19次元 終焉ノ化物と皓翼ノ少年の詩篇Ⅲ
流石に三回目の前書、もうそろそろ・・・所が残念、ネタはちゃんとあるのです。
毎回言っていますが、でも今回は史上最も書くのが大変でした。
決して良くはないイベントが続いたり、狂いそうなシフトを熟したり。でも今回は其を乗り越え、迚も充実した達成感を得られて、噫、頑張ったなぁとか柄にもなく自分を褒めたりしちゃってます。自惚れるな?あ、はい、次も頑張るね。(聞いてねぇ)
毎日必ず小説を一頁書く、此が今日迄達成され、本当に良かったです。徹夜をしてでも、買った新作ゲームが積みゲーと化しても書き続けました。気が触れたのか、変な夢さえも見ましたよ。え?殺伐とした話ばっかりだから人殺しの夢だろうって?嫌だなぁ、全く違います。両親が突然定食屋を始め、妹が其処でラーメンを作るバイトをする夢です。で、其の妹からメールが来て、「父さんと母さん今日いないからラーメンしか出せない定食屋になってるの。シフト入って!」って。ね、訳分からん夢でしょ。
まぁそんな話は置いといて、今回はセレの九から十五歳位の話です。どろどろの青春の味、どうぞ御楽しみに。
彼から何日経ったのか、もう余り時間の感覚が無い。
只、好い加減毎日の様に繰り返される仲間殺しにも飽きて来た所でボスに呼ばれた。
折角中々良い寝床を見付けたのにあっさりとボスに見付かり、半ば無理矢理ギルドへと連れて行かれた。
陰霖の中、只黙々とギルドへの道を進む。
私刑される訳ではない様だ。やるなら疾っくにやっている。見世物にする趣味も此奴にはない様だし、だとするとまぁ考えられるのは彼位か。
此奴が前言った責任、其を問われると言う事だろう。ギルドにしては中々甘く見られた訳だな。命で償えと言われた訳ではないのだから。
「っ!化物!やっと見付けたぞ。殺して・・・あ、ボス・・・、」
路地裏から飛び出した破落戸が威勢良く吼える。其の目はギラギラと敵意に燃え、下品にも銃を振り翳していた。
だがボスの姿が目に入った途端、すっかり毒気を抜かれて銃を下ろす。
そしてまごつく様ちらちらと視線を合わせる丈で口籠った。
馬鹿な奴だ。御前其でも本当に殺し屋か?
ボスの御蔭で命拾いしたな。然うでなければさっさと殺してやったのに。
仮にも殺し屋なら私の前になんて出ず、後ろから気付かれる前に其の御得意の玩具で頭を撃ち抜けば良いんだ。其でも御前程気配が強かったら直ぐ勘で気付かれそうだが。
私情なのだろうが仕事のスキルを活かせなければ三流も良い所だ。
「又か・・・そんな物振り回すな。さっさと戻れ。」
「は、はい、済みません。」
半ば頭を下げ乍ら男は足早に其の場を去って行った。
今日丈でもう・・・三回目か?懲りない奴等だ。集まった丈で頭の大きさは一緒か。
「こんなのに何時も絡まれるのか。」
「別に今に始まった事じゃない。」
「腕は・・・悪くないのにな。」
溜息を付いてボスは片手で顔を覆った。
最近はそんな顔しか見ていないな。御前も私も、随分つまらなくなった物だ。
暫く行くとギルドが見えて来た。其の儘何も言わず、二人で中に入る。
人が減った様に思うギルドは一瞬で静まり返った。
扉を開ける迄はあんなにも喧騒を鳴り響かせていたのに。
ボスと化物、其の一人と一体が同時に現れた物だから何かを察したのだろう。
ひそひそ話も其処其処に、皆そっと目を逸らす。
ボスは未だ何も言わず、定位置である奥のテーブルに向かった。
私も其の向かいへ腰掛ける。
最近尾が伸びて来たので少し座り難い。
「喜べ、御前の夢が叶う時が来たぞ。」
些とも嬉しくなさそうに、随分言い淀んだ上で然うボスは切り出した。
夢・・・?私は此奴に夢なんて語った事があっただろうか。抑私の夢って何だろう・・・。
終に此奴もナレーの宗教に掛かってしまったのだろうか。
思い当たる所がなく、首を傾げているとボスは相変わらず緩りと続けた。
「ファーブリジニア家は流石に化物の御前でも知っているだろう。彼奴が御前を欲しいと言って来た。」
其は此の街でも有数の貴族の名だ。大きな青銅の門構えがある屋敷、此の芥溜めみたいな街で非常に珍しいちゃんとした物だ。彼所丈別世界の様に時間の流れが違うのを良く感じた物だ。
金持だって事位しか知らないが、然う言えば彼所の二男が珍獣コレクターだったか?若しかして其か?
「成程、此でやっと穏やかに暮らせる訳か。身分も随分昇進するな。貴族のペットか。」
何が夢だ。其は私の求めていた物とは丸切り違う。まぁ飢えや乾きと御然らば出来るだろうが、あんな得体の知れない奴等の趣味に付き合うのは御免だな。
「やっと私を捨てる決心が付いたか。」
ボスは私の漆黔の瞳を真向から見詰めて口を引き詰んだ。
「俺の手に、御前は大き過ぎる。余る代物だったんだって自覚したんだ。」
「今更か。人間と化物は共にいられない。此の事に関しては御前より周りの奴等の方が賢かったな。」
「俺と御前は頭がある。契約さえ結べればそんな垣根、越えられると思ったんだ。」
「其を、世界は赦さなかった。」
結局は力不足だ。私達丈では世界を変えられなかった。
抑私は其を早々に諦めていたし、野放しになった化物を如何斯う出来る程の技量は流石の此奴にも無かった。
「御前程の情報通なら最初から分かっていただろう。私を雇うのは不利益しか生まないと。其なのに何故雇った。」
此でも私はボスの事を多少なりとも評価していた。
慎重で聡明で、決断力もあった。
だのに如何して、こんなリスクしかない道を選んだのか。
其丈が少し・・・気になっていた。
「・・・こんな事を話すと、薬でもやってるんじゃないかって思われそうで吝かだったが、」
酷く言い淀んで小声でボスは言った。屹度誰にも話さなかった其の訳を。
「御前と関係があるかは分からないが、数年前、旻が光った。そして旻に雷霆の様な罅が入って、真暗な闇が、現れた。まるで其迄俺達が旻だと思っていたのが、只の色玻璃だったみたいに割れて、其の内側が覗いた様だった。」
覚悟していた割には唐突な、現実味の無い様な話だった。彼の見慣れた罅と言う言葉が出なければ。
果たして其がどんな様だったのか想像出来る位、私は親しくなっている。
でもボスがするにしては矢張り何処か夢の様な、其こそ彼が嫌いそうな、価値も意味もない空想の様だ。
「俺には其の光景が、幻の様に見えたんだ。勿論最初は信じなかった。でも目を逸らそうが擦ろうが其はあって。・・・そして黔い雫が一つ、其の闇から零れ堕ちた様に見えた。同じく闇から伸びた何本もの手の様な触角を擦り抜けて。」
私は其の話にすっかり聞き入っていた。思い掛けない話になったと慌てて頭を起こした。
此は、屹度私に関係のある話だと感じていた。
「柄じゃないのは分かってる。でも俺は、神はいたんだと思った。未だこんな芥みたいな世界を見捨てていなかったって。で、其の日から化物が現れたと言う噂を聞く様になって、やっと御前を見付けた。」
「然う・・・か。」
若しかして其は、私の初まりの日の事か。
私は旻から、罅の向こう側から来たのだろうか。
彼の罅の向こう側に・・・私の故郷がある?
空間を壊せば何時でも口を開くが・・・でも嫌な予感がして近付かなかった。
其に同じ闇でも、私を包んでくれていた彼の温かい闇とは違う気がしたんだ。
・・・試すには未だ情報が少ないな。でも、迚も興味深い話だった。
「・・・私は、初まりの記憶が無い。でも御前の言っている事が正しいなら、本当に私は旻から来たのかも知れないな。」
「かもじゃない。御前は此の世界の歴とした先住者だ。屹度今頃、否昔からずっと御前の仲間は旻の向こうから俺達を見て嗤ってるんだろう。」
「迷子一体見付け出せない奴に其を楽しむ余裕があるのかは知らないがな。今更だし、最早私なんて如何でも良いのだろう。」
然うだ。若し其が本当でも、私を見付け出せないでいるのなら、つまりは私は必要ないと言う事だろう。捨てられたのかも知れないし、もう仲間はいないのかも知れない。そんな事は疾うの昔に見切りを付けたんだ。
独りで生きて行くって、決意しないと彼の頃の私は余りにも弱かったから。
真実は、勿論知りたい。でも知ったからって現状が何か変わるとも、何かの切っ掛けになるとも思っていない。只の自己満足だ。
「俺は若しかしたら御前に・・・いや、言うのは止そう。」
本当に歯切れが悪い。ボスらしくない。
まぁ別に私から用事はないんだ。話も、そんなする事も無い。
「もう直接屋敷に行けば良いんだな。」
「・・・噫。」
じゃあもう十分だ。聞く事はない。取り敢えず期待も希望も無い儘に行けば良いじゃないか。
「然うか。・・・世話になったな。」
一応此奴の御蔭で生き延びたんだ。其処は、感謝している。序でに人間の醜さもより深く学べたし、憎しみも強くなれたしな。
「・・・なぁ、」
席を立ち、背を向けた所で呼び止められた。名残を惜しむ様な関係でもないのに。
「言いたい事があるならさっさと言え。」
「若しも・・・あの、・・・っ、いや、矢っ張り良い。悪い、何度も引き止めて。」
思わず振り向くと、ボスは酷く困った様な、焦った様な顔をしていた。
そして何度も言い掛けては止めてを繰り返す様は手を伸ばしている様でもあって、憐れで弱い人間に思えて仕方が無かった。
何時ものボスからは程遠いい、鋭い眼光に精悍な顔付き、厳めしい肩。そんな彼の勁さの象徴が全て剥がれ落ちたかの様に見えた。
如何してそんな風に見えたのか、そんな風に言うのか、分からないが。
利用価値がもうないから捨てる、其丈の事だろう?
「俺も元々は弱い人間の一人って事か・・・。せめて元気でやれよ。」
何て言えば良いか分からず、一つ丈頷くと私はギルドを出た。
もう此処に来る事はないだろう。別に懐い出なんて物もない。
こんな血腥くて辛気臭い所、さっさと去ろう。何時誰に背中を刺されるのか、分かった物じゃない。
斯うなる事は分かっていたのだから。昔に戻った丈だ。煩わしさが一つ減って寧ろすっきりした。
屋敷の場所も分かっている。此の足の儘、先ずは行ってみるか。
冷たく振り続ける陰霖が心地良くて其の冷たさと雨音が私を迎えている様だった。
「セレ、来てたのか。皆来てるって噂してたけど、やっと見付けられた。」
慌てた様子でドアを開けてナレーが出て来た。
何時も何時も鬱陶しい奴だ。此奴は最後迄変わらないらしい。
「セレ、あの、彼の時は御免。一寸遣り過ぎた。然う言うのはちゃんと話し合わないといけないよな、俺は全然構わないんだけど。」
此奴とは彼の日、此奴の家から逃走してから会っていなかった。私がギルド自体に顔を出していなかったし、此奴も私の隠れ場所なんて見付けられなかったのだろう。
出会い頭に謝って、大人だからか何だか知らないが全部自分の所為にして、少しでも近付こうとして来る。其の想いが、言葉が、行動が、全てが面倒臭くて邪魔で、煩わしい。
「其はもう如何でも良い。私は用事があるからもう行くぞ。」
「用事って・・・し、仕事だよな?皆質の悪い噂ばっかで、な、俺も・・・、」
此奴には・・・言っても良いか。付いて来ても面倒だし。
焦りの所為か不用意に近付いて来るし、
「違う。金払いの良い貴族に買われたんだ。今から其奴のペットになりに行く。御前と会うのも今回限りだ。」
「は?・・・おい、う、嘘だろ。ボスがそんな事する訳ねぇ。だってボスは御前の事気に入ってるし、そんな事・・・、」
物分かりの悪い奴だ。泳ぐ許りの目は私を捉えられない様だった。
「だから、もう御別れだ。・・・一応、世話になった。」
此は社交辞令だ。此奴を突き放す為の一言。
彼奴はぽかんと口を開けて、何も言わなかった。・・・否、言えなかったのだろう。
私は其の間にさっさと陰霖の中を歩いて行く。
もう此奴とは十分過ぎる位話している。もう良いだろう、抑会う気も無かったんだ。
「だ、駄目だ、セレ行くな!此は、屹度何か間違いだって。何で、御前が辞めないといけねぇんだよ!おかしいだろそんなの!」
「散々仲間殺しをした奴をギルドが残すと思うか?私刑されない丈ましだろう。」
「っ、でも、彼は正当防衛だろ、向こうからやって来たのに。」
「まさか御前が殺しを認めるなんてな。」
結局は子供は、可愛いは正義って事か。身内の犯行は赦せるのか。自分勝手で利己的な、人間らしい人間だ。
もう、面倒だな。こんな無意味な言い合い、付き合うつもりはさらさらない。
其も含めて、もう如何でも良かったんだ。
だから私は其の声を振り切る様駆け出した。
何時もみたいに、彼奴を置き去りにした。
今回こそは本気で、一切追い付かせる気は無かった。
もう捜す気も失せる位全力で、人目が無い所では四肢や翼で。
兎に角、彼奴の声が聞こえない所迄行ってしまいたかった。
・・・・・
随分な大回りを続けてやっと私は彼の貴族、ファーブリジニア家の前へとやって来た。
厭味ったらしい程大きな門だ。柵と植木の隙間から見える庭は随分と高い屋根がある御蔭で濡れていない。だが驕陽の代わりか迚も明るい曦瓊が吊るされており、小さな良く磨かれた宝石が照らされ乍ら激しく回っている様だ。
其により、あっても枯木程度の不毛の地だった此の街で唯一と言って良い程、碧く柔らかそうな芝が広がっていた。
綺麗過ぎて最早自然が一切感じられない。醜い人工物めいて見えるのだから皮肉だ。
ペットが自らペットになりに家に来るなんて嘸滑稽な話だが仕方ない。
付添も紹介状も飼主も私にはいないんだ。自分で首輪を掛けるしかない。
外からは見えない垣もある事だし、此の庭で目一杯、尾も翼も広げられたら嘸気持良いだろうが、私に宛がわれるのは精々冥い地下室のじめじめした檻だろう。猛獣扱いには慣れている。現に此処から見た限りでも獣の類は一頭も居ないし、皆何処かに入れられているのだろう。
呼び鈴を鳴らすと直ぐに使用人だろう、一人の女が出て来た。使用人だと言うのに絹の服なんて着ている。確かに金持なのだろう。此処迄来ると寧ろ金の使い方を自ら探している風ですらある。
使用人は明らかに怪訝そうな顔をした。分かり切った反応だったので悪戯と思われて締め出される前に口早に言った。
「此処の主人に買われた。化物が来る話は来ていなかったか。」
「化物・・・?噫又アーナライト様が・・・。」
使用人は溜息混じりに何か呟いたが、理解はして貰えたらしい。
門を開けて、屋敷の中へと入って行った。
人間にしては対応が早かったな・・・。此方としては助かるが、良くある事なのだとしても此は些か警戒心が無さ過ぎる気がする。見知らぬ不審者を然う招き入れる物ではないと思うが。
・・・私の知った事ではないか。
でも然うだ。アーナライト、か。恐らく其奴が例の物好きな次男なのだろう。
屹度彼の使用人は其奴の頼む珍獣なんかを良く受け取るのだろう。
中には私と大差ない様な化物も居るのだろうか。何時も来客がそんな輩なら確かにうんざりはするだろう。
私も其のコレクションの一つに加えられるのだろうが、こんな特異な所なら若しかしたら仲間が居るのかも知れない。
・・・今更、如何でも良い事ではあるが、本の少し丈其が引っ掛かった。
門を潜って屋敷へ。ちらと眺めた庭は矢張り美しかった。
芝は翠玉色に光り、周りが冥い陰霖である分、仄かに光って見えた。植木等も綺麗に剪定されており、嫌って程金持ちが目に付く。
煉瓦造りの此又立派過ぎる屋敷の扉を潜り、中へ入る。
中もまぁ想像通りだ。広過ぎる玄関にふかふかの真絳なカーペット、絵画や壺、花卉も至る所にあり、こんな広いのに埃一つ落ちていない。
「おぉ!やっと来たか!随分待っていたんだぞ!!」
使用人が扉を閉めようとした所で野太い男の声が響いた。
反響が煩くて耳を伏せていると、どたどたと足音も賑やかに一人の男が二階から駆け下りて来た。
髪と服はしっかりと整えられているが、上気した頬にギラギラと見開かれた目、涎の垂れそうな口と、本性が此でもかと出ている。
豚にドレスを着せた様な酷い有様だが、此だと豚に失礼だな。
「さて、又贋物を掴まされてもいけないし、早速見せて貰おうか。本当の姿を僕に見せておくれ!」
何だか座長みたいな奴だな。まぁ出す分には構わないが。
言われた通り、オーバーコートを脱いで窮屈に仕舞っていた翼と尾を出す。
最近、又大きくなっている気がする。服で隠すのも限界が来るかも知れない。若し然うなったら可也不便だな・・・。
傍に控えていた使用人は小さな悲鳴を上げてふら付いたが、対する彼奴は舌舐りをして満面の笑みだ。触れそうな位近付いて来たのでそっと尾で払う。
「凄い!本物だ!まさか本当に此の街に居たなんて。良し、今から僕の部屋迄付いて来るんだぞ。御前は誰も僕の部屋に入れるな。御父様でもだぞ。」
「か、畏まり、ました。」
震えて此方をじろじろ眺めていたが、使用人は何とか御辞儀をして下がった。
此奴の部屋に二人限りか・・・。思っていた通り随分と下卑た男だが、一体何をされるのやら。
「さぁ行くぞ化物。先ずは御前に首輪を付けてやらないと。後服は如何しようか・・・。名前も考えないとなぁ。」
男は愉快そうに笑うとさっさと階段を上って行く。
名付け、か。直ぐ人間は自分の所有物だと証明する為に名を付けたがるな。
取り敢えずは言われるが儘に、私は付いて行く事にした。
・・・・・
「さーってと、何が似合うかなぁ。」
部屋に入ると即座に男はクローゼットを漁り始めた。恐らく首輪を探しているのだろう。
部屋は当然だが可也広い。豪勢だと思った彼のボスがくれたアパートの一室が十部屋は収まる。
何の調度品も金に光って落ち着かない。他のペットの姿はないが、此処とは別室の様だ。若しかしたら世話自体は使用人達がしているのかも知れない。
「金は・・・一寸目立たないなぁ。頸が皓いし、蒼玉の方が髪で一部隠れて覗く程度に映えると思うけど。いっそ皮の方が・・・、」
何をそんなに悩むのやら。
化物の首輪を選ぶのに時間を使えるなんて。矢張り金持は違うな。そんな時間の使い方があったなんて初めて知った。
「凶暴だと聞いていたが随分素直じゃないか。もう少し咬み付く位の方が調教のし甲斐があったのだが。」
相変わらずクローゼットを漁り乍ら然う男が漏らす。
部屋を眺めて時間を潰していた私の耳が自然に動いた。
「咬み付く?其が何位痛いか知っているのか?」
そして隙だらけな男の頸に咬み付いた。助走を付けて肩に飛び付き、深々と牙を突き刺し、乱暴に引き抜いて逆刺で肉を千斬る。
「あ゛っ・・・っ!!」
男の目が見開かれ、恐怖か驚きかに引き攣った顔を此方に向けようとする。
大きく口が開く。もう間もなく其処から人間特有の彼の煩い悲鳴が飛び出る。
其を自覚した途端私の尾は男の首を千斬って飛ばしていた。
一瞬の事だった。気が付けば男は既に死んでおり、頸から垂れた血は絨毯に新たな模様を足して行く。
投げ飛ばして壁にぶつかった首も転がって私の足元で止まっていた。
叫ぶ直前の、感情がたっぷり詰まった表情の儘、固まっていた。
「叫んだら人間が来るから殺すに決まってるだろ。」
首の無い死体に今更乍ら独り言つ。
大声で命乞いだの悲鳴だの上げるとか、馬鹿か。
何時もの条件反射で殺してしまったじゃないか。
牙に付いた血を舐め取った。・・・鉄臭くて不味い。貴族も孤児も変わらないな。
あーぁ、結局自分で壊すんだ。皆、殺してしまう。
だって死に慣れ過ぎているから。此が当たり前だったから。
如何でも良いと全て投げ遣りに適当にしていたから癖が出てしまった。
でも、仕方ないんだ。だって人間には何時も痛み丈与えられたから。先手を取ろうとするのも仕方ないだろう。
何にせよ、私はもう此処には居られない。どうせ長続きはしないと思っていたが、まさか此処迄早かったとは。
使用人の彼の反応から此処に仲間はいなさそうだし、食べ物丈盗んで逃げるか。
適当に部屋を見渡していると聞き慣れた悲鳴が上がった。
女の声・・・彼の使用人だろうか。
考えたのも束の間、此又聞き慣れた銃声が何発もした。
・・・何が穏やかに暮らせるだ。来て早々厄介事が起きているらしい。
まさか貴族の一日の中に悲鳴を上げるだの、屋敷の中で銃を打っ放すなんてのはありはしないだろう。其処迄いかれた貴族だとは聞いていない。
抑私が此処に来た事で此奴の平穏は見事に破壊された訳だし、引鉄は私か。
別に同情も何もしない。私の所為であれ、私からすれば其は関係の無い話だ。身勝手と言われても此処は然う言う世界なんだ。其でも声を上げるのは現実を知らない馬鹿丈で、私はそんな輩と関わるつもりはない。
私を悪者扱いしようが、如何でも良い。私が化物の時点で、世界にとって私は悪なのだから。今更抵抗も言訳もしない。私も、好きにさせて貰う丈なのだから。
全ては然うなる因果と、決まっていたんだ。幸も不幸も其処にはない。
此以上面倒事に巻き込まれたくないし、さっさと此処を去るか。
此処には窓がある。飛んで行けば良い。監視カメラの類が無ければ良いが・・・。
窓を開けようとした所で扉が盛大に開かれる。
此の部屋の主が誰も入れるなと命じた傍だったのに。其処には案の定銃を構えた男が四人程いた。
早過ぎる。まさか此処から攻めて来るなんて思わなかった。別に此処は此の屋敷自体の主の部屋と言う訳ではない。二階の一室に過ぎないのに。
其奴等の背後で騒々しく駆け回る足音や怒号、発砲音に悲鳴が谺しているので思ったより大人数で襲撃しているのだろうか。だから相対的に、比較的早く此の部屋迄侵入を許してしまったのか。
此奴等、どうせ賊だろう。こんな大富豪に攻め入ったのだから屋敷の見取図位知っている筈。そんな無鉄砲な作戦ではないと思うが。
「っ!居たぞ化物だ。ボスに報告をっ!」
「動くな、妙な真似したら分かってるだろ。」
銃口を向けられる。今更、そんなのでびびると思ったか。
でもボス・・・彼奴か?いやでも此奴等の武装は見慣れない物だ。若しかして別の組織か?
