第2章
翌日の高校の校舎、二人並んで下校していく生徒、部活動を開始する生徒で活気づくグラウンドを2階から眺めていた。文芸部の真由は今日、部活はない。そして、壮太のほうは部活動はしていない。お互いにフリーだった。壮太のほうは今日も元気に学校に来ていたところを見ると、本当に大丈夫なようだ。真由は真由でいつもの少し長い髪をポニーテールにしていた。
「暑いのにがんばるよね、テニス部とか野球部とか。来年こそ甲子園、なんだとか。」
「甲子園?」
「うん。この春はすごく興奮したよ。あちこちで街頭テレビで甲子園での試合中継が放送されて、みんな釘付けなんだもん。優勝した瞬間なんかは紙吹雪が舞って、近くに住んでるオジィーやオバァーがカチャーシー踊って、みんな大興奮で、楽しかったな、あの時、国際通りでみんなで叫んで、盛り上がった。この夏は見に行きたいな、甲子園。」
「病院でもすごかったよ。入院している人達がやっぱり甲子園に釘付けで、病院なのに、思いっきり叫んじゃった。」
「病院で?患者さん達も気になってたんだ。」
「うん。病院のどこにいても甲子園の中継が聞こえていて、みんな釘付け。患者さんもお医者さんも看護師さん達も。」
「さすが沖縄。甲子園で沖縄代表が出るとなると、俄然気合入るよね。」
二人グラウンドに視線を向ければ、野球部が威勢のいい掛け声を発していた。甲子園ともなれば沖縄の夏は熱い。今年は春、沖縄が優勝した。だから各地に横断幕が垂れ下がって盛り上がっている。蒼い海も、空も、今年はひときわ燃えている。
「今年はどこまで行けるかな?」
「頂点まで行くよ。うちは北谷公園野球場で明後日試合なんだ。」
「北谷公園野球場…。」
「ねぇ、一緒に行こうよ。北谷公園野球場で試合見に。」
「うん。」
「明後日土曜日だし。PTAの役員やっているおじさんに声をかけたら、車に乗せてもらえるみたいだし。」
「わかった、行こう。」
真由は思わず目を細めて最終調整に入る野球部の練習風景にもう一度視線を向けた。壮太もつられて野球部の練習風景に目を向けると、やはり威勢の良い掛け声がグラウンド中にこだましていた。
土曜日の朝、壮太は水色のポロシャツにチノパンと言ういでたちで校門前に姿をみせた。真由はピンクのTシャツにジーンズ、黒いキャップと言う身なりだった。野球の応援においてひときわ気合入れているようだ。
「遅ぉい!もう9時じゃない!」
「ごめん…。」
控えめな声が返ってきたので、真由はすぐに吊り上げていた眉を下ろした。
「いいよ。まだ間に合うから。ここからは石川君のおじさんが車に乗せてくれるって言うから、それで行こう。」
「うん、わかった。」
真由と壮太は高校の正門前の駐車場に止まっている、幾分くたびれた初期モデルのヴィッツの前に駆け込んだ。主将浩伸の父親、石川勇平(ゆうへい)に声をかけた。真由は去年もこの石川の車で北谷公園野球場まで行ったのだ。
「おう、真由ちゃん。今年も応援に来てくれるのか?」
「はい、お願いします!」
「おう、乗りなよ。そちらはお友達かい?」
「嶺井壮太です。今日はよろしくお願いします。」
「おう、よろしく。任しときな。」
壮太と真由は石川のヴィッツに乗り込んだ。景気のよいエンジンの吹かし音がしたと思ったときにはもう校門を抜け、校舎を後にしていた。
「お母さんには知らせてあるのかい?」
「はい。おじさんが乗せてくれることも伝えました。ちゃんとお礼を言うのを忘れるなって。」
「そうかい。そりゃ構わんよ。応援に来てくれると、息子の浩伸も実力を発揮しやすくなるだろうからね。なんたって今年あいつは主将だからな。」
豪快な笑顔で答える石川に壮太は小さく笑った。幾分くたびれている石川のヴィッツだが、さすがは日本車。中古とは言え、まだまだバリバリ走る余力を保っている。ヴィッツは那覇の街並みを抜け、だんだんと緑と蒼い海だけが広がってくる北谷の町に3人を連れて行く。壮太はヴィッツの窓の外に広がる景色をどこか感慨深げに眺めていた。真由にはそんな壮太の横顔が妙に大人びて見え、木漏れ日による光陰色づいたその顔にしばし見入っていた。
北谷公園野球場の茶色いダイヤモンドとグリーンの外野。真由は毎年長い夏の盛りのこの時期に見るこの光景が大好きだった。一塁内野席のグリーンのシートに二人並んで腰を下ろした。球場を眺める真由の目は少女のように輝いている。
「ねぇ、ひとつ聞きたいんだけど。」
「なに?」
「どうして、野球部のマネージャーにならなかったの?」
真由は一瞬真顔になった。球場に目を向け、沖縄の青い空をちらりと眺め、それからこう言った。
「う〜ん、なんでだろうね。私、野球は見るほうが好きなのかな?それでかも。やるなら、小説とかを書いているほうが好きだし、何というか…その方が自分を活かせると言うか…そんな気がして、それで文芸部に。何って言うか私にもよくわかんないんだよね。ただ、小説がすごく大切なものに感じているのは確かなんだ。」
「そうなんだ。やっぱり有名な人のいうことは違うね。」
「え?どういうこと?」
「知らないの?真由の小説、学校では結構人気があるんだよ。文芸部の発行する学内雑誌で真由ちゃんの小説は人気があるんだ。」
