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短編集

このバス人生経由

作者: 幕田卓馬

 予備校に向かうバスの中で居眠りをしてしまった僕は、目を覚ました時おかしなバスの中にいた。


 がらんとした車内に人影は無く、空気中には夕暮れ時の公園にたたずむみたいな小さな孤独感が、アルゴンくらいの割合で漂っていた。


 窓の外は真っ暗で何も見えない。

 

 比較するものが無いからこのバスが動いているのか止まっているのかさえ僕には定かじゃ無いが、ぺしゃんこの焦げたホットケーキみたいなシートからかすかな振動が伝わってくるところをみると、多分動いているのだろう。


 まあ、そんな事今はどうだっていい事だ。だって今僕の足元では、薄皮まんじゅうみたいな真ん丸いハムスターが、流暢な日本語で僕に話しかけているのだから。


「ようこそタイムバスへ。私はこのバスのガイドを勤めさせていただきます、ハムスターの川宮隆俊といいます」

 

 ハムスターの川宮さんは深くお辞儀をしたようだが、あまりに丸すぎて何をしているのかいまいちわからない。


 「おめでとうございます。あなたは運良く、私どもの班のツアー参加条件――山川交通丸沢経由角島行きのバスの中で居眠りをした両手の小指の長さが違う過去になんらかの悔いを持った5月もしくは10月生まれの方、に見事に該当しました。よってあなたは過去に戻って自分の過ちをたった1つだけ修正できるという、素敵な時間ツアーへの参加が決定しました。私たち時間交通は参加条件に当てはまる方を見つけると直ちにこのタイムバスで過去へとお送りすることにしております。と申しますのも現代では幅広い世代で世間の逆境に耐えられず自殺する人々が増えているのです。その理由のほとんどは過去に犯した何らかの過ちに起因しているらしく、そこに目を付けた先代の会長はこのバスツアーを行う事によって・・・」


 宮川さんはまん丸の体を震わせながら熱弁した。


 僕は半分上の空で彼の食生活について色々と思考をめぐらせていた。きっと彼はひまわりの種の食べすぎなのだろう。もう少しにんじんやキャベツも食べるべきだ。それとも飼い主があまり利口ではなく、ひまわりの種しか与えてもらえないのだろうか。そもそも宮川さんに飼い主はいるのだろうか。飼い主はこのしゃべるハムスターをどう思って――


 宮川さんの弁論は20分に及んだ。そのほとんどが時間交通という彼の会社の眉唾物の伝記であり、僕が必要としている情報は最初の20秒くらいだけだった。要約すると『過去に返って1つだけ過ちを修正するチャンスを与えられる』らしい。これも眉唾物の話だったが、反論するのも面倒だったので黙っていた。


「今このバスは、あなたの最も後悔している過去の過ちに向かって一日/秒の速さで時間を遡っています」


「僕の過去の過ち?」


「はい、このバスはあなたの人生を経由するバスなんです。あなたの乗った山川交通丸沢経由角島行きのバスの乗客でツアー参加条件に見合った方々は、各々の人生を経由するバスに移され、それぞれ自分の人生を遡ってることでしょう」


「は、はぁ」曖昧に返した返事はバスの低い天井に当たって跳ね返り、辺りを歩き回った後シャボン玉のように消えた。


「馬場さーん、あとどの位ですか?」


 運転席には馬人間がいた。顔が馬で体が人間という、少し前の競馬のCMに出てきそうなやつだ。そいつはニンジンを食みながら片手でハンドルを握り「ヒヒーン」と鳴いた。


「もう着くそうです」

 

 やがてバスは音もなく止まった。あいかわらず窓の外は真っ暗だが、シートからの振動の変化でそれがわかった。宮川さんは僕を前方のドアの前に立たせた。馬人間の馬場さんの操作でドアは空気音と共に開く。開け放たれたドアの外には井戸の底のような深い闇が口を開けていた。「さあ、行ってらっしゃいませ。素敵な未来を築けるよう、影ながら応援させていただきますね」にこやかに言い放つと、僕の体は馬場さんによって窓の外に突き飛ばされた。


 闇の中へと落ちていく。僕は目を瞑った。



   ○



 夏、15歳だった。

 そして僕は、彼女を傷つけた。


 彼女に誘われて僕は神社の裏山に登った。午後8時10分前。もうすぐ花火が始まる。夏の夜を染める七色の花火。薄く引き延ばしたようにながれる穏やかな時間と、その膜を心地よく震わし断続的に響く軽快な花火の音。


