19次元 終焉ノ化物と皓翼ノ少年の詩篇Ⅱ
ようこそ、恐らく四パート中最も暗いセレ、十歳迄の歩み、ギルド編です。
実際こんな生涯ならもっと狂った根暗な奴になりそうですね。因みに中学の時に書いた元祖次元龍屋は此の過去編、五頁以内に収まっていました。・・・年表だったのかな?絶対無理だろ。
色々あって、で十年位マジですっ飛ばしていました。恐ろしい子・・・。
正直今回は未だ書いていない過去編とかも幾つかあったのですが、全て書くともう何が何だか分からなくなり掛けたので割愛。矢っ張り生涯ってそんな簡単に書ける物じゃないよ、うん。
此処を書いている時は何時迄暗いパートなんだろう、フフフ、と思っていた物です。
若干迷走気味でした。クリスマス辺りに書いていたのが正に此処です。とんだブラッティ・クリスマス。
クリスマスは少女が人殺す小説書いていました、を当分ネタにしようと思っています。こんな聖夜を過ごしたのは屹度世界に私丈・・・フフフ。
只筆者、余り賢くないので人体の構造とかは良く調べていません。(オイ)
其の為意味の分からない表現があっても、小説的な表現と思って置いて下さい。流石に腹から肋骨が出ると言うホラーも真っ青な個所は直しました。最早人間じゃなかったです。
さてそんなグロ満載、血腥過去以外不可避な物語、どうぞ御楽しみ下さい。
後日、怪我も塞がって直ぐ私は初めて得た家へと向かった。
・・・でも結局の所、私は其処には住まなかった。
家はアパートの様な所で、他にも何部屋かはあったが今は殆ど空き家だった。部屋もそれなりの大きさで、一通りの家具もあり、直ぐにでも住める様になっていた。
人払いも家具の整理も若しかしたらボスが気を回したのかも知れないと考えはしたが、其の部屋に入った途端、私の脳内でとある警鐘が鳴り響いていた。
本当に大丈夫か、こんな所に居て。自分で勝ち得た物ではない。他人から与えられた物の上で胡坐を掻いても良いのか。そんな事をすれば何時か寝首を掻かれるのではないか、牙を抜かれてしまうのではないか。
・・・慣れていなかったのだ。与えれる事に。だから恐かった、信じられなかった。
其に実際定住は危ない。生活リズムが出来てしまえば其丈隙が生じてしまう。計画を立てられてれてしまい易い。神出鬼没、其が私の強みだったのだ。
窓掛の向こうの視線に震え続け乍ら生きて行くのは堪えられなかった。
だから自分は其処を手放した。鍵丈ポケットに突っ込んで。一刻もしない内に去ってしまった。
ボスには好きにしろと言われたんだ。だったら此も一つの選択だ。
其の足でギルドにも足を運んだが、待っていたのはボスと・・・例の男だった。
「戻ったか、丁度良い。仕事が来ている。ナレーに話は付けたから此奴と行け。」
相変わらずギルドの空気は重く、歓迎は全くされていない。
無数の目が重なって視線が深く突き刺さる。でもそんな事よりボスの隣に居た彼の男の方が私にとっては恐怖の対象だった。
「おっ、セレ来たのか。じゃあ一緒に行こうぜ。早速一緒に行けるなんてな。」
「・・・此奴と行かないといけないのか。如何しても、絶対に。」
一気に萎えて酷くげんなりとした顔を浮かべるが全く此奴には響いていない。
何が嬉しいのかニコニコして席を立った。
手を振るな、名を呼ぶな、此方に来るな。馴れ馴れし過ぎる。全てが嫌いだ、何処か行け。
「御前等何時の間に仲良くなったんだ。此奴なら前みたいな事はならないだろ。」
「無理だ。今度は私が此奴を殺すぞ。」
「・・・御前も極端だな。良いから行け。前言っただろうが。ルールには従って貰う。単身では行かせられないだろうが。」
「・・・・・。」
然う言われると仕方ない。我儘を言って餓鬼だと疎まれても困る。
「あ、おい待てよセレ、未だ何処行くか言ってねぇだろ。後挨拶位した方が良いぞ。・・・ボス、じゃあ行って来る。」
何も言わず其の儘背を向けてギルドを出ようとすると彼奴が付いて来た。馴れ馴れしくも背中を叩いて来たのだが未だ完治していなかったので鈍く痛みが走る。後其処は翼だ。
「・・・っ、」
「え・・・あ、わ、わりぃ、未だ治ってなかったのか。じゃあ未だ出て来ちゃ駄目だろ。嘗めてたら死ぬぞ。楽な仕事ばっかじゃねぇんだから。」
「此位、何でもない。抑先の所は翼だから叩くな、触るな。」
「お、おぉ翼があるのか・・・。えーっと、でも未だ成長期なんだし、怪我には本当に気を付けねぇと。小父さん位になるときついぞ。ボロボロになっちまって。」
「煩い、余計な御世話だ。」
睨み付けたが男は少し足を下げた丈だった。そして先導する様少し前を歩く。
・・・付いて行くしかない。今直ぐ逆方向へ向け飛び去ってしまいたいが、仕事の内容を聞いていない。
癪だが聞こうとした所で随分と男が上機嫌な事に気付いた。今にも鼻唄を歌いそうだ。
何て言うか人間が機嫌が良いのを見ると殺したくて仕様が無くなる。むかつくんだ。特に此の男の其の不細工な笑顔は。
「今から人殺しをするって言うのに呑気な奴だ。」
つい呟くも頸が折れるんじゃないかと言う勢いで男が振り返った。
目がキラキラしている。・・・うわ、気持悪い。言わなきゃ良かった。
「いや、其も然うだけどさ。でもこんなに早く御前と行けるなんて思ってなくてさ、つい。」
つい・・・?矢っ張り訳が分からない奴だ。
「化物と居られて嬉しいってか。どんな物好きなんだ御前。」
「化物とかはあんま関係ねぇけどさ、俺、餓鬼が好きなんだ。」
「・・・・・。」
今直ぐ、走って逃げても良いだろうか。此の私が人間相手に此処迄恐怖するなんて。
殺す事すら恐ろしい。全力で逃げたい。
初めて人間に殺され掛けた彼の日と同じか、其以上の恐怖だ。
寄るな、御前と同じ空気なんて吸いたくない。
「噫いや、前言った通り、仲間として扱うぜ、本当だ。只如何しても形は形だろ。つい可愛いなぁって思っちゃって、」
嫌だぁあぁ!!もう無理だ、限界だっ!何で一寸はにかんでいるんだ。無理、生理的に無理な奴だ此。
如何すれば良いんだ斯う言う時、こんな気持の悪い生物に遭ったのは初めてだ。一瞬で私の脳内キャパオーバーさせるなんてなんて奴だ。
まさかボス、此の男を厄介払いしたくて私を雇ったのか?駄目だ、頭がおかしくなって全てを疑いそうだ。
「あ、然う言えば前あげたハム如何だったんだ?口に合ったか?」
「・・・っぐ、」
何故そんな事を此のタイミングで切り出す。然うだ、然うだよ。彼はもう食べてしまったんだ。有ろう事かこんな男の施しを素直に受け取ってしまった。斯うなるのなら彼の場で捨ててしまえば良かった。未だ毒入りだったら良かったのに。然うすれば憾みで屹度殺せたのに。
「・・・美味しかった。」
其は事実だった。と言うよりああ言う肉自体を口にしたのが初めてだった。
・・・凄く美味しかった。一気にがっついてしまう程。
でも認めたくなくて極々雨音に紛れる位小声で、そして最大級の苦虫を噛み潰した顔を御見舞いしてやった。
もう嫌だ大っ嫌いだ。だから解放してくれ。仕事に行く前にこんな疲れて如何するんだ。
「そっかぁ、いやー良かった。然う言う事はちゃんと言えるんだな、うん、偉い偉い。後は有難うってちゃんと礼を言える様になれば満点だ。」
うわぁ・・・突然親気取りか、何だ其恐過ぎる。
「何でそんな事を御前に言わなければいけない。コミュニケーションを取る為丈だろう。不要だそんなの。」
だから御前も要らないんだ。此位分かれ。
「あぁー其もあるけど。・・・噫然うだ。御礼言って貰えるとさ、相手は嬉しくなって又しよっかなって思うんだよ。彼、又食べたいだろ?・・・まぁ今はそんな金ねぇけど。」
成程媚びて利用しようと言う訳か。其のテクニックは要るかも知れないが、果たして化物がやっても効果はあるだろうか。脅しにしかならないんじゃないだろうか。
・・・まさか此の男、私を餌付けしようと思っているのか?上手い事言って丸め込もうとしている気がしてならない。御礼を言えた御褒美で彼をくれるのか?完璧な調教じゃないか。其の手には乗らないぞ。
顔を背けたが、男のキラキラとした零星の様な目が放してくれなかった。
「・・・・・。」
言える・・・訳が無い。寧ろ言いたくない。感謝?御前が勝手に押し付けて来たんだろ。彼は彼の日の迷惑料にしかならない。
そんな言葉が必要になった事も、聞いた事も言われた事も此処一年、私が私を自覚した時からたったの一度も無かったのだ。
でも言わないと見逃してくれない視線がねっとりと絡み付く様だった。
だから私は其に喉を絞められる前に当ても無く駆け出した。
「え!?お、おい待てよセレ!何処行くんだよ!」
矢張りと言うか何て言うか、彼の男も付いて来る。そんなガクガクの足で追い付けるとは思わないが。
良いさ、私をこんなにも苛立たせた罰だ。死ぬ迄走れ。
・・・一年前の私なら素直に言えただろうか。こんな色々と考えたりこじつけたりせずに。否、こんな事を考える時点で、大分私の頭は如何かしている様だ。本当、気持悪い奴だ。
・・・・・
其からは何だ彼だで彼の男、ナレーとは其処其処長い付き合いになる。否、なってしまった。私は勿論不服だった。脱退しようと考えたのも一度や二度の事ではない。
気持悪くていけ好かなくて、何時も何時も置いて行ったり無視したりを繰り返したが、其の度に彼奴は私が見付かる迄走り続け、根気強く話し続けた。
だからまぁ、然う・・・私が折れたんだ。面倒臭くなって。気持悪いのを除けば比較的大人しい分此奴の方が他の奴より安全だ。然う考える事にした。ポジティブに取る事にしたんだ。でないとノイローゼになり然うだった。
其に何を思ってかボスが良く私と彼奴を組ませたのだ。他の奴の時に私がコミュニケーションを取れないからか彼奴が志望していたからかは知らないが、最早コンビとして周知の事実となってしまう位だった。運命とは惨酷だ。人が動かすのだから猶の事だ。
じゃあ今迄彼奴にパートナーはいなかったのかと言うと、本当に然うらしい。
少しずつ知った、と言うより悟ったのだが、彼奴もギルドでは逸れ者だったのだ。へらへらして世話焼きで、良く分からない奴だから。正に私が抱いた嫌悪感だった。
そしてもう一つ、其は此奴が子持ちだって事だ。然も自分の子ではない。
今迄の仕事やら何やらで孤児になった子を見付けては家族と称して連れ帰るらしい。新手の宗教か、恐過ぎる。
そんな事を命を軽視して互いに潰し合う彼の場で堂々とされれば興醒めするのは当然だ。
自業自得なのだ。大して能力も無い癖に金は要る物だからそりゃあ疎まれる。
そんな彼奴が出会った新人・・・否、人ですらないが、其が同じ様に嫌われ疎まれ、然も餓鬼なのだから猛アタックするのは必然だったのだ。
・・・矢っ張りボスの策略だったんだ。厄介払い、木偶坊の相手だなんて。本当に彼奴は悪だと痛感する。
噫もう何でこんなに彼奴の事、知ってるんだ。
其も此も全部彼奴の所為だ。無駄に何時も喋っているから記憶力の良さが仇になって憶えてしまったんだ。
本当に彼奴からは無駄な物許り貰った。
他愛のない会話を何度も何度も、飽きもせず。
そんなのも幾つか憶えているのだから本当参る。
此の前も確か・・・彼奴が捨てられていたゲーム機、だったか。変な箱型の機械を持って来て言っていたな。
貴族の坊ちゃんでも捨てたんだろうと彼奴は言っていたが、果たして其が何の役に立つ物なのか私は皆目見当が付かなかったのだ。
噫でも知識は詰まっていたな。然う、彼奴が其の時言っていたのだ。
“へーおいセレ、茸って食えるんだと。茶色いのは毒が無いとか、結構此なら生えてるよな。”
いや、私は其で四回位腹を壊した事がある。
でもそんな事を教える義理も無いので、寧ろ此奴が中でも飛切り毒性があるのを食べて一人死んでくれればと願った。
・・・然う、然うだ。知識が詰まっていると言っても雑学程度の物や眉唾物のも多かった。矢っ張り私からすれば要らない物だったが、彼奴が他にも色々と勝手に喋った所為でやっても居ないのに知っている事は増えて行った。
餓鬼にやるから持っていた然うだが・・・其を餓鬼にやって何になるのだろうか。働かせた方が余っ程有意義だと思うが。
“今月結構やばいんだよなぁ、一寸街中探してみようかな。如何だ、セレも来るか?山分けしようぜ。”
“・・・今からか?”
“お、結構乗る気だったりするのか?じゃあ気が変わらない内に行くか。”
“其の代わり味見し乍らにしろ。勝手に死なれても困る。”
“ん、如何言う事だ?毒があるのも矢っ張りあるのか?・・・て、え、俺が死んだら困ってくれるの?”
何とも言えない凄く気持悪い顔だった。嬉しいんだろうが本当能天気な奴だ。
“噫、看る事が出来なくなるだろう、家とかだと。”
“え、本当に?介抱とか、してくれんのか?”
