第一話『紗綾とラピス』
はい、如月ですこんばんは。結構なペースで書き上げる事が出来ました、とても書いていて楽しいですはい。この作品は中編ほどの長さになるかもしれないなぁと考えていますので、まだまだ続きます。
「じゃあ、行ってきます。」
特に誰も居ない家に一人別れを告げながら紗綾は家を出る。紗綾は一人暮らしと言う訳では無い。が、この日は丁度家に誰も居なかった。両親は日帰りで旅行に、妹は学校に行っている為である。
「そんな私はバイトバイトっと。」
紗綾は今のアルバイト先の事を気に入っている為にバイトに行く事を全く嫌がっていない。好きな事をしてお金を稼げるのだから一石二鳥である。接客業なのでどうしても大変だと思う事もあるが、それでも仕事自体は非常に楽しんでこなしている。
「仕事は楽しいし、場所は近いし。最高の職場だねここは。」
自宅から歩いて五分の所にある小さな喫茶店。その名も『東喫茶』。其処で紗綾はウェイトレスを務めている。カントリー調の、小さいがお洒落な喫茶店で、常連達から根強い人気を誇っている。
「おはようございまーす。」
「あぁ源君、おはよう。」
紗綾が喫茶店に入ると、店の制服に腰に巻くエプロンをした見た目50代程の優しそうな男性から挨拶が返ってきた。彼は東国弘。この喫茶店のマスターであり、コーヒーを煎れさせたらこの街に彼の右に出る者は居ないと言われる程の男である。
「マスター、おはようございます。直ぐに準備しますね。」
「あぁそれなんだけど、今日は早めに上がって大丈夫だからね。」
紗綾が裏に回って制服に着替えようと思い、「関係者以外立ち入り禁止」と書いてある札を貼り付けた扉に手を触れた時に、マスターの東から呼び止められた。
「あれ、そうなんですか?でも今日は人が少ないって言ってたんじゃ。」
「その筈だったんだけど、私の娘が丁度今日帰って来るんだ。本来なら明日帰って来る筈だったんだけどね。」
紗綾は東の娘の事は詳しくは知らない。此処に勤め始めた頃には既にこの喫茶店兼自宅を出て、一人で暮らしていると東は話していた。だが、年に一、二度帰ってきてはこの店の接客を手伝ってくれると言う。その為常連からは幻のラッキーレディ等と呼ばれる事もあるそうだ。
「わぁ、私マスターの娘さんと会った事ないです。どんな人なんですか?」
「そうだねぇ、歳は源君と近いかな。少しだけ年上だけどね。性格は……まぁ、とてもマイペースな子でね。何と言うか、いくつになっても心配が尽きない子だよ。」
そう語る東の表情を見て、この人は本当に娘さんの事が好きなんだなと紗綾は感じた。自分にもあんな表情で語れる子供が将来出来るのだろうか、等と考えていると店の扉が開いた。
「いらっしゃ……」
「ただいま、お父さん。」
店内に入ってきたのは茶色の長髪がとても印象的に映る、長身の女性だった。そして彼女は今東の事を父と呼んでいた。
「もしかして娘さんですか?」
「……そう、この子が私の娘の。」
「貴方がうちで働いてくれてる源紗綾さんね。私はここのマスター、東国弘の娘の東弘美。よろしくね。源さん。」
そう挨拶をしながら紗綾の方へ歩いてきた弘美が紗綾へと手を差し出し握手を求めた。
「あ、よろしくお願いします。えっと、弘美さん、で良いですか?東さん、だとマスターとどっちを呼んでいるのか分かり辛いので。」
「うん、勿論。その代わりに私も紗綾さんって呼んでいい?」
ほわほわとした柔らかな物言いで紗綾にそう返す弘美を見て、紗綾はこの人はとても優しい人なんだろうなぁと思った。
「ほら、弘美。源君は今から着替えるんだから、お前は一度家に上がってゆっくりしてきなさい。」
「あ、そうだった。じゃあ、後で仕事変わるからね紗綾さん。また後で。」
「えぇ、また後で。」
紗綾の手を離し、弘美は慌ててキャリーバックを持ち直してから一度外へ出た。この店は実家兼喫茶店ではあるが、家は二階にあり、その家へと上がるには店のすぐ外に設置してある階段を上がる必要がある。紗綾も家の中には入った事は無い、そもそも用事もある訳では無いのでこれから先に上がる事があるかどうかはまだ不明ではあるが。