 彼女は恥ずかしそうに俯きながら言った「ずっと、好きでした」僕は驚き、顔が焼け石のように熱くなった。心臓の音がうるさい『僕もだよ』しかしその声は森の木々に吸い取られたように、上手く言葉として成り立たなかった。僕の顔は真っ赤だった。言葉を諦め、彼女に手を伸ばそうとした。彼女の肩が震えた。


 しかしその手は、すぐに離された。木の葉が折り重なりできた暗闇の中から、耳障りな和声が漏れる。嘲笑。僕たち二人はそちらを見る。小さな赤い火が3つ、そしてそれは揺れながら僕達の傍まで歩み寄ってくる。3つの火は彼らの吸う煙草の火だった。クラスメイトが三人、見下したような目で僕らを見ていた。


「ずっと、好きでしたぁ? はぁ?」


 一人がそういって僕の肩を強く張った。他の二人が笑い出す。「な、何するんだ…」腹の奥底から搾り出した声は、窄められた喉に押さえつけられ情けないほど弱々しく響いた。「ずっと、好きでしたぁ、だってよ」彼らは彼女に顔を近づけ、煙くさい息を吐きかけて「馬鹿じゃねえの」そう彼女に言い放った。彼女は俯く。僕は声を張り上げようとしている。でも、できない。


 嘲笑。


 彼らの笑い声だけが、どんどん大きくなり、僕の頭の中をいっぱいにしていく。


 彼女に目をやる。彼女は泣き出しそうな顔で僕を見ていた。「相上くん…」その場を離れようと、強く握った僕の手を引こうとしている。


「ねえ、相上くん…」


 僕は今でも忘れられない。

 その時彼女は、涙をいっぱいに溜めながら必死に笑顔を作っていた。


 そんな僕らをクラスメイトが大声で笑い、「だせぇ、きめぇ」と胃に食い込むような声でわめき散らす。僕の中の向かうべき方向性を失った怒りが、吐き気にも似た不快感と共に込み上げてくる。


 僕の手を握る彼女の手。

 僕は、その手を乱暴に振りほどいていた。

 

 彼女の表情が、凍りついた。


 僕は彼女が好きだった。

 本当に好きだったのだ。

 でも激しい感情は時として、白い朝霧のように本当の気持ちを隠してしまう。


 それから彼女とは一言も口を利いていない。互いに互いの存在を忘れようとしながら、半年を過ごし、僕たちは中学を卒業した。


 あの頃の僕は本当に馬鹿で、どうしようもないくらい子供だった。



   ○



 目を覚ました時、僕は15歳になっていた。宮川さんの言っていたことはどうやら本当だったようだ。しばらく呆然と立ちすくんでいたが、まあそんな事もあるのかなぁ、と思い直す。人間は意外と適応力に優れた生き物なのかもしれない。


 とりあえず食堂に向かうとお袋が冷麦を茹でていた。「あら央介、宿題は終わったの?」「うん」そうは言ったものの、この頃の僕も宿題を最終日まで残しておく性質だったはずだ。食卓に冷麦と薬味が並べられた頃に姉貴があくびをしながらやってきた。三人で食卓を囲む。姉貴が言った。


「今日、白羽神社のお祭りだったよね。央介は行くの?」

 

 僕は頷いた。


「友達と?」と聞かれたので首を振ると「なら、もしかして、彼女?」


「そんなのいないよ。一人で行くつもり」


「なんだ、つまらん男…」姉貴はそう言ってずるずると勢い良く冷麦をすすった。


「お祭り行くんなら、母さんにりんご飴買ってきて」にこにこしながらお袋が言う。


「わかった。後でお金は後で返してよ」


「はいはい。りんご飴なんて、懐かしいわねえ」


 僕は食器を片付け、自室に戻ると外出着に着替えた。しばらくマンガ雑誌を読み、時計が二時をまわった頃僕は家を出た。


 りんご飴の屋台の前で彼女に会ったのは、たしか3時頃だったはずだ。


 真夏の質量を持った光が全身にのしかかり、僕は軽いめまいを覚えた。首筋から汗が噴出す。Tシャツの背中はじんわりと濡れている。境内の人ごみは川のようにとめどなく流れ、軒を連ねる屋台の前ではわずかな淀みが生まれている。蝉の声と人々の喧騒は競い合うように相乗し、渦のようにうねりながら、神社の神聖で厳粛な空気を飲み込んでいく。