私を狙って来たのか?直ぐに撃たないなんて何を企んでいる。まさか本当に私の所為で此の屋敷は襲われたのか。
「何処の組織から来た。」
窓に伸ばしていた手を下げる。妙な真似をしなければ、大人しくしていれば良いのだろう?じゃあ私は何もしない、話す丈だ。
「御前には関係ねぇだろ。」
「化物の癖に一丁前に喋ってんじゃねぇ。」
「此奴・・・一度縛って置いた方が良いんじゃねぇか、気味悪いし・・・。」
又其か。話が出来ないのなら如何してやろうか。
私丈が良い子して話を聞く事もないだろう。
殺す、殺してやる。此の男の様にあっさりと何も無い儘に死に晒せ。
「っつっ!?」
突如男達は表情を歪ませてふら付いた。
其の上半身には四人共罅が入ってしまっている。其の死の刻印は最早消せはしない。
男の一人が銃を上げるが手が震えて中々定まらないらしい。
そんな事をすればより罅は大きくなる。終に男は銃を取り落とした。
然う斯うしている内に罅は限界を迎え、崩壊した。
四人共上半身が打っ壊されて、残って棒の様に立っていた足がばたばたと倒れる。
血が溢れ出ている事を忘れればマネキンか人形の様で肉に見えない。
一体何が起きたのか分からなかったんだろう。
此の手の脅しが効かないのは迚も便利だ。目撃者も大半が死んでいるから私が力を使うのに手順が何も要らないなんて思いもしないのだろう。
実際チート級の能力だ。対策の仕様がない。
邪魔者は居なくなった。逃げ去ってしまっても良いのだが、一つ丈、ボスが気になった。
若し組織で私を狙っているのなら此処で断たないと又狙われるのは面倒だ。
危なければ逃げれば良い。殺せる丈殺してやる。
四足になって慎重に部屋から出る。一部屋ずつ見て少しずつ潰して行けば良い。
仲間が殺されて行っている事に気付かれる前に、殺し切る。
私にはもう、此の道しかないのだから。
・・・・・
もう、良い頃合いだろうか。
十四、五人は殺した気がする。もう物音は殆どしない。
豪華で綺麗過ぎた屋敷も、すっかり血に染まった奥つ城となってしまった。
次此処を訪れる者が居れば一生忘れる事のないトラウマになりそうな惨状が広がっている。
もう部屋は全て見た筈だし、ボスが一体何奴だったのか分からなかったが、恐らく殺した内の何かだったのだろう。
・・・軽い眩暈がする。力を使い過ぎたか。大した準備も無しに、地理も分からない状態でやり合い続けたので精神の負担が可也大きかった。
此以上は余り使わない方が良い。動きが少し鈍くなっている。
全員此処で始末したのだから私の情報は漏れ様がないだろう。さっさと此処を去って、自由になるとしよう。
自由になって・・・何をするかなんて考えも付かないけれど。
「俺の部下をぜーいんやっちまうなんて容赦ねぇ化物だぜ本当。」
背後からの声に慌てて振り返る。其処には一人の男がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた儘銃を振り上げていた。
「ちょーっと俺とも遊んでくれよ。」
銃が振り下ろされ、其の銃身で頭を殴られる。手加減無しの一撃だった。
脳が揺さ振られ、眩暈が酷くなる。
不味いと思う前に続けて腹を思い切り蹴られて軽々と吹き飛ばされた。
壁に激突して肺の空気が全て空になる。肋骨が折れたかも知れない。息が上手く吸えなくて顔が上げられない。
考えが纏まらない。駄目だ、此の儘じゃあ、
動け、動け動け動け動け動け動け動け、死ぬんだぞ、分かってるんだろ!
ピクリとも動かない四肢を叱責しているのも束の間、又殴られたのか頭に強い衝撃が走って、全身の力が抜ける。
こんな所で、絶対に終わりたくないのに。
どんなに気を急かしても現状は何一つ変わらず、
抵抗も空しく私は意識を手放す他なかった。
・・・・・
「っん・・・ぐ、」
唐突に目が覚めた。頬や躯の彼方此方が痛い。
「ったく、やーっと目ぇ覚ましたか。」
目の前に先私を気絶させた彼の男が立っていた。如何やら殴られて無理矢理起こされたらしい。
口の中が斬れて血の味が緩り広がった。・・・如何やら先頬を殴られたのか・・・。
私は手械をされて其を服掛けに掛けられ、立たされていた。
此の手械・・・魔封じの印がある奴か。魔力を抑え込み、術を使えなくさせる。でも私の力は術ではない。こんなのは何の効力もない。此をされたのも始めての事じゃあない。
中々高価な物を持っているが、情報が乏しかった所為で全く活かせていない。
でも状況は良くない。手械は壊し難くて面倒だ。接している所為で少なくとも私も代償を支払う事になる。械丈を壊せる程器用にはなっていない。
「おーい返事の一つ位しろっての。」
「っ、げほっ・・・あっ・・・ぐ、」
思い切り腹を蹴られ、軽く意識が飛びそうになる。
此奴、内臓を潰す気か。此方は化物とは言え餓鬼だってのに容赦の欠片も無い。
此丈仲間を殺しているんだから当たり前か。見た目程油断をしている風もないので厄介だ。目的も未だ分からないのも遣り難い。
視線を上げて何とか状況を把握する。
此処は・・・未だ屋敷の中か。私が首を捥いだ二男の首が未だ転がっている。
地理としては悪くない。何処ぞに攫われた訳では無いのなら逃げ易い。
只問題は目の前の男か・・・。
男は長身で、小麦の様に光る短い金髪をし、傷のある黔い瞳は眼光が鋭く目付きが悪い。がたいも良く、革のジャケットを着ていたりと威圧感はあった。
先私を殴った玩具は腰のホルスターに入った儘だ。何時でも取れる様にか手は添えられている。警戒されている訳だ。益々遣り難い。私も慎重に行かないと。
「私に・・・何の用だ。」
「良い目してんな。梟ノ睛が御前みたいな化物を引き取った理由がちょーっと分かった気がするぜ。」
返事をしても其に答えは無かった。自分勝手な奴だ。
でもギルドを知っていると言う事は、矢張り此奴も何処ぞの組織の者か。
「凄いよなぁ、こんな小さくてもちゃんと化物なんだなぁ。此処の坊ちゃんもあっさり殺しちまうし、俺の部下も皆殺しちまうし、恐ろしいぜ全く。」
「御前・・・、見ていたのか。仲間が殺されて行くのを。」
下種なのは何方だ。御前がボスだったのか。だのに仲間を護ったりせず、見ていた丈だと。
捨て駒だった訳か。流石人間。醜くて汚くて、私には到底理解出来ない。
「勝手に喋んじゃねぇーよ。」
膝蹴りを腹に食らわされ、一気に内臓が潰されて吐きそうになる。
こんな奴に良い様にされるなんて。
こんな不条理許り突き付ける奴、何時もならあっさり殺してやるのに。
此奴は・・・近過ぎる。今力を使えば私も巻き添えを食らう。
隙を・・・機会を窺え。殺される前に殺す丈だ。何時もと一緒だろう?
「ま、でも俺も暇だし答えてやるか。そーだよ、彼の窓からずーっと見てたぜ、御前の事。おもしれー奴が居るなぁって。」
然う言って奴は後ろの窓を指差した。私が最初に逃げようとした窓だった。
如何やら初めから其処に居たらしい。彼の時逃げていれば鉢合わせする所だったのか。
成程、ずっと背後を取られていたのなら幾らでも隙は突ける。
こんな奴の気配も気付けなかったって、油断してしまっていたのか。
「御前の事は聞いていたぜ。だから此処の金持につい話しちまったんだよ。だったら欲しいって聞かなくってさ、俺も興味があったから只取られるのも癪だし、奪っちまおうと決めたんだけど。」
此奴がリークしたのか。此処の所為で私は首になったのか。・・・まぁ元より時間の問題だったが。
「で、一つ聞いてみるんだけど、今の所の待遇は御前の姿を見れば分かる。俺の所なら少しはましになるぜ。」
又其か。案外此の世界に物好きは多いらしい。碌な奴はいないがな。
「ボスにも同じ誘われ方をしたな。其の結果が此なら、もう二度と騙される物か。御前の下に就くなんて御免だ。仲間を顧みない奴が何の口を突くんだ。」
見え見えだ。そんなの、嘘に決まっている。大方私の反応を見て楽しんでいるのだろう。
「仲間殺しの化物が要るだなんて、随分悪趣味だな。」
「ハッ、此方が黙ってりゃ随分御喋りだな。誰が手前なんて買うかよ。唯一御前を可愛がってくれそうだった飼主もあっさり殺しちまうし、目は良くっても力があっても口は生意気だし、何度か御前の事蹴ったけど、骨と皮しかねぇじゃん。薄汚い乞食みたいで直ぐ死にそうだし、こんな形じゃあ娼婦にもなれねぇ。御前みたいな芥はさっさと駆除した方が良いんだよ。」
好き放題言ってくれるじゃないか。
又蹴られるのも癪なので睨む丈に留めていると髪を引っ張られてじろじろと覗き込まれた。
「俺が要るのは御前の術だよ化物。便利な玩具持ってんじゃねぇか。どんな物でもバラバラに壊せるなんて、どんな気持なんだ?俺に其の術くれるなら、命丈は助けてやるぜ。御前みてぇな化物を生かしてやるなんて俺位な物だぜ。」
「・・・御前こそ、随分御喋りな奴だな。」
此の力は私が初めから持っていた物だ。教えたり、あげたりなんて出来る筈ない。つまり私の未来は此奴に殺される、其の一択だ。
其がばれる前に、やらないと。こんな所で足元の奴等と仲良く死体になって並んで堪るか。
少しでも会話を繋げて隙を作る。もう絶対に油断なんてしない。
然う身構えていると、奴は徐に手を伸ばし、私の、
「っあ゛ぁ゛ぁあ゛あ゛ぁあ゛っっ!!」
あっ、あぁ!!噫痛い痛いっ!!私は、何をされた?ああっ、痛みで、何も、考えられない。
私の、私の右目、は、如何なった、如何して其処がこんな熱くて、痛くて、何も見えない?
「だーかーら、何で無駄口叩くんだよ。自分の状況って奴、分かってんのか?」
然う言って彼奴は有ろう事か手を、私の、右目に突っ込んだ指を動かして、
・・・ぐちゃぐちゃと、聞きたくもない音が、耳から、頭の中から聞こえて、
「あぁ゛あ゛ぁああ゛あ゛っっ!!あがっ、ぐ、ガァアァァアッ!!」
「あー若しかして俺の事知らない?舐められちゃったって訳か。俺はライバスってんだ。聞いた事位あるだろ、化物。」
こんな状況で自己紹介とか頭がいかれている。
目の中をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられて、此方だってこんな気持悪いんだ。やっている此奴だって、何も思わないのか。こんな事して、平気な顔で良く喋るな。
「さーて、そろそろ良い子になったか?」
緩りと手が引き抜かれる。勿論今更そんな事されて目が見える様になる訳がない。
でも、未だ大丈夫だ。片目が失明した丈なら、動き難いが目は治る。時間は掛かるがもう経験済みだ。
頭から響いた彼の嫌な音も止んで、やっと考えられる様になった。
然うだ、其の名前は知っている。ボスが一回丈言っていた気がする。
対立している同業者、其の組織のトップを。若いけれども其の冷酷で手段を問わない遣り方を好む為に油断ならない奴だって。
「あーぁ、化物の血付いちまった。呪われてねぇよな。つい潰しちまったけど。」
溜息混じりに手を振って真黔な血を飛ばす。
・・・此の形でも此奴は怖気付いたりしないのか。
如何にかしないと。時間稼ぎをした所で殺されるのは明白だ。先のではっきりした。此奴に躊躇なんて言葉はない。
「御前の術だって良ーく見てるから分かってるぜ。其の械如何にか打っ壊してもこんなに近かったら御前、攻撃出来ねぇだろ。御前の手刀より俺の銃の方が早い自信もある。死にたくなきゃ吐くしかねぇんだよ。分かるだろ?ん?」
然うだ、其の通り。そんなに近付かれたら私は力を放てない。
でも此奴は勘違いしている。私は械があろうが無かろうが、力は使える。
其に別に力を使えない訳じゃない。覚悟があれば、出来るんだ。
此のチャンスを、絶対に逃すな。
「なーんか未だ生きた目してんだよなぁ。其方の目も潰すぞ。」
言い終わる前に男、ライバスはポケットから折り畳みナイフを取り出すと、目元を斬り付けて来た。
幸い、眉間から瞼辺りを掠った丈だ。つい臆して顔を背けたが、潰されなくて助かった。
血が目に入って滲むが、未だ見える。
「んー何か気に入らねぇ態度だなぁ。叫ぶばっかで涕いたりしねぇのか?若しかして化物って涕けねぇ物なのか?」
又ライバスのナイフが宙を舞う。そして次の標的は左翼だった。
翼毎壁にナイフを突き立てる。其の儘ナイフを掴んで、上へ上へと、翼を少しずつ斬り離して行く。
「っぐ、ガァアァアァアア!!」
痛い痛い、でも其丈じゃない、只叫ぶ丈じゃあない。
其の隙を、逃さなかった。此奴が翼に注目した瞬間に、私は甲を揃えて伸ばしていた尾を思い切り突き出した。
「っわっと、っ随分舐めた態度取るんじゃねぇか。」
頭を狙った其を躱す為、ライバスは一歩下がる。軽々躱す事は分かっている。大事なのは私から離れた事だ。
生物として反射丈は如何にもならないだろう。特に御前程場慣れした奴なら。
ホルスターに手を伸ばされる前に。其の手を許せば私は終わる。
此は紛れも無い私の殺意。
死ね、殺してやる。そんなに此の力が御好きなら好きな丈、尾も一緒にくれてやる。
ライバスの躯の所々に、私の尾も巻き添えを食らって罅が入る。
全身に一度に罅は入れられない。然うすれば私自身もやられてしまう。でも此丈罅割れれば、致命傷は避けられない。手械も罅は入れた。後は時間の問題だ。
ライバスは何をされたのか流石に気付いた様だった。でももう終わりだ。手遅れだ。私にすら取消は効かない。
ずっと見ていたのなら動けば動く程罅が入る事も知っていたのかも知れない。其でも、結局は大部分が削り取られる訳だし、生物として身じろぎ一つせず冷静でいられる訳がないだろう。
寧ろ此の力が如何言った物なのか御前は既に知っているのだから猶の事、其の恐ろしさは理解しているだろう。
結局、彼奴が銃を撃つより早く、彼奴は壊れた。
肘、膝、腹、臑、腱、背中、脇、指、肩、耳、至る所を虫喰いの様に壊され、ライバスは絶叫し乍ら転げ回った。
対して私は煩わしかった手械が壊れ、自由の身になる。
手首の甲が欠け、尾は相当肉を抉られたが仕方ない。未だある丈ましだ。動かさなかったから最小の被害で済んだ。
振る度に血が流れ、酷く痛む尾をそっと私は動かさない様、地を擦らない様伸ばした。
こんな傷じゃあ綺麗に治りはしないだろう。歪になるだろうが、未だ動くんだ。其で良しとしないと。
「畜生、殺してやる殺してやる殺してやるっ!!」
頭は・・・未だ働く様だ。ライバスは指が殆ど無い手で何とか銃を取り出した。
血で滑って取り落としそうになるのを反対の手で何とか支える。
勿論未だ、否もう二度と立つ事なんて出来ない。
転がった儘出血と怒りに震える手で銃口を此方に向ける。
其の目は殺意に濁っていた。煮え滾って火花が散りそうだ。睨まれた丈で人を殺せそうな目だった。
恐怖じゃない。未だ、生きる為に戦おうとしている。其の点は評価出来るんじゃあないだろうか。只涕いて震える丈の馬鹿共と違う。
ボスって丈はあった様だ。此奴も生きる為に誰かを殺し、食い物にして、全てを利用するタイプの人間。
まぁそんな努力も、今から無駄になる訳だが。
「煩いんだよ。」
私は別に拷問だとか、人間の悲鳴が好きな訳じゃあない。
只静かになりたい丈。私独り限になれば良い丈。
だから私はもう何も考えず、簡潔に、
ライバスの頭を踏み付け、其の儘潰した。
何か最期に喚いていた気がするが、もう聞こえなかった。
こんな足だ。靴も何時の間にか脱がされているし、人間の頭を砕くなんて容易だ。爪や甲が刺さって簡単に頭蓋を砕いてしまう。
音と足裏の感触が嫌いだから然うしないけれど。
足元がふら付いて尻餅を付いてしまう。
「っぐ・・・う、あ、」
終わったと自覚した途端、躯中が痛み始めた。
特に右目があった所と尾、痛いなんて物じゃない、無くなったんだ。
取り敢えず彼の貴族とライバスの上着を裂いて目元と尾に布を巻いた。
肉片や目の残骸を零したくないし、応急手当てにすらならないが仕方ない。
其処でもう堪らなくなって吐いた。
眩暈も酷かったから仕方ない。力を使い過ぎた。
此の儘、気絶しそうだ。
駄目だ。早く此処を去らないと、誰か来るかも知れない。もう面倒事は御免だ。
此の屋敷を探せば食べ物か薬位はあるだろうが、然う漁っている暇はない。部屋を回っている際多少くすねて来たが、此で十分だろう。
此処に居れば全て私の罪だと処刑されてしまう。只でさえ姿丈の理由で然うされ兼ねない身なのに。
殆どは確かにやったが、正当防衛だ、なんて質の悪いブラックジョークとされてしまうだろう。
早く、此処を出て・・・何処に行こうか。
帰る?いや、何処にだ。私にそんな居場所なんて無いだろう。
追い出されたんじゃないか。然うなる様自分で仕向けたんだろう?
