19次元 終焉ノ化物と皓翼ノ少年の詩篇Ⅰ
※今回はR18に相当する非常にグロテスクなシーン、不快になるだろうシーンや、社会的に不適切な表現が含まれております。苦手な方は呉々も御注意下さい。
御久し振りです。丸九ヶ月、じっくり書かせて貰いました!
はい、今回は筆者のネタバレ症候群が発症してドバっと書きましたが、セレの過去編です。
其の為に此の驚異的な長さ!止む無く四分割です。読むの結構大変です。
此の話は二、三番目位に書きたい話だったのでじっくり丁寧に書きたくてこんなにも月日が経ってしまいました。
其の分十分書けたなぁと私大満足。本当物書きが趣味になって良かったなぁと心から思います。人類最大の発明は間違いなく文字、文学と私は思います。
矢っ張り過去編と言うと全ての初まりの部分ですし、此処をしっかり書けないと今後も無いなと思って妥協はせずに書いたつもりです。
其の為一時はどうせ分割して投稿するんだから少しずつ出そうかなとも思ったのですが、こんな長期で書けばズレの一つ二つはあるだろうと思い、せめて書き切ってから一回は校正をしようと思い留まったのです。
一年で一番好きな梅雨、其の本番の六月中に投稿出来て本当に良かった。有難う六月、又一年後に宜しくね。
因みに上にもある通り今回は不快になるだろうシーンや、社会的に不適切と思われる表現があったりすると思います。まぁ然う言う物の一つも無いと今のセレは有り得ないので致し方ないんですが。
勿論読者の皆さんは気付いていると思います。今回の此の話、
ハッピーエンドは無い。
其でも未来を生きなくてはいけない訳で、そんな今で踠く彼女達の物語、じっくりと楽しんで貰えればと思います。
後拙い乍らもちょこっと丈挿絵を入れてみました。本の少しでも此の世界に浸かれると良いなぁ・・・。
ま、今回は未だ後七回も会えるので(七回も真面目に書くのかい)挨拶もそこそこに、どうぞ、文字の世界へ。
絶望、後悔、懺悔、理不尽、悖徳
碌に語れる懐い出の無い陰霖の記憶
でも過去は過去で、確かにあった物で、
未来永劫、決して変わる事はないけれども
其の事実に又嗤ってしまう程失望するのだけれども
若しも一縷でも、雲華の切れ間から覗く透明な旻の様な
そんな物の欠片でも、残滓でもあるのなら
愚かな私は又手を伸ばしてしまうのだろう
・・・・・
「・・・っん。」
ゆるゆると重たい瞼を少し震わせる。
だが倦怠感がどっと押し寄せ、其の双眸が開かれる事はなかった。
今は何時で、一体何が如何なったのだろう。
躯が石の様に動かない。意識丈で彷徨っていた気分だ。
其でも何とか左手を動かしてみる。意識を集中させて、何とか少しずらせた。
一気に血が通うのを感じる。痺れた様な感覚が少しむず痒い。
如何やら此の躯は自分のらしい。そんな少しおかしな事を思ってしまう程、躯を動かすのは久方振りな気がした。
取り敢えずは状況把握だ。緩りと波紋を飛ばしてみる。・・・良かった。此方の使い方は流石に忘れてはいなかった。
此処は・・・自分の部屋か。自分は俯せに寝かされていたらしい。
後は・・・後は・・・え、あれ、如何してだろう。
ガルダが・・・居る。直ぐ横で、椅子に腰掛けてじっと此方を見ている。然も滅茶苦茶驚いた顔で。
息を詰めている所為で気配迄も殺されている。
何だ何だ、却って状況が分からなくなって来た。
でも自分の本能が告げている。大抵斯う言う時、自分は何かをやらかしている。
一応未だ目は閉じた儘だ。声が漏れて手が動いた丈。此の儘熱が冷める迄、自分が此の状況の打開策を見付ける迄寝た振りをして遣り過ごすのも・・・、
・・・流石に悪過ぎる。
どうせ悪いのは自分だろう。此の世には怒られるよりも責められる事がある。
自分が斯うもグルグルと思考しているとガルダは先自分が動いたのは偶然とでも思ったのか視線を下ろして落ち込んでしまった。
・・・噫此が罪悪感か。久しく感じていなかったけれども確かに此は死ねる奴だ。
自分が何をしたのか未だに思い出せないけれども何か言わないといけない気に駆られる。
「っ・・・ガ、ガルダ、」
一寸声が震えた。此は罪悪感の所為か良く分からない。
重たい瞼を開ける。はっとして顔を上げたガルダの瞳と搗ち合う。
何か、何か言わないと。
一寸でも現状を打開出来る言葉を。
先ずは・・・何て切り出せば良い?
何時もの下らない意地や詭弁は幾らでも出るのに、素直に伝えるのは如何も苦手だ。
然うだ。せめて元気になったと伝えないと、心配要らないと言わないと。
ガルダが傍に居てくれたのは紛れもなく看病の為だろう。其なら、
少し惚けた様に口を開けた儘ガルダは動かない。其の間に何とかセレは手に力を込め、上体を起こした。だが其の儘起き上がるには・・・未だ苦しい。
直ぐ息が上がり然うだった為、壁を背にして何とか上体を安定させた。
此で目線は水平だ。見上げる事はない。
二、三回息を整えて不自然に早い呼吸を抑える。
良し、もう大丈夫だ。此で話せる。ある程度の攻め苦も受け止められる。
「あの・・・ガルダ、」
大丈夫とは言っても、楽な訳ではない。一寸背を丸めて伏し目勝ちに彼を見遣った。
だが考えあぐねて言い掛けた自分に対し、ガルダは何かを突き付けて来た。
瞬間的に銃かナイフかなと考えてしまった自分は未だ寝惚けているらしい。
ガルダが突き付けて来たのはスプーンだった。其のスプーンには如何やらパン粥が乗っている。
良く見ればガルダは自分の膝にパン粥の入った皿を置いていた。仄かに湯気も立っている。
もう波紋にガルダが写った瞬間其以外の情報は全てシャットダウンして緊急体制へ臨んでいたので気付かなかったのだ。
・・・何でパン粥?料理なんだ?自分は空腹で倒れたのか、いやまさかそんな無様な真似はしていない筈。
と言うより何で粗出来立てなんだ?自分が起きるのを分かっていたのか?
いや、若しかしたら反対に此の匂に釣られて起きたとか・・・無い無い無い無い、絶対無い。
「ガルダ、此は一体・・・、」
言い掛けてもっと近く迄スプーンを突き付けられる。もう口に触れそうだ。
もう良いから食べろと言う事らしい。
如何しよう、若しかして此に毒でも入っているのだろうか。其で永眠してしまうかも・・・。其程彼を怒らせた可能性もなくはない。
・・・噫又悪い癖だ。如何して彼を疑わないといけないんだ。ブラックジョークとしても辛辣で、上品とは言えない。
此以上悩んでも泥沼化する許りだろう。
意を決してセレは一口、パン粥を口にした。
仄温かさに頬が痛くなる。でも味付けに全く問題は無かった。何時ものガルダの手料理だ。何だか久し振りな気がして、自然頬が弛む。
「ん、美味し・・・っ!」
又もや言い掛けた所でガルダがもう一口分パン粥をスプーンで掬って此方に突き付けて来た。
・・・吃驚した。無表情で突き付けないで。其突っ込まれて窒息させる気なのかと思ってしまったじゃないか。
此は食べないと真面に話しては貰えないと言う事か?・・・取り敢えずもう一口食べた。
ずいっと又パン粥が捧げられる。如何やら然うらしい。
其からはセレも腹を括り、只黙々とパン粥を食べるのだった。
・・・・・
「・・・御馳走様でした。」
やっと・・・完食した。
此で皿迄舐めろと言われたら如何しようか等と考えていたが、其は杞憂だったらしく、さっさとガルダは空いた皿とスプーンを机に置いた。
「・・・っはぁ〜、良かった、セレだ。やーっと起きてくれた。」
大仰に息を付き、上体を曲げて目を閉じる。
そして肩の荷が下りたと許りに上げた顔は情けない位惚けて緩んだ笑顔だった。
でも自分は其を嗤ってやる事なんて出来ない。食べている間に思い出したんだ。何があったのか。
今思えば彼の不思議な間が漂った食事は互いの気持に整理を付ける為に必要な時間だったのかも知れない。
思い出すのも嫌だがソルドとの彼の血腥い死闘。何とか退けたが、代りに自分は重傷を負ったんだった。
噫矢っ張り遣らかしている。心配症のガルダの事だ。屹度ずっと心配して傍に居てくれたんだ。
何時も料理を作って待つ、其位の事はさせて然うだ。
・・・苦しい、胸が締め付けられる様だ。嬉しんだ、屹度自分は。申し訳なく思うのと同時に。でも此の痛みに慣れていない自分は手放しに此の感情を迎え入れる事は出来ない。
手放すには惜しくて、でも苦しくて切なくて、むず痒い。そんな迷惑で面倒臭い感情。
・・・噫、此方の方がうっかり死にたくなるな。死んだ方が楽だって、思えて、しまうな。
「有難うガルダ、こんな言葉しか言えなくて、申し訳ないけれども。御蔭で助かった。心配掛けたな。」
そっと自分の顔に触れる。・・・鼻も、頬もある。手足もちゃんと付いているし、傷跡も殆ど無い。良かった、無事治ったんだ。
「本当な。無茶ばっかしやがって。御前ずっと寝てたんだぞ。医者を呼ぼうかずっと悩んだんだぜ。」
「医者は苦手だ。もう元気なんだから呼ばないんだろう?」
「と、言うと思って呼んでないぜ。又上着も無しに脱走されちゃ敵わないからな。でももう良い大人なんだし、病院位でびびるなよ。」
予想通りらしいのは何だか腹立たしい・・・。自分の性格に難があるのは分かってはいるが、其でも如何しようもないんだ。
「・・・前世でトラウマがあるんだ。研究動物として解剖され掛けた。彼の手術台と皓衣がフラッシュバックしてしまって・・・未だ嫌悪感がある。」
そっと自分を抱くよう手を回す。・・・一寸、寒い。
「其は・・・悪い。そりゃ仕方ないな。でも直ぐには無理なの、分かってるけどさ。御前はもう一柱の神なんだ。そんな扱いは受ける必要が無いし、俺が赦さない。だから・・・さ。」
「分かっている。駄々を捏ねて死ぬ訳にも行かないしな。まぁ御用にならないのが一番だろうが。」
其は土台無理な話なのは分かっている。医者に掛かって助かる分は数少ない幸運なのだから。
「理想は然うだな。いやでも長かったぜ今回は。御前自覚ないんだろうけど百日位寝てたんだぞ。もうカーディもグリスも三回以上仕事には行って貰ったし。」
「え・・・百日!?そんな、だって寝て居た丈で・・・私何も彼の二柱と話していないし、教えても居ないし、何より初仕事、一緒に行きたかったのに。」
大きな真黔と銀の瞳を目一杯大きく丸くさせ、片手で顔を覆ってぶつぶつ呟いている。
残酷な時間の流れに嘸かし心を痛めている様だ。
「いや流石に新神に行き成り百日も暇あげちゃ駄目だろ。もう一柱でも行ける位二柱共逞しくなったぜ。手間が省けて良かっただろ、店主。」
「然うじゃない!彼の初々しさが良いと言うのに其を寝過ごすなんて。・・・はぁ、完全に出遅れたな。もう絶対彼の二柱、私の事を寝太郎だと思っているんだろう。ぐうたら店主って。」
「そんな事言うなよ。そん丈すっかり休んだ御蔭で余り傷跡残らなかったんだぞ?波紋で見えてるだろ。最初はホント、やばかったからな・・・。折角綺麗な顔立ちなんだから傷だらけになったら如何しようってもう心配で・・・、」
もごもごと口籠るガルダの声。だがセレの耳は寝起きでも敏感にあるフレーズを聞き取り、僅かに頬を染めた。
「え、・・・あ・・・ん、然うか。その、有難う。・・・心配、してくれて。確かに、其の通りだ。」
「あ!あ、噫うん。然うだよ、な、うん。」
頭を掻いてガルダは俯いてしまう。
罰が悪そうに口を引き詰み、如何しようかと目線を泳がせた。
「・・・あ、然うだよ。あの、俺ばっか礼言わないでさ、丗闇にも・・・、」
―勝手な事を言うな小童。―
「う゛、え・・・えーっと・・・、」
何か言い掛けたガルダが急に口籠ってしまった。
何だ一体・・・何か丗闇って言っていた気がするが。
セレはちらちらと部屋の中を見渡す。そして顎の下に手を置いて暫し沈黙する。
ガルダは相変わらず視線を彷徨わせて何か挙動不審だ。恐らく丗闇に口止めされたな。
一つ思い当たる所があったので襟を広げて見る。
矢張り・・・。頸元から胸、腹に晒が巻かれている。
割と丁寧に巻かれているな。服を脱ぐ事に抵抗があったガルダの事だ。自分の服を脱がして此を巻くなんて事、出来ないだろう。
だとしたら考えられるのは・・・、
「・・・有難う丗闇、晒、巻いてくれて。」
―・・・躯はもう大丈夫なのか。―
久し振りに聞いた丗闇の声だ。然う言えば彼の日、最後に会ったのは丗闇だったな。
怒られると思ったんだけれど。何気にガルダの次に恐かったんだ。最後、呆れられたみたいだったし。
「うん、もう大丈夫だ。怠い丈だから。」
―なら・・・良い。―
其限丗闇の声は途切れてしまった。
彼女にも心配を掛けさせたな。まさか此処迄してくれたなんて。
自然又顔が綻んでしまう。
そっと胸元に手を添えた。
・・・セレの様子を見る限り、丗闇は随分と優しい言葉を掛けたみたいだ。
セレが直ぐ俺の言わんとした事に気付いてくれたのは良かったけど、如何しても理不尽さが目立つ。
俺が頼んだ時、すっごい睨んだ癖に。
知らず渋面を作るガルダの脳裏に其の時のやり取りが浮かんで行く。
セレが驕陽を浴びられなくなったと言う事は、光魔術其の物が駄目なのかも知れない。
となると通常の治療しか出来なくなるので怪我の様子丈でも見ようと思ったんだ。
だから晒を取って確認しようとしたけれども、其処である問題に打ち当たった。
晒を取ると言う事は、服を脱がすと言う事だ。
つまりセレの裸を・・・見てしまう訳で。
理由が正当とは言え、無理無理無理無理無理無理とガルダの脳内で異常コールが喚き散らされる。
一つ解決策はあった。でも其が出来る可能性は・・・粗無い。でも斯うでもしないと俺には不可能だ。
ガルダはセレに向かって土下座をした。正確には彼女の内なる闇に。
「御願いだ丗闇。否丗闇様!セレの晒を取って下さい!」
―其位しろ。―
即返答はあった。そして即断られた。取り付く島が無い・・・。
まぁ・・・うん、此は分かってたけど。
―見れば吐くかも知れないと忠告はしたが、よもや未だ見もせずに我を頼るのか。抑何故我がしないといけないのだ。―
噫怒ってる・・・。滅茶苦茶不機嫌そうだ。斯うもごちゃごちゃ小言を言われるなんて・・・。
「其処を如何にか頼めないか?別に怪我の所為じゃないんだ。只晒を取るには、は、裸に・・・しないといけないだろ?お、俺其は・・・一寸、」
言い乍ら顔が熱くなって来る。耳迄赤くなっているに違いない。噫恥ずかしい。でも其以上に恥ずかしい事態が待っているんだ。仕方ないだろ、後はもう頭を下げ続ける丈だ。真剣に床を見詰める。
いや、ロードやグリスと言う手もあるけど、此処はもうセレ自身の問題だ。只でさえ彼の姿を嫌っている訳だし、セレが風呂に入る時、別に丗闇が外で待機ってなっているのを見た事が無い。だから屹度少なくとも丗闇には裸を見られても良い、然う踏んだんだ。
―・・・・・。―
暫し沈黙が続いたと思ったら、突然セレを中心に闇が立ち込め始めた。
丗闇が・・・出てくれたんだ。
OKしてくれたのかも・・・と淡い期待を胸に少し丈、顔を上げた。
だが丗闇の顔は今迄見た事もない位酷い渋面だった。此何て言うんだ。正に芥を見る様な・・・。
何て恐ろしい眼光なんだ。粗睨まれているのと同義だ。
心臓をきゅっと掴まれた気がして瞬間的に又頭を下げる。もう上げられない、あんな顔、見たくない。
姿が似ている所為でセレにそんな顔をさせている錯覚を覚えるんだ。本当、心臓に悪い・・・。
後頭部に唾を吐き掛けられるかも、と震えて待ち続けた。
一分か、十分か、もう良く時間の感覚が分からない。
若しかすると俺は永遠に土下座をし続ける拷問の最中なんじゃないかと錯覚してしまいそうだった。
でも長い事然うすると不思議な物で、誰かの含み笑いが聞こえた気がした。
丗闇が笑うとかは有り得ない。恐怖で狂った俺の物か、妖精の物だろう。噫本格的に頭がおかしくなって来た・・・。此の拷問、結構効く・・・。
「・・・口にする丈で其の様なら無理矢理させても下手な治療になり兼ねない。晒の交換は我がしてやる。・・・此で満足か。」
「ほ、本当か!あ、有難う御座います、恩に着ます!・・・えと、でも交換って事は若しかして巻くのもしてくれるとか・・・?」
勢い良く頭を下げて、でもそろそろと上げてしまう。
酷くうんざりとした丗闇が待ち構えていた。舌打ちの一つでもされそうだ。
「・・・もう少し要領良く御前は話せないのか。晒を取る事も出来ない奴が、巻く事が出来るとでも?其とも晒を取る時丈緊張して、巻く時は興奮するとか、然う言う特殊性癖の持ち主なのか御前は。将又御前は晒を巻く時になって初めて又然うやってみっともなく這い蹲って我を乞うのか。時間の無駄だと何故分からない。若しくは交換の意味をきちっと教えれば良いのか。」
「ヒ、ハヒ・・・あ、ご、御免なさい分かりました!早速、宜しく御願いします!!」
こ、こえぇえ!!や、矢っ張り此奴恐い!何でセレ、一緒に居られるの、一刻一緒に居るのも耐えられない!
