8次元 皓き懐い 曠野を駆けし次元Ⅱ
御疲れ様です、後編です。
長々と書いてますけれど、此の話、結構書き方悩んだんですよね。特に悩んだのが全編にあった筆者が打っ飛んだ、でも結構気に入っている御風呂のシーン(正し御色気はないと言う大誤算。)でのセレの回想。
・・・ロシアンルーレット、語彙が少ない筆者。代替語があれば良かったのに、しっくり来るのが無くて此に落ち着いたと言う・・・。悔しいです、セレの前世は地球だったのかよって思いました。
いや、一応考えてはいたんですよ。色々と、世界観を護るか、分かり易さを重視するか。結論としては此の物語は別世界の旅路を此の世界にも分かり易く翻訳した物だからあんな言葉がポンッと出て来るんですよ、と言う事にしました。(汚い逃げ口。)
あ、待ってください、石投げないで下さい。目を狙わないで下さい。此の設定は当初から考えてたんですよ!だから筆者のペンネームも其に因んでいるんです!(未だ理由は恥ずかしくて明かせないけれども。)
とまぁ言い訳は其の位にして、次は事務連絡みたいな物です。
今回から少しずつルビを減らそうかな、と思っています。余なのは勿論振るつもりですけれども、迄だとか、屹度とか、読めますよね?読めるよね!?と思ったんですよ、最近。結構一般的に出回っている漢字だし。
・・・正直な話、此等の単語の所為で校正に滅茶苦茶時間が掛かるんです。何時迄も、とか一々ルビを直さないと変な表示になるんですよ。誤字で断トツに多いのも此だし。趣味で書いてるんだからじっくりやれよ、と言うのも分かっているんですけれど、でも、四回も読み直しているのに、いるのにも関わらず未だ、未だ誤字が!
と言う訳で筆者の一身上の都合で申し訳ないですけれど、一部はルビが減っちゃいます。でも矢っ張此はないと読み難いよ、とか言ったコメント等がありましたら入れようと思います。取り敢えずは試験的に、です。
では長くなりましたが、後編、どうぞ。
「・・・其位かな、昔の事は。彼から色んな所に行って情報を集めて、セレちゃんって名前なんだって事とか、他にも色々、聞いたの。」
懐かしそうに目を細めて語ったドレミだが、其の表情は不思議な程に余り暗くはなかった。
辛かった事なのに、然う言う事もあったと言う風に。
自分に気を遣っている風ではなさそうだ。本当、彼女の其の過去との訣別、処世術は感心する許りだ。
「・・・話してくれて有難う。やっと色々と合点が行った。だから・・・その、」
自信と共に小さくなって行く声の不甲斐無さに自分は咳をして切り換える。
そんな自分の言葉を待ってかドレミは黙って此方を見ていた。
「御免なさい。ドレミや村の皆、姉を全て、全て奪って壊したのは私だ。今更だし、謝っても意味がないのは分かっている。償える限りは償うから、だから・・・、」
御免なさい、口を歪めて頭を下げる。
こんなんじゃあ全然足りないけれど、せめて懐いは伝えたかった。
自分が自分でいる内に。此の懐いは本物だと確信出来る内に。
数瞬息を呑む様な静寂を刻んだ後、突然ドレミに頭を小衝かれ、顔を上げてしまった。
顔を見ては悪いと波紋を閉じていた訳だが、思わぬ事態に文字通りとは行かないが目を白黒させてしまう。
「咲ってって言ったでしょ?変な顔しちゃって。ほら、もう陰霖降りそうなんだからそんな事で止まらないでよ。」
「そんな事って・・・、」
妙に晴々とした顔をするドレミについ食い下がってしまう。
「だって今セレちゃんは其の償いで何でも屋をしてるんでしょ?じゃあ十分だよ。ロッちゃんを助けてくれたし、ドレミの依頼を手伝ってくれたし、話も聞いてくれたし、もう十分過ぎる位だよ。ドレミ一人に此処迄しちゃっていたら皆に償うの、どんどん遅れちゃうよ。セレちゃんのしたい事が徒に延びちゃうよ。」
「然う・・・だけれど。」
正論なのかも知れないが、でも其って・・・。其に自分はもう償うしか一生はないんじゃないのか?死んではいけないのなら其しか道はないんじゃないのか?確かに常に其丈を考えるのは一寸無理な話だけれども。
「納得出来ない?うーん、じゃあ一個丈質問!其したらドレミの事はチャラにして良いから!ね!」
「し、質問って、其丈で・・・、」
有無を言わさないドレミの怒涛の言葉の荒波に酔いそうだった。
質問って何だ其。其の何処が償いなんだろうか。
「一つ丈聞きたかったから良いの!・・・彼の時の事、ドレミの事とか、村の・・・事とか。憶えているのかなって。其知りたかったの。だってほら、ドレミが会った時は何て言うか・・・言い難いけど正常じゃなかったって言うか。」
「噫其は・・・済まない。殆ど憶えていないんだ。彼の時の記憶は壊れていて・・・。何でしたのかもさっぱりなんだ。捜し物をしてた・・・らしいけれども。」
一番彼女が知りたいのであろう理由が、如何してもはっきりしない。何とも煮え切らない回答になってしまう。
「良かったぁ〜。其が心配だったんだよ。そっか、うんうん。」
「え、いや、一人で勝手に納得されても困るんだけれど、何が良かったんだ?訳とか知りたいんじゃないのか?」
せめて真実丈でも知らないと整理すら出来ない事なのだから。
「だって若し全部セレちゃん憶えていたらすっごく辛いじゃん。ドレミの村丈じゃないんでしょ?あんな地獄の全てを独りで見たのかと思うと。・・・うん、だから良かった。途切れ途切れでも気持悪くて嫌だとは思うけど、全てよりずっとマシだよ。だから良かったと思って。其丈だけど・・・ん?何か変な事言った?」
「あ・・・えっと、その、」
如何して質問が自分の為の質問なんだろう。
其は質問と言えるのだろうか。何て言うか・・・うーん。
そんな風に想ってくれて嬉しい様な擽ったい半面、理解出来なくてもやもやしてしまう。
だって黔日夢の次元は自分が故意か如何かは別にして起こした事だ。其の記憶がないのは罪を忘れるのと同義じゃあないのか。だとしたら其は酷い逃げで、其こそ世界を裏切る行為じゃないのか。生き残った者も、殺してしまった者も全てに対する否定と、破壊になるのではないのか。
忘れていて良かった?・・・分からない、矢っ張り分からないよドレミ。
「噫もう、又変な顔してる!ほら笑って笑って。・・・あ、然うだよ、暗い話してるから斯うなるんだよ!然うだ。ドレミとフレちゃんが会った時の話してあげる!そしたら一寸は元気になるでしょ?」
―其は・・・如何かな。―
苦笑いを含むローズの物言いにドレミはむっとする。
「だってロッちゃんがダブル眼鏡に進化した時の話とかしていたら長過ぎる壮絶なドラマの所為で一日潰しちゃうもん。其以外にセレちゃん知ってる人いないから良いの!」
―何で人の話しかする気ないの?―
「ゔ・・・だ、だってドレミの話しちゃったら・・・その、ね、分かるでしょ?」
―噫、そっか。気にしちゃうよね。然う言う所。―
な、何と。彼の子があんな御馬鹿な格好をしたのにはそれなりの経緯があったらしい。
然う言えばロレン、其の話一寸してくれたんだよなぁ。確か碧山を降りている時に。話の途中でドレミを見付けたから中断してしまったが、如何にもクライマックスな所で話が終わってしまったので其の話も聞きたいんだよな。
まぁ其は又の機会にしよう。ドレミとフレスの話も聞いてみたい。恐らくだけれど、其処から今のドレミがある気がするのだ。
「私も其の話を聞いてみたい。又話して貰う事になるけれど、良いか?ドレミ。」
「うん。ドンと来いだよ!幾らでも話しちゃうよ!」
何故か誇らし気に胸を叩く。懐い出す為、ドレミは少し上を向いた。
「彼はね、うん、然う。ドレミが色んな所へ行って、偶彼のギルドの上の崖に着いた時なの。・・・えっと、一年位前かな。」
・・・・・
「次の所は・・・と。わぁ凄い!ロー君も見て御覧!」
勾玉が絳い曦を放って崩れる。
然うして現れたローズは一度身震いして耳を立てた。
今は凪なのか薫風一つない。
コフィー達が降り立ったのはとある切り立った崖の上だった。其の先、端から丁度世界を分かつ様に横一文字に線が刻まれている。
其は滄溟と旻の境目だった。
今は夕暉なのか全てが絳く燃えていた。
紅鏡がないのは既に没しているからだろうか。もう半刻もしない内に此処は霄に包まれるのかも知れない。
―本当だ!凄く綺麗だね。滄溟なのかな此処。初めて来たね。・・・コフィー?―
ローズが頭を摺り寄せ、上目遣いにコフィーを見遣る。
今迄あんなに燥いでいたのに、今コフィーは何処か青褪めた顔で、口を歪めて滄溟を見ていたのだった。
絳・・・夕暉・・・焔・・・血。
噫綺麗なのに。此の景色と彼の日をだぶらせてしまって汚してしまう。何時の間に絳はこんな辛い色になってしまったんだろう。
堪らずコフィーは其の場にしゃがむと、不意に詠を諷い始めた。
其は姉ちゃんが最後にくれた詠。私の唯一彼の奥つ城から持ち帰った物。
何度も何度も彼の絳へ届く様に。
暫く静かに隣でローズは耳を傾けていたが、唐突に勾玉に戻るとコフィーの空いた手に収まった。
如何したのだろうかと詠を中断し、手の中の勾玉を見遣る。
然うしていると不意に視界が暗くなる。
顔を上げると何時の間にか一人の正女が立ってニコニコと満面の笑みを湛えていた。
そして其の正女は・・・、
「ね、ねねね姉ちゃん!?」
「ん?姉ちゃん?あ、若しかして迷子?こんな所へ一人で来ちゃ駄目でしょ。諷うのも良いけど、もう帰りなさい。」
そんな声も姉ちゃんそっくりで。
何処から如何見ても姉ちゃん本人だった。
え、何、何が起こってるの?