「じゃあ、私も着替えてきますね。」
「うん、今日もよろしく。」
紗綾は東にそう告げ、着替える為に「関係者以外立ち入り禁止」の札が貼り付けられた扉を開けて中に入った。
「じゃあ、今日はこの位で大丈夫だよ。娘も仕事に参加してくれたから。」
「え、でもまだ早くないですか?」
仕事を始めて4時間と少し。昼の一番忙しい時間を過ぎた辺りで東が紗綾にそう告げた。普段の紗綾は大学に行っていない日、バイト自体が休みの日以外は夕方のピークが過ぎるまでいる事の方が多い。しかし今日はいつもの半分程度の時間で上がって良いと言われたので少し困惑していた。
「大丈夫だよ、ここからは私もいるから。紗綾さんは今からでも大事な人と一緒に過ごして来たら?」
「大事な人って……恋人とかですかね?うーん、居たらそうしてたかもしれないんですけど。」
弘美の優しい声での提案に紗綾がそうぽつりと返した時、弘美の表情が一変した。
「え?え!?紗綾さん彼女いないの!?」
「え、え?かの、え?」
彼氏、の言い間違いなのかなと思いつつ、紗綾は弘美の食いつきぶりに動転していた。
「あぁ、源君。考えている事は分かるが、それは言い間違いではないよ。うちの娘はね、同性愛者なんだ。」
「あ、あぁ……あぁあ、そうなんですか。」
東の言葉でそれが言い間違いではないと言う事が分かり疑問は解決したが、紗綾は別に同性愛者ではないので回答に困っていた。同性愛者に差別意識などは全くと言って良い程持っていない紗綾だが、今の所自分が同性を特別な目で見た事は無く、そして特別な目で見られたこともない。と、紗綾は思っている。
「ごめんなさい、突然妙な事言ってしまって。でも貴方はとても素敵な人だと思うのに誰も貴方の事を射止めようとしないだなんて、勿体無い。」
先程までとうってかわって、弘美の目はキラキラと輝き、全身から強い生気の様なものが感じられた。
「あ、あはは。ありがとうございます。」
かなり強めに推してくる弘美の言葉に紗綾はたじろぎながら礼を言った。
「弘美、源君が困ってるからやめなさい。」
「あ、あら。私ったらつい。ごめんなさいね。」
「い、いえ、大丈夫です。じゃあ、私着替えてきますね。」
距離を離した弘美に紗綾は少しだけほっとし、そのまま着替える為に店の奥へと入っていった。
「紗綾さん、美人だし、良い子だし。……私、本気で狙っちゃおうかな。」
「……源君に無理強いをしないのであれば、好きにしたら良い。」
喫茶店の仕事も終わり、想定外に時間が余ったので紗綾は今日もI・E・Oをプレイする事にした。
「今日は誰かいるかな。」
そう思い、よく一緒にプレイする仲間に携帯電話でメッセージを飛ばしてみた紗綾。だが、今日も他の仲間は皆用事がある様で、紗綾のプレイ限界時間の丁度すぐ後にログインする者がいる位だった。
「あぁあ、入れ違いかぁ……ま、それなら今日もソロかな。」
等と考えていると昨日初めて出会ったラピスの事が紗綾の頭に浮かび上がってきた。
「そう言えばあの子は今日もやってるのかな。……流石に毎日ずっとプレイとかは、無理か。」
一人そう苦笑しながら呟いて街中を歩く。幸い周囲に人は少ないので怪しまれる事は無かった。
「おっと信号。……んん!?」
紗綾が目の前の信号が変わったので足を止めた時、その横から小さな人影が飛び出したのが見えた。そしてその人影は信号が変わった横断歩道へと歩いていく。その姿を見た紗綾は咄嗟に手を伸ばし自らの方へとその人影を引っ張った。
「んえぇ……」
その人影……背の低い少女は、情けない声を上げながら紗綾の方へと力なく引っ張られ、そのまま紗綾の腕の中にすっぽりと入りこんでしまった。
「ちょっとちょっと!!危ないよ!……あー、良かった無事で。」
「……ぁ、信号。」
何事かと周囲を見渡していた少女が、漸く合点がいった様に頷いて紗綾の腕から抜け出そうとするも紗綾の抱きしめる力が強い所為か抜け出せずじたばたともがいていた。