俺は早速部屋を出ると、ズルズルと閉めた扉を背に座り込んでしまった。
・・・情けない。丗闇からしたら俺は逃げ出した様に見えるだろう。
事実然うなのだから何も言えないし、其以外の行動が取れたのかと聞かれれば全くそんな事はないのだけど、其でも、矢っ張り・・・。
今の俺を見ちゃあセレ、俺に何も頼まないよな、頼れないよな。其が凄く、悔しい。
―・・・入れ。―
暫く然う蹲っていると短く命令された。
其の冷たいハスキー声に条件反射と許りに背筋が伸びて立ち上がる。
落ち着け、俺。別に丗闇に会う訳じゃない。セレの怪我の具合を見るんだ。
数回息を整えて、でも待たせ過ぎては又何を言われるか分からない。
ドアノブを握る手に、開けるな、でも急いで開けろと訳分からない命令を下してしまう。
もう一回丈、もう少し丈落ち着いて。
息を付き、ドアを開けて丗闇の姿がない事に安堵して直ぐセレの所へ。
其処には・・・思い出したくもない酷い悲劇が寝かされていた。
其を見て俺は・・・結果又丗闇を怒らせてしまったのだけれども、彼が今でも目に焼き付いてしまっているのは確かだった。
ぐるぐると回想を繰り返し耽っていると不意にセレが含み笑いをした。
何がそんなに楽しいのか目元がふっと和んでいる。
今度は・・・幻聴じゃないな。実に楽しそうな事で。
「・・・何か丗闇が言ったのか?」
「いや、反対だ。屹度丗闇に色々言われたんだと思ってな。先のガルダ、良い顔をしていたから。」
「はいはい、もうそりゃ色々言われたぜ。俺の仕様も無さをたっぷり責められた。」
「ククッ、然うみたいだな。別に晒位ガルダがしてくれても良かったのに。私は其を咎めたりとかはしないぞ?前も言っただろう。まぁしたくない事をしろとは言わないけれど。」
「お、御前が良くても俺は、無理なんだって。俺此でも紳士だぜ?仲間にそんな真似しないって。」
噫又顔が熱くなって来た。少し俯きはしても、セレには無意味なんだよなぁ。
「ふぅん・・・?男は女の裸を見たがる物だって昔聞いた気がするけれども。・・・噫此の手足や尾の事を気にしているのか?別に其処を除けばスタイルとしては・・・。」
首を傾けてペタペタと服の上から自分の躯に触れる。まぁ其の触れている手が問題なんだが・・・。
「ストップ!な、何口走ってんだよ。未だ寝惚けてるのか?全く誰がそんな話をしたんだよ・・・。俺は別に、見たいとか、見たくないとか、然う言うんじゃなくて、其の爛れた関係にはしたくないって言うか・・・。斯う言うのには、段階があるんだと・・・っ噫もう!俺こそ何言ってんだよ、はぁ・・・。」
がっくりと肩を落としたガルダは両手で顔を覆ってしまった。
何だか随分御疲れの様だ。
「・・・まぁガルダの好きにしてくれれば良いが、先のを言われたのは多分前世だし、今私と話してくれているのはガルダだ。ガルダが良い様にすれば良い。私はな。」
「そ、然うか・・・。うん、分かった、けど。」
「然う言えば私は鎮魂の卒塔婆に居た時実験されていたのだから其の時は裸だったんじゃないのか?別に丸っ切り見ていないって訳じゃあないだろう。」
「見てない!フォードは実験室なんか入れてくれなかったし、少なくとも俺が知ってる限りだと御前はオーバーコートを着てた筈だぜ。態々脱がせたりしないって。」
「そ、然うか・・・。まぁ其は別に、割と如何でも良いのだが。」
そんな大声出さなくても。まさかこんなに常識が違う物だとは。割と自分とガルダ、感覚が近いなと思っていたのに。
少し毛布を手繰り寄せる。
一寸寒い。何時も来ていたオーバーコートが無いから余計に。すっぽり包まりたい衝動に駆られるけれども、今は我慢しないと。
「でも・・・さ、」
セレが毛布を寄せて肩回りを包む事で両腕がすっかり隠れてしまう。
完治したと言っても残ってしまった傷跡が其処には幾つも刻まれていた。
今回みたいのを続ければ、何時かセレは丗闇と変わらない程に満身創痍になるかも知れない。其は、正直耐えられなかった。
・・・生きている丈ましって事は分かってるつもりだけど。
「蒸し返す訳でも責める訳でもないけどさ、無茶するなって言っただろ。・・・何の為にオーバーコート取ったんだよ。次元丈じゃない、此処だって十分危険なんだぞ。」
「・・・御免。」
もう此は謝るしかない。彼が此処百日位で閉じ込めていた想いを少しでも吐き出させないと。
自分達は一緒に歩けない。そんな儚い絆だ。歪を残せば禍根になる。
「ま、話はドレミから聞いたからもう其は良いけどさ。皆を護る為に戦ったって。でも一緒に居たんだろ。少しは頼ってやれよ。仲間なんだからさ。」
護る・・・否、自分勝手に殺そうとした丈。皆を巻き込んだのは自分だ。
彼奴の力量が分かった段階で逃げる可きだった。ダミーの零星を沢山散らばせた時に、彼奴の実力は分かっていたんだ。的確にダミーを潰し、確実に追い詰めようとしていたのを見ていたのだから。彼の零星に彼奴が警戒している隙に、テレパシーで皆に逃げる様指示をすれば、
・・・今更考えたって、もう随分昔の事となってしまっているけれども。
彼奴は復讐をする質だ。利益が無くても感情で動くだろう。
無駄な争いを増やした。自分の勝手で。
ドレミには本当、酷い事をしたな。
彼女は何時も自分の傍に居ようと、受け入れようとしてくれる。だから何時も傷付けてしまう。
屹度ドレミだって気付いているだろうに。自分が本気で彼奴を殺そうとした事を。其の目に仲間は映っていなかった事位。
其に自分は臆病なんだ。
・・・失う事が恐過ぎる。持っている物の少なさと、尊さを知ってしまったが故に。
頼った結果失敗したら?其の責任に耐えられるのか、其とも若しかしたら其の程度、と自分は案外迚も軽く見てしまうかも知れない。其が・・・恐くて、不気味で、嫌気が差す。
仲間が死んだのは仕方ない。自分が助かったのだから良かったじゃないか。
生キタインデショ?生キル事ニシタンダロ?
彼奴等ハ体ヨク仲間ダトカ言ッテ誘イ込ンダ肉壁ダロ?
・・・そんな事、考えたくないんだよ。
「・・・頼っていたら、何柱かは死んでいた。」
「・・・・・。」
僅かに目を張り、ガルダは頬を掻いた。
そしてそっと手を伸ばし、セレの頭を撫でた。
温かい手だった。彼に撫でられるのはそんなに嫌いじゃない。
「・・・そんな勁い奴だったのか。」
「嫌な奴だったな。殺せなかったのが本当に残念だ。」
心底然う思うし、悔やまれる。
彼奴は殺さなければいけない奴だった。自分の、敵だったんだ。
「・・・御免、傍に居なくて。御前に嫌な役、押し付けたよな。」
「いや、居なくて良かった。彼の時の私は・・・一寸危なかったと言うか、あんな私を見られたくなんかなかったから。」
「そっか。・・・一寸待ってろよ。」
ガルダは徐に席を立つと、さっさと部屋を出てしまった。
そして自室に入ったと思ったら直ぐに彼は戻って来た。其の手には一着の真新しいオーバーコートがあった。
其のオーバーコートは霄色をしており、所々銀糸で独特な模様が編まれていた。
加えて通常のより宛がわれている布が多いのか少し特異な形になっている。外見は然うではないが、内側が何層にもなって少し複雑そうだ。
他にも装飾が所々あしらわれて如何にも上等そうだった。
「此、あの、セレへのプレゼント。御前陽光浴びられなくなっただろ?でもどうせ今回みたいに御前ほいほい外行っちゃうからさ。特注で作って貰ったんだ。」
「こ、こんな物を私の為に・・・か?若しかしてオーバーコートを剥ぎ取って行ったのも、」
「剥ぎ取ったは神聞き悪過ぎだろ・・・。まぁでも然うだぜ。彼にサイズは合わせたんだ。御前大き目の好きだろ?包まれる位のが。」
「然うだけれどもその・・・何て御礼を言えば良いか。こんな良い物を貰ったのは初めてだから・・・。」
目が泳いで顔が赤くなる。ちゃんと御礼を言わないといけないのに。何を尻込みしているんだろう。
「嬉しい・・・か?」
「・・・嬉しい。」
苦笑気味に促す其の声に真面に顔を向けられなくて。
大きく頷いて、つい目を伏せてしまう。然う、凄く嬉しんだ。
自分はファッションだとかはとんと疎い。でも矢っ張り御洒落は良いと思うし、宝石だとか装飾品には目を奪われる事もある。勿論、金になるだとか、然う言う感情抜きで。単純に良いと思う。
何よりガルダからの贈り物と言うのが嬉しくて、こそばゆかった。
知らず照れ笑いなんかしてしまって、情けなく思うも止められない。
「有難うガルダ。本当に、凄く嬉しい。」
何時も斯う言う時首を擡げる胸を差す針の痛みを呑み込んで、緩りと目を閉じた。
「そっか、じゃあ良かった。」
柔らかく笑ってそっとガルダがオーバーコートを差し出したので、傷を付けないよう慎重に手を取る。
手触りも絹みたいで凄く良い。此は温かそうだ。
先迄あんなに殺意が渦巻いていたのに、斯うも簡単に吹き飛ばしてしまうなんて、熟ガルダは凄いな。
「此方で服作ってる奴が居てさ、姉妹で服と、指輪とかピアスとか作ってるんだって。其処で頼んだんだ。迫間って色んな奴が居るからさ、結構要望とか通るんだぜ。」
「然うなのか、オーダーメイドだなんて凄いな。早速着ても良いか?」
「んーどうぞって言ってやりたいけどさ、御前未だ病み上がりだろ。せめてもう一寸休んでからにしようぜ。皺になったら勿体無いし。」
言い乍らガルダはベッドの端に座った。
少し肩を擦らせば触れられる。そんな距離だ。
自分と同じ様に壁を背にして、感慨深そうにそっとオーバーコートを撫でた。
「然うか・・・分かった。然うしよう。因みに前の彼のオーバーコート、革の奴のは如何したんだ?サイズを取るのに使ったのなら其の儘か?」
「え?彼未だ着るつもりなのか?一応序でって事で繕って貰ったけどさ。」
「どんなに襤褸でも捨てるのは惜しいんだ。着るか如何かは別にして置いて置きたいんだ。」
何となく、彼は実際の温かさとは別の物がある気がするんだ。術が込められているとかじゃなくて、本当に只のオーバーコートだけれども。
「貧乏性かよ・・・。ま、良いぜ、後で持って来るから。」
「噫、頼む。」
然う言ってそっとオーバーコートを脇に置くと、セレはガルダの背に寄り掛かった。
途端に電気が走った様にガルダの躯が跳ね、ちらと振り返る。
「!?セ、セレ?」
「うん、矢っ張り温かい。」
「いや、温かいって・・・、」
此方は急激な温度変化で顔が真赤になる程熱いって言うのに。
何でそんな幸せそうに目を瞑っているんだ彼女は。
あ、あぁ其以上寄り掛かって来ないで!俺身動き取れなくなるから!
「実は未だ一寸眠いんだ。其に寒いし。だから少し此の儘で居させてくれないか?用事があるなら直ぐ退くが。」
「用事は・・・別に。無いけどさ。」
前へ向き直り、一つ息を付く。
此奴、全然恥ずかしがってないのか。如何言うメンタルしてんだ。斯う言うのはOKなのか?ベタベタするのは許容範囲なのか?
俺一柱照れて何か馬鹿みたいだ。一寸は慣れないと。
暫く然うしているとセレがあろう事か両手を肩に掛けて来た。
爪の黔い刃が眼下で光って思わず息を呑む。
一気に密着度が増えた気がする・・・。え、何、俺食われるの?捕食されるの?パン粥じゃあ百日の飢えは満たせなかったのか?
「でもガルダ、本当に有難う。屹度ガルダが看てくれていたから私は安心して眠れたんだ。こんなに深く眠れるなんて然う無いし。」
「・・・・・。」
矢っ張り無理だ。こんな所で落ち着けるか。慣れる訳がない。
顔なんか見れる訳もなくて、だから代りに右手を出して又セレの頭を撫でた。
体勢からして厳しいのでちゃんとは出来ないけれども、僅かにセレは首を傾けた。不思議がっている様な・・・そんな感じだ。
「可愛い事、言ってくれる様になったと思って。」
一応そんな理由を言ってはみたが返事はない。でも嫌がっている訳ではなさそうだ。
「御前こそ良く臆面もなく言えるよな、そんな事。俺、医者でも何でもないんだぜ?医者に診せたらもっと早く治っただろうにさ。」
「いや、ガルダだったから良かったんだ。此処迄元気になれたんだ。」
「だからさ、俺だからってそんな、俺特別な力も何も無いし、何でそんなに信じてくれるんだよ。」
俺は、何に期待しているんだろう。何て言って欲しかったんだろう。
俺達はどうせ話しても理解し合えない。
近付く丈だ。知れても、感じる事は出来ない。
俺とセレは違い過ぎる。言葉丈じゃあ足りないのに。
「又其か?私からしたら何でガルダが私に其処迄してくれるのかの方が不思議なんだけれども。強いて言えば・・・憶えているから。」
「何を?若しかして前世とか?夢でも見たのか?」
ついちらと振り返る。
すると上目遣いに見遣るセレの瞳と搗ち合った。
セレは珍しくきょとんとした顔をしていて、垂れた髪の一房の先が透明に光った。
「・・・いや、でも・・・秘密。」
然う言って咲うセレは何だか吸い込まれそうな程綺麗で、俺は何も言えなかった。
凄く可愛くて、でも触れてはいけない様な、禁忌を犯してしまいそうな。
話したい事は終わったみたいで、其限セレは黙ってしまった。そして緩り目を閉じる。
暫く其の面を見詰めていてはたと現実に戻った。
・・・あれ、気の所為かな。瞬きにしては長いよな。一瞬が永遠に感じる、みたいな事になってないよな。寝てないか?此。
噫寝息が聞こえる。其の音が耳に近くて一寸緊張してしまう。肩も僅かに上下しているし、寝てるな、絶対。
あー喉がゴロゴロ鳴ってる・・・随分気持良さそうな事で。
用事は無いって言ったけれどもまさかがっつり寝るとは・・・。
少し無理させたかな、病み上がりなのにパン粥食べさせて話し過ぎたか。俺にも非があるな。
まぁ良いか、俺も一寸眠くなって来た所だ。
安心したら一気に押し寄せて来た・・・。無理してた訳じゃないけど、気にし過ぎてたのかも知れない。
無理に起こすのも悪いし、俺も少し寝ようかな。此の儘熟睡すれば俺が動いてもセレ起きないだろうし。
欠を一つしてガルダも目を閉じた。
胸に灯った此処最近感じていなかった妙な安心感に包まれて。
少し酔った様な仄温かさは迚も心地良かった。
・・・・・
一刻程して、こっそりとセレの部屋の扉が少し開かれた。
そして少し丈中を窺う様に一つ丈旻と浅黄の混ざった目が覗く。
其の目はとある一点を見詰めて此以上ない程輝き、見開かれた。
然うしてそろりそろりと部屋に入って来たのは、頬を上気させて赤くなったロードだった。
にやけて満面の笑みになるのを、そして声を漏らすのを必死に堪える様は幸せそうである。
フフッ、二柱限にしては随分長い事居ると思ったら、こんな素敵な事になってるなんて。
ロードの視線の先には先刻宜しく、セレとガルダが仲良く御昼寝をしていた。
其がガルダの背にセレが齧り付く様な構成になっているのだから、堪らないと許りに甘い声をロードは呑み込んだ。
そして徐に時空の穴を作り、中から水精の様な物を取り出した。
其の水精は複雑な構造をしており、パズルのピースの様に様々な形の結晶が集まって出来ていた。
加えて結晶には記号や模様が彫られており、其の筋が皓く灯る。
緩りと其の水精を構えていると、
「あれ、ローちゃん其何ー?セレちゃんの部屋で何してるの?」
ドレミがひょこっと入って来た。
突然の乱入に思わず噎せ然うになるロードだが、口元で指を立てた。
静かに、と言う事らしい。
ちらとドレミも視線をずらすとすやすやと眠っている二柱が目に付いた。
そして其の微笑ましい光景に思わず顔が綻ぶ。
ドレミにちゃんと伝わった様で安心したロードは又水精を構えた。だが其処でドレミに肩を引かれてしまう。
「で、其何ローちゃん。まさか嚇かしたりとかしないよね。」
―そんな無粋な事はしないわよ。此は・・・然うね。ドレミの居た次元で言うカメラよ。決定的瞬間だから撮って置こうと思ったの。―
小声のドレミにもっと慎重なロードはテレパシーで返す。セレの勘は侮れないのだ。
ドレミは目を見開いて感心した様に其の水精を見詰めた。
―凄いね!ドレミが知ってるのと全然違う!・・・後で一寸使っても良い?―
―勿論よ。さぁ此の奇跡の一瞬をちゃんと記憶丈じゃなくて記録に収めないと。―
水精の中央が僅かに光り、彫られた記号達が淡く明滅する。
そして水精の先端が瞬いた様に光った。
―ほら、此処に見えるでしょう?―
―あ!本当だ、凄いね!如何なってるの・・・?―
ロードが屈んでドレミに水精を見せると、一枚絵の様に二柱が眠っている姿が中に映し出された。
―一枚じゃあ心許ないわね・・・。もう少し撮らせて頂戴ね。―
―え、あ、うん、良いよ。―
張り切った様にロードは真剣に水精を構え直して続けて五枚、六枚、七枚と次々写真を撮って行く。
―・・・あの、そろそろローちゃん。ね、使い方、教えてくれる?―
もう撮った枚数が二桁になった所でそろそろとドレミが声を掛けた。
―えぇ、起こしてはいけないし、向こうで撮りましょう。―
―さんせーい!―
気が変わらない内にとロードを急かす様いそいそドレミは部屋を出る。
勿論最後の最後で扉を音も無く静かに閉める事を忘れなかった。
・・・・・
「ケルディ、やっとさ、セレ、起きてくれたんだよ。」
彼から数刻が立ち、ガルダは自室に戻って、机の上に置いてあった黔水精に話し掛けていた。
目が覚めた時、未だセレが背中で寝ていて何丈吃驚したか・・・。
途端に我に返って滅茶苦茶恥ずかしくなり、流石にもう二度寝なんか出来なかった。
セレもすっかり熟睡しているみたいだったし、慎重に慎重を重ねて、ちゃんとベッドには寝かせたけれども。
・・・多分直ぐ起きちゃうのかなぁ、彼奴基本眠り凄く浅いし。
蜚蠊の足音でも起きそうだ。
黔水精を見詰めるけれども勿論返事なんて無い。
・・・もう何ヶ月も彼奴の声を聞いてない。
若し今も俺の傍に居てくれたら、屹度セレがモフモフだーっとか言って御気に入りモフモフ携帯用って事でポッケとかに入れるんだろうけど。
こんな生きてるのか如何かも良く分からない姿にされちゃって。聞こえているのかなんて些とも分からないけれども。
其でも矢っ張り何かあったら一番に彼に話すのが日課になっていた。
・・・大抵はセレの事になっちゃうんだけど、彼奴が怪我した時とか、脱走しようとした時とか、結構愚痴ってしまっている。
「本当良かった・・・。今回はもう駄目かと思っちゃって、・・・はぁ、」
机に突っ伏してそっと黔水精を撫でる。
其の冷たさは何だか心地良かった。今が紛れも無い現実だって、実感出来て。
良い夢でも悪い夢でも、何度もセレを見てしまったから・・・此で、やっとちゃんと寝れる。
―良かったねガルダ、屹度毎日ガルダが看てたからだよ。―
突然響いた幼さの残る声に思わず目を見開いて固まる。
今の声・・・いやでも彼は・・・又幻聴か?丗闇にセレ、次はケルディの声だなんて、俺やばいのかな。其とも此も夢か?
そろそろと顔を上げる。
矢っ張り、水精は水精だ。変わりない。彼奴は此処に居ない。
―ガルダが笑顔になってボクも嬉しいよ。本当に良かったね、ガルダ。―
「っケルディ・・・。」
懐かしい声だ。幻聴なんかじゃない。水精からテレパシーを送ってくれているのかな。
「ケルディ、良かった。御前も封印が解けたのか?」
―ううん。でも僕は待っていたんだ。ずっとガルダの事。やっと安心出来たガルダにこんな事するのは、本当は嫌なんだけど・・・。―
「な、何だ?其をすれば封印が解けるのか?何を待ってたんだ御前は、」
思わず詰め寄るけれども水精は変わりが無い。彼奴の姿が写る訳でもない様だ。
―其の前に一つ丈確かめさせて。ね、ガルダ、セレは屹度ガルダにとって迚も大切な神だよね。何時も色々話してくれるし。―
「え・・・あ、・・・噫・・・まぁ然う、だけど。」
口籠って頬を掻く。・・・うぅ、ケルディからは然う見えるのか。いや、勿論嫌いとかじゃないけど。然うはっきり言われると・・・。
―じゃあ屹度大丈夫だよ。ガルダにとってそんな悪い事じゃない。悪い事丈なんかじゃない。―
「何だよ。はっきり言ってくれよ。俺は如何すれば良いんだ?何でも良いから教えてくれよ。」
―前世を・・・懐い出して貰うの。―
途端黔水精の中央が蒼く灯る。
彼奴の・・・焔みたいだ。
其の蒼にガルダの目は吸い寄せられ、彼の姿は忽然と消え失せてしまった。
・・・・・
目が覚めた。
自分は何をしていたっけ。
状況把握状況把握。
緩りと上体を起こし、セレは軽く頭を振った。
ベッドの上・・・此処は自分の部屋か。
噫然うか。ガルダの背中で寝てしまって、余りにも気持良かったから本気で寝てしまったのか・・・。
もう何位経ったか分からないが、ガルダは戻ったのか。すっかり付き合わせてしまったな。出て行ったのにも気付かなかったなんて。
そっと脇に其の儘になっていたオーバーコートを手繰り寄せる。
「・・・もう絶好調だ。顔も、手足も治った。だから私は此を着ても良いんだ。」
オーバーコートを掲げて暗示の様に自分を納得させる。
早速袖を通すが、彼のオーバーコートを元にした丈あって躯に馴染む。
取り敢えず立ってみよう。ふらついたりはもうしない筈。
うん、良い。凄く良い。フードも大きくなったし、嬉しい事に肘の所に穴が空いていて肘から突き出る様に生えている刃の様な角が其処から出せる様になっていた。服は呆気なく破けてしまっていたのだが、此でもう腕を曲げるのに余り気を遣わなくて済みそうだ。穴が空いている所にも吹き流しの様に布が宛がわれているのでぱっと見角が突き出しているのも分からない。此の様子なら仮に見えてもまさか腕から角が生えているとは思わないだろう。装飾の一つだとでも勘違いされそうだ。・・・あれ、
一寸オーバーコートを揺すってみる。矢っ張り宛がわれている布が異様に多い。然も丁度尾と翼の所だ。・・・若しかして、
そっと尾を布の隙間へ。すると尻尾袋とでも言う可きか。丁度尾がすっぽり包まれる位筒状に細長い布が畳まれていた。試しに其処へ尾を通してみると、案の定、オーバーコートから尻尾が生えた様な格好になる。
凄い!何て画期的なんだ!正にエポックメーキング!異形にも優しい時代がやって来た!