ロー君が勾玉になったのは人が来たからだろうけれど、今は傍に居て欲しかった。
え、本当今の状況、わっけ分かんないんだけど。
「本当?本当に姉ちゃんじゃないの?若しかして夢?」
緊急手段の現実逃避。勿論答えは其処になんてない。
「貴方みたいな妹がいたら可愛くて食べちゃうかも知れないけど、残念乍ら違うわ。期待に添えられなくて御免なさいね、ドレミちゃん。」
「ド、ドレミ?」
何其のだっさい名前・・・。
いや、抑名前なのだろうか。例えば擬音とか、此の地域独特の方言みたいな物で子供って意味だとか・・・。
私もう子供じゃないけど、絶対此の姉さん私の事子供扱いしてるもんね。まぁ此の形なら仕方ないか。
「何?何か不満?だって詠諷ってたでしょ?珍しい詠、異国の物みたいな。だから音階の上三つを取ってド・レ・ミ。」
「音階?音階ってダリメファサロセの事じゃないの?」
他にもあるのだろうか?全く思い当たらないけれど。
「あ、えと、うん。違うわ。そんな謎な呪文じゃなくて、確か・・・ドレミファ、ソ・・・ラシド。うん、此が音階よ。・・・若しかして本当に異国の子?」
姉さんは手を出してさっと私の髪に触れた。
其の手が僅かに頬にも触れる。
・・・温かい手だった。
余りに姉ちゃんに似ているからかついつい安堵してしまう。
まぁ悪い人じゃないんだろうけど、でも異国の子って私と此の人、然う変わんないと思うけど。見た目もだし、同じ言葉だし。
「うん、まぁそんな所。」
「ふーん?言えない訳があるみたいね。」
でも何だろう。
「こんな小さくて可愛い子が一人でこんな時間にこんな所うろついている訳・・・成程ね。」
何か・・・無理している様な?直感でしかないけど。
噫でも私が此処に居るのを不審がるのと同じで此の姉さんが此処に居るのも一寸変なんだ。
近くに家や人の気配はなさそうだし。若しかしたら此の姉さん、何かあって此処に来たのかな。
ちらと視線を手の中の勾玉へ向ける。勾玉は只絳い雫を湛える丈で答えてくれそうもない。其か私と同じで戸惑っているのかも。
「つまり貴方は家・・・あ、失礼。ストレート過ぎたわ。もっとオブラートに包んで言いましょう。我が家から駆落ち・・・して来たのでしょう。」
「ストレートに家出って言ってよ!」
キリッとしたキメ顔に全力の一喝を浴びせる。初対面の相手に怒鳴ったのは初めてだった。
あ、でも此の人、姉ちゃんと似てるし、変な事言ったのは向こうなんだからノーカウントだよね。
「え?本当に家出なの?え、やだ本当?何でなの?」
「・・・・・。」
面倒だなぁ・・・。
此の人、一体何なんだろう。
「あらあら黙りドレミちゃん?せーっかく此の私が、貴方の救世主になろうとしているのに。」
一寸屈んで目を合わせる彼女から顔を逸らす。見詰め返すには余りに澄んだ藍玉だったからだ。
彼の儘見ていたら全て見抜かれそう。
私の中の彼の血の様にこびり付いた絳い焔も、世界の罅も、本当の私も。
「ドレミちゃんは止めてよ。ちゃんとした名前があるんだから!変な綽名を付けないで。」
私が態と目を逸らしたのに彼女は相変わらずニコニコと愉しそうだった。
「でもリスタートするには新しい名にしないと。御母さんに見付かっちゃうかもよ。」
「え?リスタート?・・・って救世主って如何言う事?」
彼の化物を退治するとか?流石に其は無いか。
家出が如何転がったって化物退治にはならないよね。
「私今ね。坎帝の牙ってギルドに入ってるの。行く当てがないなら貴方来ない?嫌な事が吹き飛ぶ位とっても賑やかな所なのよ。マスターもOK出すだろうし、ずっと居ても良いからね。」
全く考えてもない話が突然舞い込んで来た。
此処の所ずっと根無し草の様な生活を続けて来たけれども其を一気にリスタート出来るのかも知れない。
故郷と別れ、旅を終え、姉と良く似た此の姉さんと一緒に賑やかなギルドへ入る。
何だか其は迚も楽しそうな予感がした。
何時かは・・・言わなければいけないだろう。
自分には為可き事があるのだと言う事を。其の為に今此処にいるんだと。
手の中の紅玉が温かに光るのを感じる。
「・・・姉さんは何て言うの?」
「私?私はフレスよ。宜しくドレミちゃん。」
良く耳に馴染んだ其の名を聞いて、初めて私は彼女と一緒に笑ったのだった。
・・・・・
「うんうん。彼から一年かー。長いね、意外と。」
感慨深気にドレミは何度か頷く。
対してセレは腕を組んで何か考えている素振りだった。先程からずっと然うしていたみたいで並んだローズは首を傾けてそんなセレの顔色を窺っていた。
「え、何セレちゃん。何か変な所あった?」
「ん、噫、いや、流石にローズと駆落ちと言うのは一寸・・・笑えないぞ。」
「え!?何其の感想!ビックアップする所其処だった?」
面白い顔をするドレミに一瞥呉れるとセレはある考えを打ち切った。大方目処は立ったんだ。後々確認する必要があるだろうが、今は取り敢えず良しとしよう。
「何だ。何か変な事言ったか?私は至って正論だと思ったんだが。」
態と首を傾けるとクスッとローズが含み笑いをする。
対するドレミが元気一杯に飛び跳ねる。重畳な事だ。良い玩具を見付けた。
「正論だって時と場合を選ばないと只の戯言だよ!何の為にドレミ話したか分かんなくなるよ!」
「まぁ私にとっては実に有益な話だったんだ。話してくれて有難な、ドレミ。」
「ドレミは全く納得出来てない!」
フーッと毛を逆立てた猫の様に憤慨するドレミに意味あり気な笑みを浮かべて見物する。
そんなセレの耳がぴくっと上を向く。鼻も少しひくつかせる。・・・陰霖の気配だ。
悪くない天気だがドレミは嫌がるだろうし、歩を進めた方が良いか。
「さてドレミ、此の儘話し込むのも良いが雨音に邪魔されたくないからな。続きは雨宿りしてからにしようか。」
「え?もう陰霖降っちゃうの?」
ドレミはフードを目深に被るとローズの背に跨った。
「じゃあ早く行っちゃおう。此処何もないから急がないと。」
悪戯っぽく笑ってドレミはローズの背を叩く。ローズが駆けるのと同時にセレも地を蹴る。ふわりと体が浮いた様に軽くなる。
歪な爪が突き破らない様に沓には注意して一歩足を出すとポツリと周りの嫩草が音を立てる。波紋に幾つもの小さな水晶の欠片の様な物が映る。
・・・此は直ぐ本降りになりそうだ。急がないと。
「ヒャッ!もう降って来ちゃった!ロー君急いで!」
―分かってる。でも僕が本気で走って付いて来れる?―
ちらとローズが此方を見遣る。四足ならまま自信はあるが、如何だろうな。
「努力はする。」
―然う、じゃあ行くよ!―
ドレミが小さく嚏をしたので俄然ローズは足に力を入れ、一気に蹴る。
追い付ける自信は無くても、尾を出して四足にしたり翼を出す様な不謹慎な事はすまいと誓ってセレも駆け出した。
・・・・・
暫く走っていると廃村が見えて来た。丁度窪地にあった其の村は可也荒れ果てて人の気配がしない。
真っ先にローズが其処に飛び込み、遅れてセレも続く。
本降りの中走って来たので水を吸ったオーバーコートが酷く重い。襤褸なので水が染み込んでしまい、すっかり冷たくなってしまった。
頭を二、三度振って水を飛ばす。ちらと見遣るとローズも同じ様に体を揺すって水を飛ばしていた。ドレミはローブを脱いでパタパタと振っている。
もう一度辺りを見遣ってセレは適当に座れそうな所に腰掛けた。
フゥ、と一息付く。陰霖は好きだが此の冷たさには慣れない。其に少し疲れた。
そんなセレに倣って隣にドレミが同じ様に座った。ローズは周りの臭を嗅いで適当にうろうろしている。
「ふぅ、取り敢えずは良かったぁ・・・ん!セレちゃんとっても冷たいよ!風邪ひいちゃうよ。」
肩が触れてドレミが驚きの声を上げる。余りに耳元だったのでつい耳を伏せてしまう。
「私は元々体温が低いんだ。だから大丈夫だ。気にするな。」
確かに寒いけれどオーバーコートを寄せていれば慣れるだろう、其の内。
「本当?でも寒いのは寒いでしょ?・・・良し!行けロー君!」
「キュー!」
突然ドレミが自分を指差して号令する。
其に応じて長屋の奥を見遣っていたローズはピンと耳を立て、セレに飛び掛かった。
「え?・・・ちょっ、おい!」
ローズに馬乗りされじたばたとセレは暴れるが如何せんローズは大きい。退いてくれる気配もないのでセレ一柱の力では如何にも退かせられなかった。
「一寸此は一体・・・ん。」
ローズを押し退けようと伸ばした手が彼の胸に触れ、我知らず瞠目する。
そ、そっか、此は・・・。
「モフモフだぁ!」
歓喜の声を上げるとヒシッと急にセレはローズに飛び付いた。
噫、凄い・・・。手に触れる背毛の柔らかさも異常だけれども、此の包み込む様な胸毛は反則だろう。其に此の温かさ、寝落ちするんじゃないかと思える至高の一品だった。もう寝ても良い。其も幸せに違いないのだから。
すっかりニコニコの笑みを浮かべてセレがローズに頬擦りする。ローズも気を良くしたのか四つの足を折ってペタッと腹這いになった。
思っていたより重くないのはセレに気を遣っているのだろうか。でも御蔭でセレはたんとモフモフを堪能し、喉の奥をゴロゴロ言わせていた。
ドレミもローズの尾を掴んでそっと撫でていたが、セレの如何しようもない腑抜けた笑みを見るとつい苦笑いしてしまう。
「あ、そだセレちゃん。然う言えば依頼って何なの?」
「んんーにゃんの事ぉー?」
「流石に其は腑抜け過ぎじゃない!?」
威厳と言うか畏怖の欠片も其の返事にはない。
矢っ張り見た目とかで人は判断しちゃいけない様だ。あんなに色んな所で話を聞き集めた彼女だってこんなある意味恐ろしい一面があるのだから。
ドレミは悟り切った顔で頷いていたが、現状は何も進んでいない事に思い当たった。
「で、依頼内容は何なの?何でセレちゃんはこんな所迄来たのか教えてよ。」
ロー君の背に攀じ登り、其の背からセレちゃんを見遣った。
然う言えば如何して彼女は手足にも繃帯をしているのだろう。姿を隠す為かも知れないけど握手の時難しそうだったから若しかしたら怪我しているのかも知れない。
彼の絳の日の後一体彼女に何があったのか。とっても興味があるけれど、何時か話してくれるかな。
「依頼?噫、忘れてた忘れてた。其はね・・・。確かねー。」
未だ緩み切っているけれども如何やら言語が伝わる程度には落ち着いて来た様だ。
「然うだよ依頼。早く教えてよ。ドレミも手伝えるかも知れないでしょ?」
然う急かすが当のセレはじっくり考えているのか口を閉ざした儘だ。繃帯の所為で目が見えないから如何言った沈黙か図り兼ねる。
セレちゃんがする様な仕事なのだから若しかして危険な事なのだろうか。だから話せないとか。例え然うであっても話して欲しい。
抑同行するのを許可してくれたのだから依頼内容を聞くのは当然だろう。其か守秘義務か。私は全く守らなかったけど。
―・・・ドレミ、寝ちゃってるみたい。―
「な、何其ー!!」
苦笑いを浮かべたローズの耳元でドレミの叫びが谺した。
―ドレミ、煩い。―
「あ、御免。でも其ってあり?何で此の状況で寝れる訳?」
―僕に聞かれても。―
羽耳を垂らしてローズは首を傾ける。視線を下ろすとしっかりと抱き付いたセレが健やかな寝息を立てていた。
凄く幸せ然うに喉の奥をクルクル言わせている。
―でも此は寝てるって言うより・・・。―
一寸困った顔をローズは浮かべる。だがドレミはそんな事露とも知らず、手を伸ばしてセレの頬を突いた。
ふにふにしている。結構柔らかい。
「セレちゃんセレちゃん、寝るのも良いけど、此処で寝るのは余り良くないと思うよ。」
汚いし寒いし濡れてるし、一応仕事中ではないのだろうか。
暫く足をパタパタさせてドレミはセレを見遣っていたが、不意にセレの笑みが消えた。
「誰か来た。」
小さく呟き起き上がったので慌ててローズが横へ飛び跳ねる。
突然の事だったのでドレミは其の背からずり落ちてしまった。
「痛ー。一寸行き成り何?依頼でも思い出したの?」
「あ。」
長屋の奥を見遣り乍らセレが間抜けな声を上げる。そして一寸困った様に頭を掻いた。
「然うだ。依頼内容は魔物退治だった。」
「え、一寸其って。」
ドレミが背のローズを見遣る。多分ローズが出た儘だと色々危ない気がするけれど。
「ロー君、早く勾玉に・・・。」
「わー!大きな狐さんだ!」
手遅れだったらしい。
長屋の奥の闇から一人の少年が駆けて来た。
齢は勇より少し幼い位か、其の少年は少し乱れた若草色の肩より少し許り長い髪をしており、瞳は滄溟色で陽光を受けた様にキラキラと輝いていた。肌は焼け、来ている長袖のシャツとゆったりとしたズボンは襤褸だったが其以上に幼さの残る顔は気色一点で晴々としていた。
そして其の少年は年相応の無邪気な笑みを只々浮かべ、ローズを興奮気味に見詰めていた。
斯うなっては仕方ない。まぁ思っていたより悪い事態ではないのだし、此処で話してしまおう。ビジネス開始だ。
「此処の者か?私はセレ・ハクリュー、次元龍屋の者だ。依頼があって此処迄来たんだが、何か知らないか?」
「はい!其のセレちゃんの付添のドレミです!此の子はロー君だよ宜しく!」
さっと手を挙げる元気なドレミに対し、ローズは尾を一度上げるのに留めた。無口を決め込むらしい。
自分の不手際とは言え、狐として遣り過ごせるかは微妙な所である。願わくば此の次元の狐が自分の知る其より遥かに大きい事を祈ろう。
「依頼?うーん、どっかで聞いた気がするけど。」
少年が今始めてセレ達に気付いた様で一寸後退る。
不審がられただろうか、形が形だもんなぁ・・・。もう一寸自然体に出来たら良いんだけれども。手足や目は隠さざるを得ないから難しい所だ。
「・・・あ、若しかして魔物退治してくれるの?其なら僕も聞いたよ!」
暫し逡巡し、少年が嬉しそうな声を上げる。良かった。取り敢えず警戒は解いて貰え然うだ。
「来てくれて有難う。僕は刹嵐(セツラン)って言うの。皆呼んで来るから待ってて!」