“?介錯の間違いじゃないのか?服とか食べ物とか、少なくとも役に立ちそうな物は持ってそうだし、其を見繕う位はしてやる。”
“え・・・は、はは、もう冗談きついなぁセレは。ハハッ・・・はぁ。”
まぁでも彼の時の彼奴の彼の間抜けな顔は良かった。何時もの憂さを少し丈晴らせた気がした。
・・・いや、良くない何考えてんだ。馬鹿だ馬鹿だ。もう思い出すのは止めよう。彼奴の事を考えた丈で吐き気がする。
只そんな事で苛付いていられるのも最初丈だった。・・・否、今も苛立ちはするが、其よりも深刻な死活問題に又私は直面してしまったのだ。
日々貰っていた食料が激減して行ったのだ。予めボスには金ではなく、現物をくれと頼んでいた。金を貰っても使えないと言えば納得はしてくれた。
そして前ボスが言った通り、何時も誰かがボスの代理として食料を持って来たのだが、其が一日パン一切れだったりと明らかに少なかったのだ。勿論黙って受け入れる私でもないので直ぐに抗議をしたのだが、何しろ支給場所がギルドなのだ。私一体が吼えれば全員から睨まれ、殺してはいけないと言うボスのルールもあって手が出せなかった。ボスにも抗議はしたのだが、抑ボスは滅多に帰って来ないし、ボスが言った所で其は如何にもならなかった。告げ口をしただの何だの、より険悪になる許りだった。あんなに影響力のあるボスが言っても無駄な位、私と人間との溝は深かったのだ。最早天敵に近かった。共存なんて、最初から無理だったんだ。分かってはいたけれども。
其でも未だ一応、何もない彼の時よりはましだったのだ。仕事丈では生きて行けないのも確かだが、此すら貰えなければ其は其で生きて行ける自信も無かった。
「遅くなり過ぎたな・・・。」
そんな彼る日、何時も通り死体漁りをして一日を過ごしていたのだが、余り成果が上がらなくて終には霄になってしまった。
酔っ払いや破落戸に絡まれたくもないので何処か隠れられる所を探して歩き回っていた。
然うだ、此の辺りにはボスがくれた彼の家があるんだっけ、一晩位なら居ても良いかも知れないが。
鍵は未だポケットに入れっ放しだ。ボスに要らないとは言ったのだが、其の判断は正しいだの何だの言われ、鍵の返却も求められなかったのだ。すっかり御守りと化していたが、本来の用途で使われる日が来るとは思ってもいなかった。
死臭も染み付いてしまって気分が良くない。一眠りして陰霖がもっと強くなれば洗い流せるだろうか。
然う思って家の方を見てぎょっとした。
彼奴が・・・ナレーが居る・・・。
家の前、壁に背を預けて、何故か上着は来ていなくて寒そうに震えていた。
何だ彼・・・犯罪の臭がする。否、元から犯罪者で、其は私にも言えた事だが。
まさか私を待っているのか?嫌だそんなの、近付きたくもない。
黙って回れ右をしようとした所で彼奴と目が合った。
・・・噫、最悪だ。
逃げたら又追い掛けられる。どうせ用事が済んだら彼奴は帰るんだ。早目に終わらせよう。此の儘凍死されたら私が犯罪者扱いされる。
息を付き、観念して傍迄行ってやる。
彼奴と言えば呑気に手を振って、やっと来てくれたと許りに先より一層目を輝かせて気持の悪い笑みを一杯に浮かべていた。
・・・逃げたい、もう嫌だ此奴。
「・・・何の用だ。」
「遅いぞセレ、まさか何時もこんな時間迄ほっつき歩いてるのか?もう餓鬼は寝る時間だぞ。チビのまんまで良いのか?」
「煩い、御前に関係無いだろう。用が無いならもう行くぞ。」
「え、行くって此処だろ?御前ん家。」
「違う。ボスからは貰ったが使っていない。」
「え・・・あーくそ、まさかボスに嵌められるなんて、分かってて此処を教えやがったな。」
つい住んでいない事を言ってしまったな。然う言った情報は広がって欲しくなかったから黙っていたのに。
・・・まぁ此奴は仲間も少ないし、言い触らしたりはしないか。余り気にしてなさ然うだし。
黙って睨み付けているとやっと横道に逸れていた事に気付いたかはっとした様に奴は目線を上げた。
「然うだ然うだ。御前、前氷鏡見て言ってただろ。初めて見た氷鏡に似てるって。じゃあ御前の誕生日は此の日にしようかなって思ったんだよ。御前知らないって言うし、でも年に一度位斯う言う日が無いとやってられないだろ。」
「・・・何勝手に私の記念日を作ってるんだ・・・。」
正直引く。気持悪い。御前に管理されるつもりはないのに。良くもまぁ何時もこんな気味の悪い事を思い付く物だ。
何だ誕生日って。別に私は彼の日生まれたって訳じゃない。
現在迄続く、そして正に今現在進行中の地獄の初まりの日って丈だ。祝われる事なんて一つも無い。何も芽出度くない。芽出度いのは此奴の頭の中だ。
一層怪訝な顔を浮かべるも気にしない様で奴は不自然に後ろに回されていた手を出した。
此奴もすっかり私の眼光に慣れてしまった様だ。他の威嚇を考えないと、そんな事を思っていた自分に突き出されたのは綺麗に畳まれた古のオーバーコートだった。
「此、やるよ。もう其ボロボロだろ、破けてるし。此、俺の御古だけどさ、ちゃんとクリーニングに出したし、繕ったから大分丈夫だぜ。新品は御前が大人になったらな。」
「此・・・良いのか?」
大きく奴が頷いたので怖ず怖ずと手に取る。
其は良く見慣れた何時も此奴が来ていたオーバーコートだった。
今着ているのより少し大きい。早速襤褸布同然だったオーバーコートを脱ぎ、奴のだったオーバーコートに袖を通した。
ごつい。其に凄く温かい。何処も穴が空いていないし、フードも大きい。
唯一気に入らない事があるとすれば彼奴の臭がする事位か。
「如何だ?あ、御前鼻良いから小父さんの臭がするかも知れねぇけど其処は目を瞑ってくれよ。」
「・・・凄く温かい。・・・有難う。」
ぎゅっと袖を掴んでみる。・・・何だか少し、安心する。
すっかり此奴に毒されてしまって、礼位は言える様にはなっていた。言えば此奴は直ぐ納得して離れてくれる。其の為に身に付けた処世術だ。
「うんうん、ちゃんと御礼も言えて偉いなセレ。な、躯丈じゃなくて、何か心がほっとしないか?内側からさ。」
随分な子供扱いをされてつい剥れてしまったのだが、其の何だか謎掛けの様な言葉に少し首を傾けた。
・・・若しかして此のオーバーコートに何か仕組んだのか?もう随分昔に捨ててしまった物について問われても反応に困る。
「する様な・・・良く、分からない。」
「そっか。嬉しい事とかあるとさ、温かくなるもんなんだぜ。幸せとかって言うだろ?ああ言うの。俺も御前に御礼言われたからもう・・・っくしゅっ!!」
盛大に嚏をして奴は鼻を拭くと罰が悪そうに苦笑いして手を振った。
「んじゃ其丈だからさ、又明日頑張ろうぜ。じゃハッピーバースディ、セレ!」
恥ずかし気もなくそんな事を言って彼奴は走り去って帰ってしまった。
彼奴に遭ってしまったし別の寝場所を探そうかと思ったが、オーバーコートを不要に汚したくなかった。
・・・当初の予定通り今日は此処で寝よう。別に一晩位なら何も無いだろう。私が此処に甘えなければ。
今迄着ていたオーバーコートを拾い、鍵を開けて中に入る。
まさか彼の時話した事、憶えていたなんて。
彼の時彼奴は一体何時が自分の誕生日だと言っていたか、私は忘れてしまったのに。
今、懐い出せない事を少し、本の少し丈、後悔した。
・・・・・
其から更に数日、私は数奇な出会いをした。
其の日も特に仕事が無くて路地裏辺りを歩いていたのだが、突然悲鳴が奥から響いた。
折角寝床になりそうな良い所を見付けたのに。騒ぎの原因を探る可く、声を頼りに足を進めた。
直ぐ原因は見付かった。如何やら一人の街人が破落戸に襲われていたらしい。
路地の角で事は起こっており、既に街人は事切れていた。
身を投げ出した女性の腹部からは大量の血が零れ、見開かれた目が閉じる事はない。服が乱暴に破かれているから抵抗はしたのだろうが、刃物に肉は勝てなかったのだろう。一方的に甚振られた様でもある。
破落戸は二人居て、女の所持品を漁っている様だった。
此が私の立場がヒーローであったなら護れなかった、間に合わなかったと一つの悲劇となっただろう。だが私は悪だ。化物だ。私からすればもう騒ぎを立てる一人は既に片付けられており、其に群がる愚かな獲物が二人も掛かった、只の幸運だった。
あんなのが近くをうろついていたのか。面倒を起こされても迷惑だし、丁度良い、殺して置くか。
隙を窺って少しずつ近付いていると一人が手にしていた蓋付きの籠に手を突っ込み、指でも挟まったのか騒ぎ出した。
・・・随分と間抜けな破落戸だな。力を使う迄もない。
狙いを定めていた尾を思いっ切り突き、男の首を捥ぎ取った。
「え・・・あっ・・・、」
全く状況を理解出来ていないもう一人の視線が横の首無し死体に釘付けになっている隙に刃を振るって其奴の首も飛ばした。
さて、と。何か使える物でも持っていると良いが。
恐らく女の物だったのであろう散らかっていた所持品を漁って行く。
死体は陰霖に晒され、直ぐに冷たく硬くなって物との区別が付かなくなる。
放って置けば臭に気付いた近隣住人が片付けるだろう。其迄じっくり品定めでもするか。
暫く陰霖に打たれるが儘然うしていると不意に傍の籠が動いた。
足が当たったか・・・否違う。中に何か居る?
慎重に蓋を開けると其処には小さくなっていた黔猫が居た。
透ける様な碧の瞳で、毛並も良い。一丁前に絳のリボンを、首輪代りと長い尾の先に結わえてあった。
黔猫は上目遣いに私を見て必死に匂を嗅いでいた。
成程、てっきり破落戸は籠の蓋に指が挟まったのかと思ったが、此奴が咬み付くなり引っ掻くなりしたのだろう。
でも珍しいな、猫か。此処は野良狗も猫も鼠も虫さえ殆どいない。皆食べられてしまったか病気か飢えか、人間に甚振られたかして死んだのだ。
私も、生きているのは初めて見た。
見た所、如何にも大事に育てられた、正に貴族の猫と言った風だ。
そんな此奴の飼主が何故こんな路地を一人でほっつき歩いていたのかは分からないが、攫われたりしたのかも知れない。良くある不幸だ。本人にとっても、黔猫にとっても。
でも私にとっては幸運だ。貴族の猫なら屹度美味しいんじゃないだろうか。少なくとも変な病気に掛かってはいない筈。
昔彼奴に貰ったハムの味を思い出す。手順だとかは分からないので彼程じゃないにしても十分期待は持てる。
鳴かれても困るし、早速首を落として血を抜こうと手を伸ばした。
「っあ・・・、」
だが其の途端躯に痛みが走った。何時も突然来る彼の痛みだ。
伸ばし掛けていた手で胸元を押さえる。冷汗がどっと流れ、目が回る。
息も荒々しくなって治まらない。早く、横にならないと。でも死体は如何する、少しでも隠さないと。
悩んでいると黔猫が軽々と籠から身を乗り出した。そして斃れてピクリとも動かない主を見遣ると、
「ミゥ。」
一つ丈短く鳴いて路地から駆けて出て行ってしまった。
「待っ・・・っぐ、」
再度手を伸ばした所で何にもならない。折角の食糧だったのに見す見す逃すなんて。
悔やんだって遅い。其よりも今は、隠れないと。
意識を失いそうになりふら付く上体を押さえて、私は早速作業に取り掛かった。
・・・・・
大分驕陽が沈んだ頃、私は目を覚ました。如何やら気絶してしまったらしい。
痛みは引いている。多分数時間しか経っていない筈。今回は早目に済んで良かった。
今一、何処が変わったか良く分からない。・・・若しかして頸の後ろに鬣みたいなのが生えているか?何かフサフサしている・・・。まぁ此の分は良い。大した事ではない。
何をしていたか横になった儘頭を巡らす。
確か死体があって・・・丁度近くにブルーシートがあったから寄せた死体に其を被せて、私は其の近くに立て掛けてあったトタン板の隙間で休んでいた筈。
然うか、痛みの余り気絶していたのか。じゃあ先ずは死体を片付けないと。何か持っていると良いが。
緩りと上体を上げる。すると手に触れる物があった。
芥か何かかと思い退けようとしたが其が温かい事に気付き、思わずぎょっとして身を引いた。
其処には、彼の黔猫が居た。私の御中の辺りで丸くなっていた様だ。こんな近付かれても気付かなかったなんて。
にしても何で戻って来たんだ。死体ではあるが主の所に戻って来たつもりなのだろうか。今更何をしようがもう遅いと言うのに。
でも丁度良い。今度こそ捕らえるチャンスだ。
慎重に頸を狙っていた所でつんと腥い臭が鼻を突いた。
何だ此は、死体とも違う。
そっと視線を動かすと、黔猫の横に小振りな生魚が数匹置かれていた。
此は・・・此奴の食糧か?付いている。此方も戴くとしよう。
「ミゥ。」
少し目を離した隙に黔猫は目を覚まして起き上がった。大きく伸びをして此方を見る。
不味い、又逃げられる前に、
慎重に手を伸ばしていると黔猫は傍にあった小魚を銜えて私の前に置いた。
・・・?
此は、くれると言う事だろうか。此をあげるから命丈は、みたいな所だろうか。
「ミゥー。」
黔猫は尾をパタリと落として上目遣いに此方を見る。
・・・怯えている訳ではなさそうだ。呑気に一緒に寝ていたのだからまぁ然うか。でも逃げる気は無いのか?状況、分かっているのか?
「・・・くれるのか?」
聞いても答えてくれない。言語が違うのだから仕方ないか。私も猫の言葉は分からない。
そっと小魚を手に取ったが別に黔猫は変わらず座った儘だ。
所か私の腕に頭を擦り付けて来た。僅かに甘え声を上げている。
此は・・・懐かれている?
如何言う事だ。まさか私が命を救ってくれたと、主の敵討を果たしてくれたと勘違いしているのだろうか。
結果然うなったとしても其処に私の意思は無い。然も私は今正に此奴を喰おうとしているのに。
・・・人間でも偶々同じ様な状況に陥った事があったか。漁夫の利と許りに破落戸を片付けたら餓鬼が残っていて、
彼の時は随分涕き叫ばれて全て私の所為にされて偉い目に遭った。結局彼の時は殺したのだが、然うすると此の黔猫は随分大人しく、友好的で、言い方はおかしいが言葉が分かる奴だと言えた。
其なら人間みたいに殺しの対象にはならない。私怨では刈らない。でも生きて行くには必要な糧だ。大人しくしている内に殺すしかない。
・・・いや、待てよ。若し此の黔猫が私に恩義を感じているのなら、利用出来ないか?今直ぐ飢えて死ぬ訳ではないんだ。私も、出来る事なら存分に其の利用価値を活用したい。こんな幸運、然う無いんだ。
取り敢えず此の儘此奴を野放しにすれば又魚なり何なり持って来るかも知れない。可愛がれば其の可能性はもっと大きくなるだろう。又人間なんかに尻尾を振る前に私の物にしてしまえば良い。
なに、別に飼う訳じゃないんだ。良き相知として一緒に居れば良い。簡単な事だ。
然うと決まれば先ずは私に慣れて貰わないと困る。
如何やら一緒に寝ていた様だし、此の姿に特に違和感を持ってはいない様だが。
試しに一応目立たない様尾を出してみた。
・・・まさか仲間だなんて、思ってないよな。同じ黔くて長い尻尾だが。
後は・・・御礼を言わないといけないんだ。彼奴の教えを信じるなら、御礼を言う事は媚びに繋がる。相手を煽てて、又食料を持って来て貰うのだ。
でも如何すれば伝わるだろう。言葉は分からないし・・・然うだ。撫でれば良いんだ。彼奴が何時も私にして来る奴だ。私からしたら迷惑此の上ないが、彼も愛情表現の一つらしい。・・・愛情なんて感じないが、只の自己満足の気もするが。
物は試しだ。そっと手を伸ばして、頸の辺りを撫でてみた。
棘や逆刺が此の手にはあるので慎重に。黔猫も大人しくしてくれたので初めてだったが撫で易かった。
・・・あ、凄いふわふわしている。否、モフモフか?温かいし、ずっと斯うして居たくなる。こんな感覚、初めてだ。
気持良い。こんな鈍感な手でも分かるなんて不思議だ。
意外な発見につい目を丸くしていると黔猫も気持良いのか目を細めて喉の辺りをグルグル鳴らしていた。
ふむ、此なら楽で良いじゃないか。一石二鳥、否其以上だ。
喉から込み上げて来る笑いを押さえて暫く私は然うしていた。
結局死体を片付け、小魚を焼いて食べ、古新聞の中に埋もれて眠る迄黔猫は私の傍に居たのだった。
・・・・・
彼から数日経ったが、私の目論見は成功した。
彼の黔猫は私に毎日何かしらの食べ物を持って来た。猫だから国が管理している蕭森だとかへの抜け道があるのかも知れないし、若しかしたら前飼われていた家に取りに行っているのかも知れないが、飼い猫だった割には中々良くやってくれる。
只、少し許り問題があった。甘えん坊過ぎたのだ。彼の黔猫、仕事迄付いて来ようとしたので何度追い払ったか分からない。
ギルドにでも知られてみろ、何をされるか分かった物じゃない。弱みにされても困るし、揶揄われるのは腹が立つ。
仕方ない事だと分かりつつも、決まって其の時何時も彼奴が浮かべる、彼の悲しそうな目と鳴き声が亡霊の様に付き纏って嫌だった。
其に・・・、
「・・・一つ、教えて欲しい事があるんだが。」
「お、何だ珍しいな、良いぜ。此の先生に任せなって。」
ナレーと仕事中、渋々私は聞いてみた。
因みに余談だが此奴は元々教師だったらしい。結構な身分だ。其が如何転がって間抜けな人殺しと化したのかは知らないが、職業柄此奴は何かと教えたがる。こんな風に話題を振るともう気持悪い位上機嫌になる。
でも流石にそろそろ聞かないと・・・はぁ、嫌になる。さっさと終わらせよう。
「・・・リボン結びの仕方を教えてくれ。」
「へ?お、おぉ良いぜ。ほら、じゃあ此方でしようぜ。」
彼奴は適当な軒下へ行って屈んだ。如何やら靴紐でしてくれるらしい。
「良いか?先ずは一回結んで、次に輪っかを作って・・・、」
言い乍らあっと言う間に完成形になってしまう。
中々面白い。出来上がりからは想像も付かなかったが、そんな風にするのか。
此でやっと彼奴にしてやれる。
然う、もう一つ困っていた事は、数日前、彼奴のしていたリボンが解けてしまったのだ。放って置けば良いと思ったのに、如何やら彼が御自慢だったらしく、其の日から彼奴は尾と頸にしてあった二本のリボンを口に銜えてニャーニャーミーミーとせがんで来るのだ。
