第二話『琉璃と伊依』
はい、お久しぶりです如月です。漸くです。時間がかかり申し訳ない。意外と長くなってしまいましたね今回は。
「うーん。」
紗綾は無事帰宅し、自室で一人先程別れた琉璃について考えていた。琉璃は何故高級車で出迎えられていたのか。そもそもゲームをプレイする前にも不思議な事はあった。琉璃がプレイ手続きを済ませようとしているとそこで受付が騒ぎ始め、気が付けばスペシャルプレイルームに案内され、しかも時間が無制限と言う事になっていたと言う。一体何が起こったのか紗綾も良く分かっていない。
「あの子はもしかしたら、何かとても偉い立場にあるんじゃ……」
紗綾がうーんうーんと唸っていると部屋の扉が開いた。
「お姉ちゃん、お風呂空いたよ。」
「あぁうん。ありがとうヨリ。」
ヨリ、と呼ばれた彼女は紗綾の実の妹である源伊依である。紗綾の4歳下の18歳で、今年受験生でもある。しかし伊依の成績は非常に優秀なのでおおよそどんな大学でも受かるであろうと安心して両親も、紗綾もどこに行った方が良い、どこは駄目だ、等と心配せずに済んでいる。当の伊依は紗綾と同じ所に行こうとしているみたいだが。
「どうしたの?何か悩みでもあるの?」
「悩み……って言うものじゃないよ。大丈夫。」
紗綾が伊依の頭を撫でながら笑顔でそう返した。その行為が伊依は嬉しくてまるで懐いた犬の様に紗綾にすり寄って抱き着いた。
「はは、どうしたのヨリ。」
「ん、むむ、これは……お姉ちゃんから、私のじゃない女の匂いがする!?」
顔を服に擦り付けた途端に、伊依が顔を紗綾に向けてそう声高らかに叫んだ。
「ん、あぁ。さっき友達に抱き着かれたからそれかな。」
「なんだって……!くっ、想定外だった。お姉ちゃんが私の居ない所で現地妻を作って帰ってくるだなんて!」
妄想が激しい伊依の発言に苦笑を交えながら紗綾は伊依の額に弱めにチョップを食らわせた。
「あうっ」
「あのね、友達だって言ってるじゃない。」
紗綾にとっては伊依の突飛な発言などは割と日常的な物なので別段気にしてはいなかった。寧ろこれでこそ伊依だとすら思っていたりする。
「まぁ冗談はさておき、早くお風呂行こうかな。」
「あ、じゃあ私も……あたっ」
当たり前の様に紗綾の入浴について来ようとした伊依が再び紗綾にチョップされたのは言うまでもない。
「さて、汗を流しましょうか……ん、あれ。」
服を脱いで入浴しようとした所、ふと服のポケットの中に紙が入っている事に気が付いた紗綾。その紙を取り出してみると、その紙には紗綾が普段使っているメッセージアプリの名前と、琉璃の名前。そして琉璃のものと思われるアカウントが書かれており、横に小さく一言添えられていた。
「これは……!」
紗綾は服を脱ぎきる前に部屋へ戻り、携帯電話と共に入浴中に使用できるようにジッパーにてロックできるパックを持ってきた。
「そんな事言われちゃ今すぐにでも連絡取りたくなるってね。」
添えられていたひと言、それは
『いつでも待ってる』
だった。
紙に書かれていた通りにアカウントを入力し、早速琉璃へとフレンド申請を送った紗綾だが、数分待っても返事が無い。
「トイレかな……」
そう適当に結論付け、紗綾も自分の体を洗う事にした。髪を洗い、コンディショナーを使用し、洗い流してから体を洗い始めようとした頃、紗綾は自分の携帯電話に通知音が流れた事に気が付いた。
「お、琉璃かな。」
携帯電話を手に持ち画面を見てみるとフレンド申請が承認されましたの文字が写っていた。それを見て紗綾は直ぐにロック画面を解除し、メッセージアプリを開いた。
「良かった、琉璃もまだ起きてたんだ。」
一人そう呟きながら紗綾は同じ事をアプリに打ち込んだ。すると直ぐに琉璃から返事が返ってきた。しかしその内容を見て紗綾は少し目を見開いてしまった。
「んん?あの子口頭じゃなかったらここまで饒舌なんだ……」
その内容はこうだ、
『こんばんは紗綾、別れ際にわたしが渡したメモに気が付いてくれてありがとう。あのまま別れると次会える時がいつになるか分からない気がしたから、あんな形でメモを渡したの。ごめんね。』
この二日間で琉璃が一番多く話した瞬間である。そして紗綾は悟った、あの子は寡黙なのではなく、究極的に口下手なんだと。
「私もこうして琉璃と話せて嬉しいよ、と。うーん、このギャップは可愛いな。」
返信しながら紗綾は一人琉璃のギャップに唸っていた。
「私は良く可愛げが無いとか言われるし真似した方が良いのかな……いや、無理だな。」
そう笑いながら体を洗い始めた紗綾、程なくして琉璃から返信がきたので紗綾は体を洗いながらでも携帯電話が見られる位置にそれを配置し、そのまま返信を読み始めた。
「何々、『今紗綾は何をしてるの?』ってねぇ、うーん……まぁ、良いかな。」
一瞬お風呂で体を洗っていると伝えるべきか悩んだ紗綾だが、まぁ琉璃なら良いかと勝手に納得し、一旦洗う手を止めてそう返信した。すると直ぐに琉璃から『●REC』と返信が来た。
「ふふ、あの子文字だとこんなに面白いんだ。」
そのギャップに紗綾は吹き出し返信を始めた。
「何撮ってんの、お金取るよっと。」
そう返信してそのまま体の泡を洗い流す。すると泡を流し終わった辺りで琉璃からの返事が来た。
「『おいくら万円?』って、あの子本当に昨日までとテンションが違うな……凄いギャップだ。」
想像以上に琉璃がぐいぐい来たので紗綾は思わず笑ってしまっていた。たった二日でここまで砕けた会話ができる相手と言うのも紗綾の人生の中でそうは居ない。紗綾は意外と気を遣う方なので人と壁を作りがちなのだ。
「売りませんっと、そうだ。琉璃は今何してるんだろう。」
返信ついでに『琉璃は今何してるの?』と聞いてみた。しかしそのメッセージから琉璃からの返事が途絶えてしまい、紗綾は返信待ちついでに浴槽にどっぷりと浸かり、20分程経過した頃にそろそろお風呂から出ようと思い立ち上がった時、丁度琉璃から返信が来た。
「あら、意外と時間かかったね。何してたんだろう。」
少し不思議に思い、琉璃の返信を見てみた。そこには『わたしもお風呂に入ってた。でもわたしの家はお風呂にスマホ持ち込みは禁止だから直ぐに体洗って直ぐに体温めて今出てきた。褒めて!』と書かれていた。
「褒めてときたか……いいでしょう。良い子良い子、可愛いねぇ。っと。」
犬が頭を撫でられているスタンプと共にそうメッセージを返すと琉璃からも犬がどや顔しているスタンプが返ってきた。
「ふふ、琉璃は面白いな。」
そう呟いて、続きは部屋で髪を乾かしながら話そうと思い紗綾は取り敢えずお風呂を出た。
「ふふ、琉璃ってば。……ん?」
紗綾が部屋で琉璃とメッセージのやり取りをしていると、部屋の扉の方から妙な視線を感じた。そちらに目をやってみると、隙間から物凄い威圧感で自分の事を見つめる伊依と目が合ってしまった。
「え、ヨ、ヨリ?どうしたの?」