然う言い残し少年事刹嵐はばたばたと慌ただし気に奥の闇へと又駆けて行った。
其の後を少し眉を寄せる様にして只見詰めて居た。
「奥に皆居るのかな?其とも何処かに繋がっている?」
ドレミが一寸奥を覗くが外は例の天気で暗いので良く見えない様だった。此の中を良く彼の子は駆けて行った物だ。
―・・・で、僕は出ててもOKだったの?依頼内容気になるけど。―
「あ、然うだよセレちゃん。依頼内容教えてよ。今度こそ、ね。魔物退治って、どんな魔物なの?」
思い出した様にドレミが声を上げる。今度?前も聞いたか?そんな事。
「其なんだけれど、どんなのかは未だ分かってないんだ。最悪の可能性でない事を祈る丈で。」
最後は小声だ。実際然うなったら一体ドレミは如何するんだろう。
「そっかぁ。じゃあ特に対策もしていないんだね。其、凄い無謀と言うか、斯う言っちゃあ彼だけど無手っ法だね。でもまぁセレちゃん勁いし、大丈夫でしょ?其位。」
「確かに無謀なのは分かっているけれど、正直魔物との戦いは慣れていないし。」
勘は働くけれど躯が慣れていない気がする。村人の方が経験ある気がする。余り良い事ではない気がするけれど。如何も黔日夢の次元の時の経験は余り活かせてない様だ。並みの経験では無かった筈だけれども丗闇と半分にしたからか混ざったからか記憶と同じで如何も馴染まない。
「其に今の私は彼の時みたいな力は使えない気がするんだ。其の気になったら何処迄出来るかは分からないけれど、今はドレミの方が勁いと思うぞ。」
御世辞とかじゃなくて実際然う思う。だって彼の驚霆凄い痛かったから。突発的になら確かに自分は時々罅と言うか、世界を壊す力か良く分からない物が漏れ出る事もあるけれど操れているとは思わない。
正面からドレミと戦ったら勝てる自信は正直言ってない。御負けにローズ迄参戦したらモフモフで悶え死んでしまうだろう。・・・此は流石に冗談だけれど。
「え?そんな事ないよ。前だってセレちゃん結構機敏に動いていたし。・・・あ、然うだよ!此の前は本当に御免なさい!行き成りあんな大怪我させて。一番先に言わなきゃいけなかったのに。赦して欲しいとは言わないけど、前言いそびれちゃったから。」
慌てた様に大きく頭を下げるドレミ。抜かったか、其方へ話を進めたい訳じゃなかったんだが。
「其はもう良いと言っただろう。私を赦してくれた様に、私も同じ事を想うんだ。だから顔を上げてくれ。」
御返しのデコピンは控えた。額が割れないとも限らないからだ。
「んん・・・分かった。じゃあ怨みっこなしって事だね。」
悪戯っぽく笑うドレミに一寸逡巡する。さて、何が正解だろうか。
「否、其と此は話が別であってだな。」
「えー一寸セレちゃん!其は無いでしょ其はっ!」
からかってはぐらかす。何時も自分が使っている卑怯な手しか思い付かなかった。
跳んだり転がったりするドレミを見ていると長屋の奥が騒がしくなって来た。刹嵐が戻って来たのだろうか。
波紋を飛ばすと十数人の人影が見受けられた。一番小さくて一寸感じが違うのが刹嵐だろう。次元の主導者とも彼は違う気がするが、今一断定出来ない。
周りの者も然うだ。何だかはっきりした影が映らないが其が此の次元の特色なのかも知れない。
「あ、ほら皆来て!依頼を受けてくれた姉ちゃん達だよ。」
案の定と言うか小さく良く駆けっているのが刹嵐で、彼を筆頭に恐らく村人であろう何人かの大人が姿を現した。
「此はどうもどうも。話は刹嵐から聞きました。北の魔物を退治してくれるとか。」
一人の青年が手を出す。
暫し躊躇うとドレミがさっと前へ出て握手した。気を遣わせてしまって申し訳ない。
「はい、どうぞ宜しく。実際やるのは此方のセレちゃんだけどね。ドレミはサポート役だから。後此方はロー君。魔物には魔物と思って協力して貰ってるから其処ん所も宜しくって事で。」
依頼慣れしてる丈あってかあっさりと紹介して行くドレミ。すんなりローズも加えたからだろうか特に村人達は大きな反応を見せず、ちらと見遣る程度で済んだ。
「其は頼もしい。陰霖の中どうも有り難う御座います。今日は此の旻模様ですし、本日は此処に泊まって、明日討伐は御願いと言う事で良いでしょうか。」
「其が良いわ。疲れているだろうし、私達も準備しないといけないからね。」
各々に村人が声を掛ける。こんな風に歓迎された事なんてないので嬉しい様なむず痒い気がした。慣れない事は苦手だ。今日は特に其が多い気がする。
「準備?私達丈で行く訳ではないのか?斯う言っては悪いが見た所余り・・・戦える風には見えないが。」
「そりゃあ戦えないけど、二人と一匹では勝てないと思うぞ。別にあんた達を信用してない訳じゃあないが、彼奴は其丈手強いからな。」
「然うだよ。僕の家なんか一瞬で噛み砕かれたんだから。」
刹嵐が顔を出し、手で口の端を広げた。
「噛み砕くと言う事は彼か。依頼内容には無かったので余り対策はしていないが魔物は巨大なのか?」
「うん然う。でっかい狼。10mはあると思うよ。」
刹嵐は口を広げた儘歯をカチカチ言わせた。
成程、だから大きい狐、と言う事にしているローズに余り驚かなかったのか。
ふむ・・・とすると一番最悪な可能性は否定出来た様だ。幾ら姿が常人と異なっているからと言って家を噛み砕ける程自分の口は大きくない。そんな事をすれば顎が外れる。間違いなく。
「銀色の毛並だから見れば直ぐ其と分かるだろうよ。涼属性だしな。」
「ふーん。其は確かに中々手強然うだね。・・・如何する?セレちゃん。」
一応聞いてはくれたが如何するも何も此処で一晩世話になった方が良いだろう。自分としては陰霖が好きだが、だからと言って陰霖が戦いに向いているかと言えばそんな事は無い。特に今の様な土砂降りでは体力を無暗に奪われる許りだろう。ドレミ達が風邪をひいてはいけないし、備えを万全にする方がずっと建設的だ。一日位、魔物だって逃げたりはしないのだから。・・・襲って来るかは別として。
「・・・然うだな。だったら泊めて貰っても構わないか?出発は明日の晁と言う事で。」
「勿論!余り綺麗じゃなくて悪いけど、其で良かったら。」
飛び跳ねん許りに刹嵐が喜ぶ。
「然うね、向こうは特に雨漏りとか酷いし、毛布とか持って来るから此処に泊まりなさい。」
「噫其は有難い。因みに皆は何処で寝泊まりしているんだ?何処も此処の長屋みたいに崩れているの許りだったが・・・。」
「実は此の長屋、多目的用に使われてたんだよ。だから未だ奥があるの。結構広いから皆其処に居るよ。只でも今散らかってるからね。離れで悪いけど此処に泊まるのが割合良いと思うよ。」
「彼の魔物も昼間しか此処迄降りて来ないから大丈夫だろうし。」
「昼・・・か。大体何の位の頻度で其奴は現れるんだ?」
「うーん・・・四日・・・位、かな。明日で丁度四日目だから多分もう少し碧山の方へ行けば直ぐ会えると思うよ。」
「然うか、有難う。大体の事は分かった。取り敢えず明日行って、話は其からだな。」
「宜しく御願いします。」
「頼りにしてるからな、姉ちゃん達。」
村人達は又各々セレ達に声を掛けると長屋の奥へ戻って行った。
其を見送るとセレは床を少し払って其の場に腰掛けた。ドレミも其に倣ってちょこんと隣に座る。そんな二人の元へ緩り近付くのはローズだ。何気に背に刹嵐を乗せている。余り動物とか魔物の背に乗った事がないんだろう。嬉し然うに刹嵐はローズの背で跳ねていた。乱れた髪が突風に合った莽蒼の様に揺れる揺れる。
「あ、然うだ。もう夕刻だし、夕御飯持って来るね。」
言うや否や刹嵐はするするとローズの背から降り、急いで奥へ引っ込んでしまった。御構い無く、の御の字も言う暇なかった。
泊めてくれる上に御飯迄御馳走になるなんて、此処迄歓迎されると少し居心地が悪くなる。
刹嵐も村人も皆嬉しそうなんだから気に病まなくても良いと思うが、変に疑り深いのは止した方が良いだろうか。
所在なさ気に取り敢えずローズを撫でていると又直ぐ刹嵐が駆けて戻って来た。其の手には数枚の皿と黔い壺を持っている。
「はい此!シチューだよ。」
自分がモフモフを愛でていたと言うのに其の間に堂々と入り込むと刹嵐は壺を傾け、中に入っていたシチューを皿に盛って行った。
手早く二皿にスプーンも添え、ローズが物珍し気に近寄ったのを見てはっとした様に彼は手を止めた。
「あ・・・君もシチュー食べる?」
二、三度ローズが頷くのを見て、安心して刹嵐は盛付を再開する。
程なくして各々に皿を渡される。仄かに湯気が煙った。
「此は如何も済まない。有難く戴こう。」
一口分掬って口元へ・・・あ、熱い。一寸冷まそう。
「んー!此美味しい!初めて食べたけど良いね、此。」
自分が一所懸命にフーフーしていると言うのに、彼女はあっさりと其の難関を突破した。
くぅ、彼女は口内迄もが自分のより剛いのか。
「キーキィ!」
ローズも腹這いになって嬉し然うにペロペロしていた。凄い、シチューに舌突っ込むとか無理だ、絶対に。
やっと一口分が冷めたので食べてみる。・・・本当だ、此美味しい。自分の良く知っているシチューよりずっと具沢山だし、何より温かい。
「セレちゃんすっごく嬉し然う。ヘヘッ、何だかドレミも楽しくなっちゃう。」
「え、あ、そんなに腑抜けた顔していたか?私は。」
喜色満面でドレミは頷く。・・・何だか恥ずかしい。そんな顔に出ちゃったか。緩み過ぎにも程がある。
「口に合って良かったぁ、じゃあ僕向こうに居るから。何かあったら呼んでね。あ、毛布は後から持って来るから。」
又慌ただし気に刹嵐は闇へと駆けて行く。
本当、彼には感謝しないと。まさか依頼を受けた丈でこんな美味しい食事に在り付けるなんて。
「え、若しかしてセレちゃん熱いの駄目なの?えっと確か猫舌って言うんだっけ?」
未だにフーフーを繰り返している自分にドレミが問うて来る。
早くも彼女はシチューを半分程平らげていた。成程、一段落付いたと言う訳か。自分は未だ二口目だと言うのに。
「まぁ・・・然うだな。苦手だな。元から低体温だからかも知れないが。」
二口目を運ぶ。・・・うん、美味しい。
「えー何其可愛い!猫みたいなの、本当にいたんだ!ドレミ初めて見たよ。」
目をキラキラさせてドレミが乗って来た。
カワイイ?何だ其、自分が?そんな馬鹿な。自分の本来の姿を忘れてないか?そりゃあこんな形の奴なんて終ぞ事ないだろうが可愛いは違うぞ、うん。
「猫は可愛いと思うが、何故私を同じ括りにした?熱いのが駄目な丈だぞ。どっこも可愛くないぞ。無い無い、本当其は無いって。」
脳内の混乱は其の儘口を突き、ブンブンと手を激しく振る。
無いって、此は本当に。
「もー何よ、其の反応!ね、ね、此そんなに熱いならドレミ食べさせてあげようか?ドレミ姉ちゃんがフーフーして食べさせてあげるよ!」
・・・う、煩い。
なんだ其の反応。其方が何なんだよ。正直一寸付いて行けないんだが。
熱いのが駄目ってそんなに変?
困惑する自分に何故かわっくわくしているドレミ。見遣っていたローズは一頭噴き出している。
「・・・いや遠慮しよう。」
危ない気がする。何が、とは言えないけれど、勘が然う告げる。従おう。
「えー御願い一回丈!一回で良いから。ほらドレミのあげるから。」
言うや否やドレミはスプーンで一回掬って二、三回息を吹き掛けると此方に向けた。
・・・遣らないと駄目ですか?「いいえ」を押したら無限ループに入る奴ですか?ってか必須イベントですか?
一寸逡巡するが要は一度やってしまえば良いのだろう。其で彼女の気が収まるのなら致し方ない。
思い切ってパクリと一口。未だ一寸熱かったので口を窄める。やっぱりフーフー三回じゃ足りないよ。せめて倍はして欲しい。・・・って何時の間に此処迄階段上がったんだ。何か此、凄い友達感のする行為な気がする。あはは、うふふな感じ。気にしたら何か恥ずかしくなって来た。今はシチューの事丈考えよう。
「わぁ、ちゃんともぐもぐして食べるんだ。可愛い。」
暫くじっと自分の反応を見ていたドレミの開口一番が其だった。
え、何?又良く分からない事言われたけれど、もぐもぐしていたら可愛い?何処が可愛いポイントか全く分からない。
抑もぐもぐって如何言う事か分かっているのだろうか。自分のは特に然うだが、此の鋭利な牙で擦り潰したり、砕いたりする事ですよ?然う捉えると全く可愛い点見付からないんだけれど。
屹度ドレミの感性が特殊なんだろう。次元の特色かも知れない。然う思おう。
然う結論付けたセレは食事を再開する事にした。又スプーンで掬って息を何度か吹き掛ける。もう無心で食べる事にした。
其の様を又じっとドレミは見て譫言の様に可愛い可愛いと繰り返す。・・・無視した。自分には関係のない事だ。
不思議な空気が流れる中、セレが何とかシチューを完食したのと粗同時に又刹嵐がやって来た。足取りが先迄と違い随分緩やかなのは掲げている毛布の所為だろう。
「御待たせ。此に包まって寝ると良いよ。」
「噫、有難う。有難く使わせて貰うからな。」
セレが其を受け取るとニッと嬉しそうに刹嵐は笑い、さっさと皿と壺を集めて持って行ってしまった。
随分気が利く子だ。此は本当に助かる。
取り敢えず毛布を広げてみるとローズも包まれる位大きな毛布だった。うん、此なら温かそうだし、重畳だ。
陰霖に濡れてしまったし、さっさと寝てしまった方が良いだろう。毛布は丁度三枚あったので二枚を一人と一匹に手渡すと先に自分は包まる事にした。
「あ、セレちゃんもう直ぐ寝ちゃうの?じゃあドレミも寝ようかな。御出でロー君。」
ドレミが間を開け、自分の隣で横になるとローズがトコトコと自分と彼女の間にやって来てペタンと座った。
其の背には器用にもマントの様に毛布が乗っけてある。
何・・・だと。
添寝か?此は添寝なのか?抱き枕にして良いのか?ギューッとスリスリして良いのか?良いんだなっ!