流石に言葉は分からなくても其を結んで欲しいんだと言う事は分かった。でもリボン結びなんて可愛らしい物をした事もないし、靴もずっとブーツだったので靴紐すら結んだ事が無い。
何より此の手では然う器用に出来ない。下手すると紐が千切れてしまうのだ。
試してはみたのだが、結局彼奴の頸を絞めてしまったりと随分酷い事をしてしまった。其処でもう素直に教えて貰うしかない、然う諦めたのだ。此奴に聞かないといけないのは癪だが、彼奴を其の儘にして置くのも心苦しかった。其が原因で私から離れても困るし、ずっと鳴くので煩いし、邪魔になるし。
でも確かにこんな結び方だと彼奴一匹では出来ないな。得手不得手に関しては仕方ない。私がしてあげよう。其位の心配りは私にだってあるのだ。・・・人間以外ならだが。
「・・・若しかして髪括ったりするのか?俺、やってやろうか?綺麗なリボンあるし、前髪減らしてすっきりさせたらもっと別嬪になれるぜ。」
「違う。抑顔を晒してはいけないだろう。別の用事だ。」
特に御前みたいな人間に分ける心は持ち合わせていないな。抑人間の所為で捨てる羽目になったんだ。
「ふーん。ま、色々知るのは良い事だと思うし、何かあったら言えよ。」
「・・・有難う。」
「良し良し、んじゃあ行くか。・・・あ、然うだ。御前噂で聞いたんだけど、若しかして猫飼ってるのか?」
「飼っていない。彼奴が勝手に付いて来る丈だ。」
・・・不味い、もう知られているのか。此は彼奴に身を隠す方法を教えてやった方が良いのかも知れない。問題は教え方か・・・。
此の男はうざったい丈で何もしないにしても他の奴は何をするか分からない。
予想通り其の答えを聞くと彼奴は彼の気味悪い笑みを浮かべた。凄く嬉しそうで寒気と吐き気が込み上げて来る。
「へーへぇー御前が猫かぁ。凄いなぁ、野性なんて良く見付けたな。可愛いじゃねぇか付いて来るなんて。」
「煩い。御前に関係ないだろ。」
余言い触らすな。誰が聞いているのか分からないのに。
「相変わらず釣れないなぁ。じゃあ名前丈でも教えてくれよ。な、見せてくれと迄は言わねぇからさ。」
「無い。」
「お・・・おぉっと、此又珍しい名前だな。個性的で良いんじゃあ、」
「だから、彼奴に名前なんて無い。」
正確には知らない。だが、そんなニュアンスの違いなんて此奴は気付かないだろう。
「え?は?何で付けてねぇんだ?困るだろ、其だと。」
煩いって言った許りなのに・・・。
其の動作も言い回しも一々態とっぽくて嫌気が差す。
「何で私が付けるんだ。彼奴には彼奴の、元からの名前があるのだから私が勝手に変えて良い物じゃない。私を見た丈で化物だと呼ぶ奴等と同じじゃないか。彼奴の名前が分かる迄、言葉が分かる迄は呼ばない。」
彼奴の飼主が何て呼んでいたかはもう聞けないんだ。でも此奴の言い方からして若しかしたら同じ人間である飼主も彼奴の真名も知らずに勝手に名付けていたのかも知れない。
名付けは、支配に繋がる。名が体を作ってしまう。私が化物なのは全て然う呼ぶ人間の所為だ、と迄は言わないにしても。
・・・そんな酷い事出来るか。私は少なくとも彼奴にやり返さなければいけない様な事は一つもされていないのだから。
そんな事をしてしまえば、人間と同じだ。
「ほー矢っ張り賢いなぁ御前。そんな事、考えた事も無かったな。」
「流石人間だな。恥を知れ。」
「え、其処迄言う?ま、俺が世話する訳じゃあねぇし、兎や角は言わねぇけどさ。」
もう十分言っているが・・・。
じっと睨み付けると困った様に其奴は笑って足を速めた。
「でも実際問題猫の分迄稼がないといけないのは大変じゃないか?御前だって何時も腹空かせてる身の上だろ。」
未だ聞くのか。本当懲りない奴だな。飼っている訳でもないと言ったのに。
此処迄話を聞かない奴が他にいるのか。其の上世間話が好きなのだから迷惑此の上ない。
後何時も腹を空かせているのは余計だ。図星だとしても言って良い事と悪い事位あるだろうが。
・・・はぁ、結局全て駄目出しだ。今迄良く自分は堪えていると熟思う。こんな奴とずっと連んで話をしてやるなんてひょっとして私は案外器が大きいんじゃないかと錯覚してしまう。もう一種の才能だ。
「・・・然うだとしたら何だ。優しくて御節介好きなナレー様が食べ物でも恵んでくれるのか?口丈なら幾らでも言えるからな。」
「あーもう嫌味ばっかり一丁前に言いやがって。いやさ、俺はほら、餓鬼多いだろ、今更一人増えたって変わんねぇし、何なら来ないかなーって思ってさ。」
「・・・子供好きも大概にしたら如何だ。」
噫、久し振りに聞いてしまった、此奴の子供愛。本当に気持悪いからそろそろ自覚を持って欲しい。そんな荒唐無稽な話をする丈で萎えて来る。
思いっ切り睨み付けてやると奴は頭を掻いて外方を向いてしまった。
「実際問題大変なのは其方だろう。私が加わった所で如何なるんだ。御前の稼ぎは少ないし、別に御前は自分の餓鬼を人殺しになんかするつもりないんだろう。化物と一緒に暮らせる訳がない。」
「ば、化物なんかじゃ・・・っ、」
声が大きい。漆黔の目でもう一度睨むと流石に奴も口を閉じた。
「御前ですら私にびびっている癖に御前の餓鬼が私を恐れないとでも思っているのか?其は御前の勝手なエゴだ。私は別に誰かに飼われたい訳なんかじゃない。好い加減其位気付いたら如何だ。」
下らない下らない。御前がしているのは只の家族ごっこだ。御前が愛とやらを其の餓鬼共に与えた所で何になる。どうせ餓鬼共は理解なんてしやしないぞ。御前がエゴで育てるから、世界の事も知らずに息を吸う。
例えば今私が御前を殺せば間違いなく餓鬼共は私を殺しに来るぞ。一瞬だ。簡単に消し飛ぶぞ。何にも成らず、実らずに刈り取られるぞ。
「・・・わりぃ、今のは忘れてくれ。足、止めちまったな、行こうぜ。」
「・・・・・。」
何時も此奴は簡単に手を引く。だから今迄辛うじて付き合えて来たとも言えるし、だから駄目なのだとも言える。
一度位怒れば良いのに。中途半端に何時も誘いやがって。怒って、手を出せば、しつこく食い下がってくれば、御前を殺せるのに。
理由が見付からないから手を下せない。私が何か返す程の事をしないから何も返せない、変わらない。
此の儘ずっと・・・何時迄?何時、止められる?此奴に見切りを付けられるんだ。何時になったら此奴は愛想を尽かして去ってくれるんだ。
「でもまさか御前が此の依頼を受けるなんてな。いや、こんな作戦を立てるなんて、か。」
「一番安全で確実な方法を選んだ迄だ。使える物は使う。」
「・・・御前が其で良いならまぁ俺はそんな言わねぇけどさ、嫌だったら止めて良いんだからな。」
つい苦笑を漏らしてしまう。何だ其、そんな甘えた事をすれば即刻首だぞ。御前一人じゃあ出来ない癖に。
あぁあ、醜い丈の偽善者め、口先丈のペテン師め。
「此の仕事に私を選んだ時点でボスも此の作戦にする事を念頭に置いたんだろう。なに、娼婦の仕事よりましだ。」
「う゛、いや御免、彼の時はマジで。」
頭を掻いて本当に心底申し訳なさそうに彼奴は頭を下げる。
相変わらず変な奴だ。何で何もされていない此奴がそんな傷付いた様な顔をするのか、良く分からない。
でも彼の時は本当に最悪だった。
風俗に客として手を出した高官を殺す為にあんな真似、するなんて。
化物相手の、然も子供なのに欲情する奴がいる事も驚いたが、私が雌ではない事も初めて知った。まぁ人間基準の当て推量なのだから結局は良く分からないが、然う言う意味では雄でもなかった訳だし。
同族に会った事が無いから其の辺りは良く分からず仕舞いだが。
触られた時は本当に最悪だったが、私が雌じゃないと分かった途端、彼奴が浮かべた表情を見るのはそんな悪くは無かった。今から殺す奴の最期の表情だと思うと猶の事。
でも人間の気持悪さと不気味さを再認識させたあんな仕事はもう二度と受けたくはないな・・・。あんな狭い部屋で人間と二人限にされるのは恐かった。久し振りに本当に恐怖を感じたから。
私の嫌いな私の弱さ、其をああも晒されたのは。
其奴を殺した後にナレーと合流したのだが、彼奴の顔を見て正直ほっとした。
でも、何で此奴の顔を見てほっとするんだと心底嫌だった。其丈私が彼の人間を恐れていた事になるし、何より此奴に気を許している私がいる。其の認識を自覚して、最悪だった。
此奴の段取りが悪かったから私がこんな目に遭ったのに。まるで此奴に助けられた錯覚を覚えて。
・・・忘れよう。考えても腹が立つ丈だ。
「着いたか。」
深々被っていたフードを少しずらし、上目遣いに其の建物を見遣る。
此の芥溜めの様な灰色の街に似合わない継ぎ接ぎだらけの大きなカラフルなテント。
足元に散らばるチラシを見ていると一人のピエロが飛び跳ね乍らやって来たので慌てて彼奴の背中に隠れた。
「サーカスねぇ、まさか俺の餓鬼共とじゃなくて御前と行く事になるとはなぁ。俺初めてだから一寸興味あったんだけど、何か悪いな。矢っ張面白そうだな。こんな此の世界でも珍しいテーマパークの住人を殺さないといけないのは少し腑に落ちねぇけどさ。」
テーマパーク・・・か、夢が全て面白おかしい訳では無いがな。
「夢見るのは勝手だ。私も好きで御前なんかと来た訳じゃない。其に此処は・・・今迄私が行った事のある他のサーカスや見世物小屋より刺激が強いぞ。」
「へぇーって御前本当色んな所行ってるなぁ。若しかして何か芸って出来るのか?」
そんなキラキラとした目を向けられても萎える丈だ。子供より燥ぎやがって。
「何も。今の仕事と然う変わらなかったからな。」
「は?其って一体・・・、」
「入れば分かる。御前はさっさと先言った通り座長に話付けろ。」
「おっと然うだな。って其本当に付けるのか?一体何処でそんなもん拾ったんだ?」
質問しか出来ないのか此奴。相変わらずの木偶坊だ。只今回の仕事は人間が一緒に居る方が遣り易い。今回は我慢だ。耐え忍ぶんだ。長い戦いになる。
私が懐から取り出したのは鉄の首輪だった。鎖のリードも付いており、結構重い。只見た目よりずっと脆く、此の歪な爪さえ捩じ込めば鍵が無くとも開くのだ。其を自分の頸に掛けて、鎖の先を彼奴に渡す。
「何処にでもあるだろう此位。此処の座長は猛獣が好きなんだ。形丈でもしていれば簡単に気を良くする。」
「然う言う物なのか?ま、此は御前の作戦だ。俺は言う通りにするぜ。」
彼奴が歩き出すと短い鎖は直ぐ伸び切って引っ張られる。
分かってはいたが嫌な物だ。こんな奴に付いて居ないといけないし、何時もよりずっと近くに居ないといけない。気が緩むと直ぐにでも鎖を壊してしまいそうだ。
何より演技とは言え此奴が私の飼主になるなんて・・・いや、其を踏まえた上での作戦だ。仕方ないだろう。
私が四足になるとより一層彼奴は怪訝そうな顔をした。鎖を引く手を下げてしまっている。
「いや、矢っ張こんなの良くないだろ。此だと俺、御前の飼主みたいだろ。人間にする扱いじゃねぇよ。」
「みたいじゃなくて飼主になれと言った筈だが。私よりましな役なんだから良いだろう。」
仕事なんだからそんなぐだぐだ言うな。そんなんだから御前は使えないんだ。何で私が進んでこんな事をしないといけない。少しは察しろ。
一つ溜息を付いて彼奴も諦めたらしい。成る可く鎖を引っ張らない様気を遣って緩りテントの中へと入ったのだった。
・・・・・
「化物が見付かったのは本当か!?」
「あ、座長。然うらしいです。此の男が、」
団員に声を掛けると直ぐ応接室の様な所へと通された。彼奴は椅子に、私は床で丸くなっていると騒がしい足音をさせて長身の男がやって来た。其の男に付く様に二人の筋骨隆々とした男も並ぶ。
他の団員はまるで芥でも見るかの様に冷え切った表情を浮かべて離れて行くのに、座長は随分嬉しそうだ。
相変わらず趣味の悪い金に光るスーツを纏い、鼻に掛けてある小さな丸眼鏡を持ち上げた。
今更だがこんな私を歓迎する奴は此奴以外然ういない。利益のみを求める人間の目には私の醜さは映らないらしい。
・・・隣の男には如何見えているのかは未だ分からないが。あ、いや、餓鬼にしか見えないのか。もう病気だろう其。
「お、おぉ〜!!此は紛れも無い、化物じゃないか!脱走した時本当に悲しかったんだぞ。いやー良く帰って来てくれた!」
嘘吐きだ。路地裏で寝ていた私を勝手に攫って檻に入れた癖に。御前が悲しんだのは入って来なくなった金に対してだ。
腰を屈めて座長が寄って来たので牙を剥き、翼の羽根を逆立てて唸り声を上げた。
苛立たし気に尾で何度も床を殴るが、満足気に座長は頷く許りだ。
「おぉおぉ、随分と粋が良くて良いじゃないか。此は開演が楽しみだなぁ。」
初めて私のそんな声を聞いたらしい彼奴はすっかりビビったのか口に手を当てて目を見開いていた。
然う言えば威嚇、した事なかったか。通じているのかは別で話が分かるから何時も口で言っていたが。
そんなビビるのならさっさと捨てて逃げてくれれば良いのに彼奴の足迄は動かなかった。
「あの俺、少し前に此奴を拾って、んで色んな所回ったんですが如何も此処に戻って来たかったみたいなんで連れて来たんですよ。宜しければ世話役として俺も雇って貰いたいんですが。」
しどろもどろになり乍らも然うナレーが口を出すと座長はちらとナレーを眺め、序で私を見て口端を釣り上げた。
「良いだろう良いだろう、私も助かる。御願いしよう。いや、公演の二日前に来てくれたのは幸運だ。早速調整しよう。昔の演目は覚えているかな。御前は飛切り人気があったんだ。此処のスターだったのに。脆い檻に入れたのがいけなかったなぁ。」
「スター!?其奴はスゲ、いや、本当に凄いですね。一体何の芸をしてたんですか?」
そんな事、聞かなきゃ良いのに。思わず意地の悪い笑みを浮かべてチロリと舌を出してしまったのでそっと隠す。
座長は良くぞ聞いてくれたと許りに腕を揺すって妙に演技掛かった咳払いを一つした。
「おや、君は未だ見た事が無いのかい。残虐な化物の晩餐を。氷鏡も眠った霄の街を一人の少女が歩く。恐ろしく悍ましい化物が潜んでいる事も知らずに。突然血の芳しい香りを振り撒き乍ら現れた化物に驚いた少女は逃げ惑う。涕いても叫んでも誰も助けに等来ない。然う、呆気なく少女は化物の尾に貫かれ、其の歪な爪で四肢を冷たい甃に縫い付けられ、生きた儘内臓を抉り取られ、貪り食われるのだ。少女の悲痛な叫び声は儚く闇に消える・・・はぁ、何て美しい。最早神聖な儀式と同列だ。何より私が好きなのは最後に化物が尾で少女の首を捥ぎ取って観客へとプレゼントする所なんだ。アドリブから始まった訳だが、其はもう大盛況で、こんなに小さくてもスターの素質は十分持っていてね。私は甚く感動した物だ。」
「え・・・あ、そ、其が演目、ですか。」
此奴相変わらず演技下手だな・・・。屹度此奴が想像していたのは戯けて笑って楽しめる夢の国の様なサーカスなのだろうが此処は違う。
此処は人殺しが中心のサーカスだ。ピエロも猛獣もバイクも綱渡りも人を殺す。
大量に仕入れた奴隷を如何に残虐に画期的方法で惨殺するか、其が此処でのエンターティンメントなのだ。
・・・抑私なんかがスターになれる時点で程度が知られているだろうに。私が旻中一回転を極めようが玉乗りを披露しようが此の姿の時点で金が入る訳がない。
思った通り彼奴は青くなってだらしなく口を開けてしまっていたのでそっと尾で足の脛を殴った。
はっとしたナレーは頭を一つ振って息を付く。
「成程、其は是非とも見てみたいのですが、座長、実は此奴、二つ魔術を習得してまして、今回は其を試してみるのもありかとは思うんですよ。消失魔術と転移魔術なんですが、任意の相手を直接壊すか、何処かへ転送させるんですよ。」
「ほぉお!素晴しい!術となると其こそ太古の魔物の様ではないか。太古の化物が氷鏡と共に目醒めて増え過ぎた人間を間引いて行く・・・。良し、粗くはあるがストーリーも作れそうだ。術になると生々しく新鮮な血しぶきや肉片は期待出来ないかも知れないが悪くはないぞ。」
「俺も気に入って貰えると思いますよ。只・・・あの、先から気になってたんですが此奴は化物なんかじゃなくてちゃんとした・・・、」
慌ててもう一度尾で足を打つ。余り手加減をしなかったので怪我させたかも知れないが致し方ない。
何勝手に名乗ろうとしてるんだ。私達が何をしに来たのか忘れたのか。何よりこんな奴に名乗る必要なんて無い。人間なんかに告げる名なんて無いんだ。抑御前にだって名乗るつもりなんて毛頭なかったのに勝手な事はするな。
其の口が二度と開かない様にきつく睨んで低い唸り声を上げるとやっと彼奴も黙った。
私のそんな声を聞いて座長は迚も満足そうに笑った。
「良し、では練習は明日からで。今日はじっくり慣れて貰う為にも中に入って貰おう。おい、此の前死んだリザードの檻が未だある筈だ。彼所へ案内しろ。」
「うぇ・・・あ、はい、分かりました。」
傍に突っ立っていたピエロの一人に然う声を掛けると座長は慌しく部屋を出た。ボディーガードの男もじろりと此方を睨んで付いて行く。早速引札や演目の調整に取り掛かるのだろう。
ピエロは酷く嫌そうな顔を浮かべ、何も言わずに部屋を後にする。
ぼーっと突っ立っている彼奴の足をもう一度打ち、ピエロの後を追う様急かした。
全く、此奴が飼主になるなんてもう二度と御免だ。手が掛かって面倒だ。
・・・別に他の奴が良いと言う訳でもないのだが。
・・・・・
ピエロに暫く付いて行くと、暗い倉庫の様な所に付いた。
其処には沢山の檻が敷き詰められており、中には見た事も無い様な生き物が閉じ込められている。
いやに爪の長い猫、人一人呑み込めそうな胴を持つ蜥蜴、きらびやかな翼を持った駝鳥に、刃を沢山背負った兎も居る。
然う、此処は日々人殺しをして生きている猛獣達の唯一の居場所だった。
私には持って来いの場所と言う訳だ。
ピエロに対し牙を剥いたり吼えたりする奴等だったが、其の後ろに自分が居た事に気付き声を顰める。
彼等も一緒だ。私を恐れて縮こまる。だが戦いもせず逃げ去ってくれるので人間よりはずっとましだった。
