Journal.8 ~やるべきこと、やれたと思う?~
説明パートはもうちょっとだけ続くんじゃ
「と、ゆーわけで。2人で隠密行動なう。from.どっかの茂み」
「どっか…?って誰に言ってんだ」
言葉通り、茂みの中に身を潜め、いくつか取り出したポーションを見繕いながら呟くリラに、同じく隣で息を殺しながら、彼女が見繕った複合素材の軽鎧に身を包むカイルがツッコんだ。
ちなみに、その茂みを挟んだ背後では、オーガ1体が率いる蛮族の部隊と帝国軍の兵士が絶賛戦闘中である。
「聞き流して。こうでもしないといろいろと保てないんだよ。あいつら夏場に放置された生ゴミみたいに腐敗臭すごいんだもん…」
「蛮族なんてこんなもんだろ。…言われりゃ、確かに普通よりキツイけどな」
「Geez…。じゃあ…不可視化2本とー、治癒、回復、煙幕でいいかな。フルバフしてる暇は無いとして…コレ、慌てなくていいから急いで食べて。初見攻略だしホントは本職のバフ役にもいてほしいとこだけど…」
選び取った試験管とフラスコ、そしてサンドイッチの盛り合わせと特製ドリンクをカイルに手渡して、リラは茂みの隙間から、剣戟と怒号の絶えない戦場を覗く。六傑だった頃の仲間の1人、万象の詔喚者のフレンドがいない事で大きく選択肢を狭められ、その表情は軽口に反して特に険しい。
だが何よりも、女子力の求道者たる美少女にそんな渋面を強いるのは…。
(あーもうめちゃくちゃだよー。証拠の隠めt…いや、キャンプのために荷物を回収しに来たらこの有様…。しかも帝国兵が押されてるし)
切れ長のツリ目が見つめる視線の先で、半裸の怪物相手に翻弄されている武装した兵士という、ある意味では滑稽とも言える光景であった。
というのもこの状況、リラには非常に好ましくない。カイル達が蛮族から逃走するにあたって放置してきた荷物などの物証…もとい、野営に必要な物品を帝国兵よりも早く発見し速やかに回収するため、こうして最低限の人員で彼らが逃げてきた道を探しに来たのだが、荷物よりも先に蛮族を発見してしまい隠れたところで、爆発を調べに来たらしい帝国兵まで現れて、目の前で開戦されてしまった。
それだけなら、見付かりたくない彼女達にとっては両陣営の足止めという意味で幸運と言えただろう。事実、リラは最初、戦況が拮抗してくれるなら、この状況を利用しようとも考えた。
しかし現実は、拮抗どころか、ほぼ圧倒。重大な負傷者こそ出ていないものの、防戦一方な帝国兵に対して、地形や樹木の高低差を活かし、3次元的な立体包囲から力任せに攻め立てる蛮族。勝敗は火を見るよりも明らかだった。
(何なの、これ…統制が取れてる割にコミュニケーションを取ってるようにも見えないし、臭いも含めてヤな感じ。まいったなー、せめて兵士の方が残ってくれるんなら、まだ便乗のしようもあるんだけど…。仕方ないから、ちょっと横槍入れようか)
いずれにせよ、目の前で死者が出るのはやめてほしい。あくまで、立ち止まっていてくれればそれで良いのだ。
「ぷはー。…なんだコレ美味ぇぞ。こんなパン初めて食ったぜ。腹膨れて身体も軽くなった…よな?」
「なんで疑問形なのよ…。まぁ、サンドイッチ2種でDEXとAGI、各抵抗ステ盛って青汁で効果時間伸ばしてるからね。てか私の分…えっ、早くない?」
茂みから顔を離し、カイルに渡したサンドイッチを自分も食べようと伸ばした手には空のコップと皿が渡された。口をへの字に曲げつつ受け取る。
「この状況でよくそんな食欲あるね…。とりあえず、死なせないで狙われない程度にちょっかい掛けてすぐに離れよう。私が煙幕張ったら、デカい方を一発殴って。煙に巻かれてる間は君の動きも鈍ると思うけど、倒さなくていいし最悪外してもいいから一撃離脱。そのあとハイド…透明のヤツを浴びるの忘れないで。…r u rdy?」
端正な顔を不満に歪めながら食器を仕舞い、リラが剣と魔導書を静かに抜く。
「どのみち倒せるなんて思っちゃいねーさ。気を逸らさせればいいんだろ?いけるぜ」
続いてカイルも、厚口厚刃の刀を抜き、茂みから飛び出す態勢を整える。
「Okay。いくよー、【ステータス変動、下方補正、二重下方補正、敏捷値、精密値。広域化、抵抗力貫通…《隠蔽する白煙》】」
トーンを落としながらも涼やかな美声で紡ぎ出された呪文に合わせ、宙に踊る魔導書。その開かれたページに浮かぶ、象形文字で綴った化学式のような文様が、淡い桜色の燐光を帯びて輝き出す。やがて詠唱を終えたとき、彼女が茂みの影から見据える戦場に、濃霧のような煙が立ち込めた。範囲内にいる間は視認能力を阻害し、尚且つ追加呪文によって戦闘行為も著しく制限する効果を伴った、煙の檻だ。
「Go!」
その檻に向けて、鋭いソプラノの合図に押し出されるように、若い剣士が残像を残して疾駆する。その速さは、バフを与えたリラ自身が思わず目を見開いて二度見するほど、飢えたチーターのように俊敏だった。
(なんだコレ…裸みてぇだ!)
当のカイル本人も、茂みから駆け出し白煙の壁に突っ込む一瞬の間、経験したことの無い身体の軽快さに驚いていた。動きが鈍るという煙の中に足を踏み入れて、ようやく平時の全力と同等。それでも、多少の息苦しさを感じる程度で、周りの兵士や蛮族のように、急に自由が効かなくなったと慌てふためく程ではない。
(訳わかんねぇセリフといい、あのメシ…ヤベェ薬や魔術なんか使ってねーだろうな…?)
今更ながら、食い意地のままに二人分の皿を平らげてしまった事を悔やむ余裕すらあった。
だがまもなく、その余裕は、巨大なオーガの背中を間近で捕捉した事で緊張へと塗り替えられた。
(ちっ、何でもいい、今は―――)
背後からの殺気に気付いたか、まるで鉛のように身体に纏わり付く煙に抗いながら、オーガが巨躯を傾けて振り返る…前に。
(戦えるんなら、それでいいッ!!)