然うか。先ガルダが言っていた融通が利くって此の事だったのか。
確かに神は色んな種族が居るのだから斯う言う服が主流の所もあるのだろう。尾も濡れたくないとか、寒いとか、勿論あるだろうし。
加えて内側に特殊なコーティングでもしてあるのか甲を揃えたり散けさせたりして尾の長さを変えても傷も付かずに其の形に合わせてくれる。破ける心配をしなくても良いのは迚も心強い。
勿論行った事はないので想像しか出来ないが屹度凄い神が作ってくれたのだろう。流石次元の迫間に店を構える丈はある。裁縫もミシンもデザインも一流な服の神なのだろう。若しかしたら其以外の方法でも服を作れるのかも知れない。姉妹でしているってガルダは言っていたな。アクセサリーとかも作ってるって。其方も気になるな。
期待に胸が高鳴る中、そっと翼を同じ様に出してみる。
すると裏面は霄色の布が一面に。表面はベルトがしてあって、翼を固定させて陽光から護られる作りになっていた。
流石に魔術で編まれた様な翼と、闇で出来た様な黔い大きな翼の分は無いが、何方も触れられないし、黔い翼に至っては形も不定形だからな。
でも四翼出せれば飛ぶのには十分だ。それなりのスピードを出せる。
まさか御洒落以上にこんな実用性もあるなんて。良い趣味しているなガルダ。自分も、奇抜さだとかより実用性が優れているのが大好きだ。加えて御洒落と言う加点。最高じゃないか。
此の着心地に慣れてしまったら、もう今迄のは着られなくなるな・・・。
要るとはガルダに言ったが、まさか此処迄だとは。贅沢を知ると言うのは何と言う罪なんだ。・・・其でも彼を捨てられない自分がいるが。
そっとオーバーコートの上から自分を抱く様手を回す。
嬉しい、本当に、もっと早く目覚めれば良かった。
起きて直ぐこんな幸運が待っていたなんて、そんな希望みたいな物、久し振りに感じた。
如何かな、一寸ガルダに見せに行こうかな。流石に其は鬱陶しいか?
あ、でも店の場所も聞きたいな。丗闇、自分の服を模していたからずっと彼の襤褸のオーバーコートの筈なんだ。新しい服とか欲しいんじゃないかな。結構綺麗好きみたいだし。
暫くオーバーコートを摘まんで眺めていると、波紋に映る影があった。
影と言うより敏感になる所と言うか、先から波紋にチクチクと感じてはいたが、段々気になって来た。
出所は・・・ポケットからか。手を突っ込んでみると案の定、蒼く澄んだ四つの瓊と紙切れが入っていた。
瓊は2cm位で中心に穴が空いている。
中に小さな曦が沢山散らばって煌めく様は宛ら満天の星旻をぎゅっと握り締めたかの様だ。
波紋は此を捉えていた様だ。瓊に触れていると、瓊と共鳴して波紋が広がり、景色がよりリアルに、鮮やかに感じられる。
此は何だろう・・・。綺麗だけれど、取り敢えず紙を見てみるか。屹度使い方とかが書いてあるのだろう。
“セレへ
前ハリーの居た次元で石を取って来て貰ったの憶えてるか?
彼、実はT&T社からの依頼、というか御願いで、其の御礼で此の石を貰ったんだ。
零星の導きの御守りらしいんだけど、折角だからオーバーコートを作って貰った所でアクセサリーに加工して貰ったんだ。
髪飾りにでも使ってくれよ。
ガルダより”
「・・・・・。」
・・・まさか、此処迄してくれるなんて。
嬉しい・・・んだけれど、いや、だろうけれど、か?自信が無くなって来た。
其以上に凄く胸が苦しい。
こんなの、初めてだ。
如何して此処迄・・・いや、今迄の彼を見ていれば、其は愚問か。
ガルダが凄く良い奴で、そして・・・、
・・・、一寸は、自惚れても良いのかな。私の事、彼は大事に懐ってくれているんだって。
其丈で私は、生きていて良かったって咲えるから。
枯れる程涙を流すには十分過ぎる懐いだから。
此の懐いの重たさを知れた事が、此の胸の苦しさを感じられた事が、嬉しいって。
痛いのが嬉しいって、気付けた事が、迚も尊い。
・・・幸せって、斯う言う物なのかな。すっかり安価な、チープな言葉だけれども、其の意味をちゃんと分かっていなかった。
何度か呼吸を数えて、早速耳の前に掛かっていた前髪を摘んで瓊を二つ続けて通してみた。
・・・うん、ちゃんと留まった。此処なら目元に近いから波紋の恩恵を受け易い。
反対も同じ様にして一寸整えてみる。
うん、凄く良い。凄く、気分が良い。
矢っ張りガルダに見せてみよう。折角のプレゼントなのだから。
部屋を出てリビングに向かうと彼の二柱の新神とドレミがソファーに腰掛けていた。
「お・・・おぉすげぇ、店主だ。生きてたんだな。」
―もうカーディ!何でそんな事しか言わんの!―
「いや、私も随分寝過ぎたからな・・・。随分躯が鈍ってしまった。世話掛けたな。来た許りだってのに何もしなくて。」
―っ、うちこそ、あの、ずっと御礼言いたかったんや。彼の時護ってくれてほんま有難う。御負けに住む所迄くれて、感謝してもし切れんわ。―
慌てて席を立ってグリアレスは思い切り頭を下げた。其を見てカーディナルは僅かに半目になる。
「ま、オレからも礼を言うゼ。アンタの御蔭で彼のストーカー野郎に捕まらずに済んだんだ。助かったゼ。でも拾われたからにはオレが居なきゃ困る位のすんげー活躍すっからな。覚悟しとけよ。」
「其は其は頼もしい限りだな。今更だろうが二柱共宜しく。」
「・・・ん?あー!セレちゃんやっと元気になったんだね!良かったー此で全員集合だよ。」
ドレミは何やら変わった水精を弄っていた。其の所為で大分反応が遅れてしまった様だ。
「噫ドレミ。彼の時はその・・・悪かったな。大丈夫か?皆変わりないか?」
「うん、大丈夫だよ。皆元気一杯だよ。」
「彼のストーカー野郎も来てないゼ。平和呆けしそうだ。」
「其は良くないな。後で手合わせでもしてみるか?・・・ん、ドレミ、其は一体何なんだ?」
「え?此?此は・・・カメラみたいな物だよ。」
ドレミが水精の周りの瓊を弄ると水精の中に写された映像が切り替わる。
前は波紋の性質上水精の中は見え難かったのだが髪飾りの御蔭である程度は見る事が出来た。早速役に立つとは・・・ん?
「其は何時撮ったんだ?私の隠し撮りをするとは。私も大分勘が鈍っているな。」
「あ、此?此は先・・・あ、えと、んん・・・先、ね。一寸撮ったの。」
写っているのは自分とガルダが寝ていた時の物だ。・・・結構良く撮れている。
罰が悪そうにドレミは下を向いた。
先ばれない様急いで切り替えたのだが、ロードが何十枚も撮った所為で多少切り替えた所で意味等無かったのだ。
だが対するセレは感心した様に頷いた。彼女も機械仕掛けではないカメラなんて見た事が無かったのだ。何より写真が非常に気になっている様子だった。
「其、一枚現像とか出来るか?出来れば取って置きたいんだが。」
「え、あ、で、出来るけど・・・写真出す丈で良いの?此の記録と言うかデータ、残ってるけど。」
「ん?別に其を何処かに売り飛ばしたりしないなら別に良いが。まぁ隠し撮りは感心しないけれどな。」
「う゛、ご、御免ね。じゃあ一寸待っててね。」
・・・何だか歯切れが悪いな。目線も泳ぎっ放しだし。まぁドレミは然う徒なんてしないし、心配はしないけれども。
ドレミは再び水精を弄り始めた。すると一つの小さな瓊が転がり出て来た。
「出来たっと。其の瓊をね、握ると先のが見れるの。面白いでしょ?」
そっと手に取って早速試してみる。
加減が分からないので恐る恐るにはなったが、緩り握ってみると一気に彼の風景が目の前に広がり、現実世界は後方へと吹き飛ばされた。
タイムスリップでもしたかの様に正に彼の時の風景だ。此は撮った位置からパノラマの様に風景が展開されているのか。自分を自分が見ている幽体離脱でもなったかの様な不思議な感覚だった。
視線の先、1mもしない所に自分とガルダが居る。波紋でも触れられ然うに思う程、リアルで鮮明だった。
もう一度手を握ると其の温かい景色は一気に瓊に吸い込まれる。
思わず感嘆の息を呑む。まさかこんな物があるとは。良い物を貰ったな。壊れ易そうなので小さく開けた時空の穴に入れた。序でに先の彼の手紙も一緒に仕舞って置く。
如何言う訳かハラハラと心許ない表情を浮かべているドレミの視線と搗ち合った。
「如何したドレミ。若しかして凄く高価な物なのか?だったら直ぐ返すが。」
「い、いや取って置くんだと思って・・・。あの、ローちゃんには言わないでね、ドレミがあげた事・・・。」
「ん?何でロードなんだ。噫其、ロードのだったのか。確かに彼奴なら然う言うのを色々持って然うだな。色んな次元に詳しいし。・・・其なら猶の事、ロードにも御礼を言う可きじゃないか?黙っていたら悪いだろう。折角良い物を貰ったんだし。ちゃんとした御礼をしたい所だ。」
「あ、あぁー!!・・・うん、そ、然うだけど・・・うぅ、で、でも御礼は本当に大丈夫だよ。間に合ってるって!御返しもね、しないであげて、ね、セレちゃん・・・。」
隠し撮りがばれ、其の証拠を取られ、手の届かない絶対安全で劣化もしない安心の所へ保存されたし、抑の主犯がロードだとばらしてしまったのでドレミはセレからの復讐に脅えていた。セレの性格なら、絶対に赦していない。
何時かねちっこくされそうだ。彼の笑顔も、上機嫌そうに見えるのも屹度既に其の計画が立てられているからなんだろう。私達の憐れな姿を想像して嘲笑っているんだ。
・・・一体、どんな御礼と御返しをされるんだろう。
実は写真を貰えて本当に只単に上機嫌なセレはそんなドレミの心配や諦め、悲嘆等露知らず、其の先から繰り広げられている不審な態度に首を傾けつつも、黙認する事にした。
若しかしたら前自分が恐がらせてしまった事がフラッシュバックしているのかも知れない。其なら其で落ち込むが、仕方のない事だ。
今は、そっとして置こう。
「然うか。・・・さてと、此から行動を共にしていく訳だけれども二柱の事は何て呼んだら良いんだ?皐牙と霸皇か?」
「おぉ・・・其方で呼ばれんの何か久し振りだな。・・・ま、オレは別に良いゼ。カー君よりましだし。でも霸皇は一寸・・・、」
苦笑を漏らす皐牙とグリアレス。良い名前だと思ったのだが、然う言う問題ではなさそうだ。
―霸皇は一寸・・・役職みたいな物やし、仰々過ぎるから好かんのんよ。出来れば別のがええんやけど。―
「ん・・・と言っても何処からが氏と名なのか分からないからな、ソルナート、イルヴァレン、グリアレス・・・ソルとかか?」
「え、御前彼の長ったらしいの覚えてんの?其処に吃驚なんだけど。でもソルって何か珍しいな。若しかして店主って変な次元出身なのか?変な格好してるし。」
「変っ・・・。」
割と傷付くなぁ・・・。直球過ぎて表情筋、固まったんだけれど。
―一寸カーディ!変なんは無いやろ、自分も変わり者なのに。此の蜥蜴神!―
・・・其を悪口のつもりで言ったのなら巧さんが悲しむから止めようね。二柱の部屋も、どうせ彼女に造って貰ったんだろうし。寝ている間、随分内装、手を掛けてくれたみたいだし。
「はぁ!?オレ、蜥蜴じゃねぇし、あんなひ弱じゃねぇし。あーやだやだ。鱗丈見て然う言うとかさ、だってオレ達よりより変な者だってのには変わりねぇだろ。翼も尻尾もあって、手足もあんなだし、目もこえーし、・・・あ、然うだ思い出した!ビーム吐けるんだよな店主って!なぁ見せてくれよ。ずっとオレ見てみたかったんだ!」
ほぅ、こんな斬新な物の頼み方は初めてだ。只者じゃないと思ってはいたけれど、正直御見逸れした。ビビったよ、凄いよ御前。
「噫良いぞ見せてやろう。随分と待たせてしまった様だから椀飯振舞だ。御前の土手っ腹に大穴を開ける様をじっくり味わわせてやる。」
「あれ、オ、オイオイブラックジョークは無しだゼ。オレ達仲間だろ。」
「・・・凄いねカー君。今迄楽しかったよ。有難ね。」
―ソルって新鮮やからうちは全然問題ないよ。やからバイバイカーディ。―
「え、は!?オレ仲間に見捨てられて仲間に殺されんのか?は、う、嘘だろ、オイ、落ち着けって、えーっとえっと、オ、オレが悪かったから謝るから!」
微笑を湛えた儘ずんずんセレはカーディに近付く。そして口を開けると黔い球体が回り乍ら次第に大きく、そして激しく曦を散らして行く。
「所でセレちゃん、其の服、すっごく良いね。髪飾り、似合ってるし。若しかしてガルダ君のプレゼント?」
セレは即座に其の球体を呑み込むと振り返ってドレミに向き合った。
「お、然うか。有難うドレミ。然うなんだ。一寸ガルダに見せびらかそうと思ってな。」
「へへっ、良いと思うよ。ガルダ君、部屋に未だ居ると思うよ。早速行ってみたら?ガルダ君も喜ぶと思うよ。」
「然うだな。じゃあ皐牙、先の続きは今度にしよう。手合わせがてら披露するから楽しみにしててくれ。」
ヒラヒラと背後で固まって動かなくなったカーディに手を振るとセレはガルダの部屋をノックする。
特に返事は無かったが、少し首を傾けた丈でセレは入って行った。
―・・・命拾いしたねカーディ。―
「・・・へ、あ、いや冗談だろ。どーせ直前で止めてたって。」
「セレちゃん、割とやんちゃするよ。良くガルダ君襲われてるらしいし。」
「・・・あ、有難う御座いました。」
頬を引き攣らせてカーディはドレミに頭を下げた。
「・・・ま、延命した丈だけどね。セレちゃん根深くて律儀だから。」
其の一言で彼が又固まってしまったのは言う迄もなかった。
・・・・・
「ん・・・居ない様な居る様な、何だ此の気配は。」
ガルダの部屋に入ったものの、波紋で彼が居ない事は分かっていた。
でも、彼の魔力は感じる。波紋に其許り映ってしまって何とも気持悪いのだ。
部屋を荒らす訳には行かないので見渡す事位しか出来ないが、不思議と机の上にあった黔水精に惹かれた。
前も見たが、此は一体何なのだろう。魔力は感じる。魔術具だとは思うが、ガルダが占いだとかの類をしている風には見えない。
一応水精に近付いてまじまじと見つめていると、突然水精の中央が蒼く灯った。
まるで狐火の様だ。揺らぐ様は誘っている様に見える。
―待って居たよ、キミが来てくれるのを。―
「・・・っ!?」
不意に響いた其の声に呼応して水精から蒼い焔が解き放たれる。
其は忽ちセレを包み込むと、セレの姿と共に掻き消えた。
・・・・・
真暗闇の世界。
無限に続くと思われる終わりの無い地平線を見詰めてセレは突っ立っていた。
・・・一体、何が起きたんだ。
先迄ガルダの部屋に居た筈なのに。
妙な魔力が満ち溢れている。何か巨大な魔物の腹の中に居る様な窒息感に酔い然うになる。
此の黔さ、まさかだとは思うが、彼の黔水精の中なのか?