 りんご飴の入った袋を片手に僕は彼女を待っていた。時計は三時半を指している。


 遅い。


 僕は辺りを見回した。人ごみの中に彼女の姿を見出そうとした。無表情に流れていく人々。

 時計はもうすぐ4時を指す。いくらなんでも遅かった。

 

 四年前の夏祭り(つまり今日)、僕は3時にこの屋台の前で彼女に会ったのだ。彼女の友達がりんご飴を買っている間に、彼女は僕に言った「相上くん、今夜の花火、一緒に見てくれないかな」そして僕は、戸惑いながらも頷いた。

 

 しかし今、彼女は現れない。


 僕は屋台を離れると境内の周りを一周してみた。一周をほぼ終えようという時、焼きそばを買っている彼女の姿を見つけることが出来た。彼女は友達と2人だった。2人とも浴衣を着ていて、僕は彼女の浴衣姿を今でも覚えている。そのため、彼女を見つけるのはわりと容易だった。

 

 しかし「声をかける」というその単純な一動作は、僕にとって硬い貝の殻を割るように難しい。僕の中の彼女はあの日のまま、いつも泣き出しそうな顔で僕を見つめている。それでも僕は、平然を装って、2人に声をかけた。 

 友達の方が振り返り無表情で言葉を返した。


「こんにちは。相上君も来てたんだ。一人?」


「あ、うん」


「ふーん…」


 僕は困ってしまった。声をかけたのはいいが話題があったわけではない。不自然な沈黙の中、僕はそっと彼女に目を向けた。


 彼女は俯いていた。僕の角度からは彼女の表情を伺う事は出来ない。僕は幾分ほっとした。彼女と向き合う勇気を僕はまだ搾り出せていない。


「どうしたの?」友達が怪訝そうな顔で言う。


「いや、あの、色葉さんに――」


「え、何? 彩がどうしたの?」


「その、色葉さんに、ちょっと一緒に来てほしいんだ」


 僕は咄嗟に彼女の手を掴んだ。体温が手のひらから伝わり、右手が心臓になったみたいにドクドクと波打つ。突然のことに面食らった彼女が僕を見た。僕は振り返らずに走り出した。


「ち、ちょっと、何? 何なの?」友人が叫ぶ。


「大事な用事があるんだ! すぐ終わるから! ごめん!」僕は返した。


 いつの間にか、最初のりんご飴の屋台まで戻ってきていた。


「話があるんだ」


 右手を離し、無言のまま俯く彼女に言う。気恥ずかしさと走ってきた事による発熱で、僕の顔は出来立てのりんご飴みたいに赤くなり、熱を持っていた。右手がまだ彼女の柔らかい皮膚の感触を覚えている。


「どうしたの、急に…?」


 彼女が始めて口を開いた。久しぶりに聞くその声に、僕は耳の奥がくすぐられるようなむず痒い感覚を覚えた。僕は必死に冷静を装っていた。


「あの、色葉さん、今夜の花火、一緒に見ようよ」


 僕は彼女の顔を見ていなかった。瞬き3回ほどの沈黙が生まれる。その沈黙から彼女の驚きと戸惑いが見て取れる。


「あの、俺、花火見たいなーって思ってたんだけど、一緒に見てくれる人いなくってさ、そしたら色葉さんに会ったから、良かったら一緒に見てくれないかなーって」


 ちらりと彼女の表情を伺う。彼女は僕の顔をじっと見据えていた。


 その目が一瞬悲しい色合いを見せたのは――


 きっと僕の思い違いだろう。


「うん…」小さな声で彼女が返した。


「じゃあ、夜の8時に、神社の裏山の上に来て。待ってるから」

 

 不器用に微笑むと、僕は踵を返した。


 歩きが早歩きになり、やがて駆け足に変わった。

 家までの距離を僕は駆け足で帰った。途中で足がもつれて転びそうになると、その都度顎を引き、次いで空を見上げた。入道雲が遠くの空を白く覆い、そのところどころから青が滲んでいる。不思議なくらい濃い青だ。ずっと見ているとそれはだんだんと滲み出し、白い雲は画用紙にように青く染まっていく。まるでクレヨンで塗りつぶされるように――そんな錯覚。

 