其に自分だって先言ったじゃないか。私は、騙されていたんだ。
ボスと、ナレーの顔が浮かぶ。然うだ、彼奴等は騙していたんだ。
甘い言葉を吐いて、私を縛って、飼い慣らそうとした。
じゃあもう良い。全てを投げ捨てて、何処へなりとも行こう。
足がふら付く。片目の所為で距離感が掴めず危ういが、歩く事は出来るだろう。
取り敢えず何処か遠くへ、此の街を出て、ずっと遠くへ。
もう誰も、私みたいな化物を知らない、そんな果て迄。
外は何時の間にか陰霖が酷くなっていた。凱風も出て来ている。
此の冷たさに体温を奪われて倒れてしまう前に行かないと。
一つ息を付いて私は闇雲に歩き出した。
・・・・・
陰霖が、今日も降っている。
私は一つ溜息を付いて其処に座り込んだ。
此処は何処ぞの街の路地裏、其の階段の隅に足を投げ出す。
彼から何丈歩いて来ただろうか。
時間にして二百日か其処等、もう幾つ街を回ったかも分からない。
まぁ何丈歩いた所で人間の世界からは逃れられなかったが。
又一つ溜息を付いて、私は顔を伏せて膝を抱いた。
もう、疲れてしまった。
一体何時迄こんな事が続くのかと思うと、永遠に終わらないんだろうし、もっと酷くなって行く気がした。底の無い虚の様な未来しか見えなかった。
奪って、殺して、耐えて、怺えて、嘆いて、猛って、今迄ずっと生きて来た。
でも、じゃあ如何してこんな苦しい思いをして生きているのか。其の疑問が口を突いた時、足が止まってしまった。
だって然うだ、私にはもう其の意義が、見出せなくなっていた。
初まりの頃は其でも、仲間を探したり、出生の謎を探したり、色んな、良い事は少なくても、懐い出したくない事許りでも、色々とあった。
でももうそんな事は如何でも良いし、探すにしても手掛かりもなく、そんな役にも立たない事に感けていられる程暇ではなかった。
苦しい丈だ。生きていても、意地で、復讐の様に生きていた丈で。ずっと惨めじゃないかこんなの。目を背けたくなる程に。
御中が空いた。此処数日は何も口にしていない。水も、此の近くの陰霖は工場の排気が混ざって鉄錆の様な味がした。未だに破落戸だとかに絡まれ、襲われたり争いが絶えない。街の奴等だって白い目で見るし、化物と呼ばれれば街から追い出される。躯中傷だらけの痣だらけ、息をする丈でも彼方此方が痛む。
翼や尾も、結局ちゃんと治療出来なかったが為に歪になってしまった。目は治ったが、目元の疵は消えない。
斯う迄して、私は一体何をしているのだろう。
何時か、報われるだなんて、何時か生きていて良かったって、そんな事、奇跡を奪われた此の世界にある訳がない。そんなのは小説や絵だとかの空想の話で、其の空想の話でさえ醜い化物は殺されるんだ。
もういっそ、此の儘目を閉じてしまおうか。勿論そんな簡単に死んだりなんて出来ないだろう。
飢えと渇きに苦しみ乍ら病に犯されて死ぬか、誰かに見付かって死ぬ迄嬲られるか、どんな死に方であれ辛いだろうし、結局其の何も最後は人間に見付かって、死体を良い様にされるのだろう。彼是値踏みされ、適当に嘲笑したり気味悪がられたり、ばらしたり剥製にしたり、遣りたい放題だ。
其でも、もう此の世界を見なくて済む。何も感じなくて済む。魂が救われなくても、終わらせる事は出来る。
・・・でも、でも、
一度丈顔を上げた。汚れた陰霖が容赦なく叩く。寒くなって一つ震えて又顔を伏せた。
どんな最期でも、屹度陰霖は冷たいだろう。私は、独りの儘だろう。温めてくれる手も、心も、懐いも一つとしてない。
其は・・・矢っ張り、
・・・寂しい。
然う。私が生きていたのは意地もあるけれど、一つ丈願っていた事があるんだ。
誰かに認められたい。此処にいても良いって、赦して欲しいだとか、許可が欲しいんじゃなくて、只黙って隣にいられる様な、そんな曖昧で、でも其を確かに感じられる、そんな優しさを。
如何か、与えられないだろうか。分けて貰えないだろうか。霄の窓から零れる彼の明かりの其の一欠片丈でも。
そんなの、ある訳ないって、化物には勿体無い夢だって、嗤われるだろうか。
・・・もう駄目だ。動きたくなんてない。
息も溜息無しには付けない。私はもう、手なんて伸ばせない。顔を上げられない。だから、
だから、誰か・・・助けて、
・・・・・。
「・・・ククッ、ハッ、私は・・・馬鹿か。」
つい掠れた嗤い声が漏れてしまった。口丈でも嗤ったのって何時以来だろう。
今迄散々奪って来た癖に、自分の番になると結局は此の様か。
情けない、無様だ。何で未だ生きているんだか。
若し今此処にもう一体の私が通り掛かれば、虫螻の様に殺してみせるだろうに。
私は只化物だって強がった丈の薄汚い餓鬼だ。人間にも化物にも成り切れない。
彼の時から、変わってなんていなかったんだ。
此の世界で私は主役なんかじゃない。脇役にすらなれない、台本に残った消跡だ。
そんな都合の良い事なんて吐くから、そんな奴だから斯うなったんだろう。
助けてくれる奴なんて、二人、浮かぶ顔はあったとしても、
ナレーの其は只のエゴの塊だった。ボスの其は、只繋ぎ止めたい丈の鎖だった。
違うんだ。・・・でも、そんな選り好みをしているから。そんな権利も無いのに、只一つのチャンスを溝に捨てたから、斯うなったんだ。
ねぇ、諦めなよ。高望みした所で、化物に変わりないだろう、私は私なんだろう。
どんなに嫌っても嗤っても、私以外の何者にもなれない。
私は・・・私が嫌い、大っ嫌いだ。こんな私なんて死んじゃえば良いじゃないか。
こんな身も心も中途半端な化物なら、捨てたと思っていた心が、化物になって、目を背けられない程育ててしまった私なんて、要らないだろう。私だって要らないよ。
私だって好きに化物に生まれたんじゃない。
もう嫌だ。此の世界も私も、人間も陰霖も化物も、命だとか心とか願いとか懐いとか、全てが嫌い。何も要らない、何も持っていたくない、全て捨てて、消えてしまいたい。
知らず頬が濡れたが、其の雫は直ぐ様陰霖に紛れる。こんな薄気味悪い人間の血の様な涙でも、こんなあっさり陰霖に溶けてしまう。
何も遺さず、何にもならない。
全てを閉ざそうと目を閉じ、今一度顔を伏せた。
陰霖の音すら遠退く様に眠る様に意識を何処かへ放てたら、
だが其の静寂は直ぐに破られた。たった一人の少年の声によって。
「あの、大丈夫?」
気の所為だと思った。だが肩に触れる物があってゆるゆると視線を上げた。
「あ、若しかして寝てた?御免起こしちゃって。でもこんな所で寝てたら風邪引いちゃうよ。こんなに冷たくなっちゃってるし。」
目の前には一人の少年が居た。
齢は十歳行くか如何か。私と同じ齢位か。
癖の無い茶髪に、吸い込まれそうな程優しい六花の様な皓い瞳。肌も皓く柔らかで、解れの無い麻の服を着ている辺り、それなりの家の子の様だった。
陰霖が掛からないのを不思議に思って見ると何時の間にか傘が掛けられていた。丁度私と少年が濡れない様に置かれていたので恐らく少年が然う置いたのだろう。
何処ぞの世間知らずの坊ちゃんだとかが面白半分に声を掛けて来た事は今迄もあった。皆、此の手を見せれば青褪めて逃げて行ったが。
でもそんな奴等と彼は何か違う気がした。彼奴等は其の時決まって好奇の目で私を見ていたのに。彼のは何だか旧知の朋に会ったかの様な、そんな無償の優しさが滲み出ている様な気がした。
初めての眼差し、ナレーのは此に憐れみが何処か混じっていた。こんな純粋な好意は知らない。邪気が無いのとは違う。全てを知って包んで赦してしまう様な、そんな柔らかさ。
何だ・・・此は。何が起きているんだ。在り得ない。そんな筈ない、そんな事ない。此は、私の勘違いだ。
勘違いを勘違いだと分かっている内に遠ざけないと。
私はもう無視を決め込んだ。今更、怒る気力も無かった。壊すにしても此奴は既に近付き過ぎている。
又、顔を伏せた。変な奴だと思って、さっさと見捨ててくれれば良い。忘れてしまえば良いんだ。
「あれ、若しかして怪我してるの?何処か痛い?」
有ろう事か其奴は私の背を擦った。翼の所為で歪に曲がった背を。見れば、触れれば直ぐ分かるだろうに。
躊躇なく、然も当たり前の様に。昔から然うであったかの様に。
堪らず驚いて飛び起きる。心臓が早鐘を打って煩かった。
此奴、本当何考えているんだ、何を知っている?
「さ、触るなっ!」
もう耐え切れず右手で払い退けた。
其の時、既にずれていたのだろう繃帯が取れてしまった。真黔の異様に大きく歪な化物の腕が晒される。そしてそんな手に当たってしまった少年の手の甲に僅かに絳い線が走っていた。
しまった、と思う内に私は次の手を考える。若し此奴が叫ぶのなら其の声帯を潰して仕留めないといけない。此の距離なら咬み付けば十分だ。
若し怯えて逃げるのならまぁ其でも良い。今更、其を如何斯うする気力は無い。
どうせこんな街も長居しないし、抑此の世界にももう長居しないかも知れない。
だが少年が取ったのは其の何方とも違う行動だった。
少年は只、私の腕を見て初めは驚いていた。声を上げたり、びくついたりもせず、本の少し目を見開いて。
そして其の目元はふっと柔らかくなり、何だか涕きそうな、何かを堪える様な目になる。
実際少年はそっと袖で目元を拭った。そして降ろされた手には何処にも傷が無かった。
如何言う事かとつい其の手をまじまじ見てしまう。
すっと少年は静かに手を差し出し、何故か私の手を取った。其の上にもう一方の手を重ねる。
こんな逆刺だらけの手にそんな事をすれば傷もぐれになってしまうのに。傷一つなく、汚れすら見られない皓く綺麗な手を、寸々にしてしまう人殺しの手なのに。
少年の真意が分からず、振り払う事も忘れて私は只其の手を時が止まったかの様に見詰めていた。
じんわりと、少年の手の温かさが伝わって広がって行く。擽ったい様な不思議と安心出来る温もり。
少年は又一度微笑んだ。すると其の手は変貌して行く。
皓い、其こそ真皓の光沢のある獣の様な毛に覆われ、一回り大きくなる。
そして其の爪も長く伸びて肉厚なダガーの様に丸く尖る。
僅かに毛の無い指の先は細く、まるで鳥の足の様な感触だった。
「此・・・は、」
言い掛けて口を噤んだ。
手に許り気を取られて気付かなかった。
少年の背には大きな翼がはためいていた。
鳥の様な翼、帯を重ねた様な翼、刺青で出来た様な翼、不完全な曦を集めて出来た様な翼。
其の何もが皓く輝いて、陰霖を反射して眩かった。
まるで私の化物の姿と対照的な、皓き化生、私とそんな変わらない人ならざる者の姿なのに、如何言う訳か彼の其は優しく柔らかく、目を奪う物があった。
そして其の姿に何故か私は既視感の様な物を覚えた。見た事なんて無い筈なのに。
皓く輝く世界の隅、誰も知らない、隠された楽園で彼が楽しそうに其の翼を思い切り広げて飛んでいる、そんな在りもしない光景が見えた気がした。
其と同時に私の中でじわりと広がる果てしない懐かしさ、そして途轍もない罪悪感に襲われた。
如何して彼が此処に居るのか、何故私を見付けたのか、声を掛けたのか、微笑んでいくれるのか。
彼の挙動一つ一つに、初めて人間を殺した時に抱いた物の比じゃない位激しい罪悪感が胸を突く。
まるで私の中に、私の知らない私がいて、彼女が涕き叫んでいる様な。
見も知らない彼に私が振り回され続けている此の状況に私は殆困り果てていた。理解出来なくて何も分からなくて。
もう死にたいって、全てが嫌だって、其の事でずっと頭が一杯だったのに、こんな簡単に乗っ取られるだなんて。
私は、どんな事でも良い。何か答えを知りたかった。
何も分からない事は恐ろしい。其の冷たさに囚われる前に口を開いた。
「御前は・・・一体、誰なんだ。」
予想外の事でも聞かれたのだろうか。少年は酷く驚いた顔をし、口を開けた。
喋った事に驚いたのか?でも先に聞いて来たのは其方だが。
少し丈視線を彷徨わせ、少年は苦笑した。そして何処かで見た様な諦めに疲れた目をしてじっと私を見た。然う、此の目が、齢相応とは迚も思えない、古の大樹の息吹の様な、時を孕んだ目が、他の奴等と違うと思わせたんだ。
人間の目じゃないから恐くない。人ならざる者の目、心も既に然うなのか。
背筋を撫でる彼の値踏みする嫌な目じゃない。此の世界では貴重な陽光の様に優しく注がれる眼差し。
「此処じゃあ此の姿は目立つし、寒いから一度僕の家に来ない?御茶も出せないんだけど。」
罠だ。以前の私は即座に然う判断していた。でも何故だか其の言葉は信じても良い気がした。今迄散々騙されて来たのに、酷い目に遭って来たのに、馬鹿みたいに其等を棚に上げて。
家なら他の家族が居るんじゃないのか、敵の根城にのこのこ付いて行って如何するんだ、沢山の小言が頭の中を埋め尽くしたが、其は一瞬で。其を全て引っ繰り返せる程、少年の目は信じて良いと私は判断した。
麻酔でも打たれたかの様に頭が痺れてぼーっとして働かない。
警鐘も猜疑心も彼の電波に溶かされて鎮められてしまった様だ。
此は先、全てが如何でも良いと諦めたから投げ遣りになっているのだろうか。
其とも此の奇跡の様な、ありもしない夢をもう少し続けようと思ったのだろうか。
其とも斯うなるのは必然で、其の決められたシナリオに沿っている丈なのだろうか。
私が絶望し切った時に現れた少年、若し先のがトリガーだったのなら、
矢っ張り世界は惨酷で、理不尽で、
もう斯うなる事が何処かで分かっていたから私は簡単に受け入れたのかも知れない。其程、少年が現れた事に驚きつつも私は何処かで腑に落ちていた。
私が黙って立つと、少年は傘を拾って一つ笑い掛けた。
「其じゃあ行こうか。付いて来て。」
少年は私が陰霖に濡れない様傘を傾けた儘緩り歩き出した。
歩き乍ら少年の姿は又元の人間らしき姿へと変わって行く。
あんな大きな翼も、長い爪も何処にも無い。如何やら完全に隠すと言うか消せる様だ。
退化の歴史を物凄い早送りで見たかの様な、つい此の目で見ても疑いそうな光景だった。
あんな事、勿論私には出来ない。若し出来たらこんな苦労する事も無かったんだ。
若しかしたら何らかの術なのかも知れない。然うなら是非教えて貰いたい物だが。
少年は私の姿に気を遣ったのか成る可く入り組んだ路地を歩き続けた。
多少遠回りをしたかの様に感じた所で少年は立ち止まる。
「此処だよ。さ、入って。」
着いたのは街中に彳む古惚けた小屋だった。木造で年季物なのか苔むしている所がある。小窓が一つ丈あったが、閉め切られている様だった。
明かりは見えない。若しかして一人暮らしなのだろうか。
少年が扉を開けて中に入る。一応慎重に中を窺う様に入ったが、中は至ってシンプルだった。
六畳程の区切りもない、本当に只の小屋。隅に寄せられた椅子や、木箱、麻布が生活感を辛うじて見せている。立て掛けている袋からは何処か甘い香がしたが、若しかして彼は食料が入っているのだろうか。貯えはある様だ。でも餓鬼一人が生きていられる程此の世界は甘くない事を十分私は理解している。屹度今は他の者は留守なのだろう。
「えっと適当に座って良いよ。濡れちゃったよね。ほら此で拭いて。」
少年は布を取り出すと頭にそっと被せて来た。
視界を奪われ、思わずびくついてしまったが、少年の足音が遠退いて行ったのでそっと顔を出す。
悪気は・・・なさそうだ。文句は呑み込んで言われた通り取り敢えず座って申し訳程度に髪を拭いた。濡れたと言ってもオーバーコートを着ていたし、寒い丈で濡れるのは別に大した事じゃあない。
其より話だ。聞きたい事は一杯ある。
「僕はガルダ。いや、ガルダリューって言うんだ。此の街に五年・・・位かな、住んでいるんだ。って言っても此処僕の家じゃあないけどね。誰も居ないからすっかり居着いちゃったけど。」
先の質問の答えを今更乍ら言って少年は例の革袋を漁っている。何とも無防備な背中だった。
そして何か見付けたのか思い切り手を突っ込み、何かを取って私の前に座った。
其の手には丸々太った林檎があった。
果物なんて、高級品だ。口にした事なんて殆どない。
「御茶は無いけど、良い物はあったよ。一寸待っててね、今半分にするから。」
少年の林檎を掴む手が皓い獣の其と変わり、爪を掛けるとあっさり林檎は真っ二つに割れてしまった。其の内の片方を私へと差し出す。
「・・・有難う。」
一応受け取る。私が手を伸ばす内に彼の手は又元に戻った。
何度見ても不思議な光景だ。一体如何言った芸当なのだろうか。
其に許り気を取られてもいけない。此の林檎に毒が入っていないのか、彼方に現を抜かす前に確かめないと。匂は、色は、良く見ないと。
慣れ切った警戒音が頭の中でがなるが、私はもう無視を決め込んだ。
面倒だった。そんな事を一々気にしないといけないのか。
仮に毒が入っていたって最早如何でも良い。此処で死のうが、此の少年に騙されようが、剥製にされようが。
矢っ張り然うかと諦めて終われるのならもう別に良かった。
生きた所で・・・だ。こんな所迄付いて来たのは気紛れで、余興なんだから。
少年が林檎に齧り付いたので私も其に倣う。
久しく物を食べていなかったので口の中が痛い。でも其以上に甘みと酸味が一気に広がって喉を潤す。
美味しかった。只美味しくて知らず私はがっついていた。死んでも良いと思い乍らも本能は捨て切れない様だ。
彼は手を止め、私を見て又微笑んだ。其の瞳は何処か寂しそうだった。
如何して初対面の私にそんな咲い掛けるのか、私には皆目見当が付かなかった。然う言う生物らしいと認めるしかなさそうだ。
「御中空いてたんだね。頑張ったね、此処迄大変だったでしょ。未だあるけど、食べる?」
「・・・いや、もう良い。」
久し振りに聞いたな、そんな言葉。ナレーと別れて久しく、優しさを掛けられた事なんて無い。今も昔も変わらず。
そして其の言葉には何処か重みがあった。私の苦労を、先会った許りだと言うのに、彼は全て知っている気がした。
何だか胸が熱くなって、つい私も手を止める。其処で初めて招かれている癖に随分恥ずかしい体を晒してしまった事に気付いて、今更乍ら私は居住まいを正した。
「ええっと、何処から話そうかな。僕の事、話して行けば良いのかな。」
「何処から来たんだ。五年前に。」
「あ、然うだね。君から質問して貰った方が助かるよ。」
然う言って少年は視線を彷徨わせる。何かを懐い出す様に其の目は宙に向けられた。
「こんな話からしたら信じて貰えないかも知れないけど、僕ね、旻から堕ちて来たんだ。」
旻・・・不図ボスが言っていた事を思い出した。旻が罅割れて、闇が、広がっていたって。
私が身じろぎ一つせず聞いていたので其の儘彼は口を開く。
「僕は要らない子だって、壊さないといけないからって、生きてちゃ駄目だって、向こうの世界から突き堕とされたんだ。」
「憶えているのか!?向こうの事を、」
苦笑を漏らして視線を下げた彼につい詰め寄ってしまう。
堕とされた、向こうの世界から。
若しかしたら彼は本当に、私の同族かも知れない。
でも若し其が本当なら、こんなに皓くて、私とは似ても似つかない、美しいとさえ思った彼が捨てられたなら、私は芥以外に在り得ないだろう。
若し故郷が分かっても、帰れる訳がない。
彼は驚いた様に目を見開き、譫言の様に喋る。
「え、その・・・えと、余り、うん。余り、憶えてないけど・・・君は?」
「闇が傍に居てくれた事しか・・・全然懐い出せない。」
闇なんて、伝わりっこない。感触しかないなら其は憶えていないのと変わらないだろう。伝える事も儘ならない。
「本当に?些とも?何か、憶えている事って無いの?」
「・・・何か知っているのか?私の事を。」
「・・・いや、でも其の方が良いと思うよ。あんな所、忘れてた方が良いよ。」
少年の目は迚も優しくてつい何でも話してしまいそうだった。
此の目なら、幾ら見詰められても恐くない。
本当に陽光に照らされているかの様な錯覚を覚える眼差しだ。
「あんな所って、此処よりはましだろう。」
じゃないと救いなんて本当にない。此処より酷い世界があって堪るか。
「僕は堕とされて良かったと思ってるよ。あんな奴等の顔、見なくて済むし、君に会えたし。でも然うだね。君にとっては此処も良い所じゃないよね。恐い人間が一杯いるから。」
本当に彼はそんなに憶えていないのだろうか。其の声には熱が籠っていた。其とも嫌な事丈憶えているのだろうか。
あんな奴等と、吐き捨てる様に言った彼の目は見た事もない冥い色だった。
「じゃあせめて行き方だとかは知らないか?ずっと捜していたから、一目でも良いんだ。私は知りたいんだ。」
あんなに見付からなかった物がこんな一度に与えられるなら、と私は際限なく根掘り葉掘り聞く姿勢だった。彼には可也必死に見えたかも知れない。
先から恥掻いて許りだな、私は。
「御免、知っていたら僕も君を連れて行ってあげたいけど、其は知らないんだ。もう帰れない様に堕とされちゃった訳だしね。僕も其で良いと思っていたから。」
「・・・然う、か。いや、私こそ質問攻めにして・・・済まなかった。」
謝ったのって、何時以来だろう。抑言った事があるだろうか。
何だか本当に、彼に随分と振り回されてしまっている。此処を出たら少し休まないと気が滅入りそうだ。
手に残った林檎を又齧る。もう直ぐ芯丈になってしまう。其の時が頃合だな。
・・・もう一つ丈聞いても怒らないだろうか。
「因みに私と御前は同族、なのか?私は出生と言うか、其の辺りが全然分からなくて、手や翼も如何やって消したんだ?」
謝った許りだが、もうそんな長居はしない。返せる物もないが、此の街も出て行くから。
「沢山、聞いてくれるね。何だか・・・面白いね。質問があるって事は興味があるって事だよね。だったら僕も堕とされた甲斐があったんだ。君と僕が無関係じゃないって良いね。何か斯う言うの、久し振りだな。」
不思議な事を言うな。私にはそんな繋がり、無かったし。
「でも同族とは一寸違うかもね。抑僕はこんな姿じゃなかったし、翼とかはね、出そうかなって思ったら出せる物なんだ。出した儘だと邪魔だし、飛ぶ時以外は仕舞ってるよ。君は・・・出来ないの?」
「出来ない。そんな出したり隠したりなんて。でも其の姿じゃあ飛んで逃げる時目立つだろう。皓いと。」
「逃げる?別に僕は晴れた日に一寸飛んでる丈だよ。未だ上手く飛べないから。此処じゃあ滅多に晴れないしね。」
晴れた日に?なんて自殺行為だ。そんなの即見付かって撃ち落とされるじゃないか。
私が怪訝な顔をすると彼は首を傾げる丈だった。
「若しかして物凄く高い高度で飛んでいるのか?」
「いや、未だ上手く飛べないって言ったでしょ。精々屋根の上だって。此の前も近くの小父さんに注意されちゃったよ。墜落するぞって。」
「は?」
何だ其、近所の小父さん?其って人間じゃないのか?