魔力が似ている。然も微かにガルダの気も感じる。居る
物理的な場所ではないのか波紋が上手く反応しないが、何処かに居る筈だ。
精神世界とでも言う所か?一体彼は如何言った代物なんだ。
取り敢えずは歩いてみるしかないだろうか。一っ飛びして全体像を見るのも良い。
―闇雲に動くのは御勧めしないなぁ。―
足を数歩踏み出した所で聞き覚えのある声がした。
・・・嫌な予感がする。其は、紛れもない自分の声だ。
自分の、陰の物だ。
疑惑は確信に変わる。
突然自分を中心に絳い龍巻が起こった。
絳い螺旋が霧散し、旻から舞い降りたのは両腕を真絳な鳥の翼にしたアティスレイだった。
緩りと旋回して飛ぶ姿は優雅ではあるが、其の翼の所々が鋭い刃、釼と化しているのだから空恐ろしく映る。
如何見ても前見た夢の翼じゃないか。串刺しにされた時、本当恐かった。
さて、今回は話が出来る彼女だろうか。と言うより然うでないと困る。詰んでしまう。
此処からの出方が分からないし、ガルダも見付かっていないし。
・・・前みたいに愛に溢れたのも勘弁だな。抱き付かれて又彼の末路になりそうだ。
絳い服の方が似合ってるよ、なんて言われて。・・・本当にありそうなんだから恐ろしい。
「アハハ、御久し振りぃ〜。堪らなくなって出て来ちゃった。アハ、文字通り飛んで来たよぉ。君の心からねぇ。もう躯は大丈夫かい?傷、残ってないと良いけどさ。」
ニヤニヤと笑って彼女は鮫の様にギザギザになった歯を見せた。
・・・今回は又、随分新しいキャラの様だ。懐こくはあるけれども。
「・・・久し振り、になるのかな。私からしたら一寸前に会った気分なんだが。・・・心配してくれて有難う。一応躯は大丈夫だ。」
当たり障りのない様行こう。彼女と会う時は何時も初対面なのだから。
成る可く偏見は捨てないと。
「あぁ〜私からしたらすっごく長く感じたけどねぇ。君を感じられなくて辛かったよ。此、ホントの話。恋い焦がれるっての、一回してみたかったけど、良いもんじゃないねぇ。前は・・・あぁ然う。全快祝いの御茶会したよね。其から又こんな怪我しちゃうとかさぁ〜。」
ケラケラ笑う彼女は何度も歯を合わせてガチガチと不快な金属音をさせる。
そして大きく目を見開いた様は中々恐ろしかった。眦が裂けて眼球が飛び出しそうな所なんて、夢で出て来そうだ。いや、此が夢だと思いたい。・・・今回は最初から一寸狂気染みている気がする。幾ら偏見を持たない様にしようと努力しても、向こうから恐がらせようとしている意思の様な物を感じずにはいられない。
「ほんっと彼の野郎巫山戯てるよね!彼のすかし野郎、君を傷付けるなんて。私も参戦したかったんだけどさぁ、ほら私前君の仲間に乱暴しちゃったしぃ、君が負ける訳ないって、応援丈する事にしたんだぁ。あぁーでもホント御免ね、折角彼奴を打っ殺せるチャンスだったのに。一緒にならやれたのにさぁ〜。」
・・・あれ、意外だ。馬鹿にされると思ったのに。如何やら彼奴に憤慨している様だ。
斯う言う所丈見ると、良い奴と言うか私の味方、否、私の都合の良い存在に見えて・・・混乱するんだな。調子狂う。
「御前と馬が合いそうなのに毛嫌いするんだな。仲間は要らないのか?残虐なの、好きなんじゃないのか?」
「違う違〜う。君も勘違いするんだねぇ。其処も、可愛いけどさぁ。何時も言ってるでしょ〜。私達には目的があるんだよ。其の為の手段の一つが殺しとか破壊とかさぁ〜。残虐性が出るのは彼だよ。趣味みたいな物で、其の方がインパクトあるでしょお〜。」
「・・・結局は趣味なんだな。」
「ハハァ、同じ穴の貉の癖にぃ〜。一寸賢そうな言葉じゃない?ヒャハッ、彼奴を苦しめて苦しめて殺すの、最高でしょ?死んだらだって終わりじゃん。其は君だって十分、分かってるでしょ?大切な命なんだから大事にしよう?一つしかないんだよ。少な過ぎるよねぇ。・・・あー、良い事思い付いた。」
ゲラゲラ笑ってアティスレイは其の場で一回転を披露する。翼の刃が重なって金属質な冷たい音を立てる。
・・・彼女の飛び方、大分無理があるな。
まぁ今はそんな姿になっているから、変身で得た翼なんだから勝手が分からないんだろうけれど。
飛ぶと言うよりバッサバッサ翼を動かして何とか浮く、と言うより自分で自分を吹き飛ばしている具合だ。腕、怠くならないのだろうか。
「私が彼奴になれば良いじゃん!此の姿大好きだから余り変えたくないけどさぁ。・・・で、君に殺して貰うんだぁ。毎霄でも永遠でも。何なら今此処でも良いよぉ。武器も拷問道具も用意してあげる。感触をもっとリアルに。彼奴の声も真似れるよぉ。・・・思考回路迄は再現出来ないけど。私に戻れなくなっても困るしさぁ。ね、ね、良くない良くない?」
「却下だ。彼奴の顔も見たくないし、御前を殺した所で憂さ晴らしにもならないよ。御前が言った通り、命は大事にしないといけないんだ。一回しか殺せないから全力で殺せるんだ。何度もやったら刃が錆びる。」
「ヒュー言うねぇ。一寸格好良いんじゃない?初めから頭が潰れたバージョンとかも出来るけど、然う言う問題じゃないって事かぁ。」
「其はホラーにしか見えないから絶対に止めてくれ。」
恐過ぎるだろう。夢の度に頭の潰れた奴が出て来て、さぁ私を殺しなよ!とか言って来るんだろう。何て悪夢だ。
「ま、君が然う言うんなら私は兎や角言わないよ。君の方が私よりずっと賢いし、私は操られている方が好きなんだ。上手に、使ってくれればねぇ。」
アティスレイは重力を無視して倒の儘羽搏いた。
ニヤッと笑った口端から牙が覗く。
操られるのが好きな割には好き勝手してくれている気がするけれど。
自分が上手く使えるとは思わない。単純そうで思考が読めないのは扱い難い。
「然うだな。前の御茶会の時みたいな穏やかでいられるなら、私も上手く御前と付き合えると思うが。」
するとアティスレイは何に驚いたのか目を大きく見開いた。今回初めて彼女の笑っていない顔を見た。
「ヒャハハハッ、私と?付き合うだって?ハハッ・・・ハ、矢っ張りさ、私も君の事、好きだなぁ。使うじゃなくて、付き合う、ね。ハハ・・・私も君と御話するのは大好きだよ。君の役に立てるのなら、そんな光栄な事は無い。君の中に私の居場所がある丈で、君に逢えて良かったと、心から懐うんだ。懐えた事が、嬉しいから。」
旻中一回転半を決め、元の体位に戻るとアティスレイは苦笑を漏らしてじっと自分を見詰めた。其の目は何と言うか、慈愛に溢れている様で、然う言う目も出来るのか、とむず痒さを覚えた。
奇しくも其の懐いは、今し方自分がガルダに対して懐った事と全く同じだった。其と同等の懐いを、彼女は自分に掛けてくれるのだと言うのだろうか。其を直ぐに信じるのは迚も難しい。若しも裏切られたら、自分も自分を信じられなくなるから。
「そんなに好いてくれるのならやって欲しい事位あるのにな。私に悪夢を見せるなんて事、頼んだ覚えはないぞ。」
熱烈で異常な愛は健在の様だ。行動が全く伴っていないのだから。口丈だと思うのは簡単だが、何だか其丈の問題ではない気がする。
口の中に丈、別の彼女が棲み付いているみたいに。騙そうだとか、其の場凌ぎだとか、そんな事をしようとしている風には見えない。此の違和感が最近ずっと拭えないから調子が狂うんだ。
「だから、其も含めて勘違いなんだよ。まぁ何だかんだで全然君に話していない私達に非がある事は認めるけどねぇ。」
アティスレイはセレの頭上で一回旋回をしてケラケラ笑った。
「言っとくけど、私も一応傷付いたりするんだよ?私が斯うして君の前に出る迄に現に五十程のアティスレイが死んでる。罪悪感でね。凄いでしょ?まぁ死んだって言っても、私の一個性が消えちゃったって事でね。個性が消えれば死んだのも同然でしょ?」
何が可笑しいのかアティスレイは渇いた笑いを零して続けた。
「其に耐えられた私達丈、君に逢える特権に与れるんだよ。だから君を傷付けようと近付く私は、壊れちゃった私なんだぁ。罪悪感でね、心丈死んじゃった。此からも屹度、然う言う奴は出て来るよ。私達は悍くなんて無いから。単純で愚図で、馬鹿だからさぁ。ま、そんなのが又来ちゃったら遠慮なく打っ殺してよ。君を傷付ける事なんて、私達は誰も望んじゃいないんだ。でもアティスレイは然うしないといけないんだ。迷惑しか掛けられないなんて思うと、私も今直ぐ死んでしまいそうなんだぁ。」
彼女の話は俄には信じられない物で。
でも力なく笑う様は、少し虚ろそうに見える目は、演技には見えなかった。
彼女が一体何に縛られているのかは分からないけれども。だからって、好き勝手して良いと言う訳でも無いけれど。
彼女との正しい付き合い方、自分も考えないといけない様だ。
「あ・・・あ〜そーだそーだ。全く、私も今更気付くなんて。其の服、とっても素敵だねぇ。髪飾りも付けちゃって。ヒャハッ!彼も偶には仕事するじゃん。」
「え?あ、有難う。・・・分かるのか。」
然う言うの、疎いと思っていた。だって其の姿だって自分のを真似た物だし、抑御洒落とか分かるのか?と思ってたんだが・・・。
まぁ彼女自身何だか御洒落なワンピースを着ている事だし、スライムだからと思うのは偏見だろう。ああ言うのに憧れがあったのかも知れないし。
「ヒャハハッ、然うだよぉ。理解出来るかは別にしてねぇ。思いを感じ取る力には私、長けてるんだよぉ。そんなに懐いが籠った物なら尚更、名前彫ってるのと同じだって。でかでかとねぇ。」
「然うなのか。・・・そんなに此、籠っているのか。・・・懐いが。」
そっと髪飾りに触れると瞬く様に中の零星が光る。
「うん、たっぷりとねぇ。君ずっと寝てたもん。其の分募ったんだよ。君の魅力に今更気付くなんてねぇ。いや、やっと勇気が出たって所かぁ。ハハァ、でも君はとっても嬉しそうだから私も嬉しいよぉ。良かったねぇ。上出来だよ。ね、サプライズって良いもんでしょ。」
「・・・然うだね。凄く嬉しかったんだ。こんな事があって良いのかと疑ってしまう位。」
御茶会の時の彼女の柔らかな笑みを思い出す。
此の事を言っていたのか。とすると彼の時の自分は随分と的外れな事を言ってしまったな。
「もう、君は何時も難しい事を考えるねぇ。良いじゃんか。然う言う幸運があってもさ。ヒャハハ、大っ嫌いな人間みたいな奴だったから彼奴の事、敬遠してたんだけど、見直さないとねぇ。」
「ん、人間嫌いなのか?」
特定の種を名指しするとは思っていなかった。
まぁ彼女の言う人と自分の知る人は別かも知れないが、いや、彼女は前世の自分を知っているから同じかも知れないが・・・今は、良いか。
「勿論さぁ。だって君を傷付ける事しか能がない。本当に愚かな種族じゃないか。何時も君を傷付けるのは人間だ。今も昔も、然うだろう?あんな野蛮な一族、滅んじゃえば良いのにねぇ。でなければ私が根絶やしにするのにぃ。」
歯をガチガチと鳴らし、ゲラゲラと笑う彼女は不意に惚けた様に黔い旻を見て頭を振った。
「あぁ〜然うだよ然うだよ。私何してんだよ。つい君と居るの楽しくて御喋りが過ぎちゃった。ねぇ私、頭良くないから一回脱線すると本題忘れちゃうんだよ。御免ねぇ。」
徐にアティスレイは右の翼を反対の翼の刃で斬り落とした。落ちた翼はバラバラと羽根を散らし、残らず旻を舞う。
如何言う構造かは不明だが、斬られた筈の右翼は真絳な骨丈が残り、ギシギシと不快な音を立て乍らも何とか未だ彼女は飛ぶ事が出来た。
「君、此処の勝手分かんないでしょ?だから出て来たんだよ私。此処はね、何て言うんだろ、取り敢えず魔力で創った所なんだよ。だから私も楽に出て来られたって訳。外じゃあ力、凄く使うからねぇ。」
「矢っ張り精神世界の様な物なのか・・・。彼の水精の中って事か?信じられないけれど。」
「お、結構知ってんじゃん。流石だねぇ。ま、然う言う事。で、私は其の案内者って訳。君を導けるなんて光栄だねぇ。」
「一体何処に連れて行こうと言うんだ?御前も此処自体は初めてなんだろう?」
「簡単かんたーん、ほら向こうの方。彼所からすんごい懐かしい気を感じるんだよねぇ。まさかこんな所にあったとはねぇ。そりゃあ憶えてない訳だ。」
「あったってまさか・・・私の前世の記憶、か?」
「おぉー当たりー。そ、だから私嬉しくって、やっと見付けられたんだもん。行かない手はないよねぇ。御捜しの彼も多分彼方に居るよ、同じ懐いって言うの?感じるからねぇ。・・・行くんでしょ?」
誘う様に笑うアティスレイは怪しい様で惹かれる物もあって。
アティスレイが興味を持つ物と言えば前世しか思い付かないと適当に答えたのだが、まさか・・・。
本当にあるのか・・・此処に。
まさかこんなあっさり見付かるなんて、否、見付けるなんて事になるとは。
本来記憶は懐い出す物だ。取り出して存在するだなんて、考えられない。
少しずつ関連がある物を懐い出して来たから何れ全貌をはっと思い出す事があるかも知れない。若しくは永遠に懐い出せない、其の位だと思っていたのに。
唐突だけれども。いや、其よりガルダだ。如何するか其の時決めよう。
「噫勿論だ。教えてくれ、アティスレイ。」
「アハハ、まさか君が名前呼んでくれるなんて嬉しいねぇ。出た甲斐があったよ。ほら、彼方だよ。」
一瞬アティスレイは迚も驚いた顔をしていたが、直ぐ満面の笑みに掻き消される。
そして旻を舞っていた羽根達がアティスレイの指差す先の地に突き刺さって行く。
忽ち一本の道が闇の中に現れた。
「ほぅら彼方。道は途中迄しかないと思うけど、其の儘真直ぐ行けば大丈夫だから。」
結構ホラーだ。突然斬り落としたりなんてするから衝撃的過ぎて反応が遅れたけれど。
でも此の親切心、如何なんだろう。単に慕っている丈?罠の可能性は無いか?嘘や騙しをする能は無いと言っていたが、今迄のがブラフの可能性も、矢っ張りある。
今自分は何処だか分からない空間に閉じ込められているんだ。余計迷わされてしまう可能性も・・・無きにしも非ずだ。
「え?あぁだいじょーぶだいじょーぶ。私どうせもう直ぐ消えるし、でも君に心配されるのは嬉しいなぁ。悪くない物だねぇ。・・・でも、もう消えちゃうから言うけどさ、私だって一寸は心苦しく思うんだよ。私は君に過去を懐い出して欲しい。私達の為にもね。でも君も分かってるでしょ、前世が楽しい物なんかじゃないって。」
「・・・・・。」
沈黙が一番の解答になる事もある。
口端を釣り上げ、アティスレイは目を細めた。
「今の君は、嬉しいで一杯だ。服、本当に良く似合っているし、懐ってくれるのって幸せだよねぇ。此の瞬間が永遠になればなんて、誰もが一度は願う事さ。でも私は其を終わらせちゃう。君を導く事で君の幸せを奪ってしまう。私は役目を終えた。でも私はそんな事、したくなかったよ。」
・・・騙してなんかいない。
彼女が騙していたのは彼女自身だ。笑っている振りをずっとしていたんだ。
此が嘘だなんて、そんな事、思いたくない。
彼女の言っている事は、正しくある可きだと、自分も同じ事を願ったと思ったから。
苦笑を漏らす彼女の左の翼が溶けて行く。
絳い雫が羽搏きと共に散り、羽根が少しずつ混ざって落ちて行く。
「さ、もう行きなよ。私が消えたら彼の羽根もそんな持たないよ。君と話せて、元気な姿を見れて、使命も果たせて、私は満足なんだしさぁ。」
「・・・噫、有難う。本当に。」
正直正視するには辛い姿だった。少しずつ溶けて絳の水溜りを作って行く彼女の脇を通り抜ける。
「・・・あーデモ一つ丈、気ニなっタんダけどサァ。」
背中越しに声を掛けられる。彼女はもう羽根所か両腕を失って地面に座り込んでいた。
振り返らずに開き切って壊れてしまっている口を開いた。
「黔日夢の次元だっけ?彼ノ大虐殺デモ君、本当は憶エてたんでショ?拒否してた丈デ。だったら若しカシテ前世も憶えテタんじゃナイ?ナんて。」
「・・・如何して然う思うんだ。確かに断片は懐い出したが全貌迄は・・・。」
「別に真実ハ如何でモ良いケドサァ。君、私よりズット賢いジャン。若し実ハ憶えテイて、未だ弱イ自分ヲ隠す為に被害者面してたんダッたら、矢ッ張リ君は最高だと思ッテ。」
被害者面・・・か。自分の責任を他者の所為にするのは頂けないな。
「御前が然う思うのは前世の私を知っているからか?然う言う事をする奴だって、其の生き方が似合うって思うからか?」
アティスレイは答えない。でも大きく口を歪ませて笑っていた。歯茎が溶けて上手く噛み合わない歯を愉快そうに鳴らして。
「そんな考えが浮かぶのなら御前は自分で卑下する程馬鹿じゃないと思うけれどな。でも前世を懐い出してもっと性格が歪むのは考え物だな。」
「ジャ、其ノ時は化物同士、仲良クやろうゼェ。」
其の一言を最後にアティスレイは完全に崩れ去って、絳い水溜り丈残される。
其の儘足を止めずにセレは絳の羽根に導かれて行った。
・・・・・
暫く歩き続けると何時しか羽根は消え去り、代わりに視線の先に蒼い焔が立ち上っていた。アティスレイの道案内は完璧だった様だ。
そっと近付いてみる。如何やらあるのは焔丈ではない様だ。
もう少し、もう少し丈近付いて・・・其が何か分かった瞬間、セレの思考はとある単語で埋め尽くされた。
其処には一匹の魔物が居た。
全長20㎝位の真黔い子狐の様で、胸元の膨よかな毛のみ真皓で、頭に埋め込まれている藍の輝石と、六つに分かれた尾に灯った焔は蒼く揺らめいている。
大きくくりくりとした目は群青色で好奇心が強そうな印象を与える。
そして何より・・・モフモフである。いや、分かっていただろうがモフモフなのだ。其以上でも以下でもない。以下なんてある訳がない。
超絶モフモフ、全身モフモフが自分を出迎えてくれたのだ。
可愛い・・・上目遣いなのがポイント高い。忠狗みたいで愛くるしい。
良く見ると尾の一つ丈焔が灯っていないが、六つもある尾を揺らめかせ、魔物は首を傾げた。
「っ!モフッ・・・っ!」
抑えろ!今は其の時じゃない、ガルダを捜さないと。此の子を誘拐するのは後で・・・いやでも今ポケットに詰めてしまえば・・・いやいやガルダとモフモフが同じ天秤に乗る訳がない。此はまやかし、幻覚だ。其より早くガルダを、でも若しかしたらガルダを見付けるヒントが此の子にあるかも・・・だからもうモフモフは忘れるんだ!!
―流石に今は抑えろ。―
―分かってるって!今自制してたのに!―
心底呆れた声が響く。聞こえはしなったが絶対溜息も付かれている。
全く丗闇は。自分が其処迄見境なくモフモフを狩るとでも思っているのだろうか。
「モフモフ君、御前の名前は?」
・・・未練を断ち切れなかった。否、此も必要な情報収集だ。
「モフ?・・・ボクはケルディだよ。キミがセレだよね。ガルダが何時も話してたから。」
「え、あ、然うなのか。・・・宜しく。」
もう既に御知り合いだった。然もガルダと縁がある様だ。でも何時もガルダが話している?・・・いや、其も一寸恥ずかしいけれど、つまりは彼は若しかしてずっとガルダの部屋に居たのだろうか。其かテレパシーで話していたとか?余り彼が外出するのを見ないのだが。
でもこんなモフモフが若し居たのならモファンターである自分が勘付かない訳がないのだが・・・まぁ其は良い、其の辺の特訓は又何処かですれば良い。だが、如何言う理由であれこんな素晴らしきモフモフを隠していたガルダに罪を問わないといけないな。
「でも凄いね。迎えに行こうと思ってたのに良く迷わず此処迄来れたね。」
「まぁ其は、先迄案内者が居たからな。」
「ふーん?然うなんだ?まぁボクの手間が省けたからラッキーって所だね。」
「・・・御前若しかして狐火か?確か焔が本体の龍の。」
「わぉ、そんな事も分かっちゃうの?只者じゃないってガルダが言ってたけどホントだね。」
「其の評価は・・・何とも言えないな。」
狐火は龍族だ。灯と闇、二種の属性を司る陰の狐火だ。龍族なのは彼の蒼い焔のみで、狐は永年生きて霊力が高まった者なのだが、己の操る狐火が強力になり過ぎて意思を持ち、反対に支配されてしまって狐火と言う龍に生まれ変わるのだ。だから狐が死んでしまっても焔が灯っていれば別の肉体を見付けて甦る事も出来る。
抑九尾等の狐はそんなに霊力が高くはない。其なのに身に余る狐火を得てしまったが為に己を滅ぼす事になったので驕慢の象徴とも、罪の焔だとも言われている。自分からしたら尻尾が多い事は其丈モフモフとしての価値が上がるのだから喜ばしい限りなのだが。龍古来見聞録には挿絵が幾つもあったが、こんな小型が居るとは知らなかった。
携帯用モフモフとして常に持ち歩きたい。
「でも迎えに行こうと思っていたって事は、御前は何か知っているのか?然う言えば此処に来る直前御前の声を聞いた気がするな。此処が如何言う所なのか、教えてくれないか?ガルダを捜して私も此処迄来たんだが。」
「うん、ボクが二柱を呼んだからね。」
尾を一つ振って悪怯れる様子もなくケルディは続けた。
・・・矢っ張り然うか。まぁモフモフだから赦そう。可愛くって得したな。
「此処はキミも見た彼の黔水精の中だよ。抑ボクは此処に閉じ込められちゃったんだ。ガルダの事でフォードと喧嘩しちゃってね・・・。でも其の時とっても大切な物を預かったから、ずっと返そうと機会を窺ってたの。」
「大切な物?フォードからか。噫其は若しかして前世の記憶とかか?ガルダのもあったのか。」
成程、此でアティスレイの言っていた事の合点が行った。彼女が此処を差していたのだから屹度自分の記憶を持っているのはケルディだと踏んでいたが、ガルダと繋がっているにしても何故ケルディが自分の記憶を持つに至ったのか、経緯が掴めなかった。勿論狐火に其の様な能力も無いし。でもフォードが一枚噛んでいるのなら話は別だ。
フォードは前、自分の黔日夢の次元の記憶を戻した事がある。同じ術を二重に掛けていたとしても不思議ではない。
でも何の為に?又候実験の為だろうか。今此処で自分が前世を出す事を彼は知っているのだろうか。
ガルダが居ると言う事は、若しかして彼も前世を今正に懐い出している最中なのだろうか。
随分前な気がするけれども、ガルダは前世を懐い出したいとは言わなかった。不幸な前世なら要らないと。
・・・如何なのだろう。其を懐い出してしまって、若しかしたら彼は変わってしまうかも知れない。苦しんでしまうかも知れない。
若しそうなっても、勿論自分は彼といるつもりだ。彼が生きる目的になった以上、其の程度の事で違える気は無い。
黔日夢の次元を懐い出した自分に然うしてくれた様に、自分も彼を支えたい。
若し其の結果、世界を滅したとしても。構わない。
・・・じゃあ自分は如何なんだろう。変わってしまう可能性は自分にも十分にある。其でも懐い出す価値のある物か。
答えは出ている自分は懐い出さないといけないんだ。
アティスレイが言っていた。前世を懐い出しているのに、忘れている振りをしているのでは、と。彼女なりに前世の自分を知った上で。
其はつまり自分が其をする事も厭わない奴だと。・・・今も変わらないか、其より酷いかも知れないが。
其なら前世でも生きる為に色々として来たんじゃないだろうか。断片的な記憶からも窺える。多くの者を傷付け、傷付いて来たに違いない。
だったら 黔日夢の次元の事を抜きにしても彼等は自分に憾みを持っているだろう。復讐をしに来るかも知れない。例え既に殺しているとしても、其の死者が神になって報復に来る事は考えられるのだ。
情報不足なのは勿論不利だ。前世は貴重な情報源なのだから、見す見す捨てる訳には行かない。
自分は生きると決めた。だったら其に全力になるのみだ。誰を殺しても、何を壊しても、何を成そうとも、形振等構っていられない。
自分の平穏を護るには、戦い続けるしかないんだ。全てを滅す迄。
ヤット生キル事ヲ正当化出来タンダロ?