「お姉ちゃん楽しそうだね。」
伊依の顔は笑顔の筈なのに何故か強い威圧感が放たれていた。
「そ、そう?まぁ、楽しいからね。」
「そっか。あの、お姉ちゃん。お願いがあるんだけどいいかな?」
伊依が扉を開け、部屋に入りながらねだる様に紗綾にそう聞いた。
「何?」
「えっとね、お姉ちゃんが楽しそうにやり取りしてるそのお相手と、私も一緒に遊んでみたいなって。その人もI・E・Oやってるんでしょ?」
伊依の言葉には少し必死さが垣間見えた気がした。その理由は紗綾には分からなかったがきっと何かあるのだろうと深くは聞かず紗綾はその旨を琉璃に聞いてみる事にした。
「ちょっと琉璃に確認取ってみる。えっと、『私の妹が琉璃と一緒に遊んでみたいって言ってるんだけど、良いかな?』っと。……あ、もう返事来た。早いな。」
送信し、電話から手を離そうとした瞬間に返信が来た。内容を見てみると『紗綾の妹さんなら大丈夫。私も会いたい。』と書かれていた。その内容を伊依に伝えると伊依は笑顔になり拳を握り締めていた。
「じゃあ、次のお休みに一緒にI・E・Oやろうか。」
「やったね!じゃあお姉ちゃん、今日は私もう寝るね!お休みっ!」
伊依はくるりと踵を返し、その長く綺麗な黒髪を翻しながら部屋を出て行き扉を閉めた。それを見た紗綾は思わず笑ってしまった。
「ふふ、ヨリってばそんなに琉璃の事に興味があったのかな。」
紗綾はそのまま琉璃が眠いと言い始めるまでメッセージでやり取りをし、日が変わるかどうかの頃に就寝した。
「琉璃さんか……お姉ちゃんに相応しい人なのか見極める!私の大好きなお姉ちゃんに相応しい人なら、私は全力で二人を応援する……そうじゃないなら、ふふ……」
「琉璃、お待たせ。」
「……待ってない、今来た。」
数日後の日曜日。紗綾は伊依を連れて琉璃の待つE・G前の交差点にやってきた。予定時刻は正午だったのだが、紗綾達はその10分前に目的地に到着。少し早いかと思っていたのだが、そこには黒に近い紺色のジャンパースカートと純白のブラウスを着た琉璃がただ遠くを眺める様に待っていた。紗綾が声を掛けると琉璃が紗綾の方を振り向き一瞬だけ表情を緩めて、しかし直ぐに無表情になって返事をした。
「そっか、早いね琉璃。私達が先かと思ってた。」
「……待つのは、嫌いじゃない。」
合流するなり、琉璃は紗綾に近づき紗綾の着ているカーディガンの裾を軽く握って上目遣いに紗綾の目を見つめながらそう言った。
「そ、そっか。」
「……じー。」
そんな二人のやり取りを、まるで蚊帳の外から眺めている様に目つき鋭く伊依が見つめていた。
「あ、そうだ琉璃。この子が私の妹の伊依。」
「源伊依です。姉がお世話になっている様で、よろしくお願いいたしますね。」
「……琉璃、よろしく。」
伊依が手を差し出し、琉璃がそれに恐る恐る応えて二人は握手を交わした。伊依は笑顔の筈なのだが、紗綾には何処か本当の笑顔ではない様に見えている。伊依は少し人と壁を作ってしまう節があるので、今はまだ琉璃の事を警戒しているのだろう。そう結論付け、紗綾は手を叩き、場を仕切り直した。
「さて、二人の挨拶も済んだし、先にご飯食べてからプレイする事にしようか。」
「今日は何処で食べるのお姉ちゃん?」
伊依の質問に紗綾は少しだけ悩み琉璃に意見を聞いてみる事にした。
「琉璃は何処か行きたい場所とか食べたいものとかある?」
「……紗綾と一緒なら、何処でも良い。」
素直にそう言われた紗綾は少し照れながら再度悩み始めた。
「う、うーん、そう、だなぁ……あぁ、じゃあ今日はE・G内で食べようか。」
「そう言えばここって喫茶店あるんだったっけ。」
紗綾の提案に伊依が思い出した様に言葉を続けた。それを聞いた紗綾が頷き、E・Gの建物五階部分を指さした。
「そうだよ。此処は四階まではエッグしか置いてないまるでビジネスホテルみたいな作りなんだけど、五階はエッグと喫茶店、後は数店の飲食店が入ってるんだ。」
「便利な施設だねぇ。一階にはゲーム内で貯めたお金を現実のお金に変換する機械もあったよね?」
伊依の言葉通り、このゲームにはI・E・O内で使用できるお金、『Do』を現実のお金に変換出来る機能がある。とは言え、そのレートは100:1な上にI・E・Oはお金はそこまで稼げるゲームではない。更に言えばそのDoを使用して施設利用料金、主にエッグ使用料金を支払えるので余程の稼ぎが無い限りはこれのみでお金を稼げると言う事は無い。事実上、プレイ料金を稼ぎ、ゲーム内で装備製作を使用する為の資金稼ぎで精一杯と言う事だ。
「そうだね、この連動スマホアプリ『E・Gアプリ』をその機械にかざして、手順通りにすれば現実の電子マネーに替える事は出来るよ。まぁ、私はこれでお金稼ごうとは思ってないからゲーム内でお金貯めてるんだけどね。」
携帯電話を手に持ちけらけらと紗綾は笑う。実際の所、今の紗綾がゲーム内のお金を現実のお金にしたらアルバイト一か月分位のお金にはなるだろう。しかし二年間このゲームをプレイしている紗綾でその程度の稼ぎなので、少なくとも紗綾と、その周りの仲間達はこのゲームをお金稼ぎに利用するつもりはなかった。
「じゃ、中に入ろっか。」
「紗綾。手、繋いでいい?」
紗綾が先行してE・G内部に入ろうとした所それを琉璃が裾を握ったまま止めて、そう提案してきた。それを聞いた紗綾は悩む事なく琉璃に手を差し出した。
「勿論、どうぞ。お姫様。わたくしめの手でよろしければ何なりとお使いくださいませ。……なんて、ふふ。」
「……ありがとう。」
紗綾の冗談めいた口調に琉璃も笑みをこぼしながら礼を言い、紗綾の手を握った。その姿を隣で見ていた伊依は目を輝かせていた。
「はぅ……」
「……ヨリ?どうしたの?」
伊依の様子がおかしい事に気が付き、紗綾は伊依の目の前で手を何度か往復させてみた。それに気が付いた伊依は我に返り、辺りをキョロキョロと見回して顔を赤くさせた。
「大丈夫?」
「ご、ごめん。二人が余りにも尊……じゃない、何でもないの大丈夫大丈夫!」
紗綾の心配をよそに、伊依は笑みを浮かべながらそう答えた。それを見た紗綾は首を傾げながらもそれ以上は何も言わず、そのまま三人でE・G五階を目指した。
「さてさて、今日は……おぉ、結構いるね。」
玄関を抜け、受付の奥にあるエレベーターを利用し五階へと来た三人。道中紗綾が受付の女性に手を振られていたので紗綾がそれに応え手を振り返していたが、紗綾は既にこの店を利用して二年。顔も当然の如く覚えられ、手を振った女性とは受付の間に世間話をする事もある。紗綾は人との距離間に壁を作っているのだが、その壁は非常に薄く、距離感が近いと言われる事もある。そしてその態度と話しやすさ、更に整った容姿の所為で同性からのファンが多い。本人は気が付いていないのだが。
「今日は日曜日だから仕方ないよね。どこか空いてるかな。」