若しかして此の周りに住んでいるのは彼の様な異形の者許りなのだろうか。
そんな街なんて聞いた事もないし、若し本当にそんな街ならこんな人間のと良く似た街と雰囲気になるのは何か納得行かないが、
「此処の奴等は皆飛べるのか?」
「え?いやいやこんな羽根があるの僕丈だよ。君みたいな仲間を見付けたのも初めてだし、若しかして他にも会った事があるの?他の街で。」
「いや、ないが・・・。其の小父さんって・・・いや、矢っ張り良い。」
何か話が食い違っている気がする。もう考えるのも面倒だし、置いて置こう。久し振りにこんな喋って少し疲れて来たし。
他には・・・もうこんな物か。寧ろ節操もなく聞き過ぎた。陰霖が止む前に此処を去らないと。
「世話になった。聞き捲って悪かったな。そろそろ行かないと。何も返せなくて済まないが。」
然う言って立つと彼は慌てて立ち上がり、手をわたわたと振った。
「え、も、もう?未だ陰霖降ってるんだよ。小雨になって来たし、せめて止む迄此処に居なよ。僕は全然構わないんだから。もっと御喋りもしたいし、未だ君の事、何も聞いてないよ。あ、その・・・用事があるなら、良いけど。御免、捲し立てちゃって。」
「いや、用事はないがでも・・・、」
小さくなりつつある雨音に焦りを隠せない。隠れられる所を探さないと、人間に殺される。
でも然うだ。確かに私は聞く許りで話していなかった。若し私が話す事で一片でも返せるなら、私は然うしたい。
其が為に人間に見付かったって、もう良いじゃないか。諦め位着くだろう。本の少しでも真実の一片を知れたかも知れないんだ。
もし彼が私と同族ではなくて、全く別の存在であっても、諦めの果てで奇跡の様な経験が出来た丈でも、救いの様に私は思えた。
初めて、此処迄来たのは無駄じゃなかったかも知れないと思えた。
案外私は惚れっぽいと言うか、夢を捨て切れない様だ。あんなに裏切られても未だこんな甘い夢の中で微睡んでしまっている。
此処が終着点なら、まぁ其も悪くない。此は、投げ遣りになってしまったから然う思った訳ではない筈だ。
「其も然うだな。」
私は覚悟を決めて又其の場に座った。するとぱっと彼の表情が明るくなった。
「私はセレ・ハクリュー、五年位前にある街で目が醒めて、其から前の事は何も憶えていない。」
「セレ・・・綺麗な名前だね。何だか凱風みたいで。」
呟く様に彼の口が私の名をなぞったが、不思議と嫌な気はしなかった。
こんな風に自然と名乗るのも初めてだ。
でもその・・・自然に褒められるのは何だか慣れない。名前は自分で考えた物でもない訳だし、私の功績ではないのだから、意味も由来も分からない訳だし。
「其の後は・・・まぁ色々あって、ずっと歩き続けて此処迄来た。」
言えないな。ギルドでの日々を。でも其じゃあ私に語れる事なんて無い。話したい事なんて一つも無いんだ。
矢っ張り私に返せる物なんて無い。
「然う・・・聞きたいって言っても其処は話し難い所かな。」
「聞かない方が良い話だ。」
「うーん・・・興味はあるのになぁ。・・・あ、陰霖上がったね。」
少年が窓を見遣って声を弾ませる。
何が嬉しいのか全く分からない。少なくとも痣がもう一つ増えるだろうな、とそんな数えたくもない物を私は見ていた。
「あ、然うだ。折角だし、ね、零星を見ようよ。毛布とかはあるからさ。其を敷いて屋根の上でさ。」
零星?噫然うか、今は霄なのか。でも零星なんて見て如何するつもりなのだろうか。
まぁでも諦めた生だ。其の位の余興は赦されるだろう。
彼が今迄見た人間とは違う新鮮な反応を見せるのが少し面白かった。
次は何をするのか、何を語るのか、其が少し丈気になった。
其に屋根の上なら然う直ぐに見付かる事もないだろう。
外へ毛布を急いで運んで行く少年の後に続く。
少年は毛布を抱えて直ぐ様翼を出した。真黔な世界に純皓の翼は余りにも眩しくて目が眩みそうだった。
屋根を見詰めた儘、少年は翼を上げ下げしていた。まるで凱風を待つ鳥の様だ。
邪魔にならない様見ていたのだが、一向に飛ぶ気配が無い。真剣な顔をしているが、一体何の儀式なのだろうか。
「・・・飛ばないのか。」
「う、ちょっ、一寸準備運動中なの!」
そんな真赤になってむきにならなくても。如何やら本当に飛ぶのは苦手の様だ。
「貸せ。」
焦れったくなって引っ手繰る様に毛布を取ると助走もなしに飛び上がった。
別に翼を外に出す必要もない。足と背に巻き付けていたのを少し解く丈。後は力めば翼の先丈だろうと少し位なら飛べる。
此位、何時でも瞬時に出来ないと生きて行けない気がするが。
「凄い飛ぶの上手いんだね。先のって如何やったの?何時翼を出したの?」
「御前も早く来い。」
短く答えてさっさと毛布を広げる。十分な広さはある様だ。
でも零星・・・か。そんなの、まじまじ見た事なんて無いな。抑そんな事をする様な上品さも、風流も持ち合わせていなかったが。
突如背後から大きな物音がし、慌てて振り返ったが、なんて事はない。少年が必死の形相で屋根にしがみ付いていた。
其の背には真皓の翼が慌しく羽搏いていた。だが其の羽搏きときたら、震えているのか痙攣なのか、何とも要領悪く、無様な羽搏きで、つい吹き出しそうになるのを私は必死に堪えないといけなかった。
何なんだ其の飛び方は。別に何か障害がある様な風ではない。本当に、只単純に飛ぶのが下手なのだ。
顔を背けたが彼には哂っていた事がばれたらしい。又顔を真赤にすると私の隣へ急いで腰掛けた。
「噫矢っ張り、今日は良く見えるね。あんな小さな零星もくっきり見える。」
暫く顔の熱りを取る為黙っていた少年だったが、不図旻を見上げて声を弾ませる。
釣られて私も見上げると確かに満点の星旻だった。
余り文明が進んでいない御蔭でビル一つない此の街の旻は視界の全てを埋め尽くし、圧倒した。
街の明かり自体が少ないので其の小さな瞬きすらもはっきり見える。
こんなにも・・・沢山の零星が、何時も頭上で輝いていたと言うのか。私が知ってる、彼の冥くて冷たい旻は何処にも無い。こんな旻を、私は飛んだ事が無い。
零星を見た所で、なんて事はない。腹は満たされないし、疲れが癒される訳でもない。
でも、失ったと思い続けて目を逸らしていた心が、初めて動いた気がした。
其は、全くの無駄じゃないのではないかと、屹度此の瞬間を私はずっと忘れないだろうと悍く思った。
然うでありたいと、願う自分が確かにいたんだ。
「・・・ね、凄く綺麗だね。」
すっかり言葉を忘れて魅入っていた私にそんな囁きが漏れる。
「・・・噫、然うだな。」
素直に私も返した。其以外に何も出て来なかった。
何故彼が急にこんな事を誘ったのかは分からないが、然う悪い物ではなかった。
「ね、一寸飛んでみない?君とっても上手いから見てみたいんだ、僕。」
「は?む、無理だ。何を言っているんだ。そんな事をすれば殺されてしまうだろう。」
「誰に?何でそんな酷い事をされなきゃいけないの?旻を飛んだ丈で何でなのさ。」
本気で分からないと言う風に少年は首を傾げる。
此処迄会話が成り立たないとなると、彼は果たして私と同じ言葉を使っているのか不安になる。
「誰って、人間に決まっているだろう。旻なんて飛んで撃ち殺されて剥製になるのがオチだ。」
「剥製って何?如何して殺されないといけないの?此処の人は・・・良い人だよ。そりゃあ喧嘩とか事件は、まぁあるけど、でも最低って程じゃない。」
良い人?其こそ理解出来ない。そんなの、何で判断したんだ。人間は人間だろう。多少は違えど、根本は一緒だろう。
「此の傷は人間に付けられた物だって言っても、御前は人間を信じられるのか?」
そっと翼を広げる。此処は屋根の上だ。此の程度なら見えない筈。
曦の少ない霄でもくっきりと分かる程歪に曲がった翼。骨から捩じれてすっかり癖が付いてしまい、最早千斬れても此の形に生える様になってしまった。羽根も疎らでちょん斬れているのや毛羽立っているのが殆どだ。
尾も服を裂かない様慎重に出してそっと前へ投げ出した。
甲は傷付き、欠けたり剥がれた跡が目立つ。欠けが酷くて肉が覗き、血が滲んでいる所もある。
そして最後にそっと服を捲って腹を見せてやった。
化物の手足や翼、尾と対照的に皓い肌には生々しい傷が幾つもある。特に昨日だったか蹴られた所為で出来た痣と、其の時斬れてしまった未だ血が固まった許りの傷は我乍ら痛々しく惨めな物だ。
彼は目を見開いて黙って私の尾を見遣っていた。
だが私が服を捲った途端顔を真赤にして又わたわたたと慌て始めた。
「ちょちょちょっ、何してるの!女の子がそんなはしたない格好しちゃ駄目だよ!ほら、ね、手離してよ。」
少年の手が添えられ、慌てて手を離した。
女の子?翼を見せたのに中々ユーモアのある呼び方だ。
はしたないだなんて、抑見世物小屋では服なんて無かったぞ。
少年は一つ息を付いて改めて私の尾を見遣った。
徐に手を伸ばして尾の先を触ったので少し避けたのだが、其の手が離れる事はなかった。
触るのが御好きな様で。そんな素手で触れて怪我しても知らないぞ。
私の思いなんて他所に其の儘少年の手は私の尾を撫でる。
正直、尾を触られるのは好きじゃあない。抑何処を触られるのも触れるのも好きなんかじゃない。
だって何時も触れられるのは殴られる時で、必ず其処に痛みを伴った。
でも彼の其は只々撫でる丈で、次第に触れられた所から熱を帯びて来た。
「痛いね、ぼろぼろだ。誰かを傷付けるのはいけない事なのにね。こんな事、君にする様な人がいるなんて。」
「そんな人間にしか会った事がない。」
少年は静かに頷いて、何故か本の少し潤った様に見える目で只、私の尾を見ていた。
「僕みたいにこんな怪我、直ぐ治っちゃえば良いのにね。ずっと痛いなんて辛い丈だよ。斯うやって触る丈でも手当になるんだって。でも触れない所も君は傷だらけで、僕には其の血を止める事も出来ないや。」
「必要ない。止めた所で、どうせ明日又血を流すんだから。」
「何で君ばっかりそんな目に遭うの?」
・・・そんなの、私が知りたい。いや、理由は分かっているんだけれども、認めたくなくて、理不尽だって、何時も私は怒るから。
「私が化物だからだ。」
「化物・・・嫌な言葉だね。そんな事、言われたの?」
「御前は言われた事が無いのか?」
「・・・無いよ。その、天使とかは・・・あるけど、」
成程、同じ翼でも醜ければ化物で、美しければ天使か。同じ生物でも同じ人間でもこんなに沢山いるのだから其の位の分類分けはされそうだ。
「でも、皓か黔かで分けるのは屹度良くない事だよ。正しさなんて何処にも無いのに、皆違うのが当たり前でしょ。」
「私の心迄もが化物だから強ち間違いではないと思うがな。」
「然うしなきゃ生きられなかったの間違いでしょ。」
本当、見て来たかの様な事を言うな。屹度此奴は今迄人間に害を与えられた事が無いのだろう。こんな街で化物が然う穏やかでいられる訳がない。
だのに人間は然う言う物だってまるで知っているかの様な。
彼は一体何なのだろう。如何して私に痛くない言葉を掛けるのだろう。そっと肩を抱く様な言葉を、如何してこんなにも、
「私が世界に嫌われているからだ。」
だから吐いた、呪いの言葉を。私をずっと縛って止まない言葉、告げた丈で背筋を冷たい物が零れる様な。
途端少年は目を見開いて、口を戦慄かせた。まるで聞いてはいけなかった言葉だった様に。
「そんな事っ・・・ない!絶対にっ!」
突如少年は私に詰め寄り、真赤になって声を荒げた。吃驚してついびくついてしまう程の声だった。
「そんな大声出したら誰かに・・・、」
「関係ないよ。僕は君に話してるんだ!」
怒ってる・・・のか?何で、御前に言った訳でもないのに。
恥ずかしがったり怒ったり、真赤になって忙しのない奴だ。
「世界って、全てって事でしょ。全て否定されているって事でしょ。そんなの、悲し過ぎるよ。あっちゃいけない事だよ。世界は綺麗な丈で惨酷かも知れない。でも全てが駄目だって事はないよ。本の一欠片でも捨てられない事があるなら、全てを切り捨てるのは余りに身勝手だよ。」
「・・・御前だって捨てられた癖に何でそんな事が言えるんだ。」
意地悪だって分かっている。でも、彼の言葉が只の綺麗事じゃないか確かめたかった。
一体、何を見て、何を感じてそんな言葉が出たのか、私には分からなかったから。
若しかしたら旻から堕とされた彼は向こうの世界で色々見て来たのかも知れない。彼にしか分からない言葉、記憶、私には共感も共有も適わない。
御前は今、一体何を見て然う言い募るんだ。
「簡単だよ。僕は君の事が好きだから、もっと知りたいと思うから。だったらもう世界じゃないでしょ。僕も君も世界の一部なんだから。僕がそんな呪いの言葉、否定し続けてみせるから。」
鼻で嗤う事も出来ない位、小っ恥ずかしい事を堂々と彼は言って退けた。
もう私達を隠してくれる陰霖も降っていないのに、見下ろして来る沢山の零星に宣言する様にはっきりと。
「・・・・・。」
私は笑い掛けの、引き攣った口の儘、彼を見る事しか出来なかった。
完全に侮っていた。余裕振って聞いていたらまさかそんな受け止め切れない程の剛速球で返して来るなんて。
・・・好きとかさ、そんな軽々言っちゃあいけないと思うぞ。況してや化物に、先会った許りの奴に使う言葉じゃない。其とも御前は博愛主義か。
彼は私の言葉を待っているのか真直ぐ見詰めて来る。如何やら冗談ではない様だ。
・・・此以上気不味くて痛まれない空気になる前に私も口を開いた。
「・・・分かった。」
取り敢えず、反論する言葉も見付からないし、此以上何かを言えば泥沼化しそうだ。
言いたい事はままあるが、今は黙った方が良さそうだ。
「じゃあもうそんな事、言っちゃあ駄目だよ。約束してね。僕も先の言葉に嘘はないって誓うから。」
・・・・・。何だか、もう如何でも良くなって来たな。先迄の自棄とは違って、もう色々難しく考えていた事が馬鹿らしく思えて来た。彼と話すには、此の世界で積み上げられた倫理も価値も常識も要らない。
邪魔な物を捨てたら、何が残っているのか、彼の頃の私丈が彳んでいる気がした。
今直ぐ全て捨てるのは勿論難しいが、少し位は遠ざけられそうだった。
「・・・少し丈、飛ぶか。」
「え、ほんと!やったぁ、僕何時も独りで飛んでるの寂しかったんだ。其の相手をまさか君にして貰えるなんて、本当に嬉しいよ。有難う。さ、早く飛ぼうよ!」
「ちょっ、そんな急に、」
何処のスイッチが入ったのか、小さな呟きすら聞き逃さず、突然少年は立ち上がって私の腕を掴んだ。
結構力が勁い。引き摺ってでも飛びたい様だ。
屋根から転げ落ちる前に私は立ち上がって翼を広げた。
今は闇霄だ大丈夫。高く飛べば屹度見えやしない。
自然強ばる翼を然う宥め、緩り翼を動かす。
ちらと見遣ると少年も翼を今一度広げてもう既に羽搏かせていた。
・・・彼のが余りにも皓く眩しいから目立たないか心配だが。
「行くぞ。」
地を軽く蹴り、粗垂直に飛び上がる。音を余り立てない様に真直ぐ翼を広げて尾で舵を取り、円を描き続けた。
周り乍ら眼下の少年を見遣るが矢張り中々飛び立たない。ぼけっと此方を見て瞬きを忘れた様だ。
高度を下げて慎重に辺りを見遣る。・・・出歩く人間は居ない様だな。明かりも少ないし、見付かってはなさそうだが。
「・・・早く飛べ。」
「凄い、如何やってそんな真直ぐ飛べるの?」
矢っ張り飛び方が分からなかったのか。自分から急かした癖に。
別に私は飛び方を学んだりはしなかった。本能と言うか躯に感覚が残っていたので其に従う丈だった。
教わらないと飛ぶ事すら儘ならないなんて何とも不憫な奴だ。
・・・でも然うか。親だとかに教わる前に御前は此の世界に堕とされたのか。矢っ張り不憫だな。
「薫風を抱く様に内側で掴むんだ。尾で調整すれば引っ繰り返る事もない。翼の先迄神経を通して力を緩めず羽搏け。」
「尻尾を?噫そっか、成程ね。分かったよ、一寸待っててね。」
・・・此の様子だと先は長そうだ。
少年は尾を出し、一層翼を伸ばして広げ、勢い込んだ儘羽搏く。
・・・確かに力強くはあるが、未だ硬いな。抱く様にと言ったのに其じゃあ扇をばたばたさせているのと一緒だ。薫風を遠ざけて如何する。
「んー、中々飛べないなぁ。」
「もっと翼を曲げろ、出鱈目に羽搏いても飛べる訳ないだろう。翼を丸めて薫風を閉じ込めろ。」
「こ、此で如何?」
・・・未だ硬い。寧ろ良く90度に曲げられたな。翼が折れそうではらはらする。
「・・・はぁ、だから、」
もどかしさから来る苛立ちを何とか呑み込んで、彼が飛べる様になる迄私は指導を続けた。
・・・・・
彼からもう何丈経ったか。上り掛けだった新月はもう真上近い。
何とか初歩的な、正に只飛び立つと言う事をやっと出来る様になった少年は嬉しそうに飛び回っていた。
・・・正直今迄飛んでいたと思っていたのは只凱風に乗って滑空している丈って物で、自ら上昇すると言うのは初めての様だった。
私は少し飛び飽きてはいたのだが、抑一緒に飛ぶのが当初の話だったのだ。此処で飛ばないと意味がないと私も彼に続いた。
「凄い!とっても躯が軽いや。初めてちゃんと飛べたよ。有難う、教えるの上手だね。」
「・・・飛ぶ丈でこんなに掛かったら先生としては失格だと思うが。」
一所懸命に見ていたつもりだが、結果が此では様ない。
抑誰かに何かを教えるだなんて初めてだし、其があろう事か人間相手には先ず必要ない旻の飛び方なのだから此の辺りが妥協点とも言える。
「うぅ、悪かったね。出来の悪い生徒でさ。」
少年は拗ねた様に口を尖らせるが、もう一度羽搏くと又元の笑顔に戻った。
「でも本当に嬉しいよ。誰かと旻を飛べるなんて思ってなかったから。」
「・・・まぁ然うか。」
此方としては未だ危うい彼の飛び方をはらはらし乍ら見なければいけないのでそんなに楽しめていない。
でも、確かにこんな風に誰かと飛ぶのは、何だか難痒い様な不思議な感覚がずっと胸の奥で燻って新鮮な感覚だった。
抑晴れた旻なんて飛んだ事が無かったから、全ての感覚自体が新鮮だったのだ。
濡れない翼は軽く、冷たくもないので何処迄も羽搏けそうだった。
街の色々な馨を乗せる薫風は何処か軽やかで、其を掴もうと疲れも忘れて飛んでしまう。
若し赦されるならずっと斯うして何もかも忘れて好きに飛べたらと思った。
「ね、ほら、今日は氷鏡も眠ってる。此の旻は誰も知らない僕等丈の旻だよ。此の世界に今、僕と君しかいないんだ。」
暫く然うしていると氷鏡を見上げて少年は呟いた。凱風の中でも其の声は流れる様に自然に聞こえた。
何時の間にか世界は其の凱風の音のみになっていた。私達が羽搏く事を止めれば此の音も消えてしまうだろう。氷鏡の瞬く音が聞こえそうな程の静かな霄に、彼の声丈が響く。彼の声が世界を創って行く。
相変わらず不思議な事を言うな、と私は黙っていた。彼が続けるのを只待った。
「だからね、僕は君の幸せを願うよ。君は世界に祝福されているんだ。世界を捨てないでよ、僕はもっと君の隣をこんな風に飛んでみたいんだ。」
「何で・・・そんな事、」
如何して会った許りなのにそんな言葉を掛けるんだ。
こんな好意を、私は知らない。祝福なんて音、初めて聞いた。
出来過ぎた話・・・と言うより、私の知らない物語が其処にある気がした。
彼しか知らない、彼にしか見えない色と世界の物語。
御前は私に何を見た?