はわわわ・・・と歓喜の余り口を戦慄かせていたセレは不意にローズに抱き付く。
其は如何やらローズも読んでいた様で、手足に動じず、只一度尾をはたりと落とした丈だった。
「じゃあセレちゃん御休みー。」
「噫御休みドレミ、ローズ。・・・はぁー。」
一度甘いとも取れる溜息を付くとセレは瞳を閉じた。余っ程気持良かったのか直ぐ規則的な小さな寝息を立て、喉を鳴らした。迚も幸せそうである。
ローズはちらとセレを見遣ると其の頬を何度か舐めた。擽ったいのかセレは首を竦めたが手はしっかりとローズを掴み、放す気配はない。
「えへへ、なぁんだ。矢っ張寝てる所も可愛いんじゃん。でもロー君、何でそんなペロペロしてるの?セレちゃん起きちゃうよ?」
顔を出して見遣るドレミにローズは一瞥もくれずセレの顔色を窺っていた。
―うーん。一寸心配になって。―
そんな返答とも取れない様な事を答えつつもローズは特に止めようとはしなかった。
・・・・・
「ん・・・っ。」
小さく伸びをして違和感に気付く。
あれ・・・自分は何をしていたっけ。確か横になってモフモ・・・ローズに抱き付いて至福を貪る儘に寝た気がする。
と言う事は今は晁か?でも何か変な・・・?
セレは波紋を飛ばし、少し首を傾けた。耳をピンと立てる。
何も・・・見えないし、聞こえない。一面真っ暗闇だ。
取り敢えず立とうとして又違和感。変な浮遊感と言うか・・・。
噫然うか、自分は寝てるんじゃない、立たされているんだ。
自分が床だと思っていたのは壁だった訳だ。道理で重力と言うか動き難かった訳だ。加えて投げていた両腕は上でしっかり固定されている。相変わらず波紋では何も見えないがピクリとも手が動く気配がない。
なんて事だ。寝ている間に何処かに連れて行かれたのだろうか。鎮魂の卒塔婆での嫌な思い出があるが、如何やら此処は彼所ではないらしい。だったら何処なんだろう。見当すら付かない。
ドレミやローズも近くに居ない様だし、一体何なんだろう。如何するのが正解だ?
丗闇に助言を乞おうとした所で彩が差す。
其は真紅の翼だった。何翼もの大きな鳥の様な翼が、緩り自分の背後から自分を包む様伸び上がる。波紋を又飛ばすと如何も翼は壁から生えている様で持ち主の姿は見えない。只さわさわと凱風も無いのに羽根が揺れる丈だ。
視界が絳一色になった所で今度は手に何かが触れる。
其が何か気付き、ビクリと躯が震える。
触れたのは何時の間にか現れた何匹もの大きな毒々し色を纏った蜈蚣だった。
蜈蚣は両腕を縦横無隅に這い回り、晒の隙間から入ろうとする。
其の際の悍ましさについ目を逸らそうとするが、波紋はしっかりと捉えた儘だ。
漆黔の肘先は未だ大丈夫だが、蜈蚣の足に逆刺でもついているのか皓い腕は細かな傷が幾つも付いてしまう。
刺す様な痛みが断続的に続く。魔術を放って追い払おうと思うが、唱が口を突く前に頭から霧散してしまう。霞み掛かった様に頭が鈍い。
「今日は随分揺れているね。だからほら、御覧。」
突然の声にハッとする。女性の、何処となく自分に似た声がした。でも主は見えない。
・・・待て、前もこんな事なかったか?何か似た経験しなかったか?
突然幾重もの自分を包んでいた翼の羽根一枚一枚が鋭利な刃になった。そして其が一斉に、一様に自分の方に向けられる。
嫌な予感がする。急いで身を捩るも蜈蚣は些とも退く気がなく、徒労に終わってしまう。
此の儘だと恐らく自分は・・・。
予想が的中に、釼と化した翼は自分の胸元から腹に掛けて幾本も突き刺さる。
「ガァアァアア!!」
断末魔にも似た声が迸る。一刹那遅れて寸々となった胴から漆黔の血が一気に溢れた。
だが出るのは血許りで中身は洞になったかの様に何も零れない。千斬れないのが不思議な程大きく穿たれたのに・・・如何して。
代わりにそろそろと血塗れの翼が離れ、広がる。
「アァ・・・グ・・・ガ。」
血反吐を吐き、痛みに意識迄持って行かれそうになるが、蜈蚣の這い回る感覚に又意識を戻される。
痛い痛い、波紋が狂う。自分の姿もちゃんと見れない。足の感覚が冷え切ってすっかりなくなってしまう。
「ほら見て、目を逸らさないで。此は何?一体何だと思う?」
声に呼応する様に何かが洞になっていた筈の自分の腹から漏れ出るのを感じる。
其は内臓とか然う言った物ではなく、形容出来ない何か。
自分の波紋が乱れているからか正しい姿が分からない。只透明の塊だかスライムの様な物が緩り伸び上がっている。
何だ此は・・・自分は一体如何なっている?
「若しかしてそろそろ、化けの皮、剥がれ掛かってるんじゃない?無理矢理繕ったりするから。」
「何の・・・事だ。」
話し難い、息も満足に出来ない。血霧を吐き、咳き込んでしまう。
致命傷なのは分かっているのに、止血が出来ない所か何も考えられない。
寝たいのか、何処かへ行きたいのか、動けない、分からない、見えない、此から如何なるか分からない。
「本当はぜーんぶ、分かってる癖に。」
力が抜けて行く。まるで躯が玻璃になった様に。無機質に、そして罅の入って行く様な感覚が巡る。
此の儘だと壊れるのは・・・自分?
頭が働かない。見ている事しか出来ない。
自分の躯から出た其は此方を見て嗤った気がした。
声が、其に重なる。
「ねぇ、ほら。貴方には何色に見える?」
色なんてない。だって此は奪う丈の、色を持たない物なのだから。
視界がぼやけ、歪む。
何一つ分からず、何も出来ぬ儘に力なくセレの瞳は閉じられた。
・・・・・
「ッ!!・・・ハッハッハ・・・。」
跳び起きて胸元を押さえる。
息が荒く、苦しい。其でも何度か胸板や腹を叩いた。確認せずにはいられなかったのだ。
穴は・・・開いていない。罅もない。
手の晒が多少乱れている、其位だ。
「ハァー・・・良かった。」
深く溜息を付き、セレは頭を一つ振った。
良かった。先のは夢だった様だ。悪い夢。
晒を巻き直して息を整える。うん、手の傷もない。
何だったんだ彼の夢は。気味の悪い、本当悪趣味な物だった。
思い出し掛けて吐きそうになったので口元を押さえて留める。
若しかしたら今更なのかも知れないが、自分は又彼の絳の夢に居たのだろうか。
彼の姿其の物は見なかったが声と夢の感覚は彼の時と良く似ていた。
噫恐かった。恐い夢許り見せるなんて、彼もなんて意地の悪い。
本当、気持悪かった。
「クーゥ。」
小さな声がし、見遣ると隣で寝ていたローズが僅かに目を開けていた。
気遣わし気に闇の中で紅玉の瞳が揺れる。
そっと其の頭に手を置き、何度か撫でると安心してくれたのか緩りと其の瞳は閉じられた。
ローズを撫でている内に手に残る彼の悍ましさが薄れて行く。
然うだ、今が現実だ。彼は夢だったんだ。
今一度言い聞かせ、そっと立ち上がる。二度寝する気には到底なれなかった。ドレミも良く寝ているので起こさない様、そっと外へ向かう。
陰霖はすっかり止んでいる。
黄み掛かった皓い氷鏡が漆黔を支配する。
そろそろと足を外へ。光陰に照らされ、何処となく心地良さを感じる。
幽風も良い具合だ。晁は良く晴れるだろう。
本来の予定より随分と早起きしてしまったが、何の道したい事もあったし、良しとしよう。
暫く氷鏡を見上げた後、セレは一寸も見えぬ闇の中へ駆け出し、直ぐ其の景色に溶けて行った。
・・・・・
「セレちゃん晁だよ!起きて起きて!」
ドレミが仁王立ちし、元気一杯に声を張り上げる。
もう紅鏡も完全に姿を現している。もう少ししたら刹嵐達が来る頃だろう。
「聞いてるセレちゃん。何時迄もロー君にべったりしないでよ。」
「うーん・・・後五時間・・・。」
「然う、じゃあ・・・って待てないよ!御飯全部ドレミ食べちゃうよ!依頼もやっちゃうよ!セレちゃん置いて帰っちゃうよ!」
「じゃあ延長で・・・。」
「酷い!其は余だよセレちゃん!」
ドレミの必死の声も空しく彼女が起きる気配は残念乍らない。
セレは四肢でしっかりとローズに抱き付いており、此の上なく幸せそうな顔をしていた。怠け切っている。依頼をする気があるのだろうか。本当に五時間位なら寝てしまいそうだ。
「キュー・・・。」
困った様にローズは鳴くが、身動きが取れないらしい。しっかりと極められてしまったのか耳を上げ下げする許りだ。
「・・・仕方ないよね。ロー君、彼しようか。氷の奴。」
ドレミの提案にローズも頷く。今回は仕方ない。
―SI=7O―
ピクリとローズの体が震え、弾かれた様に姿が変わって行く。
体毛が伸び皓と水色交じりの物となる。背の鬣も一際伸び淡蒼に光る。其の背から氷の粒でも出ているのかキラキラと眩い物が散った。
「ヒッ!!」
刹那セレは両の手足を伸ばし、目にも止まらぬ速さで地を、壁を蹴り、ローズから距離を取った。
獣の様に四肢で立ち、迎撃の構えを取っている。そして気が一気に昂ぶったのかフーッと息を荒げている。
すっかり目が覚めた様だ。
「やっとセレちゃん起きたー。然も元気一杯だね。今なら屹度楽に依頼熟せると思うよ。」
「な、なな、何て残酷で卑劣な事をっ!あんな愛らしくてモフモフでフワフワな極上の一品を剰え私の一番苦手な氷にしてしまうなんて!一体何をしたらこんな仕打ちを受けるんだ。私が何をしたって言うんだ!」
声を荒げ、両手で天を仰ぐ大罪神がいた。其を何とも複雑そうな顔をしてドレミは見ていた。
何方が本当の彼女だろう?モフモフ狂がオーバーヒートしている今がある意味一番彼女の素なのかも知れない。
「寝坊したからだよ。ね、ロー君。」
―・・・うん、まぁ・・・でも御免ね。―
術を解き、ローズが身震いする。
本当だ全く。そんな一言で赦される物ではない。でも又フサフサになったローズを見遣ると恋しく思うのだから熟罪な、そして質の悪いモフモフだ。多分一生逆らえない。
「分かった分かった。私が悪かった。でも言訳をする様だがあんな手荒な事をしなくても時間が来れば起きるつもりだったんだぞ。此でも依頼中の身だ。」
「五時間後に、でしょ。」
苦笑を漏らすドレミ。はて五時間後?何の事だろう。ドレミの次元での受売りか慣用句なのだろうか?
