙目になりつつカイルへと助けを求めた。診察のために身体を一通り調べた以上、患者がまともな生活を送っていないだろうというのは予想できていたことであり、敢えて聞くまいとしたのだが、ロゼは何を勘違いしてかボロボロと泣きながら、尚も捲し立てる。
「無縁墓所を暴いて埋葬金を頂いた罪ですか!?掘り返したのはちょっとだけです!自分で出てきてましたから!」
「感染症なるよ!?原因はそれか!お墓は掘り返しちゃダメだって!」
「そ、そうだぜ。大体、無縁墓地なんて棺桶にも入ってねぇ死体ばっかで、服に付いた匂いとか中々落ちねぇしな…。丁度いいから、ほら着替えて落ち着け、な?」
先程までとは打って変わった鬼気迫る勢いに面食らっていたカイルだが、リラに請われ、慌て気味に助勢する。彼としても、痩せ細っているとはいえ見目に麗しい少女が、いつまでも際どい襤褸姿で視界に居座るというのは精神衛生上よろしくない。どことは言わないが吸い寄せられそうになる視線を顔ごとずらし、拾い上げた小豆色のダスターコートをロゼに差し出す。
「草ァ!まさかの体験談!?そんな助け舟に乗りたくないんですけど!」
そして、視線をずらした先でカルチャーショックを受けているリラと目が合い更に居た堪れなくなる。こっちもこっちで美少女だった。露出こそ少ないが、少ないが故に、凝った衣装の隙間から覗く僅かな肌色は、芽生えた煩悩の育成を加速させるに余りある。空を見上げてやり過ごす以外に、道は無かった。
「と、とにかく!私たち、ホントにただの通りすがりだよ。話したくないことを無理に聞く気は無いから、まず服は着よう?ディスカバリーチャンネルじゃないんだからさ」
思いの外、頼りにならなかった加勢は早々に見限り、自力で脱出したリラは拾われたコートに付いた土を払って、再度ロゼに手渡す。だが、鼻を啜りながらその服とリラ、カイルを見比べるロゼは、変わらず受け取ろうとしない。
「…ぐすっ…通り、すがり…?処刑前の、末期の施し…とかでは……」
「言っても、聞いた限りじゃ侵入はともかく食べるに困ってお供え物のお下がりを頂いただけでしょ?あと礼拝所不敬罪。そんなんでほぼ極刑とか、さすがの私も引くよ…。ってかこんな女子力の塊に処刑人要素どっから来たの。APP20はあるよ私」
例に漏れず…と言うべきなのか、物騒な勘違いをされていたことに、深い溜め息とともにカイルを見遣る。然もありなん、と肩を竦められた。更に深い溜め息が漏れた。
「だって…!お迎えの声だと思ったのに…、気が付いたら助かっててお洋服にお菓子まで―――」
「ところでブリオッシュは好き?」
「―――大好きです!」
「パンが無いならブリオッシュを食べれば良いんだってさ」
リラはもう考えるのは止め、駄々をこねる子供と接する気分になりながら、再び有無を言わせずロゼの口に菓子パンを詰めて黙らせた。
「ほら、細かいことはもういいから、とっとと着替える。女子力の求道者たる私の目の前で、衣食縛ったヤバイバルなんてさせないんだからね」
そう言って、リラは小豆色のコートと改めて取り出したインナー類を抱えて、狼狽えつつも幸せそうにモゴモゴとパンを咀嚼するロゼを無理やり茂みに連れ込んでいく。
…と、その途中で。
「あ、そうだ」
思い出したように振り返り、見た目だけなら鳥肌が立つほど美しいと形容できる美貌に微笑みを浮かべる。その荒野にすら花を咲かせるような笑顔を向けられて、カイルは不覚にも心臓の鼓動が早さを増したのを感じたが…。
「信じてるよ、boy」
笑顔とともに向けられた、やけに冷たいソプラノボイスのおかげで、カイルは違った意味で鳥肌を立てながら後ろを向いた。