一閃。豪刀の分厚い刀身を、大上段から振り下ろした。
―――と、リラとカイルが密林の奥で潜入工作に勤しんでいる頃。
「ほほう。それらしく見えるじゃないか、ミ=ラン」
「そうかい?…だけど、少し上等過ぎないかな?貴族の私兵みたいだ…」
若い2人を別働隊として見送ったBC確保組は、既にボロボロで使い物になりそうもない武具の代わりにと、リラが各人に提供した装備を着込み、それぞれ新しい装いの具合を確かめ合っていた。袖を通した深緑のローブを眺めながら、肩とウエストで襟を固定する革のベルトの質を確かめるように爪弾くミ=ランの口髭が、気後れする心境を表すように上下に揺れる。肩甲骨と尾てい骨の部分にそれぞれ不自然な切れ込みがあることを除けば、言葉通り貴い身分の者が着ていても不思議は無いと言える上物だった。或いは、その切れ込みも意匠の一部なのかもしれない。何であれ、丈の長さに関わらず、細長い尻尾が窮屈な思いをしなくて済むなら、彼にとっては重畳ではあるが。
「上等も上等。これァ、連邦なら三王室のお抱えだなんてェ言っても通るかもなァ。見ろよ、これなんて留め具に硬玉だぜ?それも1つや2つじゃねェ。…俺らの稼ぎ何年分だ?」
自らが纏う軽鎧の、目立たぬところに然りげ無く使われている高級素材に、ハーターが軽く肩を竦めた。留め具に限らず、通気性と緩衝性に富んだ下地、身体の可動を邪魔しない設計。強いて言えば背中が簾のような構造になっており、それが謎といえば謎ではあるがその上で、どれを取っても、それまで着ていた安物の革鎧が子供の仮装に思えるほど吟味されており、華美とは言えない見た目に反して、素材費はもちろん、製作の工程に於いても決して安い仕事などではないことが伺える。そんなハーターの感嘆に、両手持ちの片口戦鎚を担ぎつつグライスも頷いた。
「うむ…。しかし、いずれの装備も、どこにも銘は無し。妙なものだ。これほどの職人が、作品に自分の銘を刻まないとは。…『スキル上げの副産物』と言っていたが、修行過程での習作ということだろうか」
自身の身の丈にも及ぶ戦鎚と、全身を覆うプレートメイル。派手さが無い代わりに、重厚な作りでありながら、それらは今まで彼が使用してきたどんな武具よりも機能的だと感じられた。素材の重さや各部位のパーツ同士の干渉による身体への負担が、驚くほど軽い。ただ、背面の装甲と自身の背中との間にある空間がやけに広く取られているのが気にはなった。何やら弁のように開閉する機構も備わっている。長柄の武器を背負いやすくする工夫だろうか。
「これで手付金だというのだからな。余程の大御所なのだろう。わざわざ出先で俺達のようなブロンズ冒険者を雇うのだから、ユニオンの幹部とは思えんが…」
「いやあ、それはどうだろう。持ってみてわかったけど、この杖は間違いなく国宝級だよ。ただ素材を削り出しただけの、そんじょそこらで出回ってるような量産品じゃない。素材本来の魔力の流れを断つこと無く、それが一点に集まるように整えられている。なのに造形も丁寧なんだ。力の集中がイメージしやすくて、無駄が無い。こんなモノ、ギルドとのパイプも無い個人が所有しているなんて信じられないなあ」
Tier4の両手杖を掲げながら、興奮気味にミ=ランは語る。彼が言うところの、マナが集まる収束点である杖の頭部では、群青色の宝石がささやかなオーロラと共に輝いており、引き締まった全体のデザインをより優美に纒めている。確かに、どこかの美術館で展示されていても納得出来そうな逸品であった。
ギルド―――彼らのような冒険者の登録・管理を行い、その活動が円滑に進むよう、時には便宜を図り、時には取り締まる、この世界に於ける社会秩序の基盤であり、国境を超えた権柄を持つ大規模同盟である『ユニオン』の一角。その後ろ盾があれば、そんな美術品も必要に応じて持ち出す許可は下りるだろう。見ず知らずの一般冒険者に先渡しの現物支給として差し出す事が必要に応じた行いかは別として。
「まァ、最高級・最新鋭の装備に薬品、それを手ぶらで持ち歩く魔法、茶の味は知らねェが…あれもきっと高ェんだろうな。タダの薬師じゃねェのは確実だ。…で、だ」
重さや使用感を確かめるように、両手でそれぞれ弄っていた2本の短剣を腰の鞘に収めたハーターが、何を考えてかあくどい笑みを浮かべて、ブーメラン片手にリラ手製の革袋と多層皮革の即席防具を着て燥いでいるナイトの傍にしゃがむ。
「実際のところよォ、その辺どうなんだ?」
「にゃあ?そのへんって、どこかにゃー?」
「とぼけんじゃねェよォ。ユニオンのおエラいさんとまでは言わねェが、その娘とかなんだろ?心配すんなって、別に人買いの真似事なんかしねェよ。ただァ、ちィっとばかし、仕事の融通なんかをな……」
ずい、とナイトに顔を突き寄せ、いかにも悪巧みをしてそうな笑顔で話し掛けるハーター。その様子に大きな溜め息を吐いて、呆れたと言わんばかりにグライスが声を掛けた。
「見苦しい真似はよせ、ハーター。無遠慮に詮索するのは品が無いぞ。それに融通も何も、既にこうして破格の待遇を受けているだろう。最寄りの都市までの護衛というだけで、グレル金貨何枚では利かないような装備を都合してもらったんだぞ」
「だからこそだろ旦那ァ、いくら何でも物が良すぎらァ。場所に着いたら近衛でも出てきて囲まれて、身ぐるみ返せなんて言われねェとも限らねェだろ?」
「む…。それは…有り得ない、とは言わないが…」
のらりくらりとした態度と裏腹な用心深い指摘に、グライスは言葉を返そうと口を開いたが、適当な言葉が思い付かずに口籠る。確かに、ハーターの言うことも一理ある。4人分とはいえ、これだけの厚遇を眉1つ動かさず、事も無げに用立てられる少女がどれほどの要人なのかはともかく、一般的な護衛任務の相場とはかけ離れすぎているのも事実なのだ。
通常、この手の要人警護に於いて、雇い主が富裕層であればあるほど、彼らのような低位の冒険者という人材はほぼ使い捨て…場合によっては、当て馬のように使われるのが常である。相場としては、彼らと同じ第四位等級の冒険者1人当たりの日当で考えると数百グレル。銅貨にして数十枚程度という、ちょっと良いパンを食べて宿屋で寝床を取ろうものなら手元には幾らも残らない。そんな端金で、文字通りに生命を買われるのだ。
それと比べると、今回の仕事は前金代わりの装備に軽食、寝床となるテントこそ無いものの応用が利きそうな素材の数々に加えて、使い捨てるどころか雇い主本人が、政府の目に触れかねない危険を冒してまで、ミスのフォローに走ってくれている。極めつけは、そのどれもが超がつくほど質が高い。ナイト達の手前、ハーターは敢えて言葉にはしなかったが、何か裏があると警戒するには十分だった。
「それによォ、単純に気になるじゃねェか。ベヒモスなんて連れていながら、俺らみてェなはぐれモンを雇おうってんだから、旦那の言う通りユニオンの序列にうるせェ幹部たァ思えねェ。どう考えても邪魔になるからなァ。かと言って、タダの世間知らずなご令嬢サマが、下手すりゃギルドの英雄染みたブツを商品だ、なんつって持ち歩くとも考えられねェ。少なくとも関係者か、そのツテは持ってる立場だろうよ。使い捨てられるんなら捨てられるで、今更ァ文句なんざ言う気は無ェが…せっかくの縁だ、前向きにしがみついてやろうぜ?」
あくどいながらも、どこか憎めない顔で言いながら、ハーターは先の質問に答えようとしているのかニャムニャムと唸って何事か考え込むナイトの頭を軽く撫で、続いてリラが離れてから口を利かず憮然とキャラメルを貪っているルークにも声を掛けた。
「よォ、ルーク…だったか。ずっと黙りしてるが、お前さんとしちゃどうだ?せっかく言葉が話せんだ、これからも仲良く出来ると思わねェかい」
それに対して、ルークは不機嫌そうに鼻を鳴らし、お菓子袋から顔を上げた。
「…愚蒙が。何を履き違えているか知らんが、儂は貴様等に気を許した覚えは無いぞ、人間」
その図体から鎧を纏えないことで、せめて肩当ての代わりにと左右の上腕にそれぞれ括り付けた巨大な壁盾を揺らし、問い掛けられたルークが遠雷のようなバリトンで唸る。その言葉を裏付けるように、ハーターを見下ろす眼光に、揺ぎもせず弛みもしない鋭い圧力を伴わせて。
「厚顔無恥は人の性と言えど、知りたくば斯様に醜い邪推などせず、面を通して質せば良かろう。如何に問おうとも、あの小娘は弁当屋としか名乗るまいがな。なれば、儂から語る由縁など無い。…彼奴がそうあろうとする限り、儂等は旅の弁当屋だ」