「うー、んー。」
「あ、ごめんね。」
一言謝り、紗綾は少女を離す。少女は漸く解放され、乱れた衣服をぱたぱたと叩いて直していた。
「でもぼーっとしてたら危ないよ。特にながらスマホは駄目。」
「……ごめん、なさい。地図、見てた。」
紗綾の比較的優しいお叱りに少女は顔を俯かせ、悲しそうに謝罪した。反省している様なので紗綾はそれ以上何も言わず、少女が地図を見ていた、と言った事に気を止め自分が何か役に立てるのではないかと考えた。普段はここまで他人に干渉しない紗綾なのだが、今回は自分が手を引き、彼女を助けた手前、このまま放りだすのも少し気がかりだったのだ。
「地図見てたって事は何処か行きたい所でもあるの?」
「……ここ。」
少女が携帯電話の画面を紗綾に見せようとするが、その時信号が丁度青に変わってしまった。
「おっと、このままじゃ信号が変わっちゃうね。取り敢えず渡ってから見せて。私の分かる場所なら案内するから。」
「……ん。」
紗綾の言葉に少女は言葉短く、しかし素直に従い二人は横断歩道を渡り始めた。無言で横断歩道を渡っている中、紗綾は少女の反応にどこか既視感を覚えていた。
(何処かで会った事でもあるのかな。……あんな特徴的な子だったら直ぐに覚えられそうなものだけど。)
その少女は、背は低いが髪は長く腰付近まで伸ばしている。しかも髪の色は日光に当たると少し藍色にも見える黒髪だ。更に言えば表情の変化は薄いが、テレビやネットで見るジュニアアイドルなんかよりも遥かに整った顔立ちの少女。同性でも一度見たら忘れる事は無いだろう。
(多分、ただのデジャヴだね。)
そう自分の中で結論付ける頃に横断歩道も渡り切り、紗綾と少女は邪魔にならない道の隅の方で陣取り少女の向ける画面を見つめた。
「……ここ。」
「ここって『E・G』じゃん。なんだ、私と同じ所に行く予定だったんだね。」
『E・G』とは、I・E・Oをプレイするのに必要なイレイザーエッグが設置されている施設、『イレイザーズギルド』の略称である。昨日、紗綾がプレイしていたのもその施設だ。
「だったら私が案内できるね。私と一緒に行く?」
「……ん。」
紗綾の提案に少女が短い返事と共に小さく頷いた。その姿を見た紗綾は素直に少女を可愛いと感じていた。
(私の妹とはタイプが真逆だけど、こんな子も可愛いな。)
等と脳内で考えながら紗綾は少女と共に歩き始めた。が、少女はぼーっとしているのか、普段からこんな感じなのか、道を間違えそうになるわ突然別の店内に入りそうになるわとあまりにも不安な動きをするので、紗綾が一つの提案をした。
「あの、もしも嫌じゃなかったらなんだけど。」
「……?」
紗綾が話し始めると少女が紗綾の方をじっと見上げた。その無垢な視線に紗綾は少し苦笑を交えて提案の内容を話し始めた。
「道中、道に迷ったりしない様に手を繋いでて良い?」
「……ん、いい。」
意外なほどあっさりと、少女は手を紗綾の方へと差し出した。その手を紗綾が優しく握り、しかし離すまいと気合を入れて再び歩き出した。
「あー、所で名前聞いてなかったよね。私は紗綾、源紗綾。貴方の名前を聞いても良い?」
「……琉璃。」
短くそう名乗った少女、琉璃の言葉を聞き。紗綾は頷いた。
「分かった、じゃあよろしくね琉璃。」
「……ん、よろしく、紗綾。」
紗綾は笑顔で、琉璃は表情を変えず、しかし少しだけ弾んだ声でそう挨拶を交わし、二人でE・Gへと向かった。
「よっし、到着。」
「……ん。」
紗綾の案内で無事にE・Gまで辿り着けた二人。早速中に入り受付を済ませようとしたのだが、琉璃の足が止まってしまっていた。
「ん?どうしたの琉璃。」
「……その。」
何かを言いたそうにしている為、紗綾はその言葉を待つ為に足を止めて琉璃の隣で言葉を待った。
「……あの、その。」
「ん?」
紗綾はあまり深い追及はせず、ただ言葉を待っていた。言い辛そうな時は急かすと余計に言い辛くなると言うのは人生で何度か経験した事がある事態だからだ。