懐かしい。相変わらず此処は人間なんて居ないのに血の濃い臭が粘付いている。
其の奥に一際大きな檻があった。人間が中で寝転がっても十分な大きさだ。
「んじゃ其の化物は此方に入れて下さい。」
「あ・・・はい、分かりました。」
ピエロが檻の入り口を開けると、辺りの獣達にすっかりびくついた様子だった彼奴は怖ず怖ずと前に出る。
首輪は別に外す必要もないと思い、さっさと中へ入ったが、あろう事か彼奴は手を離さなかった。
又候ぼーっとしているのかと思い無理矢理鎖を引っ張る。
ピエロも怪訝そうに扉を閉めあぐねていた。
「あの・・・俺も入っていて良いですか?寝る丈なんで御守りって事で。」
「は?・・・まぁ良いですけど。」
何言ってるんだ、全く良くない出てけ帰れ!何で此奴と一晩明かさないといけないんだ。そんなの計画した覚えはない。
抗議の代わりに格子を引っ掻き、牙を立てたが何の其の、彼奴は腰を屈めてあっさり入って来やがった。
人殺しの化物の居る檻に自ら閉じ籠った。宝も武器も何も無いと言うのに。
ピエロはいよいよ気味の悪い物を見たかの様に彼奴をじろじろと見たが、面倒事に首を突っ込むつもりはないのだろう。鍵を掛けるとさっさと出て行ってしまった。
「さて・・・と、じゃ其外すぞ。取り敢えず御疲れな。」
彼奴があろう事か頸元へ手を掛けて来たので慌てて首輪を外して投げて寄越した。
蟠りの解けた頸を撫で、檻の隅、藁の近くに蹲った。
「残れと御前に頼んだ覚えはないが。」
十分に耳を澄ませ、近くに人間が居ない事を確かめて小声で聞いてみる。
どうせ良く分からない答えを出すのだろうが、分からず此奴と霄を明かすのは余りに不気味で恐ろしい。
「いや、昔御前が此処に居たって言うなら、俺も居てみようかと思って。其でまぁ何か分かった気になるつもりはねぇけどさ。」
ほら来た。全く意味が分からない。
「其で人殺しの化物と同じ檻に入るか?」
何か分かるって・・・私からしたら寧ろ今の方が恐ろしい。彼の頃は間違っても私の檻に入って来る奴なんて居なかった。言わば、此処は私の絶対の聖域だったのだ。だのに其処に人間と閉じ込められるとか拷問に等しい。
「でも考え方を変えたらさ、俺からしたら御前なんかより周りの猛獣の方が恐いぜ。其奴等から護ってくれる丈夫な檻の中で仲間と居られるのはそんな悪くない・・・然う思わねぇか?」
然う思うのは御前丈だ。私を知っているからと言って、私に勝てる訳がないのに。
「其は私に対する侮辱か。」
「御前と一日話せて楽しいって丈だよ。」
意味分からない・・・。此奴の方が面白いショーをするんじゃないか?今時こんな奇人、珍しいだろう。
もう話すのは止めよう。此奴を喜ばせても私の腹が立つ丈だ。
彼奴は頭を掻くと私と対角の位置に腰掛け、天井を仰いだ。
「其より先の話・・・マジなのか?」
大して興味なさそうに天井を見た儘聞くが、意識がはっきり向けられている事を感じる。演技が下手なんだ、本当に。
・・・もう話はしないと決めた許りだが、此なら話してやっても良い。此奴への良い薬になる。
「私の記憶が正しければ毎日少なくとも五人は殺していた。」
「そっか。・・・餓鬼も、良くやってたのか。」
「主に餓鬼をやっていた。苦しめて苦しめて惨たらしく殺すのが私の役だった。奴隷なんだから数丈は多かったな。」
明らかに彼奴は暗く沈んだ顔を浮かべた。
直ぐ両手で顔を覆うがもう遅い。溜息も隠せないんじゃあ隠す気があるのかすら疑問だ。
然う減滅するのなら私を捨てれば良い。そんな辛気臭い顔で居られるのは迷惑だ。憐れみも優しさも、御前の自己満足だ。
「若し明日少女が出ようが少年が出ようが赤ん坊が出ようが私は殺す。本番でも然うだ。助けようだなんて馬鹿な考えは止せ。其は御前のエゴだ。其処に私を巻き込むな。」
「分かってる。・・・噫、分かってる。」
絶対分かっていない。
此の期に及んでも御前は観客と同じ、自らの手を汚さない傍観者だ。
「此でも、私の方が此処に居る奴等より恐くないって言えるか?私程殺しをしている化物はいないぞ。」
凄む代わりに牙を見せて嗤ってやる。
彼奴は顔を上げて私の目を見詰めた。其は私が思っているよりも澄んだ彼の金の瞳で、未だそんな目が出来るのかと少し面白くなかった。
「恐くはない。だって俺だって、人を殺しに来たんだ。」
・・・まぁ先よりはましな顔にはなったか。
「例の見張りが付いて居たな。」
だったら仕事の話位はしないといけないだろうか。感情に任せて此処を疎かにすれば後で痛い目に遭ってしまう。此奴がフォローしてくれるとも思えない。
今回のターゲットは彼の座長だ。一体誰の依頼なのか、怨恨の線か利益の線か知った事ではないが、殺せば良い丈だ。他にも何やら資料の処分等があるらしいが、其は此奴に任せている。
只今回の仕事の問題は彼奴に護衛が二人居る事だ。普段なら護衛毎、先の彼奴の声を聞く前に事を済ませられるのだが、護衛には手を出してはいけないとの命令が出た。
此方と似た様な組織の出らしく、客丈なら未だしも、仲間に手を出されては此方との衝突は避けられない。だから絶対に手を出してはいけないと。
面倒な、人間の事情なんて知った事ではない。然も護衛は律儀にあんな奴をずっと護っている。暇だとしか思えない。
私にしか出来ない作戦。果たして思った通りに行けるかは何とも言えない。今の所は先ず先ずだな。
「まぁ斯うなったら御前丈が頼りだからな。その、頑張ってくれよ。」
言われる迄もない。寧ろ御前に言われて萎えそうだ。
「只その・・・まぁ月並みな言葉しか出ねぇけどさ。」
ちらと周りを見渡して彼奴は又視線を此方に寄越した。
半笑いの様な、何とも言えない顔だ。
「大変だったんだな御前。本当良く今迄頑張ったよ。こんな所でさ。」
「憐れんでくれるのなら頸を寄越せ。咬み斬ってやる。」
噫本当萎える。此奴はとことん巫山戯ている。
「如何して何時も御前は私なんかを見る。じゃあ此処に居る獣達一匹一匹にも然う声を掛けたら如何だ。此奴等は家族から引き離され、こんな狭くて冥い所に閉じ込められ、褒められもせずに何時も人殺しをさせられる。人間を殺す方法しか教えて貰った事が無いんだ。選ぶ権利も余地も無かった。私と何方が不幸なのか、人間様である御前は比べられるのか?」
彼奴は視線を落とし、黙って聞いている。
如何してこんな化物の話を聞く。其がもうエゴだと何時気付く。憐れみのつもりなのか。憐れむなんてな、相手より自分が上位だと確信しないと出来ないんだよ。
御前がそんなんだから私は御前に吼える。御前しか聞かないから、全部御前に打ちまける。
其で良いのか?理不尽だと何時になったら御前は私を捨てるんだ。
「喋られるからか?多少なりとも人間らしい見た目をしているからか?御前の玩具でもペットでもないんだ。好い加減そんな目で私を見るのを止めろ、不愉快だ。」
言葉が止まらない。熱くなってしまって、腹が立つ。何で、こんな奴なんかに。言った所で何にもならないのに。
面倒な事は、無意味な事は嫌いだ。だのに其を感情の儘に繰り返す自分に腹が立つ。
「噫、俺も分かってるよ。もう御前に散々言われてさ、俺なんかにそんな言ってくれてさ、俺も考えた。正直、考えた事も無かったよ。エゴだったなんて、認めたくなかった丈かも知れねぇけど、御前が気付かせてくれた。」
噫もう、既に違う。如何してこんな受け取り方が違うんだ。同じ言葉なのに役に立たないじゃないか。
「其でもさ、理屈と本音は矢っ張違うだろ。然う思う心は如何しようもねぇだろ。俺は御前だから一緒に居るんだ。其に理由なんて付けられねぇよ。ま、今日は其の位にしてさ。」
言って彼奴は拳を突き出して来た。
「今回も宜しくな、相棒。」
せめてもの対抗に首を外方に向ける。
何時御前の相棒になんてなった。只手を組む回数が多い丈だろ。友達でも何でもない、只、利益の為に手を組んでいる丈。
何度手を伸ばそうが、声を掛けようが、此の溝は絶対に埋まらない。
もう飽き飽きした遣り取りだが、彼奴が必死に近付いて、全力で私は彼奴を叩き落とす。屹度永遠に分かり合えず、此の関係で落ち着くのだろう。
一つ嘆息し、其の儘目を閉じる。
勿論寝るなんて無防備な姿を晒す訳には行かなかったので振り丈をずっと続けていた。
・・・・・
次の日、意気揚々とやって来た座長に連れられ、舞台へとやって来た。
勿論首輪は既に填めており、挨拶代わりの唸り声も忘れなかった。
四足でいると、オーバーコートを引き摺ってしまうので汚れてしまうのだが仕方ない。二足で立って喋りでもしたら座長が興醒めするのは分かっていたから。
客の居ない舞台は静まり返っていた。他の団員は別の広場だとかで練習しているのだろう。
だからと言って舞台に誰も居なかった訳ではない。舞台の真中には檻が置かれており、餓鬼が四人入っていた。襤褸の服にくしゃくしゃの頭、小汚い様は正に奴隷と言った所だ。然も適当に売られていた寄せ集めを買ったのだろう。余り顔色も良くないし、病気に掛かって然うではある。
練習用、と言う事なのだろう。本番の、客を喜ばせる惨劇のショーの布石の命として使い捨てられるのだ。
別に同情はしないが、良い気はしない。檻の中で震える何も知らない餓鬼より、私の横で満足そうに笑っている男の方が殺したくて仕方ない。
でも座長の隣には相変わらず二人の男が警備している。作戦通り動くしかなさそうだ。
問題は彼奴なんだが・・・。
ちらと横目で見ると案の定と言うか、彼奴はすっかりショックを受けて唇を僅かに震わせ、青白い顔で目を見開いていた。
今で此だと明日の本番が思い遣られる。そんな辛気臭い顔は見ていられなかった。さっさと終わらせよう。
「さぁ化物、彼の子達は御前が人間共から奪い取った子供達だ。玩具で一杯だ。好きな様にして良いぞ。」
鎖を引っ張り、無理矢理彼奴を歩かせる。
私が近付くと餓鬼共は私の姿に目が行って成る可く檻の隅へ行き、目に見えて大きく震え始めた。
私の思惑通りに事が運べば良いが、せめて使えない此奴の代わりに全力で演技をしてみせようじゃないか。
私は翼を大きく広げると立ち上がって檻に爪を掛けた。
「ガァアァアア!!」
喉の奥から低い吼え声を上げ、尾で地面を打つ。
羽根を膨らませて羽搏いて威嚇するとはっきり餓鬼共の目に恐怖が焼き付いた。
其の儘焦らす様に檻の周りを四足で歩き、尾で格子を殴ったり爪で引っ掻いたりと絶え間ない金属音を奏でた。
「ガァァアァァ!!」
頃合いを見て遠吠えの様に吼える。そして一気に罅を入れる。
檻毎突然罅が入ったので訳も分からず四人は大きく目を見開いた儘震える。
檻は砕け散って四散する。だが実の所罅は中途半端にしか入れていなかった。其の為四人は重傷ではあるものの、辛うじて生きていた。
「っあぁあぁあ!!」
「いだいいだいあぁあぁあ゛!!」
未だ言葉も知らないのか舌足らずな叫び声を上げ、のたうち回る。
余りにも其の声が煩くてつい耳を伏せそうになる。此だから餓鬼は苦手だ。
手足が残っているか如何かの違いはあれど、皆腹は砕かれてしまっている。
当然立っていられる訳もなく、皆転げ回って叫び続ける。
血の池は徐々に広がり、暴れる度に餓鬼の腹から肉片と化した内臓が零れ、生々しく滑って跳ねる。鼻を突く濃い血の臭が噎せ程溢れる。
座長はそんな様を目を大きく開けて興奮気味に見詰める。さて、仕上げに移るか。
一人二人はもう絶命したのか声は聞こえない。痙攣なのか最期の呼吸なのか不自然に胸が上下する。
地を蹴り、そんな肉の山へと降り立つ。
未だ悲鳴を上げていた餓鬼は悲鳴を呑み込み、目に大粒の涙を溜めていた。
恐怖、怨む事すら忘れた目。弱ければ然う、蹂躙される丈なのだ。
私は・・・違う。人間なんかに虐げられて堪るか。私が殺すんだ。
牙を剥く。血で滑るのも気にせず、目の合った少年の腹に咬み付く。柔らかな肉に易々と牙は刺さり、深く食い込む。頸を振り回して引っ張ると余り罅の影響を受けなかった腸が引っ張り出された。
「っあぁ゛あ゛ぁっ!!」
「ガウゥッ!!」
堪らず又叫び始めた少年の胸に手を置き、腸を引き千斬る。
爪で更に細かく引き裂いて、食らい付く。大して咬まずに呑み込んで、血を啜る。
美味しくなんて無い、不味い。吐き気がする。生肉が好きな訳がない。筋許りだし、変な味がするのは病気を持っているからなのではとつい疑ってしまう。
でも構ってなんて居られない。最高のショーに血と悲鳴は付き物だ。
十分に悲鳴を上げさせた所で少年の胴自体を引き裂き、息の根を止める。
飛び散る血にすっかり髪は濡れそぼち、彼奴から貰ったオーバーコートもすっかり汚してしまった。
もう十分だろう。流石に疲れた。肩で息を付き、彼奴の元へと近付いて腰を下ろした。
ちらと見上げると真絳な面の所為で漆黔の瞳が何時もより恐ろしさを増したのだろう。彼奴はすっかり怯えた様に私を見下ろしていた。
失神丈は免れている様だが、酷い面だ。相変わらず突っ立っている丈なので先外した首輪を銜えてもう一度見上げた。
辛うじて頭が働いた様だ。彼奴はそっと手を伸ばして首輪を受け取ると私の頸に掛けた。
手に付いてしまった血を酷く嫌そうに見詰め、彼奴は唇を噛むが、何も言葉は漏れなかった。
「素晴しい!!こんなショーは見た事が無い!私の考え得る物よりずっと最高だっ!術も然る事乍らまさか人食いへと成長していたとは。素晴しい、本当に素晴しい、噫もう何て言えば良いのか。此の私が言葉に詰まるなんて。此は絶対ヒットするぞ!こんな非人道的なショーが見られるなんて!・・・だが、君には少々刺激が強過ぎた様だな。」
手を叩き乍ら近付いて来た座長は髭を撫でてナレーを見遣った。
其の口端は上がった儘だ。何か良からぬ事を考えている人間の顔だ。うんざりする。でも、今回に限り、其は都合が良かった。
「如何だろう。君さえ良ければ明日のショーは私と代わってくれないかね?在り在りと目に浮かぶのだよ。称賛と感激の嵐を。其の図中に私も是非とも居たい。別に何か指示が必要な訳でもないのだろう。此の化物は随分と賢いからな。人間の喜ばせ方を良く分かっている。」
「座長、盛り上がっている所済みませんが、其の化物と一緒に居ると言うのは些か危険では・・・、」
「ふん、構う物か。此は私のサーカスだぞ!如何しようか私の自由だろう。」
ボディーガードが態々忠告してくれたと言うのに、興奮し切った彼の耳には入らなかった。
愚かだ。実に愚かだ。斯うも簡単に策に掛かるなんて。
後は此奴が練習通りの台詞を吐けると良いが。
尾で彼奴の足を叩く。
弾かれた様に彼奴は顔を上げると一つ頭を振った。
「俺は只の世話役なので勿論代わっても良いですよ。只、御存じだとは思いますが、此奴、その、パフォーマンスと言いますか、然う言うのが得意で、だから若しかしたら座長に瞬間移動の術を掛けるかも知れないんですよ。飼主である座長を消しちゃって、暴れ回る化物、だけどラストで座長がバン!っと登場する。如何です?斯う言うの御好きですか?」
・・・案外言えるじゃないか。やっと仕事をしたと言う可きか。
顔色は悪い儘だが、噛まず詰まらず言えた事は褒めてやる。
「ほぉお!!其は良いな!いや、益々気に入った!大いに結構、是非とも其を御願いしよう。間違っても私を隣街だとかに飛ばさないでくれよ。」
座長が近寄って来たので唸り声で返す。
安心しろ、明日ちゃんと地獄へ御前を飛ばしてやる。最高のショーの一部になれて光栄だろう。
「良し良し十分だ。明日早速メインで使ってやろう。もう檻に戻ってくれ。私はやる事が沢山あるからな。失礼するぞ。」
満足気に笑うと座長は足早に舞台を下りた。
此で準備は整った。順調過ぎる流れに一応安堵するが、彼奴は黙って突っ立った儘だ。
仕方がないので鎖を引っ張って私も又檻へと戻って行った。
・・・・・
檻に戻るとパンとスープと、血を拭く用にタオルを渡された。
食事としては豪華な部類だ。だが先無理矢理食べた人肉の所為で私は吐きそうで仕方なかった。矢っ張り、何か病気を持っていたんだ。でも檻を汚す訳にも行かないので口と喉を押さえて蹲っていた。勿論彼奴とは対角になる様隅に居る。
・・・気持悪い。明日もしないといけないのかと思うとうんざりする。明日体調を崩さないと良いが。
彼奴はずっと黙った儘だ。全然覚悟なんて出来ていなかったんじゃないか。全く呆れる。
荒くなる呼吸を押さえ、少し丈横になる。中々吐き気が引いてくれない。血の臭が全身からするのもあるが、生憎血を拭う程の余力はない。頓吐き気を押さえるのに精一杯だった。
「・・・セレ、御前に心はねぇのかよ。」
聞き漏らしても仕方のない位小声で唐突な言葉。
でも不思議と其の言葉は私に刺さった気がした。良くは分からないが、呪いの様に解けない言葉だった。
「無かったら人間を怨んだりしない。」
だから口答えせずには居られなかった。僅かに其の言葉に侮辱の意を認めたから。
私を化物と御前も遠ざけるのなら、吼えて、牙を剥いて其の足を急かす迄だ。
確かに私は心を捨てた。表に出れば其は弱さに変わるから。でもだからって、何も感じていないと思ったか?若し然うなら私は、こんなに歪む事も無かったよ。始まりの私は確かにもっと素直で、未来なんて物を信じていたのだから。誰かを其こそ普通に、愛したりだとか懐ったり、心を動かされたり共有したり、出来ていたのだから。
其の儘でいられたら、いる事を赦されるのなら、私は然うありたかったよ。
其の一言は存外彼奴に響いた様で、彼奴は口を開けて随分驚いた様だったが、次第に苦しそうに唇を噛み、震わせた。其の目は有ろう事か僅かに潤んでいた。
思わずそんな情けない顔を見詰めてしまったが、目が合いそうだったので直ぐ目を伏せた。
「然うだよな。御前に然うさせたのも、期待したのも人間だ。」
彼奴は然う呟いて膝を抱えると顔を伏せてしまった。終には其の肩も段々と震え、鼻を啜る音が絶え間なく続く。
まさか此奴、本気で涕いているのか?見ず知らずの奴隷の餓鬼が殺されたからって其処迄感情移入するか?