有無を言わせない低音で、有り合わせとは言え武装までした巨獣に凄まれ竦み上がる冒険者達。その両者の間に挟まれ、オロオロと狼狽えながら、ナイトがブーメランでルークを突付く。
「け、ケンカしちゃだめニャ~。オジちゃんも、あんまりルークを怒らせニャいでほしいにゃ。リラがどこから来たのかはわかんにゃいけど、たぶんとっても遠いトコロにゃあ。ヤマに道が無くってビックリしてたし、それに、ボクの知らないじょしりょくのゴハンすっごく美味しいニャ!」
言って、いそいそと背中のナップサックから取り出したスコーンを、ルークとハーターにそれぞれ差し出して仲裁を試みる。空腹と不安で恐慌状態だった自分にリラがしてくれたように、美味しいものを分け合えば、きっと両者は仲良く出来ると、小動物なりに精一杯の行動だった。
「お、おう…、喧嘩売ったつもりは無ェんだ。悪かったよ」
「ハーター、だから言ったろう。…済まない、ルーク。悪い奴ではないのだが、見ての通り調子に乗りやすいタチでな。悪気があるわけではないんだ。大目に見てやってくれ」
「無論だ、戯け。悪意を持って勘繰るような愚か者であれば、その侮辱を前に儂は暢気に菓子など食んでおらん」
グルル…、と低く喉で唸りつつ、その豪腕と比べて砂粒の様に見えるスコーンをナイトの手から摘み上げ、革袋のキャラメルと共に細長い口に放り込む。スコーンの味は、ほとんどしなかった。
「小僧に免じて、今だけ儂は物の覚えが悪い。だが、努忘れるな。貴様等は乞わずして救われ、餓えずして喰らい、戦わずして安堵を得た身である事をな」
言外に「次は無いぞ」と一層の睨みを利かせながら、空になったお菓子袋を手近な木の枝に掛けておく。リラが戻ってきたらおかわりを要求するため、適当に放置などして見失うわけにはいかないのだった。
「と、ともかく…僕も、このどこの工房とも違う装備の様式を見る限り、彼女はどこか遠方に基盤を持つ貴族だろうと思うけれど、それはさておくとして。君たちは本当に良いのかい?」
通常なら軍人ですらも恐れをなす巨獣の威圧に、底冷えするような空気を感じたミ=ランが細長い尻尾を文字通り巻きながら、話の流れを変えようとしてか口を挟んだ。同族ではないにせよ、近しい種族であるナイトが慌てつつもそこまで怯えているように見えないことで、何とか会話できる程度には冷静でいられたようだ。
「正直なところ、僕たちは大金を積んでまで雇う価値があるような実力者じゃない。それに…それに、僕はその……獣人だ。あぁ、彼女がそういう事を気にしそうにない事は君たちを見れば察しはつくけれど、そうじゃなくて…、身分が身分なら、行きずりの僕たちにここまでしては、何かと問題があるんじゃないのかい?」
改めて、自分が纏う細部にまで手の込んだ造りで仕上げられた厚手のローブを眺める。それまで着ていた安物もそうだが、〝獣人〟というのは、装備以前に真っ当な服というものを着る機会自体が無い。着ないのではない。着られないのだ。
「最近でこそ、帝国領ではシィスクやカラエタリアのように、獣人に寛容な都市も増えているけれど、それでも上級貴族が良い顔をしているのは見た事が無いよ。…彼女自身が気にしていなくても、立場とか―――」
「…ふん」
己の身の上に基づくミ=ランの悲観的な物言いを、ルークは皆まで聞かず不機嫌そうに鼻を鳴らして一笑に付した。
「敢えて言おう、人間よ。儂から見れば、貴様等は等しく『人間』だ。そして、リラから見れば、儂も貴様等もキャスメルも、破落戸でさえ等しく流血には痛みが伴うという。斯様な小娘が、如何な立場でなら同胞とも言える貴様等を虐げるというのだ。縦しんば囲いの雑兵が騒いだとて、小娘の態でいてドラゴンを狩り、その鱗を纏うような豪傑に楯突く愚か者など、探そうと見付かるものではあるまい」
「そ、そうかい…?確かに、ドラゴンを恐れないともなれば普通の貴族より発言力は………え?」
納得しかけたミ=ランだったが、僅かな間の後、その嗄れ声が素っ頓狂に裏返った。
「……なァおい、ルークさんよ、今ァ…何つった…?」
続いて、ナイトからもらったスコーンを口に運びかけたまま、顔を引き攣らせて硬直するハーター。
「…三度も言わぬぞ。彼奴は故も無く蛮行に及びはせん。無益な諍いを厭うのであれば、大人しくしておれ」
聞き分けのない子供に辟易するように言って、ルークはナイトのナップサックに手を伸ばす。…が、既の所で逃げられた。
「い、いや後だ後!その後!ドラゴンを狩ってその鱗を…ってェ、あの娘がか!?」
「バカな…!?ユニオンどころか、人の身で抗い得るものではない形を成す天災だぞ!?あの『銀面』が率いたカテゴリー・プラチナのパーティでさえ、3年前のドラゴン1体を辛うじて撃退するのが精一杯だったと聞く…。それを…狩る!?」
まるでおとぎ話の光景を目の当たりにしたかのように、グライスとハーターの目が見開かれた。その驚き様は、ルークの巨腕から逃げ回っていたナイトの方が思わず驚いてひっくり返るほどだった。ミ=ランは、素っ頓狂な声を上げたときから石化でもしたかのように固まっている。
親子以上に歳の差がありそうな、あんな華奢な美少女が竜狩り。俄には信じ難いが、それを信じさせる材料を、他でもない自分達が既にその身に装備している。加えて、目の前で小動物相手にお菓子を取り合っている巨獣は、彼の言動やリラ達の態度から忘れかけていたが、その天災に対抗し得る地上最強の生物ではなかったか。そしてリラは、そんな地上最強と対等に、親しげに接していた。
「何を驚く事がある。ドラゴンの体毛を編んだ首巻き、熨した鱗を縫い合わせた装束、剣として細く研いだ牙。よもや、見えてはおらなんだとは言うまい」
とうとう言葉を失った2人を余所に、ルークは舌舐めずりしながら、ついに捕まえたナイトが背負う革袋からスコーンを貪り始めた。「ひどいニャ!ひどいニャ!」とジタバタする小動物の抗議の声もどこ吹く風であった。
「……なるほどなァ。読めてきたぜ」
予想外にして衝撃的な真実を前に、引き攣る顔はそのままで肩を竦めるハーターの口元がヒクヒクと吊り上がる。アーティファクトや古代文明に繋がる発見などより、遥かに希少で運命的な出会いに対する緊張が、その表情からは見て取れた。
「旦那ァ、街を出る時によ…酒場で聞いた噂、覚えてるかい?」
「噂…?ツケが嵩んで店から出禁を食らったバカが居るという、あの話か?」
「そっちは覚えてなくて良いんだよォ!つーか噂じゃねェ実話だそりゃァ!…違ェよ、ホラ…シルバーのいけ好かねェボンボンが吹いてた話だ。ギルドマスターの隠し子……そいつァ生まれたは良いが人外だった。そのせいで誰からも祝福されず、誰からも隠さなきゃいけなくなったってェ噂だよ」
自らの現在進行系な黒歴史は、ひとまず横に置けとジェスチャーしながらハーターは声のトーンを少し落とす。権力者の隠し子、というキーワードだけなら、どこにでもある眉唾物のスキャンダルでしかない話だが、それを切り出した彼の表情は、推理小説にて主人公より早く真相に気付いた関係者のそれだった。場所が場所なら立派な死亡フラグである。
「よォく考えるとよ、そもそもあの嬢ちゃんは色々とおかしい。貴族かと思えば身分を気にせず語りもしねェ。薬師かと思えば薬どころか市場じゃ見ねェ魔法薬をポンと出す。挙句の果てにゃァ、ベヒモス連れて狩ったドラゴンから服を作って着てるだァ?商人にしろ傭兵にしろ、そんな大物が無名なはず無ェ。なのに、俺達ァ知らねェどころか話に聞いたことも無ェ。なんもかんもがズレ過ぎだ」
「言いたいことはわかるがな…。ハーター、それも余計な詮索だぞ。第一、それが何故ギルドマスターの隠し子と繋がるんだ?可能性の話なら、ドラゴンを狩れるという話を疑う方が……」
ハーターが言わんとする仮説を察し、グライスは軽い溜め息とともに眉根を寄せた。話題の人物が謎に包まれた美少女ということもあり、確かに興味深い話ではあるが、先程ルークに釘を差されたばかりでもある。窘めようと口を開くが、ハーターはそれに人差し指を立てて横に振りながら遮った。
「チッチッチッ。逆に考えるんだよォ。嬢ちゃんが無名なんじゃねェ、周りがその名前を…存在自体を隠そうとしてるんだとしたら、どうだ?…ユニオンの一角を治める長の隠し子となりゃァ、全部の辻褄は合うんだよ」