三人の目の前には喫茶店ないし他の飲食店へと繋がる道と、エッグの設置されてある部屋へと繋がる道が見え、喫茶、飲食店サイドの道は頻繁に人が出入りしているのが分かる。つまりはそれなりに人が多いと言う事だ。それでも休日のショッピングモール等よりはまだ人は少ないようにも感じると、良く放課後や休日に友達と一緒にショッピングモールへと遊びに行く伊依はそう思った。
「うーん、何処が空いてるかな。……いや、やっぱりここはあの喫茶店だね。」
紗綾が指さしているのは喫茶、飲食店側の道の奥、最も広いスペースを用意されているE・G直営の喫茶店。その名も『E・Gオフライン集会所』である。何故この様な名前なのかと言うと、此処にはE・Gに関係する設備がいくつも設置されているからだ。例えば、この喫茶店のテーブルはすべて画面が埋め込まれており、先程のアプリ『E・Gアプリ』をそのテーブルにかざせば自分の使用しているキャラクターが表示され、その画面ではキャラクターの簡単な容姿、衣装を変更出来、更にはゲーム開始時に所持している武器の変更も出来ると言うサービスも存在している。基本的に装備をそこまで変える事の無い紗綾はあまり利用していないが、これを利用する事でゲームをプレイする時間を装備変更に取られる時間が減るので、利用するユーザーも多い。そしてここでの食事の支払いもゲーム内通貨で支払う事が可能なのだ。しかし勿論レートはそのまま100:1なので、決して安い訳では無い上に食べ過ぎてしまうとゲームプレイ時にお金が尽きていると言う可能性もある。
「集会所かぁ。良いよ。」
「琉璃も良い?」
「……ん。」
二人の同意も得られ、三人はそのままオフライン集会所へと歩き、入店した。
「いらっしゃいませー。お好きなお席へどうぞー。」
少しやる気の無さそうな女性店員が接客してくれ、そのまま三人は空いていた店の奥の壁際席に琉璃から着席した。その正面に伊依が座り、紗綾が琉璃の隣に座る形となりメニューを眺め始めた。
「私もここはあんまり頻繁には来てないからなぁ。何が美味しいんだろうね。」
紗綾が隣の琉璃にメニューを見せながらそう話す。その正面では伊依がメニューを壁に二人の距離感に目を輝かせていた。
「……わたし、これが良い。」
琉璃が指を指したのはミックスサンドイッチだった。ハム、卵、トマト、レタスを挟み、それを斜め半分に切り盛り付けられたサンドイッチ写真が一緒に写っている。割とどんな店にでもある一般的なサンドイッチだ。
「うん、琉璃はサンドイッチね。ヨリはどう?」
「う、うーん、私はそうだなぁ……」
二人の動向を眺めていた所為で一切メニューが決まっていなかった伊依は紗綾に話を振られ慌ててメニューを見始めた。そして一つのメニューを指さして決めた。
「私はこのエビピラフにするよ。」
「エビピラフね。じゃあ、私は……」
二人がメニューを決めたのを確認し、紗綾もメニュー決めに入った。紗綾は食が太い訳では無いからあまりボリュームのある物は食べられない。それにこの後は三人でI・E・Oをプレイ予定なのだから大量に食べたりお腹を冷やすものを食べたりするとお腹を壊してしまうかもしれない。そう考えて紗綾が選んだのは、チキングラタンだった。
「私はこのチキングラタンにしようかな。じゃあ店員さん呼ぶよ。」
席に設置されているベルを押し、店員を呼んだ。直ぐに遠くの方から『はーい、ただいまー』と返事が返ってきて先程の店員とは違う、少し背は低いがやる気満々な店員が駆け付けた。
「お待たせしました、ご注文はお決まりですかっ?」
「えっと、ミックスサンドイッチ一つと、エビピラフ一つ。後はチキングラタン一つでお願いします。」
「はい、ミックスサンドイッチおひとつ、エビピラフおひとつ、チキングラタンおひとつですね。少々お待ちくださいませっ!」
元気よく注文を繰り返し、勢いよく頭を下げて店員は小走り気味に去って行った。
「元気なひとだなぁ。」
「そうだね、接客業が得意そう。私には無理だなぁ。」
伊依はそう言っているが紗綾は内心そんな事は無いだろうなと考えた。伊依は他人を気遣う事が出来、友人も多い。何より他人への対応が基本的に柔らかいので敵がほぼ出来ないのだ。
「……」
そんな話をしていると、琉璃が携帯電話を取り出し紗綾の服の袖を引っ張った。
「ん、どうしたの琉璃。」
それに気が付いた紗綾が琉璃の方を向くと、琉璃は電話とテーブルを交互に見て悩んでいる様子だった。
「……さっき言ってたの、どうやるの?」
「え、さっきのって……あぁ、入る前に言ってたアプリと連動して装備弄ったりするっていうあれ?」
紗綾の言葉に琉璃が頷いて携帯電話を紗綾に渡した。
「……教えて。」
そう見つめる琉璃に紗綾は少したじろぎながらも連動方法の説明を始めた。
「えっと、先ずはさっき言ってたアプリを開けるでしょ?そうしたらトップ画面を左端からこうしてスライドさせると、ほら、アカウント情報が出てくるの。」
なるべくアカウント情報を見ない様に琉璃に画面を見せつけながら紗綾が説明を続ける。琉璃は紗綾の説明を食い入るように聞いていた。
「で、その画面の下の方に……流石に見ないでそこをタッチするのは難しいな。琉璃、下の方に『連動コード表示』って言うのがあるでしょ?そこを押して。」
「……押した。」
紗綾に言われるまま琉璃がその場所をタッチすると、画面中央に長方形のモザイク状のコードが表示された。
「で、今度はそれをこのテーブルの側面に設置されてる……ちょっとごめん琉璃。」
一言謝りながら紗綾が琉璃の前に身体を滑り込ませて琉璃側のテーブル側面を触り始めた。座っている琉璃は目の前で紗綾の茶色いポニーテールがゆらゆらと揺れているのがとても気になり、じっとそちらを見つめていた。尚、その光景を正面で見ている伊依はと言うと言葉にならない程テンションが上がっており、一人悶絶していたりする。
「あ、あったあった。此処にその画面を読み込ませると……ほら、テーブルを見て。」
「……あ、わたしが出た。」
読み込みが終了し、琉璃の座るテーブルに琉璃のアバターであるラピスと、そのラピスの現在の装備、所持金、ステータス等が表示されていた。
「凄い……」
「でしょ?で、その画面を操作したい場合はこのテーブルの天板の下の、さりげなく空いているスペースに手を差し込んで画面に直接触れてスマホみたいに操作すると良いよ。」
そう言いながら紗綾も自分の携帯電話からアプリを起動。手早くコード画面を呼び出し自分の席の側面に貼り付けて読み込ませた。
「ヨリも出来そう?」
「うん、私は時々これ使って装備弄ってるからね。」
伊依も慣れた手つきで同様に、自らのアバターであるヨリを表示していた。ヨリは種族が森人で耳がファンタジー世界で言うエルフの様な長さをしており、ヨリの耳はその耳が少し垂れ下がっているのが特徴の、薄い金髪をバレッタで留めてアップ髪にしている本人と同じ身長、体重のアバターだった。