「御免、御免セレ。俺が不甲斐無くて、御前は何も悪くないのに。何で何時も御前ばっか・・・。」
何を言っているのか、最初は分からなかった。
口答えなんてしたから、罵倒されるなりなんなり、覚悟はしていたのに。やっと此奴と縁が切れると思ったのに。
此奴は、あろう事か私に対して涕いて、謝ったのだ。
何で、如何して人間なんかの御前に。何一つ分かる訳がないのに。どうせ、分かった気になって、偽善で自分の心を慰めている丈なんだろう。御前は何時も、其の程度だろう。
「其が人間だからだろう。」
人間しかいない、人間が支配してしまった世界だから、私の様な異端は排除される。
昔、此奴から創世記だか何だか聞かされたが、神に祈ろうが魔物に媚びようが、結局人間が蔓延った段階で世界は終わっていたんだ。
そんな世界で、理不尽だと何度嘆いた事か、何丈世界を嫌ったか、憎んだか、苦しめられたか、良い事なんて一つも無い。
だから私は私のした事を間違った事だとは思っていない。其をするよう世界が強いて来たのだから、反省はしても後悔はしなかった。其が私の数少ない選択の末だ。
でもそんなの、私にしか通用しない言訳だ。
世界の中心に居る人間には通る筈がない。・・・然う、思っていたのに。
考えが纏まらない儘つい口を突いてしまった言葉はもう戻せない。何とか頭を動かし乍ら私は此奴に何を言うつもりだったのか考えた。
「人間が、自分の事しか考えられない、自分勝手な生き物だからだろう。だから嫌いだ。涕く事しか出来ない偽善許り振り回す御前も同じだ。嫌いだ。」
此奴が私を理解出来る訳がない。私が然うであるのと同じで、期待させて裏切るつもりだろう。
御前は何も知らなかったんだ。未だ、知ったとも言えない。化物な私の本の一部を見た丈で、そんな全てを悟った様になるな。
御前が涕いた所で私には何の得もない。煩わしい丈だ。
絶対に、信じないんだから。赦せる訳、無いんだから。
「然うだよな。好きになんて、なる訳ねぇよな・・・。」
だのに如何して、此奴は未だそんな理解した風な事を言うのか。
無性に腹が立つ。矢っ張り嫌いだ。こんな奴、何時も苛立たせて、私の心を見ようとして、騒めかす。
苛立ちの所為で吐き気がぶり返し、猶の事強く口と喉を押さえた。然うしていると突然彼奴は立ち上がり、緩り此方へ近付いて来る。
すっかり涕き腫らした顔で、でもしっかりと私を見て。
何をするつもりなのか分からず、其の目からも離せず見遣っていると如何言う事か私の傍に座りやがった。
低い唸り声を上げて威嚇するが、彼奴は引かずに真赤になってしまった目で変わらずじっと此方を見る。
そして徐に脇に置いてあったタオルを手に取り、私の髪を拭き始めた。
そんな事頼んでいない。其に此奴に触られるなんて気持悪い。
尾を床に叩き付け、撓った尾が鞭の様に空気を弾くが、其でも彼奴は止めなかった。タオルには血がべったりと付いた様で彼奴の手が僅かに震えていたが、
其でも、止めなかった。
明日もどうせ汚れるのに。拭いた所で化物は化物で醜くて、
そんなの、謝罪の一つにもなりはしないのに。
無理矢理払い退けようとしたが、吐き気が勝って結局動けなかった。
でも何処か、彼奴の手から僅かに感じる温もりが何だか懐かしくて、
然うだ。もう記憶の奥底に沈められていたけれども、彼の闇の温もりと似ている気がした。
其を自覚した瞬間から私の胸中は何故か騒ついた。意味も分からずささくれ立つ其に腹が立って、今日も一睡も出来なかった。
・・・・・
翌日、公演当日。
晁からテント内は慌しく、ピエロや踊り子が廊下を駆けて行く。
何の気なく鮮やかで目まぐるしい通路を眺めていた私の檻の前には座長が居た。
何やら考え込む様に唸っている。じっと自分を見詰める視線が嫌で、目を逸らして蹲っていた。
「ふぅむ・・・。少し気になったのだが此の化物に服を着せているのは御前の趣味か?」
「へ?あ、ど、如何言う意味でしょう。」
突然話を振られ、ナレーは腰を浮かせた儘狼狽する。
「いや、ペットの狗や猫に服を着せる者がいるのは良く聞くが、此の襤褸を着せているのは何か意味があるのかと思ってね。此では化物らしい手足や翼が見え難いし、見た所孤児の様にも見えて、奴隷が着て憐れさを強調するのは良いが、此の化物の場合恐ろしさをもっと強調させたいのだが・・・。」
「・・・と言うと具体的には如何すれば?」
「勿論服を脱がせば良いのだ。ピエロの様に化粧も派手な衣装も要らない。此奴は有りの儘の姿が一番、私のイメージに合うのだ。他の猛獣の様なペイントも要らないだろう。何せスターなんだからな。」
「え、あ、その、脱がすのは一寸・・・、」
・・・此処で機嫌を損なわせると面倒だな。
寒いんだが仕方ない。服を此以上血で汚したくないし、丁度良いだろう。
彼奴が変な事を口走らない内に脱がないと。
私がオーバーコートを脱いでいると、彼奴は青褪めて急いで首を左右に振った。
「あ、あの、確か此奴の演目って街に現れた化物って設定ですよね?だったら寧ろ着ていた方が・・・その、人に紛れていて、霄本性を現して襲うと言うのは如何ですか。」
以外にも真っ当な理由につい手が止まる。
徐に彼奴が頭に手を置いて来たので撫でられる前に払い退けた。
「ほぅ、成程成程、其は一理あるな。シナリオと少し変わって来るが・・・。良し、其で行こう。確かに人に紛れる化物の方が臨場感がある。だが全て隠した儘では勿体無いから襲う時にオーバーコート丈脱ぐんだ。良いな?」
返事の代わりに尾を一つ振る。
彼奴は一安心と許りにほっと胸を撫で下ろした。
・・・役に立つ事もあるのか。此奴なりに考えたのかも知れない。
別に感謝する程の事ではないが、意外だったのでつい少し丈見遣った。
「さぁもう時間だ。行くぞ化物。今日の獲物は生きが良いからな。」
噫確かに。生きは良さそうだ。
鎖を引っ張られて無理矢理檻から出される。そんなに燥がなくてもちゃんと殺してやるのに。
唸ってみせたが相変わらず座長は満足そうにする丈だ。自分が獲物になるとは微塵も思っていない。
只ずっと黙った儘突っ立っていた護衛は可也怪しんだ様に此方を見る。
・・・悟られる前に事を済ませた方が良さそうだ。
舞台に近付くにつれピエロだとか団員が良く通り掛かる様になる。皆座長に挨拶するも、其の隣を首輪に繋がれたとは言え化物が付いて居るのだから逃げる様去って行った。
其の儘舞台袖迄行くと、丁度玉乗りピエロが奴隷を轢き殺している所だった。
巨大な絳錆びた鉄球は地を揺らし乍ら輪を描く。
頭を上手く潰せず戯けるピエロに声援と拍手を送る観客。
既に十分染み付いた血の臭の上から新しく塗り替えられる鮮やかな絳。場を盛り上げる陽気な音楽の様に何度も谺する断末魔、何処にも届かない助けを呼ぶ声と悲鳴。肉を、骨を遠慮なく潰す音。
私からすれば懐かしいと思う許りの光景なのだが、彼奴からしたら随分異様で、ショッキングだったらしい。もう既に青褪めてしまって足が止まっていた。
「さぁもう直出番だぞ。御前達は此処に居ろ。御前達迄舞台に上げてしまうと客が興醒めするからな。今回は此の化物の晴れ晴れしいデビューなのだ。」
「しかし座長、座長一人では余りにも危険です。特に其の化物は・・・、」
「危険な位で丁度良いではないか。御前達に私のサーカスについて兎や角言われたくはない。良いか、演目が終わる迄は絶対に邪魔をするな。」
良し、思った通りだ。此奴は変な価値観と言うか、拘りを昔から持っていた。だからどんなに危険でも、絶対に護衛を舞台には上げないだろうと踏んでいた。
もう此方の物だ。此奴は自ら殺してくれと言った様な物だ。危険は大歓迎らしいし、御望み通り死を与えよう。
玉乗りピエロの演目も終わり、死体は片付けられる。
そして昨日宜しく大き目の檻が一つ置かれ、中には餓鬼が六人程居るのが窺えた。
彼奴が唇を噛んで私をじっと見詰める。仄暗い舞台袖で其の金の双眸は異様に光って見えた。
尾を振って其の視線を払うと座長に引っ張られる儘、私も舞台へ上がった。
「さて皆々様!今から御見せするのは最初で最後の奇跡、太古より此の世に君臨した魔物の生き残りです!」
両手を挙げてスポットライトを一杯に浴び乍ら座長は声を張る。
「化物は賢く、強かで、ある貴族と契約を交わし、飼われていました。犠牲と引き換えに富を齎す、禁断の契約です。人に紛れて生きる彼等は、人間が何を欲し、何を与えれば良いのか分かっていたのです。」
自分で司会をし、盛り上げ、役もするのだから本当にサーカスが好きなのだろう。其の儘芸とも言えない私の演目なんかの為に命迄差し出してくれるのだから泣ける話じゃないか。練習でも本番でも、分け隔てなく殺され続けた奴隷も、少しは嗤ってくれるんじゃないだろうか。
然う、私がするのは死者へ見せるショーだ。人殺しが人殺しを殺す。只の因果で、相応な報いで、其処に奇跡の一つも無い。
良くある不幸、有り触れた死だ。死でしか、私達は価値を突き付けられない。
私が舞台へ上がると一気に会場は響動めいた。
こんな非人道的なサーカスでも手放しで私を歓迎してはくれないらしい。
ひそひそ話で溢れ、異様な緊張感に舞台は包まれる。
噫、矢っ張り嫌いだな。沢山の目が私を見ている。差別の象徴が何百何千と私を刺す。
だが座長はそんな事等気にせず、何時もより輝いて見える金のスーツがより煌く様大きな身振り手振りを繰り返す。
「此の日も、貴族は化物に犠牲として奴隷の子供達を与えました。ですが、化物は実は自分を追い遣った人間を憎んでいたのです。貴族も、例外ではありませんでした。」
声を張り上げて座長は観衆を見遣る。
期待に顔が上気し、目が爛々と輝いた。
そんな卑しい人間の顔なんて見たくもないのでそっと私は顔を逸らす。
「さぁ化物、今日も此の子供達をあげるから好きになさい。」
首輪を外し、座長は手を差し出してそっとウィンクをした。
如何しても上がってしまう口端をそっと隠し、私は緩りと罅を座長に入れてやる。
すると此又非常に演技掛かった様子で座長は大仰に驚いてみせた。
「まさか此は転送魔術!?欲張るつもりかね?そんな行儀の悪い事はしてはいけないぞ、化け・・・、」
言い終わる前に尾でそっと叩き、一気に砕く。
今回は念入りに罅を入れたので座長は喜色満面の儘全身に細かな罅を入れ、粉々に砕け散った。
こんな塵の様に砕けてしまえば、転送魔術に見えなくもないだろう。どうせあんな高等魔術、誰も実物は見ていないんだ。
仕事自体は至ってシンプルに、そしてあっさりと終わる物だ。
中々ユニークな遺言だったが、ショーの一つとして死ねたのだから本望だろう。後は、如何此の場を収めるかだが。
私は地を蹴って跳躍すると檻の上に着地した。
そしてオーバーコートを脱ぎ、此見よがしに翼を広げた。長年の癖で歪になってしまった其はより禍々しく、化物染みている。
尾で檻の天井を叩くと中から戸惑う様な声が漏れた。
観客も皆一様に目を丸くし、スポットライトに照らされても猶漆黔に翻る翼に釘付けだ。
「ガゥウ!!」
一つ短く吼えて檻に罅を入れる。そして飛び降り際に尾で格子を殴ると檻丈が砕け散り、餓鬼共は状況が理解出来ずに固まっていた。
「グルル・・・ガァア!!」
噫もう焦れったい。そんな風に固まるから御前等は奴隷として捕まったんだろうが。
嗾ける様吼えるとはっとした様に餓鬼共は散り散りになって逃げ出した。
客席に迄逃げ込んだのも居たので一寸した騒ぎが其処彼処で起こる。
其の内に私は舞台袖迄駆けった。不図反対側、自分が出て来た側を見遣ると残された団員が困った様におろおろするのが目に付いた。
そろそろ落ち着きを取り戻して貰わないと困る。あんな堂々と暗殺したのだから、見世物にしてしまったのだから。
一つ息を付く。柄じゃない、でもしないと、私の最善手を。
「消えてしまった貴族と逃げ出した子供達、化物は何処に行ってしまったのでしょうか。続きは後半で御楽しみ下さい!」
声を張って、全体に響く様、今は亡き座長を真似て演技掛かった口調で告げる。
如何にか会場には届いた様で、期待に胸を膨らませた観客は手を叩き始めた。
団員も声の主を探す様きょろきょろと見渡したりはしたが、結局壊れた檻の破片を集め、次の演目の準備を始めた。
彼の座長は斯う言った演出めいた物や、サプライズを好んだ。今回も其の一貫だと思われたのだろう。特に今回は張り切っていたのだから。
・・・後は此の儘テントを抜け出せば。顔は割れてはいるが化物の顔だ。然もショーの最中に殺されたなんて警察は信じないし、自業自得と言われるだろう。自分で買った目玉商品に殺されたのだから。所有者は座長。言わば引っ越しの際に棚が倒れて来て潰されて死んだのと同じだ。良くある不幸なんだ。
オーバーコートを着ようとして足元がふら付く。
続く睡眠不足と人肉の所為で余り体調は良くない。
未だ、しっかりしないと。殺した丈じゃあ駄目だ。逃げないと。
頭を押さえて一つ振った時だった。
「おい、座長を如何した。」
背後からした酷く暗い低い声。ついびくついて振り返ろうとしたが、其より先に伸びて来た手に翼を掴まれ、釣り上げられた。
「ッガアッ!」
慌てて口を押さえる。今叫ぶと折角の演技が台無しだ。
でも捩じれた翼が骨を軋ませる様で躯中に痛みが走る。
此の状況に嫌でも初まりの日を懐い出して震えが這い上がって来る。
駄目だ。彼の時を繰り返せば殺される。如何にかしないと。
痛みに身を捩り乍らも何とか見上げると其処に居たのは座長のボディーガードの内の一人だった。
私より圧倒的に背が高く、鍛え上げられた腕によって易々と私は持ち上げられてしまった訳だ。
私を見詰める一対の目が殺気を帯びている。不味い、完全に疑われている。喋るのを見られたか。
「おい、さっさと答えろ!」
翼を握る手に力が籠る。捩じれた様な、罅の入る様な音が中から響いて、痛みが瞬時に駆け巡った。
「っぐぁ・・・っ、」
痛い痛いっ!痛みの余り頭が全く働かない。
殺してはいけない。でも如何すれば、
男が凄む様更に持ち上げたのでついに翼が折れ曲がって鈍く骨の折れる音がした。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
こんなの、耐えられる訳がない。冷静にいられる訳もない。
つい痛みに暴れた私の尾は男の顔を殴った。慌てて男が手を離したので其の儘床に叩き付けられた私はのたうち回る。
殺せればこんな奴、でも今は直ぐ逃げないと。
動かなくなった翼を顧みる暇はない。体勢を立て直そうと四足で起き上がった。
「手前、逃がすと思ったのか。」
数瞬遅れて背中が燃える様に熱くなり、先の比にならない痛みが襲って来た。
「あぁ゛あ゛ぁ゛!っ、」
悲鳴を無理矢理呑み込み、倒れ掛けた足を叱責する。
何だ。何を、一体何をされた。
いや、其よりも逃げないと。未だ生きているんだ。一番大事な物は無事だ。
上体が傾いた時、ずるりと何かが背から落ちた。そして冷たい血が一気に溢れてオーバーコートを、床を染める。
躯に力が入らなくなる。急激に体温が下がった様に目眩がする。
恐る恐る背を見遣る。流石に放っとけなかった。
男が懐からナイフを出していた。其のナイフは真黔の血に濡れている。
其の血は何処から・・・?背か?いや、良く考えろ、抑何故、背後の男の手元が見えるんだ。先ず何時も視界に入る物があったんじゃないか。
視線を下ろす。其処には、鴉の様に真黔な、でも鴉よりもずっと大きい翼が落ちていた。血が未だ出続けている其は、先迄私の背に生えていた物じゃないのか。
「っあぁあぁ゛あ゛っ!」
自覚した途端又痛みが突き抜ける。そして如何しようもなく其が現実だと突き付ける。
無い。私の翼が、一翼、持って行かれたのか。
己の血溜りに滑って膝が砕けそうになる。
駄目だ。此処で倒れたら彼奴に殺される。もう彼奴は私を殺す気だ。もう脅迫なんじゃない。
座長があんな気に入っていた化物を傷付けたんだ。もう此奴は覚悟を決めている。
ナイフが仄闇の中で細い氷鏡の様に、将又誰かの笑みに歪んだ歯の様に光る。
舌舐りをする様、焦れる様揺れるナイフが緩りと、近付いて来る。
私は咄嗟に斬り落とされた翼に咬み付いた。そして其を其奴の顔目掛けて打ん投げる。
翼は男に命中して、羽根と血に因って視界が奪われた男は些か慌てた様だった。
黔い血なんて呪物にしか見えないのだろう。そんな物を目に入れられたのだから人間はパニックになっても仕方がない。
其の隙に私は駆け出した。男の我武者羅に伸ばした手を擦り抜け、廊下へと出る。
裏口へ抜ける道なら団員も居ない筈。
流れ続ける血と、冷めて行く体温を気にしていられない。
如何する、此の儘逃げるか。彼奴は外で合流する事になっているし・・・、
ちらと振り返るが誰も居ない。だが点々と黔い血の跡と、其を引っ掻いた様な爪痕が残ってしまっている。
此の儘裏口から逃げても彼奴等に捕まる丈か。
止血をする暇もない。飛んで逃げる事も出来ない。
凱風を感じて顔を上げると窓があった。窓、と言うよりは空気穴か。布状のテントの壁を正方形に切った丈の物。
微かに其処から水の匂がした。
陰霖とは違う、此の腥い水は滄江のか。
迷う暇もない。私は地を蹴って窓から身を乗り出した。
早速歓迎するかの様に全身を打つ陰霖に懐かしさを覚えつつ、臭の元へと駆ける。
血は陰霖で洗い流せる。でも目を逸らすには此しかない。
路地を通ると大き目の用水路が現れた。
陰霖で増水した水路は今にも溢れん許りで、流れも速い。
濁った水は泡が立ち、板切れや芥等が次々流れて行く。
・・・化物が一体紛れた所で分かりはしないだろう。
意を決して濁流に身を投げる。余りの冷たさに凍える前に近くの板に掴まった。そして離れない様尾を掛ける。
寒い寒い・・・其に背中の傷が、千斬れた翼に染みて、痛みが引かない。
でももう水の中なら何丈叫んでも問題ない。翼は膿んでしまうだろうが仕方がないだろう。
後は凍死するか力尽きる前に適当な所で上陸すれば良い。
摺り落ちそうになったので慌てて木の板にしがみ付くと、後は居もしない神に祈る丈だった。
・・・・・
彼から半月程して私はギルドに顔を出した。
結局彼の後私は祈りが通じたのか偶然元の街迄流れ着き、追われる事も無かった。
翼が生える迄は休んでいたのだが、彼の黔猫が傷口を舐めてくれたり、隣で寝て温めてくれたり、食べ物を持って来てくれたりと献身的に尽くしてくれた御蔭で思ったより早く回復出来た。
・・・流石に彼奴には何か礼をしないといけない。命を助けて貰ったと言っても過言ではない。
翼は未だ毛羽立った棒状の物が生えている様な、何とも不格好な形になっているが、痛みはない。幻肢痛に魘される位で。未だ飛べないにしても動ける様にはなった。
彼奴は此の頃、林檎や洋梨等、中々豪勢な物を持って来てくれた。
でも何時迄も甘える訳には行かないだろう。私だって稼がないと生きてはいけないんだ。
ギルドに入って直ぐ、冷たく白んだ目に囲まれつつも私はボスに呼ばれた。
ギルドに居るなんて珍しい。私もそんなちょくちょく来ている訳ではないが、此処最近は何か大きな山でも抱えているのか全く姿を見ていなかった。
「仕事は・・・一応出来ていたが、彼は何の真似だ。」
席に着くなり、絳の双眸が見えない背後に向けられた気がした。
其は・・・私が重傷を負った事か、其とも護衛を傷付けた事の何方だろう。
黙ってちらと背を見遣るとボスは小さく溜息を付いた。
「如何して餓鬼を逃がした。御前らしくない。其の所為で翼を失ったんだろうが。」
其か。彼奴の報告を聞いたんだろうが、恐らく多少脚色がありそうだ。
何はともあれ、私の一番の価値である化物の姿が一部削り取られてしまったのだから其処が不満なのだろう。
私だって、其が原因で首にされてしまっては困る。
「別に餓鬼を逃げせば騒ぎが大きくなって逃げ易くなると思った丈だ。・・・失敗に終わったが。」
彼の時は睡眠不足で、体調も良くなかった。慣れない事をしたから緊張した。
・・・言訳は出来るが、言った所で結果は変わらない。
余計な事は口を噤んだ。
「まさか、彼奴に同情した訳じゃないよな。そんな事の為に御前と彼奴を組ませたんじゃないぞ。」
彼奴・・・?思い当たる所がなく、僅かに首を捻るとボスは少し丈安心した様だった。
「おい、相方の存在を忘れてやるな。彼奴だ、ナレーだ。彼奴は、御前の事褒めていたからな。餓鬼を助けてくれて、本当に感謝しているだとか何とか。うちは慈善事業じゃないっつってるのに。まぁ其の様子だと大丈夫然うだが。」
彼奴って、彼奴に同情?其は何だ、彼奴の子供愛に感化されたとか、然う言う事か?意味が分からない。何で私がしないといけないんだ。
頭がおかしいのは彼奴一人で十分だ。
「ない。絶対に。然う言われるのも不快だ。別に餓鬼を逃がしたのはもうあんな不味い人肉を口にしたくなかったからだ。其に私が餓鬼を逃がした所で、彼奴等は飢え死にするか又捕まるか、其の二つしか道が無い。救った覚えも自覚も無いな。」
ボスを睨み付けるとさして気にしていない様にボスは葉巻を銜え直した。
紫煙が緩りと、私達を分かつ。
「事実は然うだろうが、何時もの御前だったら餓鬼も殺して無事演目を終わらせて堂々と出た筈だ。中途半端にするから警備に疑われたんだろうが。」
「元から疑われていた。こんな形だと仕方がないな。」
ボスは何か考えている風だった。紫煙丈が揺らめき、時間の流れが遅く感じる。
「あっ!セレ来たのか!良かったぁ若し時間良かったら仕事、行くか?」
突如肩を叩かれ、挨拶代わりに手を払い除ける。
本当暢気な奴だ。空気も読めないのか。後翼を叩くな、何時も言っているだろうが。
私の翼がやられた事をボスは知っていたが、此奴が報告した訳じゃないよな。彼の護衛が何か言ったのか。
「おいナレー、余り出しゃばるなよ。其奴は御前の玩具でも、餓鬼でもない。」
「ボスのでもないですよ。」
ボスに口答えする奴なんて初めて見た。其に口早に言って眉尻を上げるなんて、まさか此奴、怒っているのか?其も其で初めての事だ。
ボスも少々面食らったみたいに目を見開いていると、ナレーは其の隙に勝手に私の手を取って無理矢理連れ出した。
「おい、離せ。もう飼主役は終わったんだぞ。」
ギルドを出た所で何とか手を引き剥がす。傷を付けただろうが構う物か。
抑何がしたかったんだ。此奴が誰かと揉め事を起こすなんて非常に珍しい。大抵此奴が難癖付けられて怒鳴られて、すっかりびびった此奴が頭を下げ乍ら逃げるのが常だったのに。其を自分から当たりに行くなんて。
一体何を、何に対して此奴は腹を立てたのか、良く分からなかった。
「然うだな。御前は大切な仲間だ。」
如何して臆面もなくそんな事を言う。
顔を背けていると、彼奴は行き成り頭を下げた。
「其と、本当に有難うセレ。御前の御蔭で彼の子達の命は助かったんだ。俺、嬉しくて。」
「別に彼所で騒ぎを起こせば目を逸らせると思った丈だ。寿命もどうせ一、二日位しか増えていないだろう。逃がした丈で、放ったらかしたからな。御前に礼を言われる筋合いはない。仕事だ。」
「でも其の所為で御前は怪我をした。」
つい顔を上げた。何だ知っていたのか。此奴も直ぐ逃げたと思ったからそんな情報、入らなかったと思ったのに。いや、彼の日も此奴は捜し回ったりしたのか?