武器や防具、薬にお供、そして彼女自身の振る舞いからも伺える育ちの良さに加えて、そんな見た目に反して半死半生の患者を前に治療に臨もうとする胆力。それらは確かに、ギルドマスターという社会の柱とも言える強力なキーワードと繋がることで、一応の筋は通って見える。…見えるだけだが。
「つまり、あの娘は語らねェんじゃねェ、語れねェんだ。口を止められてんのか自分の意志かはともかくな。箱入り娘なんて言われて否定しなかったが、あのお転婆っぷりを見るに可愛がられたってよかァ、どっちかてェと、俺ァ幽閉に近かったんじゃねェかと見るぜ」
ゴシップ記者ばりの発想とも言うべき突飛な推論を述べて、ハーターは「なァ?」と各人にドヤ顔を披露する。そこでようやく、ミ=ランの意識も返ってきた。
「そ、そうか…。だとすると、僕が感じていた違和感にも説明はつく。注意深く見ないと気付かなかったし勘違いかと思っていたけれど…彼女のマナは現世のどの神秘とも繋がっていなかった。…1人で完結していたんだ。まるで…、うまく言えないけど、喩えるなら…そう、彼女自身が1つの世界そのものみたいに…」
神秘。この世界で魔法に携わる以上―――否、例え魔法とは無縁の生活を送っているつもりでも、この世で生きとし生けるものすべてに等しく存在する理の源流。すなわち、世界の真理。
この世界で言う『魔法』とは、その〝神秘〟と己に連なる理を紐解き、解釈した〝物語〟を詠唱として読み上げることで、その現象を発現させる『詩の朗読』である。当然、その向き不向きは術者の性格も含む生命から抽出される魔力が、どの神秘大系に属しているかで左右され、魔法に限らず、個人差・個体差はあれどすべての生命の性質は、この自らに繋がる神秘の影響を受けると言って良い。
しかし、リラにはそれが……無かった。少なくとも、魔導士としてマナの流れを汲む事を知るミ=ランから見て、彼女はこの世界のあらゆる理から独立していた。超人だとか只者じゃないとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてないのだ。
(……口が過ぎたか。許せ、リラ)
全くの見当違いでこそないものの、正確に的を射てもいない憶測に浮足立つ冒険者を一瞥し、己の失言を悟ってルークは心中でリラに謝った。『朱羽根・リラ』、この名を知らない者の前では、女子力高めなしがない魔術師。初めて会った時に、何かを惜しむような憂いの表情で名乗った少女の顔を思い出し、黒い眼を細めて反省する。最後の1個となったスコーンを齧りながら恨めしげに見上げてくるナイトにも、ついでに反省しておく。
「人間をして、『人の外』とはな。…下らん」
吐き捨てるように呟いて、グルル…と唸った。
「らァあああッ!!」
「ヴガァアアッ!!」
振り向きざまに合わせ気合を乗せた大上段からの一振りに、野太い悲鳴と少ない血飛沫が重なる。和太鼓の連打を思わせるその慟哭に押しやられるように、筋骨隆々としたオーガの巨体から、人間の子供の胴回り程はあろうかという太さの左腕が斬り落とされた。
「うおっ、なんだこの斬れ味!マジか!?」
豪刀を振り下ろした当の本人であるカイルが、その刀の威力に思わず驚いた。なまくらだったとは言え、それまで使っていた剣では斬るどころか傷一つ付ける事も叶わなかったオーガの肉を容易く裂いた事実と刃に、見開いた目と口が閉じなくなった。
僅かな放心。その一瞬の隙は、彼の若さを考えると無理からぬ事だろうか。しかしながら、戦場における暴力に、若さは何の言い訳にもならない。それを裏付けようとばかりに、今度は相対するオーガが雄叫びとともに、残っている右腕で凶悪なスパイクを乱雑に生やした棍棒を振り被る。
(ヤベッ―――)
頭上に迫る危機を察するも、その身体の反応は刹那の放心の分だけ遅れた。そして遅れた間に、棍棒は彼の脳天を目掛けて打ち下ろされ―――。
「奇襲は静かにやりなさい」
キィンッ、と甲高い風切り音を響かせ、カイルの肩を足場にしたリラが、レイピアの打ち払いで棍棒を文字通りに打ち砕いた。
(これ絶対に力負けしてると思ったのに…それでもDEX判定が掛かるジャスパで脆そうなとこ狙えば武装破壊は決まる、と。やっぱ盾だわこの剣)
武装破壊―――『婚活剣』の愛称で親しまれたコンカッション・レイピアの専用拡張能力であり、攻撃に対してタイミングを合わせて武器防御することで発生する衝撃を利用し刀身を振動させ、増幅した破壊力を以て武器の耐久値を削り、武装を強制解除させるという特性―――によって得物を失い、同時にバランスを崩したオーガは、纏わり付く煙幕の効果も合わさって転がるように倒れ込んだ。もしも剣の能力が通用しなかった場合は、賭けになるがオブジェクト無効の肉体と、低いとは言え物理耐性がある戦闘服に頼ってその身で受けようと考えていたが、杞憂だったことに内心で安堵の息を吐く。
「ボサッとしない。退くよ」
赤いコートを翻して地面に降り立ち、隣で言葉を失っているカイルに鋭いソプラノを向ける。ボサッとしていたわけではなく、ほんの一瞬その目に映った美少女の残像に、知らず目を奪われていたのだ。
小柄な痩躯でありながら、倍以上の体格差を物ともしない跳躍。爪楊枝のような細身の剣で、凶暴な鈍器とカイルの間に割って入り押し勝つ度胸。それらが、先程までの商家の娘然とした軽妙な態度から打って変わった怜悧な雰囲気と相俟って、より鮮烈に網膜へと焼き付いていた。
「…退くよってば!」
「ブっ!?」
銀で装丁を飾った、百科事典並みに分厚い魔導書の背表紙で顔面を小突かれ、ようやくカイルは我に返る。白煙が周りを覆い隠しているとは言え、今は敵陣のド真ん中。惚けるにはまだ早い。
叩かれた鼻っ柱をさすり、打ち合わせで言われていた透明なポーションを、少し逡巡してから、意を決して頭の上から浴びた。
「……お、おぉお…透けてくぞ、なぁ大丈夫なんだよな、コレ…?」
「大丈夫。視覚的には完全に透明になってるよ。自分とPTメンバー…あとは看破系の何か使ってる人だと、ソウ……えっと、生命のエネルギーみたいなもので存在を知覚できるけど。ほら、走って」
微妙に噛み合わない受け答えをしながら、リラは鈍い動きで立ち上がろうとしているオーガに視線を固定し、空に向けて左手を翳す。戦闘から離れる前に、置き土産を残していくつもりだった。その手の横で、魔導書の燐光が舞う。
「【対象限定、敵性ソウル。広域化、抵抗力貫通《狐の嫁入り披露宴》】」
涼やかに唱えられた呪文に応え、雨雲の無い夕焼け空から降り出す魔法の雨。その雫を浴びながら、煙越しに同士討ちをし始めた蛮族の阿鼻叫喚を聞き、リラは満足そうに目を細める。
「…うん。カスタム魔法だけど雨も追加呪文も不具合無し、抵抗られてる様子も無し、と。むしろ幻覚でネームタグを隠すだけの魔法でこれなら、逆にブッ壊れまであるね。はいこれ引き出物ー」
敵と味方の区別を失い、同時にそれまでの統率も失った怪物たちを余所に、腕を落とされたオーガの傷にキュアポーションを投げ付けてから、カイルに続いて自らもハイドポーションで姿を隠しつつ煙の中から脱出する。デバッファーたる自身の主力となる魔法と愛剣の十分すぎる性能。試行回数こそ少ないが、これらの有効性が実戦で確認できた事は彼女にとって大きな収穫だった。
どうなることかと思っていたが、存外とやれるものだった。この分なら、これからも旅人として諸国漫遊生活を送っていくに不足は無いことだろう。
(…とはいえ、せっかくショトカパレットの枠を気にしなくていいんだから、もう少し呪文と効果を細分化させてみたいかな。種族の指定とか、効果の処理順とか……ピタゴラスイッチみたいな魔法が作れたら面白そうだし、今度ヒマなときにでも考えてみよう。女子力が捗るねぇ)
今後に向けた課題も見え、それを利用した悪巧みも思い浮かべつつ、先に煙幕の外へ出ていたカイルと合流し離脱する。不可視化に加えて遮蔽物の多い環境、雨による足音の偽装と匂いの隠蔽、何より、薄れつつある煙の向こうの混乱具合から、追撃はまず無いと判断できた。敗色濃厚だった帝国兵にとっても、これ以上の撤退支援は無いだろう。背水の陣でもない限り、速やかに陣営へと引き下がってくれるはずだ。
「さて…なんとかなったところで訊きたいんだけどさ。……寂れたとは言え仮にも人里の近くでこの有様ってマジ?こんな危ないトコで人なんて住めるの?村があるって話だけど、ガセだったりしない…?」