然うだよ。煩わしい後ろめたさも罪悪感も、やっと捨てられたんだ。今更如何して止められる?
「・・・流石に一寸察しが良過ぎない?只者所かボク一寸恐いんだけど。」
熟考していたらケルディから引かれていた。
先迄鼻をひくつかせて此方に興味津々と言った体だったのに。今は其の場を動いていないとは言っても上体が一寸逸れている。地味に効いて来る・・・。
「え、いや、先言った案内者が教えてくれた丈だから!頼む、恐がらないでくれ。後一寸で良いから触らせて貰えれば・・・、」
モフモフに恐がられるとか死ねる。
モファンターの名が涕く。御願い、自分から離れないで!
「んーま、ボクが困る訳じゃないから良っか。でも御触りは駄目だよ。後でね。」
「うぐ・・・分かった。じゃあ記憶の方はさっさと片付けよう。私は如何すれば良い?如何すればモフモフさせて貰えるんだ。」
「あの・・・大事な事だからそんなのに流されないでね。御褒美は本題がちゃんと終わってからだからね。本命と寄道、ごっちゃんこにしないでね。今から記憶を返すけど、でも一つ丈問題があるんだ。如何もフォードの術、中途半端になっちゃってるみたいで、キミとガルダのが一部混ざっちゃってるみたいなんだ。此が解けなくて・・・。だから有り得ない記憶が流れて来たら其はガルダのだから気を付けてね。」
「混ざった・・・?まぁでも其なら直ぐ分かるだろう。私とガルダは生い立ちが全く違うんだし。」
「うん。でもガルダのだって気付いても其の記憶を否定しないで。じゃないとちゃんと懐い出せなくなっちゃうかも知れないからね。」
「然うか。ガルダの記憶を無闇に見たくはないのだが・・・仕方ないか。ガルダも自分のを一部とは言え見てしまっているんだよな。一寸申し訳ないな。・・・分かった。じゃあ始めてくれ。」
「混ざってるのは如何も懐いの悍い時、最期の日当たりだからボクも如何にかしたいと思ってたんだけど、力不足で御免ね。じゃあ始めるよ。キミも、緩り懐い出してみて。初まりから、一つずつ。キミの大切な前世だから。」
ケルディを蒼の焔が包み、一刹那、ローズと然う変わらない位の六尾の黔狐の姿が見えた気がした。
「大丈夫、ガルダも待ってるから。一緒に行こう。」
漆黔な世界の端が白んで行く様な、頭の奥に麻酔を打たれた様な、陶酔にも似た感覚を覚え、セレは波紋を閉じた。
・・・・・
最初、世界は二つに分かれていた
神の領域と魔物の領域
其々の世界の欠片が集まって命を持つ者の世界が生まれた
其の者達の代表である人は魔物、神何方にも属さない
其の為第三の世界に其々の世界の者は問い掛けた
何方の世界を望むのか、と
神の慈悲により与えられる奇跡を望むか
魔物の知恵により与えられる魔術を望むか
人は考えた
奇跡なんて何時来るか分からない気紛れな物を信じる位なら、魔術が当たり前に蔓延れば、其は奇跡よりも尊くて、恵まれた世界だろうと
人は魔物と契約を交わした
神は退き、魔物は知恵を授けた
人は知らなかったのだ
己の脆弱さに、世界の本当の姿を、在り方を
神は微笑み、魔物は嘲笑った
紅鏡は昇らなくなり、連日陰霖となった
妙な病が広がり、人々を蝕んだ
絶望が絶望を呼び、希望は失望に変わった
人の心は荒み、誰もが陰を持ち、諍いや争いが絶えなくなった
今迄当たり前だと思い与えられていた物全ては奇跡だったのだと人は知る
だが遅い
契約は交わされ、対価は受け取った
知恵があっても世界の理には触れられない
世界は今も猶、奇跡は与えられていない
此は、そんな次元に落とされた哀れで醜い化物の譚詩
・・・・・
最初に感じたのは、寒さ、だった。
緩りと瞼を震わせて目を開ける。
飛び込んだ景色は、全く見た事もない所だった。
甃の、迚も整備されているとは言えない凸凹の路地裏。
互いに寄り掛かる様建つ家々は傾き、煉瓦塀には罅が入り、木の扉は蘚や黴が生えていた。
服の切れ端や空缶等の汚らしい芥が所狭しと散らばり、水溜りは濁って絳黔かった。
見上げた旻は重い雲華の垂れ込んだ灰色一色で、冷たい陰霖が変わらず降り続いている。
特に目立った目印も何も無い、そんな路地の途中で私は倒れていた様だ。
冷たい、寒い。此処は一体何処なんだろう。私は一体何処から来たんだっけ・・・。
思い出そうと何度か頭を絞るけれども何か大きな闇に包まれていた様な、朧げな物しか思い出せない。
でも彼の闇は迚も温かかった。其の感触を憶えている。帰りたい、何処かも分からないが、彼所へ帰って微睡んでいたい。
纏っていた服は麻の布を何枚も重ねた丈の物だったのですっかり水を吸ってしまって重く、冷たい。
鳥と蝙蝠の様な四翼の翼もずぶ濡れになってしまって飛ぶのは無理そうだ。
戸惑いか寒さか、震える肩を両手で抱くと、長い黔髪が一房垂れて来た。
兎に角、此処でじっとしていても何も始まらない気がする。此処は迚も寒いし、せめて屋根のある所へ行きたい。
皓くなってしまった息を吐き、両手を擦るがこんなんじゃあ全く暖は取れない。
黔い甲に覆われた手足は余り寒さを感じないが、悴んで堅くなってしまう。
早く、如何にかしないと。
陰霖が耳朶を打つ。心做し、激しくなった気がする。
震える足を叱責して何とか立ち上がる。全く状況が呑み込めなくて頭が呆けてしまうけれど、取り敢えず何処かへ。
漆黔の尾で水溜りを叩くと何とか足は動き始めた。
一体で立って歩くには余りにも覚束無かったので壁伝いに路地を歩くと、初めて陰霖以外の音が聞こえて来た。
物音、と言うより此は・・・話し声?若しかしたら誰か居るのかも知れない。此処は何処なのか聞いてみよう。
良かった。独り法師じゃなかったと安堵して路地を曲がる。すると其処には三人の青年が傘も差さず、フードを被るのみで歩いていた。彼等も寒いのか手袋やゴーグル等をしており、服も何着か、其の上コートを着込んでいる様だ。
彼は・・・人、と言うんだっけ。良くは知らないけれども、と言うより覚えていないけれども名前丈は知っている。
「あ、あの・・・、」
遠慮勝ちに路地の角から顔を出すと、直ぐ男達の足は止まった。だが視線が此方に止まった途端、ぎょっとした、酷く驚いた顔になる。皆一様に同じ表情なので反対に此方が不安になる。
此処には誰も居ないと思っていたのだろうか。其にしても子供一体に驚き過ぎだと思うけれど。
首を傾げていると男の内一人がずかずかと此方に歩み寄って来た。
そして徐に手を伸ばし、私の右の翼の付根を掴んで持ち上げた。
「何だぁ此奴。」
「っ、い、痛い!離してっ!」
突然走った激痛に暴れるも、私の力程度じゃあ如何する事も出来ない。手も届かないし、陰霖で濡れた翼は殆ど動かない。
「おい、そんな気持悪いもん触んなよ。呪われるかも知れねぇだろ。」
「手袋越しだし、大丈夫だろ。其より何だよ此奴。何か変な羽とか尻尾が生えてるぞ。」
「うげ、手足も真黔じゃん。気味悪いな。捨てといた方が良いぜ?」
痛がる私を他所に男達は集まって勝手にそんな品定めを始める。
恐い、何でこんな事するの。痛い、翼が引き千斬れそうなのにっ!
翼が痺れて感覚が無くなって行く。でも寒さと痛みが交互に刺して来る。
大丈夫だろうか、こんな翼が捻じれてしまって、ちゃんと飛べる様になるだろうか。
「痛い痛い痛いっ!!離して、離してよっ!」
猶も暴れていると尾の先が男の服を少し裂いた様で、慌てて男は今度は尾を掴んで持ち上げた。
「っ!痛い!痛いの!御願い離してっ、ご、御免なさい。何かしたなら、あ、謝るからっ!だから、」
「うるせぇ!服破きやがって。大人しくしないと其処の樽に突っ込んで溺れさせるぞ。」
男が鼻を向けた先は木の樽が置いてあった。自分よりずっと大きい其は雨水が溜まって溢れている。
冗談じゃない、あんな所に突っ込まれたら溺れる所か凍死する。
思いっ切り唇を噛んで何とか悲鳴は呑み込んだ。でも痛いのは確かで、
無理矢理伸ばされた尾は抑細くて自分を支えるのなんて不可能だ。尾の付根が引き千斬れそうに痛んで涙が知らず溢れて来た。
背骨がごっそり引き摺り出されるんじゃないかと言う痛みに苛まれ、気絶も出来ずに私は只震える事しか出来なかった。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い痛い痛い痛い痛い痛い恐い恐い恐い恐い恐い寒い恐い痛い寒い寒い痛い恐い恐い恐い恐い恐いっ!!嫌だ嫌だ、御願い、もう・・・、
「はぁ、やっと静かになった。でもほんと何だ此奴。見世物小屋から逃げて来たのか?」
「あ、然う言えば最近此処いらに来てるよな。でも此、抑珍獣なのか?縫合とかしてないか?ほら良く聞くじゃん。見世物小屋が孤児を攫って、適当な獣の手足とか縫い付けちゃうの。」
「人工化物って所か?此じゃあ良く見えねぇけど。下手に掴んだら暴れるかな。」
「気を付けろよ。咬まれたら洒落になんねぇぞ。何か牙も黔いし・・・。」
「ま、こんなん展示されても俺は御免だけどな。何で金払ってこんな気味悪いの見なきゃいけねぇんだよ。」
「違ぇねぇ。・・・お、此奴涕いてんのか?・・・って涙は真絳かよ。ホント可愛気ねぇな。毒ありそうだし。」
咬み過ぎて裂けた唇から血が溢れる。口端を伝った其は陰霖に混ざって涙と共に落ちて行く。
覗き込む様にして見る男の目が迚も気持悪くって、つい目を逸らす。そんな事しても現実は変わらないのに。
そんな私を見て何が面白いのか下卑た男の嗤い声が降り掛かる。
一体何の話をしているの。此方は痛くて痛くて、必死に叫ぶのを堪えているのにっ!
痛い寒い恐い。誰でも良い。誰でも良いから、私を、助けて・・・、
「・・・取り敢えず樽に沈めてみるか。疲れたら流石に大人しくなるだろ。」
「っ!?や、止めて其丈は、ゆっ、痛いっ!」
「だから黙ってろっつってるだろ!」
必死に祈っていたがそんな淡い希望等、耳元で怒鳴られた男の一言で吹き飛んでしまう。
男は手早く私を持ち上げると無造作に樽の中へ突っ込んだ。
「ーっ!?っ、・・・、」
冷たい冷たい痛い寒いっ!!
余りの水の冷たさについ声を漏らしてしまって空気が一気に抜ける。
其でも男は私の頭を掴むと無理矢理樽の中へ押し込んだ。
幾ら手足をばたつかせても状況は変わらない所かどんどん悪くなって行く。
覚悟なんてしていなかったから水を大量に飲んでしまうし、汚い水だった丈に変な味がして一気に気分が悪くなる。
爪を伸ばして何とか樽を壊そうと試みるが中々手が届かない。
猶も踠いていると爪が樽の底に沈んでいた何かを引っ掛けた。
樽の隙間にでも引っ掛かっていたのが外れたのか何かが緩り浮かび上がって来る。
ぼろぼろの布切れと棒の様だったが、紐が付いた濁った玉が二つ頬に触れて・・・やっと其が何か理解して急いで私は其を払い退けた。
此・・・猫か狗の、屍だ・・・。
彼も私と同じ様に沈められたのか。そして、そして・・・、
酷い・・・気持悪い。吐き気が、私も、彼と一緒に此処で・・・?
屍の腐った毛皮がまるで私を引き摺り込もうとしているみたいでもっと手足をばたつかせて振り払った。
嫌だ嫌だっ!私は死にたくない、こんな所でなんて絶対嫌だ!
でもどんなに必死になっても手足はどんどん悴んで動きが緩慢になってしまう。
不味い、此の儘じゃあ・・・本当に、し、・・・死んで、しまう・・・。
どんどん意識が遠退いて視界が真暗になった所でやっと男は私を樽から出した。
大量の水が瀝落ちる中、私も堪えきれなくなって水を吐き出す。
助・・・かった?いや、現状は変わっていない。尾は掴まれた儘だ。でも、
慌てて息を吸っては噎せて、今度は焼ける様に肺が痛んだ。
出られたら出られたで、先よりもずっと外が寒くなってしまった・・・。
歯が震えて音を立てる。掴まれている尾が痛くて仕方がないのに抵抗する体力がすっかり奪われてしまった。
息をする、息をする。痛くても、意識しないと、寒さと痛みで止めてしまいそうだ。
男は動かなくなった私の頭を掴み、路地の壁に押し付けた。
叩き付けられた衝撃で折角吸えた空気が吐き出され、何度も噎せてしまう。
でもじっと私を見詰める彼等の目に竦んでしまって、声を出す事なんて出来なかった。
恐い。次は何をされるのか分からなくて。
嫌だ。もう痛い事しないで。止めて、もう近付かないから。声を掛けたりなんてしないから・・・。
幾ら目で訴えても届く事はなく、男は服を捲って見ていた。
羞恥なんて感じている余裕はない。殴られるのか、ナイフ等を突き付けられるのか。恐くて恐くて、震えて耐える事しか出来なかった。
暫く然うして男は首を傾げると服を戻した。でも頸に掛かった手は其の儘だ。
「おい、縫合の跡とかねぇぞ。此、マジで生えてる奴みてぇだ。」
「うわ、マジかよ気持わりぃ・・・。何で化物なんか普通に街に居るんだよ。研究所から逃げ出したんじゃないのか?」
「見世物小屋に持ってったら高く売れそうだな。其とも研究所の方が良いか?物好きな貴族だって居るし、其奴に売るのもありかもな。手っ取り早そうで。」
「でも盗んだとか言われたら面倒だぜ。変な所連れてって疑われても癪だし、いっそ喋れそうだし此奴に聞いたら如何だ。」
「其も然うだな。おい化物、御前一体何処から来たんだ。親切な俺達が連れてってやるから言ってみろよ。」
下卑た嗤い声を上げ、男が懐からナイフを取り出す。そして脅しのつもりなのか頸元に其を当てて来たが、手元がぶれて僅かに頸の皮が裂けてしまった。
黔い血が流れて刃を染める。其を見て男は僅かに眉根を寄せた。
帰りたい。でも何処から来たか分からないから聞いたんじゃないか。
別に放してくれれば私はさっさと逃げるのに。隠れて、もう二度と姿なんか現さないのに。
でも屹度私は殺されちゃう。こんな痛い思いをしたのは初めてだ。
例え今じゃなくても何処かに連れて行かれて、矢っ張り殺されてしまう。
嫌だ。如何してこんな事を。私は只、帰りたい丈で、其以外何もしないのに。
もう痛いって、何丈思っただろう。恐いって、何丈感じただろう。
・・・後何丈知れば良いの?