「あぁ、ヨリは色々使ってるもんね。こっち利用した方が早いのか。」
紗綾と違い、伊依は色々な武器を使用している。槍も、銃も経験済みだった。しかしその所為で、ステータスが少々器用貧乏になってしまったと本人は嘆いていた。
「うん、まぁ。私はまだ自分が何が一番使えるのか定まってないんだよね。」
「そうだよねぇ。このゲーム武器種結構多いから、琉璃みたいに即断即決出来る人の方が少ないんじゃないかな。」
I・E・Oには武器種が20種類も存在している。その中で自分に適した武器を考えるのは直ぐに出来る事ではない。紗綾も武器は悩みに悩んで今の槍に落ち着いた。と言うよりは、紗綾のステータスが自然と槍以外使えない代物になっていた、と言う方が正しい。
「まぁゆっくり考えた方が良いよ、メイン武器決めたらまたその時にキャラクターに一回だけ無料で使用できるステータス割り振りリセット機能を使って、それに特化させればいい訳だし。」
「うん、そうだね。あーあ、お姉ちゃんと同じで槍が得意ならよかったのになぁ。」
そう話す伊依に紗綾は苦笑し、ふと琉璃の方を見てみた。琉璃は黙々と自分のキャラクターの外見を弄っていた。
「どうしたの琉璃?見た目弄りたい?」
「違う。今はただ着せ替えしてるだけ。」
真剣な琉璃の声に紗綾は笑みをこぼした。
「お姉ちゃん、琉璃さん……ちょっと反則過ぎでしょ。」
そんな二人を見て、伊依は再び悶絶していた。
結局喫茶店内で伊依以外は装備変更などは行わずに食事と会計を済ませ店を出た。そして三人は一階に降りそのまま受付を始めたのだった。
「あの、琉璃様。三名となりますとスペシャルプレイルームはご利用になる事が出来ませんが、構いませんか?」
さも当然の様に琉璃が様付で呼ばれている事が紗綾は気がかりだった。受付なのでお客である琉璃の事を丁寧に様付けをするのも理解は出来るのだが、それにしても琉璃の、苗字……もしくは本名を誰も頑なに口にしようとしないのは流石に不自然だ。こういう時、一度はフルネームで呼び、本人確認をする事があってもおかしくはない。
「構わない。三人で使える部屋を用意して。」
普段の琉璃より少しはっきりとした声で琉璃が受付の女性に指示を出した。それを聞いた女性は少し裏返った声で「ただいま!」と返事をし、直ぐに部屋の検索を始めた。
「ごめんねお姉ちゃん、琉璃さん。私が一緒に居るから二人きりの部屋が使えないんだよね?あ、なんなら私は別の部屋でも―――」
「気にしないで。」
伊依の遠慮がちな言葉を琉璃が一言で断ち切った。それに続き、紗綾も琉璃に言葉を掛けた。
「そうだよ。一緒に遊ぶって決めたのにさ、一人だけ違う所にいるって言うのは少し寂しいよね?ヨリにそんな思いさせる気はないから。」
「二人とも、ありがとう……」
お礼を言う伊依の頭を紗綾がくしゃくしゃと撫でた。そして丁度その後に検索が終わり、受付の女性が戻ってきて三人に鍵を差し出した。
「お待たせいたしました。琉璃様方は三階、奥の部屋である301、302、303をご利用くださいませ!お時間の方は無制限で大丈夫ですので!」
「え、いやでもそれじゃ。」
「ありがとう。二人とも、行こう。」
受付の突飛な発言に紗綾と伊依が困惑していたが、それに当たり前の様に琉璃が応え、そのままエレベーターまで歩いて行った。
「ま、待って琉璃!」
「待ってよ二人とも!!」
琉璃に追いつく様に紗綾と伊依が小走り気味に歩き、三人はそのままエレベーターに乗り、三階まで向かった。
「……三階の、此処。」
三階に到着し、そのまま琉璃が小走り気味に部屋へと向かった。それに紗綾達も慌てて着いて行き、到着した頃には琉璃は既に自分の持っている鍵と同じ番号の301のイレイザーエッグの開放を行っていた。
「早いよ琉璃!」
「……早く、プレイしたい。」
そわそわと琉璃がそう返す。そんな琉璃を見て紗綾は内心可愛いと感じながら、恥ずかしいので口には出さなかった。
「じゃ、私達もインしますか。」
「そうだね、久しぶりにお姉ちゃんとプレイできる!」
伊依も楽しそうにイレイザーエッグを開放し、紗綾もそれに続いて開放。ログインを手早く済ませて三人は各々のアバターでI・E・Oの世界に降り立った。
「さて、無事にログイン完了っと。」
紗綾が周囲を見回すと隣には既に琉璃のアバターラピスが紗綾のアバターサイケを見つめていた。
「えぇっと、取り敢えずパーティー組んで通話を繋ごうか。」
そう呟きながら紗綾が琉璃にパーティー申請を送り、琉璃がそれを直ぐに承諾した。そしてパーティーを組んだ直後に琉璃から声が飛んできた。
「紗綾、伊依は?」
言われて紗綾も辺りを見回すが、伊依はまだログイン出来ていない様で、辺りには居なかった。
「そう言えばいないね。まぁ、ちょっと待っていれば直ぐに来るか。」
そう呟いた時、丁度紗綾の隣に光が灯り、伊依のアバター『ヨリ』が形成された。
「あ、来たみたい。」
「……そのまんまの名前なんだ。」
琉璃の感想に苦笑をこぼしながら伊依にパーティー申請を送り、直ぐに承認された。そして伊依がパーティーボイスチャットに参加した途端、遅れた事に対して謝罪を始めた。
「ごめん二人とも!遅れちゃった!」
「大丈夫だよ。」
「……ん、そんなに時間かかってない。」
伊依の謝罪を二人が受け止め、そのまま三人パーティーで武器屋まで歩いて行った。
「ヨリ、今日はどんな武器で行くの?」
「今日はちょっと、あんまり使ってない武器で行ってみようかなって思ってる。」
武器屋で各々の生産リストを眺めながらそんな話をしていた。琉璃は既に製造できる武器を製造し、所持アイテムの中に放り込んだらしく、何やらモーションを使って遊んでいた。
「いつもは槍と弓だったっけ。」
「うん、色々使ってみてるんだけどね。槍は使いこなせてないし、弓はまだマシではあるんだけど何というかこう、私的にあまり楽しくは無いんだよね。」
リストページを送りながら伊依がそう溜息がちに呟いた。
「うーん、弓はまぁ難しいし、人選ぶみたいだからね。」
このゲームの弓は、弓を引き絞る時間を要し、しかもその間は動けず、更にタイミングよく矢を発射しないと効率よくダメージを出せない仕様になっている。その代わり、物理遠距離では最大の射程を誇り、威力は銃にかなり近いダメージが出る様になっている。更に銃には存在しない状態異常の矢を放つ事でサポートも出来ると言う、ハイリスクハイリターンな武器なのだ。なので相手の行動をよく理解し、隙のある行動の後にしっかりと発射できるようにしないといけない為、使える人とそうでない人がはっきりと分かれてしまう。伊依は弓を使えない訳では無いが個人的に好みではない様だ。
「じゃあ今日はどうするの?」
「うーん……あ、クロスボウとか触ってみようかな。」