「さぁな。逆にこっちが訊きてぇよ。蛮族なんてどこにでもいるっちゃいるし、ビースト退治なんて百姓が副業で始める程度にゃいつもの事だけどよ、この辺にいる奴は、オレの知ってる蛮族じゃねぇ気がする。だから普通じゃねぇって言ってんだ。村はあるはずだが、残ってるかどうかは…怪しいとこだな」
草木の茂る密林を駆け抜けながら、その後ろを追走するリラの疲れたような質問に対して、カイルもまたうんざりしたような溜め息で答える。リラとしては、そもそも人間の生活圏とあのような怪物の活動範囲とが重なっている事自体が既に異常事態なのだが、カイルの口ぶりでは、そこまではあくまで日常的な常識の範疇らしかった。
(一難去ってまた一難…か。やることやったら、村の様子も早めに見に行かないとね。ホント世紀末…)
もはや数える気にもならない溜め息を心中で吐き、次の目標への新たな問題を思うと頭が痛んだ。そんな頭痛の種を噛み潰しながら、気休めを求めて口を開く。
「副業て…。そんな片手間に生命まで懸け…いや、ごめん。何でもない」
リラにとって、資金とはいわば手段。生きるための手段であり、生活を維持するためのリソースの1つでしかない。金のために死ぬなど、そんな彼女にしてみれば有り得べからざる絵空事と言える。しかし、それを冗談に乗せようとした所で、目の前の青年がその絵空事に冗談抜きで身を置く者であることを思い出し、口を噤んだ。
「……ンだよ、嫌味ぐらい言わせろよ」
明確な額面こそ不明だが、多大な資産を所有する立場だろう少女に貧乏人のやっかみでも当て付けてやろうと思っていたカイルだったが、貴族というには物分りの良いリラを前にしては逆に閉口せざるを得ない。そんな殊勝な態度で言葉に詰まられては、まるで虐めているような気分になる。年下にしか見えない容姿の差もあって、さすがに気が咎めた。
「そりゃそうと、怪しいって言やあ、お前の方こそどうなんだ?」
「…私?」
「その剣、飾りでぶら下げてるにしちゃ素人の動きじゃなかったよな?」
少女が纏う不思議な雰囲気のせいか、あるいは自身の金持ちに対する僻みと引け目のせいか、価値観の違う二人の間に漂う居心地の悪い空気に耐えかねて、カイルは苦し紛れに自分の分野に通じる話題を振ってみた。口にしてみて改めて思ったが、やはり彼女はただの令嬢として見るには違和感がある。
どんなに貴い身分で武芸に重点を置いた教育を受けていたとしても、それが実戦で使い物になるかは別の話だ。まして、人を踏み台にして体格の利を覆すなど、それこそ実戦でなければ使わない。カイルのように泥に塗れて戦うのが当たり前な野武士ならまだしも、高貴な家柄の出身であれば、野蛮と言って嫌う類のものだろう。見栄えや気位を気にするような城仕えの指南役が教えるような技術ではない。突撃前のブリーフィングでも、緊張の色こそ見えはしたが、その上でやけに落ち着いていた。
「…なんかごめん。隠すわけじゃないんだけど、能力はあっても実戦は初めてっていうか…ホントに素人なんだよ。普通の人よりスペック自体は高い自信あるけど、それだけなの。この剣も、武器っていうより牽制だから、実質やっぱり飾りなんだよねー」
困り顔で答えながら、飾りであり盾である剣の細い刀身を爪で弾く。ゲームだった頃は、単体での攻撃力の低さを補って余りあるその固有エンチャントにより、唯一無二の脳筋殺しとして知られていた『剣の形をした盾』。そんな攻防が一体となった愛剣を活かす、絶妙な間合いとタイミングで相手を自由にさせない立ち回り。そしてそれを可能にする身体能力。確かに、素人と言うには熟れ過ぎているとリラ自身も感じてはいる。…が、いくら戦闘能力が高かろうと、それだけが自分のすべてだなどと言うつもりは無いし、また、それだけが現実で戦闘の質を判断する基準になるとも思っていない。
文字通り生まれ変わった新しい自分、『リラ』が引き継いだカタログスペックがどうであれ、彼女はこの世界に於いて新参者であり、その身の丈は、間違いなく素人のそれなのだ。
「だから、何かを期待させちゃったんなら、悪いけどそれは勘違いだよ。ちょっと訳アリで女子力高いことを除けば、ただの女の子だからね、私」
「その『訳アリ』のところが聞きてぇんだけどな…。何だ、ユニオンに追われたりでもしてんのか?」
「……。その辺についてはホントに素人として扱って。対外的なことはいつも人任せにしてたせいで、社会の常識とかガチで何も知らないから。ユニオンって何?」
「…素人っつか、ガキじゃねーか。いや、ガキでもユニオンぐらい知ってるぜ。赤ン坊かよ」
「ばぶー」
…と、お互いに武器を収めて軽い冗談を交える余裕も出来たところで、2人は走る速度を緩めつつ、ここからはリラが現時点で何よりも必要とするもの…即ち、社会通念の簡単な講義が始まった。
武力や魔力、そしてそれらを労働に用いる人材を送り出す『レイバーズ・ギルド』を筆頭に、物流に於ける交易や営利活動といった商取引を取り纏める通商組合である『アモン・カンパニー』、農・林・水などの第一次産業を神からの賜り物とし、その開拓と発展に努める『聖壌教会』と、その3つから成る社会基盤たる『ユニオン』。各地で人々を脅かすビーストといった危険な存在。度々その名前が出てきたレースガルド帝国のお国柄と情勢、それに連なる人種間の格差。その帝国と並んで大陸を二分する東方の大国、サト・ノス連邦と両国の国交状態。『魔法』と『魔力』の定義と関係に、それを利用した『魔導器』なる文明の利器。
「…で、連邦から伝わってくる魔導器ってのが、また変わりモンが多くてな。買おうと思うとムダに高ぇんだ、これが」
「へぇ~」
(と、ここまでを要約すると、ユニオンは国際的な経済同盟…って考えていいのかな。魔法に関してはグラコのネイチャー魔法が近い気がする。神秘≒星の摂理ってとこで、マナ…が少し不透明なとこあるけど、ネイチャー魔法に関連付けてこじつけるとするなら、ソウル。アクウィザの私が使うアビス魔法とは根本的な術理が違う。…なるほどねぇ)
深淵魔法と自然魔法。自らがよく知る魔法の基本原理とその違いを頭の中で代入し、リラは傍らの魔導書を見遣る。術者が自然界の現象に介入し、あらゆる物質に核として存在する『魂子』が反応を起こすことで発生する『ソウル』というエネルギーを操るネイチャー魔法に対して、彼女が用いるアビス魔法は、自己の深層に根付く思想や理念といった〝意思〟を自身の自我たる魂から削り出したエレメントそのものを変容、反応させて表に発露させる、簡単に言えば空想を現実に反映させる魔法であり、やはりというか、この世界では一般的ではないという印象を受けた。
「…ていうか、そんな魔法魔法って言ってる世の中で魔法が苦手とか生き辛くない?実は主人公にありがちな、落ちこぼれの皮を被った天才肌だったりする?古代詠唱とか幻想殺しの右手とか九尾の人柱力とか」
「だったらいいんだけどなぁ…あー、マジで。どっかにそんな才能とか落ちてて拾えねーかな…ってか幻想殺しって何だよそれかっけーな」
「なんて言ってたらホントに何か拾っちゃったりしてねー。…あ、待って。アレは?」
なにかのフラグになりそうな、溜め息交じりの言葉にクスクスと笑って返し、木々の隙間から見えた麻袋のような物体を指差す。何か強い力で叩き付けられたようで、傾いた木に出来た窪みに引っかかっていた。
立ち止まり、ざっと眺めてみたところ、周囲に罠や待ち伏せの気配は無い。念の為に動体探知の魔法も唱えてみたが、最も近い大型の反応とは100メートル強の距離があった。生活行動ではない動作である魔法の使用を行った事でリラの透明化は解除されてしまったが、これだけの距離があれば、気にする事でもないだろう。安全を確認し、2人で麻袋まで歩み寄る。
「どう?」
「…ああ、中身はオレたちの荷物で間違いねぇ……んだが、ひでぇザマだ。蛮族のヤツら、テントにあったもん片っ端から詰め込みやがったな、クソが」
袋の中身を確認し、カイルは肩を竦めて首を振る。その言葉通り、麻袋の中は整理整頓という言葉とは程遠い惨状だった。予備の衣服や装備の替えに始まり、雑に捩じ込んだかのようにグシャグシャの紙束にキャンプ用品と見受けられる鉄製品。後ろから覗き込んだリラも、思わず目眩を覚えて眉根を寄せた。
「うわぁ…ものの見事に。じゃあ、身元が割れそうな貴重品なんかは最悪蛮族が持って行っちゃってたり…?」
「マジかよ、シャレになってねぇぞ…。いや、待て……、それに関しちゃ運が良かったな。最低限これだけはってもんは纏めてある。あとのは、大体ここに来てから調達したりしたもんだけだ。こいつさえ持って帰れば、まぁ大丈夫だろ」