「改めまして、ロゼ・ハーウィンと申します。種族は…ハイ・エルフです。この度は、命ばかりか、お洋服に食べ物まで頂いて…うぅ、本当に…ありがとうございます……モグモグ…しょっぱいですぅ」
リラに無理やり着替えさせられ、未だ乾かない涙の跡も拭わぬまま、ポニーテールにまとめた金髪を揺らして両手のサンドイッチにロゼは齧り付く。必要以上と言えるほど、肩を縮こまらせてパンを口に運ぶその姿は、見ているリラが却って謝りたくなってしまうほど恐縮していた。
「下着以外はホントに有り合わせで申し訳ないけどね。私が魔法職だから射撃職の女性用は特にこだわってなくて」
言いながら、引き攣る口元を隠すようにリラは紅茶を啜る。先に助けた冒険者一行といい、このエルフの少女といい、どうしてこうも生活の水準が低いのだろう。今更な気もするが、この世界で生きるにあたって、果たして自分は、日本では憲法で保障されているような文化的で尚且つ出来るだけ平和な生活を送っていけるのだろうかと考えると、げんなりせずにはいられない。
「そ、そんなっ、とんでもないですよぅ!こんな高級品で申し訳ないだなんて…」
Tier4~6の、ファッション用に友人から下取りした下位装備。アーティファクトや魔導器といった、価値を計り兼ねる物品が存在することを考えて、真に高級品…と言うよりも性能や装備制限の兼ね合いから神話の扱いを受けそうな高Tier帯の武具を選択肢から外した上で、この反応である。友人の仕事を高く評価してもらえるのは非常に喜ばしいのだが、こう畏まられるというのも中々に据わりが悪い。いっそ、神格化が前提となる文字通りの神器などを渡したらどんなリアクションが返ってくるのかと興味すら湧く。…が、フレーバーの内容的にリアクションを楽しむどころでは済まない事態になりかねないので、それは自重する。
「んー…でも惜しいねぇ。目鼻立ちも良くて、汚れてさえなければキレイな金髪…とりあえず簡単なポニテにしたけど他の髪型も映えそうだし、体型も肉付き以外はPerfect、それどころか付け物なしで自前のエルフ耳。お肌も荒れてこそいるけど白過ぎず黒過ぎない理想的な肌色……」
「モグモグ…ふぇ、あの?ちょ……」
「服!飾らずにはいられないッ!!」
自重はするが、それでもファッション勢の血は騒いでしまう。何しろ素材が良いのだ。自身のキャラクリに於いても、エステ課金に数十人の諭吉を惜しまず投入していたほど覚悟完了しているリラとしては、本物のエルフ美少女が目の前に居るというこの現実を、見逃す手は無い。
むしろ、低Tierのみで見栄えと実益を兼ね備えた装備の構成を考えるという、好みの縛りプレイに興奮すらしていた。
「そのコート、一応手始めってことで基本的な防御バランス重視の偏りが無いもの選んだんだけど着てみてどう?もっと軽めが良いってことならカットソーとワンピースを合わせたものがあるんだけどこっちはクセが無い代わりに魔法抵抗に比べて物理抵抗に見劣りするかな。あ、今はいてもらってるショートパンツも地味に魔法抵抗高いから合わせるんならオススメだよ~。逆に物理ガン振りのボディアーマーならこういうのとか―――」
鼻息も荒く、オタク特有の早口スキルを発揮し、両手に山ほど衣類を抱えたリラがロゼに詰め寄る。先程までの仕返しと言わんばかりのその勢いに、詰め寄られたロゼは、パンだけは取り落とすまいと死守しつつ、慌てふためいて目を回していた。
「きゃあっ!?え、あのあの…」