「そうみたいだね。なんか信じられないんだけどさ…。2年の時、3年の先輩が私の小説で演劇をやりたいから、台本作るの手伝ってって、言われた時はびっくりしちゃった。」
「えっ!?すごいじゃないか!」
「そうかなぁ、そういってくれると嬉しいんだけど、うん、もともと小さい頃から本は好きで、ナルニアとか、アンデルセンとか、いろいろ読んでた。それから中学時代、綿矢りさなんかの若い作家に憧れてさ、高校入学と同時に文芸部入って、オリジナルを書き始めたの。」
「そうなんだ。」
「と、言っても最初は同人とか、そんなのがほとんどだよ。最初は『ファイナルファンタジー』とかのゲームで、印象に残ったワンシーンとかを自分の解釈で書いてた。それからオリジナルを書くようになったのが…高校に入って、文芸部に入ってからかな?」
「そうなんだ…。確かに真由は小さい頃から本が好きだったよね。」
少年のように目を輝かせる壮太を前に、真由は小さくため息をついた。
「と、言うより、それでしか自分の内面を伝えられないんだよね…。」
「え?」
「ううん、なんでもない。」
試合開始のサイレンが鳴った。両チームの野球部員が元気よく駆け出して、ホームベース前に並び、互いのスポーツマンシップを競い合うことを一礼で誓っていた。ガンガンとメガホンの拍手が波のように押し寄せる。場内にはポジション紹介のアナウンスが淡々と流れる。先発はうちの高校からだった。
初球投げた、ストレート。いきなりの豪快なストレート。はずしてボール。1、2、3。リズム刻んで第二球、決まった、スライダー。先頭バッターの伊志嶺は思わずバットを振ってしまった。向かい三塁側の応援団からも黄色い悲鳴に似た歓声が沸きあがる。
「ストレートにスライダー。あのピッチャー、球種が多いのが、強みみたいだね。」
「そうなの?」
「まだ二球投げただけだからわかんないけどさ。」
きょとんとした様子で壮太は試合に目を向けた。周囲では息子の勇姿を人目拝もうと、たくさんの保護者や生徒が吹奏楽部の演奏に合わせてメガホンを打ち鳴らし、声の限り叫んで応援している。
「かっ飛ばせ〜、伊志嶺!ホームランかっ飛ばせ〜!オー!」と言う、定番のコールだ。真由と壮太も一緒にメガホンを鳴らす。吹奏楽部の演奏の中にはハイサイおじさんなど、沖縄ならではのBGMもある。
伊志嶺スライダー空振り三振!応援団からため息が漏れた。向かいのアルプスからは黄色い歓声がひときわ華やかに沸きあがった。
結局初回は無得点で終えた。その裏、対する北谷西の攻撃、一番はキャッチャーの金城だった。真由達の高校、那覇東のピッチャーは宮里。投げた、変化球、ストライク見逃し!いきなり宮里得意のカーブがビシッと決まる。幸先はよさそうだ。投げた、今度はスライダー。また決まった!うちの宮里はスライダー、カーブ、カットボールなどを投げる、いわば技巧派のピッチャーだ。バットの先を掠めていくようなカーブはバッターからすればつい手が出てしまう。
三振スリーアウト、もう一回スライダー!3球でワンアウトを取って、応援団もほっと一息。
その後、何本か打たれるものの、ボテボテのゴロばかりで、守備陣が軽快に裁いて、あっという間にワン、ツー、スリーアウト。スクールカラーの緑のメガホンがうねりをあげた。
試合が動いたのは4回裏、2番長嶺のツーベースヒットから、クリンナップ夏川のツーランホームラン!外野席の向こう側に鮮やかな放物線を描きながら飛んでいくボールに真由達の興奮は最高潮に達した。メガホンが揺れ、真っ黄色い歓声が球場全体に沸きあがる。
「すごい!打った!」
「うん、夏川君だよね、すごい!ツーラン!」
鳴り止まないメガホンの拍手。スコアボードに2が刻まれる。
「勝てるかな?」
「勝つよ、絶対!」
メガホンコールはひときわ盛り上がる中、4番バッター音川が打席に入った。音川が応援BGMにプッシュしたハイサイおじさんにあわせてみんなメガホンを打ち鳴らし、オジィーやオバァーが踊り始める。こうなると盛り上がりはどうにも止められない。
そのまま音川もヒットを飛ばした。真由はその場に立ち上がってはしゃいだ。壮太もメガホンを鳴らしながらナインの活躍に声を張り上げる。そして続く5番の石川浩伸がタイムリーヒットを放ち、いよいよ応援団のテンションは最高潮に達する。
回は重なり、ついに最終回。スコアには0と1がならび、まるでコンピューターの2進法みたいにスコアを刻み、そして、トータルは7-3の文字を刻んでいる。
「よし、あと一球!」
宮里がチェンジアップを投げ込んで決まった。試合終了。この試合は真由達の高校、那覇東が北谷東を破って、3回戦進出を決めた。真由と壮太もメガホンを打ち鳴らし、最高潮の興奮に身を浸す。
「勝った!」
「うん、勝ったね!」
「どこまで行くかな?」
「頂点まで行くって!」
湧き上がるメガホンの拍手の嵐。那覇東の応援団が一礼するメンバーに沸き返った。コンディショニングのキャッチボールをする宮里とキャッチャーの浩伸。保護者を中心に結成された応援団も球場を後にし始めた。真由と壮太は球場を出た。