「ふぅん…。それなら、もう戻ってもいいんだね。あ、私が持つよー」
確認を終えた麻袋を嘆息と共に担ぐカイルの言葉に、何か引っ掛かりを感じながらも、その荷物は自分が運ぶほうが楽になるからと手を伸ばすリラ。彼女には筋力こそ無いが、異次元ポケットに放り込んでしまえば重量など関係ない。この後も身を隠しながら移動することを考えると、そうするほうが得策だろう。
「―――、―――…ぇ―――……」
「?」
だが、伸ばした腕で荷物を抱えた彼女は、それを仕舞わぬまま、キョロキョロと周りを気にしだした。
「どうした、やっぱ重かったか?」
「あ、ううん…思ってたより大丈夫。多分、オブジェクトだから重さで私の行動を制限できないのかな。それより、今なんか…人の声みたいなの聞こえなかった?」
「…声?」
言われて、カイルも同様に耳を澄ませて周りを見渡す。すると、風と葉擦れの音に紛れて、微かにだが、聞こえた。
「……、…―――、だれ……か…ぁ…」
虫の息で、救助を求める女性の喘鳴が。
「やっぱり聞こえた。《透視・熱源体》」
聞こえたとなれば、リラの行動は早かった。視界内のソウルによる熱源を強調表示させる魔法を唱えながら、手早く証拠品を投げ込んだインベントリから入れ替えるようにエリクシルを取り出して周囲を探ると、草に覆われた岩場で、倒れた大木の下敷きになっている人影を見付けた。
「いた!聞こえてる?大丈夫、助かるよ!私が助けるから、気をしっかり持って」
急いで駆け寄り、軽自動車並みに太い倒木の下、僅かな木と岩の隙間から縋るべき救いを探して力無く伸ばされる細い腕を掴み、確たる意志を込めて呼び掛ける。生きてさえいれば、どれだけ酷く負傷していてもエリクシルという究極とも言うべき万能の薬がある。だが、どれだけ優れた回復手段やどれだけ有効な治療を施す事が出来たとしても、最後に生死を分ける線引きとなるのは本人の生命力…即ち〝生きる意志〟が有るか無いかで決まる。そんな生死の境を彷徨う患者にとって、その一線を越えさせないために重要なのが、この生者による〝呼び掛け〟だった。こうして強い意志で明確な希望を示すことで、生きることを諦めさせないのだ。
「…ぅ、…はっ―――、たす……け……」
「助けるよ。絶対に助ける。だから諦めないで」
大袈裟なほどに語調を強めて、このために望んだ美声で呼び掛けながら、掴んだ手に霊薬の雫を落とそうとして―――その手の状態と地面が夥しい血に塗れているのを見て思い止まった。
(高い体温と皮膚の壊死…何かの感染症…?それにこの出血量…もし枝での刺創や圧迫で臓器の損傷があったら下敷きになったままじゃダメ…滴下するだけじゃパラドックスを解決出来ない。まずはキュアの効果が無いヒールでHPを維持。止血は魔法でするには見えてないといけないから凝血作用の…ダメ調薬してる暇なんて無い。せめて麻酔を…拘束用の麻痺魔法は微調整が利かない。幻覚で神経を誤魔化す…のは却って錯乱させる。何か…他に、何か―――)
頭の中で、あらゆる可能性が高速で去来する。学んできた知識の引き出しを開けてはひっくり返していく。目の前の患者を救うために、20年分の勉強の成果が今、必要だった。
しかし、リラはやはり…素人だった。
研修どころか、受験の合否すら判明する前にその道を絶たれた、元・医学部生。
救急医学の知識はあっても、その知識を的確に引き出し、最適な順序で行動に移すために不可欠なもの…〝現場経験〟が、決定的に不足していた。
「かはッ……は―――ぁ……」
そんな彼女の前で、メキメキという不穏な音を鳴らして不安定な岩場に倒木が沈んでいく。
「…!な、何か…手段を…!」
弾かれたように顔を上げ、抱えるようにその木を押し止める。物体の重量に関係なく、彼女が押さえることで木の動きは止められるが、生命を救うための制限時間のカウントは、止められない。
(考えろ、考えろ、思考を止めるな考えろこのサイズに押し潰されて息があるってことはそれだけ空間が出来ているはずだし声が出せるってことは気道も維持できてるはずだからまずは木がこれ以上動かないように…でもそれじゃあこの出血量は?明らかに傷が塞がれてないのがわかるし早くこの傷だけでも止血するには木を持ち上げて…でももし枝とか刺さってるんなら下手に動かせば余計に傷を広げかねないしそうなると痛みと出血に耐えられる保証は無いから少なくともHPの維持は並行しないといけないけどヒールだけで賄おうとすればCTを守れる保証も無いしだったら…だったら…?だったら、どうしよう?どうすれば…ぁ…なにこれ、わかんない)
混乱に我を失うことも出来ない冷静な思考が、刹那の四半で導き出した解答は…到底、受け入れられるものではなかった。
情報はある。知識もある。物資も潤沢であるはずだ。にもかかわらず、それを〝どうすればいいか〟がわからない。
その答えを識るために、彼女は医学を学んできたはずだった。だが、それによる帰着が、あろうことか『解なし』などと、笑い話にもなりはしない。
この状況で、リラの思考がそこで絶えるという事は目の前の患者の死を意味する。救うためには、生命維持という大前提をクリアした上で、木と岩の僅かな隙間から患者を速やかに救出せねばならない。その救出の方法も、ただ力任せに引きずり出すのではなく、慎重さと丁寧さが要求される。
課題はわかった。だがその続きを考えなくてはならない。つまり、如何にして怪我人の生命を保ちつつ、如何にしてこの巨大な倒木を固定しながら怪我人の身体を引き出すか。
(通報して指示を……帝国軍?そうだ軍医なら…いや馬上でマスケット構えるような軍の技術をアテには…ダメ止まる、止めちゃダメ考えろ、続き…何か続きを、何かヒントを―――!)
途切れかける思索の糸を繋ぎ止めるべく、新しい情報を求めて頭を振るように首を巡らせる。しかし、周囲は文明など皆無な原生林。高度な文明医療を学んできた彼女が生み出せないものを、周りの環境が内包しているはずも無く。
「お嬢、そのまま押さえてろ!」
せいぜい、目の前の巨木に渾身の一撃を繰り出して透明化が解けたカイルが横にいる程度であった。
「―――って、は!?ちょ待っ、何やってんの!?」
目を見開いて、慌てて制止の声を掛けるが、既に振り下ろされた一刀は対象物に深く斬り込んでいた。両断するどころか、幹の半径にも届いていないが、二度三度と繰り返せば、真っ二つに出来るだろう。ただ、文字通りに力技であるその行為は、患者への負担を危惧するリラにとって、暴挙と言う他ない。
「見りゃわかんだろ!ぶった斬ってどかすんだよ。急がねぇと手遅れだぞ!」
「そんなん見なくてもわかるよ!乱暴にしないでって言ってるの。力尽くはナシ!」
「じゃあどうするっつんだ!抱えて持ち上げるってのか?」
「それを考えてるの!ってか動かすのは論外だから!」
「考えてんだな?じゃあそれはお前に任す。そん代わり、考えてる間に取っ払うのは任せろ」
言いながら引き抜いた刀をカイルは再び振り被る。その腕を、逡巡の後に飛び付いたリラが縋るように阻んだ。
「待ってってば!下手に衝撃を加えたり荷重をずらしたりしたら…」
背伸びして頭一つ以上高い位置で振り上げられた腕を押し留めようとする。その間も、頭の中では目まぐるしく記憶のページを捲りながら思考の書き出しが続いているが、妙案は浮かばない。そんな状態で、下手をすれば致命的となりかねない力技など看過できるはずも無かった。
「お願いだから待って。今考えてるから…全部が噛み合う解を考えてるから…!」
だが、カイルもまた、彼なりに目の前の生命を救うために、リラの真摯な制止をそれで良しとは出来なかった。
「…悪ィけどよ、オレあんま頭良くねぇんだよ。ゴチャゴチャ考えんのは性分じゃねぇし、考えたってロクな事になったタメシが無ぇ」
必死な顔で見上げてくる少女を見返す彼の目は、言葉とは裏腹に自棄を起こして見境を失くしたようにも風前の灯は立ち消えて当然と諦めたようにも見えない。むしろ、見えているものは違えど、リラと同じ方向へと向けられた迷いの無い目だった。
学も無く、冒険者としてその日暮らしに追われる生活を送るカイルにとって、この身が置かれている現状は必ずしも稀というものではない。だが、人の生命に稀もざらもありはしない。助けられるのなら助けたいと思っているのは、カイルとて同じであった。ただ、状況から得られる情報でわかる事が…出来る事が違うだけ。そして、そんな彼にわかるのは、巨大な木の下敷きになっている人の生命が危ういということ。出来るのは、その木をどかすこと。