「ほらほら、紅鏡もすっかり出てるし、今日は行けるでしょ。頑張ろうね、セレちゃん。」
「噫、然うだな。ちゃっちゃと済ませてしまおう。」
毛布を畳んでいると奥から足音がする。刹嵐だろうか。
試しに波紋を飛ばしてみると案の定、又手に壺と皿を持った刹嵐が此方へ向かっていた。
彼は恐らくも何も朝餉だろう。本当至れり尽くせりだ。何だか一寸申し訳ない。魔物一体に此処迄持て成してくれるなんて。豊か、と言う訳では勿論ないのに。
「皆さん御早う御座います!晁御飯持って来たので食べて下さい。昨日と同じメニューで悪いけど。」
「御早ー!ドレミ其大好きだから凄く嬉しいよ。シチューって言うんだよね。ちゃんと覚置かないと。」。」
ドレミが片手を挙げて立ち上がる。余っ程嬉しいのか駆ける様に刹嵐に近付いた。配膳でも手伝うつもりなのだろう。
「御早う刹嵐。じゃあ折角だし、此を食べたら直ぐ発とう。天気も良いし、早い内が良いだろう。」
「御願いします!」
威勢良い声で、ペコリと刹嵐は御辞儀をするのだった。
・・・・・
「さて、御飯も食べたし、早速皆で行こうよ!」
元気一杯のドレミは早く行きたいのか玄関を指差す。其の様はまるで幼子が楽しみにしていた遠足へ行こうと急かす様だ。
「あ、一寸待ってくれない?貴方は残って貰いたいと思っていたのだけど・・・。」
そんなドレミを済まなさそうに止めたのはセレ達が食事の最中にやって来た村人達の内、一人の正女だった。
十数人位が手に手に斧や釼、槍等の武器を携えている。只殆どが欠けていたりくすんでいたりと襤褸なので戦力として少し不安があるが、まぁ致し方ないだろう。
「え?え?何で?ドレミも戦う気満々なんだけど。有り余っちゃう位に。」
「うーん。でもなぁ、彼の魔物、此処迄来る事も度々あるんだよ。だから此処で全員が抜けるのは不安と言うか、正直俺達丈で彼奴を追い返せる自信も余りないんだよ。準備して言うのも彼なんだが。」
村人達の話を聞き、うーんとドレミは腕組をする。如何しても煮え切らないのだろう。
抑彼女は自分の依頼の同行をしたいと言っていたのだ。分かれてしまっては余り意味がない。
「・・・うー。まぁ仕方ないか。何かあったら怖いしね。」
「済まないなドレミ。一緒に行くって約束だったが。」
「ううん。気にしないで。実際何があるか分からないのは確かだし、万全に越した事は無いからね。」
「然う言ってくれると助かる。」
じっと様子を窺っていたローズが上目遣いにやって来たので屈んで其の頸元をわしゃわしゃと撫でる。
何度かローズが頬を舐めてくれたのでじんわりと温かくなって来た。血の気のなかった頬がほんのり朱に染まる。
「其じゃあ行こうよ御姉ちゃん。僕も頑張るから。」
刹嵐がオーバーコートの裾を引っ張る。反対の手には木製の釼が握られていた。
「ん?刹嵐も来るのか?」
「勿論!僕だって男だよ!」
然う言い残し胸を張って歩く刹嵐を先頭にぞろぞろと村人達が列を成し、長屋を出て行く。
自分も続こうと足を向けるが、ちらとドレミを見遣る。
「然うだドレミ、一応言って置こうと思うんだが・・・。」
「あ、大丈夫だよセレちゃん。ちゃんと分かってるからね。」
意味あり気にドレミが笑い掛け、ローズも尾をパタリと落とす。
「其よりセレちゃんこそ、気を付けてね。何かあったらドレミも直ぐ行くから。」
「然うか。・・・分かった。じゃあ行って来る。」
適当に手を振り、長屋を後にする。村人達はある空山に向け歩き出した。
頂が幽かに六花を乗せている。
涼属性の銀で大きな狼。
過る物があるが、まぁ実物を見てからだろう。
又寒い所だが致し方ない。気を引き締めて行こう。
セレはオーバーコートのポケットに手を入れると列に続くのだった。
・・・・・
空山に入って十分程。
針葉樹に囲まれた林の中を一行は黙々と歩いていた。元気に燥いでいるのは刹嵐位だ。
「ねぇねぇ御姉さんって何処から来たの?」
そしてずっとセレに引っ付いて質問攻めから中々彼女を開放しなかった。
「然うだな、ずっと遠い所だ。此処と違って溶岩とか紅炎とかが一杯な暑っ苦しい所だな。」
「凄い!何其、全然想像出来ないよ。あ、じゃあ此処、凄く寒いんじゃないの?大丈夫?」
「まぁ・・・確かに寒いな。」
ホーと息を吐く。幽かに皓い其は直ぐ景色に溶け込み、躯を温めてはくれない。
正直ポケットから手を出したくない寒さだ。肌寒いと言うか、行儀が悪いがもう少し斯うしていよう。
「其でも動く分には大丈夫だ。戦闘に入れば寒い暑いなんて関係ないしな。」
「へぇ、何だかかっこいい!遣り慣れてるって言うのかな?」
「所で刹嵐、今大体何の辺りなんだ?そろそろ・・・良い頃合いじゃないのか?」
「うん。もう直ぐだと思うよ。もう少し行けば六花も降ると思うし。」
ちらと刹嵐が旻を見上げる。何時の間にか又旻は曇っている。皓々しい旻は迚も寒そうだ。
「然うか。じゃあ此処にしよう。」
「何が?拠点って事?何処にも魔物、いないけど?」
首を傾げる刹嵐。其の双眸は曇り一つなく澄んだ滄溟色をしていた。
そんな彼の頸元に自分は手刀を向ける。
晒の下は釼と同じだ。
怪訝そうに刹嵐の眉が歪む。何事かと周りの村人達が振り返った。
「此以上歩くのも難だ。寒いのも嫌だし、此処で舞台を止めないか刹嵐。」
「何で・・・。」
小さく呟く声に耳を傾ける。呪文は唱えてないな。
「生憎私は舞が苦手だ。だからこんな茶番も仕舞にしよう。」
「・・・何で気付いたの?折角痛い思い、させない様にしようと思ったのに。」
俯き掛けていた顔を上げる。其の瞳に宿るは・・・蒼い嵐だ。
其が煌めいた刹那、彼の髪が乱れ舞う。
瞬時、セレは距離を取った。少し遅れて刹嵐の周りの地に亀裂が走る。
彼は狂風か。彼の儘だと腕を切り裂かれ兼ねなかった。
村人が各々の得物を掲げる。
矢張り皆グルだったか。酷いなぁ、初依頼が罠だなんて。遣る気が下がるだろう。
さわさわと髪が揺れ、刹嵐の方へ流れる。彼の足元の銀雪がさっと掬い上げられては流星の様に弧を描いて消えて行く。
本気だ。斃す気なのだろう。殺気が肌を刺す。
だが狂風が吹くのみで中々刹嵐は動こうとしない。先の答えを待っている様だ。
「何でって、彼は気付いてくれと言っている様な物じゃないか。魔物の襲撃は最近なのに家屋は随分風化しているし、私達が来た時、御前が真っ先に来ただろう?誰か不審な者が来たら大人が出る物を。だって例の魔物だったら如何するつもりだったんだ。不用心にも程がある。」
一気に言ってしまい、息を付く。そしてちらと辺りを見遣る。針葉樹は只華葉を狂風に揺らす丈だ。
「後はまぁ然うだな、彼の御馳走になったシチュー。彼の具になっていた物の殆どは此の村の付近には無かったんだ。いや、正しくは食べられる物が抑粗無いんだ、此処は。そりゃあ御前達が土でも食べるのなら話は別だが、ざっと昨夜20kmを散歩したが、何も・・・無かった。」
「噫なんだ。完璧だと思ってたのに随分と穴があったんだね。食糧の現地調達かぁ。全く考えてなかったよ。無理があったって事か。僕余頭良くないからね。」
苦笑して刹嵐はフーと一つ、溜息を付いた。
「じゃあ仕方ない。分が悪いけど、正面から行かせて貰うよ。」
狂風が旻を裂く様な音を立てる。彼の魔力が一段と高まるのが波紋に良く映った。
「待て、殺り合う前に自己紹介位したら如何だ?此の儘戦うのは腑に落ちないし。まぁ言う迄もなく鎮魂の卒塔婆の者だろうが。」
「其の通り。僕は鎮魂の卒塔婆、戦風の刹嵐。行くよ、セレ姉ちゃん。」
刹嵐の声に合わせ、其迄一切沈黙を保っていた村人達が一斉に躍り掛かった。
・・・・・
「あーあ、ドレミもセレちゃんと行きたかったなー。」
―仕方ないよドレミ。此は依頼なんだから。―
剥れて外を見遣るドレミにローズが擦り寄る。
数人の村人も所在なさ気に立ったり座ったりとしていた。
「あの此、御茶ですけど、飲みますか?気分がすっきりしますよ。」
「あ、有難う!丁度喉渇いてたんだー。そだ、外で飲んで良い?景色も良いし。」
何時の間にか近くに立っていた正女がドレミに一杯のコップを差し出した。
「えぇ、勿論。」
正女の返事を聞くか聞かないかの所でドレミは立ち上がり、茶を受け取った。ポンとローズの背を叩き、促す。
「んじゃ一寸丈出て来るね。」
適当に手を振り、ドレミは長屋から足を踏み出した。そして長屋から幾らか離れた何もない草原に腰掛けた。
遠くに見える恐らくセレが行ったであろう空山を見、溜息を付く。
薫風も良い、天気も快晴で景色も儘綺麗だ。だがドレミは只コップを揺らす丈で中々飲もうとはしなかった。
そして徐にローズの鼻先へコップを向ける。ローズは鼻をひくつかせると小さく嚏をした。
―入ってるね。此の感じは多分睡眠薬。―
「矢っ張りかぁ。まぁセレちゃんも勘付いていたし、罠かなぁとは思ったけど。」
―けど?―
ローズが片耳を上げる。対するドレミは意味もなく足を揺らした。
「子供扱いされているみたいでムカツク。此の借りはきっちり返すよローズ。」
ドレミはコップの中身を放ると今一度蒼旻を見上げた。
・・・・・
程なくしてドレミ達は長屋へ戻って来た。正女にコップを返し、適当な床に腰を下ろす。
そんな彼女の隣にローズも腹這いになって座ったのでドレミは彼に背を預けた。
温かくなって来たのもあり、ドレミは小さく伸びをすると薄く瞳を閉ざす。ローズも尾を揺らすと頭を落とし、紅玉の瞳を閉じた。
小さく寝息を立てる一人と一匹を先程の正女は只じっと見詰めていた。
其の間に長屋の奥に居た村人達もぞろぞろとやって来る。魔物も来ていないのに皆一様に手に手に武器を携えて。
暫く其の儘立ち止まっていた正女もそっと壁に立て掛けていた鉈を手に取った。そして黙ってドレミへと近付く。其の瞳に曦は無い。
正女はドレミの目前迄来ると重た気に其の絳錆びた鉈を振り上げた。
「搗ち上げろ犀霆。」
僅かにドレミの口が動き、瞬時に彼女の躯を曦の縷が包む。其は彼女の胸元に集まり、犀の様な獣の頭を形成する。
電気の爆ぜる様な咆哮を上げ、驚霆の犀は巨大な曦の角を振り上げる。其は正女の鉈に命中し、彼女の手を痺れさせて得物を遠くへ放った。
鉈が床に刺さり、高い金属音をさせる。其に重ねてもう一声丈吼えると驚霆の犀は姿を消した。
激しい驚霆が飛散する中、反目の儘ドレミは上体を起こした。其の口は横一文字に結ばれて不機嫌そうだ。
「・・・流石にドレミ、其処迄寝付きが良くないよ。子供じゃないし。」
―矢っ張其の形で言われても説得力無いと思うよ。―
むくりとローズも起き上がり、軽く一回転して思い切り正女の腹に尾を叩き付ける。
小さく呻いて正女は成す術なく吹っ飛ばされた。そして長屋の壁に叩き付けられると霞の様に消えてしまう。
「え、あれ。消えちゃった?逃げた訳じゃないよね?し、死んじゃった・・・とか。」
―何だろう・・・。幻かな?幻術の類とか。―
怪訝そうにする二人とは裏腹に村人達は押し黙った儘、只武器を構える丈だ。
其の双眸に先迄の曦や意思、感情は何も読み取れない気がした。
「皆やる気満々みたいだね。・・・フー、早く片付けてセレちゃんと合流しよう。何かあるなーって思ってたけど、まさか行き成り襲って来るとは思わなかったし。」
緩りとドレミが瞬くと其の黄玉の瞳の中で霆が走って砕けた。
其に気付いた何人かの村人が一斉に己が武器を掲げた。タイミングを計る気なのだろう。
「頼んだよロー君!」
―DF=8M―
唱えた言葉が水に溶ける。躯は水を溶かした様な淡い蒼に染められる。耳や鬣を水が象り、胸元を水であしらったかの様な蒼玉の飾りが現れる。そして湧き出る水の様に瞳の中央から蒼が溢れ、紅玉の瞳を蒼玉へと変えて行く。
姿が完全に整う前からローズは地を蹴り、同じ所をぐるぐると回り始めた。
ドレミが数歩下がり、オーバーコートを目深に被る。
ローズの回転が速くなり水と化した鬣から細かな水滴が散った。其は宙を漂い、キラキラと零星の様に煌めく。
「翻れ帳閃!」
両手を上げ、声高らかに。
両の拳に無数の曦が集まり、爆ぜた小さな飛電が水の瓊を伝い、次々と枝分かれして行く。
帳の様に、荒れ狂う瀧の様に蒼皓い曦の帯はドレミとローズを包み込んで広がった。
其は立ち竦む村人達を一気に呑み込み、一頻り爆ぜては散って行く。
曦が消え、目が慣れた頃には村人達の姿は影一つ無く、武器丈が残されていた。
元の姿に戻ったローズが一度辺りを見遣って匂を嗅ぐ。
他には・・・誰もいない様だ。
―大した事なかったけど、気味が悪かったね。其にしてもドレミ、随分張り切っていたね。水の鎧だったからピリピリしちゃったよ。―
一度身震いしてローズは壁を見遣る。壁は先程の驚霆の所為で大部分が崩れてしまっていた。他の支えが朽ちれば倒壊するのは時間の問題だろう。
「御免ねロー君、流石に一寸遣り過ぎちゃった。・・・だって頑張ってる人を騙したりなんて、絶対に赦せないんだから。ほら急いでセレちゃんの所へ行こ。大丈夫だとは思うけど、其でも心配だよ。」
―然うだね。行こうか。―
ドレミがローズの背に乗り、足速ローズは長屋から駆け出した。
―WF=11Y―
ローズの姿が翼を纏った其に代わり、ふわりと四肢が浮いた。