「いや、怪我じゃない大怪我だ。其に滄江に飛び込んで逃げたって、こんな寒い日に滄江になんて、」
言葉を詰まらせて下を向く。
何とも感受性の高い奴だ。疲れないのだろうか。
私が寒中川流れをした位で一々涕きそうな顔をするな。御前の涕き顔も笑顔も、不細工で嫌いだ。
「だから、話を聞け。彼は私のミスだ。御前は自分の仕事を熟したんだろう。だったらもう関係の無い話だ。」
抑御前と私は偶々仕事が重なる丈で、接点なんて無い。何処に住んでいるのかも、何時も何をしているのかも、何処で如何過ごそうが私の知った事ではないし、関係のない事だ。
擦れ違う丈の他人に、何を話す必要がある。
「仕事に関したらまぁ悲しいけど御前が無関係って言うなら然う言う事にするけどさ、実は彼の後、俺餓鬼拾ってさ。」
は?何やってんだ此奴。何を言っているんだ。
穿り返すと非常に気持の悪い物が出て来そうだったので私は黙って適当な路地を歩き出した。
「いやセレ待てって、仕事行くんだろ。話し乍ら行こうぜ。此処からが大事だろ。」
「一緒に行くとは言っていない。」
切り捨てたが彼奴は何処吹く風で耳に入っていないそうだ。さして気にした風でもなく、勝手に話を続ける。
「流石に全員は無理だったんだけど、見付かった二人丈、な。俺の家族が増えたのは間違いなく御前の御蔭だ。無関係じゃない。御前の仕事で救われる奴もいたんだ。」
止めろ、気持悪い。其の質の悪い宗教をちらつかせるな。
如何して今も一杯一杯の筈なのに面倒を増やすんだ。考えられない。訳も分からない。
其処迄は考えていなかった。餓鬼が逃げれば此奴は自己満足で満たされるんだろうと思っていたのに。保護迄すると驕り始めたか。
此奴には其の精神の異常性を分からせてやろうと、何時も自分が降り掛けられる彼の芥を見る目を向けてやった。
だが彼奴は満面の笑みで、キラキラと光る金の瞳で見る丈だった。
先の涕き顔は何処へ行った。見なきゃ良かった。呪われそうな笑顔だ。ねちっこくて気持悪い。頭に残りそうだ。
「そんなに感謝しているのなら言葉丈じゃなくて誠意を見せて欲しい物だな。」
「噫勿論。持ち合わせは余りねぇから此しかあげられないんだけど。」
言って彼奴は持っていた紙袋から肉饅を一つ取り出した。
何か良い匂がするなとは思ったが、此だったのか。勿論食べた事はない。
今からもっと金が要る様になるのだからどうせ罰の悪い顔をして縮こまると思ったのに。
実際斯う出されると何だか少し面白くない。未だ買った許りなのか肉饅からは湯気が立ち上っている。若しかしたら此奴の昼食だったのだろうか。
かと言って辞退する私でもないが、此は施しではない。ちゃんとした報酬だ。・・・怪我の代償としては少ないが、貰って置くとしよう。
「熱いから気を付けろよ。」
受け取ってみると、確かに此の腕でも分かる位温かい。出来立てを食べられるなんて、間違いなく御馳走の部類だ。
・・・見ていると御中空いて来たな。最近痛みの所為ですっかり食欲が失せていたが。
「冷めても勿体無いし、其処、一寸雨宿りさせて貰おうぜ。」
陰霖が掛からない様彼奴は手を翳して、ある家の軒を指差した。
・・・確かに、斯う言うのはちゃんと食べたい。然う然う無い幸運。思い出したいと思える数少ない思い出だ。
隣に此奴が居るのは気に食わないが、貰った手前、彼方へ行けとも言えないし、仕方なく黙認する。
早速何度か息を吹き掛けて口にしてみた。
っ、熱いっ!まさかこんな、中から水蒸気が出るなんて。
慌てて口を放すが、彼奴に見られたくなんてそっと火傷した舌を冷ました。
でも柔らかかった。初めての食感だ。少しずつでも食べよう。
「如何だ?割と真面な店で買ったし、大丈夫だと思うけど。」
「・・・美味しい。」
「そっか。じゃあ良かった。」
満足そうに頷いたのでもう気が済んだのかと思ったが、彼奴の口は止まらなかった。
しまった、折角一体、彼奴の存在等忘れて楽しもうと思ったのに。全て食べ終わる迄逃げられないじゃないか。かと言って早く食べるのも勿体無いし、抑熱過ぎて出来ないし。・・・まさか此奴の策略か?
「でさ、今彼奴等の名前考えてたんだけど、言葉とか、教えて貰ってなかったみたいでさ。中々良いのも決まらないし、何が好きかも未だ分からないし、他の子も居る手前だしさ。如何しようかなって悩んでたんだ。」
早速惚気みたいなのが来た。其、悩みじゃないだろう。聞かせる相手がいないから私に言っている丈だろう。
早速げんなりしてしまう。折角の至福の時間なのに。
「相変わらず名付けが好きな奴だな。御前のセンスなんて知れてる。うっかり御前の餓鬼に同情しそうだ。」
「御前も相変わらず辛いなぁ・・・。でも矢っ張名付けって大事だと思うぜ。名には意味を込めるもんだろ。其ってつまりさ、其奴の事、想ってるって事になるんじゃないかな。幸せとか、未来とか期待とか、そんなのを願って付けるからさ。其奴が自分にとって特別なんだって証になるんじゃないかと思うぜ。」
成程、珍しく面白い事を言うじゃないか。想っている事を伝えるのも立派な自己満足な気もするが、でも想って貰える事を赦されれば、互いにとって其は救いになる気がした。
一番に思い浮かんだのは、何と言っても彼の黔猫だった。それなりの付き合いとなりつつあるが、一向に言葉が理解出来なかった。
だから、只然うやって焦れるよりも、御前は他の猫とは別だと、御前丈だと、伝えてみる努力はしてみる可きなのではと思った。
何もせずにいるよりは余っ程有意義で、素敵な事の気がする。
彼奴の名前を考える。然う思うと何故だかわくわくする自分がいて、重大な仕事を受けた時以上に緊張した。
悪くはない。然う、悪くはない事じゃないか。そんな気がした。
「然うかも知れないな。」
「え、珍しいなぁ。素直になっちゃって。」
茶化されている気がして目を逸らした。少しでも此奴を見直した自分が馬鹿だった。此奴の笑顔は何時見ても不細工だ。
だが其でも彼奴の視線がねっとりとして離れない。食べ終わるのを待っているが邪魔で仕方ない。食事中は席を外すと言うマナーを此奴は知らないのか。いやまぁ其の常識は私丈の物かも知れないが。
「そんなに見るな食べ難い。」
「いやぁ熱くてちみちみ食べてるの可愛いなぁと思って。子供が美味しくもぐもぐ御飯食べてるのって斯う、良いよな。元気って証拠だしさ。」
其の一言で一気に肉饅が不味くなった私は病気なのだろうか。
間違いなく此奴にうつされた。毒を喰わされたのと同じだ。
此奴の前で此以上食べたら食中毒になる。多少冷めても静かな所で食べよう。
私はそっと懐に肉饅を仕舞うと、軒から飛び出して一目散に駆け出した。
「ちょっ、だから何で俺を置いて行くんだよっ!」
背後から彼奴の声がするが、どうせ直ぐ振り切れる。すっかり迷わせてやって、食べ終わってから仕事に行けば良いんだ。
・・・其の道すがらにでも彼奴の名前を考えよう。
此は、中々骨が折れそうな、でも遣り甲斐のある仕事だった。
・・・・・
彼から何日かし、私は最近根城にしているとある芥捨て場に潜んでいた。
仕事も無事終わり、私はもう少し休んだ方が良いと判断して此処で寝て居たのだ。
でも最近、彼奴が帰って来ない。黔猫が来ないので又随分と質素な食生活となっていたのだが、其にしても遅い。
前会ったのは彼の日、彼奴、ナレーと会った日だ。御前の名前を考えているんだと話してから何日経つだろう。
やっと名前は決まったが、其を彼奴が気に入るか如何か。不安感許り募ってしまって、早く言ってしまいたくて仕方がなかった。
・・・若しかして誰かに捕まってしまったのだろうか。其か怪我を負ったのか。
気になって此以上眠れそうもない・・・。当てはないけれども食べ物を探す序でに彼奴を捜してみようか。
新たな不安感が芽を出していたが、私は無理矢理其を踏み付けて其の場を後にしたのだった。
・・・・・
結局彼奴は、食べ物より先に案外早く見付かった。
ギルドの裏口辺りに堂々と。
死体が・・・寝かされて、野晒しにされていた。
「・・・・・。」
そっと近付いて屈んだが、矢張り何度見ても死んでいる。見慣れた物に成り果ててしまっていた。
四肢を投げ出して、目は開かれた儘で。髭は曲がって、彼奴の自慢だったリボンは泥に塗れて千斬れていた。
毛皮ももう艶なんて無い。ぼろぼろの雑巾みたいだ。他の猫と見間違えているのかと思ったが、匂が、其のリボンが、碧の瞳が、現実だと訴えて来る。
何より、私が此奴の顔を見間違える訳なんて無かったんだ。それなりの付き合いだったのだから。
もう死んでから数日は経っている。私と会った彼の日の内に死んだのか。私は、此奴が陰霖に打たれて朽ちている間、ありもしない帰りを待って、呼ぶ事のない名を考えていたのか。
黔猫は腹部がナイフの様な鋭利な物で裂かれており、大量の血が溢れて、陰霖でも落ちない絳黔い染みと化していた。
内臓が覗けてしまっているが、其も寸々だ。屹度面白半分に人間に殺されたんだ。
最早何の意味もない事は分かっていたが、そっと近くに打ち捨ててあった襤褸布を取り、上から掛けてやった。
見ていられなかった。此奴が此以上、こんな冷たい陰霖に打たれるのを。
・・・折角、名前を考えたのに。
珍しく彼奴が真面な事を言って、名前なんて、と思っていたけれど、良いかも知れないと考え直して。
考え過ぎて疲れたり、何度も揺れたり、悩んだり、行ったり来たりしたけれども、不思議とそんな嫌な時間じゃあなかった。
本当に久し振りに未来に希望が持てる楽しみが出来たんだ。名前を呼んだらどんな反応をするんだろうって、早くそんな日が来るのを願っていた。
いや、久し振りじゃない。初めてだ。私が自発的に誰かに何かをしようだなんて。
本当に、返したいと思っていたんだ。此の恩を、そして、此からも宜しくと。
だのにそんな楽しかった時間の間、御前はこんな所で、陰霖に打たれていたのか。
もう呼べないじゃないか。此の名前は、一度も紡がれる事もなく朽ちるのか。只の音として、其処に何の意味もなく。
御前に、只の黔猫じゃないと伝える事は二度と出来ないのか。私は御前を懐い出す時、黔猫としてじゃないと懐い出せないのか。特別に、してやれないのか。
私は・・・何を御前にしてやれた?何も持っていない私だけれども、何か、あげられたか?
「あ、おい見付けたぞ化物。丁度良かったぜ。」
背後からの声に肩越しに振り返る。正直、構ってなんていたくなかった。こんな時に人間なんて・・・。
声を掛けて来たのは四人連れの男だった。確かギルドで見た事がある気がする。
男達は嫌な笑みを浮かべていた。良からぬ事を考えている顔だ。嫌な予感しかしない。
「御前知ってるか?此処最近何処ぞのどら猫が林檎やら梨やら盗んで問題になってたんだ。もう店主はぶち切れててさ。」
陰霖の中、耳が動く。其の言葉はすんなり頭に入った。でも鈍った頭は理解が遅れていた。・・・否、進ませる事を、拒否していたんだ。
「で、どら猫駆除の依頼が出たから引き受けたけど。ま、猫と言えども俺達はやる時はやるからな。でもまさか化物のペットだったとはなぁ。通りで酷い躾な訳だ。獣が獣を飼いやがって。まぁそんな飼主にほっとかれていた此奴も可哀相だよなぁ。」
何が可笑しいのか男はゲラゲラ嗤って舌を出す。だが隣の男は眉一つ動かさずずっと私を睨み付けていた。
「此に懲りたらもう来るんじゃねぇよ化物。ボスの御気に入りだか知らねぇが飯が不味くなる。」
「抑何でボスもこんな奴なんか・・・。此奴に何人うちのが殺されたか知れねぇのに。」
「・・・・・。」
全部、私の所為か?私が此奴を巻き込んだ?
私が化物だから、怨まれていた奴等に彼奴は殺された。
私が怪我なんてしたから、彼奴は店から盗んで迄、食べ物を持って来てくれた。
私が甘えたから、彼奴は私から離れられなかった。
私が自分勝手だから、彼奴は独りで死んだ。
全部、私の所為じゃないか。私が彼奴を殺したんだ。
分かっていた事じゃないか。何時かは斯うなるんじゃないかって、予感はしていたじゃないか。
私は只、偶然此奴と出会って、此奴と偶々一緒に居られた。
一方的に利用していた丈だろう、此奴を。
私の都合の良い様可愛がって、助けてもやれなくて、何時の間に私はこんな卑怯者になった?