クロスボウと言うのは銃と弓の間の有効射程距離を持ち、且つ弓程発射に時間もかからず、更にリロード中も移動は可能と言う武器で、種類次第では連射可能なクロスボウも存在する遠距離の中では最も平均的な性能の武器だろう。その代わり他の二種ほどのダメージは出ずに、弓と同じく状態異常矢を使用する事が可能だが、弓程の蓄積値を持っていない。更に言えばステータスによる能力補正も低い為ダメージの伸び代も低いのだ。だが、それでも余りあるクロスボウの魅力は銃ほど近づかなくていい上に、銃と同じ片手装備なので、空いた片手に何かを装備する事が出来ると言う事だ。例えば盾を装備して防御を固める事も出来る。例えばクロスボウを二本持ち、低いダメージを補う事が出来る。例えば短剣を持ち近距離に対応する事も出来る。クロスボウはとても自由な武器なのだ。
「成程、面白いかもしれないね。」
「琉璃さんは銃って言ってたっけ?じゃあ私が少し後ろに陣取って戦った方が良いかな?」
このゲームにはフレンドリーファイアは基本的には存在しない。だが、仲間の攻撃自体には当たり判定は存在しており、特定の攻撃はのけぞり、吹き飛ばし判定も存在する。銃の特定の攻撃モーションにはのけぞりと吹き飛ばしがある為、伊依はそれを警戒して紗綾にそう聞いたのだが、紗綾は少し困った顔をして回答に困っていた。
「うーん……多分、大丈夫だと思う。」
「え、でも……」
紗綾は伊依に琉璃のプレイスタイルを軽く説明した。それを聞いた伊依は驚きで言葉を失ってしまっていた。
「うっそ……運極振り投擲プレイ!?」
伊依の驚きの声に気が付いた琉璃は、二人の会話に参加した。
「何?」
「あぁいや、琉璃が銃使うから銃の吹き飛ばし技に巻き込まれない様に下がってた方が良いかなって、ヨリが言ったんだけど、琉璃のプレイスタイルなら大丈夫だよって、説明してただけ。」
紗綾の声明を聞き琉璃も「あぁ。」と小さく納得していた。
「……わたし、銃はあんまり撃たないから。投げられない間だけ最低限撃つ様にしてるから、そんな技は使わない。」
「そう、なんですね。……運極振り、このゲームだとかなりの変態ビルドだって聞いてたけど、実際に出来る人居るんだ……凄いなぁ。」
伊依の感嘆の声に琉璃は「それは違う」と否定の声を漏らした。
「凄いのはわたしじゃない。この戦い方を支えてくれてる、紗綾が凄い。紗綾、いつもありがとう。」
「え、あの、あ、あはは。ど、どういたしまし、て?……あはは、もう、なに急に、恥ずかしいなぁ。」
琉璃の突然のお礼の言葉に紗綾は動揺し、まともに返事が出来ていなかった。それを聞いた伊依は吹き出し、思わず笑ってしまっていた。
「あははっ、お姉ちゃんかわいいー!」
「も、もう!武器が決まったんならいくよ!ほらほらっ!」
紗綾は照れ隠しの様に先に走り始め集会所に入っていった。
「あはは、ごめんってお姉ちゃん!」
「……楽しみ。」
二人も紗綾に遅れない様に集会所に入っていった。
「それでお姉ちゃん、今日は何を狩りに行くの?」
フィールドに到着してから伊依がそう聞く。このフィールドは以前紗綾と琉璃が来ていたフィールド『妖の域』とはまた別の場所だった。
「今回は此処、『魔の域』に巣食ってる悪魔系のイリュージョン。その中でも比較的高ランクな割に戦いやすい大型イリュージョン、『レヴィアタン』だよ。」
レヴィアタンとは、海に住まう怪獣だとも、海蛇だとも、竜だともいわれている存在で、その鱗は鎧のように固く、その牙は何物をも噛み砕くと言われており、更に口からは炎を、鼻からは煙を吹くともいわれている。とは言え、このゲームに存在するレヴィアタンは鼻の存在が怪しい見た目をしている為に、煙も口から吐き出したりするのだが。
「おお、レッヴィ!」
紗綾の口からレヴィアタンの名前が出ると、伊依が嬉しそうに愛称でそう呼んだ。伊依はレヴィアタンの素材から作製出来る武器が非常に好みなデザインをしており、既に何度も討伐し、何種類も作製していたりする。
「……初めて、どんな敵なんだろう。」
逆に琉璃は初めてのレヴィアタンに心を躍らせており、今にも拠点から飛び出しそうな勢いだった。
「よし、じゃあ行こうか!」
「おおー!」
「ん。」
紗綾の声に二人が各々返事をして、紗綾を先頭に三人は出発した。
拠点から出発し、二つのエリアを進んだ先にある海にも見える程の大きな湖。その中央に、黒い影が怪しくうごめいていた。
「琉璃、あれがそうだよ。」
紗綾の言葉に反応したかの様に、怪しくうごめく影が一度動きを止め、静かに三人に接近してきた。
「大きい……」
その影の大きさは琉璃達プレイヤーの何十倍もある大きさだった。そんな大きさの影がゆっくりと、確実にこちらに近づいてくるのだから、もしもこれが現実ならばそれは恐怖以外のなにものでも無いだろう。
「さて、準備は良い?」
「……ん。」
「バッチリだよ。」
紗綾の問いに二人とも力強く返事をし、それを聞いた紗綾も頷いて槍を構えた。
「じゃあ、討伐開始!」
紗綾がそう叫ぶと同時、レヴィアタンが大量の飛沫を辺りにばら撒きながら湖から姿を現した。その姿は海蛇の様だが、通常の海蛇よりも遥かに口が大きく、まるで全ての物を丸呑みにでもするかの様に開いていた。そしてその口から、妙に甲高い、まるで金切り声の様な咆哮が辺り一帯に鳴り響いた。
「先ずは先制!」
姿を現したと同時に構えていた紗綾の槍投擲スキルが発動し、レヴィアタンの胴体に見事槍が直撃。槍は貫通しながらそのまま複数回レヴィアタンにダメージを与えていった。
「わたしも。」
続いて準備をしていた琉璃の投擲スキルも発動。思い切り振り被り放たれた短剣は同じくレヴィアタンの胴体に直撃。何度もダメージを与えながら胴体を貫通し、短剣が瞬時に手元に返ってきた。だが、
「流石にこんな程度では怯みもしないか。」
二人が投擲してもレヴィアタンは全く動じる事無く三人を睨みつけていて、その視線に貫かれた琉璃は少しだけ怯んでしまった。
「琉璃!避けて!」
そんな琉璃を見抜いている様に、レヴィアタンが湖から尻尾を現し、思い切り琉璃に叩きつけてきた。
「あ」
琉璃が気が付いた時には遅く、琉璃のアバターラピスは思い切り後方へ吹き飛ばされた。
「あっちゃ……これはしてやられたね。」
吹き飛ばされた琉璃を見て紗綾は自分の指示が遅れたことを反省し、レヴィアタンへと出来るだけ接近した。だが、レヴィアタンは湖から出て来る事が無いイリュージョンなので接近するにも限界があり、紗綾の使う、近接では射程範囲が上位に入る槍ですら届かないタイミングもある。
「ヨリ!今が出番!」
「おっけー!」
紗綾の言葉に伊依が勢い良く返事をし、クロスボウを構えて狙いを付けた。そしてクロスボウから、仄かに緑色に輝く矢が射出された。
「こいつには毒が効くんだよね!」
伊依の放った矢は毒属性の付与された毒矢。クロスボウが弓程の蓄積が無いとはいえ、弓よりも遥かに連射が聞く上に、一度状態異常を付与させてしまえばそれは弓でもクロスボウでも与えられるダメージは同じ。更に今回伊依が装備してきたクロスボウは連射可能なタイプであるために伊依はその毒矢を装填分一気に叩き込んだ。