「……あり、がとう。」
少しの間の後に、琉璃がそう恥ずかしそうに、しかし嬉しそうにお礼を言った。それを聞いた紗綾は思わず顔が緩んで笑みがこぼれた。
「……ふふ、どういたしまして。」
琉璃からのお礼を受け取り、紗綾達は改めてE・G内部に入り受付を始めた。だが、其処で紗綾は少し奇妙な光景を見た。
「あ、え、え?あの、少し、いえ、あの少々、お待ちください。」
受付の女性が琉璃の受付を始めた途端に表情を変え、慌てて裏の方に下がっていった。
「え、え?どうしたのかな。」
「……知らない。」
琉璃に思い当たる節が無いか聞こうとしたが、琉璃もそっけない言葉でそう突っぱねる様に言い放つだけなので、紗綾にはもう何が何やら分からないと言った風で、頭が少し混乱していた。
「お、お待たせいたしました。それではお二人のイレイザーエッグは一階のスペシャルプレイルームの101と102になります。」
「……えぇ!?」
スペシャルプレイルーム、と言うのは他の通常のルームと違い部屋自体は狭いのだが、イレイザーエッグが隣り合う様に二個設置されていると言う……つまりは漫画喫茶などで言うカップルシートの様なものだ。そんな場所は紗綾にとって全く疎遠だと思っていた為にその部屋の名前を聞いた時、直ぐにその部屋がそうだと認識できなかった紗綾であった。
「わ、私達別にそんなんじゃ……」
「大丈夫です。」
紗綾の反論をたった一言大丈夫で返し、受付の女性はスペシャルプレイルームの部屋の鍵を開ける為の無線キーを紗綾に手渡した。
「それでは直ぐ其処の角をお曲がりになりまして、一番奥の部屋がスペシャルプレイルームでございます。どうぞ、好きなだけ楽しんでくださいませ。」
好きなだけ楽しむ。という言葉を聞いた時、紗綾に何か違和感を感じたのだが、その違和感の正体に気が付く前に琉璃が紗綾の手を引いていた。
「……いこ。」
「あ、あぁ、うん。」
まぁ、こんな妹みたいな可愛い子と一緒に遊ぶのも悪くは無いか。等と気楽に考え、紗綾は一旦考えるのをやめた。
「さて、琉璃を待たないといけないけど……あ、そうだ。ねぇ琉璃、種族って何にしたの?」
「……人間。」
二人で隣り合ったイレイザーエッグに入り、ゲームを開始し始めた時に紗綾がふと気になって隣の琉璃にスペシャルルーム専用回線と言うものを使用して琉璃に直接声を掛けた。此処は元々カップル用に考えられているのでこの手の専用設備もあるのだろう。
「人間ね、了解。名前は?……あ、っと。その前に確認しておかないと。勝手に話進めちゃう所だった。ごめんね。」
「……」
紗綾の言葉に琉璃はあまり反応を示さなかった。しかし紗綾はそれを深く気にせずに話を続ける事にした。
「琉璃は私と一緒にプレイ、してくれる?」
「……ん。」
琉璃の肯定の返事が小さく聞こえた。その声を聞いた紗綾は少しだけ安心し、そのタイミングでログインも完了した。
「じゃあ、改めて聞くね、琉璃のアバター名は何?私はサイケって名前なんだけど。」
「……気づかないんだ。」
紗綾がそう名乗った時、琉璃は少し不貞腐れた様な声でそう紗綾に返した。そして紗綾の目の前には昨日見た『ラピス』のアバターが立っていた。
「……え?」
「……わたしが、ラピス。」
「え、えぇぇええぇぇ……」
オンラインゲームで偶然出会った相手と翌日にリアル世界でも出会う事になるなんて、世界は意外と狭いんだなぁと紗綾は思った。
「まさかラピスだったとは……あぁ、でも。だから既視感があったのかぁ……納得納得。」
「……わたしは、気が付いてた。」
琉璃がラピスだと気が付き、紗綾は少し動転していたがようやく落ち着きを取り戻したみたいだった。
「うそっ!こういうのもなんだけど私割とただの女だよ?特徴とか無いよ?」
「……そんなことない。わたしにこんなに優しくしてくれるのは、紗綾……サイケだけ。」
琉璃のその言葉に紗綾は少し気になる言葉があったがそれは相手の心の深い所を探る事になる予感がして、とりあえず聞かない事にした。まだ会ったばかりの人間にそんな繊細な所を探られたいと願う人間は居ない筈だからと。