「だから、細けえこと考えんのはお前に任す。好きそうだしな。その間にオレはオレの出来る事をやっといてやる。そうすりゃ、弾みでお前も何か思い付くかも知れねぇだろ」
「それは多分私にも出来るの!だから、やるならせめて私に出来ない―――」
そこまで言って、寄せられていたリラの眉根が、一転して緩められ、何かを発見したかのようにカイルを見上げる目が見開かれた。
(出来ないこと…?逆に今の私に出来ないことって何?死者の蘇生?肉体だけなら完全に治せるけどその後は?一度亡くなった生命を復活させたとしてそこに備わる精神の同一性…〝自我〟を魂とするならそれは同一人物?そもそもこんなバカげた前提が成り立つのは何で?エリクシルがあるから?そのエリクシルは私が製作った…〝私〟がバカげてると思うことでも〝私〟には出来る?生きてさえいれば助けられる…生命の定義から不可逆性を排除出来れば…)
「―――それなら…出来る…?」
鮮やかな紅色の虹彩が見開かれるその瞬きの間に、彼女の脳内を駆け巡ったバカげた発想…と、前世の自分なら一蹴していたであろう現実逃避にも似た思考が行き着いた1つの解。それは出来るか否かで言うのなら、おそらく出来る。というより、出来るとしたら彼女にしか出来ない。
思考を現実にする術を行使でき、それを創成し、そして尚且つ現実で他者の生命に通じるための医学の知識と女子力を併せ持つ魔神である、彼女にしか。
「何か思い付いたのか?」
泣きそうにも見えたほど切迫した顔色から打って変わって静かになった美少女の表情。その目の色に、細くも確かな勝ち筋を見出した者の覚悟の灯が点いたのを見て、カイルもリラを押し退けようとしていた力を緩めた。
「おかげさまでね。…正直、常識外れもいいとこだけど」
「もともと常識無かっただろ」
「確かに。じゃあ、いっそ大袈裟に…」
カイルの力が緩んで、自らの提案を聞く意思があることを確認したリラが身体を離す。頭の中では、常識を外れた酔狂とも言える理屈がいくつも飛び交いながら、顔の上では微笑む程度の余裕を取り戻していた。
「解答は見えた。今から世の理ってヤツを振り切ってやる」
「………は?」
世の理を振り切る。魔法が苦手どころか、ろくに読み書きも学んでいないカイルは、その言葉の意味がわからず唖然とする。しかし、たとえ学があったとしても、おそらく今のリラの思考には置いてきぼりを食らっていただろう。
そんなカイルに背を向けて、リラは改めて患者の側にしゃがみ、血に塗れた細い手を取る。もはや握り返す力さえ残っていない、か弱い手を。
そして、カイルはさらに唖然となった。
「絶対に、助けるから」
呟いて、瞑想するように瞼を閉じたリラの背中。そこに、絢爛な大翼が現れていた。
まるで初めからそこに生えていたかのようにはためき、黒と真朱の羽根毛に覆われた翼腕から真紅の羽根をはためかせる6枚3対の豪奢な翼。オジギソウのように合わせ羽根を揺らす、雅に畳まれた尾翼。天の御使いが戴く後光のように輝き、桜色の燐光を舞い散らせる4枚2対の光の翅。
肩甲骨から腰にかけて、光が縁取る蝶の翅を陽炎のように燻らせ、7本の腕のような骨格を窮屈そうに折り曲げながら佇むその姿は、さながら翼を休めに地上へ降り立った鳳凰かと見紛うような光景だった。
「…お前……」
唖然とした表情のまま、その心情は別の意味で、カイルは言葉を失っていた。
そのハネはなんだ、とかいつの間に生えたんだ、とかお前ナニモンだ、とか服の切れ込みってそういうことか、とか。混乱する頭で思い付く台詞は多くあれど、どれも口に出すことができない。
あるいは、見惚れていたのかもしれない。『翼を持つ獣人』などという、陳腐な存在ではないことが一目でわかる、その美少女に。
「傾聴せよ」
やがて、ゆっくりと瞼を開いたリラが、同じくゆっくりと唇を開いて涼やかなソプラノを奏で上げた。
すると呼応するように、風が、木々が、大地が、それらのマナが、色鮮やかな流れとなって彼女を中心として静かな渦を巻き始めた。それを後ろで惚けながら眺めているカイルには何が起こっているかまるでわからないが、その極彩色の流れとなったマナは密度が濃いだけでなく非常に広く、魔法を扱う才能など無くとも、常ならぬことが起ころうとしていることはすぐに察した。少なくとも、身近な魔導士であるミ=ランが何かの魔法を全力で唱えても、こうはならない。
(ぐっ、な…何よこの情報量!?―――落ち着け、私。肉体の感覚を取っ払って魂で直接情報を取り込む魔法創成を使う以上、これは想定内。ただ惑星からの応答が無いのは想定外!!魔神だろうと魔王だろうと星にとっては他所者ってことか!Okay。ならこっちで勝手に進めさせてもらうよ。慌てずに…意識して情報を取り分けて…この現象、これは実体化した私の翅から漏れ出すエレメントに周りが反響してる。この流れが『魔力』?。エレメントが干渉することで発生させられるなら、やっぱり性質はソウルに近い。これなら…いける)
「魔神ライラックがここに制定する」
桜色の輝きを伴って緩やかに逆巻く風の中心で、まるで祝詞を上げるように厳かな美声が響く。或いは、これから行うことを考えれば本当に祝詞なのかもしれなかった。
自らの自我そのものと言える魂の欠片。光の翅から鱗粉のように溢れるその粒子を、尾翼と主翼が羽撃くことで撹拌させ、満遍なく空気の中に散らしていく。そのエレメントを通してマナに触れ、識別し分別する。肉体を介さない代わりに、どんな情報も取り零すまいとするかのように、彼女の側頭部…両耳の後ろから、淡い光が髪の隙間から漏れ出していた。
(まずは色分け…星からの情報提供が無い以上ここで手は抜けない。これは白…白?…違う、白が赤を挟んで…分子構造?えっ、マジで?)
本来であれば、『スティグマ』という惑星との協力関係を示す〝刻印〟を持つリラにとって、エネルギーの属性やその性質といった情報は、わざわざ自分で確かめるまでもなく、刻印を通して星から直接引き出せる。しかし今は、その刻印が機能していない。理由は概ね予想が付くが、ともかく今は自分で1から情報を得て、且つその中から必要なものを取り分けていく必要があった。それも―――
(ってことはこれは水分子。焦点が大きすぎる。もっと小さく…原子……まだ大きい。もっと、もっと小さく……)
―――膨大な量の〝情報〟が、無造作に、乱雑に、滅茶苦茶に入り乱れ、それらが何の順序も、秩序も、遠慮すら無く意識に直接傾れ込んで来る、この中で…だ。
(…集中。雑念は忘れろ。痛みは耐えろ。誰にも見せなきゃ無いのと同じ)
まるで頭を万力で締め上げられているような、筆舌に尽くせない頭痛を前に、思考は千々に弾けそうになる。そうはさせまいと歯を食い縛り、図書館が幾棟も建つような情報量を瞬きよりも早く捌いていく。その入力と出力の著しい変動を表すように、側頭部から漏れる輝きも、更に強くなっていた。
(この金色さっきから…、消えた…?いや、蒸発…違う、これはクォークの崩壊に似てる!これだ。…細胞構造、化学物質、熱量の下限に魂魄、霊体と記憶の信号情報…よし、全部揃ってる…十分)
「王亡き城への、標無き道にて、王の末裔たる私が詠う。これを新たな約条とする」
無数の色の流れを掻き分けて、花弁の如き燐光が舞う。その流れの先で、迷子のように揺蕩う陽炎を包み込んで、次の流れへ。流れた血も、裂けた肉も、魂さえも。複雑にマーブル模様を描く情報の濁流に曝されながら必要な情報たちを他の色から守りつつ、戻るべき場所へ誘うようにリラの手元へと集めていく。
(精神体である〝魂〟を物質と同じように1つの構造として考えて、それを構成するエレメントが他と反応する前に私が割り込んで隔離。それを介して私が思考する空想を転写。現象として確立させるのに必要な分は確保できた。あとはそれを唱えて、そして)
「すべてを凍らせ、凍えず眠れ。血肉も生死も、可逆の営みは、この手の内に。故に、安き眠りは永きに非ず、貴方の目覚めは健やかであれ。この約条を、私の名を以て理の上に書き記せ。その法の名は―――」
(この魔法に、名前を付けてEnter)
「《仮死・凍眠法》」
リラが握っている患者の手が、冷却の原理を無視して凍っていく。周辺に溢れ出し、蒸発して他の流れに取り込まれるのを待つだけとなっていた、その魂ごと。