「あ…そっか、弓…。ごめん、さすがに弓は手持ちに無くって…代わりってわけじゃないけど、これ、1弾倉18発装填の両手銃。手数こそ片手銃に劣るけどバカにできない単発の貫通力に加えて意外や近接戦でも鈍器として超優秀。殴りスナイパーには私もよく床掃除させられたよー。その上糸鋸にそっくりだ。基本はマスケットからの発展と考えてもらっていいんだけどその機構から大きな違いはまず…」
「あー…ゴッホン」
…と、それまで口を挟むタイミングが掴めないまま放置されていたカイルだが、見兼ねたかのように大きめの咳払いとともに2人の間に割って入った。
「なぁ、そろそろオレの自己紹介もいいか?」
「後にしてよ、今いいとこなの。野郎に用は無いし青臭い坊やはもっとお呼びじゃないよ。邪教は不要」
「テンションの落差スゲーな!?なのに流れるように貶してきやがる…」
割って入るも、素気なくあしらわれて追い返される。しかし、ノンケの青臭い坊やには、彼なりに引けない理由があった。
「青臭くて悪かったな。おかげで役得だなんて喜べるほど女慣れしてなくて、またいつ脱ぎだすか気が気じゃねぇんだよ。頼むから、そういうのは…どっかの宿にでも泊まってからにしてくれ」
言いながら、ロゼが着替えるまでの間に背中越しで聞いていた黄色いやり取りが脳内で思い起こされ、ガリガリと、外ハネの多い短髪を掻き毟ることでそれを打ち払う。女慣れどころか、酒と女にだらしない挙げ句、店から出禁を食らうような反面教師を身近に見て育ってきたことで、幸か不幸かそういった事柄にはシビアな線引きを引いている。真面目というほどでないにせよ、誠意の無い異性交友はあまり好きではなかった。彼にとって、美少女2人のキャッキャウフフは音声だけでも刺激が強すぎる。
やや尻すぼみになりながらも、自らの矜持に則ろうとするカイル。だが、そんな彼に対して、リラは…。
「あら。…ははーん、さては火属性だな?」
何故か上から目線であった。そして顔芸であった。ちなみにリラは泳げない。
「て、テメェ…」
唐突且つ理不尽な煽りを受けて、カイルの額に青筋が浮かぶ。…が、それに対して何かを言い返せるだけの語彙力は、彼には無かった。
「…チッ。大体な、ンなことしてる場合かよ。探しモン持って帰る途中だって忘れてねーだろうな?」
勝てそうにない口喧嘩は、軽い舌打ちで早々に打ち切る。敵前逃亡は恥ではない。むしろ、貞操を弄ばれる方が恥ずかしい。
幸いにも、リラに追撃の意思は無いようで、若干の呆れも含んだ物言いに対して頬に人差し指を添えながら思案顔を浮かべたが、それ以上の言及は無かった。そのまま何事かを思い出すように考え込む。まさか、本当に忘れていたのではあるまいか。
「んー…、それなんだよねぇ…。ガセネタ掴まされたとは思えないけど、だとすると……ん?」
「…もう勝手に悩んでろ。カイル・アンドレクセンだ。オレたちも…まぁ同業なんだが、蛮族に足止め食らってな。似たような状況同士、お互いに変な遠慮はナシでいこうぜ」
マイペースなのか何なのか、小難しい事を考えていそうなリラにはもう何も言わず、敵の敵は味方と、良く言えば割り切れる、悪く言えば単純なカイルはロゼの肩に手を置き協力を促す。頭の良し悪しに関わらず、現状で手を取り合える者がいるのなら、そうするべきだと彼にもわかっていた。
「…ま、そーいうことだね。ってわけで、はい。リロードが必要になったら私がするとして、とりあえず18回はトリガー引いたら弾が出るし、殴っても強いから、そのつもりで使って」
何に対する懸念かはさておき、果たして結論は出たのか、リラも屈託ない笑顔と銃をロゼに押し付け、それに倣う。