「おい、ちゃんと後始末はしとけよ。臭くて敵わなかったしさぁ。」
下卑た哄笑が響く。頭の中、陰霖の中に。入り混じって染み込む。
私はもう一度丈、黔猫を見遣った。
布を掛けた所で、見えない様にした丈で、何も変わらない。
布を被さるのは好きだったのに。上からちょっかいを出すと良く引っ掻かれたっけ。
そんな懐い出が不図頭を過った時、突然心臓にナイフを突き立てられた様な重い痛みが広がった。
初めてだこんなの。怪我なんてしていないのに、ずきずきと、彼の日翼を失った痛みよりも重く冥く、痛む。
声も出せない位に、息も出来ない位に。
頭が痺れてぼーっとする。考えないといけないのに、何も出て来ない。空虚に満たされ、目がちかちかする。
雨粒に反射する曦が眩しくて目から焔が出たかの様に熱くなる。
駄目だ、何も考えられない。
そんな空っぽの頭に静かな声が響いた。
私が今迄殺しに殺したから、此の子は其の付けを身代わりに払ったの?
然うだろう、全ては因果の成す物だ。
如何して私ではなくて此の子が払わないといけなかったの?
弱い者から淘汰される、其も因果だ。
他に何か、手はあったんじゃないの?何処かで選択を見誤らなければ、
ある訳ないだろうそんなの。若しもを語る前に現実が、現在がある時点で、御前に他の選択肢は抑存在し得なかったんだ。だから自分の信じる最善を取り続けた筈だろう。
確かに私は今迄の選択に、反省はしても後悔はして来なかった。でも、悪は悪を、不幸は不幸しか呼ばないの?私の行いは間違っていたの?
未だ分からないのか。御前が誰かを殺す様に、誰かが猫を殺した。其丈の事。
全ては只の因果だ。縷を引っ張れば全て繋がる。点丈の存在ではいられない。
でも屹度、悪い事は罪だ。其には罰が要る。此の結果が正に罰なんじゃないの?
悪も善も、人間が作った丈の物だろう。無理矢理因果に意味を持たせるな。結果が全てだ。
どんな訳も理由も、説明も不要だ。猫は死んだんだ。好い加減受け入れろ。
私と、御前は化物だ。人間の秩序に収まる訳がない。悪だの善だの、私達には無関係だ。
・・・然うだ、然うだよ。私は化物だ。其が全てだ。
じゃあもう考える必要もない。次の因果の連鎖が如何なるか、分かるだろう?
「おい、しかとすんじゃねぇぞ。」
陰霖の音と共に、男の苛立たし気な声が耳に付いた。
頭の声は消えていた。静かな物だ。全ての音が透明になって、遠くへ行く様。
人間がのさばった所為でごちゃごちゃと我落多が積まれ、汚れてしまった世界の中の、未だ柔く、透ける様に、漣しか立たない美しい世界の断片が見えた気がした。
噫何て綺麗で、儚いんだろう。
「っぐがぁあ!!」
突如くぐもった悲鳴を上げて男が倒れた。
「お、おい突然どうしたんだ。」
「ひっ、・・・こ、此って、」
俄に彼奴等が騒ぎ出した所でやっと私は振り返り立ち上がった。
すると一人の男が蹲った儘暴れているのが眼下に見えた。其の躯は血塗れで、欠損が多い。
顔の半分が砕かれて右目は潰れ、裂けた皮膚と肉の下から真絳に塗れた骨が覗く。
鼻は無くて、裂かれて原形を留めていない口だった物から抜けて砕けた歯が零れ落ちる。
僅かに覗けた脳味噌は不気味に蠢く様だ。
右手は肘から先が何処にも無く、猛獣に食い千斬られてしまった様に寸々に裂かれた切断面から鮮やかな血が噴き出す。
其の血を止めようと伸ばす左手も又、虫喰いの様に肉が抉れ、骨が所々覗いている。指は折れたのか振られる度に在り得ない方向へと曲がり、ふらふらと覚束無く揺れる。
服も大部分が破られ、千斬られ、真絳な肉と蠢く内臓が露出していた。
其の内臓も握り潰されたかの様に肉塊と化している所があり、最早機能はしていない様だった。
暴れる度に其の内臓や肉は飛び散って陰霖に晒される。
腸が、肺が、胃が、何本か折れた肋骨が刺さった状態で転がり出る。
足も腕と同じ有様で、唯一の違いは右足が丸々なくなっている事だった。
男は暫くの間悶え、残った左目を大きく見開いて血走らせていたが、次第に其の曦は失われ、見開かれた間動かなくなった。
不自然に上下していた胸もピタリと止まる。
何度も見て来た光景だ。今回何時もと違うのは何時も跡形もなく壊すのを敢えて苦しませる為に部分部分を壊した所だろうか。其の甲斐あって随分と苦しそうな必死の形相の儘死んでいる。
「お、御前、つ、終にやりやがったな。ボスから仲間には手を出すなって、散々、言われてただろうがぁ!」
たっぷり男が死ぬ迄の間黙りこくって固まっていた男達が怒声を投げる。
逃げる時間は十分にあったのに学習をしない奴等だ。良くそんなので今迄生きて来れたな。まぁ此からは無いのだから結局は一緒か。
「仲間って、何の口が言うんだ?じゃあ仲間の相棒は仕事だったら殺して良いのか?其とも化物だから殺したのか?じゃあ私だって、化物が仲間になると、本気で思っていたのか?そんなのが通用するのは人間丈だろうが。」
此以上奴等の声なんて聞きたくなくて即座に口を破壊した。
元から答えなんて期待していない。どうせ訳分からない事を喚く丈だろう。私が何を言っても吼え声にしか聞こえない様に。だったらそんな口、必要ない。
砕けた歯、細斬れになった舌が陰霖と共に落ちる。
数瞬後に苦痛に顔を顰めた三人は声も出せずに息を吐く丈でのたうち回った。
喉からヒュウ、と音が漏れ、続いて溢れ出た血が絡み付く様に喉を塞ぐ。
自分の血で溺れ乍ら捥く三人へと近付いて行く。
こんな状態じゃあ銃なんて真面に撃てないだろう。
「指先から千斬りにされるのと、皮の代わりに此の甲を全身に突き立てられるのと、内臓を全て潰されるの、何の最期が御望みだ?」
先迄の嘲笑の色は何処へやら、三人はすっかり恐怖で顔を青くし、大きく震える丈だった。
・・・彼奴は、如何だったんだろうな。人間に囲まれて、言葉も、理由も分からず、死ぬ迄甚振られたのは余っ程恐かっただろう。
報われない話。良くある、不幸の一つなんだ。此の世界ではそんな灰色の悲劇が幾つも幕を開ける。
そんな最低最悪な、世界。
何だか急に、こんな世界で必死に生きているのが馬鹿みたいに思えて来た。
頑張る丈の価値が、此の世界には無いんだ。
まるで私の操る罅の様に、此の世界も何処か、壊れてしまっているのではないだろうか。
だったらいっその事、私の力でこんな世界、壊せてしまえば良いのに。
次第に目の前の景色も、灰ばんで行く。私が手を下した彼の屍も、今から其処に並ぶ三人も、迚もちっぽけで、如何でも良い物に思えた。
だって私自身に価値なんて、意味なんて、何も無いのだから。
だから殺した。淡々と。
涕こうが震えようが何も私には届かず、聞こえなかった。
有言実行はしたが、其でも何だか仕事と変わらない様で味気なく、何も特別な風に思う事も無かった。
どんな凄惨な光景も、時の止まった世界か、一つの絵画の様で、私は只偶然此の惨殺死体の山に通り掛かった丈だと、うっかり信じてしまいそうな位、手応えが無かった。
只一つ丈、最後に殺した男が最期の最期に、声なんか出ないぼろぼろに壊れた筈の口を動かして何か言った気がしたのが頭に残っていた。
其が如何考えても化物と言っていた様に見えて、何だか嗤えた。
そして後始末も程々に私は其の場を去った。勿論、彼の黔猫を連れて。
其の後は・・・まぁ当初の予定通り、黔猫は食べる事にした。大した知識もないから御世辞にも上手く出来たとは言えないけれども。
こんな芥溜めみたいな街に奥つ城なんて作りたくなかったし、若し作ったら其処等のならず者に直ぐ壊されるのは明白だ。
だから、私の中に墓標を立てられればと、残さず食べた。
何故だか別に気持悪くもないのに吐きそうになったのをじっと堪えて。味気ない淡白な味の中に僅かなしょっぱさを含めて。
又私は、独りになった。
・・・・・
「流石に此は遣り過ぎだ。仲間には手を出すなって教えただろうが。」
後日、ギルドを通り掛かった私をボスが呼び止めた。
用件は分かっていた。加えて私は彼の日以降、二桁に上ろうかと言う数のギルドの者を手に掛けている。
幾ら死体を完全に壊しても噂は付いて来る様だ。抑疑う可きなのは私しか考えられず、誰も其を疑わなかったのだから当然の結果だ。
事ある事に仲間殺しだと絡まれ、私は其に行動で応じた。
話し合いなんて通じる筈もないのだから壊すしかなかったのだ。
一度一線を超えれば後は引き摺られる丈だ。何も悩んだり、怒ったり、悲しんだりする必要はない。世界が灰色の殺風景でつまらない物に見えていた私にとって迚も楽だった。
ボスに連れられ、私はギルドに入り、奥のテーブルに通された。
何時もより視線が痛い。其の視線で殺そうと許りに。
ボスも又随分と冷めた目で私を見ていた。絳の瞳が冥く淀んで凍る様だ。
そんな見飽きた視線なんて今更、私にとって何の障害にもならないが。
今迄、何丈其に晒されて生きて来たと言うんだ。
「其は、人間の場合の話だろう。私は化物だ。」
ボスは一つ溜息を付いて片手で顔を覆った。
「何で又、今更そんな事を。・・・何時もの御前なら分かるだろう。こんなの、賢い方法じゃないって。」
其についてはもう決着している。
如何でも良いんだ。今更賢く生きようが、強かであろうが、全てが如何でも良くなってしまったんだ。
馬鹿馬鹿しい。世界も、自分も、何もかも無意味で、無価値の様で。只存在するからあるのだと、其丈でしかないと思えて仕方がない。
「・・・まさか猫が死んだからか?」
指の隙間から覗く瞳が訝し気に光った。
まさかそんな情報迄掴んでいたのか。其か其丈私の彼の日々は奇異に満ちていたのか。
だとしたら斯うなる未来は、初めから何一つぶれず、定まっていたとしか言えない。
「何だ知っていたのか。命の恩が一つでもあれば仇を討つのは道理だろう。」
「・・・御前も建前を使う様になったな。違うだろう。只殺したかったんだろうが。御前程簡単に人を殺せる奴は然ういないからな。」
「そんな化物であれと願ったのは御前だろう。」
勿論、仇だなんて1mmも思っていない。だって全ては私の所為なのだろう。
全ては私が選び取った結果だ。仇も何も、分かっていた筈なんだ。
「其でも・・・遣り過ぎだ。此以上暴れるなら御前、手に負えなくなって捨てられるぞ。今の御前に任せられる仕事はない。」
「然うか。無駄足だったな。」
此奴の説教ももう十分だろう。元々忙しい身だし、私なんかに構っている時間は無い筈だ。
「腹癒せに何人かやって帰ろうか。」
「・・・好い加減にしろよ。」
冗談めかして言い、席を立つ。すると目前、テーブル越しに銃口を向けられていた。
ボスの眼光は鋭く、揺れる気配はない。人を殺し続けた奴の目だ。
「撃つのならちゃんと心臓か頭を狙え。其処以外は今の所、回復しているからな。」
眼光を細めて見遣るボスは不服そうだ。そんな玩具で私が臆すると思ったか。
特に最近は・・・其の感情が抜け落ちてしまっている気がする。
世界の全てを外側から見ている様な、此の現実が、宛ら玻璃玉に写された虚像の様な。
そんな現実感の無さが、此の瞳にこびりついてしまっている。
「殺せよ。」
膠着状態が続いて、面倒だと切り上げる。
此に何の意味がある。駆引きも何も、私は其のテーブルに座ってすらいない。
「やるなら、さっさと殺せ!」
嗾けて、何故か私は口端を釣り上げる。渇いた嗤いが、頭の中で響く。
噫面白い、おかしくって仕方がない。こんな滑稽な世界に嗤わずになんていられるか。
死に近付けば近付く程、リスクが、背徳が、狂気が、綯い交ぜになってそんな世界が浮彫になって堪らなくおかしい。
私は、狂ってしまっているのだろうか。其とも、其が化物なのだろうか。
周りに居た奴等も何事かと振り返る。今迄見ない振りをしつつもどうせ盗み聞きをしていたのだろうが、銃を見て、皆息を呑むのが分かった。
此処の誰もが、私の死を願っている。其の瞬間を待ち侘びているんだ。
然う、此の街に溢れる良くある不幸は、誰かにとっての小さな幸福だ。
さぁ此処迄御膳立てされて、一体如何するつもりだ?
舞台に上がっても猶、私は観客で、傍観者気分だった。だって死ぬのは私だ。化物はそんな物じゃあ殺せない。
だがボスはトリガーに指を掛けた丈で、銃をそっと仕舞った。
「御前を雇ったのは俺だ。俺に全ての責任がある。こんなのじゃあ解決にはならない。」
そんな実に拍子抜けする様な、まるで大人の言訳の様な事を吐いた。
色を失った世界が割れてしまう位、味気なく乾いたつまらない演出だった。
「責任か。本当に好きだな。じゃあ仲間が全員殺される迄然うしてろ。」
「っおい手前今何つった!」
「ボス、こんな奴なんで放っとくんですか。さっさと殺せば良いのに。」
「もう我慢ならねぇ俺が殺してやる!化物の癖に粋がりやがって!」
弥次が飛び交い、そっと耳を伏せる。
煩いな、全く。何で斯うも人間は喧しいんだ。
威嚇にすらならないなら其は只の醜態だ。好い加減、気付いた方が良い。
「止せ、俺のギルドでがなるな。・・・御前もだ化物。苛付いて自棄になる位なら陰霖で頭を冷やせ。」
自棄・・・然うだな。然う御前には写るんだろうな。私は只今迄、耐えて来た丈だ。
其を止めた丈、向けられる物に相応に返す丈。
元々、其が私だったんだ。只、ルールだの秩序だの、人間の枠組みの中で何とか綱渡りをしていた丈。でもそんなの、続く訳がなかったんだ。
私は化物なのだから。人間にはなれないし、なりたいとも思っていないのだから。相容れる訳がない。
「決断は早くした方が良い。・・・御互いの為にな。然うだろう?」
睨み返すボスに同じ眼光を返してギルドを出る。
然うだ。此以上状況は良くなる訳がない。人間と化物の板挟みが嫌ならさっさと私を捨てた方が良い。
どうせ耐えた所で其は何も実を結ばないのだから。牙と銃、何方が先に届くか。其丈の話なのだから。
全てに罅が入って、跡形もなく壊れてしまう前に、私を斬り取れば良い。
私は化物、人間とは違う。
止む事のない陰霖が、煩い位に肯定している様で、幽かに旻を走る雷霆が光る。
只陰霖に打たれる丈の私を、嘲笑っている様な、そんな気がした。
「あ、セレ。来てたのか。何か久し振りだな。」
一言目を聞いた丈で自然と目が据わる。
陰霖の中傘も差さずに駆けて来たのはナレーだった。見る必要がない位、明白だ。
前会ったのは・・・確かにそれなりに前だな。彼奴が死んでからは会っていなかった気がする。
「仕事、貰ったのか?良かったら一緒に行きたいんだけど。」
懲りない奴だな本当。
然も当たり前の様に私の隣に立って、面倒然うに垂れる水滴を拭った。
此奴は流石に彼の黔猫の最期は知らないんだろうな。若し知っていたら抑死体を屹度放っとかないだろう。
其に、・・・一体、どんな言葉を掛けてくれたのだろうか。どうせ困った様な微妙な笑みを浮かべて、適当な慰めを吐くのだろうが、上手く想像出来なかった。
「別に。今はボスが居るから御前に仕事があるんじゃないか?」
だからさっさとギルドに入れ。別に今此奴と話す事なんて無いんだから。
私だってさっさと此処を去りたい。
「ボスが?珍しいな、帰って来てるなんて。・・・でも仕事無かったのか?じゃあ俺もねぇな。御前の方が優秀だからなぁ。」
苦笑を漏らしはするが足は動かない。御得意の立話か。正直・・・否、何時もだが今回は特に付き合いたい気分でもない。さっさと帰れば良いのに。
一つ溜息を付いて黙っていると突然彼奴は覗き込む様に私の顔色を窺った。
「何か・・・あったのかセレ。何かその、余元気然うじゃないみたいだけどさ。」
「別に。御前に関係ない。」
思わず目を多少見開いてしまったが、慌てて顔を伏せる。
此奴は何時も変な事を言うし、相手の事なんて何時も些とも顧みない。
今のは、偶然だ。無駄に喋るから偶々触れた丈で。
「矢っ張り、何時もみたいに俺を置いてどっか行かねぇし、疲れちゃたのか?俺で良かったら何処か入るか?近くに喫茶店あるし、一杯位なら奢れるぜ。」
何で今回に限ってそんな、優しい振りをする。御節介が心配しても碌な事にならない。
甘えたいんじゃない。優しくされたい訳じゃない。近付いて欲しくない。触れて欲しくない、其丈なんだ。
放っといてくれれば良いのに、何時も此奴は真逆の事をする。
走れば良いんだろう。然うすれば私は此奴と御然らば出来る。
「っぐぁ、・・・。」
足を出そうとした所で突然鋭い痛みが背に走った。
其は背を突き抜けて全身に広がる。まるで鉄骨を背中から、背骨に沿って何本も付き立てられた様だ。
思わず隠していた翼がピンと伸ばされ、足がふら付いて階段を踏み外した。
全身を打ち付けて陰霖の中地面を転がるが、そんな痛みの比じゃない位内側で荒れ狂う痛みがある。
髪と服が泥を吸って汚れ、荒れた呼吸が水溜りを飲むが、構っていられない。
苦しい、息が出来ない。肺が、心臓が、頭が痛い。直接握り潰されて行く様に痛んで気持悪い。
爪で地面を掻くが、何の意味もない、直ぐ腹を抱えて丸まる事しか出来ない。
駄目だ、蹲った所で痛みは引いたりしないのに、何処か、物影に行かないと。
こんな、ギルドの前で気絶なんてしたら殺される。
発作だ、何時もの。でも今回は強過ぎる。最近は余りなかったが、恐らく大きく姿が変わってしまう。
「お、おい!だ、大丈夫か!?ま、まさか前言ってた発作って此か・・・?おい大丈夫か?俺の声、聞こえてるか!?」
噫、すっかり存在を忘れていた。
薄らいでいた意識が無理矢理揺さ振り起こされる。
霞む視界で見上げると、彼奴が今迄に見た事もない位真剣な顔をして屈んで私を覗き込んでいた。
背に添えられた手はじんと熱く、陰霖と泥で冷えた躯に其の熱は広がって行く。背筋がぞくぞくするが振り解く事も出来ない。
今迄、此奴の前で丈は倒れない様にしていたのに。
歯噛みした所でもう遅い。最早動けはしないんだ。
駄目元で手に力を込めたが、上体が浮くより先に肘が折れて泥を掻く丈だ。
足は鉛の様に重くて、感覚も殆ど無い。頭も靄が掛かった様にぼやけて、考えが纏まらない。
背中丈は相変わらず鋭く痛み、堪らず吐いてしまった。
元々碌な物は食べていないので胃液位しか出ないが、より息苦しくなり、喉が熱くなって呼吸が早くなる。
「おい!しっかりしろって!!こんな所で・・・し、死んじゃ駄目だセレ!頑張れ、緩り息を吸うんだ。大丈夫だからっ、」
「っは、・・・っあ・・・ガ、はっはっ・・・っあぐ、あ、」
煩い。耳元でがなるな。其の一言が言えなくて。
噫寒い。手丈じゃあ足りない。陰霖が、否、内側から冷えて来る。
心臓が凍えた様に急激に冷える。錆びてしまったかの様に手足は動かず、目を動かすのですら億劫だ。
視界が霞む。焦点がぼやけて、彼奴の顔すら真面に見えなくなる。
彼奴が又何か喚いたが、もう聞き取れなかった。
ずっと耳の奥で谺していた陰霖の音も途切れる。
もう分かっている。私はもう直、眠る様に気絶する。此処迄痛覚も遠ざかれば確実に。
目を閉じる最後の瞬間、二つの感覚が全身を包んだ。
一つは何か温かい物に包まれた様な、久し振りに感じた安心感。
そして、飛んだ訳でもないのに浮遊感。何方も何だか新鮮だった。
目が覚めたら如何なるか皆目見当が付かない。抑目が覚める保証もない。
・・・最近、少し無茶をしたのが祟ったか。
抗う事も叶わずに私の意識は其処で途絶えた。
・・・・・
「っ・・・ん、」
淡い曦に瞼を叩かれ、緩り目を開ける。
私は・・・何をしていたのだろう。
木の板の上に俯せになって寝ていた様だ。
軋む両腕を何とか動かし、少し上体を起こした。
力が入らない・・・。酷い空腹で腹が痛み、喉が渇く。
頭を何丈回しても靄が掛かった様に思い出せなかった。
起きてからもう少し考えるか。
一つ伸びをすると肩に掛かっていた麻の布が擦り落ちた。
こんな物、一体何処で・・・?襤褸くはあるが、こんな大きい布、持っていない。中々便利そうだが。
繁々と眺めているとある物が目に付いた。
此、何だ。別の布も掛けていたのか?