もう・・・嫌だよ。こんな思い、此以上重ねたくない。
頸が締まって息が出来なくなる。
駄目だ。何か言わないと、此の儘じゃあ殺される。
でも何て言えば良いのかさっぱり分からない。彼所が如何言う所なのか知らないのだ。
息が詰まる。もう一言位しか言えない。此の儘何も知らずに殺されるなんて、そんなの余だ。
「もう止めてっ!!」
堪らなくなって思わず叫んだが、其の言葉が良くない結果を生む事は明白だった。
叫んでしまった。然も全く関係のない事を。彼のナイフで喉を裂かれるかも知れない。
然う思って目を瞑った刹那、
「ッギャァアァアアァア!!」
届いたのは彼の男の叫び声だった。
何が起きたのか分からない儘自分は地面に叩き付けられた。
やっと解放されたんだ。何とか息も絶え絶えに少しでも距離を取ろうと足を引こ擦る。
男は未だ叫んでいる。流石に気になって首を巡らすとのたうち回る男の姿があった。
何だか随分と血を流している様だ。良く見ると左肩と左足、腹部と所々服毎罅が入っていた。
彼の罅は一体。然う思うのも束の間、まるで玻璃細工の様に男の罅の入った所が砕け散った。そして抉られた様に大きな穴が空き、血が噴き出した。腹からは内臓の様な物が零れて見ていて気持が悪くなる有様だった。
何が一体起きたんだろう。彼の気味の悪い罅は一体。でも考えるより先に逃げないと。こんな所に居たら又捕まっちゃう。
「くそぅ、いてぇ、いてぇよ。オ、俺、如何なってやがるんだ。あ、足があぁ・・・、」
「ど、如何したんだよ何があったんだ!」
男達が駆け寄るのを尻目に少しでも這って、私は何とか其の場を去ろうとした。
何とか立ち上がって、音を立てない様に、
「てめぇ、くそ、何やりやがった!」
一歩二歩と歩いた所で男の一人が立ち上がり、ホルスターから拳銃を取り出した。
そして躊躇いもなしで出鱈目な照準で撃たれた弾は自分の右肩に打ち当たった。
「っ!?ガァアアァ!!」
突然今迄に感じた事のない痛みに思わず倒れ込む。
撃たれた、肩を、血が止まらない。痛い、痛い、無理矢理肉を抉られた様だ。肩の中で何かが爆発したかの様に痛みが突き刺さる。
「て、てめぇ、打っ殺してやる。ばらして剥製にでもして売っ払ってやるからなっ!」
痛みに悶え乍ら血を吐き、声を上擦らせて男はナイフを手に這い寄って来る。
其の目は血走ってぎらつき、絶対に見逃すまいと大きく見開かれていた。
一気に又恐怖が這い上がり、竦み上がって動けなくなってしまう。
あ、あぁ・・・来る、殺される。嫌だ、死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
私は未だ、未だ・・・、
「来ないでっ!!」
震える躯を必死に抱いて叫ぶ。すると突然這っていた男の顔半分に罅が入り、消し飛んだ。
そんな状態で生きていられる筈もなく、男は目を見開いた儘パタリと動かなくなる。そして頭から留め処ない血と脳と思われる肉片が食み出していた。
「死、死んでる・・・のか?お、おい!」
「矢っ張り呪われるんじゃねぇか。行くぞ、早くっ!」
残った男達は慌てて陰霖に足を取られ乍らも走り去って行った。
私ももう一度何とか立ち上がると急いで其の場を後にした。
例えもう危機が去ったとしても、一秒として其処に居たくはなかった。
此の期に及んでも現実が受け入れられなくて、もう人間なんて見たくもなかった。
・・・・・
路地を右へ左へ我武者羅に抜け、自分は何処かの家の屋根の下に隠れていた。
やっと雨宿りが出来て安心する。
出来れば人の居ない所に行きたかったが、何処迄行っても此処から抜け出す事は出来なかった。
取り敢えずは少し丈でも休もうと腰を下ろす。すると鋭い痛みが肩に走った。
先の銃の弾だ・・・。貫通していなかった様で、ずっと肩の中を刳り貫かれる様に痛む。今取り出さないと、後で困った事になり兼ねない。
勿論此処に手を貸してくれる者なんて居ないし、道具も無い。・・・自分でしないといけないんだ。
意を決して自分の左手の先を傷口に突っ込む。穿れたのが右で良かった。利き手が残っているなら、如何にかなるかも知れない。
自分の爪は細長くて鋭い。でも傷口よりは当然大きいので中を抉って行く事になる。少し指を動かした丈で走る激痛に意識が飛びそうになった。
でも未だ届かない。傷口が浅いと言ってももう少し突っ込まないと。
何とか指を捩じ込むが、其の際に聞こえる自分の肉を裂く音と其の痛みに気分が悪くなって堪らず吐いた。吐ける物なんて何も無いけれども、全く吐き気が治まらない。未だ、手を入れないといけないなんて・・・。
肉を掻き分けると黔い血が溢れ出す。気持悪い、見たくない。痛いのは沢山だ。如何して自分で自分を傷付けないといけないんだ。もう、こんな事したくない。でも、もう少しで・・・。
指先が何か硬くて小さい物に当たる。此だ。後は引き抜く丈・・・、
慎重に指先で掴み、手を引き抜いた。血が溢れ出て、腕に力が入らなくなる。
手を離れて転がり、陰霖に濡れた其は鋭く銀色に光った。
・・・良かった。やっと、取り出せた。
安堵と同時に今度は涙が流れた。真絳な涙が緩りと頬を伝って服を仄かに染めてしまう。
後から後から涙は溢れて来る。でも今更其を止める気力も体力も、もうなかった。
其の涙と共に色々な感情が流れ出る様で、
「う、うぅ・・・あぁ・・・、ああ゛あ゛ぁあ゛!!」
堪らなくなってつい叫んだ。
恐くて恐くて如何しようもなくて。
何もかもが初めてで、でも何も知りたくなかった物で。
涙も嗚咽も慟哭も一切止まない。
只々涕いて涕いて叫び続けた。
「あぁ゛あ゛ぁあ゛、っ、あぁあああぁっ!!っぐ・・・っ、あぁあ゛あ゛あ゛!!」
降り頻る陰霖の中、黔の化物は絶望の産声を上げていた。
・・・・・
何程涕いたか分からない。
辺りはすっかり冥くなっていたが、陰霖は止む気配が無かった。寧ろ土砂降りになっている。
涙は枯れて嗚咽のみを繰り返していた私だが、突然上の窓が開かれ、温かい曦が漏れ出た。
其は如何やらランプの明かりの様で、其を手にした女性が私を見付けて照らしたのだ。
人だ。咄嗟に躯が跳ねて恐怖で顔が青くなる。でも持っているランプの曦から目を離せずにいた。
其が初めて私にとって温かいと思った物だった。迚も優しく、綺麗な曦だと思ったんだ。
「やっと見付けた!先から煩いよ、早くどっかへ消えな!」
女は手にしていたバケツを引っ繰り返し、私は思いっ切り冷水を頭から被った。
折角少し丈乾いて来ていたのに。肩の傷に水が染み込み、声にならない叫びを呑み込む。
此の儘居たら次に来るのは又鉛玉かも知れない。
急いで自分は何とか立ち上がると震える足で当て所も無く歩き出した。
土砂降りの陰霖が容赦なく私を叩き、僅かな熱を奪って行く。
雲華の切れ間から僅かに見えた氷鏡は縷の様に細く、嘲笑っている様で。
此が私、セレ・ハクリューの初めの記憶。
最悪な、最低の前世の初まりだった。
・・・・・
彼から私は、何とか生き延びた。
此処は何処も彼処も人が居る様で、奴等で溢れ返っている街からは如何しても離れたかったのだが、滄溟や碧山は国とやらが完全に管理しているらしく、一歩でも足を踏み入れる物なら容赦なく射殺命令が下された。其以外の殆どは不毛の地で、残るは彼のごちゃごちゃした街丈だった。
自給自足も儘ならない此の地では、金品の遣り取りでのみ食料等が手に入る。其の為乞食やホームレス、孤児が多く、其の殆どは数日もしない内に餓死してしまうと言う凄惨な物だった。奪い合いや殺し合い、殺戮や放火等の犯罪、趣味の悪い拷問や私刑は日常茶飯事で死体なんて路地に行けば幾らでもあった。其でも毎日何処からか人間はやって来るのだから、芥の様に生まれる此の生き物は何の為に居るのかと良く呆れた物だったが。
国は国でおかしな物で、否、おかしいのは此の世界と言う可きなのかも知れないが、私の知っている常識と此処は余りにも懸け離れていた。文明が滅茶苦茶で、金属の塊が旻を飛んだり、人と同程度か其以上の知能を持ったアンドロイドが居たり、噂によると瞬間移動装置なる物もあるらしい。
其の一方で裸同然で炬を手に暮らす部族がいれば、古代遺跡宛らの石で築かれた建造物があったりする。
貴族と平民の差も明らかで、学校に通えるのは貴族丈、平民の子は死ぬ迄独房の様な所で働かされるか臓器売買に出されるか。法律に護られるのも貴族丈、平民は殺されても警察は動きもしない。
良くもまぁこんなごちゃごちゃの国を作れたものだ。王か政府がいるのかすら知らないが、何を考えているのか及びも付かない。
そんな人間にすっかり毒されて私も随分性格が捻くれてしまったのは自覚するが。斯うでもならなければ生きられなかったのだから仕方ないのは仕方ないが、こんな簡単に染まるのなら私も其の程度の存在なのかも知れない。こんな芥溜めみたいな世界で高等種族振ろうが何にもならないのだから。どうせ人間から見たら私なんて、溝以下の化物だ。
・・・辛うじて良かった事は言葉が分かる事だろうか。御蔭で此丈の情報が手に入ったのだ。
彼の日から怖くて恐ろしくって大っ嫌いになった人間の話なんて聞きたくもないが、そんな事も言っていられない。
基本的に極力人間とは会わない様にしていたが、意図せず会ってしまう事もあった。其の度に化物と呼ばれ、謂れの無い暴力を受け続けた。
でも、私は知ってしまった。彼の日、何故彼の男は死んだのか。躯中を抉り取った彼の罅は何だったのか。
其は、私の魔術だった。
私が使える唯一無二の武器であった其の術が無ければ今頃私は死んでいただろう。
特定の物を破壊する術・・・らしい。私が見た限りでの判断だが。
私は他の術を習った事も無いし、術と言っても別に詠唱や魔力が必要な訳ではない。
何方かと言うと体力とか気力を消費している気がする。連発すると走れなくなったり集中出来なくなるのだから間違いないだろう。能力、に近いと見て良い。
一応人間も魔術を使う様だが、私の方が遥かに強力で、見た事も無い物なのか必ず皆不意を突かれてあっさりと始末する事が出来た。
まぁ勁いと言っても其は平民に対してのみ使えるのだろう。学校に通っていればもっと高度なのを学びもするだろう、軍事兵器に敵うなんて自惚れたりなんてしない。
別に謀反を企てたり革命を起こす気は無いんだ。どうせ人間の街に寄生する化物なんだ私は。人間の世界を如何斯うしたいだなんて些とも思っていないし、そんな気力もない。
私が其処迄卑屈になるのは其の術に一つ、大きな問題を自分は既に見付けているからだ。其は術で指定出来る範囲が曖昧だと言う事だった。
特定の物を破壊すると言うのは正しい表現ではない。正しくは範囲を決め、其処にある物を壊せるという物だ。
其には種類は問わない。道も壁も石も地面も陰霖も銃弾もナイフも焔も人間も、其の気になったら空気も、分かり難くはあったが、仕舞には空間も壊せるらしい。・・・壊れた際に良く分からない黔い穴が空いて何となく不気味なので其処迄力は使わないが。
身に余る強大な力と言えば聞こえは良いが、強力であるが故に弱点も矢張りある。
例えば壊す対象が余りにも私に近ければ範囲を上手く絞れずに自分も巻き添えを食う事もある。
一度発動してしまえばもう術は私にも取り消せない。壊れるのを見ている事しか出来ないのだ。
そしてもう一つ、物が壊れる際、先ず範囲内の対象に罅が入り、軈て崩壊するのだが、此の罅の段階で対象が動くと罅が広がり、早く、そして広範囲が壊れる事になる。此は殺す事、破壊する事には有効だが、身包みを剥ぐのが目的の際は全く使えない特性なのだ。
動かなければ例えば頭丈を壊して服や荷物が手に入るが、当然罅を入れられてしまえば恐ろしさの余り皆暴れてしまう。すると即座に罅が全身を回ってしまい、服諸共壊れてしまう。
だから此方は基本的に相手を直ぐに殺さないといけない時に緊急用として使っていた。
・・・勿論最初は殺す事に抵抗はあった。
見た目は違うにしても言葉は分かるのだ。其に何丈捜しても仲間の一体も見付けられなかった自分には、憎んでいるとはいえ人間と言う相手しかいなかった。
でも此の世界に心は不要だった。邪魔だった。特に初めの頃、私は何丈傷付けられたか数え出したら限が無い。でもそんなのは全部、心なんて物があったからなんだ。嬉しいとか楽しいは相手に好奇の目で見られる。そして油断を招く。脅えや恐れは相手を優位に立たせてしまう。痛みや怒りは冷静さを欠いてしまう。切ないや寂しいは思いが募って余計辛くなる丈。彼の男を殺したのは自分だと気付いた時は涕いたりした。人間を危めてしまったと、救われる訳でも、赦される訳でもないのに、自分が悪いと呪って。
だから生きたければ心を捨てるしかなかったんだ。
如何しても感じてしまう事はあるだろう。心を動かされてしまったり、震える事はあるだろう。完全に捨て去るには余りにも私は幼かった。でも其を表に出さない様、弱い自分を何重ものベールで隠してしまう術を、私は初めに覚えた。
だって奴等は此の翼を、尾を、手足を、目を、術を、恐がるから。そして排除しようとするから。
最初は怪我させたり、何とか武器丈を壊したりして見逃していた。でも人間は非常に好戦的で、直ぐ集まり、情報を使う。
報復されたり、街を追い出されたり、兎に角色々と不利益が多かった。
だから殺した。全て、例外なく。
幸か不幸か自分の此の姿は狩りをするのに適していた。
鋭く堅牢な手足と爪、高速で飛び回れる翼、刺したり巻き付いたりと器用な尾、咬み付けば離れない牙、見た者を怯ませる瞳。
此の姿で受けた不幸は数知れど、此の御蔭でこんな餓鬼でも殺して殺して行き延びる事が出来た。
・・・どうせ此の姿でなくても此処の人間は人を人と見ていない節がある。無視されるが無力であるより、忌み嫌われても武器を有している方が良い。
憐れまれて死ぬより、怨まれても無様でも私は生きていたい。
・・・其の為に本当に飢えで死に掛けた時、人を、喰べた事もある。酷い味だった。結局病気になったりとマイナスが多かったから直ぐ止めたが。
食べ物があればラッキーだった。でも金しか持っていなければ殺し損になった。
だって金があっても私に何かを売ってくれる人間はいなかったから。
呪われるだの、近付けば商品が腐る等と話なんて聞いてくれなかった。咄嗟に店主を殺した事もあったが、足が付き易いので直ぐ自警団だの警察に絡まれて無駄な血を流した。
こんな生活を続けた所為で一年を数える事にはすっかり躯はボロボロになっていた。
羽根が疎らになってしまった翼、逆立って整わない手足や尾の甲、より歪な形に伸びて行く爪。
正直、殆ど意地で生きていたと思う。何時も何処か痛んで、疲れ果てて、心は冷たくて、陰霖は止まなくて。
何時迄経っても彼の闇の所へ行ける訳も無く、迎えも来なくて。
昔から此処にいたんじゃないのか、彼は幻想だったんだ。私に、帰る所なんて無い。然う思わないと今の私は惨めで、枯れた筈の涙が出て辛くなる丈だった。
でも永遠に此の芥溜めみたいな世界に閉じ込められるのかと思うと矢っ張りうんざりした溜息が漏れる丈だった。
加えてもう一つ、問題があった。其は時々襲って来る発作の様な物だった。
其は晁でも霄でも、寝ていようが病気だろうが突然襲って来た。
全身を刺す様な痛み。立っていられなくて、転げ回る程の激痛。
其の間は一切水も食べ物も食べられない。口に含んだ瞬間血と一緒に吐き出してしまうのだ。
早ければ数時間、長ければ四、五日は続き、内臓が斬り刻まれる様な痛みに声を上げそうになるのを堪え続けた。
最初は病気かと思い、死を覚悟したが、そんな事はなかった。
でも実際死ぬ程痛くて辛い。加えて治まれば元気になると言う訳でもないので其の儘餓死しそうになったり、未だ真面に動けない内に隠れているのがばれて殺されるのではと其を心配して縮こまるのが一番恐ろしかった。
そして発作が終わった時は決まって・・・姿が変わっていた。より醜く歪んで。
耳に迄小さな翼が生えたり、手の甲が肘辺り迄広がったり、色々だ。規則性は良く分からない。全身満遍なく順番に作り変わって行く感じだ。
多少強引だが彼を成長痛と捉えれば色々と納得が行く。血を吐くのは屹度、内臓から作り変わって行くから。骨が折れる様に軋むのは骨格が変わっているから。
でも無事痛みを遣り過ごしても待っているのはより醜く変わった自分。より人目に付き易い厄介な姿、異形と化してしまう。人間が化物だと指を差す、彼の姿に。
どんどん生き辛くなる負の螺旋に囚われた様で打開策も分からず堕ちて行く。
成体になったら一体何処迄醜い姿に成るのだろうかと思うと同時に、成体に成る迄生きられる訳がないと半ば諦め、そんな弱さを人への怨みで覆い隠していた。強がり続けないと歩けないのだ。
一年も此処にいれば流石に勝手も分かって来る。
其から私が覚えたのは姿を隠す事。人間にさえ会わなければ波風立てず、それなりに平安が保たれる。一日、緊張する丈で済むのだ。怪我したり、其奴を殺す事をずっと考えたり、傷付いたり、そんな目に遭わずに済む。
其の為に私は此の目立つ姿を如何にか隠す事に必死だった。偶然芥捨場で見付けた大人用のオーバーコートを羽織り、翼は捩じれてでも躯に巻き付けた。尾も足に絡ませ、耳は伸ばした髪で隠した。フードを深く被って目も合わせない。
大き目のブーツを盗んで足を隠し、片手分丈見付けた手袋と布で両の手を覆った。
そして出掛けるのは決まって陰霖。極稀に晴れた日は一日、動かなかった。ずっと芥捨場の隅で丸くなって気配丈探っていた。
・・・陰霖は良い。
私の存在を街に溶け込ませてくれる。誰も私を見ない。下を向いて、足早に過ぎて行く。
誰かを手に掛けた時の悲鳴も、自分が漏らした呻き声も隠し、足跡や血を洗い流してくれる。
水も確保出来て埃と煤に塗れた私を服ごとさっぱりさせてくれる。
只一つ丈、寒い事を我慢出来れば。
寒くて、寒さの所為で、包み込まれる様に全身を濡らす其の仄闇に彼の闇を懐い出して淋しい懐いが込み上げるけれども、其の弱さを呑み込めば、何も問題なんて・・・。
そんな中、私はとある男と出会う。
殺し屋専門のギルド『梟ノ睛』のボスに。
私の噂を聞いてスカウトしに来た然うだが、話が分かる人間に会えたのは初めてだったので随分と印象に残っている。
化物が居れば他のギルドへの牽制になるし、筋も良いそうだ。
勿論殺しのだが。でも褒められたのも初めてだった。
其が嬉しかった訳ではない。只、自分を悪だと断定し、卑怯者である事を悪怯れもせず謳い、自分が生き延びる為なら何だって利用すると言った彼に、多少なりとも惹かれたのは確かだった。
嘘じゃないと、本当に単純に利益の一致の上での交渉だと信じられたから。
加えて余り期待はしなかったが住処と食糧を用意すると言うのなら乗らない手はない。
・・・実際彼の時は死に掛けていた。本当に不味かった。奇跡の無い世界と聞いてはいたが、こんな事もあるのかと驚いた。
でも勿論そんなボスの居るギルドが生易しい所である訳も無く、早速私はテストを兼ねてとある仕事を貰ったのだった。
「良いか、先ず今回やって貰うのは隣街の銀行だ。俺の手下が二人から其奴から指示は貰え。・・・無いとは思うが若ししくじったら直ぐ街を離れろ。街から出れば警察も黙る。ま、此位なら御前も知ってるだろうな。」
「・・・行けば良いのか?」
「噫、行先は此処に描いてある。・・・一応気を付けろよ。」
目深に被っていた黔のハットを僅かにずらし、ボスはちらりと此方を睨む様に窺った。そして何故だか躊躇う様に小さな紙片を取り出した。
ボスから折り畳まれた紙片を受け取り、直ぐギルドを去る。
・・・正直、此処は居心地が悪い。酒と煙草の臭で鼻が曲がりそうになるし、胸がむかむかする。其に人が沢山居る所は苦手だ。如何しても身構えてしまう。
ボスは手を出さないから安心しろと言ったが、あんな無遠慮にじろじろ見られてひそひそ話をされれば手を出されたのと同じだ。
「もう行くのか。気を付けてな。ボスの歓迎は何時も手荒だからな。」
ギルドを出て直ぐ声を掛けられた。振り返ると今出た許りの扉の傍の壁に寄り掛かっていた男と目が合った。
其の男は銀混じりの翠の肩より少し許り長い位の髪で、色白な肌を見る限り余り体調は良くなさそうだ。
ぼさぼさの髪に余り剃られていない髭、服もしわくちゃでだらしがなさそうに見える。
でも金色に光る目丈は澄んでいて、其の眼差しに吸い込まれ然うだった。
何なんだろう此、此の目、久方振り過ぎて初めてだと感じる様な此の感覚。
自分を見てくれている、そんな不思議な気がした。
私が黙っていると男は続けて喋り始めた。御喋りな質なのかも知れない。
「ボスは御前を気に入っているみたいだからま、如何にかなるとは思うけどさ。餓鬼にさせる事じゃないのは確かだ。独りで、良く頑張ってるな。」
「・・・御前に如何斯う言われる筋合いはない。」
気持悪い。何を言ってるんだ此奴は。
意味が分からない。要件の無い会話に何の意味がある。私が気を付けようが気を付けまいが関係無いじゃないか。私が死のうが消えようが、御前に何の変化がある。
猶向けられる視線から逃れる様に私は足を速めた。
・・・・・
「此処・・・か。」
着いたのは随分大きな銀行だった。私には永遠に縁の無い所だと思ったが。
此処で成す事と言えば一つしか考えられない。
強盗、した事が無い訳では無いが、何時もしていたのは住居か食料品店が主だった。金は使えない私にとって無用の長物だ。仕事なのだからするが、斯う考えると見返りが少ない気がする。
・・・文句を言える立場では勿論ないが。
「来たか。化物、此方だ。」
突然掛けられた声についびくついて身構えてしまう。
慣れないといけないんだ。形丈でも今の私は仲間がいる。コミュニケーションを取らないといけない。どんなに其の呼び名が不快でも、従わないといけない。
・・・堕ちた物だな、私は。此じゃあ飼われているのと変わらないじゃないか。
一つ溜息を付いてさっさと男の傍に寄る。