「私も含めて、まずは生き延びることを考えなきゃね。お金もオシャレも罪と罰も、生きてるからこそ出来る話だよ」
そして、風が揺らす枝葉の音を追うように辺りを見渡し、今度は呆れとも辟易とも取れる苦笑を浮かべて、カイルの肩を叩く。
「さて、装備も行き届いたことだし……囲まれ始めてるけど、どうしよっか」
「…えっ!?」
「…何っ!?」
まるで世間話の延長のように、それまでと変わらぬ声のトーンでリラが状況の変化を告げる。それが世間話などではないと気付くまでの一瞬の間の後、告げられた2人が身を強張らせたのはほぼ同時だった。
「先に言いやがれ。なおさら遊んでる場合じゃねぇだろうが」
「だって私も今気付いたもん。風向きなんて普段から見ないし」
「か、囲まれ…って、まさか―――、あ、あのっ、あたし銃なんて撃ったこと無くて……」
「奇遇だね。私もスコアボードの無いデスマッチなんてしたこと無いよ。やだ、女の子揃って初体験ってヤツぅ~?…《錯視・泡沫遊》」
芝居がかった笑みに人差し指を、軽口の後に防衛用の魔法をそれぞれ添えて、リラは刀を抜き放ったカイルと、銃を抱えて狼狽えるロゼをそれぞれ見遣る。どこからともなく立ち昇り、周囲を揺蕩う無数のシャボン玉に囲まれながら、その両者の態度、武装の質、健康状態、確かめたいことなどから現状で許容できる戦闘の規模を算出し…程なくして、解答は導き出された。
「…おけ。じゃあ2人ともコレ持って」
「あん?何だこれ、時計…いや、方位磁石か?そういや親父にも何か渡してたな」
リラから手のひらサイズの懐中時計のようなものを手渡され、カイルは訝しみながらもそれを受け取る。蓋を開けてみると、クロノグラフのような文字盤に赤・緑・青の針がそれぞれ配置されていた。蓋の裏は水平儀になっており凝った時計のようにも見えたが、それにしては針の本数がデタラメで、特に断続的に揺れ動く赤い針は、やけに多い。
「霊波合金っていう珍しい金属を使った測距装置だよ。持ってるヒトの意識とリンクしてそれを中心とした発見済みの位置情報を共有するの。赤が敵対的、緑が友好的、青が協力的、黄色…は今は出てないから気にしなくていっか。エステスクラッチのハズレ枠だけど貴重品ではあるから、乱暴に扱っちゃダメだよ?」
「要するにミ=ランの望遠鏡みてぇなもんか。…壊しても怒んなよ?」
「えっ、しかもそれが全方位なんですか!?それってもの凄く高度な術式が必要になるんじゃ…」
渡された未知の道具の説明を受けて、既にリラの非常識ぶりに慣れ始めてきたカイルとは違い、手に持っているだけで勝手に必要な情報を選別してくれるという常識外れなオーバーテクノロジーの産物に、傍らのロゼが声を裏返した。索敵に有用な魔導器は数あれど、基本的にそれはどれも使用者に多大な集中を強いるか、カイルが言う『望遠鏡』のように方角を限定してしまうものがほとんどである。発見済みであることが条件とはいえ、一度見付けたものを負担なく全方位で捕捉し続けられるなど、間違いなく普及品の性能ではない。
「それに、今の魔法も大気のマナの多段変質……あたしを助けてくれたのも貴方なら、本当に何者なんですか…?今更ですけど間違いなく致命傷でしたよね!?」
「あえて言わせてもらおう、ライラック・ヴァーミリオンであると。はい、話は終わり。今は使えるもの使って、やれることやって生き残る。そっちのほうが重要でしょ?」
「そ、それは…そう、ですが―――きゃっ、え…ああ~~!?か、身体が透けて…!」