「くらえぇっ!」
「敵に緑色の霧エフェクト、毒が入った!」
敵に緑色の毒エフェクトが表示され、毒がレヴィアタンの体力を徐々に削っていく。通常、毒と言うものはそこまで当てに出来ない。体力を削ってくれるのは良いが正直微々たるものである事の方が多い上に、毒の蓄積を溜める為の毒矢は通常の矢よりダメージが低い。更に言ってしまえば、毒に限らず状態異常と言うのは一度かけてしまうと相手の耐性値が上がり、その状態異常に対してかかりづらくなる。その所為で、中途半端に毒矢を撃つ位ならそのまま通常の矢でダメージを出していた方が良いと言われている。しかし、このレヴィアタンの場合は例外で、レヴィアタンの強固な鱗の所為で物理ダメージに耐性を持っているのだ。そして反対に毒への耐性は低くなっているので、毒が蓄積されやすく。また、耐性値の上昇も緩やかなのだ。なので毒があると無いとではこのレヴィアタンの討伐難易度は大きく変わってくる。
「琉璃!まだ動ける?」
「……今回復する。」
吹き飛ばされていた琉璃が起き上がり、手持ちの回復薬で体力を回復させた。そしてそのまま銃を持ち戦線に復帰した。
「反撃開始。」
開幕攻撃を貰った琉璃は少しだけ不機嫌になっていて、普段より声のトーンが下がっている様に感じた。
「気合十分だね琉璃。じゃあ私がヘイトを稼ぐから、二人はこのまま射撃をお願いね!」
琉璃の使う銃は毒等の状態異常は存在していない。だが、銃の弾丸は相手の物理防御の一部を無視してダメージを与える事が出来る為にレヴィアタン相手にも十分に戦力になるのだ。逆に今ヘイトを稼いでいる紗綾のメインウェポンである槍は、そのダメージの殆どが通っていないと言える。それでも紗綾の方にヘイトが向くのはこのゲームの汎用スキル『挑発』のお陰だ。このスキルを使用している間は一定時間ヘイトが集まりやすくなる。その効果は中々に偉大で、特に今回の様にダメージが出せない状況でヘイトを稼がなければならない場合だとほぼ必須になる。
「ほらほらこっちだよ!」
レヴィアタンに届くギリギリの所で槍を振り回し、相手から放たれる尻尾攻撃や口から吐き出されるブレスを躱しながら二人にヘイトを向けないようにする紗綾。その間も琉璃と伊依は射撃を止めずにダメージを稼いでいた。そんな時、レヴィアタンが一度怯み、そのまま頭を地面に倒れこませてダウンした。
「チャンス!今ならあいつの弱点に届く!」
紗綾がそう叫び、槍を投げる構えを取ってダウンしたまま空いている口に向けて投擲した。レヴィアタンは強固な鱗で物理ダメージを軽減する効果を持つが、その効果が発揮されない、実質的な弱点が存在する。それが『口の中』だ。とは言え、普段は口を閉ざしているので狙えるのはブレスを吐く直前と直後。それとこのダウン時だけである。しかしブレスは頭を高くして吐き出して来るので槍使いである紗綾には届かず、槍投擲では隙が大きくて間に合わない。その為、近接武器が弱点である口の中を攻撃できるタイミングは事実上このダウン時のみである。
「叩きこめぇ!」
紗綾の声と共に、伊依と琉璃も口へ向けて攻撃を開始、伊依は口へ向けて通常の矢を、琉璃は先ず短剣の投擲を。その後的確に邪魔にならない所へ銃撃を与えている。このダウン時にダメージを何処まで与えられるかによってレヴィアタン攻略の難度は変わってくる。このゲームを極めた者、俗に言う『廃人プレイヤー』達であれば、このダウンどころかダウンなどさせる前に倒す事も可能だと言うが、先日始めたばかりの琉璃は勿論、伊依や紗綾も廃人プレイヤーと言われる程実生活を犠牲にしてこのゲームにのめりこんでいる訳では無い。
「起き上がる!」
攻撃を叩き込み続ける事10数秒。レヴィアタンの体がピクリと動き、低い唸り声と共にゆっくりと起き上がりもう一度高らかに咆哮。直ぐにブレスを吐く構えを取った。
「しまった!まだヘイトを稼ぎきれてない!」
このゲームのイリュージョン達はダウン中、相手へのヘイト値がリセットされる仕組みになっている。その所為で起き上がった直ぐ等はどうしても狙った方への攻撃誘導が難しいのだ。そして今、ブレスは琉璃の方へと放たれようとしている。
「琉璃、躱して!」
「……ん!」
紗綾の言葉を聞き、しかしそれには従わずに琉璃は銃弾をブレスを吐く直前のレヴィアタンの口の中にリロード分全弾発射した。
「琉璃さん!私も!」
近くに居た伊依もクロスボウを構え、装填分の矢を全弾口の中に射出。二人分の攻撃が効いたのか、レヴィアタンはブレスを吐きだすのをキャンセルし、体をのけぞらせた。
「うっそ、あれ届かせるんだ。銃だとギリギリの射程範囲の筈なのに。」
「……ぶい。」
驚く紗綾に琉璃は自慢げに声を出した。それを聞き、紗綾は一瞬ポカンとするも直ぐに吹き出し思い切り笑いながら気持ちを切り替えた。
「ははっ、あっはっは!琉璃も伊依もホント凄い。私も負けられないよね。さ、こっちだよレヴィアタン!」
紗綾も気合を入れなおし、レヴィアタンのヘイトを稼ぎ始めた。
「おつかれさまー!」
「おつかれ。」
「おつかれさまでした!」
その後、三人は特に危ない場面も無く順当にレヴィアタンを討伐。そしてその素材で琉璃は新たな武器を作製出来た。
「琉璃、早速見せてよ新しい武器。」
「ちょっと待って。」
琉璃がオプションを操作し、装備品を表示状態にして装備を銃から新しい装備に切り替えた。このゲームの武器には基本的に必要ステータスと言うものが存在するが、それは装備に必要なステータスと言う訳では無く、『装備を十分に扱う為に必要なステータス』なのだ。なのでステータスが足りずとも装備自体は可能だったりする。尤も、そんなステータスの足りない状態で戦いに行こうものなら碌なダメージも出せず、敗北は必至なのだが。それでもこうしてロビーで装備をする程度であれば問題はない。
「これ。」
琉璃が装備して見せたのはなんと大きなハンマーであった。その見た目はレヴィアタンの頭をそのままもぎ取って縮小し、取っ手を付けたかの様な不気味な物だったが。これの攻撃力は今まで琉璃が使っていた武器よりも遥かに高い数値を誇る。とは言え、今の琉璃では満足に扱う事は出来ない。しかし琉璃は好んでこのハンマーを作った。それは何故か、勿論投げる為だ。
「おおお、相変わらず怖い見た目だ。」
「でもまだ能力的にこれは投げられないんですよね?」
伊依の言葉に琉璃が短く「そう」と答えた。このゲームの投擲には二つのルールがある。一つは、投擲をすると一定時間のクールタイムが必要な事。そしてもう一つは投擲に必要なのは装備条件のステータスではなく、運のみであると言う事。つまり今の琉璃のステータスでは足りないのだ。投擲に唯一必要な運ステータスが。
「でももう直ぐ投げられるようになるから。」