「……あ、じゃあ今日もやって行こうか。I・E・O!」
「……ん。今日こそ投擲。」
結局前日のプレイでは琉璃、ラピスはまともに投擲出来る様になるまでには至らなかった。と言うか、投擲極振りと言うキャラビルドは事実上の玄人向けなので、最初の内から何でも投げられるものでも無いのである。
「やっぱり投擲が一番やりたい?」
「ん。」
珍しくはっきりと琉璃がそう肯定する。そんな琉璃の返事を聞いて紗綾は少し考えてから一つ提案をした。
「んー、じゃあさ。今のうちに投擲に使える高ランク武器を作製出来る様にしておこうか。」
「……何を、したらいい?」
少し興味を持った様で、琉璃が紗綾の言葉に耳を傾けた。
「えぇとね、昨日乱入で来たぬえイラみたいに『強力な武器だけど必要能力が高くて序盤はまだ使えない』みたいな装備って意外とあるんだよ。だから、そういう武器の作製を目標にクエストをこなしてたら多分ステータスポイントも直ぐに貯まるんじゃないかなって。どう?」
紗綾の提案を聞いて、琉璃はしばし沈黙を貫いた。そしてその沈黙の後に琉璃のキャラクターが動き始め、紗綾のキャラクター、サイケの目の前に立ち、キャラクターが頷いた。
「ん、いく。」
「よっし、決まりだ!じゃあ行こっか!!」
紗綾は目的が決まり、気合を入れながらそう琉璃に声を掛けた。そんな琉璃は変わらず小さな声で返事をしているだけだったが、紗綾はそんな事気にしないと言った風に鼻歌交じりにクエスト一覧を眺めていた。
「……ねぇ、紗綾。」
「~~♪……ん?どうしたの琉璃?」
琉璃が少し躊躇いがちに紗綾に声かけ、紗綾は鼻歌をやめて琉璃の言葉を待った。
「……どうして、紗綾はわたしに、構ってくれるの?」
「んー、と……何でって言われると困るんだけど。んー、なんでだろう。あんまり深く考えて無かったしなぁ。」
琉璃の質問に紗綾は少し困った声で悩み始めてしまった。それを聞いた琉璃は小さくため息を吐いた。
「……もうい―――」
諦めて「もういい」と琉璃が言おうとした時、紗綾が声を上げた。
「あぁそうだ、一つだけ思い当たる理由があるかも。」
「……何?」
興味ありそうに、しかし少し不安そうに琉璃がそう聞きなおす。紗綾はその言葉を聞き少しだけ照れくさそうに琉璃に言葉を述べた。
「琉璃って、どうにもほっとけないって言うか。なんて言うか。ついつい構いたくなっちゃうんだよね。ちょっとマイペースで、他の子達と違う何かがあって。それが面白くて可愛いと思うから、かな。あはは。口説き文句みたいだ。」
「っ……そう。」
紗綾の言葉を聞いた琉璃が言葉を詰まらせて、震える声で何とか返事をした。紗綾は柄にもなく恥ずかしい事を言った所為で少し顔が熱くなってしまっていた。
「じゃ、じゃあ今日はこれにしようか!!『身も心も家計も火の車』って奴!」
照れを隠すように敢えて声を大きく琉璃にそう提案したが、琉璃からは声での返事の代わりにキャラクターの頷きモーションで返事が返ってきた。
このクエストの概要はこうだ。
クエスト依頼者:貧乏な農家
『助けておくれよ、あの奇妙な火の車みたいな妖怪があちこち走り回っているお陰で作物が荒らされてるんだ!これじゃあうちの家計簿まで火の車になっちまうよ!誰かあいつを倒してはくれないかね!?何とか捻出した報酬金は払うからさ、お願いだよ!!』
と、かなりギリギリまで追い込まれている農家からの依頼で報酬金自体は他のクエストよりも少し安めになっている。しかしこのクエストは他のクエストで出る同ターゲットよりも比較的レアな素材を落としやすくもあるのだ。なので装備の製造も進展しやすいだろうと紗綾は考えてこのクエストを受注した。因みに実際にこのクエストの依頼者がこの世界のNPCとして存在している訳では無い。所謂フレーバーテキストの一つなので古参プレイヤーの殆どは特に気にもしないであろう。紗綾自体もクエスト概要を読むのは好きだが、深く感情移入などはしていない。
