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第5章

 あなたにはあなたの役割がある。あなたにしかできないことが必ずあるわ。それを探しなさい。

 黒川の言葉が真由の頭の中でエンドレスに廻る。灰色のマーブルを描きながら。自分の部屋の机の上に無造作に広げられた原稿用紙を前に、シャープペンシルを指先でバトントワリングみたいに回した。何か困ったことがあると、いつも原稿用紙の前に向かってしまう。真由のちょっとした癖のようなものだった。机の上にはフィッツジェラルド、サリンジャー、ヘッセなど、様々な国の堅物の中に『ハリー・ポッター』シリーズなどが収められている。小学生のときはどこの本屋でも売り切れだった。母に買ってほしいとダメ元でねだったら、予約をしてまで買ってくれた、想い出の本だ。流れているのはブラームスの交響曲第4番。真由はブラームスがお気に入りだった。

 図書館でかき集めた癌の本が机の上に山積みになっている。現代の医学でも壮太のような症例になると完治させるのは至難の業であることは、医療にまったく疎い真由でも理解できた。圧倒的に高い壁に打ちのめされて、行くことも退くこともできない。病院での声の主は病に倒れ、命を落とした者達の無念さに裏打ちされた、亡霊だったのかもしれない。

 小さく息をつくと、真由はシャープペンシルをノートに滑らせた。すっかり覚えてしまった『グレート・ギャツビー』のお気に入りのワンシーンだ。ギャツビーが謎めいた登場をする、序盤のあの場面。

 ギャツビーのように、こんな青春を謳歌できれば…。

 真由は声に出さずに呟いた。何かを書いていると、壮太のことで頭がもだえそうになっていたことも、嘘のように消え去ってしまう。やっぱり真由は書くのが好きなのだ。書いてさえいれば、どんな憂さだって飛び去ってしまう。その瞬間、行き場を失っていた真由に一筋の光が差し込んだ。黒川のあの言葉が今、強烈な輝を放ち、真由の頭を照らしていく。せめて最後に、壮太のあの笑顔を写真のネガのように焼き付けよう。

 真由はブラームスが流れるオーディオコンポを止めた。一度止めた手を再び動かし、ノートの下の原稿用紙を一枚取り出し、シャープペンシルを滑らせた。青い海の上を波が揺れる。不規則に、だけどそれはどこかで聞いたような、記憶の奥深くに秘められた何かに訴えかける。

 わたしは、人魚姫(マーメイド)。いつか青い海へ還ったら、どこかにいるだろうか。そんな人魚姫を真由は神経を研ぎ澄まして、頭のキャンバスに描いた。

 

 遠い潮騒が聞こえるだろうか。聞こえたら君は、私に会えるかもしれない。なんたって私はいつも、潮騒の先にいるのだから。

 

 原稿用紙の一枚目の、すべらかな文字。そこには人魚姫の姿がうつろに映し出されていた。真由はさらに神経を研ぎ澄ませた。

 

 私は人間達に大変興味があるの。海辺にそっと近づくと色とりどりのあでやかな水着姿の人達。にぎやかで、とっても楽しそう。あら、あそこではすいか割りかしら?あらら、はずしちゃった、残念。

 すると、そこに一人の青年がいました。とってもハンサムで、かっこいい。一目惚れしちゃった。だけど、その顔はどこかとっても悲しそう。どうしてかしら?その儚げで、切ない顔立ちに、私は目が逸らせない。う〜ん、一目惚れ?

 あれからずっと彼に会いたくて仕方なくなった。私ってほんとにどうかしてる。昼も夜も、考えているのは名前もわからない君のことばかり。どうしてかな?

 

 もうすぐ青い海へ還るであろう君へ捧げよう、私が描く、人魚姫の物語を。

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