如何して・・・私なんかに寄り添う。縋る様に手を伸ばす。
「何でって・・・っわっ!!」
少年が考え込む様旻を見上げる。すると彼の翼は硬直してしまって真直ぐ落ちてしまう。
考え過ぎて翼の動かし方を忘れたか。一体何をやっているんだ。
「お、おいっ!!」
咄嗟に手を伸ばすと必死になって彼も其の手を掴んだ。
お、重い・・・っ、こ、こんな体勢で誰かを持った儘飛ぶのは、
「有難う!・・・はは、僕未だ未だだね。助かっちゃった。」
咲う彼を見て、私は僅かに目を見開いた。
私は、彼を助けるつもりだったのだろうか。其の為に手を伸ばしたのか。
いや、屹度・・・私が離したくなくて手を伸ばしたんだ。
何でかなんて全く分からないけれど、彼と話して私の中の私が、此の世界の嘘や芥や、澱みに埋もれていた彼の日の私が、必死に何かを叫んでいる気がした。
此の手を、離してはいけないと。
私のこんな黔い化物の手を躊躇なく掴んで、咲う彼を。
瞠目して固まってしまった私の手を支えに彼は自力で体勢を直して飛び立った。
「えと、何の話だっけ。」
言って又悩む少年を私は面倒と分かってい乍らも心配せざるを得なかった。こんな事で無限ループなんて始まってしまったら私は耐え切れずに何処かへ飛び去る恐れがあった。
止む無く助け舟を出そうかと思い至った所で少年はやっと口を開いた。
余程落ちた事がショックだったのか。確かに私も肝が冷えたが、そんな事で忘れる程度の話ではないので止して欲しい。
「然うだった。何で先の事を言ったかだっけ。・・・えと、改めて言うのは一寸何か恥ずかしいんだけど。・・・僕思った事其の儘言っちゃう癖があってさ、余り知らない人と話すの苦手だから。・・・うん、実は僕ね、確かに此処に堕とされて良かったとは言っても、一寸寂しかったんだ。誰か一緒に居てくれないかなって思ってたんだ。」
「・・・其で偶々私を見付けたのか。」
其でも普通声は掛けないと思うが。特に陰霖の中只陰霖に打たれて項垂れている奴なんて、殆ど死人じゃないか。
「うん。君だったら良いなって。一緒に居たいなって思ったんだ。・・・あ、御免ね、急にこんな、別に強制とかそんなんじゃないから、今霄話せた丈でも僕にとって素晴しい霄になったよ。・・・だからかな、惜しくなっちゃったって言うか、うん、惜しんじゃって、此の儘別れたくないなって。本当御免ね、依存とかじゃないんだ。その・・・噫もう何て言うんだろ、」
「・・・・・。」
頭を抱えて呻く彼を見て、又私は言葉を忘れていた。
何本気で小っ恥ずかしい事口走っているんだ。
でも、惜しいとか、私を欲して貰う事なんて・・・無かったな、求められた事は。
私を見て、飼いたいだの言った彼奴等と違って、彼は私と化物を切り離して見てくれた。私は化物で、化物が私なのに。まるで然うじゃないと、彼の日の私丈を見据えてくれる様な、私じゃない私を知っている様な。
・・・彼の日の私に、そっと傘を傾けてくれている様で、
何だろう此は難痒い様な、胸が熱くなる様な。
そっと胸元に手を置いて一つ息を吐いた。
私は何て応えたいのか。私は其に何を感じたのか。
「然うだね。・・・せめて僕がちゃんと飛べる様になる迄僕の先生になってくれないかな。其が終わったら改めて考えてくれたら良いから、ね。」
「・・・分かった、ガルダ。」
「っ!僕の名前。・・・呼んでくれるんだね。」
「一緒に居るのなら名前位分からないと不便だろう。」
「然うだね。・・・けど僕、ガルダリューって名前なんだけど。」
「何だ、渾名のつもりだったが。フルネームだと少し長いだろう。」
罰の悪い顔をしていた彼は其の一言でぱっと顔を上げた。
「渾名・・・そっか。然うだね。・・・うん。僕も、然う呼んで欲しい。」
然う言って宙を仰ぐ彼の目は何処か遠くを見ている様だった。
「何だか世界に赦されているみたい。有難うセレ。でも本当に良いの?こんな安請け合いして。君は気分屋じゃないと僕は信じてるけど、何かする事、あったんじゃないの?」
確かに安請け合いだろう。思い付きで答えた風にも見えるかも知れない。
でも決意した直後にもう揺さ振りは掛けないで欲しい。
私を想って然う心配してくれているのなら然う嬉しい事はないが。
「別に只歩いていた丈の道だったし、私こそ誰彼構わず付いて来る様に思われるのは心外だな。御前だから、私は決めたんだ。」
「そっか・・・。はは、何だか嬉しいな。うん。・・・此から宜しくね、セレ。」
「噫、此方こそ。」
彼が飛べる様になる迄。そんな仮の期限での約束だったが、其の約束に何の意味もない事位私は既に知っていた。
でないと、名前を呼ぶだなんて如何にも執着を見せ付ける様な事、放浪していた私がする筈ないのだから。
・・・・・
「さ、行こうよセレ。」
「・・・絶対嫌だ。」
翌日、私は彼の家だった小屋の中心で駄々を捏ねていた。
彼の後何だ彼だで矢張り疲れが出て飛べなくなってしまったので小屋へ戻ったのだ。
誰かと寝たのは初めてだったので緊張してしまって全く眠れていない。
離れて寝る様何度も注意したが、寝心地の良い毛布は一枚しかなく、一緒に寝た方が温かいと正論を上げられてしまって、結局私が妥協するしかなかった。
翼が邪魔だからと向き合って寝るのは慣れなくて嫌だったが、寝床が温かいと言うのは初めての事で何とも言えない心地良さはあった。
怒鳴り声も暴力もない晁はなんて素敵だろうか。
晁は何時もの雨雲で覆われていて、彼の約束を誓った旻はもう永遠に閉ざされていた。
「ねぇセレ、でも外行かなきゃ。食べ物探さないと。」
・・・然うだった。こんな珍しく今日は何か良い事がありそうだと柄にもなく、根拠の無い期待を予感した晁だと言うのに、其を壊したのはガルダだった。
外に行こうと言うのである。こんな晁っぱらに。馬鹿じゃないんだろうか。
出掛けるのは決まって陰霖の降る霄のみである。遠い昔の私が立てた生き残る為のルールである。
此を破った事は殆どない。そして其の時は決まって酷い目に遭った物だ。ルールを破った手痛い代償だ。
生きるには食べ物が要る。其は嫌って程分かっている。でも其の為に大怪我を負えば、明日はない。
そんな事、嫌でも私は分かっているのに、其の意味を私は絶対彼より知っている自信があるのに、彼に主導権を握られている風なのは少々癪だ。
「今日は教会の方へ行きたいんだ。パンをくれる小父さんが居るんだよ。」
「・・・御前何時か誘拐されるぞ。」
パンをくれる?そんな事ある訳がない。とんでもない物好きか、変人ならあるかも知れないが、何の道そんな輩と付き合うつもりはない。
甘い言葉は毒から染み出る物だ。一度食べてしまえば嘗ての私の様に此奴も羽根を毟り取られてしまうだろう。
「もう、じゃあセレは如何したいの?」
「寝る。行動するのは霄になってからだ。」
「ええ!?起きた許りだよ?霄は真暗だし。じゃあせめて遊ぼうよ。」
此奴とは根本から考え方が随分違う様だ。
私にとっての+面を全て−面に取られるし、御負けに遊ぶなんて先ず選ばないアクションを選択して来た。
正直遊ぶって何をするのか分からない。唯一知っているのは自分の尻尾を追い掛けて回る事位だが、馬鹿っぽいし、一体用の遊びである。直ぐ飽きるので御勧めはしない。
・・・此だと押問答か。乞われたとは言え、此処は彼の家で、私は彼に厄介になっている。此処には此処のやり方があって、其のノウハウは当然向こうが知っている物だ。新参者が牙を立てて良い事じゃあない。
とは言え遊ぶのは矢張り乗る気がしないので、せめて其の教会位には行こうか。
・・・此の妥協し続ける生活に私は何丈耐えられるのだろう。でも彼丈付いていた溜息を未だ一つもしていない内は如何にかなりそうな気がした。
・・・・・
結局教会迄私は彼に付いて行った。
彼が表通りなんて歩こうとする物だから、其丈は絶対に譲れないと引かず、如何にか彼を裏路地へと導いた。
フードを目深に被って息を付く。震えそうになる躯を押さえた。
矢張り人間は恐い。何丈強がっても、殺しても、敵意より先に恐怖が芽吹く。其は数々の植え付けられたトラウマの所為だろうか。
其等を何時も私は人間や、此の世界に対する怒りで無理矢理押し潰していた。
「ほら此方、逸れないでね。」
でも今は其の忌む可き手を彼に引かれて歩いていた。
柔く握った掌、其は不思議と温かくて心地良かった。
此から人間に会いに行くって言うのに。ずっと斯うしていたい様な温度が其処にはあった。
・・・私は彼に対して少々、否、度が過ぎると言って良い程、心を赦し過ぎていた。
こんな簡単に触れて、其に嫌悪も抱かないなんて。
以前の私が見れば、如何かしていると罵倒するだろう。
分かっている。分かっているのに、其の手を私は振り払う事が出来なかった。
其は彼を見る度、声を聞く度、触れる度に胸に過る懐かしさの所為か。
初めて会ったのに、如何して斯うも春の野原を戦ぐ微風の様な温かさが込み上げるのだろう。
何時迄もそんな答えの出ない事を繰り返し考えて、痺れてしまった頭の儘、只私は彼に付いて行った。
私の知らない世界を沢山持っている彼をもう少し見ていたかった。只其丈だった。
「あ、着いたよ、此処。」
突然の彼の声で目が醒める。
慌てて前を見遣ると半分崩れかかった様なくすんだ皓い教会が立ちはだかっていた。
嫩草は伸び放題で、柵も壊れている。もう此処は廃墟なのだろう。
抑神に捨てられた世界である。信仰した所で届きもしない其を人間が拝み続ける訳もなく、殆どの教会はこんな有様だろう。
視線を逸らし、何となく声のする方を見遣って目を剥いた。
人間だ。人間が居る。
数人、教会の前で立ち話をしていた。
成程、教会としてはもう機能していなくても、斯うして人間が集まる場位にはなるのか。
彼はちらと此方を見遣り、駆け出そうとしたので慌てて私は手を離した。
幾ら惚けた頭でもそんな馬鹿な事はしない。
今の一瞬人間を見た丈で心臓は動悸を打ち、隠していた翼や尾は毛羽立ってしまった。オーバーコートの上からでも明らかに歪なので早く宥めないと。
急いで煉瓦塀に隠れた私を溜息混じりに彼は見遣って其の儘人間の輪に入って行く。
・・・危なかった。彼の儘連れて行かれたら地獄を見ていた。
ついつい小さく縮こまって、でも彼を置いて帰る訳にも行かなくて、私は恐々塀から様子を窺った。
ガルダを見付けた途端人間達はぱっと表情を綻ばせた。そして何事か楽しそうに彼に語っている。不意に伸ばされた手がくしゃりと彼の頭を撫でた。
理解出来ない状況に私は只目を剥くしかない。
只の人間の餓鬼だって斯うはならない。然う言えば彼は天使だとかと人間に言われていたんだっけ。
然うか、つまり人間に可愛がられていると言う事か。
増々人間が良く分からなくなる。そして何だか複雑な気持だった。
・・・別に私がいなくても、彼は寂しくなんてないんじゃないか。彼と一対一にはなれないんじゃないか、と。
不思議と胸に湧くのは苦々しい塊丈だった。
・・・まぁ私よりも彼の方が性格が良いのは事実だ。コミュニケーションの取り方なんて私は知らない。威嚇でしか声は発して来なかった。
其に別に私は其処迄、あんな風に接して欲しいとは思わない。あんな人間に触れられたら恐くなる丈だ。
でも・・・其でも、こんなの、余じゃないか。こんな風に見せ付けられたら、何も思わないなんて事、ないんだから。
暫くすると彼は私へと手を振って来た。人間もちらちらと此方を見遣る。
誘われている・・・のか?無理だそんなの。未だ翼だって整っていないし、
慌てて首を左右に振ったが、彼はずんずん近付いて来て私の手を掴んだ。
無理だ、絶対にそんな事。此の後如何なるか位、私は十分に分かっているんだ。
ぐい、と手を引かれる。結構力が勁い。抵抗しても此じゃあ連れて行かれてしまう。
「待ってくれ、私は行きたくな、」
「駄目だよセレ。御近所さんなんだし、ちゃんと挨拶しなきゃ。」
必死に搾り出した声も、訳の分からない理由で否定され、私は人間達の前に曝け出されてしまった。
今は陰霖が降っている。だのに人間は顔を上げて私を見ている。
止めろ、見るな。私は、其の目が、人間の一番嫌いな所なんだ。
人間達の目は好奇を湛えていた物から、次第に怪訝な物へと変わる。
冷汗が頸筋を伝って髪が貼り付き、気持悪い。
顔を上げるな、目を見なければ、未だ私は、
「えと、此の子が君の友達かいガルダ君。」
「うん。セレって言うんだよ。僕より飛ぶのが上手なんだ。」
「噫じゃあ此は翼なのかい?少し見せて貰えないかな。」
「ね、セレ、一寸丈オーバーコート取ってくれるかな?皆君の翼を見てみたいんだって。」
「ま、・・・いや、私は、」
彼が私のオーバーコートに手を掛けたので慌てて其の手を退けようと掴む。
しまった、こんな所で気付くなんて。
翼丈じゃない、私の手だって化物だって言うのに、
「っ、な、何だ其の手はっ!?」
私の真黔で歪に曲がった爪を宿した手を見て、人間がたじろぐ。
慌てて手を引っ込めるがもう遅い。見間違いではないと分かる程はっきり見られてしまった。まさか斯うも晒す事はないと、繃帯も切らしていたので其の儘にしていたのだ。だのにまさかこんな事になるなんて。
じろじろと人間の目は私の化物を余す事なく探そうと注視する。
逃げないと、でも彼を置いては、如何にかしないと。
騒がれる前に殺すか、でも此処じゃあ直ぐ人目に付く。其に今はガルダが、
足が動かない。考えも纏まらなくて焦り丈が募って行く。
「っ、此奴尻尾があるぞ。蛇みたいな・・・気味悪いな。」
「足も若しかして真黔なんじゃあ、」
声に熱が籠って行き、さしものガルダも不安そうにきょろきょろと見渡した。
そしてそっと私の肩に手を置いたが、私は只堪える丈だった。
噫、此の儘じゃあもう直ぐ、
此奴等は至って普通の人間だ。私の良く知る人間だ。だからもう直私はああ呼ばれてしまうだろう。飽き飽きする程呪いの様に付いて来る渾名で。
「此奴、餓鬼じゃねぇぞ、ばっ、化物だっ!!」
呪いが放たれ、指差された所でやっと私の背は弾かれた様に震えた。
もう何も考えるな、足を動かせ。止まったら死ぬぞ。
目を見ず、声も発さず、私は其の儘背を向けて駆け出した。
背中に何かが当たる。
礫だ。礫を投げられている。でも素人の手だ、怪我する程じゃない。鉛玉じゃないのだからこんなの簡単だ。
背後でガルダの声が聞こえた気がした。でも振り返る事も、其に聞き耳を立てる事も、今の私には出来なかった。
兎に角角を曲がって、姿を隠す。
角を四つ位曲がれば流石に追い付けまい。土地勘が無くても其位。
一つ二つと曲がり、足に力を込めた所で上体がぐらついた。
此、は・・・、
冷汗を掻いた所で遅い。縺れた様に足が砕け、ペシャッと野暮ったくも転けてしまう。
何しているんだ、直ぐ立って走らないと。こんな所で油売ってる暇は、
でも胸を突く痛みが其を許さない。そして其の痛みはあろう事か両足に迄及んでいた。
何でこんな時に、何時も何時も私の足を引っ張る。儘ならない躯なんだ。
此の痛みは、何時もの彼の成長痛だ。でも今回のは割ときつい方だ。最近は余りなかったのに。
胸が苦しくて息が出来ない。此じゃあ気絶してしまう。
こんな所じゃあ見付かってしまう。こんな手足、直ぐ気味悪がられて殺されてしまう。
動け動け、こんな所じゃあ、
何度諦めた生でも、こんな終わりを期待しちゃあいないんだ。
「っ!セレ、良かったやっと見付け・・・っ、如何したの凄い汗だよ!」
這ってでも進もうとした所で不図影に覆われる。
思わずびくついたが、序で降って来たのは礫でも拳でもなく、柔らかな少年の声だった。
屈んだ彼は私の顔を覗き込み、酷く焦った様子だった。
でも既に私の目は霞み始め、彼の顔をちゃんと見る事すら出来なかった。
「・・・顔色がすっごく悪いよ、ねぇセレ!」
「は・・・やく、に・・・げな・・・っ、」
もう息は吸えない。潰れた所為で喉を通る声は熱く、痛みを残す。
掠れた声で呻き声とも譫言かも最早分からない事を呟いていた。
でもそんな声でもガルダには届いたらしい。静かに影が頷いたのを見届けて私は目を閉じた。
意識迄も閉じる直前に私の全身を浮遊感が包んだ。
此で終わってしまうのか、此処迄なのか、
後悔も悔しさも走馬燈も見る間もなく、呆気なく私は気絶してしまった。
・・・・・
「っ・・・、」
不図目が醒めてそっと辺りを見遣った。
又・・・私は生かされたらしい。熟悪運が強い。まぁ生きていた丈で、生きられる訳ではないので未だ安心は出来ないが。
如何言う訳か毛布の上で寝かされていたので慎重に起きて足を擦る。
・・・甲が大きくなって、黔くなっている脚の殆どを埋め尽くしている。此処が一新されたからあんなに痛んだのか。
だとすると此処は・・・、
「セレ!やっと起きてくれた!如何?何処か痛い所とかない?大丈夫?」
突然背後から声を掛けられて思わず上体が跳ねる。
完全に怯えてしまっている。一度斯うなると中々治まらないのだ。だから何時も先手を取って威嚇をするのに、今回は初手で出遅れた。
落ち着く様意識し乍らも振り返ったが、なんて事はない。傍にガルダが座っていて、此処は彼の小屋だった。
私は確か人間から逃げている途中で気絶して・・・。若しかして此処迄彼が運んでくれたのだろうか。
「・・・御前が運んでくれたのか?」
「え、あ、うん。そんなに離れていなかったし。」
「然うか。・・・助かった。」
今回も割と危なかった。未だ生きているのが、自由なのが不思議な位だ。
「ううん、僕こそ御免。あんなにセレは嫌がっていたのに僕が無理言って連れ出しちゃったから。・・・御免なさい。」
「・・・別に彼は分かり切っていた事だ。私は其を承知の上で行ったのだから。」
「僕はそんなの全然承知なんてしていなかったよ!・・・分かっていたなら、こんな酷い事、させなかったのに。」
「言った所で御前は先の出来事を想像出来たか?」
出来る訳がない。あんな風に愛されていたのなら。私だって天使があんなに可愛がられるだなんて知らなかったのだから。
知らない事を責めずとも、愚かだと詰る事は出来る。でも其は私も同じだ。
こんなにも違い過ぎる世界を想像出来る訳がない。
だが彼は酷くショックを受けた様に、責められたかの様に辛そうな顔をした。
顔を伏せて歯噛みし、息を付く。
「・・・僕が馬鹿だった。知らなかった訳じゃあなかったのに。あんな大事な事、忘れていたなんて。何の世界でも、群は異物と変化を嫌うんだ。風習に促されて、人間であろうと、なかろうと。」
「経験でもあるのか。」
適当に吐いた訳でも、同情でもなさそうだった。
彼でもそんな扱いを受けた事なんてあるのか。
・・・然う言えば彼は向こうの世界では捨てられたと言っていた。若しかして前はあんな風に扱われていたのか?