「ロー君!彼の空山だよ。飛んでって!」
旻が近くなった所でドレミがある空山を指差す。ローズは頷き一つで旻を掻き、一気に滑空して行った。
・・・・・
「何とも妙で怪奇な景色なのだ。」
窓から外を眺めていたハリーが独り立ちた。勿論窓はガルダに開けて貰った。
外は真皓な雲華が忙しなく動いていて地擦れ擦れ迄行ったと思えば天高く昇ったりとずっと見ていても飽きない物だった。
想像出来ない物は幻でも作れない。
感慨深気に髪の先を揺らしてハリーは雲華を見遣る。
「む、ガルダよ。用とやらは終わったのか。」
音を聞き付け振り返ると伸びをし乍らガルダが自室から出て来た。
「んーん。まぁ・・・然うだな。取り敢えずは。」
少し名残惜しそうに扉を見遣るが直ぐ視線を戻す。
ま、そんなもんだろう。俺が変わったからって彼奴も変わる訳ではない。一寸期待をした丈だ。
「ふむ。では如何するのだ?矢張り留守番なのか。」
窓辺を離れ、ハリーはソファーに座ろうと悪戦苦闘する。何をするにしても中々思い通りには行かない躯である。
「ま、そんな所だな。何方か一柱丈行くのも不安だし。」
今度は在らぬ方を向いてガルダは答える。哂ってしまう自信があったので頑なに。ハリーに視線を向けずに。
うーん、矢っ張りもっと神手が欲しい所だな。俺が行ってしまえばドアを開けると言う接客スキルを持たないハリーを店に残してしまうし、逆も又然りだ。
「仕方がない・・・のだな。余り今のセレを一柱にしたくはなかったのだが。・・・うむ、我はしっかり留守番とやらをしよう。セレが帰って来たら一番に出迎えるのだ。」
付いて行きたいのは山々だ。でも彼女から否定されては仕方ない、只待つ許りだ。
何とかソファーに腰掛け、意気込んでいた所で蛍ノ鈴が鳴った。
「む、客が居たのか。雲華に夢中で気付かなかったのだ。」
「待った甲斐があったな。」
良かったと頷くガルダの足元に小さな来訪者が転がり込んで来た。
「やぁガルダ君。久し振りに会いに来たよ。」
「饅・・・頭?」
呟きハリーは目をぱちくりとさせた。
其は何処から如何見ても紛う事なき饅頭だった。
抱え込むのに丁度良い位の大きさで、少し焦げの付いた薄茶色。サングラスをし、ニヤッと哂ってはいるが、矢張り何処を如何見ても美味しそうな饅頭だった。
「おぉmanju!久し振り。ささ座って座って。」
何事も無いかの様にガルダは然う饅頭に話し掛け、そっと抱えるとハリーの向かいのソファーに降ろした。
「・・・・・。」
何だ此は。喋る饅頭なんて初めて見た。一体如何なっているのだろう。然う言う種族なのだろうか。迚も気になる。
「フム。ワタシの部下は良くやってくれたかね?」
「噫勿論。居心地良いし。・・・あ然うだ。又増設、頼んでも良いか?此奴の部屋を作りたいんだよ。」
ガルダがちらとハリーを見遣った。ハリーは微動だにせず、只黙してじっと饅頭を見ている。
「此方こそ贔屓にして貰って嬉しいよ。と言う事は君は此の店の新神さんかな。見ない顔だ。」
其処で初めて饅頭はハリーを見遣った。二匹の視線が搗ち合う。
「然うだったな。龍族のハリーだ。つい此の間此方に来たんだ。」
「む・・・ガルダよ。我にもその・・・紹介をして欲しいのだが。」
少し困った様に上目遣いにガルダを見遣る。完全に置いてきぼりを食らいそうだった。
「ん?・・・あっ、ハハッ、悪い悪い。そっか、何も言ってなかったな。此の方は彼のT&Tの社長、manjuだ。此の家を造ったのもmanjuの部下なんだぜ。」
ガルダの紹介を受け、manjuは無い胸を反らしてサングラスをきらりと光らせる。
なんだか迚も偉そうで、何とも不思議な、威厳の様な気品が其処に在った。
「成程、迚も偉い方なのだな。して、何故饅頭なのだ?」
一番知りたい答えに辿り着けていなかったので此は聞くしかない。種族等を聞くのは不敬に当たるかも知れないが、其より気になって仕方ないのだ。
「manjuだよmanju。発音には気を付け給え。何故か・・・か。フム。ワタシはもう此の地に数億か其以上の数えるのも億劫な時を生きて来たが、此の姿は生まれたままの姿なのだよ。中は餡子や黒蜜、抹茶等が入っている。まぁ然う言う種族と思ってくれると良い。ワタシ以外の同族は恐らくいないがね。ハッハッハ。」
「・・・面白い話を聞けたのだ。矢張り世界は自分の目で見て聞く方がずっとずっと面白いのだ。又一つ勉強になったのだ。」
感慨深気にハリーは頷く。腕を組めなかったのは御愛嬌だ。
本当、世の中は不思議な物で満ちている。千年では迚も見切れないだろう。
「然う言えばガルダ君。後此処にはセレ君だったか。もう一柱所属していたと思うんだが、今は何処か出掛けられているのかな。」
「噫然うなんだよ。今依頼でどっかの次元に行ってるぜ。・・・無茶していないと良いけど。」
「然うか、一度会ってみたかったのだがな。君の話だと面白い方の様だし、興味はあったんだが。」
本気で落ち込んでいるのか視線を下ろす。若しかしたら其がメインで来てくれたのかと思うと迚も申し訳ない。
「悪いな、本当。何時帰るかもはっきり分からないし。・・・其にしても俺そんな面白可笑しく言ったっけ、セレの事。」
家を造って貰う際に確かに話したが、彼の時は未だ使命が使命だったし、セレとは未だちゃんと話してはいなかったのだから、其処迄詳しく話さなかった気がすんだけどな。
「何を言ってるんだガルダ君。此の短期間で君がこんなにも楽しそうにしているんだ。此も一重に彼女の御蔭だろう?だとしたら一体どんな方なのか興味が出るのも当たり前だろう。」
「あ・・・ん、うん、然うだな。今俺、未だ慣れてないから実感し難いんだけど、凄く幸せなんだと・・・思う。然も此からもっと楽しくなる予感がするんだ。此は確かにセレの御蔭かな。」
「うむ!我も其には同意するのだ。セレの御蔭で今の我がいる訳だしな。」
「ハハッ、然う言えば然うだったな。何て言うんだろ。未だそんなに話してない筈なのに、一緒に居たら安心するって言うか。何か気付いたら咲っちゃうんだよな。彼奴の傍に居ると。・・・って俺何話してんだろ。悪い、忘れてくれ。」
顔を赤らめ、無理にガルダが咳払いする。
勢いに任せて小恥ずかしい事を色々言ってしまった。・・・恥ずかしい。
「フフン、其を聞いては益々会いたくなって来たな。此のワタシにも久し振りに楽しみが出来た様だ。」
「噫、manjuにも紹介したかったなぁ。今彼奴、如何してるんだろ。」
物思いに耽る様、ガルダは開いた窓から其となく外を見る。
無理してないと良いけど。
二度目の呟きを漏らして、一つガルダは溜息を付くのだった。
・・・・・
「黔鍔!」
セレの手にずっしりとした八尺は有りそうな刃の大きい漆黔の釼が握られる。
片手では迚も扱えない。両手でしっかりと其を掴むと去なす様刃を背負う。
一際高い金属音がし、大釼に斧、釼、鋸と言った多種多様の凶器が重なる。
「っぐ・・・う。」
衝撃に片足が沈みそうになるが何とか堪え、刃を逸らす事で滑る様に力任せに其の背で斬払った。
四人程回避が間に合わず横一文字に裂かれて消えて行く。
「闇槊。」
刃を振るい。途切れ途切れに放たれる刹嵐の烈風を斬り裂く。すると徐々に刃は形を変え、随分と細くて長い槊と化す。
其を左前方に投擲。村人二人を同時に貫く。
「闇牙!」
休む間もなく、駆けると同時に右手に小刀を。
「鎌盧!」
小刀を走り寄る村人の胸に深々と突き刺すと同時に左手に闇に溶けた鎌を振るい、別の者の首を刎ねる。
間を縫う刹嵐の狂風は波紋に良く映るので背を逸らす丈で躱せてしまう。
噫分かる。分かってしまう。
躯が慣れている。勝手に動く。
如何すれば一撃で相手を屠れるのか、次の一撃は何か。
効率の良い殺し方を、舞う様に、死地へ誘う様に出来てしまう。
然うだ。此だ。此の感覚だ。
懐かしい。迚も懐かしい。此は屹度前世からの忌まわしい贈物だ。
「弱ってるって全然じゃないか。只の死霊に相手は無理そうだな。」
「死霊?」
レイピアを召還し、背後に居た者の脳天を突き刺す。村人は何も言わずに崩れ去る丈だ。
血も出ない、断末魔も上げない、人の形をしたモノ。
死霊、死者の魂・・・確かヒョウがそんな事を言わなかったか?死霊を操る奴がいるって。
でも村人と刹嵐の魔力は全く別の物だ。死霊の術を行使しているのは別の者だろう。
「・・・そろそろかな。頼んだよシルザー狼!」
「ガゥウァァ!!」
空気が震える程の吼え声が一声背後から響き渡る。振り返る間もなく巨大な皓銀の狼が現れた。然う、正に其の姿は依頼内容にあった魔物其の物だった。
絳色の瞳を有す三丈はあろうかと言う巨大な銀の狼。狼にしては此又大きく長い尾は吹雪の様に激しく揺れていた。
瞬時に地を蹴り、旻高くセレは宙返りを決める。既の所で人一人分はある様な大牙が掠め、狼の顎門が閉じられる。
捕らえ損ねたと分かると狼は四肢で一気にブレーキを掛けた。巻き添えを食らった残りの村人は掻き消えてしまったが、そんな事は御構い無く狼は頤を開けて未だ宙に留まっているセレを見遣った。
「まさか魔物迄仲間だったか。」
緩り着地し、一つ溜息。姿を見て確信する。彼の魔物は龍族のシルザー狼だ。
手懐けているのか将又ヒョウ宜しく操られているのか分からないが先程の言動からして刹嵐側と見て間違いないだろう。
龍と神。又此の組み合わせか。然も此方は一柱だし、今回は始めから本気の方が良いかも知れない。
瞳を閉じ、内に眠る魔力を呼び起こす。
黔い陰風が目元や腕、足の晒の隙間から流れ出る。其は小さな手の様に晒を解き、旻高くへと放って行く。
緩りと漆黔の瞳が色を増す。八翼の翼が陰風を受け、自由になる。
黔牙が口端から覗き、光った。
「仕掛けて来るよ。シルザー狼、掛かれ!」
「遅い。」
地を蹴り、一気に刹嵐の元へ地擦れ擦れに飛び掛かる。
「ガウウガッ!」
数瞬遅れて狼の丸太の様な腕が振り下ろされる。上旻から振る咆哮に気を取られない様、又一歩強く地を蹴る。今の四肢での速さなら幾ら狼でも追い付けないだろう。
肉厚なダガーの様なシルザー狼の爪を掻い潜り、刹嵐の目前迄駆ける。
此の事態は想定していなかったのだろう。只々驚愕の表情を浮かべる刹嵐は術も放たず、反射であろう両の手を前へ突き出していた。持っていたちゃちな釼はもう既に放ってある。
其処へ右手を振り翳し、一気に踏み込む。
一撃の元、沈めようとしたのは甘かったらしい。其の一振りは刹嵐の両腕に長い絳の斬れ目を入れるに留まった。
もう一撃入れようかと腕を振り上げる。だが背後で狼の牙が開かれたので急いで左へ回避する。
虎鋏みの様な大きな音を立て、空しくも狼の顎門は閉じられた。冰の牙が静かに響く。
「うわぁぁあ!!」
戦闘慣れしていないのだろう。流れ滴る両腕の血を見て刹嵐が絶叫する。
「っ!?」
其の声に合わせ、彼を中心に爆発的に溢れ出た魔力が烈風となって吹き荒れた。
シルザー狼が身を竦める程の突風だ。そんなの質量が凡そない自分に耐えられる訳がない。
軽々と吹き飛ばされ、旻高くに放られる。
翼が荒風を受け、はためく様広げられる。其で幾らかスピードが落ちた。何とか数丈程飛ばされる丈に留まった。
体重が無いのは斯う言う時不便だ。谺と冰は自分にとって相性が良いとは言えない。
余り離れると又荒風の餌食になるだろう。此処は距離を詰めて一気に攻め込んだ方が良い。
天を蹴り、急降下。翼で勁風を裂き、旋回して速さを増す。
「衲黔飄。」
黔い飆風が己を包む。此で互角だろう。
「ま、又来たっ!」
刹嵐は一歩下がり歯噛みする。シルザー狼も姿勢を低くし、小さく唸った。
狙うは刹嵐のみだ。動きが素人だし、龍族であるシルザー狼を余り傷付けたくない。
彼に近付く度、向かい風が強くなる。魔力が其の儘勁風となって吹いているのだろう。
其の狂風の塊に黔い飆風がぶつかり、混ざり合う。二つの飄風が交錯し、中和されて無風の空間が本の少し丈生まれる。
波紋で其の隙間を掴み、通り抜ける。
此でもう自分を邪魔出来ない筈だ。シルザー狼の攻撃が来る前にけりをつける。
驚き色をなくして又もや動きを止めた刹嵐へ左腕を下げる。其の腕に同じく漆黔の魔力が重なり集まった黔い縷の様な物が絡まる。
此の儘魔力を込めて手刀を突き刺せば流石に躱せまい。
「っ!?」
刹那、魔力が飛ぶ。
腕に纏った闇も、黔の勁風も、波紋迄も一斉に。
同時に急激な倦怠感と睡魔。
気絶にも近い感覚が過る。
何だ・・・此は。
色も形も失った。何も見えない感じない世界の中で、只々瞠目する。
息が苦しい。上手く吸えない。躯が冷え、バラバラになった様。まさか此は・・・。
又一刹那、突風が一気に吹き荒れ、脇を擦り抜ける。
違う、狂風が抜けているんじゃない。自分が吹き飛ばされているんだ。
何故かは分からないけれど、先の一瞬魔術が消し飛んでしまったから防ぐ物のなくなった自分は刹嵐の狂風の中に突っ込んでしまったのだろう。
狂風が勢いを増しているのだろう。頬や腕を薄く斬られる感覚が走る。冷たい血が一筋流れるのも。
でも未だ波紋が放てない。何もない空間を上をも下も分からずされるが儘に飛ばされてしまう。
此の儘だと・・・非常に不味い。
早く、早くっ、波紋を放て!彼の感覚を思い出せ!