本来なら、起こり得ない事象。有り得ない現実。瀕死とはいえ生きた人間を―――『人間』を構成し、生きていると定義するためのあらゆる要素を生きたまま凍らせると同時に、精神体である魂魄と共にその状態を固定する。現代のボディクーリング、いわゆる冷凍睡眠の理論に近い発想でありながら、その過程と結果は、それらの理論から遥かに飛躍した超常現象であると言えた。
世界を欺き因果を騙し、あらゆる理に先んじて、蘇生不可能な『死』よりも早く生命と結び付いて遠ざける、蘇生可能な『仮死』。〝死の定義〟から不可逆性を取り除き、新たな概念として確立させていることで、外力による破壊や損傷、いかなる理屈を用いても、これ以上はもう死なない。
それは前世で学んだ医療から、彼女が未熟なりに導き出した1つの答え。毒を薬として使うように、癒えぬ傷は癒やせる傷で、治らぬ病は治せる病で上書きし、然る後に治療する。訪れてしまえば救えない死さえも、救える仮死で制し、覆す。理を超えた、まさに〝魔法〟の為せる業だった。
「やれ…た、出来た…。はぁぁぁ…あぁ、女子力の……勝利」
霧散していくマナの渦、その中心だった場所で、リラは嘆息と共に脱力した。しかしそれもほんの数秒、脂汗が顔を滴る不快さと、もはや万力すらも通り越し適当な比喩など思い付かない程の頭痛を奥歯で噛み潰し、フラつきながらもすぐに立ち上がる。山場は越えたが、まだ終わったわけではない。最後の1手が残っていた。
「……ッ。…ごめん。言いたいことも訊きたいこともあるだろうけど、とりあえずは後回しにして。先にこの人を助けて、それから…また、お茶でもしながら話せることは話すから、今は私を信じてもらえる?」
相変わらず唖然としながら、紅蓮の翼越しに作られた微笑を向けられ、ようやくカイルは我に返った。
彼女の言う通り、言いたいことも訊きたいことも、あるにはある。既知のあらゆるヒト種族から乖離した姿、既存のあらゆる文明を置き去りにするほどの高度な技術とその産物、これまでの態度を始めとした、あらゆる面での非常識さ、そしてそれらを一言で言い表し得る、その言葉。しかし、それを口にすることが憚られるほど、そこにいる少女の佇まいは、その内容から大きくかけ離れていた。
「…ディアボロ……なのか」
「……」
掠れるような声で問われるも、答えるに足る知識を持たないリラはぎこちなく笑って押し黙る。その沈黙をどう受け取ったのか、カイルはやがてゆっくりと―――剣を構えた。
「…答えろよ」
「ごめん。話せば長いから、今は…」
「騙したのか」
「そういうんじゃなくて、本当に長い話なの。だから…」
「ンなこたぁねぇ。一言で済む。『はい』か『いいえ』だ」
「だから、私自身もそんな単純に…」
「単純なことだろ。間違いなく人間じゃねぇ、ビーストでもねぇ。あとはディアボロか、バケモンかだ」
「っ気持ちはわかるよ。だけど今はそんな場合じゃないでしょ?後で……」
「だったら早く答えろ、お前は―――」
「っだぁああ!!うるっせーー~~!!!!知らねーー~~~!!!!ファイナルファントアジィィイイイイ!!!!」
聞き分けなく押し問答を続けようとするカイルに、優美に畳んでいた尾翼を地面に叩き付けながら、エリクシルを頭から浴びてリラがキレた。
「私自身もわかってないんだよ!種族は魔神ってことになってるけど思考そのものは人間なの!魔神が何かって!?魔人が龍王を倒すために神性を乗っ取って神格化した存在だよ!龍王が何かって!?龍の王だよ!竜の上位種で神性を備えた龍たちの王だよ!龍王・魔王・屍王・鬼王・獣王の五王創世神の1柱だよ!んでもってこれ全部この世界とは全く関係ない世界のもっと言うとおとぎ話の出来事だよ!たった今この星に呼びかけてもガン無視されるくらい余所事だよ!Question!私は何者!?知るかそんなの!女子力高めな女の子だよ!Understand!?」
「わかるか!つまり敵なのか味方なのかどっちだよ!」
「どっちでもないよ!ただの女の子だって言ってるでしょ!?なんでこの世界の住民はことごとく荒事に話を持って行きたがるのよ!その刀は誰に貰ったか言ってみなさい!よく研がれた刀なんて敵に渡すわけないでしょバカじゃないの!?」
「あ!?バカで悪ィってのか!」
「最悪だよ!」
呼吸とソプラノボイスを荒げてカイルに向き直り、眉尻を釣り上げて睨み付ける。頭痛のせいだけではない、別の何かを伴って鋭さを増した切れ長のツリ目は、しかしながら、リラの言う通り敵意や悪意は感じられない。むしろ、彼女自身が責め苦に耐えるような…つい先程の、巨木に斬りかかるカイルを必死に止めていたときのような、あの真摯な眼差しの方が近かった。
「わかってるよ…、普通じゃないってことくらい。でも…っ、だから何なの!私は私だよ!『私の人生』を生きたいだけだよ!」
込められているのは、確たる意思と、曲げたくない信念と。
「私だって…私だって、今の自分が何者で……何者になればいいのかなんて、わかってないんだよ」
ほんの少しの、迷いと怖れ。
そして最後の2つを振り切るように、言い切った。
「だけど、見捨てたくないの。『助けて』って、私の耳で聞いたから。『助ける』って、私の意思でそう言ったから。伸ばされた手を、私の手で掴んだから。女子力は…医学はウソを吐かないから!」
そんな、明らかに人外でありながら、いかにも人間らしいリラの言葉に、カイルは言い返す言葉が思い付かずに黙り込む。理解が及ばぬ存在への疑念、ディアボロという危険すぎる敵への畏怖、目の前の少女は戦うことを望んでいないという安堵。あらゆる感情をごちゃまぜにしながらも、リラの視線からは逃げないままで。
「だから、後にして。手放しで信じろなんて言わないけど、この人をちゃんと助けるまでは、それを優先させて」
正直なところ、リラの言う魔神だの龍王だのの話をカイルは半分も理解出来てはいなかった。おとぎ話と言っていたが、この世界に伝わる神話や伝承の類に於いて、そんな話は聞いたこともない。そもそも、そんな眠たくなるような話を真面目に聞いたこと自体が無い。考えるだけ、無駄だった。
細かいことを考えるのは、性分ではないしロクなことになる気もしない。しかし、本当に何も考えずに妖魔討滅を掲げて斬りかかって良しとも思えなかった。
赤の他人の生命を救うために必死になり、事実として、自分たちを救ってくれたこの少女は、本当に討つべき悪魔なのかと、迷わずにはいられない。
「……今までに…何人、殺した?」
その迷いを表すように食い縛る歯の隙間から、恐れに震える唇をこじ開けて声を絞り出す。ディアボロとは、こんな末法の世に蔓延る脅威の中でも特に強大であると同時に凶悪を極めた敵性存在である。蛮族などは言うに及ばず、ドラゴンやベヒモスといったあくまで〝生態系〟に君臨する強者とは更に一線を画す、文字通りの悪魔。もしリラが、そんな〝悪〟を体現する存在であるのなら、気紛れで人命を救ったからと言って「じゃあ許す」と言えるわけもない。迷いも恐れも断ち切って、生命を懸けて討たねばならない。金のためではなく、自分のために。
「……」
リラが目の前の生命を諦めたくないように、カイルにもまた、譲れない一線がある。戦力の差を、頭で理解はできなくとも肌で感じていながらなお、揺るがない彼の視線と剣尖は、それを汲み取るに十分だった。
だから、リラも答えた。
「…1人」
彼女にとって、かつての『人生』に於ける最も忌まわしい所業。彼女が彼女である限り、生まれ変わっても決して振り切ることの出来ない、たった一度の過ちを。
「…1人だけ、私の意思で殺したことがある。言い訳するわけじゃないけど…舟板は、1つしか無かったからね」
何者に生まれ変わろうと変えられない。忘れたくても忘れられない。『助けて』と『助ける』の間で繋がれた小さな手。離れてしまったが故に、それは今なお鎖のように絡み付く、戒めだった。
「この数字を、私は増やしたくないの。『助ける』って言ったのに助けられなかったらその数がカウントされると思ってる。だから…私が人間じゃないんだとしても、今だけ私に騙されて」
お互いに譲れないものを懐いて、両者が睨み合う。
やがて、緊張の面持ちはそのままに、カイルが剣を下げた。
「…信じてやるよ、仕事の報酬分はな」
「……。やはり財力。財力はすべてを解決する」
バサッ、と軽く羽撃いて、11枚の翼が実体を失う。肉体を構成するエレメントの密度を加減することで行うこの翼の霊体化だが、この瞬間の好きになれない窮屈さを誤魔化すように、冗談めかしてリラは薄く微笑んだ。