「・・・いや、僕も異物だったけど。いや、だからこそ何処に行ってもちやほやされたよ。皆優しくしてくれたよ。普通にはなれない物だよね。恵まれているのは分かっているんだけど。」
何処でも特別扱い。
確かに其も又異物への対応かも知れない。私と天と地の、真逆な対応と言えども。私達は只の外見で判断されている。其の事実は変わらない。
彼も私も、普通になりたい丈なんだ。人間になるのは真平御免だが、何もしないのだから何もして来なければ。
そして出来れば、誰も、何からも干渉されず、一体の儘でいさせて貰えれば、
「君は其を態々教える為に無理して付いて来てくれたの?そんな怪我して迄。」
「別に彼は怪我をしたんじゃない。持病みたいな物だ。偶にああなって動けなくなる。」
あんな素人の礫如きで何処かを痛めたなんて、軟弱に思われたくはない。
「然うなんだ・・・。大変だね、又痛くなったりしたら言ってね。ちゃんと連れて帰るから。」
「・・・噫。」
成る可く世話になるつもりはないが、今回みたいな事もある。驕る訳には行かないからな。プライドなんて手折らないと。
「でも本当、何で君丈なんだろう。手や足が少し黔い丈で、翼や尻尾があっても御喋り出来るし、一緒に遊んだり出来るのに。」
「知らないからだろう。」
其についてはもう結論が出ている。人間の習性を目の当たりにする事は良くあったから。
「咬み付くかも知れない。引き裂かれるかも知れない。喰い殺されるかも知れない。真黔な目は何を考えているのか分からないし、飛べるから何処から襲われるか分からない。こんな尾なんて見た事ないし、其なのに人間擬きが一丁前に喋ったりしたら、気持悪いだろう。不可解で歪で。」
「・・・そんな事、誰が言ったの。」
「今迄会って来た奴等全員の意見だ。私は然う言う化物だ。」
「違う、違うよ。何一つ合っていないよ。君は僕より飛ぶのが上手で、頭が良くて、僕と一緒に居てくれる、其が君でしょ。」
「・・・昨日会った許りなのに随分知った口だな。」
此は夢じゃないかと昨日から付き纏う考えが纏まらずに蟠る。
まるで何処ぞの物語の御姫様みたいに、自分が中心で、全て自分に都合が良い様に世界が回る。
彼の存在が、私が創り出した私に丈都合の良い人形に思えてならなかった。
手を引いてくれる、新しい世界を見せてくれる。私と全く同じと言わない迄も、人間以外の、少しでも私に近しい存在を。
・・・然うだとしたら些か彼は甘く出来過ぎた気がするが、胸焼けがする位優しい物を無尽蔵に彼は注ぎ続けるから。
でも然う思うと寒気に襲われるから其を耐える様私は彼を疑ってしまう。つい突き放す様な事を言い、態と挑発する様、試す様に問い質す。
本当に、私の知らない間に随分私は歪んで、酷い性格になった物だ。
「でも先会った人達よりは少なくとも君を知ってるよ。君に石を投げた人達も知ってる。でも如何して石を投げるのかは僕には分からなかったけれど。」
「嫌でも分かる様になる。こんな化物なんかと付き合ったらな。」
「化物なんかじゃない。セレだよ。僕に然う言ってくれたでしょ。」
綺麗事だ。
然う口を動かすのも大儀くて、私は黙って彼を見た。
中半、諦め切った目で。
然う言う慰めは昔ナレーから耳に胼胝が出来る位聞いた物だ。腹の足しにもならない戯れだ。
「じゃあ然う言うなら僕にもセレの世界を見せて。君を留めたのは僕だ。君を僕の世界へ引き摺り込んだんだから僕も踏み込まないと。・・・一緒にいるって然う言う事でしょ。」
だのに時々見せる彼の私への歩み寄り、其は何て対処すれば良いのか未だ私は決めあぐねていた。
私を遠ざけるのとも、只受け入れるのとも違って、自ら私の中へ入って来る。
威嚇した所で彼は私の中に入ってしまっている。一体、此は如何する可きなんだ。
私は何も言えずに、只視線を下ろした。
其を彼は肯定と見たらしい。乗り出し始めていた上体を戻して一つ息を付く。
・・・取り敢えずは様子見だな。彼が飽きる迄一先ず見てやろう。
若しかしたらの若しもで、彼がくれる物が、昔の私が欲しがった物に少し似ている様な気がしたから、其が分かる迄。
「・・・私は人間を沢山殺して来た。其でも御前はそんな私の世界を知りたいのか。化物じゃないって言えるのか。」
・・・いや、見る丈なんて駄目だな。私はそんな事が出来る程の御身分じゃない。
私だって、足を出さなければいけないだろう。世界を呪って許りじゃあ何にもならないのだから。
其に此は黙っていては、隠す程に重くなる物なのだから。
もう私の姿は人間に見られた。化物なんて私以外に聞かない。何丈街が離れていても、何時か彼の人殺しの化物と黔の化物は繋がってしまうだろう。
然うなれば嫌でも何時かガルダの耳へ届くだろう。彼は人間社会に受け入れられているのだから。
其丈は嫌だった。其の後彼に詰問されたくなかった。然うなる位なら此処で吐いてしまった方が楽だった。
此が原因で彼と袂を分かつ事になろうとも、構わない。仕方のない事だ。私に出来るのは只辛い未来の先延ばし、もうなかった事には出来ないのだから。
「其は・・・先の様な目に遭ったから?もっと酷い事されちゃったから?」
意外にも彼は直ぐ否定しなかった。殺すなんて事、彼には非日常だと思っていたのに。僕の友達、人間を殺すなんて、と責められる覚悟はしていたが。
まさか先、知っていたのに、と言ったのは斯う言うのも含めてなのだろうか。
「其もあるが、殺され掛けたから殺し返した以外に、仕事だとか、食料を盗む為だとか・・・嫌いだったからとか。」
理由は殺す度に曖昧になっていた。成る様になったとしか言えないのだ。
殺す事が普通になる。其は決して普通の事じゃない。其とも普通じゃないと未だ理解出来ているのはましな方なのか。
「仕方なかったって言うのは余り認めたくないけど、でも然うしないと此の世界は君が生きるには余りにも厳しかったんだと思う。生きるから罪が増えるんじゃなくて、生きる為には罪が必要だったんだよ。君は賢いから屹度殺す事の意味も覚悟も分かっているもんね。」
言葉を慎重に選んでいる。
彼は時偶考える様に視線を下ろすのみで、決して泳がせたり逸らしたりせず私を見ていた。
「其はいけない事だって、口に出すのも嫌な言葉だって、先ず僕は思うけど、でも殺す事も決して簡単じゃないんだよ。楽な道じゃなかった筈だよ。だから君の思いがあってしたのなら僕は其を責めたりはしないよ。」
「優しい事しか言わないな。私の都合の良い言訳だ。遠慮せずに言ったら如何だ。人殺しだって。こんな目に遭うのも自業自得だって。」
「然うだね、僕と君丈の世界なら先の通り終わっていたんだけど、此処には人間とか、他の存在が沢山居る。皆が皆事情も理由もあるから単純な話にはならない。君を人殺しだって憎む人も怨む人も嫌う人も、悲しいけど沢山いる。だからせめて此以上増やさない様に、今から殺さない努力を僕としてくれない?努力をする事自体は悪い事じゃないんだから。自分で、決めた事だからね。」
「罪が消える訳じゃない。何時か裁かれる事になってもか。逃げ続けるには殺し続けるしかない。もう一度足を踏み外したんだから。」
何時迄も咬み付く私にうんざりすると思ったのに。彼は其の一つ一つに真面目に答えてくれた。
其に何の得があるかも知れないのに。
「僕は・・・良く考えてから判断したい丈なんだけどね。君の行いも一生も全て見詰めて、未だ裁かれる機会がある丈ましかも知れない。背負い続けるのも辛いからね。だから其の時迄は君は抗い続ければ良いと思うよ。必死に生きようとした丈だよ。でも君になら分かる筈、方法は屹度一つじゃないよ。君も一緒に考えて、終わらせる以外の抗い方を。」
・・・難しい事を言うな。彼は決して私を非難しない訳じゃない。全て受け入れた訳じゃない。只、考える時間が欲しいから、私を見たいと言う事か。
全てを諦めるには早いと。本当に其で良いのか、一緒に考えようと。
・・・うん、然うだ。其なら出来るかも知れない。頭の隅には残せるだろう。
責め苦も慰めも今迄あったが、一緒に考えたのは彼が初めてだった。自分の意見を押し付けず、私に選択をさせてくれたのは。
「・・・あ、御免ね。病み上がりなのにこんな喋っちゃって。疲れちゃったでしょ。もう大丈夫だから緩り休んでよ。」
然う言ってそっと背中を彼が擦ったが、背中は苦手だ。
其以上触れられる前に私は大人しく横になった。
別に疲れていた訳では無いが、其の声に逆らう気も起きなくて。でも確かに躯は少し疲れていたらしい。成長痛の影響だろうか。横になると先の言葉を廻らす前に私は意識を投げ出していた。
・・・・・
「ね、セレって何が好きなの?」
「好きな物・・・?唐突に何だ?」
急過ぎて答えに困る。
今日は久しく激しい陰霖に降られ、ガルダと二人で小屋に蹲っていた。
斯う言う時、二人と言うのは難しい。
一体だったらずっと寝ていれば良いのだが、何だかガルダがうずうずしていると言うか、何かしたさ然うだったので眠るのも悪い気がして只惚けていた。
でも喋るにしても其の話題は難し過ぎる。好きな物って何なのだろう。漠然とし過ぎじゃあないだろうか。
一応辺りを見遣って少し考える。
・・・幸い、私の好きな物と言うのは此の世界に余りない。其の為簡単に答えが見付かった。
窓の外を見れば直ぐ見付かる物なんだ。此程御手軽な物はないだろう。
「陰霖・・・だな。静かで、私を隠してくれる。陰霖の降る霄は特に好きだ。只降られている丈でも落ち着く。」
少し寒いのが唯一の欠点か。
でも只降られて全身を濡らすと少し丈、彼の闇の温もりに似ている気がして落ち着くのだ。斯う今みたいに窓から眺めている丈でも癒される。
「陰霖かぁ・・・じゃあ此の世界はセレにとってずっと良い天気なんだね。晴れが珍しいから街の皆は晴れが好きな人が多いけどね。神様が居る日だとか然う言うらしいよ。でも屹度陰霖も嬉しいと思うよ。セレに喜んで貰えて。」
陰霖が喜ぶ・・・?相変わらず不思議な事を言う。
「御前も晴れの方が好きなんだろう。散歩に行くんだから。」
私と違って彼は人間寄りの生活をしている。日々のリズムの中に人間との交流がある位なのだから。人間と好みも似て来る筈だ。
「うーん然うだね、遊びに行けるし。でも最近は陰霖も好きになったよ。だって今日みたいな天気ならセレと一日御喋り出来るからね。だから毎日僕は幸せだよ。」
然う言って彼は笑うが、思わず私は顔を背けてしまう。
此方の方が気恥しくなるとか・・・如何なってるんだ、一体。
こんな媚び売ってる様な事を言っているが、此が彼の素なんだよな。
最近分かった事だ。彼は御世辞も言えない。驚く可き事に先のが彼の本心なのだ。
疑わなくて済むのは良い事だが、其の反面真意が分かってしまうので中々正面から受け止め切れないのが難点だ。
私は、迚もああは成れないからな。
「あ、然うだ。此処で遊べば良いんだよ。そしたらセレとも一緒に居られて遊べてで最高だよ、ね?」
「・・・まぁ良いか。一体何をするんだ。」
遊ぼうと言われても私は何をすれば良いのか皆目見当が付かない。
孤児達が楽しそうに走り回っているのは見た事があったが、彼が一体何をしていて、何が楽しいのか迄は理解出来なかった。
・・・無駄な事はしない主義だったが、暇だから付き合うと思う様になったのは、私にもゆとりが出来たと言う事だろうか。
だとしたら・・・少し丈嬉しい。私にも未だ変われる余地があるのだと思えて。
「何しよっかな・・・。妥当に鬼ごっこにする?」
鬼ごっこ・・・。鬼の真似をするのか?鬼と言うのは酷い事をする奴の事じゃないのか?
例えば・・・立てなくなる迄殴るとか。
何が楽しいんだ。恐ろしい。喧嘩と変わらないじゃないか。
まさか嗤い乍ら出来た方が勝ちだったりするのだろうか。其なら喧嘩とは別になるが、そんなの本当に只の鬼じゃないか。
屹度ガルダは人間から此の遊びを教わったのだろう。矢張り人間は恐ろしい。こんな事を餓鬼の頃からしているのか。幼気な天使になんて事教えているんだ。
でも良く考えたらガルダは怪我をしても直ぐ治るから圧倒的に私が不利じゃないか。此の手足なら然う負けないが、間違いなく此の小屋は血みどろになる。
其は御免蒙りたい。何より痛いのは嫌だ。
正直、ガルダの口から鬼なんて単語が出るとは夢にも思っていなかったので此の時の私は気が動転していた。・・・だから、可也解釈が歪んでいたとしても屹度仕方のない事だったんだ。普段の私なら斯うは思わなかった筈だ。
慌てて首を左右に振ると少しガルダは考え込んだ。
「じゃあ色鬼?・・・うーん、果物があるからまぁ一応出来るかな。」
また鬼か。色が付いたが一体・・・。先の鬼ごっこから考えて、色って・・・絳・・・血か?血を一杯出した方が勝ちだとか?やる事変わってないじゃないか。
其に果物なんて何に使うんだ。まさか武器のつもりか?其で殴るのか?
食べ物をそんな風に使うのは納得が行かないし、ガルダに林檎を投げられるのを想像すると少し切ない。嗤い乍らされたら悲しくなる。もう其苛めじゃないか。
取り敢えず此も却下だ。首を左右に振るとガルダは直ぐ代案を用意して来た。
「んー高鬼は如何?あ、でも此処だと一寸無理かな。」
人間は余程鬼と言う遊びが好きらしい。何て野蛮なんだ。
高いって何だろう、高度って事か?ハイクオリティな鬼ごっこなのだろうか。
其もう殺人事件じゃないか。高鬼をしたら友達を誤って殺してしまいましたって自供するのか?
恐ろし過ぎる、然も此処だと無理って、一体ガルダは何を求めているんだ。一体何処迄レベルを上げるんだ。
勿論此も却下だ。
三度私が首を振ると彼は少し困った様だった。
「若しかして躯を動かすのは嫌?じゃあ連想ゲームする?知ってるかな?僕が言った言葉に付いて連想する事を言うんだよ。其を交互に繰り返して、続けられなくなったら負け。やった事、あるかな?僕も最近知った遊びなんだ。」
「初めて聞いた。でも言う丈ならやっても良い。」
実に健全な遊びだ。もう鬼が付かないのなら何でも良い。勝敗も最早、余り気にならなかった。
「じゃあ僕からね、えっと先ずは陰霖!」
陰霖・・・此を聞いて連想する言葉を言えば良いんだな。うん、実に安全な遊びじゃないか。先の物騒極まりない物と比べて微笑ましく思えている。
「暗殺。」
「っ!?な、何で?何でそんな物騒な連想が出来るの?」
「何でって、陰霖だと証拠が残り難いし、静かだから暗殺には向いているだ。」
「そ、然うだったんだ。・・・、えとじゃあ犯罪。」
「逮捕。」
「・・・警察、かな。」
「隠蔽。」
「だ、駄目だよそんな事しちゃいけないよ!悪い事だよ!」
「悪い事・・・一寸抽象的過ぎないか?まぁ続けられるが。殺人。」
「だから駄目だって!もうセレストップ!」
「・・・何だ何を怒っているんだ。」
テンション高くなったから喜んでいると思ったのに。私も何となく理解出来て来たから今から本番だったのに水を差された気分だ。
若しかして自分に不利になったから止めたのだろうか。其は卑怯だぞ。
「もうセレ先から恐い言葉ばっかり選ばないでよ!態とだとしても不謹慎だよ。」
「そんなルールなかっただろう。私が連想したんだから問題ない筈だ。」
「うーセレ意地悪・・・。」
何を然うがなっているのかは分からなかったが、そんな悔しそうな顔を見るのは少し楽しかった。
成程、此が遊びか。悪くはないな。
「じゃあもう一回!今度は僕も本気だよ!えっと、鳥!」
「密猟。」
「・・・ぺ、ペット?」
「剥製。」
「もう!セレっ!絶対初心者じゃないでしょ!」
矢張りか、自分が不利になったから怒っていたんだな。此の遊び、中々私に向いているじゃないか、良い事を知ったぞ。
「ククッ、負け惜しみは感心しないぞガルダ。」
「笑う事ないじゃん!僕は一所懸命なのに!」
本当に、久し振りに笑った。
何だか一言ごとにちゃんと反応してくれる彼が面白くて、ついつい夢中になっていた。
陰霖の日も、こんな楽しみ方があったのか。
新たな発見についほくそえみ、窓へと向けていた筈の視線は又直ぐ彼へと戻されていた。
・・・・・
・・・彼から、何丈経っただろうか。
いや、正確には分かっている。一年と幾らか、もう少しで二年が経とうとしていた。
如何して此処迄正確に憶えているのかと言うと、一年前、ガルダからの唐突過ぎるプレゼントを貰ったからだ。
皓くて長い晒、一見繃帯みたいだけれども結構厚い。手足を隠す用の物だった。
何かあったのか聞くと、今日は記念日だからと答えた。丁度一年前の此の日に私と彼は会ったそうだ。
言われてみればそんな気もするし、何だかあっと言う間だな、良く憶えていた物だと思うと同時に、少し許り女々し過ぎやしないかとも思ったが、貰える物は貰う。別に拒む事はなかった。
ナレーが良く誕生日だとかでくれていたな、とちくりと懐い出した。
まさか出会った日も記念日になるとは思っていなかったので私は面食らってしまった。
まぁでも確かに、彼の日から私の日々は大きく一転したのだから確かに記念と言えば、然う言えなくもない。其に其の事を彼が憶えていてくれたのは正直嬉しかった。
だが勿論私は何の準備もしていなかったので只貰った丈で、世話になっている癖に御礼迄貰うなんて何程業突張りなのかと自分を責めた物である。
だから今回こそは私も何かを贈らないと、約束の日が近付くにつれて焦る私だが、一向に手当てが見付からなかった。
結局、彼の日から私は人前に姿を晒すのは止めた。霄に行動し、芥や残飯を漁る日々だった。
変わった事と言えば其の序でに情報も集める様になった事だ。
霄ともなれば秘密の一つ二つを持った奴がうろつく物である。
私の耳は常人の其よりは敏い。雨音の中であろうとそれなりに近付けばひそひそ話等盗み聞くのは造作もない。
そんな物を集めて如何するんか、勿論私に活用する手はない。
抑人とと会ってはいけないのだから利用のしようもない。
でもガルダなら、偶々聞いただとか言って情報を流す事が出来る。
如何して御話をした丈で御金が貰えるのかガルダは中々理解出来なかった様だが、まぁ其の情報一つで何が起こるのか、そんな事なんて考えられないのだろう。
彼は最近、御金と言う制度を知った許りなのだから無理もない。今迄は貰い物丈で上手くやって行けていた然うだ。いやはや流石天使様だと言う訳である。
序でに金目になりそうな物も彼に預け、売り払って貰っていたので二体が食い繋げる程の金にはなった。
因みに集めた金は其の儘ガルダに持たせている。買物は彼にしか出来ないので、適当に食料を選んで貰っていた。
如何しても人間社会で生きて行く問題丈、私の出来る事は余りなく、彼に許り負担を掛けている様で可也其が心苦しかった。
今迄独りでだって生きて行けたのに、殺しの方法しか知らない私は其のスキルや知恵を活かす事も出来なかった。
せめて其の御詫びや感謝を含めて盛大なプレゼントをしたい物だが、金を預けているので其も儘ならない。大切な生活費なので使うのも憚られるし、いっそ記念日を怨んでしまいそうな程悩み果てては徒労に終わった。
プレゼントに何を贈るのか悩める程私は幸せになれたのだと、然う彼に伝えたいのに、儘ならない。
取り敢えず居ても立っても居られず私は霄の街を彷徨っていた。寝ているガルダを残して来たのだが、勿論霄だからと言って意味もなく出歩いて良い訳がない。でも家で考え込むよりは解決に近付けそうだった。
だが結局、如何すれば良い物か・・・。
「其処の御嬢さん、ちと此方に来てはみないかね。」
慌てて顔を上げる。
思った以上に考え込み過ぎていた様で全く気付かなかった。
私はとある家の前を通り掛かったのだが、其の家は外へ掛けたランプが煌々と輝き、其の家丈が陰霖の街から切り取られている様だった。家の中も幾つかあるのか明るい曦を投げ掛けている。
そして玄関の扉は開け放たれており、丁度スポットライトの様に残された曦の中心を私は歩いていたのだ。
普段は明かりの付いている所なんて通ったりはしない。自ら人間に近付く様な真似はしない。でも今回は恐ろしい迄に抜けていた。
そして声を掛けて来たのは、其の開け放たれた扉の先にあった机と椅子のセットに掛けていた一人の初老の男だった。
扉を開ければ彼が正面から迎える形になっていた為、こんな霄道でも私の姿がはっきり見えたのだ。
如何する、今直ぐ駆け出せば、気付かなった振りをして歩けば良い。
どうせ顔は見られていない、化物だとはばれていないんだ。
・・・私は此の生活ですっかり牙を抜かれていた。即座に殺すと言う選択肢を選ばなくなっていた。
彼とした努力は、案外ちゃんと実を結んで、ちゃんと躾けられていたのだ。
流石に全く殺していない訳ではないが、明らかに激減した。其の為か思ったより私は追っ手に狙われる事もなくなって来た。
梟ノ睛の奴等や、逃げ出す前に殺したボスの部下、其の外にも思い当たるのは幾つもあるのに。
こんな明らかに生活環境が変わったから其迄の捜し方では見付からなくなったのかも知れない。
殺人事件が多発した所へ向かっても、もう私は居ないのだ。
だから私は少し悩んでいた。此の男に応じるか否か。
どうせ今は正体も分からず、只の少女とでも思って声を掛けたのだろう。
ばれれば化物と指を差されるだろうが、何の為に声を掛けたのか、少し探ってやろうか。
此奴一人なら別に脅せば黙るだろうし、化物を見たと言っても呆けたか、夢だと嗤われるだろう。
其の時は適当に金目の物でも奪ってしまおう。
私は足を曦の方へ向けた。そして一応警戒しながらも緩り家へ入る。
・・・若しかして此処は店なのか?