「今回のターゲットは火車をモデル……にしてるのかは分からないけど、火で覆われたひとりでに動く荷車の妖怪だよ。で、ステージは昨日と同じ所。」
「……分かった。」
狩りフィールドに到着し、二人は拠点から走り始めた。紗綾が先行し、それに琉璃が着いて行く形だ。
「さて、此処をまっすぐ行って、この広い空間を抜けたら左に。其処があいつの初期位置だった筈。」
「……初期位置?」
紗綾の呟きに琉璃が疑問を持ち、そう聞いてきた。その疑問の声が聞こえた紗綾は呟きの内容の詳しい説明を始めた。
「初期位置って言うのはね、イリュージョン達が最初に配置されている場所。殆どのクエストは最初からイリュージョンが居て、決められた場所から一定のパターンを含んだランダム性で移動してるんだけど、その移動の前に接敵できれば移動させる前に戦う事が出来て探す手間も省けるって訳。」
「……そう、なんだ。」
紗綾の説明に琉璃の少し感心した様な声が返ってきた。その声に紗綾は少しだけ嬉しくなってしまった。紗綾の仲間は自分がやり始めた時とほぼ同時に始めた古参ばかりなのでこの手の説明はしたことが無かった。しかもその仲間たちは他の狩りゲームも嗜んでいる為に余計にそんな必要も無いと言う。なので紗綾がこうして琉璃に世話を焼くのはそう言う所からくる感情も混じっているのかもしれない。
「っと、無事到着だ。まだ逃げて無いね。」
「……あの、赤いもやもやしたのが、そう?」
二人の見ている方向には赤く燃えているにも拘らず全く形を崩さず原形を保っている謎の巨大荷車が存在していた。その大きさたるや縦は紗綾のアバターサイケと琉璃のアバターラピスを並べてもまだ向こうの方が大きい程で、横に至ってはラピス三人分でも恐らく足りない程だ。 因みにサイケのアバターサイズは165㎝で、ラピスのアバターサイズは160㎝なのだが、本人達はもう少し大きくすれば良かった、もう少し小さくすれば良かったとほんの少し後悔していたりする。
「そう。あれが火車をモデルにしたとかそうでないとか言われてる、『マドゥーシャ』だよ。」
「マドゥーシャ……火車なのに、魔法使いみたいな名前。」
琉璃の突っ込みに反応しようとしたがそれよりも先にターゲットのマドゥーシャが二人に気が付き、声高らかに咆哮した。
「……猫の声みたい。」
「その理由は戦ってると分かるよ。さ、行こう!!」
二人は武器を構え、マドゥーシャに向かい走り始めた。
「……琉璃、右に回って。」
「……ん。」
紗綾の合図で琉璃がマドゥーラの左側の車輪の方へとローリングし、その直後に右の車輪から地面を走る炎が放たれた。
「こっち見なよ!」
紗綾と琉璃がマドゥーラを挟んでいる形で戦っている以上、琉璃の方へと敵が向けば紗綾は敵の背後に位置する事になる。そうなれば紗綾の攻撃は好き放題マドゥーラに当たり、自然と次の標的が紗綾へと移る事になる。それが紗綾の目的だった。
「琉璃、今だ!」
「ん!」
紗綾の声と共に琉璃が武器を一本手に持ちそれを投げつける構えを取った。昨日の乱入で出現したぬえイラこと、キマイラの素材から作成した白い短剣『ベレロポーン』である。琉璃の獲得した素材であれば他にもいくつかの作成候補はあったのだが、何故この数字上の攻撃力はそれほど高くない短剣にしたのか、と言うと。理由は二つあった、一つは琉璃が直ぐに投擲をしたかったので最短で投げられるようになる装備が欲しかったと言う事。そしてもう一つは、短剣は背後からの攻撃になればダメージが増加すると言う事、そしてそれは、投擲であろうとも発生する特殊効果だった。
「やぁっ……!」
琉璃が気合を込め短剣を投擲する。投げつけられた短剣はくるくると回りながらマドゥーシャの後方に見事ヒット、その短剣は後方から前方へと何度もヒット判定を発生させながらマドゥーシャを貫通していった。
「やった……!」
「やるね琉璃!一発で綺麗に投擲できるなんて。」