 裏山で、彼女に本当の気持ちを伝えよう。そして2人で花火を見よう。誰かに笑われたら笑い返してやればいい。笑いながら、彼女の手を取って走ればいい。


 そう、ただ、それだけの事。


 今の僕はもう、馬鹿でも子供でもないのだから。



   ○



 夜の7時に家を出た。

 屋台で焼きそばを買い、それを裏山で食べながら彼女を待とうと考えていた。

 夕暮れに染まった空をバックに、人々は思い思いの服装と表情で、賑わう境内を闊歩していた。やがて燈り始めた常夜灯の恒星の周りを、小さな虫が惑星のように回り始める。大きな蛾が一匹、電球にあたり「こつん」と小さな音を立てた。


 それは4年前とまったく同じ景色だった。


 涼しげな風に吹かれて、吊り下げられたちょうちんが小さく揺れていた。

 焼きそばの屋台の前で、僕は3人のクラスメイトを見た。僕達を裏山でからかった、あの3人だ。無視して通りすぎようとすると、3人は僕に気付いたらしく、にやにやしながら近づいてきて煙草代をせがんだ。「いやだ」と僕は首を振った。3人は顔を見合わせる。明らかに気分を害したようだった。


「そーいやお前、さっき彩の手を引っ張ってよなぁ。何してたんだ?」


りんご飴の屋台の前でのこと見ていたのか、一人が言った。


「お前らには関係ないだろ」僕はできるだけ冷静な目で彼の顔を見据える。


「なんだよ、その目は」一人が僕の胸倉を掴んだ。顔を近づけて僕の目を覗き込む。煙草臭い息が鼻につく。人の流れに逆らいながら、僕は屋台裏の林の中へと強引に連れ込まれた。ひぐらしの声が広葉樹の天井から落ちてくる。うるさい、と僕は思った。


 陽が落ちかけた林は濁った水の中にいるように薄暗かった。


「相上、てめえちょっと生意気なんじゃないか」胸倉を掴まれたまま背中を木に押し付けられた。硬い木の皮が背中に刺さって痛む。


「なあ、金貸してくれよ」


「いやだ」


 そう言った瞬間、僕は殴られた。


 腹部に拳が食い込んだと感じ、自分が殴られたと気付き、胃を揺さぶられたような痛みが僕を襲った。のど元まで胃液が出掛かり、腹を押さえて地面に座り込む。3人は僕のズボンのポケットから千円札2枚を抜き取ると、空になった財布を地面に捨てた。


 僕は深呼吸を繰り返した。内臓を落ち着かせようと生暖かい空気を吸い込み、粘ついた息を吐き出す。

 額とわきの下にいやな汗が滲んでいる。そんな僕を3人は鼻で笑った。その声はだんだん大きくなり、やがて子供のように甲高い笑い声に変わった。


 あの時と同じだ。


 同じ笑い声だ。


 怒りで拳が震えた。地面に積もった腐葉土を踏みしめ立ち上がる。ひぐらしは遠ざかり、いつの間にか鳴き止んでいた。


『相上くん…』


 あの時の彼女の顔が思い浮かぶ。遠くから聞こえる三人の冷ややかな笑い声。それは段々と増殖を始め、頭の中を埋め尽くす。


 彼女の表情が歪んでいく。


 3人が僕らを指差している。

 

 指差して、僕をあざ笑っている。


 そして、色葉さんを笑っている。


 彼女の表情が凍りつく――


 僕は彼らの一人に殴りかかっていた。


 右手に鈍い痛みが走った。倒れた相手にのしかかろうとして、わき腹に衝撃を感じた。靴底が僕のわき腹をとらえていた。再び吐き気がこみ上げてくる。僕は蹴りの来た方向に向けて拳を振るった。軽い手ごたえがあった。一人が僕を後ろから羽交い絞めにしようと手を伸ばす。僕は暴れてがむしゃらに肘を出す。倒れていた一人が立ち上がって僕の顔を殴った。口の中が切れて血が飛び散った。


「笑うなよ!」


 僕は顔を殴り返す。後ろの一人に蹴りを打つ。腹を何度も殴られる。骨がぶつかる音が聞こえる。


「色葉さんを笑うな! あやまれよ!」

 

 足を掛けられて地面に転がった。馬乗りされて顔を打たれる。あやまれ、くそやろう、反撃は空を切った。それでも僕は拳を振り回した。

 

 色葉さんにあやまれ。

 僕は繰り返し叫んでいた。

 でも、僕のその言葉は、一体誰に対してのものなのだろう。


 彼女にあやまらなければいけないのは、この僕だ。

 彼女にあんな顔をさせたのは、この僕だ。


 花火が上がった。


 まるで、星が流れるように。

 

 花火が上がった。

 