所狭しと置かれた物は古臭かったり、何とも怪しい物許りだが、何処か統一感がある。
入って来た物を取り囲む様に配置しているので、飾りと言うより商品の陳列みたいだ。
ざっと見た丈でも何かの鋭い爪や碧く光る鱗、黔っぽい波紋の浮かぶ石に、罅の入った水精玉・・・店かも知れないが、何屋か分からないな。
だが少なくとも少女を招いても買ってくれるとは思えない品許りだが。
「矢張り御前さん、人間ではないな。」
っ、如何して分かった。
さっと視線を走らせるが罠の類は無い様に思う。此の男も初対面だ。
尾も翼も手足も完璧に隠しているのに。
殺さないと、何やら危険な気がする。・・・いや、もう少し丈耐えろ。
「如何して分かった。」
「魔術に精通しているからね、私には目があるのだよ。人間の者とは違う魔力が御前さんから溢れておるわ。」
目、今迄こんな簡単にばれた事は無いが、そんな偸閑なのか。
・・・然う言えば確かに私を見て勘付いたような人間を見た事がある。嫌な予感がするとか、其の程度の勘だと思ったが、若しかしたら然う言った奴には元から私が歪に見えていたのかも知れない。
「じゃあ如何するんだ。私を捕まえるのか?其とも剥製か?」
「いやいやそんな物騒な。御前さんは魔物なのだろう。遥か古の世界の先住者にそんな無礼は働かんよ。」
「・・・何だか随分慣れた態度だな。魔物に会うのは初めてじゃないのか。」
数歩下がって扉の影に入る。
外から見られでもしたら面倒だし、少し丈男の話に興味があった。
「まさか!此でも私は随分と上がっているのだよ。もう一年分は喋っている。私がしたいのは交渉だ。一つ頼まれてはくれないかと思ってね。御礼はちゃんと支払うから。」
「交渉・・・一先ず聞こうか。」
然う言う提案は初めてだ。下手に出る者自体可也珍しい。
一体化物に何を頼むのだろうか。
「然うか。噫嬉しいね。おっと先ずは自己紹介をしないとな。此処は魔術具の専門店だ。私の事は店主とでも好きに呼ぶと良い。互いに名乗らん方が良かろう。其の方が御前さんも都合が良いだろう。」
成程、然う言えば術を使う時、効果が大きい物には対価として特定の物が必要になる。若しくは魔力が籠った物を媒介にして術を強力にする・・・らしい。
私の力に其は必要なかったので知識でしかないが。
でも専門店なんてあったのか。中々珍しいんじゃあないだろうか。
魔術具を使う様な術は大抵何も大掛かりだ。少なくともギルドに其の類を使える物はいなかった。
半分趣味でしているのか。其とも何も高価だから一つでも売れればそれなりに儲かるのか。
「御願いとは至極簡単なんだが、魔物の爪や鱗と言えばもう其は至高とも言える魔術具になるのだよ。だから若し生え変わりで抜けた物とかがあれば買い取らせて欲しいと思ってね。」
面白い。確かに其なら簡単だ。私からしてみれば芥にしかならないし、寧ろ痕跡になってしまうから扱いに困っていた位だ。其を買い取るだなんて。加えてそんな物が貴重品だと言うのなら此奴は独占したいと思うだろう。だとしたら若し出所を聞かれても答えたりはしまい。
・・・私が本当に其の太古の魔物か如何かは知らないが、まぁ良い。使える肩書は使ってしまおう。
「良いだろう。じゃあ何処が御望みだ?」
そっと出した尾で扉を閉め、オーバーコートを脱いで机の上へ飛び上がった。
行儀は悪いが迫力はあっただろう。
翼を広げて凄んでみせると店主は数瞬遅れて戦いた。
此の反応、素人臭いな。本当に罠の類ではなさ然うだ。
椅子ごと後退ったので危な気な様子で蹌踉めく。
手には杖が握られているが、足が悪いのかも知れない。
「おぉおぉ、此は素晴らしい。ほっほ、元気な御嬢さんだ。夢じゃないかと思えて仕方ないな。まさか未だ此の世界に存在したなんて。」
驚きつつも店主は手を叩いて声を上げ、笑った。
別に其の笑みに厭味や嘲りは無い。如何やら彼は珍しく化物を対等に見られる人間らしい。利益を見詰める者には時折斯う言う者が現れる。
「羽根も爪も甲も生え変わるから再々抜けるぞ。其で良いなら持って来てやるが、でも私も人目を忍びたい。此の位の時間なら来られるが、昼間は無理だぞ。」
「構わんよ。此の時間なら客も滅多に来ない。私も助かるよ。ふむ、でも然うだな、爪や牙、鱗と、髪も使えるぞ。纏まっている方が売り易いが。」
店主は杖を曳き、繁々と私の翼や尾を見た。
毅然と立っているが、斯う長々と見られたくはないな・・・。
「物は相談だが、目や翼、尾をくれる気は無いかね。言い値で買うぞ。」
「断る。未だ死ぬ気は無い。御前だって幾ら金を積まれても腕を差し出さないだろう。」
机から降り、一つ身震いをする。獣の振りはもう十分だ。
「おや、魔物だからと言って直ぐ生える訳ではないのかね。てっきり治癒魔術にも精通していると思ったのだが・・・。まぁ痛いのは御互いに嫌だろうし、そんな無理強いはしないよ。」
いやに下手に出るのは私を逃さない様にする為だろうか。
何の道、何とも変わった店主だ。まぁ街に溢れ返る善人よりは好感が持てるがな。
「然うか・・・。取り敢えずなら此で如何だ。」
古くなっていた手の甲を掻くとぱらぱらと薄い甲が剥がれ落ちた。
薄いと言っても鋼より強固だ。
拾い集めてそっと机に置くと、途端に店主の目が輝いた。
「噫矢張り、此丈でも十分な魔力だ、素晴しい。売るのが惜しい位だ、コレクションに是非加えたいね。然うだな。持ち合わせで悪いが此で如何かな。」
金貨を何枚か手渡されたが、十分過ぎる量だった。此丈あれば二体一月は生きられるんじゃないだろうか。
魅入る前に慌ててポケットに突っ込む。私が上位でいないと、足元を見られたくない。
「良し、じゃあ又気が向いたら来る。」
「噫勿論、宜しく頼むよ。」
そっと何事も無かった風に店を出る。一応付けられていないか、見られていないか見渡して帰路に付いた。
狗も歩けば棒に当たる・・・だっけ、化物でも棒は当たる物だな。
店には、一つ位買物は出来るだろう。注意深く行けば、ばれる前に逃げられる。
二年も掛かったが、やっと私にも出来る事が見付かったかも知れない。
一つ大きく息を吐いて、久し振りに私は氷鏡を仰いだ。
・・・・・
「あ、然うだった。彼の向かいの果物売り場の小父さんが、傷付いちゃったからって梨をくれたんだよ。後で一緒に食べようね。」
「然うか、良かったな。」
大きな変化は特になく、不満もない儘に日々を潰した。
平和と言えば・・・まぁ凡そ平和なのだろう。
昼でも外に行けるガルダは帰ってくれば何時も其の日あった事を私に話して聞かせた。
人間の話なんて聞きたくもなかったが、外に行けない私に気を遣って話してくれている事に気付いて、無下には出来なかった。
御蔭で会った事もない御近所事情に可也詳しくなってしまっている。どうせ皆私を見れば同じ顔をするのに。
適当に相槌を打って聞いていたが今回は少し、引っ掛かる物があった。
「今日変な人に会ったんだよ。僕の翼を見てね、綺麗だから家に来ないかって。もっと良く見てみたいんだって言われたけど。」
「変な人には付いて行くなと言った筈だが。」
「うん、だから直ぐ帰ったんだよ。セレも気を付けてね。散歩したいのは分かるけど、霄は暗くて危ないし、又あんな人が居たら・・・、」
「直ぐ帰ったのか。・・・・・。」
何か、嫌な予感がする。久しく眠っていた勘が叩き起こされる。
私は耳を立てて、そっと壁の向こうを注意深く聞く。
「・・・ガルダ、直ぐ窓から、」
言い掛けた所で乱暴に扉が開け放たれた。
「さーて見付けたぞぉ化物。」
入って来たのは一組の男女だった。
逃げた所で直ぐ追い付かれるだろう。四足で威嚇の体勢を取った。
「あれ、もう一人居るじゃない。彼方は如何するの。」
「放っとけ。俺が用があるのは此方だ。」
「先の・・っ痛い!」
男は徐に手を伸ばし、ガルダの髪を掴んだ。
矢張りガルダが目的か。如何すれば良い。止めないと、連れてなんて行かせない。如何やら私の威嚇に反して此奴等は私も化物だと知らない様だ。此の隙を突いて、
「んーでも本当に此の子、懸賞金が掛かってるの?ぽやーんとした坊やだけど。顔は私の好みだし、彼奴等に渡すのは一寸遊んでからにしない?」
「化物っつったら此奴丈だろ。遊ぶのはまぁ賛成だな。」
其処で合点が言った。此奴等が捜している化物は私だ。
懸賞金なんて、天使に掛けたりしないだろう。其に此奴等、荒事には慣れている。
「ガルダを放せっ!!」
でも冷静に分析していた気になった私は実の所可也焦っていたらしい。
真白になった頭で咆哮し、翼と尾を出す。即座に跳躍してがら空きだった女に飛び掛かった。
其の儘倒し、牙を剥く。そして首筋に鋭利な其を突き立てようとして、
・・・脳天に、拳銃を当てられていた。
唾を飲み込む。・・・早い、読まれていたか、完全に不意を突けたと思ったのに。
「御行儀が悪いわね。出会い頭に威嚇だなんてどんな躾をされたのかしら。」
然う言う事か。初手を誤った。
直ぐに壊せば良かったんだ。只今はもう近過ぎる。中途半端にしてしまってガルダに手を上げられてもいけない。
「さて、私が御前の頭を吹っ飛ばすのと、御前が私を咬み殺すの、何方が早いかしら。いや、坊やが先に縊り殺されるのもありね。」
「や、止めろ。彼奴に丈は手を出すな、捜していたのは私だろう。」
声が震える。此処で選択を間違えば・・・ガルダが、
如何にかしないと、私の所為だ。過去の私がガルダを巻き込んだ。
「セ、セレ・・・、」
怯えた目で、私に縋る様にガルダが視線を寄越している。
あんな目をさせちゃあいけなかったのに。
でないと、今迄私は、私の行動全てに後悔なんてしなかった。でも彼の目が、
私のして来た事は全て間違いだったと責める様で。
だから、此処で終わるんだと雨音が嘲笑った気がした。
駄目だ駄目だ。そんなの、認めない。絶対に駄目だ。赦さない、そんな道理なんて、世界なんて、
何か、何かないか、未だ何か屹度、
気許りが急いで、考えが堂々巡りをしている内に女が嗤った。
タイムリミットだと、然う告げる様に。
そして、
「セレ!しっかりして、セレ!」
「うるせぇなぁ、少し黙っとけよ。」
膝が砕ける。
遠くでガルダの声が聞こえる様で、
頭を殴られたのかと気付いた時には、私の意識は既に遠くへ行っていた。
・・・・・
鈍い痛みと共に緩りと視界が開ける。
状況が読めずに緩りと視線を動かした。
冥い部屋、明かり一つも無い。窓も無いので時間の感覚も分からない。黔い床は宛ら石牢の様だ。
彼の見慣れた家じゃない事に気付き、慌てて四肢を起こした。
だが手に何かが絡まって転けてしまう。
金属音がしたと思ったが、手足には枷が填められていた。
其は床に打ち込まれた杭に繋がっており、解けそうには見えない。
「おぅ、やっと目覚ましたか。」
何とか首を動かすと手に大きな肉斬り包丁を持った男が立っていた。
其の顔に何処か見覚えがあると気付いた刹那、先刻の事をはっきりと思い出した。
私は・・・攫われたのか。
ガルダは?此の部屋には居ないみたいだが、
「御前結構頑丈らしいからよぅ、一寸俺の遊びに付き合ってくれよ。ギルドも生死は問わずって御触れだったし、丁度良いだろ。」
良くない。御前と遊んでいる暇はない。其に無関係なガルダは如何したんだ。彼奴に何かしたら、
「折角だから人間っぽくしてやるよ。感謝してくれよ?」
「ま、待ってくれ。ガルダは、」
上体を起こした所で背に鋭い痛みが走った。
遅れてばらばらと私の翼が落ちる。
「っぐガァアア゛ァ゛アァ゛ァ゛ア゛ァ゛ア゛!!」
此奴、こんな直ぐ躊躇なく斬るなんて。遊びって言ったのに此じゃあ直ぐけりがついてしまう。
左翼の四枚をやられたか・・・。四枚目の翼はつい此の前生えた許りだったのに。
実体が殆どない暗闇を詰めた様な翼なのに斬れるのか。
そんな思考が過った刹那、全ては痛みに塗り替えられた。
大量の血が溢れ、吹き出して一気に腕の力が抜けてしまう。
・・・痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいっ!!
思考が全て、塗り潰されてしまう。
「ガァアァ!!ガァァアァアァッ!!」
間髪入れずに次は右の四翼を、彼の包丁で一気に斬り落とされる。
何も、もう考えられなかった。
止血も、応急処置も頭になく、只痛みを訴える事しか出来ない。
血の出過ぎでもう立つ事は出来ず、血を吹き出させ乍らのたうち回る様を只彼の男は見下ろしていた。
あ・・・ぁ、せめて今迄の奴等みたく羽根を毟るとか、一翼ずつ斬り落とすとか、時間を掛ければ良いのに。もうショック死してもおかしくないんだぞ、気力を保つ丈で精一杯なのに、
・・・でも、未だ満足はしていないらしい。
手を伸ばし、今度は尾を掴んで釣り上げられた。
そして、甲が欠けて薄くなっている所へ、そっと刃を、
無理だ、そんなの、そんな事されたら直ぐ死んでしまう。
抵抗しようにももう手は動かず、失血の所為で頭が働かずに見ている事しか出来なかった。
何より未だ翼の痛みがこんなにも鮮烈に残っているのに、其の上だなんて、
彼奴は其の儘刃を滑らせて、そして、そして・・・、
躊躇いなく刃が肉を断つのを、骨が一度で斬れずにごりごりと削がれて行くのを、自重に耐え切れず肉が千斬れて行くのを、筋が少しずつ裂けて行くのを、
ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぎりぎりぎりごりごりごりごりごりごりごりぶちぶちぶちぶち・・・ぶちっ
生々しい音が頭の中で響いて痺れて、
全ての痛みが押し寄せて来て、私の躯は又冷たくて固い床に叩き付けられる。
遅れて私の尾だった肉の塊が落とされる。
びくりとも動かない。私には動かせない。何処にも繋がっていない尾の先、
其の現実が、頭に入って来ない。痛み丈が主張する。
御前はもう、終わりだと。
「イギッ、アァア゛ァアァ゛ア゛ア゛ア゛ァアッ!!」
何かが込み上げて来て堪らず吐いてしまう。
尾なんて斬られたのは何時以来だろうか。
多少の傷には慣れていたが、こんなの手足を千斬られるのと同じで、況してや骨毎斬られたら、死と言う言葉がはっきり浮かぶ程の激痛だ。
慣れる訳がない。抑こんな大怪我、最近は無かったから。
尾の先が痛む様な感覚が残っているのに其処にはもう何も無い。
だのに頭の中で未だ彼の音が、噫此を聞き続ければ簡単に私は狂ってしまうだろう。
空気に晒される切断面が絶え間なく血を吐いて痛み、手足が冷えて悴んで行く。
「ホント頑丈だなぁ、此で気絶しないなんて。でも流石に手足落としたら死にそうだなぁ。」
じろじろ見られているのに、歯向かう事も抵抗も出来ない。
こんな状態じゃあ力は使えない。使う程の集中力を向けられない。
其に此の時は久し振りに感じた絶対的恐怖に私は呑まれていた。
背が震えるのは失血の所為丈じゃない。
次は手足を斬られるかも知れない。でも其を打破する術は今の所ない。
躊躇なく殺せる奴は厄介だ。其の行為を楽しんだりせず遣れてしまう奴は尚更。
大抵私の様な化物を捕らえた奴は嬲り殺そうと時間を掛けた物だ。
少しずつ痛め付けてやろうと手加減しているので隙を突いて反撃する事が出来た。
でも此奴は其の気が全く無い。遊ぶと言われたから、同じ手が通ると思ったのに。
加えて尾を斬り落とされたのは痛い。四肢以外で攻撃出来る所だったので人間の盲点になり易かったのだ。
・・・こんな所で、死にたくない。こんな奴に、殺されたくない。
やっと、やっと少し丈、此の世界で生きても良いかも知れないと、思えて来たのに。
其も此も全て、ガルダの御蔭だ。
彼の御蔭で、咲う事に意味がある事を知り、独りじゃ得られなかった温もりを知り、未来は夢見る物だと知った。
其を全て、こんな所で奪わないで。
恐い・・・然う、恐いんだ。
手に入れてしまったから、失う事を恐れる様になってしまったんだ。
「あれ、御前涕いてんのか?あ、然うだ。」
髪を掴まれ、無理矢理上体を起こされる。
もう吐いて焼けてしまった喉は潰れてしまって荒い呼吸をするのがやっとだった。意識しないと、此の呼吸すら止まってしまう。
知らず私は涕いていたらしい。色々な物が綯い交ぜになって溢れてしまったのか。
男が顔を近付け、嘗める様に見るのでせめて視線を逸らした。
恐い恐い、もう止めて、見ないで、もう、何もしないで、
「あ、こんな所にもあった。」
何か考えるより先に包丁が払われる。
「っぐあ・・・っ、」
耳・・・を、斬られたのか?