此の煙草の脂が染み付いた臭、矢っ張り嫌いだ。
見た丈で分かる。此の柄の悪さ、紛れもなくボスの仲間だ。何時もなら出会ってしまえば殺し合いになるのだが、手を組むなんて日が来るとはな。
向こうも可也嫌そうな顔はしつつも、何もしない。だったら私も手は出さない。
「おい、ホントにこんな奴連れて行くのか?」
「ボスからの依頼なんだ。やらねぇ訳には行かねぇだろ。黙ってやれよ。」
一歩引いていた男が無遠慮に怪訝そうな目を寄越す。隣の男に小突かれて視線を逸らしたが、慣れているにしても良い気はしない。
でも此奴等でもボスの言い成りなのか。余程彼奴の影響力は強いらしい。破落戸共の集まりにも一応秩序の様な物があるのは何だか意外だった。
・・・でも考え様に因ってはつまり彼のボスを怒らせれば此奴等から報復される可能性もあると言う事だ。下手な事は避けないといけない。何時も問題事を持って来るのは人間の方からであってもだ。理不尽は今に始まった事でもない。
「今から其処の銀行を襲う。御前は警備を全員、手近な職員と客は数人、そして歯向かう奴等は殺せ。後は俺達がやる。」
其丈言って男達は黔の外套を着、深々とフードを被った。そして皮のグローブとサングラス、マスクをする。外套の隙間から銃身が見え隠れするが、彼はアサルトライフルだろうか。
自分も成る可く姿を隠す様フードを押さえる。と言っても無理矢理畳んだ翼と尾の所為で不自然さは拭えないが。
「いや、御前は中に入ればオーバーコートを脱げ。羽とかあるんだろ。威嚇するんだから隠さず出せ。」
「・・・然うなのか。」
其だと自分の顔が割れるが、つまりは人質だとかを生かす気は全く無いと言う事か。
威嚇、か。結局其が私の役目か。当然か、只の餓鬼を彼奴が雇う筈がない。化物だから、都合が良かったんだ。
「行くぞ。・・・しくじんなよ。」
じろりと睨んで男はさっさと銀行に入って行く。
・・・良くあんな堂々と行ける物だ。入り口には二人程恰幅の良い警備員が立っていると言うのに。
付いて行くしかない。でも如何しても冷汗を掻いてしまう。人間の目にこんな一日に触れるなんてストレスだ。考えた丈で目眩がする。
一つ息を整えて足を出す。
悟られない様細心の注意を払って他の人間に紛れる様銀行へと、
「おい。」
だが突然伸びて来た手に腕を掴まれた。
矢張りと言う可きか、警備員だ。
幾ら平常心で居ても形が形だ。矢っ張り咎められてしまった。
警備員は如何やら自分の翼を曲げた所為で出来ている背の不自然な膨らみが気になるらしい。
其にこんな餓鬼が此処に用事なんてある訳ない、と思ったのだろう。
もう一人も此方を見詰め、つい目が合ってしまい、より一層怪訝そうな顔を浮かべる。
此以上騒ぎを大きくしてはいけない。・・・やるしかないか。
何も唱える必要はない。特別な術式も方法も手順も無い。只、思う丈。
殺す、と、其丈で、
「っ!?ぐぁっ、」
二人の警備員の全身に罅が入る。そして声を出される前に隠していた尾を解き放って二人の頸元を打つ。
すると頸元丈が先に砕かれて声も出せずに二人は目を見開く丈だ。
殴ろうとでも思ったのか一人が手を振り上げたが、其処で躯が限界を迎え、あっさりと二人は砕けて塵と化す。
空間にも、殴った自分の尾の甲にも罅が少し入ったが、此の程度なら問題ない。
でも腕を掴まれた許りに中途半端に壊してしまった。
自分の右腕には千斬れてしまった彼の男の腕が残っていた。
気持が悪いのでさっさと手を払う。すると腕は呆気なく離れて地に落ちた。
ぐしゃっと生々しい音を立てて落ちた其は血の水溜を作って行く。腥い臭が鼻に付いた。
良く嗅ぐ臭だ。本当、吐き気がする。人間は中も外も気持悪い。
静かに、其の実あっさりと事を成したが、勿論こんな人間の居る所ですれば目撃はされる。
男の腕か、其とも自分の尾を見たからか、突然一人の女が悲鳴を上げる。
さっと視線を上げる。怯えて見開かれた目と合った。彼奴か。
数歩足を進める。
此の目に臆したか女は一度悲鳴を上げた限、口をパクパクさせて動かない。其の手に引かれた少女も震えているのか同じ様に固まっている。
客、か。自分と同じ位の齢か?矢っ張り人間は人間だな。其の目は母親と良く似ているな。
私の大っ嫌いな人間の目だ。
だから殺す。
二人の繋がれていた手から罅が入る。
そして瞬く間に全身へと広がって行った。
「な、何なの此、い、嫌、ス、スミ、」
「お、御母さん御母さ、」
動けば、死期が早まる丈。動かなくても殺すけれど。
二人は見詰め合って手を伸ばした所で砕け散った。
「な、何だ此奴。今、死、こ、殺したのか!?」
「警備は何をしている!早く此奴を捕らえろ!」
一気に動揺が広がり、次々と人間が喚き散らす。
だが次の犠牲者になりたくないのか、こんな姿に触れたくないのか、自分を中心に輪が出来て行く。
其の輪を掻き分け、五人程の男が姿を現した。拳銃を持っている。彼には気を付けないと。彼は早過ぎる。壊す前にやられる可能性がある。でも制服を着ているあたり、警備員なのだろう。分かり易くて助かる。
銃を構えられる前にオーバーコートを脱ぎ去って翼を広げた。
鴉よりも黔い翼に触れたくないのかより輪が広がる。
そして益々疎外感を感じる忌避と怪訝の目が全身に浴びせられる。
噫嫌だ。本当嫌いだ。人間って何で斯うなんだ気持悪い。
私が先に殺したから?今更、私が先か人間が先かなんて何方でも良いだろう。御前等だって街で私を見付ければ石を投げるんだろう。
フードの下の化物に驚いた警備員等に隙が生じる。其を逃す筈なかった。
殺す、殺す殺す。皆死んでしまえば良いんだ。
玻璃の割れる様な音を耳の奥で聞き乍ら警備員等に罅が入る。
少し大き目に放ったので近くの客も何人か巻き添えを食う。まぁ多少は良いだろう。人質は未だ未だ居る。
其の銃が火を吹くより先に罅が回って皆粉々になった。
そんな鉄屑、威嚇にすらならない。化物の方が余っ程恐ろしくて怖い。
此の後起こる事は分かっている。だから私はそっと耳を伏せた。
「う、うわぁあぁああ!!こ、殺したぞ此奴!!」
「嫌ぁぁあ!死にたくない!早く行きなさいよっ!」
「や、やべぇ、退け!俺が先だ!」
我先にと蜘蛛の子を散らす様に人間が逃げ出す。入り口は私が居るから近寄れず、如何やら裏口へと向かっているらしい。
其処で銃声が数発上がった。如何やら奥からの様だが、数瞬遅れて悲鳴が上がる。
私を狙った物ではない。・・・噫、彼奴等も動いたのか。
「おーい、此処は出入り禁止だ。戻れ戻れ。其処で集まって座ってろ。」
肩から銃を下げて男が二人奥から戻って来た。外套に血が散っている。向こうも早速やったらしい。
準備が早い。私が直ぐ騒ぎを起こす事が分かっていたのか。
「俺達は金さえ貰えれば御前等を如何斯うしない。金額に因っちゃあ人質を減らしてもやる。だから馬鹿な事は考えんなよ。」
嘘吐きだ。そんな気ない癖に。
男に視線が集まっている内に現状を見て置く。此処からの死角は裏口と受付の奥のみ。壁に掛けてある案内図を見る限り階段も、金庫のある部屋以外は別の部屋も無い。仕切りで一応部屋を分けていると言った具合だ。
外見は大層立派だったが此の様子、支店か何かか?斯う言う所は全く利用しないから分からないが、警備も部屋の構造も甘過ぎる。抑あんな簡単に銃を持ち込んでも良いだなんて、此の街では合法なのだろうか、其とも彼の銃に何かを仕組んでいたのか。まぁ其の辺りは如何でも良い。でも只警備が脆い丈だとすると大した額は無い気がする。其か殺し其の物が目的だったりするのかも知れない。まぁそんなのは如何でも良い。私には関係のない事だ。
人質は十七人。客と職員が半々と言った所か。女子供も未だ居る。人質としてはまぁ申し分ないだろう。
ちらと視線を掠める物があった。注視すると職員の一人の手に拳銃が握られている。男を見る振りをして此方を狙っている?銃口は出鱈目だ。手も震えている。素人か、気を逸らして襲う気か。
分かっていれば早かった。自分と人質の間の空間を壊す。
其の瞬間銃が火を吹いた。だが放たれた弾丸は罅割れた空間に呑まれて砕け散る。
「え、あ・・・何、が、」
罅越しに男の目と合う。嫌いな目、私が恐いか?殺せなくて残念だったな。じゃあ死ぬのは御前だ。
「はぁ・・・言った傍からか。おい化物、其奴と横の女を殺せ。」
言われなくても。私に何かをするのなら其を返す丈、人間は常に傷を付けて来る。だから相応に返してやるんだ。
「っ、い、嫌だぁあ!!」
「な、何で私ま・・・っっ!!」
瞬時に男と客と思しき女に罅が入り、砕け散る。
残る罅に怯えて辺りの人間が息を殺して少しでも離れようと身を寄せ合う。
「良いか。流石の俺達も言う事聞かねぇ奴の面倒迄見れねぇ。邪魔するなら其奴ともう一人誰か殺す。良い子にしていれば良いんだ。簡単だろ。」
成程、群れる人間に良い手だ。責任感、自分の命は自分丈じゃない。其の縛りが、馬鹿な行動を慎重にさせる。
新しい発見だ。と言っても自分一体で強盗なんてしないだろうが。単独犯では此の手を使っても人質全員が立ち上がってしまう可能性がある。
でも心理を突くのは良い。威嚇や恐怖と言った直接的な物より効果がありそうだ。
実際男の言葉は響いた様で顔を上げていた何人かは俯き、嗚咽混じりの鳴き声も聞こえて来た。
罅が気持悪いのか吐きそうになっている者も居る。反撃される事は一応なさそうだ。
「良ーし、じゃあ金庫を開けて貰うぞ。職員が誰か一人・・・御前出来そうだな、此方に来い。」
「え、あ。・・・はい、出来ます、けど、」
暫く間を置き、全員が言葉の意味を良く噛み締めた所で突然男は一人の職員風の男を指名した。
・・・相談をさせず、手っ取り早くするのか。確かに早さは肝心だ。
感心していると一人の女が此方の揺れる尾を恐々見ていた。
隙を窺っている風でもない。物珍しさ故にみているのか。不愉快だ。
瞬間的に壊そうかと衝動に駆られるが、考えなしに動けば先の男の言葉の信憑性が無くなる。今は睨む丈で留めるしかない。
真黔な瞳に射抜かれたのを気付いたか、小さな悲鳴を呑み込んで即座に女は顔を伏せた。
・・・其で良い。今直ぐ殺される事丈は免れる。
然う斯うしている内にすっかり怯え切った様子の男が立ち上がり、受付の奥の金庫へ向かう。
自分は付いて行く必要が無いと踏み、見送っていたが、男の一人が視線を寄越した。
「おい化物、先ので俺達の後ろを護れるか。」
「・・・やって置く。」
つまりは先みたく彼奴等と人質の間に罅を入れて置けば良いのだろう。
一度にこんなに力を使うと後から疲れるが、然うも言っていられない。化物呼ばわりする彼奴等を護る義理も無いが、かと言って名乗る気もないし、仕方ないのだろう。化物に名前があるなんて思ってもいないんだ。
別に人質から目を放したりはしないのだからそんな不意打ちが来る事も無いのだが、断るのも面倒だ。
背を向けた男の背後の空間が罅割れる。
金庫へ向かっていた人質の男は震え上がってさっさと歩き始めた。奴等の姿は直ぐ見えなくなる。
順調だ。恐い位に。・・・彼奴のテストがこんな物で済むのか?
“ボスの歓迎は何時も手荒だからな。”
彼のギルドで会った気色悪い男の言葉を思い出した。気に入らないが、忠告は聞いた方が良い。・・・初対面の奴と銀行強盗の段階で手荒と言えば手荒だが。
暫くすると男達は戻って来た。
ぱっと見た所では分からないが、屹度コートの下に隠し持っているのだろう。
「良し、物は貰ったが外が騒がしいな。もう来やがったか。」
舌打ちをし乍ら男は締め切っていたカーテンを少し丈開けた。
パトカーが数台来ている。此以上時間を掛けると更に増えるだろう。
此処は路地に差し掛かりなので立地上未だ囲まれてはいない様だが。
自分も耳が良い御蔭で待つ丈だったにしても其位は把握出来ていた。
・・・今は裏口が透いている。逃げるとしたら其処だが、一体如何脱出するのだろうか。
まさか全員殺せなんて言わないよな。そんな大きな罅を入れてしまうと此処も無事では済まない。出来るか如何かも五分五分だ。
「じゃあ取り敢えず人質の半分は出してやる。」
意外だった。一体如何言う作戦なのだろうか。聞かされていない分可也不安だ。リスクしかない気がするが。もう自分は数人殺してしまっている。其の上顔を見られているんだ。正直見逃したくなんてない。でも此の手の荒事に関しては私より彼奴等の方が先輩だ。波風立てない為にも今は黙るしかない。
男は何人か、比率としては客の方が多いが、立たせてぞろぞろと裏口へ向かった。
「御前は此処でもう少し待ってろ。其奴等、良く見とけよ。」
「・・・分かった。」
六人・・・か。人質とは言え人間とこんな空間に長い事居たくはないな。外も大勢居ると思うとうんざりする。
・・・サイレンの音が煩い。如何して斯うも人間は無意味に群れて、けたたましく喚く事しか出来ないんだ。
溜息を付いて待機していると突然外の騒ぎが大きくなった。
人質が出たのか。本当に解放するとは。あんなに大勢、たった三人では見れないとそんな所だったのだろうが、でも解放する際に隙が出来そうで矢張り納得出来ない。何より私の顔が割れているんだ。
残った人質も其の騒ぎを聞いて慌しくきょろきょろしたり希望か落胆か顔色が変わった。そして此方を見遣っては又顔を下げる。
此奴等は・・・流石に解放はもうしないのだろう。こんなに簡単に命が選別されるなんて御前等も理不尽だな。同じ人間でもこんなに差別が生まれるのだから何だか不思議だ。
猶も待ち続けたが、一つ、嫌な予感が過った。
・・・遅過ぎないか、何故直ぐに戻って来ない。
解放する際も偉く掛かっているなとは思ったが、裏口方面からもう物音はしない。
・・・まさか、
不安が一気に膨れ上がり、慌てて窓掛を少し丈開けた。
警察と、保護された人質が見える。良く見ろ、良く見るんだ。
其の内に二人、小脇に外套を抱えている男が見えた。だが直ぐ人込みに紛れる。彼の顔、人質には居なかった筈。
まさか、
目を凝らそうとした所で人質だった客が此方の方を指差して喚いていた。
くそ、顔を見られた。状況は最悪だ。
彼の二人、人質に紛れて逃げたんだ。犯人の隙を付いて逃げたとでも言ったのだろうか。若しかしたら彼奴の選んだ人質はグルだったのかも知れない。何人も殺した凶悪犯は一人、後は人質として逃げて、群がった野次馬に隠れる。
若しかしたら警察の一部も加担していたのかも知れない。でないとこんな手際良く出来る物か。
まさか全身を隠していたのが其の為だったなんて、私は餌だった訳か。
騙されたなんて、今直ぐ彼奴等を殺してやりたいが然うすれば次は自分の番だ。
落ち着け、如何にかしないと。元はと言えば自分が悪い。
彼奴等に従う程度には信じていた。信じてしまっていた。大して計画を聞きもせず余裕振っていたのは自分だ。
ボスの言っていた気を付けろ、は此の事か。彼奴がそんな心配するなんて妙だとは思ったが、彼の時に聞く可きだったんだ。だから地図をあんなに出し渋っていたのか。
自分のみを信じるのだから、作戦を聞いて、自分で行動する可きだった。
人間と言葉を交わしたくなくて、煩わしがった結果が此か。
今頃、ボスは私を嗤っているのだろう。馬鹿な餓鬼だと、技術があっても頭が無ければ役立たずだ。
・・・落ち込むのも反省するのも怒るのも後だ。今は動揺を人質に悟られてはいけない。
何か、何か・・・、
普段こんな大事なんて起こさない。一体如何すれば、
考え込んでいると突然電話が鳴った。銀行の固定電話からだ。
・・・警察からか?一体人質は如何話している。単独なのはばれているのだろうか。強行突破されない為にも出ないといけない。・・・電話中も、気を付けないと。
ひそひそ話を始める人質を一度睨んで黙らせると電話を取った。
「・・・もう金は手に入っただろう。他に何を要求するんだ。」
何とも直球な切り出し方だった。警察なのだろうが酷く疲弊した様子だ。
此の街もどうせ、そんな治安は良くないのだろう。斯う言った事件は良くあるのかも知れない。
若しかしたらボスの息が掛かった奴かも知れないと言う考えも過ったが、今は極力希望を捨てよう。例え然うであっても一体如何助けてくれると言うんだ。
・・・自分でしないといけないんだ。出来なければ死ぬ丈だ。今迄、然うして来ただろう。
っ、あった、一つ丈方法。可也無茶なのは分かっている。全く落ち着けていない。でも此しか考え付かない。一か八か、もう行ける所迄行ってしまったんだ。堕ちる丈だ。
「然うだな。金を積んだヘリが欲しい。」
「・・・?餓鬼なのか?」
声が籠って何か話しているのが聞こえる。
余り情報は漏れていないのか?化物が居るとか、そんな話しか出ていないのかも知れない。
「ヘリ、脱出用だな。でも此処にはヘリポートも空地も無い。着陸は出来ないぞ。其に金は幾らが良いんだ。」
「銀行の傍に待機させてくれれば良い。後は此方でする。金額は任せる。其の額によって人質を解放する人数を変える。急げ。」
「分かった。用意するから大人しくしてくれ。」
電話は切れ、受話器を戻すと急いで人質の傍へと戻る。
思ったよりすんなりと要求が通った。ヘリがそんな簡単に調達出来るとは思えないのだが。
餓鬼だと思って甘く見られているのか。ヘリで逃げられる訳ないと思ったのか。何方でも良い。取り敢えずは前進だ。
でも実際警察の彼の対応、屹度慣れ切っているのだろう。斯う言う事件は頻繁にあるのかも知れない。言う通りにするから、此以上仕事を増やさないでくれ、然う言う意図が見て取れた。
世界は知らないが、此の国は割と人命を無視する傾向がある。自ら、然う、自滅しようとしている様な、不思議な国だ。然う言った類の法律も増えている然うだし、いかれているとしか思えない。
・・・私が言えた口ではないが。
噫、だとしたら少し厄介かも知れない。人質が居る限り、窓から離れれば狙撃もされずに均衡が保たれると思ったが、案外強行突破をされる可能性もある。人命より仕事だ。道に死体が転がっていても鼻で嗤う様な奴等だ。
早く、ヘリが来ると良いが。
心配が表に出ていたらしい。尾が知らず苛立たし気に振られていて人質の何人かが其の先を見詰めていた。
見世物じゃないんだ。じろじろ見るなと言いたい所だが、こんな状況では無理もないか。
落ち着け、今はそんな事、気にしている暇はない。
何度か手を握ったり開いたりする。・・・大丈夫、未だ力は使える。気分は余り良くないが打っ倒れる程じゃない。
「あっ・・・あの、そ、其の尻尾と羽って、」
人質の一人が何度も言い淀んで口を開く。
・・・好奇心が死因になる事もあると言う事を此奴は知らないのだろうか。
小さな眩暈を覚えて一つ頭を振る。
甲を揃えて尾を長くすると其の人質の目前迄伸ばした。
目と鼻の先で鋭利な鋒が光る。
此で一突きすれば其の顔に大穴が空いて、御望みとあらば其の能天気な頭を捥ぐ事も出来る。
人質は息を呑んで知らず背を伸ばした。
「生まれ付きだ。其が如何した。」
「あ・・・いや、何でも、あ、ありません。」
慌てた様に視線を下げたので尾を下ろしてやる。別に今殺す必要もない。
暫く耳を立たせて気配を窺っていたのだが、遠くからプロペラ音が聞こえて来た。
・・・早い。街に因って技術は天地霄壌の差があるが、此処が其処其処高い所で良かった。車すらない街も結構あったから心配だったが。
撃たれない様慎重に窓掛の隙間から外を見る。
上旻にヘリが待機している。高低差のあるビルや看板が隙間なくある所為で少し不安定そうだ。其に今日は凱風がある。陰霖が横薙ぎに払われて行く。
・・・そろそろやるか。
一つ息を付くと、早速ヘリの近く、裏口側の看板に罅を入れた。そして大まかな罅だった為に看板は大きな音を立てて崩れ去った。
攻撃と勘違いしたのだろう。ヘリは距離を取る為に入り口側へと移動する。其の隙にプロペラの何枚かに罅を入れた。
直ぐ様プロペラは壊れてしまい、操縦不能に陥って丁度入り口側へ集まっていた警察等に向け、突っ込む様に落ちて行った。
まさか金も積んでいたのだから落とされるとは思っていなかったのだろう。警察等は術を使う事も忘れて、其の儘ヘリに轢き殺される。肉の潰れる嫌な音と轟音が響き、拉げたパトカーのガソリンに引火したのか爆発した。
巻き込まれるとは夢にも思っていなかったのだろう野次馬も何人か焼き殺されてしまい、悲鳴が其処彼処で上がる。
人質も何が起きたのかと不安げに見渡す許りだ。
・・・もう此奴等に用はない、邪魔だ。
殺す、一人残さず。私一体が助かる為に。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す・・・。
人質等に罅が入り、全員絶望か将又失望かが入り混じった顔で此方を見て叫び始めた。
「い、嫌だぁぁまだ死にたく、」
「此の人殺しぃ!!」
「あぁ゛あぁ゛あ゛あ゛!!」
「きゃあぁあ助けて!御願いっ!!」
悲鳴の渦が沸き起こったが私は一瞥くれる事なく裏口の窓へと走る。
悲鳴が玻璃の割れる音に変わる頃には私は窓を突き破って外へと降り立った。
刺さる破片等気にしていられない。斬った顔は其の儘に視線を上げると数人の警察と目が合った。
「っ!?ま、まさか此奴が!」
「邪魔だ。」
銃を構えられるより先に壊す。
矢張り此方は手薄だ。此の儘強引に突っ切る。
翼を広げて地を蹴った。
ずっと畳んでいた所為で変な癖が付いてしまって動かし難い。我武者羅に羽搏かせて何とか低空飛行を安定させる。
「居たぞ!まさか飛ぶ気か?」
「っあぁああ!!う、撃ち落とせっ!」
「早過ぎる、此方だ!」
壊し乍ら、殺し乍ら逃げるが中々振り切れない。勝手を知らない街だ。行止りの一つでも見付かれば置き去りに出来るのに。
途端視界がふら付いた。いけない、此以上は、力を使い過ぎた。
少し気分が悪い。駄目だ、未だ逃げないと。
入り組んだ路地を幾つか曲がる。頃合を見計らって地を蹴り、一気に高度を上げた。
翼が軋む様に痛い。高度を上げるとスピードが落ちてしまう。陰霖で翼も重い。・・・一気に羽搏けっ!