ぎゅっと閉じていた瞳を大きく見開く。
其と同時に一気に波紋が放たれた。
「・・・え。」
只、映った物は絶望のみ。手遅れ、と言う言葉が咄嗟に過った。
其は大きく開かれた狼の顎門。
恐らく先にシルザー狼が自分の落下地点迄移動し、跳び上がったのだろう。目前には自分を易々と貫けそうな鋭い犬歯。背後には其を受け止める堅牢な牙の並んだ顎門。其の何方も冰で出来ており、冷たさが肌を刺す。
後は閉じられる丈の、其から逃れる術はない。
此の儘だと・・食われる!
「ガゥウウ!」
勢い良く顎門を閉じ、舞う様に軽やかにシルザー狼は着地した。
「う、上手く・・・行った?」
刹嵐の問い掛けに唸り乍ら狼が顔を向ける。
「嘘・・・だ、そんなの。」
固唾を飲み、刹嵐は我知らず後退った。
狼の口は完全には閉じられていなかった。僅かに開いた顎門の中でセレが片膝を付いて両の手を挙げて支えになっていたのだ。
「ウゥ・・・ウゥウ!」
一層シルザー狼が力を込めるが余り顎門は動かない。
「っ・・・重・・・い、っぐ。」
片腕を肘に乗せ、何とか支える。自分は頑丈な丈で筋力がある訳ではない。今持っているのは自分の手足が堅牢な漆黔の其に転じているからだ。でも此の儘だと肘か膝、何方かが割れてしまう。
「っ・・・あぐ。」
又重くなった。此以上は持たない。
手足が震えて痺れて来る。
駄目だ。此の儘だったらじり貧だ。
考えろ。何とかしろ。魔術を放ってでも脱出するか。
「シルザー狼、其の儘動かないで。今なら狙えるから。」
背後で刹嵐が此方に向け、片手を伸ばす。
不味い。今は防げる物なんてない。此では彼の狂風が直撃する。
運良く避ければ怪我で済むが其の後此奴に噛み殺されるのは明白だろう。魔術を使っても其の際又力が抜けたら、気が少しでも緩めば又然りだ。
一か八か、魔術を放ってシルザー狼と刹嵐の狂風、何方も弾けるだろうか。
「ギャゥウ!!」
突如、大きな揺れが襲う。
蹌踉めいたシルザー狼が顎門を開け、地響きを立てて成す術無く倒れ込んだ。
「何だ。一体何が・・・。」
急いで狼の口から逃れ、体勢を立て直す。倒れたシルザー狼の後ろに巨大な獣の影が映った。
―久シイナ貴殿ヨ。又見エルトハ嬉シイゾ。―
「御前は彼の時の。」
獣はロセスの次元で会った彼の銀の鎧の獅子だった。
―憶エテイテクレタノカ。貴殿ヲ見付ケタノハ良イ物ノ。取リ込ミ中ノ様ダッタノデ少シ邪魔サセテ貰ッタゾ。―
「然うだったのか、有難う。御蔭で助かった。色々話をしたいけれども、生憎今は戦闘中だからな。少し後にして貰っても良いか?」
―噫其ナラ恐ラク杞憂ダト思ウゾ。―
獅子が顎を上げる。
然う言えば先から波紋を見ていたがシルザー狼と刹嵐は別段動きがなかった。一体何をしているのだろう。
波紋に意識を集中させて気付く。一柱と一頭は身を固め、震えていたのだ。
「ウゥ・・・ウゥゥ。」
起き上がったシルザー狼が耳と尾を下げ、少しずつ下がって行く。
恐れているのだ。獅子を。でも一体如何して此処迄。まるで天敵に様に。
「次からと何なんだ一体。・・・し、仕方ない、か。」
歯噛みしつつも刹嵐が両の手を挙げた。
「・・・降伏する。だから頼む。命丈は助けてくれないか。まぁもう既に死んでいるけれども。」
「え、良い・・・のか?」
流れが急過ぎて掴めない。
斯う言っては何だがまさか獅子が来た丈で降伏迄するだろうか。獅子の勁さも知らないのに、つい先迄は明らかに向こうが優勢だったのに。
「な、何だ一体。急に如何して。」
―私ガ来タカラダロウ。―
弾かれた様に獅子を見遣る。其の瞳は静かに凪いでいた。諦めている様、達観している様に。
―前話シタ事ヲ憶エテイルダロウカ。私ハ丗ニ退ケラレタ者。其ノ呪イガ此ダ。丗ニ連ナル者ハ皆、私ヲ恐レルノダ。本能的ニ、関ワッテハナラヌ、ト。―
「然う・・・なのか?」
本能で恐れるって如何言う事なんだろう。何故自分は斯うも好意以外何も感じない?鈍いのか、其とも壊れているからか。自分が既に世界に嫌われた者だからか。
視線を刹嵐に戻す。
本当に戦意も削がれている様だし、此の分なら殺す事も無いか。
「分かった。私も此以上は攻撃しない。下手に怪我せず終わるなら良いだろう。其の降伏を受けよう。」
「よ・・・良かった。」
力が抜けたのか刹嵐は其の場にへたり込んだ。シルザー狼も伏せの体制を取った。後は只二柱共怯えた様な目で獅子を見る丈だ。当分は動かないだろう。
―フム。矢張リ貴殿ハ少シ変ワッテイル様ダ。相変ワラズ私ヲ恐レナイラシイ。貴殿ニ会ッテカラ此処二、三年程世界ヲ巡ッタガ同ジ反応ヲ示シタ者ハ他ニハイナカッタゾ。―
獅子が少し頭を下げ、視線を合わそうとする。
半身は鎧で半身は傷による刺青に覆われている。モフモフしたいが傷に障るだろうか。
「二年?・・・噫然うか。時間の流れが次元に因って違うんだったな。でも良く二年も前の事、憶えていたな。」
そろそろと近付いて鬣に手を伸ばす。彼は特に気にしていない様だ。もう少し、もう少し・・・。
―勿論ダトモ。此処何億デハ表セヌ時ヲ生キ、初メテダッタノダカラ。同族以外デ話セタ者ハ。私ハ迚モ嬉シイノダヨ。又貴殿ニ会エテ。―
「そ、其は・・・。然う言ってくれるのは嬉しいが、少し恥ずかしいな。」
純粋な好意は計り兼ねる。処理の仕方が分からない。
誤魔化す為に鬣を撫でる事にする。
此は・・・絹の様な手触り、見た目の割には強々していない。指がスルスルと抜けて行く。
うん、此は間違いなく合格点だ!モファンター認定、公認の歴としたモフモフ!
いや、モフモフと言うよりはサラサラか?でも気持ち良いには変わりない。・・・駄目かな。其の鬣に飛び込んじゃ駄目かな?余裕で包まれそうなんだけれど・・・。
ちらちらと顔色を窺うセレに獅子は微笑を漏らすと頤を上げた。
セレの手に握られていた一房の鬣が空しくも離れて行く。
―邪魔ヲシテモ悪イ。私ハソロソロ此処ヲ発トウ。デハ又ナ。―
「待ってくれ、そろそろなら先に名乗ってくれても良いんじゃないか?次に何て呼べば良いか困るだろう。」
―・・・然ウ、カ。・・・マァ然ウダナ。貴殿ノ言葉ハ一理アル。―
背を向け掛けていた獅子がくるりと首を廻らせた。其の瞳は思案の為か揺れていた。
―教エタイノハ山々ダガ、余リ私ノ事ハ知ラナイ方ガ良イノダヨ。会イタイト言ッテ置キ乍ラト思ワレルカモ知レナイガ知レバ引キ寄セテシマウカラナ。ダカラ・・・次ダ。次会ッタ時ニ話ソウ。三度モ縁ガアレバモウ話スモ話サヌモ大差ナイカラナ。―
「分かった。次だな。楽しみにしているぞ。」
微笑を漏らし、頷き一つで獅子は地を蹴った。軽々と天へ昇り詰め、あっと言う間に其の銀の姿は雲華に隠れてしまう。
然うだ。次の機会にもっとモフモフを堪能させて貰おう、然うしよう。・・・って彼奴、自分の姿見ても何も、言わなかったな。だのに自分だと気付いたのか。気付いてくれたんだ。
「さてと。用は粗方片付いたし、御前達の処遇を決めようか。」
くるりと振り返り、何歩か歩みを進める。
波紋で確認はしていたが、相変わらず刹嵐とシルザー狼は座り込んで小さくなっていた。
そんなに長い間固まっていたら躯が痛くならないのだろうか。まぁ寛げとは言わないけれど。動けなかった、が正確かな。
「本当、無謀な戦いを挑んだもんだね。弱った化物一匹だと思ったら仲間がいたし、ピンピンの化物二匹とか聞いてないよ。」
「おい、言い方には気を付けろよ。」
金の長髪が騒付き、揺れる。
嫌な言葉だ。嫌いだ。何丈言われても屹度此の言葉には慣れない。
分かってるんだ。姿よりも力よりも何よりも、本心が化物なんだって。でもだからって耳を塞いではいけないのか、逃げては駄目なのか、言訳は赦されないのか。
全て受け止めて耐えろ。矢張り皆が口を揃えて然う言うのだろうか。
若し一片の余地も隙間もありはしないのなら、自分は屹度・・・いや、だからこそ世界は自分を嫌うのかも知れない。
言外に何を感じたのかビクッと又刹嵐は縮こまる。でも其の瞳は不満気だ。
抑えろ。殺す必要はないと決めただろう。壊すな。悪いのは始めから自分なのだから。
「だって然うじゃないか。先の魔獣か何か知らないけど、彼と同じ位御前だって恐いじゃないか。勁いじゃないか!じゃあ何で止めちゃったんだよ。何で途中で、こんな中途半端に・・・。」
「止めたってまさか・・・黔日夢の次元の事か?」
「然うだよ。其以外に何があるってんだ。」
此方を見上げ、睨んだ彼の瞳は悔しさと怒りが混ざった物だった。
まさか黔日夢の次元の賛成派がいたとは。然もこんな子供の神が。
「如何してかは話して貰えるか?如何して彼を止めて欲しくなかったか。沢山死んだし、壊れた。もう元には戻らない。願いの為の殺しは仕方ないとは思っている。理屈で済ませられない。そんな程度で掴めない物があると。偽善でも独善だとしても。私には其以外の方法を知らなかったから。」
でも彼は無差別だ。黔日夢の次元に掛ける願いとすれば恐らく一つ丈・・・。
「皆殺し。其しかないだろ。セレ姉ちゃんは僕みたいに馬鹿じゃないんだろ。だったら其位察しろよ!まぁでも、昔話位ならしても良い。他に選択肢もないし、神になってもちっぽけな餓鬼の只の卦体な思い出だ。」
一つ息を吐き、刹嵐は視線を下ろす。そして緩りと手繰る様に語り始めた。
「抑僕には妹と姉がいた。前世からずっといた兄弟。親の顔も知らないで凄く貧乏だったけど、まぁ事故に捲き込まれて三人纏めて死んだのなんて神の話だと良くある事だと思う。」
壮絶な過去を一気に語る刹嵐。彼が話したいのは其の先なんだろう。神になってから、何があったのか。
「所でセレ姉ちゃんは迫間の国の事情って知ってるの?未だ神になって日は浅いよね?ざっくりになるけど、闇の国、オンルイオ国は無秩序で貧困が多い。対して光の国、ライネス国はまぁ治安も安定していて住み易いんだ。此は世界の光と闇の捉え方が反映されているらしいけど、僕は詳しい所迄は分からない。只神に成り立てだった僕らはライネス国へ行ったんだ。」
世界情勢、余りガルダからは聞いては無かったが、そんなにも激しい物なのか。まぁ色々な干渉力が集まった国やら街なのだから如実に出るのは道理か。
如何でも良いが自分達は何処の国に依存しているのだろう。T&Tだったか。彼の会社とか、買物って何処の国でしているんだろう。まさか・・・雑草料理然りで自給自足?