もう全身痛くて感覚が鈍る。
でも血が垂れているし、眼下に小さな翼らしき物が見える。皓い部分もあるし・・・若しかして、耳毎・・・か。
彼も・・・最近大きくなって、髪で隠すのが大変で結構苦労していたのに。
・・・駄目だ、意識が曖昧になっている。
こんな所で気絶すれば死ぬ丈だ。いや、仮に生きていてもギルドに引き渡されたら屹度此より酷い目に遭って殺される。
でも如何すれば良いんだ。今迄こんな死線は何度も経験して来た。でも今回は流石に詰みだろう。
男のナイフが揺ら揺らと目の前をちらつく。
次は一体何処を斬るつもりなのか、其迄私の意識は持つだろうか。
此で・・・終わるのか。
不図、彼の皓い同胞を懐い出した。
一度は痛みに吹き飛ばしてしまったが、でも矢張り彼の事は気掛かりだ。
彼も同じ目に遭っていないか、逃がして貰ったのか。
其丈が・・・引っ掛かる。
「ガ、・・・ガルダは、如何した、」
悲鳴を全て抑え込み、何とか其丈を搾り出す。
逸らしていた目を向け、全身で聞き逃すまいと構えた。
聞き流されるかも知れないが、本の一欠片でも分かれば、
残った耳を最大限に澄まして、只、待った。
男は彷徨わせていた目を合わせた。
其丈で背筋は震えるが、でも今度は真向から受けた。
「先から何だよ其奴。あ、若しかして先の餓鬼か?」
「そ、然うだ。彼奴は、」
無理矢理息を抑え、聞き逃すまいと痛む耳があった所も意識する。
耳が片方無い事で音が気持悪く、平衡感覚を失いそうだが、でも今丈は堪えないと。
私が生きている証明より、ガルダの安否の方が余程大事だった。
其丈此の日々で彼の存在は大きくなっていたのだ。
「噫、彼奴ならもうとっくにばらして捨てたよ。」
・・・は?
意味が分からない。理解出来ない。
其じゃあ、其じゃあ何だ。
もうガルダは・・・死んだとでも言うのか。
死んだ?死んだら如何なる。もう会えないんだ。話せないんだ。
又、私はしてしまったのか。
黔猫と一緒で、私が暖気に寝ている間に彼等は、
もうガルダに明日は無い。彼の日常は無くて、冥くて冷たい死丈を与えて。
そんな理不尽を突き付けたのは、彼から全て奪ったのは、壊したのは、
又・・・私なのか。
私が、化物だったから、いけないのか。
噫、此の事実の方が、彼の音より余っ程堪えた。いとも容易く此の心を斬り刻む。
「ア゛ァアァァ゛ア゛ァ゛ア゛ァアア!!」
吼え声と共に牙を剥く。
私の何処にそんな勇気があったのか。力が残っていたのか。
屹度先の一言が、私の全てを狂わせた。
「っ此奴未だ暴れるか!」
嫌な笑みを浮かべていたのが一転、眉尻を上げて吼えられる。
そして・・・途端右目が見えなくなる。
男の包丁が突き刺さったのだろうが、問題ない。目を潰されたのは初めての事じゃあない。
抉る様に刺さる包丁が目の内側で骨を擦り、頭の中に嫌な音を満たす。
でも私は止まれなかった。
男の頸に咬み付き、声帯毎肉を食い破る。
吹き出す血に全身が洗われる。自身の黔い血から人間の絳い血へ。
男は何かを叫び乍ら仰向けに倒れる。
其の間に杭を壊して私は自由を得た。
男に馬乗りになると奴は何かを言おうとしている様だった。
部屋の出口を指差して、何かを叫ぼうと。
だが血が噴き出す丈で声にはならない。
仲間を呼ぼうとしている?でも此は・・・私に言っているのか?
とは言っても最早其を聞く事は出来ない。
私は目に刺さっていた包丁を抜き取り、其で男の頸を掻っ斬った。
又一度血が噴き出し、必死の形相の儘で首が転がる。
・・・危なかった。彼の隙が無ければ今頃、
いや、隙なんかじゃない。ガルダの御蔭だ。
彼の一言を聞いた瞬間、自分でも驚く程の力が沸いた。
彼が・・・怒り、か。
諦めて許りで、怒ったのは久し振りだ。
まさか彼の一言丈で我を忘れるなんて。
其丈、彼は私の中で大きくなっていたんだ。自分を捨てられる位。
独りじゃなくなった。誰かの為に、自分勝手な私がまさか然う思うなんて。
でも、今更其を知れたって・・・もう私は、又独り、に・・・。
・・・いや、未だ認めるな。
若し彼の男が言ったのが虚言なら?私の反応を楽しむ為の物だったら?
最期に言ったのは、彼は嘘だと、彼は生きていると伝えたかったんじゃあ?
其に此奴の連れの女がガルダを気に入った風だった。若しかしたら、
生かした所で此奴等に何の得がある。捨てられてないにしてもばらされている可能性はあるだろう。私の翼が金になる様に、天使だって買う奴はいる。
でも未だ、諦めるのは早いんじゃないか。
分からない、此の頭の中で掛かる思案橋は諦めが悪い丈なのか、冷静に分析した結果なのか。
でも答えは一つ、確かめた方が早い。然うすれば全て決着が付く。
膝が砕けそうになるのを何とか気力で持たす。
此処で眠ってしまえば何程楽か。でも其では私の気が済まない。
行かないと。・・・足を、止めるな。
一つ大きく息を付いて私は駆け出した。
・・・・・
暫く警戒して走り回ったが、此処の構造は割とシンプルだった。
なんて事はない。崩れ掛かった一軒家に地下室が一つあった丈だったのだ。
道形に走れば階段に突き当たり、簡単に地上へ出る事が出来る。
他に仲間が居るかも知れないと焦る気持を抑えて一部屋ずつ回ったが、最後に入った寝室に彼の女が居た。
そっと扉の影から様子を窺うが、此方に気付いている様子はない。
鏡を見ている様だが、化粧でもしているのか。
此処からでは部屋の全体迄見渡す事は出来ないが、聞こえる呼吸音は一つ丈。取り敢えず彼の女を、始末しよう。
此処に来る迄にガルダは見付からなかった。彼の女を脅して聞くしかない。
前の反応からして然う油断は出来ない。慎重に行かないと、次先手を取られたら勝目は無い。
腕から一つ大き目の甲を剥ぎ取った。そして其を寝室の窓へと投げる。
甲は命中し、窓玻璃は派手な音を立てて砕け散る。
女の注意が窓へ向いた。確かめようと身を乗り出した所で私も扉を開け放って飛び掛かった。
女の視線が此方に向けられる。矢張り反応が早い。でももう私も覚悟を決めている。
ホルスターへ伸びていた手に罅が入る。
其の手丈じゃない。両手、両足も罅が入る。
違和感に女が眉を顰めた内に私は一気に詰め寄って其の手足を引き裂いた。
もう大した力は残っていなくても、罅さえ入れてしまえば此丈の衝撃でも砕け散る。だが壊す前に暴れられると話せない肉塊になる迄壊してしまう。
だから抵抗出来ない様、私の都合の良い様に手足丈を何としても落として置きたかった。
女を押し倒して馬乗りになり、頸元に爪を当てた。
女は状況が一切読めず首を動かす丈だ。
手足を一瞬で失った事実が受け入れられないのだろう。頸に刃を当てているにも関わらず、血を吹き出させる肩を食い入る様に見ている。
無理もないか。私の扱いからして私の力についても知らなかったのだろう。だったら何をされたのか分かり様もない。
此の出血だと何の道直ぐ死にそうだな。
手遅れになる前にと少し刃で頸の皮を斬った。
其処で女の視線はやっと自分を捉えた様だ。
青くなった顔を強張らせ、僅かに口を開いて震わせていた。
「ガルダは何処にやった。答えれば命丈は助けてやる。」
「ガ、ガルダって私知らない!ホーソンは、彼奴は何してんのよ!」
「ガルダは御前達が私と一緒に攫った餓鬼だ。早く言え。御前も彼の男の後を追いたいか。」
ホーソンは先の男の事で間違いないだろう。どうせ直ぐ死ぬんだからさっさと吐けば良いのに。
・・・冷静になれ、激情に呑まれて焦るんじゃない。
僅かに女の頸を絞めて睨み付けると、搗ち合った儘女は真直ぐ私を見た。
嘘は吐かせない。此の期に及んでそんな殊勝な事はしないだろうが。
此の漆黔の目で見続ければ大抵の奴は恐れが勝って口が軽くなる。
「お、奥!ほ、ほら、其処に、」
彼の男よりは頭の回転が早い様だ。だが此以上叫ばれて面倒が起きても困る。
ガルダが居る事さえ分かれば十分だ。・・・希望が、未だ残っていたって知れれば、もう、
私は其の儘女の頸を掻っ斬った。
此で・・・一先ず大丈夫か?後は、
「ひっ・・・あ、」
小さな悲鳴が耳に届き、急いで声がした方へ身構える。
私は如何やら・・・随分と頭に血が上っていたらしい。
先の女の言葉をちゃんと理解出来ていなかった。目の前の獲物の事しか見えていなかった。
見遣った先、部屋の隅には、ガルダが居たのだ。
壁に背を預けて小さくなっていた様だが、女の首が目前迄転がって来たので思わず悲鳴を上げたのだ。
彼は、ずっと其処で見ていたのだろう。
私が女を殺す計画を立て、実行したのを、躊躇なく女の手足を奪ったのを、生かす気なんて無かったのに、あんな嘘を平然と吐いたのを、あっさりと女を殺したのを。
獣が獲物を狩る様に、只淡々と化物が人間を狩るのを。
嘗て私にとって当たり前だった、彼にとって非日常を、見せ付ける様に。
しまった、気付いても目を見開く事しか出来なかった。
今迄、ガルダの前で丈は殺さない様にしていたのに。
こんな醜い人殺しの化物の姿なんて見せたくなかったのに。
「ガ・・・ガルダ、」
怪我は・・・していないらしい。彼の場合は直ぐ治ってしまうから断定は難しいが。
でも鎖もないし、拘束されていなかった辺り、私の様な目には遭わなかった様だ。
良かった・・・本当に生きていて、
でも其と同時に見られてしまったと心臓が早鐘を打つ。
只又会えて嬉しい丈なのに、喜びたい丈なのに、其を表現する事すら憚られるなんて、
一歩足を出すとガルダが身を固くしたのが分かった。
だから其以上踏み込めなくて、
私は伸ばし掛けていた手を見詰める事しか出来なかった。
人間の血に染まって真絳になった腕。
垂れる血は雫になって床に華を散らす。
噫、こんな姿じゃあ、
頭に過ったのは一緒に旻を飛んだ彼の始まりの日。
氷鏡に照らされた彼は迚も穏やかに、幸せそうに咲っていて、
決して今みたいな、怯え切った目で、震えてなんていなかった。
こんな姿じゃあ、もう一緒に飛べないじゃないか。
私は、矢っ張り化物で。彼とは違う、似ても似つかない。
こんな簡単に人間を殺せる様な奴が、姿丈じゃなく、心迄も然う染まってしまっているのなら、そんな奴が此の街で生きて行ける訳がない。
ガルダとの日々で私は徐々に気付いていた。
私の彼の日々は、明らかに異常だったと。
殺して、殺されて、其が当たり前になるだなんて、酷い悪夢だ。
少なくとも、彼と一緒に歩む日々は然うだった。
人間を殺してはいけないと、ガルダが言ったのは只の偽善や、綺麗事じゃなくて、其が彼の世界では当たり前の事だったんだ。
気付いていたのに。私はこんなあっさりと又人間を殺してしまった。彼の日々を癒すには、未だ未だ時間が足りないらしい。
「・・・・・。」
此じゃあガルダを連れては帰れない。彼の怯えた目を見たくなかった。況してや其の対象が私なのだとしたら、
逃げようかと、足を下げた。
助けるだなんて烏滸がましい。私にそんな真似は出来ない。私が傷付けてしまったのだから。
其に私は、本当の私は酷く臆病だった。怯える彼の目すら私は恐くて、現実から只逃げたかった。
でも一つ、私は彼に言わなければいけない事があった。此も、彼との日々で学んだ事の一つ、当たり前の事。
「・・・私の所為で、こんな事に巻き込んで御免なさい。」
彼の為に何かしたい。必要とされたい。傍にいても良いと言う証が欲しい。そんな想いが幾らあっても、何時も私は彼に迷惑しか掛けられなかった。
とんだ御荷物だ。如何して私は斯うなんだろう。
初めは、彼が私に縋って、無理矢理引き留めてくれたのに、今では私の方が・・・、
でもそんな私の手を彼が疎むなら、私は大人しく引かないといけない。私の想いよりも彼の思いを私は取るのだから。
こんな化物に想いを掛ける価値なんて、此っぽっちも無いのだから。
もっとちゃんと言わなければいけないのに其以上は辛くて、声が出なかった。
だからせめてと、彼に背を向けた時だった。
「待ってセレ!行かないで。僕は、こんな事、き、気にしないよ。こんな事より、君の方が・・・、だから、謝らないで。僕も・・・恐がって御免なさい。」
足が止まる。一瞬希望が見えた気がした。
・・・でも、私は聞き逃さなかった。
彼は、私を恐がったのだ。
其の事実が胸を突く。そりゃあ然うだ。今迄血に触れる事すらなかった彼が、転がる生首に恐れを抱かない筈がない。
でも、其でも、私を化物と呼ばなかった彼に丈は、私を私だと言ってくれた彼に丈は、私を拒絶しないで欲しかった。
彼を見て、恐がらない方が異常だと言うのは分かっている。彼が当たり前の反応だって、
我儘な事も、重々分かっている。私だって彼の事を初め、変な事を言う奴だと怪訝に思う事もあったのだから。
衝突をした霄も、喧嘩に明け暮れた日も、あったのだから。
でも其は全て化物でない私を彼が見ていてくれたから。
だのに私が只の化物に成り下がったら、殺すか、逃げるかしかなくなる。全てが其の瞬間に終わってしまうんだ。
・・・彼に対してそんな事、思いたくなんてないよ。
彼は、口では気にしないと言ってくれた。
でも其に甘えて良いのか、此の傷を抱いた儘又一緒にいられるのか。何れ大きな溝が生まれて袂を分かつ事になるのではないか。
・・・若しそんな未来の可能性が本の少しでも覗かせるのなら、私は、もう傷付きたくない。
だから、さっさと此の想いを切れば、
「ねぇセレ、僕は君が助けに来てくれて本当に嬉しい。僕の不注意で君を巻き込んだのに、君はちゃんと僕を護ってくれた。其に僕の為に涕いてくれたのは君が初めてだよ。そんな君と僕はもっと一緒にいたいよ。だからセレ、行かないで、御願い・・・。」
やおらガルダは立ち上がると覚束無い足取りで近寄って来た。
そしてそっと私の血塗れの手を両手で取った。
滑る血が気持悪かったろうに、其でもしっかりと。
其の手は震えていたが、其は一体何の恐怖に因る物か。
何方にしても其が私に因って齎された物なら、矢張り此の手は切った方が良い。其なのに、
其の手が、如何しようもなく温かくて、確かに其処にあって、
私はそっと反対の手で目元を拭った。
すると確かに、飛び散っていた血とは別の絳が滲んでいた。
又、私は涕いていたらしい。いや、先からずっと涕いていたのかも知れない。
でも自覚した途端に瞳は濡れて、後から後から止まらなくなる。
静かに滴る温かい雫。こんなに涕いたのは何時以来か。
噫、此の涙の意味なら流石に私も分かる。
嬉しかったんだ、本当に。ガルダが生きていて、又会えて、其の声を聞けて、恐がられても、酷い目に遭わせてしまっても、私が其で傷付こうとも。
彼が生きていた。其の事に安堵して、堰き止めていた不安や焦りが全て流れ落ちたんだ。
・・・もう私は手を離せなかった。
其丈私は彼に依存してしまっていた。手遅れだったんだ、立ち止まるには。
「私も・・・御前が無事で、本当に良かった・・・。私の所為で殺されたんじゃないかって、ずっと心配で・・・恐くて、」
恐る恐る彼の顔を見遣る。一度逸らしてしまった彼を。
「うん、有難う。じゃあ早く御家に帰ろう、一緒に。」
彼は何時もと変わらず、柔らかく咲って私を見ていた。
・・・本当に良かった。手遅れにならなくて。
そして、彼の笑顔を又見れて、私にそんな風に咲い掛けてくれて。
私は只、嬉しかったんだ。
私も笑みを返そうと思ったが、意思の力で何とか繋ぎ止めていた躯はもう限界だった。
あっさりと私の膝が砕けてしまう。
幸いガルダが直ぐ気付いて支えてくれたので、彼に縋る形で何とか立てた。
「ちょっセレ、ねぇ起きて!疲れたなら先に言ってよ、ほら僕が負ぶって行くから。」
もう何も言えず、頭の中が霞掛かって痺れて来る。
・・・斯うなる前にガルダを見付け出せて良かった。
彼が私の肩を抱くが其を見ている事しか出来なかった。見れているのかも、理解出来ていたのかも怪しいが。
「え・・・セレ、尻尾・・・は?翼も・・・、ま、まさか、嘘でしょ、こんなっ、」
背負おうとしてか私の背に手が置かれたが、此の滑った感覚、恐らくガルダの手にべったりと血が付いてしまったのだろう。
「・・・御免セレ、本当に有難う。僕の為に・・・こんなに頑張ってくれたんだね。」
もう壊れてしまった耳でも彼の声丈は何とか拾い続けた。少し、震える様な声。彼の声を聞く度に私の躯から力が抜けて行く。
其からガルダは無言で私を背負うと歩き出した。
まさか私を背負えるなんて、もっとひ弱だと思っていたのに。
礼でも何でも、一言位は何とか言いたかったのだが其も出来ず、
心地良い温かさと振動に私は一つ丈溜息を付いて深い眠りに付いたのだった。
・・・・・
はいはい、出ちゃいましたね。然うガルダ君です。多分此は読者、満場一致の流れだと思います。寧ろ会わないとか在り得ないでしょ、うん。
つまり二柱は今、出会う可くして出会っている訳で、まぁ色々あって非業の死を遂げるのでしょう。リア充爆発ひゃっほい!
・・・いや、そんなイチャイチャはしてないけどね。でも誰か死ねば其丈で感動出来るんですよ。感情なんて安い物です。(前回の後書きが台無しだ。)
本当はもう少し此方に詰め込みたかったのですが、やや、七万文字の壁は厳しい・・・如何して十万にして貰えないのか。(こんな事嘆く人は少数派だろうけれど。)
寧ろ筆者は他の作家さんみたく、空白を上手く使うと言うか、然う言うネット小説っぽい技法が使えないんですよね・・・羨ましい。
何方かと言うと文字で埋め尽くして圧倒するを良く使います。
うぎゃぁああぁああぁああああぁぁああっ!!とかね、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいぃ!!とかね。ゲシュタルト崩壊って恐いですよね。もっと色んな技法を使える様になりたいなぁ。とか言いつつ、さぁ次が終幕、第四編です!
あ、後ちょこっと丈NG集も。次はまぁ色々ムードとかあって載せられないので此処が最後ですね。
ボスのオカカで命拾いしたな。然うでなければさっさと殺してやったのに。
ボスのオカカ(笑)ボスのオカカです。セレがギルドで首宣言をされる直前ですね。夜中に此のミスを見付けて一人で爆笑していました。正しくは御蔭、ですね。
「何でって・・・っワッツ!!」
ガルダとセレの夜間飛行。一応正解?ですかね。何故か英語で言い直したガルダ君です。わっ、が正しかったのに、本当に急な英語です。何故か少しおちゃらけキャラみたく見えますね。
其は彼を見る度、声を聞く度、増える度に胸に過る懐かしさの所為か。
セレの何処かの回想です。ガルダが増えるとかセレさん、恐いです。気付いて下さい。再生能力が暴走して偉い事になっています。
こんな所ですかね、ではいよいよラスト、張り切って行きましょう!