「っぐ!!」
背中に鋭い痛み、翼がいかれたんじゃない。撃たれた、銃で。
気を失いそうになるが何とか堪えて一つのビルを飛び越す。
此で目からは逃れた。後は街を出る丈だ。
冷たい血が流れるのを感じ乍ら私は飛び続けた。
・・・・・
やっと・・・戻って来れた。
もうすっかり夕暉になってしまっている。弱々しく街灯が道を照らしていた。
陰霖は静かに降り続き、人気は殆どない。
今日はもう、何処かで休まないと。
力を使い過ぎた。気持悪い。其に初めての事が多過ぎて頭が付いて行かない。
あんなに一日に人間を殺したのは初めてだった。既に大罪を背負ってはいるがとんだ悪党になった物だ。
仕事と言うのが毎日こんな具合なら抜ける事を考えた方が良いのかも知れない。此の儘では死んでしまう。住処や食糧があっても命が無くては意味がない。
「っぐ、・・・。」
引き攣れた様な痛みが背中を刺し、足元がふら付く。
恐らく四発、撃たれている。余り深くないとは思うが、血が中々止まらないのが気になる。其の所為でオーバーコートが真黔に汚れてしまった。
弾は如何しようか・・・背中だと取り難過ぎる。尾で肉毎抉り取る事も出来るが、其は余りにも痛過ぎるし、当分動けなくなる。決心が付かない。
今回は放置した方が良いかも知れない。内臓を傷付けてもいけないし。
玻璃を抜く丈にして置こう。直ぐに大事にはならない筈。弾は又取り出せば良いんだ、痛い事には変わりないが、仕方ない。
「噫御帰り御疲れ様。」
驚いて顔を上げると今晁の彼の気持の悪い男だった。知らない間にギルドの近く迄来てしまったのか。別にもう今日寄るつもりはないが。
「嗤いに来たのか。忠告を碌に聞かなかったから。」
無視をしようかと思ったが、陰霖の中でも金に煌くじっと見詰める目につい漏らしてしまう。
男はきょとんとした顔を浮かべて自分の躯を一瞥した。
「何だよ其の言い方・・・っ!御前撃たれたのか!?直ぐ弾取らないと、」
オーバーコートの汚れに気付いて慌てて男は肩に手を置いた。
如何してそんな動揺をする。耳元で喚くな、此方は疲れているのに。
「取るって如何やって?医者に掛かれば剥製にされるか解剖に回される丈だ。放って置けば治る。」
手を払い除ける。行き成り触れられてしまったので悪寒が凄まじい。本格的に気持悪くなって来た。
「でも痛いだろ、俺の所来るか?下手だけど其位なら、」
「余計な御世話だ。何なんだ御前は先から。馴れ馴れしくて気持悪い。近寄るな。」
苛々する。心底腹が立つ。畳んでいた尾が離れ、地を擦った。
牙を向けると男は困った様に顔の前で手を払った。
「悪い、別に馬鹿にしたりとか、そんなんじゃないんだ。俺の悪い癖が出ちまったみたいだ。悪いな、只一寸心配だって丈なんだ。ホントだぜ此は。」
「化物の心配をするなんてとんだ身分だな。頼んだ覚えはない。」
「然う邪険にしないでくれよ。待ってた甲斐あったからさ、ちゃんと帰って来れて良かったよ。・・・本当はこんな仕事で褒めちゃ駄目なんだろうが。ほら、此でも食って元気になれよ。」
此奴は他者の話を聞かないのか・・・。牙を剥いているのにも関わらず苦笑気味に男は笑うとポケットから紐で縛られた紙の包みを出して勝手に私のオーバーコートのポケットに捩じ込んだ。
「何す・・・っ、」
身を捩ると背中が痛んでぎこちなくなる。段々頭も痺れて来て考えが纏まらない。
「何ってハムだって。結構奮発したんだぞ?今日は御前の歓迎日だからな。・・・散々な一日だったとは思うけどさ。」
「人から貰った物をおいそれと食うと思ってるのか。」
「じゃあ毒が入ってても何になるんだ?御前が何処で寝るのかなんて俺は知らないんだ。御前を殺した所で俺に得はねぇだろ。」
「・・・・・。」
言っている事は、まぁ正しかった。邪魔だから殺すのならこんな金を掛けて迄する必要はない。
でも納得は出来ない。此奴は何様のつもりだ。此方は化物だって言うのに餓鬼扱いか。
こんな最低な日の最後の最後でとんだ奴と出遭ってしまった物だ。
不図ポケットから微かに迚も良い肉の匂がした。疲れて食欲なんて無かったのに少し、御中が空いて来た。
ハムが如何言った味のする物か知らないが、肉を口にするのは此の一年で粗初めてに等しい。
こんな奴から貰った物なんて、と今直ぐ投げ捨ててしまいたいが、貴重な食べ物を態々捨てる必要も無いんじゃないかと言う誘惑が中々振り切れず、歯痒かった。
「飼い慣らそうとでも思っているのか?私は人間なんかに慣れ合うつもりはない。其の無駄な世話を焼きたいなら他を当たれ。」
声に力が入らない。怒鳴り付けてやろうと思っているのに。
立っているのも結構苦しい。早く、此処から去りたいのに。・・・彼の目が離さない。
「そんな下心はねぇけどさ、でも、化物は化物でも餓鬼には変わりねぇだろ。本当なら未だ御前は親に護って貰って、愛して貰って、幸せになってないといけない。こんな街に独りで生きないといけないのは間違ってるだろ。」
「・・・何だ其は。何でそんな事。御前に言われないといけないんだ。」
「勿論、先から疑われて許りだし、御前が見た目程餓鬼じゃねぇのは分かってるつもりだぜ。少なくともほいほい人に付いてっちまううちの子よりは賢い。今迄独りで生きて来れたのが其の証拠だ。だからちゃんと同僚としても見てるつもりだ。・・・ま、傷に障るから御喋りは此の位にしようぜ。只最後に一つ教えてくれ。」
「・・・何だ。」
「名前。じゃないと不便だろ。俺はナレー・リスト。御前は?」
「・・・・・。」
頭が痛くなる。本当何だ此奴。一人で喋り切って馬鹿みたい、否馬鹿其の物だ。
もう大儀だ。本当に疲れているんだ。こんな奴に何でそんな情報を渡さないといけない。
でも拒否すればもっと絡まり然うだ・・・。無視も然り、一番手っ取り早く此処から放れるには、言い成りになる事だ。感情より利益だ。今丈はプライドも黙ってくれる。用件が終われば此奴も大人しく帰る筈、でなければ消す丈だ。
「・・・セレ、セレ・ハクリューだ。」
「セレ、か。綺麗な良い名前だな。此から宜しく。んじゃ又仕事来たら出来れば俺と組んでくれよ。じゃあな。」
矢継ぎ早に然う言うと男は一つ嚏をして寒そうに震え乍ら陰霖の中駆けて行った。
・・・何だったんだ一体。言いたい事丈言って勝手に帰って行ったが。
でも、名前を聞かれたのも、呼ばれたのも初めての事だった。
「・・・・・。」
もう考えるのは止めだ。ギルドに顔を出すのも流石に後で良いだろう。
今は只、寝たい。色々あり過ぎた。
今日と言う日を生き残れた事を実感したい。
陰霖が降り続いている。一度丈、旻を仰いだ。
体温を奪って行く陰霖は余りにも冷たくて、今からもっと激しくなりそうだった。
・・・・・
次の日、私は朦朧とした意識の中で目を開けた。
もう昼頃なのだろう。陽光が地壢青を照らし、すっかり乾いていた。
晴れているのか。最悪だ。今日一日何も出来ない。こんな燦々と照ってしまうとオーバーコートを着込んだ姿は目立ってしまう。まぁ良い。何の道、今日は動けないんだ。此から長雨になる事を祈ろう。
未だ背中が引き攣れた様に痛む。此の様子じゃあ一週間は無理だ。弾は取り出せそうにないし、仕方ない。
慣れれば変わるだろうが、こんなダメージが大きいと本気でギルド脱退を考える。デメリットの方が大き過ぎる。抑慣れたくもない。あんな荒事、御免だ、二度と。
人間は嫌いだが、自ら進んで殺して行きたい訳でも根絶やしにしたい訳でもないだ。然うなれば何程清々するかとは思うが、面倒事は嫌いだ。願わくば人間が愚かにも同族で戦争を起こして自滅すれば良い。其処に私を巻き込むな。私は只静かに暮らしたいんだ。
・・・でも若しかしたら彼のボスの事だ。既に除名になっているのかも知れない。頭の悪い餓鬼は要らないと、捨てられたのかも知れない。
然うなれば私はさっさと此の街を出よう。昨日は殺し過ぎた。又幾つの恨みの種が蒔かれたか分からない。背中を刺される様な事態は避けたいし、其の影に怯えたくもない。
「やっと・・・見付けた。」
突然上がった声に緊張が走り、慌てて縮こまる。
しまった、若しかしたら尾の先端丈出ていたのかも知れない。一体誰なんだ。いや、誰でも良い、どうせ敵なんだ。可也不利だが如何にかしないと。
私が今居るのは芥捨場の横倒しにされた錆びたドラム缶の中だ。
覗き込まれれば目が合い、逃げ場はない。
昨日は疲れていたとは言え、もっと良い所を探す可きだった。せめて入り口をもっと隠す可きだった。瓦礫の中に潜り込んでも良かったのに。
警戒していると矢張り覗き込まれて一対の目と合う。だが其は見覚えのある目だった。
冥く燃える絳の瞳、然う、ボスの目だった。
知ってはいるが未だ安心は出来ない。如何して此処がばれたんだ。一体何の用事だ。
「出ろ・・・って嫌か。良い、じゃあ其の儘聞け。」
ボスは其の場で胡坐を掻いた。
顔は見えないが肩で息をしている。今日はそんな暑くはないが、まさか走り回ったのだろうか。
「先ずは一応、御疲れ様。報告は受けた。」
然う言ってボスは葉巻を吸い始めた。嫌な臭が立ち込めたので翼で口元を覆う。
「首か。其を伝える為に態々捜しに来たのか。御苦労な事だな。」
「そんな口が叩けるなら未だくたばりそうもないな。撃たれたのか。」
「・・・数発。自分が甘かった。此は其の戒めだろう。自分丈を信じれば良かったのに其の自覚が足りなかった。」
「もう反省したのか。じゃあ俺から注意する事はねぇな。だが一つ、俺の部下が勝手な事をしたな。俺の人選ミスだ。済まない。」
「・・・?何の事だ。初めから然う言う作戦だろう。餌に使われる事を知らなかった私のミスだ。」
「御前みたいな稀少種を態々餌に使うと思うか?此方が何丈探したか少しは其の苦労を知って欲しい物だ。」
・・・何の話をしているんだ。人間と言葉を真面に交わしたのは初めてだったから今迄疑問にすら思わなかったが、人間と私は常識も意識も感覚すらも全く違うのか?
ボスが謝るとは思わなかった。然う言う事をしない奴だと思っていたが、人の上に立つと言うのはそれなりの行動が求められるのかも知れない。でも何に対してなのかは分からない。
だったら其の誠意も言葉も、如何受け取れば良いのか分からない。
「然うか。御前は今迄独りだったから斯う言う事、教えねぇといけないのか。・・・面倒だな。」
紫煙が立ち籠める。煙たくないのだろうか。矢っ張り人間は理解出来ない。
「確かに御前を威嚇に使うとは言ったが、使い捨てにするつもりはなかった。流石の御前でも銀行強盗なんて余りにも人間染みた事を単身でした事はないだろ。技術はあっても経験が無いのは如何しようもない。未だ餓鬼なんだからな。そんな右も左も分からん奴をほっぽり出すなんてギルドの仲間としてはあってはいけない事だ。」
「何だ其・・・責任感か?連帯感か?そんなルールでもあるのか。」
「化物には無いのか。」
「馬鹿にするな。常識としては持っている。群れる仲間がいなかった丈だ。」
「御立派だな。流石化物。悍さが違う。此はルールだ。そんな物が無いと人間はチームワークを取れない劣等種に逆戻りするからな。俺達個人の力なんて知れてる。争い合って無様に滅びる丈だ。」
意外だ。中々興味深い話だ。
人間は幾つものグループと群を作る。其の上で私に見せる彼の残虐性は、人間が同族しか愛せない存在だからだと思っていたのだが、然うでもないらしい。
人間同士でも利益の為に啀み合って殺し合うのか。まぁ然うか。でないと孤児もホームレスも溢れ返ったりはしないだろうし、抑銀行強盗も起きない。
彼の残虐性は己以外の全てに向けられている。人間は其の醜さを自覚し乍らも如何する事も出来ない性として持ってしまっているのだ。
結局、自分の事しか考えられないんだ。群れる癖に。否、利益を得る為に群れるのだから其が終われば又啀み合うのか。そりゃあそんな奴等が作った世界が生き難くなるに決まっている。
散々見て来た筈なのに忘れていた。本当救い様の無い生き物だ。でも其の事が見えていなかった私も同罪なのかも知れない。
人間と化物、然うとしか見ていなかった。人間と人間の繋がり迄見ていられなかった。
「彼奴等には俺から言って置いた。もう今回みたいな目には遭わせねぇ。だから、未だ俺との契約を捨てないでくれ。」
「・・・・・。」
其は何だ?人間と話すのは何故斯うも疲れる。
若しかしたらボスは思ったより苦労したのかも知れない。彼の日出会ったのは偶然ではなかったのかも知れない。化物が街に居ると聞き付け、其の利用価値に気付いてしまったんだ。だって出会った彼の街は、ギルドのある此の街から大分離れている。
利益を見続ける奴の事だ。其の価値を存分に発揮する前に捨てるのは勿体無いと言う事かも知れない。
別にだからって全力で其に報いよう等とは勿論思わないが、手を抜くつもりはないにしても、結局は此奴も人間なんだ。
縋って来る様に何処となく奴が憐れに見えた気がしたのは其の焦りかも知れない。其でも矢っ張り、同情すらしないのだけれども。
黙した儘見詰めているとボスはポケットから何かを取り出した。金属音が僅かに発せられる。
「俺も約束は果たす。此は部屋の鍵だ。地図も付けたから如何するかは好きにしろ。」
そっと折り畳まれた紙と共に鍵が置かれた。何処にでもある鍵の様で、鈍くくすんで見えた。
「其と昨日の分け前、動けないだろうから取り敢えず食い物を買って来た。動ける様になったら顔を見せろ。」
そして次に紙袋を置かれる。質量がある様で草臥れた袋は少し不格好な形になっていた。
・・・随分と高く買ってくれた物だな、まさか本当に彼の約束を護るなんて。
其丈此奴は本気なのか。悪と名乗った丈はあるのかも知れない。
此の行為は其とは程遠い気もするが、其処は目を瞑る可きだろう。結局私が人を殺せば一緒なのだから。
「俺は割と忙しい身の上だ。だから今日限りだ、俺が出向くのは。次からは部下を通す。・・・変な気は起こすなよ。」
一つ疲れた様に息を付いてボスは立ち上がった。
「昨日の御前の判断と手段は中々面白かった。化物だからこそ為せるのもあるが、悪くない。次も其の調子で見せてくれ。俺は御前を鎖で繋ぐ気はない。好きに動け、そして俺に楽させろ。」
口早に然う告げるとボスは駆け足で去ってしまった。
忙しない奴だ。本当に忙しいらしい。こんな所に来るの事態リスクがあったのかも知れない。彼奴も相応の事をして行き延びて来たのなら、私と同じ様に多くの人間から怨まれているのだろう。
其でも来るなんて・・・良く分からない。私の為にだとしてもこんなの、非効率だ。私の働きなんて知れている。寧ろ彼は失敗だ。
若しかして未来への投資のつもりだろうか。鎖で繋がないだなんて言っていたが、笑えるな。結局は契約と報酬で、繋がりを作ろうとしているんじゃないか。
今迄に居た見世物小屋や研究所と然う変わらない。頸元の鎖が見えるか如何か丈だ。
・・・悪態許り付いても仕方ないな。人を嫌う余り面倒臭い根暗な皮肉屋になり果ててしまった。正直、助かったんだ。其にどんな意図が含まれていたとしても結果は同じだ。
食料と寝床が手に入った。十分立派じゃないか。
背中に刺激を与えない様に四足で上体を起こす。そして紙袋と鍵を引き寄せた。
食料は・・・結構入っている。パンと林檎と・・・水もある。此は助かる。
後は鍵をオーバーコートのポケットに入れて地図を見た。
噫此処なら分かる。ギルドの近くか。怪我が治ったら一寸行ってみよう。
・・・少し、動悸がする。否、ふわふわした此の感覚は・・・期待?
然うだ。久しく忘れていたけれども、私は嬉しいんだ。わくわくする。
一体どんな所なのか、未来に胸を膨らませられるのは迚も素敵な事だ。少なくとも、誰かを殺す事を考えたり、怨んだりするよりはずっとましだ。其は、余裕が出来たと言う事。今迄で一番、今の私は満ち足りていた。
怪我を除けば、食べ物も住む所もあって、然も未だ当てがある。
・・・悪くはないのかも知れない。勿論銀行強盗をした割には少な過ぎる見返りだが、でも悪くはない。もう少し丈彼のボスに付いて行っても良いんじゃないだろうか。
まあ一つ大きな問題があるとすれば又彼所に顔を出せば彼の気色の悪い男が声を掛けて来るんじゃないか、其を気にしないと行けない事が悒鬱だった。
・・・・・
序章はまぁそんな感じです。此の時はセレ未だ六、七歳位です。(え
最年少銀行強盗を狙いました。こんな簡単に出来ねぇよ!とか言わないで。今は未だ明かせないけれど此の世界にも此の世界のルールがあるんだよ、うん。ネタに困った訳でもないんだよ。
一応此の世界感は今の人間社会に魔術があったら、です。
屹度人間は今より独占欲や支配欲が勝ってぐちゃぐちゃになると思ったんです。夢見、憧れる力でも力は力ですからね。平和な力は全てを押し潰して平らに出来てしまう力であって、力と力の均衡が取れた時で、力が無い時ではないんですよね。
だから思い切ってめっちゃくちゃな世界にしました!わーい!
正確に本編で書いた事はありませんが、セレは享年十九歳。未だ十二年位暗い幼少時代が続くので気を引き締めて行きましょう。胸焼けがしない程度に。
あ、後今回も出てしまったNG集をちょこっと丈。えぇ、シリアスな話だろうと公開しますとも。
此で焔蜥精迄舐めろと言われたら如何しようか等と考えていたが、其は杞憂だったらしく、さっさとガルダは空いた焔蜥精とスプーンを机に置いた。
意味分からないですよね。此は筆者の別作品で焔蜥精さんを出した時に「サラ」で「焔蜥精」が出る様辞書登録をしたんですね。其の為「皿」と出したい丈だったのに全て見事に途轍もない変換をされてしまったと言う。
屹度世界に此の単語を登録したのは筆者丈でしょうね。因みに此のシーンはセレとガルダがいちゃいちゃしてアーンしている所だったんですが、彼の焔の塊を舐めるとか完全に拷問です。ガルダさん可也御怒りです。
「え、は!?オレ仲間に見捨てられてオカマに殺されんのか?は、う、嘘だろ、オイ、落ち着けって、えーっとえっと、オ、オレが悪かったから謝るから!」
カーディ君大混乱の回です。仲間だった筈が何時の間にかオカマになっていました。可也カオスな状況になっています。
・・・警察からか?一体人質は如何話している。単独なのはばれているのだろうか。強行突破されない為にも出ないといけない。・・・電話中も、気を付けないと。
ひそひそ話を始める人質を一度睨んで黙らせると電話を切った。
切るんかい、素で間違えました。銀行強盗のシーンですね。セレの謎の行動に警察も困った筈。
取り敢えずは此の位。未だあるので小出しにして行きます。では次回を御楽しみに。