言いながら、反論の暇を与えずハイドポーションを2人に浴びせて、リラは再度、周りを見渡した。包囲された状態からの数と腕力に物を言わせた急襲を考慮して、煙幕とは違う性質を持つ魔法を唱えたのだが、何の前触れもなく突如として現れたシャボン玉に面食らって逆に警戒しているのか、或いはタイミングを合わせるために待っているのか、突撃してくる気配は無い。しかしながら、この猶予時間とて無限というわけではないだろう。加えて霊波―――単一のエレメントのみで構成される不安定な構造である魂魄と、物質として安定に向かおうとする肉体との間で媒の役割を果たすソウルの層である〝霊体〟が発する波動―――が『敵対的』を示していて、尚且つ今はルークのように一目で強力とわかる抑止力も側にいない。
となれば、選べる選択肢は何度考えても1つしか無かった。
「それじゃあ、時間は稼ぐから2人は先に逃げて。カイル君、ちゃんとエスコートしてあげてよね?」
敵性の反応は、少なく見積もっても10を超える。対してこちらの人数はたったの3人であり、そのうち2人は病み上がり。更にそのうち1人は、おそらく戦い慣れていない。可能な限り戦闘は避けるべきだが、帝国兵が戦っているところに割り込んだときとは違い、数的不利が確定していて囲まれてもいるこの状況で、全ての追跡を撒いて安全な逃走を図るのは簡単ではない。誰かが、足止めする必要がある。
「バカ言え、正気か?ヤツら連携が尋常じゃねぇんだ。バラけたら死ぬぞ」
だが案の定、この面子で最も場慣れしていると言うべきカイルはその判断に反対だった。敵は個々の身体能力のみならず、練度も高水準であることを、彼はその身を以て思い知らされている。普通であれば、ここで人員を分かつということは、敵に各個撃破の隙を与えるだけだと、冒険者としての直感が告げていた。
「…逆だよ。バラけないと、君たちを巻き込まずに戦える状況が作れないの」
ただ…この場に限っては、その『普通』が適用されない『特異点』が、そこにいた。
「それに、相手と違って連携もクソもない今の私たちが固まったところで、大して有益にもならないよ。行きなさい。守られるのは慣れてるけど、守りながらは苦手なの」
言って見上げてくる小柄な少女の美貌には、状況に反して怯えや焦りといった表情は伺えない。その自信が一体どこから来るのかと疑問は残るが、同じだけの説得力を、ここまで彼女が見せてきた行動が裏付けていた。
「……。確かに…ディアボロが戦ってる横で、エルフとはいえ女庇いながら戦うなんて考えたくねぇな」
納得こそしてはいないが、リラが言うことにも一理はある。手の内も気心も知れた仲ならいざ知らず、今の『リラ』はカイルにとって最早、理外の存在と言ってもいい。肩を並べ、或いは背中を預けるには、無知と不信が、邪魔だった。
「……ロゼっつったな?手は引いてやる、行くぞ!」
「ですが!ち、ちょっと―――!」
後ろ髪を引かれる思いはありながら刀を納め、ロゼの返事を待たずその手を掴んでカイルは走り出した。その時、リラに背を向ける瞬間に感じた名状しがたい感情の後味に顔を顰めつつ、手元の道標を頼りに、仲間との合流を目指す。
「May the Force be with you~」
リラはといえば、相変わらず冗談めかした笑顔でヒラヒラと手を振り、それを見送る。
「……『Diabolos』…ね」
やがて、2人の姿が密林の向こうに消えてから。
「変身するところを見せてもないのに…そりゃ、ないよ」
誰にともなく、呟いた。
今更ですが。
描写や表現の不一致、誤字などの不備を見かけた場合は遠慮なく教えて下さい。
趣味と修行を兼ねた小説とはいえ、間違いに気付かなかったりして投稿したものをそのままにしたりするのは恥ずかしいので、、、。