 僕は裏山のてっぺんにある少し開けた場所に腰掛けて花火を見ていた。殴られた身体の節々は、少し動かすだけで悲鳴をあげた。口の中は血の味がした。缶のお茶を口に含み、血を洗い流して吐き出す。

 そして、1人で黒い空を見ていた。


 彼女は現れなかった。

 

 人魂みたいなものが一直線に駆け上り、砕け散って光の破片をばら撒いた。数秒して腹の奥から響くような音が静かな空気を震わす。その音が消えたとき、まるでその振動にかき消されてしまったみたいに、辺りからはかすかな音さえも消え去っていた。辺りには更に深い沈黙が凪いだ海のように漂っていた。

 

 沈黙の間、僕の心は伸縮を繰り返し、まるで粘土のようにあいまいに形作られていく。しかしそれは次の花火と一緒に、ガラスのようにはじけて消えた。また生まれる沈黙の間、僕は再び欠片を集め、形を作り、そしてそれは花火とともにはじける。そんな事を何度も何度も繰り返していた。


 朝顔の形の花火。


 滝のような花火。

 

 土星の形の花火。


 アニメのキャラクターを模した花火。

 

 そして最後に、空を覆いつくすような大きな花火が上がった。


 すべての花火が終わった。僕は地面に寝転んだ。木の葉の揺れる音がいやに鮮明に聞こえる。まるでそれ自身が意味を持っているような、露骨に強調された音。一体、何を意味しているのだろう。その悲しげな音色はいつまでも鳴りつづけている。

 僕は目を瞑った。やがて満ち潮のような眠気が僕を飲み込んでいく。


 過去は変えられない。

 所詮、過去は変えられないのだ。

 

 やはり僕は、馬鹿で、子供のままだった。



   ○


    

 肩をゆすられ目を覚ますと、中年の男が僕を見下ろしていた。


「もう終点だよ。勉強もいいけど、夜はちゃんと寝なきゃだめだよ」


 何を言っているのだろうか。中年男の顔を焦点が定まらない目で見上げ、ポンコツのロボットが起動するみたいにゆっくりと腰を浮かせた。こげたホットケーキみたいなシートには僕の座っていた跡がクレーターのように残っている。窓の外は見たことも無い田舎の景色が広がっている。


「ここは、どこですか?」


「このバスの終点の角島だよ」


 中年男は呆れたように行った。彼はこのバスの運転手のようだ。馬人間ではなく、普通の人間の。どうやら元の世界に戻ってきたらしい。


「やれやれ」と後部座席の方へ向かう運転手。何気なくそちらに目をやる――


 同い年くらいの女の子が眠っていた。


 髪形も違うし、服装も大人びている。

 

 その寝顔には、ついさっき見た数年前の面影があった。


 僕は彼女に駆け寄る。「ああ、この娘、君の知り合いなの?」という運転手の問いに「ええ」と頷くと、僕は眠る女の子の小さな肩に手を置いた。


「あの、終点だよ」


「う、うん…」


 女の子は小さく唸り目を開けた。ぼんやりした目で僕の顔を見つめ、目元に浮かんでいた涙の跡を人差し指でこすった。再度僕の顔を見る。


 その目が大きく見開いた


「君もあのバスに乗ったんだね」


 言葉を失っている彼女に僕は言った。

 

 僕達はきっと、同じ時の過ちを胸に秘めていたのだろう。その過ちを僕は僕のやり方で、彼女は彼女のやり方で正そうとした。


「ずっと待ってたんだよ」


「ごめんね、相上君」


「いいよ」


「でも――」


「謝らなくちゃいけないのは、僕のほうだ」


 僕は彼女に「ごめんな」と言う「あの時は本当に、ごめん」


 彼女は「ううん」と返す。そして後に続く言葉を探すように、窓の外に視線を移す。


 青い空がひろがっている。黄色い太陽が彼女の頬を照らしている。僕も外を見た。同じ世界を眺めながら、僕は呟くように言った。


「僕も、好きだったんだよ」


 頬にほんの少し視線を感じ、僕は赤くなった。彼女の返事が聞きたかった。彼女もまた呟くように言った。


「ありがとう、相上くん」


 バスが走り出す。


 僕と彼女は後部座席に並んで座っている。

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― 新着の感想 ―
[一言] 過去に戻ってやり直す。どこかでありそうな設定にも関わらず、自分だけでなく相手も……というところに意外性があり、ラストは何だか胸がいっぱいになりました。 大人になったつもりでも、あの時に戻って…
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