投擲は少しコツがいる。投げるまでに構えを取る為少し時間がかかると言う事と、投げる時に他の遠距離武器と違ってオートロックが発生しないという二つの課題をクリアしなければならない。しかし琉璃は昨日、銃を撃つ時にオートロックを切って尚しっかり命中させていたと言う実績がある為、構えを取る時間さえ作ってやれば難なく投擲の課題をクリアできていた。
「じゃあ、このままどんどん行くよ!」
「……ん!」
紗綾が敵からのヘイト(攻撃集中)の殆どを稼ぎ、琉璃は投擲が出来そうなら投擲、そうでなければ銃を持ち発砲。どうしてもヘイトを稼ぎきれない時は紗綾の指示で琉璃は全力回避と言った風にコンビネーションを重ね、マドゥーシャの残り体力を半分以下にした時、マドゥーシャが再び声高らかに咆哮し動きを止めた。
「お、もう来たか。」
「……何?」
マドゥーシャが上を向き、そのまま咆哮と共にマドゥーシャを包む大きな炎がさらに大きく膨れ上がり二人の視界を埋め尽くした。
「来るよ、第二形態!」
「……」
紗綾の声と共に現れたのは、先程までの荷車ではなく、両足と二本の尻尾に炎を纏った黒い猫又だった。
「猫……?」
「これがあるからこいつは火車がモデルだって言われてるんだよね。火車ってのは猫又だって言われてたりもするから。」
紗綾の説明を聞きながら琉璃はマドゥーシャの動きを眺めていた。マドゥーシャは尻尾を立て、二人に対し姿勢を低くし毛を逆立てていた。まるで猫が威嚇をしている様な構えだった。
「さて、此処からは全く動きが違うから。その都度また危険な攻撃を説明するからね!」
「ん……!」
紗綾も琉璃も気合を入れなおし、改めてマドゥーシャに攻撃を開始した。
「こっちだこっち!」
姿は変われど、二人のやる事自体は先程と同じで、紗綾が基本的に敵のヘイトを稼いで、琉璃がその隙に銃を撃ったり投擲をしたりする戦法である。しかし先程よりも敵の動きが素早い為に行動の切り替わる回数も多く、琉璃へとヘイトが集まる回数がどうしても増えていた。
「琉璃、左!」
「……」
紗綾の指示通り琉璃はラピスを左側にローリングさせ、猫型マドゥーシャの左足パンチをギリギリで躱した。
「今内にちょっとでも尻尾を……!」
紗綾の目の前で尻尾がフリフリと揺れていたので好機と捉え、槍で何度か尻尾を攻撃。するとマドゥーシャは少し怯んだ。
「こいつは尻尾弱点じゃないけど、尻尾の部位破壊があるからね!」
部位破壊とは、中型以上の各イリュージョンに一か所以上存在している、一定以上同じ部位にダメージを与え続けるとその部位が破壊され消滅、部位によってはフィールドに残ったりするシステムである。例えばこのマドゥーシャであれば尻尾と、荷車状態の時の車輪が部位破壊可能であった。残念ながら荷車状態の時は部位破壊する事が出来なかったが、紗綾は経験者のプライドとして、せめて一か所は部位破壊したかったのだ。部位破壊をする事で、その部位の破壊判定が発生し、クエストクリア時に報酬が増えるのである。そのうま味を琉璃にも味わってほしいと紗綾は考えていた。
「流石にまだか……」
「……尻尾狙えば良いの?」
紗綾の行動に気が付いた琉璃が紗綾にそう聞いた。紗綾はその言葉答えながら攻撃を繰り返していた。
「そうだよ。こいつの尻尾はある程度ダメージを与えると一本切れるんだ。だからそれを狙おうと思ってるんだけど。」
紗綾がそう言い切った後、琉璃がマドゥーシャの尻尾へめがけて短剣を投擲した。短剣は見事尻尾に直撃したが、しかしまだ尻尾は健在で、それを見るや琉璃が不満そうな声を出した。
「むぅ。」
「まぁ一発では切れないよね。っと、まずい、逃げちゃう!」
琉璃の不満そうな声に紗綾が苦笑交じりにそう答えていると、マドゥーシャが思い切り体勢を低くして、まるで猫が高い所へジャンプする直前の様な姿勢を取った。それを見た紗綾はすかさず槍投擲スキルを発動し、マドゥーシャの足狙って槍を投げ放った。
「おっし!」
その槍は見事命中し、紗綾の狙い通りにマドゥーシャはダウン判定が発生して倒れこんだ。