「そうなると琉璃のダメージはもしかしたら私を超えるかもね。」
「……そうなったら、わたしが紗綾を守る。」
琉璃のその言葉に紗綾は思わずにやけながら、こんな表情誰にも見せられないなと自戒した。
「さて、今日はこの後どうしようか?」
「わたしはもっと―――」
紗綾の言葉に琉璃が続こうとした所、チャット越しに着信音が聞こえてきた。どうやら琉璃の携帯電話の様だった。
「ごめんちょっとまって。」
慌てた声で琉璃がそう話し、ボイスチャットを一時ミュートにした。それを聞いて紗綾は伊依と時間を潰しながら待つ事にした。
「ねぇお姉ちゃん。琉璃さんって面白くて良い人だね。」
「でしょ。ちょっと不愛想な所があるんだけど、其処が可愛くて。」
伊依の言葉に紗綾は同意し、ついそう口に出した。それを聞いた伊依は内心ほくそ笑む様に誘導を開始した。
「お姉ちゃんって琉璃さんの事になるとデレデレになるよね。好きなの?」
「え?うん、好きだよ。」
伊依の質問に紗綾は恥ずかしげもなく答えた。それを聞いた伊依は小さくため息を吐きながら話を続けた。
「そうじゃなくって。琉璃さんを特別に見てるのかって事。」
「え?特別……?」
伊依の言葉の意味が一瞬分からず首を傾げたが、その答えが頭に降りてきたのと同時に琉璃が通話に復帰した。
「お待たせ。」
「あ、おかえりなさい。」
「お、おかえり。」
二人の声を聞くも、琉璃は何かを言い淀んでいるかのようで、うまく返事が出来なかった。
「どうしたの?」
「あ、あの、ごめん。家の用事が、突然入っちゃって。……いま、その連絡が来て。」
「あー、そうなんですか……」
琉璃の言葉に伊依が残念そうな言葉を上げる。それは紗綾も同じだったが、あまり残念がると琉璃の後ろ髪を引いてしまう事になるかもしれないと思い。表に出さない様に声を取り繕った。
「そっか。分かった。じゃあ今日はもう解散かな。」
紗綾のその言葉に琉璃は息をのみ、震えた声で「うん。」と小さく答えた。
「じゃ、私達も出よっか。」
そう言いながら紗綾はログアウト準備を始め、手早くログアウトをした。
「あ、待ってお姉ちゃ―――」
伊依の言葉を最後まで聞く事もなく、紗綾はログアウトを済ませI・E・Oから抜けた。そしてまだ閉まっているイレイザーエッグ内で紗綾は一人後悔していた。
「今明らかに冷たかったな……もっと優しい言葉も出せたんじゃないかな。」
最後、琉璃に掛けた言葉が自分の中で冷たいと感じ、逃げる様にログアウトしてしまったのだ。そしてその事に後悔を感じた紗綾は中々エッグの開放を出来ずにいた。
「……よし、ちゃんと謝って、せめて琉璃が帰るまで一緒に居よう。」
紗綾は一人そう反省し、エッグを開放した。
「お姉ちゃん、真っ先に出て行ったのに最後だ。何してたの?」
紗綾がエッグを開放すると、既にエッグから出てきていた伊依と琉璃が紗綾のエッグの傍で待機していた。
「あ、えっと。まぁ、色々。」
「?ふーん。じゃあ取り敢えず下に降りようか。琉璃さんはお迎えが来るって言ってたからそれまで一緒に居るでしょ?」
伊依の提案に紗綾はぎこちなく頷いた。自分が提案しようと思っていた事を妹に先に言われ少し気まずかった。
「二人とも、ごめん。」
そんな伊依達に、琉璃は頭を下げ謝罪をした。
「折角、皆で遊んでたのに。」
琉璃の辛そうな声を聞き、紗綾まで心が痛くなってきて、思わず顔を少しだけしかめてしまった。
「気にしなくて良いよ。そんな時は誰でもあるって。」
「……琉璃。」
伊依は笑顔で手を振って、紗綾は少し俯きながら立ち上がり、エッグを出てから琉璃を見つめた。
「……なに?」
「あの、ね。」
少し気まずそうに、琉璃と紗綾が見つめ合う。そんな二人を伊依はにやけるのを必死にこらえながら見ていた。
「ごめん、私の方こそごめんだよ。さっきあんな冷たい言い方しなくても良かったよね。ごめん、そんなつもりは無かったんだ。」
「……紗綾、悪くないよ。」
紗綾が頭を下げ何度も謝るのを見て、琉璃が少しだけ困惑しながら紗綾にそう告げた。
「でも、私は琉璃に謝りたかった。さっき、琉璃が悲しそうに用事が出来たって聞いて、寂しいなってちょっと思っちゃった。家の用事なんだから、どうしようもないのにさ。我儘だった。だから、ごめん。」
「……紗綾は、やっぱり優しい。」
紗綾の想定外の言葉が琉璃から飛んできて紗綾は思わず顔を上げた。そこには微笑む琉璃が居て、紗綾のその琉璃の顔に思わず見惚れてしまった。
「わたし、紗綾が一緒に遊んでくれて本当に嬉しい。勿論、伊依も遊んでくれて、嬉しい。」
「へへ、照れるな。」
琉璃の心の底から嬉しそうな発言に伊依が恥ずかし気に髪の毛先をくるくると指に巻いた。紗綾はそんな琉璃の言葉を聞いて、少しキョトンとしていた。
「……琉璃こそ。」
「……なに?」
紗綾がぼそりと呟くと、琉璃がそれを聞いて紗綾の方を見つめ、そして目を見開いた。紗綾が琉璃を突然抱きしめたのだ。
「琉璃こそ優しいよ。優しくてかわいくて、ゲームも上手で、意外と素直で。……あぁ、琉璃は本当に可愛い。」
琉璃の事を力強く抱きしめながら紗綾がそう力一杯に話す。それを聞いた琉璃は顔を真っ赤にしながら紗綾の腕をとんとんと何度も叩いた。
「紗綾、くる、しい。」
琉璃の苦しそうな声で我に返った紗綾は力を緩め、そのまま体を離した。その時見えた琉璃の頬はまるで林檎の様に赤く、紗綾はそこまで強く抱きしめてしまったのかと後悔した。
「ご、ごめん!まさかそんな赤くなるまで強く力入れるだなんて。あはは、冷静じゃなかったね私。」
「……」
琉璃は何かを言いたそうにしたが、しかしそれを小さな溜息で流し、一人エレベーター方面まで歩き始めた。
「あ、ちょっと、琉璃ってば!待って待って!」
「……っは!?二人ともまってぇ!」
琉璃に遅れない様に紗綾が小走りで、そして二人に置いて行かれそうになったのを妄想から帰ってきた伊依が追いかけて、三人は一階に降りていった。
「まだお迎えは来てない?」
一階に降りて伊依がそう琉璃に聞く。琉璃は外に出て辺りを見回してから戻ってきて小さく頷いた。
「じゃあ取り敢えずそこのソファで待ってようか。」
「……ん。」
すっかりいつも通りの琉璃と紗綾がソファに座り、その正面のソファに伊依が座った。
「あ、二人とも喉乾かない?そこの自動販売機で何か買ってくるよ。」
「お姉ちゃんの奢り?」
冗談交じりに伊依がそう聞くと紗綾が仕方ないなぁと言わんばかりの顔で親指を立て、立ち上がった。
「やった!じゃあ私はオレンジの炭酸の奴!」
「はいはい。琉璃は何が良い?」
「……わたしも?」
紗綾の問いに琉璃がキョトンと見つめ返した。それを見て紗綾は小さく笑った。
「ふふ、そうだよ。琉璃は何が良い?」
「……よく、分からない。」
琉璃が少しだけ悲しそうな声でそう口にした。それを聞いた紗綾は昨日の琉璃の迎えの状況を思い出した。もしかしたら琉璃はお嬢様で、今まで自動販売機なども使用した事が無いのかもしれないと。