背中にある黔い布。でも起きても擦り落ちたりなんてしない。
独特な形。まるで何十倍にもした蝙蝠の翼を象って独特な民族模様だとかを彫った様な・・・。翼・・・?若しかして、
そっと翼を伸ばしてみる。矢張り違和感があった。感覚が何時もより多い。
伸ばして首を回らせると、直ぐに理解した。
翼が増えていたのだ。
今迄のは鴉の様に真黔な翼と蝙蝠の様に被膜が付いた翼の四翼だったのに、其の翼を象った様な、玻璃と魔力の結晶で出来た様な翼が増えていた。
何だ此・・・。不思議な感覚だ。手が増えた様な。
此の結晶で出来た様なのは何だ。此も翼なのか?
一応単体でも動かせるし、飛べ然う・・・か?如何なっているんだ本当。浮力だとか、然う言う物理法則を無視している。
此の姿の時点で、人間の言う生物学的にもおかしいらしいから今更な気もするが。
でもこんな変化があったと言う事は・・・然うか。私は気絶していたのか。今回は相当辛かった筈だ。何せ骨格から変わっているのだから。
数日は寝ていたのかも知れないが・・・良く無事だった物だ。でも直ぐ食べ物を探さないと餓死してしまう。
所で此処は何処なのだろう。自分の変化に驚いて状況把握が疎かになってしまった。
誰か居たら如何するんだ。寝惚けるのも大概にしないと。
辺りを見渡してみるが・・・此処は一体何処なんだ?
陰霖の音が遠く、濡れていないのも気になってはいたが、抑此処は家屋だったのか。
気絶する前に何処か入ったのか?いや、そんな記憶はないが。
まさか気絶中に誰かに見付かって捕らわれたか。又見世物小屋だとかに逆戻りは勘弁だが、否、殺されていない丈ましか。
でもこんな粗末な建物が見世物小屋だったりするか?簡単に逃げ出せるし、家屋、と言うよりトタン板やベニヤ板で家の体裁を作った丈の物の様だ。
其処等中隙間風が走るし、雨漏りもしている。黴びた臭が鼻を刺す。
一体此処は何なのだろう。別に拘束をされたりしている訳ではなさそうだし・・・。
取り敢えず動かず彼方此方見遣っていると突然背後で物音がした。
慌てて振り返る。すると其処には子供が三人固まって驚いた様に此方を見詰めていた。
襤褸布を着、ぼさぼさの髪と、小汚い様を見る限り路地を根城にしている餓鬼の様だ。
此処に住んでいるのかは知らないが、近付かれない様唸り声を上げようとした時だった。
「どしたの?あ、起きてる!」
「ホントだ、良かったね。」
ひょこっと別の餓鬼共が顔を出し、ぱっと表情が華やぐ。
そして其奴を皮切りに次々と餓鬼が現れて私を取り囲む様近付いて来た。
な、何だ此奴等、私の翼、見えていないのか。
不意を突かれて唸り声を出せずにいてしまう。加えて状況が呑み込めず軽いパニックに襲われる。
此奴等、私が恐くないのか。何故近付く。如何して然う嬉しそうなんだ。
まさか私を喰う気か。囲まれた所で負ける私ではないが、そんな沢山の目に囲まれてしまっては多少畏縮してしまう。
喰われるなんて在り得ない?分からないじゃないか。集団は時に恐ろしいルールを作り上げてしまうものだ。餓鬼許りが集まった所で生きられる程此の世界は甘くない。何か裏がある筈だ。
薬か人身売買かガニバリズムか・・・何も可能性はある。
取り敢えず触られない様、輪を詰められない様翼を広げたり尾を動かしたが、餓鬼共は怯む様子もなく目をキラキラさせて嬉しそうに歓声を上げていた。
何故恐がらない。化物の姿が見えないのなら私も同じ餓鬼の一人になってしまう。
何が目的なんだ。喰うのが違うなら、まさか私をペットとして飼うつもりか。
こんな餓鬼許りの集団、聞いた事も無い。目的が分からない以上手を出すのは危ういか?
喋らず喜ぶ許りで気味が悪い。
「お、やっと目が覚めたのか。」
聞き覚えのある声がして顔を上げると彼奴が、ナレーが餓鬼に手を引かれ乍ら入って来た。
思わずぽかんと口を開けてしまったが、其処で急速に頭を過る物があった。
然うだ、私は彼の日、有ろう事か此奴の目の前で倒れたんだ。そして其の儘気絶して、気付けばこんな所に・・・。
最悪だ。考えられる限り、最悪の状況だ。だって此処は恐らく・・・。
彼奴が近付くと餓鬼共はさっさと輪を崩して彼奴を加えてやった。そして彼奴は屈んで何時もの彼の苦笑を浮かべていた。
此で退路を断たれた訳か。本当質の悪い奴だ。
「本当良かった。彼の時は本気でやばかったからさ。御前、三日いや、今日で四日丸々寝てたんだぞ。其の間に翼も増えちまうし。」
「・・・此処は御前の家なのか。」
「え?噫然うだよ。まさかこんな形で御前を招待する事になるなんてな。もう痛くはないか?御前ずっと魘されてたから何も食べさせられなかったんだ。腹、減っただろ。」
「僕も御中空いたー。」
「私もー。今日は何にするの?」
「おいおい御前達はもう一寸待てって。此奴は四日も食ってないんだぞ。」
然うか、此奴の家だからこんなに此奴の調子が良いのか。私の目の前でこんな程度の低い戯れ合いを見せて、矢っ張り頭のおかしい奴だ。
目の前に化物が居るって言うのに、人殺しが居るって言うのに、何でそんなに笑っていられる。
銘々声を上げる餓鬼共の頭を撫で乍ら彼奴は本当に嬉しそうに笑っていた。私が何時も見ていた彼の苦笑ではない。
「・・・・・。」
途端に又躯が冷たくなった気がした。
別に痛みはない。でも内側から冷える様な。
うんざりする位乾いた此の冷たさは何だ。
「な、セレ。こんな形になっちまったけど、此の際此処で少し休んで行かねぇか?又ああなったら一人じゃ危ないし、・・・色々あって、疲れちゃったんだろ。其位、誰も何も言わねぇさ。」
「御前の家に招待してくれなんて頼んだ覚えはない。」
「ははっ、相変わらずだなぁ。ま、好きにして良いからさ。取り敢えずは・・・えっと何かキッチンにあったか?」
「ケンタが人参食べちゃったよ。」
「あーいけないんだ撮み食い。」
「僕パンが良いなぁ。」
喧しい家だ。誰か一言発する度に周りが過敏に反応する。此奴の教育が良く行き届いている証拠だ。確かに似た様な惚け顔はしているな。
只事の成行を眺めていると一人の餓鬼が怖ず怖ずとナレーに促されて出て来た。
「此の子、憶えているか?ほら前サーカスで御前が助けてくれた。」
「えーサーカス良いなぁ。」
「狡い!一人で行ったの?」
「あーほらほら仕事だから、な?今度行けたら行こうな。」
彼奴が騒ぐ餓鬼共を宥めていると其の餓鬼は突然頭を下げて来た。
「あ、あの、助けて、くれて、ありがと。後、恐がって、御免、な、なさい。」
噫彼の奴隷の餓鬼か。喋れる様になるとは良く躾けたな。
でも・・・助けた?全く身に覚えがない。抑彼は恐がって正解だ。然うなる様仕向けたし、実質私は此奴等を殺そうとしていたんだ。
然うか、此が此奴の洗脳か。家族ごっこよりも悪化している。
私は、助けていない。絶対に。運が良かった丈だ。強いて言えば此奴が助けたんだ。
だが当の本人は自分が礼を言われた訳でもないのに随分と嬉し気で、自己満足に浸っていた。
気持悪い。何より、恐ろしかった。自分が知る物とは全く別のルールが此処にはあった。外の人間共のとも、ギルドのとも違う。愛だとか、そんなのを信仰する、在りもしないものを夢見る、宗教紛いのルール。
こんなのに当てられたら、私もおかしくなってしまいそうで、如何にか抵抗して遠ざけたかった。
「な、セレって夢、何かあるか?将来の夢ってさ。」
唐突に投げられた訳の分からない質問。
そんなのある訳ないだろう、今日明日と知れない命なのに。そんな物に現を抜かせば背後から撃ち殺されるのがオチだ。
叶うなら御前みたいな御喋りも人間も此のごちゃごちゃな街もない所で一体静かに生きたいと願っているが、此奴が聞きたいのは然う言う夢ではないのだろう。
黙って睨み付けていると彼奴は勝手に喋り始めた。
「俺は・・・嗤うなよ、ヒーローになりたいんだ。悪い奴を斯う一発殴って倒せる様な、皆を護れる悍くて優しいそんなヒーロー。」
噫聞きたくなかった。嗤う所か耳が腐りそうだ。人殺しが何を言っているのだか。
滑稽で不快で、心底腹が立つ。
「僕パイロットになりたい!」
「えー僕もヒーローが良い!一緒に戦うの!」
「私パティシエになりたいな。御菓子沢山作って皆に食べて貰うの。」
予想通り銘々上がる黄色い声に耳を伏せる。
起きて早々うんざりする事許りだ。一体何が目的なんだか。
「・・・分かるかセレ。屹度今の御前は夢を見る事も難しいんだと思う。生きるのにあんなに一所懸命だもんな。でも俺、子供には夢を持って欲しいんだよ。勿論大人になってもな。じゃないと何を目標にして生きて行けば良いのか分からなくなるだろ?」
「教師面か?化物に説教だなんて良い御身分だな。」
「まぁ然う言うなって。・・・屹度御前も一緒にいてくれたら皆で大きな夢を持てると思うって其丈だよ。こんな世界じゃあ独りでなんて絶対無理なんだからさ。考えてて欲しいんだよ。」
外方を向く。其の程度で揺らぐ程度では迚も此の街で生きて行けなかった。
然う言った話は教会ですると良い。屹度皆涙を流して讃えるぞ。新しい宗教の始まりだ。
だから然う言うのは其方で勝手にやってくれ。此方は腸が煮え繰り返りそうなんだ。見せしめに其の夢見る餓鬼共を手に掛けるぞ。
「あの、此・・・水。」
耳を上げ下げして状況を窺っていたのだが、突然声を掛けられて振り返った。
次に現れたのは少女・・・周りを同じ様な餓鬼に囲まれているのだが、兎に角一人の少女が罅の入ったグラスを持っていた。
其処には透明な水が入っていて、知らず喉が鳴った。
「お、ユーリ、気が利くなぁ。偉いぞ。」
彼奴に褒められ餓鬼は僅かに頬を染めるとずい、とグラスを突き出した。
釣られて手を出し掛けて・・・私は直ぐ其を引っ込めた。
何をしているんだ私は。こんな奴の施しを、ほいほいと受けて良いと思っているのか。
此を飲めば・・・。先、此奴も言ったじゃあないか。休んで行かないかって。其を、受け入れる事になる。
一度此奴の所に居れば、屹度もう後には引き返せない。目の前に居る餓鬼共みたいに、間抜け面を晒した儘大人になって、良くある有り触れた不幸に殺される事になる。
其は駄目だ。私は生きないといけない、独りで。でないと何時か現実に押し潰される。容赦なく叩き付けられ、拉げて・・・其で御仕舞だ。
私は独りだ。然う、屹度化物は独りでないと生きて行けないんだ。
化物の姿は人を傷付け、遠ざけ、化物の心は周りの心を丸呑みにして冷気を吐く。
だから人間は私を殺そうとする。人間がこんな世界を創ったから、其の世界に迷い込んだ私は睨まれる。
私は、世界に嫌われている。
其に此は、私の望んでいる物じゃない。只の抜け道、甘えだ。
私は生きたい。そして肯定されたい。でも其の肯定はこんな平等に与えられる物じゃない。
独りじゃない、皆一緒だ、皆で生きよう。然うじゃなくて、君丈しかいないと、君の代わりはいないと、私丈を見て、肯定して欲しい。
・・・勿論そんなのは身に余った贅沢で、罰当たりな我儘だ。
私が其を出来ないでいる癖に、世界を、全てを憎んで嫌って遠ざけているのに。でも、願ってしまうんだ。
彼の初まりの日からずっと、私は其丈を求めて、此の世界を彷徨っている。
与えられた物を返す丈の、受身な自分に何が出来るのか分からないけれども、でも其なら其で、若し其を与えられたら、私も全力で追い付ける様返すから、だから、だからっ、
「寄るな!」
私は此を、受け取ってはいけない。
牙を見せて吼えるとびくついた少女の足が止まった。
「おいセレ、何時も言ってるだろ。御礼位ちゃんと・・・、」
「煩いっ!」
もう、沢山だ。こんな所に一秒と居たくない。
彼奴がむっとして声を掛けるが関係ない。
私は退路を作る為にも、尾を振るって少女の腕を打った。
私の尾には逆刺が幾つも付いている。浅くはあるが少女の腕に絳い線が入り、痛みに怯んだ少女はグラスを落として割ってしまった。
水と破片が飛び散って驚いた餓鬼共が涕き出す。其の声は余りにも煩く、つい耳を伏せた。
「セレ!!」
此の時許りは彼奴も怒っていた。自分に初めて向けられた感情だった。
目を吊り上げて彼奴が大きく口を開いたので、次の一言が発される前に私は翼を広げて大きく跳躍した。
餓鬼共の頭上を飛び越え、壁であるトタン板の隙間に出来ていた穴に飛び込んだ。
途端に盛大な陰霖に降られ、全身が濡れそぼつ。
四日も眠っていたので躯が少し鈍っている。縺れそうになる足を何とか起こして私は尾と翼を乱暴にオーバーコートの下に隠すと当てもなく駆け出した。
早く、此処が何処か確かめないと。彼奴の家なんだからギルドの近くの筈。
隠れて、手足もちゃんと隠さないと。
雨粒を飲んで喉の渇きを癒す。目を眇めて、近くに人間が居ないか確認し、適当な路地へ入る。
あんなに煩かった餓鬼共の涕き声は、劈く陰霖にあっさり溶かされて掻き消された。
冴える程冷たい陰霖に私は、ちゃんと振り切れたんだと安堵して只闇雲に駆けて行ったのだった。
・・・・・
大分佳境に入って来ましたね。ギルド編、もうそろそろ終わります。
今回の話を書く際に猫が殺されてしまう所、此処が書くの可也きつかったです。
不思議ですよね、人間が死ぬのは何とも思わないのに動物は可哀相だなんて。でも筆者以外も然う思う方もおられるのではと思います。
其は若しかしたら慣れの所為かも知れません。
ニュースで毎日の様に繰り返す何処かの悲劇、殺人や事故や自殺、他にもゲームや小説でイベントだとかと大量に殺される事もあるでしょう。映画で無慈悲な殺人鬼が現れたり、途轍もない大災害が起きたり、エイリアンや怪物が街を滅茶苦茶にしたりします。
ネットの書き込みでも直ぐ死ねと言ったり、匿名な分顕著な気もします。私達は屹度セレ程にないにしても死に慣れてしまっているのでしょう。確かに珍しい事じゃない、誰だって何時かは然うなります。
でも最近然う言うのに触れる機会がありまして、其は少し違うんじゃないかって最近は思うんです。当たり前だけど、特別な事。だって一生に一回丈なんです。誕生日よりもずっと特別です。
死を忌避すれば其は恐れに変わります。其が良いとも限りませんが、受け入れて、尊敬する様な、そんな存在であって欲しいです。
つまりは何だか真面目に書きましたが、此の話では散々命を軽々しく書いていますが、せめて自分達丈でも、少しでも其の分命を大切に出来たらな、なんて。月並みな言葉でも、意味を持って願っています。