「さ、今だ琉璃!」
琉璃の銃弾がマドゥーシャへと何発も飛んでいく。その弾丸は見事全弾命中しているのだが、その射手である琉璃は少し焦った声を上げていた。
「はやく、はやく、はやく……!」
一体何を焦っているのだろうと紗綾が思った瞬間、マドゥーシャが立ち上がって、そして紗綾の投げた槍も返ってきた。しかしマドゥーシャは再び逃げる体勢になり、高く飛び上がろうとしていた。
「っげ!」
「きた!」
その瞬間琉璃の声が響き、ラピスが短剣を再び投擲。その短剣は見事尻尾に命中。二本ある尻尾の内一本が見事に切断された。そしてその瞬間にマドゥーシャの討伐が終了した。
「……うっそぉ、まさか二日連続でこんなミラクルキルが見られるなんて。」
「……ぶい。」
画面越しでは伝わっていないが、琉璃の自信満々な声を聞くに恐らく画面に向かってピースサインをしていたのだろうと紗綾は思い、思わず吹き出してしまっていた。
「ふ、ふふ。」
「何……?」
紗綾の笑い声の意味が理解できず、琉璃はクエストが終わるまでずっと疑問が頭を支配していた。
「いやー、今日は楽しかったぁ。」
その後も紗綾と琉璃は様々なクエストをこなし、気が付いたらもう紗綾が家に帰る時間になっていた。
「……ん。」
表情はそこまで変わってないが、琉璃も満足した様で少し嬉しそうな声だった。
「もう日も暮れ切っちゃったね。家までの道分かる?良かったら送るよ。」
「……」
紗綾がそう提案したら琉璃が俯いてしまった。そして紗綾は気が付いた。よく考えれば自分達はまだ出会って二日目なのだと。そんな浅い関係でいきなり家まで送る、と言うのは確かに警戒されるのかもしれない。この世の中誰が何を企んでいるのか分からないのだから。と。とは言え紗綾自身には特に深い意図などは無く、本当に言葉通りこのまま暗い道を行くと危ないと思ったからである。琉璃は見た目いかにも非力そうで、暴漢などに襲われてしまえば一たまりも無いと思えるからだ。
「ごめん、ちょっと差し出がましかったかな。」
「……んん。わたしの家見ると、紗綾はわたしから、離れる……」
紗綾の謝罪に琉璃がそう弁解した。その言葉の意味を紗綾は理解できずに聞き返そうとしていたが、どうにも聞き返せるような雰囲気じゃないと考えていた。そんな時、二人の目の前にいかにも高級そうな黒い車が止まり、中から黒いスーツとサングラスをした女性数人が現れた。
「お嬢様、もう帰宅のお時間です。」
「……分かった。」
その光景に紗綾は呆気に取られていた。しかし反対に琉璃は慣れ切った対応で言葉を二、三交わし車に乗ろうとした。
「……紗綾。」
「な、何?」
車に乗り切る直前に琉璃が紗綾の方を見て何かを告げようとして、しかしうまく言葉に出来ず。溜息と共に顔をそむけた。
「……なんでもない。」
そう言い放ち車に乗り切った琉璃。それを見て紗綾はこのままではもう琉璃と遊べないかもしれないと直感的に思い、何か言葉を掛けなければと考えた。そして他に思いつく言葉が無く、一番真っすぐ、分かりやすい言葉をぶつける事にした。
「琉璃!」
「……」
扉が閉められ、代わりに車の窓が開いて琉璃がその窓から顔を覗かせた。そんな琉璃に向かって紗綾は声を大きく呼びかけた。
「また遊ぼう!!明日でも、明後日でも。琉璃の暇な時に!!私は此処に居るから!」
「っ……扉を開けて!!」
紗綾の言葉を聞いた琉璃がスーツの女性にそう言い放ち、思い切り車から飛び出た。そして紗綾の前に立ち、我慢が出来ないと言った風に紗綾に抱き着いた。
「私も、紗綾と遊びたい。」
紗綾に抱き着きながら小さくそう呟いた琉璃は、やがて体を離し少しだけ目を潤ませながら、しかし今まで見た事もない程の笑顔で紗綾に小さく手を振ってから車に入っていった。
「琉璃……」
紗綾は琉璃が離れた事により生じた琉璃の残り香を感じながら、何故か胸を高鳴らせていたのだった。
いかがでしたでしょうか、寡黙無表情系の女の子が突然笑顔を見せた瞬間って胸に来ませんか?私は凄く来ます。