「じゃあ、一緒に選ぶ?」
「……ん。」
紗綾の差し出した手を取り、琉璃は立ち上がって紗綾の傍に寄り手を握りながら相手方の手でカーディガンの裾をつまんで並んだ。
「ヨリは?」
紗綾が伊依の方へ視線を向けるが伊依はソファに座ったままだった。
「私はここで席の確保しとく~。」
そう緩い返事が聞こえてきたので紗綾も苦笑しながら「了解」と短く答えた。
「じゃあ行こっか琉璃。」
「ん。」
二人は一階の自動販売機エリアまで歩いて行った。それを後ろから見つめる伊依の顔は完全ににやけが止まっていなかった。
「あの二人、まだ出会って二日なんだよね?なのにあの距離感って……え、何?あれで付き合ってないって嘘でしょ?えぇ、あれだけアピールされてもお姉ちゃん靡かないんだ……朴念仁かな。」
「琉璃、何が良い?」
自動販売機エリアまで歩き、販売機の目の前で琉璃にそう聞いてみた。琉璃は目を輝かせて辺りを見回しているのが分かり、その姿を見た紗綾は琉璃のその動きのかわいらしさに噴き出しそうになるのを堪えた。
「どれでも良いの?」
「うん良いよ。気に入ったもの選んで。」
琉璃にそう言いながら紗綾は伊依に頼まれたオレンジ味の炭酸飲料を購入。ついでに自分の分の麦茶を購入した。
「……」
その間も琉璃は複数の自動販売機の前をウロウロし、一つ一つを見つめ続けた。そして一番右の自動販売機のとある商品の前で視線が止まった。
「ん?決まった?」
紗綾が琉璃の視線を追うと、そこにあったのは『期間限定!謎の味サイダー!』と書かれていた極彩色のパッケージの350mlサイズの缶ジュースだった。
「これがいい。」
「そ、そっか。分かった。」
琉璃が決めた事なので紗綾は深く言わずに購入したが、この心配な見た目のジュースを自動販売機デビュー(かもしれないと言うだけ)にしてしまって良いのだろうかと紗綾は考えてしまった。だが、お金を入れて琉璃がその商品を購入した以上はもう後戻りは出来ない。覚悟を決めて琉璃に缶ジュースを渡すのだった。
「はい、どうぞ。」
「ありがとう。」
とても嬉しそうに琉璃は缶を受け取り、直ぐに開けようとしたが、開け方が良く分からない様だった。
「あれ、缶ジュースって初めて?」
「わたしの家、こういうの厳しいから。」
何度か挑戦しようとしても中々開けられない琉璃。見かねた紗綾が一度両手に持っているジュースを自動販売機の上に置き、琉璃の手を取って開け方を教え始めた。
「あのね。このタブを……そう、この楕円形の奴ね。これをこう……」
琉璃の手をタブに導き、そのままてこの原理で口を開けて蓋を中に押し込んだ。その時に缶から景気の良い「プシュ」という音と、何の匂いか良く分からないがとにかく甘い事だけは分かる匂いが紗綾の鼻腔を擽った。
「ほら、開いた。」
「……あ、ありが、とう。」
紗綾がそのまま手を離すと琉璃は俯いた状態から上を向き、お互いに二人の距離がとても近く、密着状態にある事に気が付いた。
「あ、あー、っと、その。気が付かなかった、よ。」
さりげなく距離を離し、自動販売機の上にあった缶を両手に持ち直した紗綾。そんな紗綾を見て、琉璃は顔が赤いまま照れを隠す様に缶を口に付け一口口内へと流し込んだ。
「……あ、おい、しい。」
琉璃の意外なリアクションが紗綾は気になり、琉璃に再び近づいて姿勢を低くした。
「本当、私も一口貰って良い?」
「……ん。」
琉璃は紗綾の言うまま缶を紗綾に差し出し、紗綾はそれを口に付け琉璃に傾けて貰って一口分だけ飲み込んだ。琉璃の口内に炭酸のシュワシュワした感覚と何か分からない甘味が流れ込んできて、紗綾はどうリアクションを取って良いか分からなくなってしまった。確かに不味い訳では無い。だが、形容しがたい味な所為で美味しいとも言い辛い。しかし此処でまずいと言うと琉璃は悲しむかもしれない。そう考えて咄嗟に紗綾は、
「ど、独創的な味だね。」
そう言う事にした。しかしそれを聞いた琉璃は無言になり、少し表情を曇らせていた。その表情を見て紗綾はもう少し素直に美味しいと言えば良かったと内心後悔した。
「……あ。」
「ん?」
そんな事を考えていると、琉璃が何かに気が付いた様に声を上げた。それを聞いた紗綾が琉璃に聞き返そうとするのだが、琉璃の顔色が見る見るうちに赤く染まっていくのが分かって紗綾は動転した。
「だ、大丈夫?体調悪い?」
「大、丈夫。ちょっと、その、嬉しい、だけ。」
紗綾と視線を合わせない様に琉璃がそう言う。そっぽを向かれてしまった紗綾は内心ショックを受けながら琉璃の言葉を信じ、それ以上は追及しない様にした。
「お待たせ。」
二人が伊依の元へ戻ると伊依は携帯電話を弄りながらソファでくつろいでいるのが見えた。二人が返ってきたことに気が付いた伊依は弄っていた携帯電話をジャケットの内ポケットに仕舞い込み、振り返って笑顔で手を出した。
「おかえり。」
「その手は何?全く……はい。」
伊依の下心丸見えの笑顔に紗綾はため息を吐きながら頼まれていたオレンジ味の炭酸飲料を差し出した。それを受け取ると伊依の表情は一層笑顔になり早速蓋を開けていた。
「ありがとうお姉ちゃん、いただきまーす!んく、んくっ……っぷぁ!あぁあぁあ……のどがしゅあしゅあするぅ……」
蕩けた声で伊依がそう言うのを聞き、紗綾は苦笑を浮かべた。この妹は炭酸が得意な方では無い、強い炭酸を飲むとよく奇妙な声を出すのだ。そのくせ炭酸を飲むのが好きなのだから手に負えないと言うか。
「さて、じゃあ待っていようかって……あれ、来てるんじゃない?」
紗綾がソファに座ろうと思った時、ふと外を見てみると昨日見た姿の黒服の女性たちが明らかに高級そうな黒の車の前で待機をしていた。
「え゛、琉璃さんあの人達がお迎えなの?わぁあ、お嬢様だ。」
「そうでもない。」
伊依の驚いた声に琉璃はそうあっけらかんと返す。先日は紗綾も伊依と同様に驚いたのだが、結局琉璃の事は分からず終いだった。なので今日は一歩前に出てみようと考えた紗綾が、迎えの車に向けて歩いていく琉璃の手を取って振り向かせた。
「どうしたの?」
「あ、あー、ん、まぁ……えっと。今日の夜も、メッセージ飛ばすから、眠くなるまで話そう?」
だが、直接聞くには少し度胸が足りず最後の最後でヘタレてしまった紗綾。しかし琉璃はそんな紗綾の内心など知らないので、紗綾の言葉に笑顔を浮かべ何度も頷いた。
「……じゃあ。」
「うん、また夜に。」
「今日は楽しかったです。また遊びましょう?」
車に乗り込んだ琉璃を、紗綾と伊依が手を振って見送り、車はそのまま緩やかに出発した。それを完全に見えなくなるまで見送った二人は、その帰りに何事も無かったかのように談笑して家路についた。
と言う訳で、少しずつ距離が近づいてきました。しかしまだまだぎこちない二人の関係。そしてそれを近くで眺める伊依。私も伊依になりたいです。