兎にも角にも二国の簡単な状況は分かった。若し路頭に迷ったら先ずは施しがあるかもと豊かな国へ行くのは当然だろう。でも刹嵐は鎮魂の卒塔婆、オンルイオ国の所属の筈だが・・・。
「何が・・・あったと思う?ライネス国に着いた途端。光の奴等に言われたんだよ。御前らみたいな薄鈍が足を踏み入れて良い所じゃないって。彼奴等馬鹿にしやがって。見せしめだとか制裁だとか適当な事を言って芥屑みたいに僕等の目の前で姉ちゃんを・・・刹那(セツナ)姉ちゃんを殺しやがったんだ。使命だとか如何でも良い。抑そんな最期があって堪るかっ!じゃあ何で姉ちゃんは神になったんだ。二度死ぬ為か!世界は何処迄無情なんだって思い知ったよ。」
想いの儘声を荒げる彼に声が掛けられなかった。
光の国、ライネス国だったか。行った事はないが何となく豊かな国であろうと想像出来た。光の国なのだから、温かな曦で満ちている国なのではと。でもそうだ。光にも色々な面がある。純粋の余り残酷な面も、眩しさに眩んで見誤る面も。光だから善、はないんだ。光は光、闇は闇。丗闇の闇を何処か温かに思う様に、フォードの光を恐れた様に。扱う者の心持次第なのだろう。・・・こんな事言ったら丗闇に怒られるだろうけれど。
「妹の刹刻(セッコク)も左目に石が入って失明した。僕も服の下には傷跡が幾つかある。其から僕等は必至でライネス国を出て、オンルイオ国に何とか辿り着いた。彼所は受け入れはすんなりとしてくれるからね。余り干渉もして来ないし。で、其処でフォードに拾って貰って、僕は鎮魂の卒塔婆で働かせてもらったんだ。其の時に聞いたんだ。セレ姉ちゃんの事。世界を壊す計画。あんな心が躍ったのは初めてだったかも知れない。此で姉ちゃんを殺し、僕らを蔑んだ奴等に復讐出来る!僕等が!彼奴等を殺せるって。偽善の光を塗り潰せるって。だのに、もう一寸だったのに、何で止めたんだよ!何も問題なかったじゃないか。其丈勁かったら彼奴等、殺せるだろ!僕はしたくても出来ないのにっ!」
其は屹度少し違う。フォードは初めから全て壊すつもりはなかったんだと思う。だから途中でガルダを送ったんだ。どんな意図が其処にあったのかは流石に分からないけれども、只単に世界を壊したい丈ではない気がする。別の・・・目的が。
でも、今は其は止そう。彼は聞きたいのはそんな事じゃない。自分についてなんだから。自分に、訴えているんだから。
「彼は・・・恐らく殺しが、壊す事が目的で起こした訳じゃないんだ。其は只の結果で、本当にしたかった事は・・・捜し物だったんだ。」
殺しが只の序で。そんな話、信じろと言う方が無理な話なのは重々承知だが。
「捜し物?・・・じゃあ其が見付かったから止めたのか?そんな事で黔日夢の次元を起こしたのか?」
少し拍子抜けした風で刹嵐が顔を上げる。理解が難しいか。
「其が分からないんだ。殆ど忘れてしまっているからな、彼の時の事。其に私にはもう彼の時程の力はない。此の程度の力じゃあ次元の一つも壊せないだろう。其に悪いが私は今の世界を此以上壊す気は到底ない。店をしているからな。だから御前達と敵対してしまっている訳だし。」
冷淡な言い方になるが仕方ない。ガルダ達との契りを違える訳にはいかない。
「じゃあ・・・本当にもう終わりなのか。彼の計画は、黔日夢の次元は。僕は仇、全く討ててないよ。こんなんじゃあ。」
「いや、黔日夢の次元は終わっていない。」
其の一言に弾かれた様に目を合わせた刹嵐だが、其の瞳に呑まれたのか直ぐ顔を背けた。
「幾ら私達が次元を正しても、其の間ににも崩壊は続いて行くだろう。少しずつでも。其が結局如何なってしまうかは分からないが、だから闇丈ではなく、全ての次元の者、次元の迫間の神も皆、私を憎んで殺しに来るだろう。勿論、光の神も。」
其が意図する事が読めないのか刹嵐は只黙っていた。
「別に私は御前には同情するが哀れみはしない。でも向かって来るのなら全て相手をする。逃げても願いは叶わないから。殺しも壊しも願いの為なら私は全うする。」
こんな自分でも、生きて欲しいと言ってくれた者の為に、自分は此からも屍を積む。世界の多くの者の願いを裏切る。
己の願いの為丈に。だから自分はこんなにも歪んでいて醜い。
「何方かが滅ぶ迄、屹度争いは止まないだろう。だから私は私の為に屹度、ライオス国も何れ壊すだろう。其丈の事をしたんだ。最期迄私は私の懐いを貫く。だから刹嵐。御前に其をする力がないのなら他の自分に出来る事を探せ。妹が、傷を負ったが未だ生きているんだろう。だったらこんな所で私や光の者に殺されて良いのか。御前の使命は其の程度か。」
一気に言って息を吐き出す。柄にもなく長々と話してしまった。然もこんな嘘や真の抜け殻が混ざり合った話をするなんて。
今の話が本当なら自分は黔日夢の次元を後悔していない事になる。世界に同情して置き乍ら、更なる破壊を、完全なる破壊を目論んでいる。・・・自分の本心って一体何処にあるのだろう。
―其が御前の覚悟か。―
脳内に響く自分に良く似た声。黔を孕む其の言葉は闇の神、丗闇の物だ。
―随分と歪んだ、然も恐らくは誰も受け入れてはくれないだろう願い。其は屹度赦される物ではないが、赦し等、最初から御前は求めていないのだろうな。―
独り言だろうか。丗闇も又珍しく流暢に話す。
―我の嫌う壊す行為を肯定し乍らも其の願いの勁さは否定するには惜しい。此から御前が何の道を行くのか。少し暇潰しが出来た様だな。―
頭の中を巣食っていた闇が晴れる。只の独り言だった様だ。でも彼は如何言う事だろう。認めてくれた・・・のかな。
少し丈、彼の神は自分の声を聴いてくれたのかな。
「・・・・・。」
暫く押し黙っていた刹嵐だが、徐に立ち上がると緩り顔を上げた。
「・・・分かった。僕は頭が良くないからね。其の話、其の儘信じる事にする。まぁ先も言ったけど僕にはもう此の選択肢しかないし、僕は手を引くよ。シルザー狼も僕が今回の計画に手懐けた丈だからセレ姉ちゃんの好きにしたら良い。でも彼奴等殺す迄は僕等にやられないでよね。」
少し困ったな様、呆れた様な面影は少し幼く見えた。肩の荷が下りたのだろう。
「勿論だ。噫然う言えば一つ教えてくれないか刹嵐。御前に村人の死霊を仕わせたのは誰だ。私は其の術者を探しているんだ。鎮魂の卒塔婆の者なのか?」
ヒョウの話からして其の術者は敵の可能性が高い。斯う少しずつ向こうから攻められる位なら先手を打ちたい。
「噫其なら分かるよ。彼の意地悪な兄さんだ。意地悪って言うより酷い奴だよ。名前は・・・あっ。」
何か思い出したのか口を噤む。逡巡し、視線を彷徨わせる。
暫くして小声乍らも又刹嵐は話し始めた。
「言っちゃいけない事になってるんだった。言ったら彼奴、刹刻に何するか分からないし。・・・御免。」
「いや、良い。どうせこんな手を使う奴だ。然う尻尾は掴めないだろう。」
「うーん・・・あ、じゃあ別の事、一つ丈教えてあげる。実は僕らの主、フォードも凄くライネス国を憎んでいるよ。彼も同じ光の犠牲者なんだ。確か兄がいて・・・詳しい事は忘れたけど。だからフォードの属性って僕達と違うって聞いた気もするけど、僕は新参者だし、良くは分からな・・・。」
言い終わるか如何かの所で二人の間に突如曦の柱が刺さる。其は巨大な稲光だ。
轟く様な激しい音が叩き付けられる。
「なっ、なな何!?」
驚き後退りする刹嵐と声を上げずともびくついたシルザー狼。自分は・・・御免。波紋がある。
「ドレミ、来てくれて有難う。此方は片付いた所だけれども其の様子だと其方も先ず先ずだったみたいだな。」
驚霆の落下地点に舞い降りたのは飛属性と化したローズとドレミだった。
ドレミはローズの背から降りるとセレの目前でビシッと仁王立ちをした。
「然うだよ!だから助太刀に来たんだけど・・・あれ、もう終わってる?」
ちらと振り返るとへたり込む刹嵐君と大きな狼さんが居た。狼さんが何処から来たのか知らないけど、何方も戦う気は無いみたい。
「さっすがセレちゃん!敵じゃないって感じだね。良かったー。」
ほっとするドレミに、何も言わず頭を寄せてくれるローズ。其の頭をわしゃわしゃと撫でる事にする。
何だろう此の感じ。安心すると言うか・・・元気に、なる様な。
然うか。ドレミの自分に対する接し方がガルダやハリー、勇達と又違うからだ。慣れないから分かり難いけれど友達と言うか・・・旧友と言うか・・・。
友達、と言う響きに少し照れ臭さを覚える。でも悪くない感じだった。
・・・あ、然う言えば翼とか尾、出しっ放しにしていたんだった。如何しよう、ドレミは嫌なんじゃないだろうか。でも急に隠したら目に付くし・・・。
「そ、然うだよ!行き成りドレミ姉ちゃんとローズが一緒にやって来たから僕の計画が狂ったんだよ!まぁ其抜きでも勝てなかったとは思うけど、話が違うよ。」
突然威勢よく吼え始めた刹嵐。だが未だ腰が引けている様だ。座った儘憤慨していると駄々っ子みたいだった。まぁ言っている事も惨めな言訳だしな。
神ではあるが中身も外見も幼いらしい。
「へへー吃驚したでしょ。然う、ドレミこそセレちゃんの裏でこっそりアシストする影のパトロン!ドレミだよ!」
謎の極めポーズをして然うあられもない事を嘯く。裏でこっそりアシストする影のパトロンにしては随分派手な登場だな。
だが刹嵐には何故か其が効いた様で驚愕の表情を浮かべ、反論すらしなかった。
「一寸ドレミ。」
その、何と言うか。其の冗談は乗りで言ったとしても自分としては余り面白くないって言うか、如何反応して良いか悩んでしまうのだが。
「兎に角、セレちゃんを苛めたら駄目なんだよ!此の様子だと歯も立たなかったみたいだし、理由は聞かないであげるからもうこんな事しちゃ駄目だよ。騙したり嘘ついたりするのはすっごく悪い事なんだから。」
「いやあの、だからドレミ。」
「・・・別に僕ももう其の気はないんだけど。勝てないのははっきり分かったし、大人しく帰るよ。其で良いでしょ。」
少し拗ねた様に刹嵐が上目遣いに見遣る。用は済んだのだからとっとと放してくれと言う事なのだろう。
「本当だね?約束だよ。破ったら子供だからってドレミ赦さないから。」
―子供に言われてもね。―
「えっと、一寸良いかドレ・・・。」
「噫もう!ロー君煩いし先からセレちゃん如何したの!うじうじしちゃってもう!」
元気一杯なドレミである。
「如何したってだって其処迄私の事庇わなくても良い貰うと言うか、いや、悪い気はしないんだが、寧ろ嬉しいが、でも、でもだぞ。その、ドレミみたいに皆が皆分かり切ってくれる訳じゃないし、ええっとだな、要は友達みたいに言って貰うのは・・・慣れてない、と言うか。」
しどろもどろになっても仕方ないじゃないか。苦手なんだ、斯う言うのは。
「・・・・・。」
きょとんとした顔でじっとドレミが此方を見詰めて来る。
そんなに見られたら・・・姿だって未だ戻していないのに。嫌だろうに。こんな姿を目に入れるのは。こんな禍々しい手足、異形の翼や尾なんて見て良い物じゃない。
「もーぅ!何でセレちゃんってそんなに可愛いの!そんな真赤になって否定しないでよ。萌えちゃうでしょ!もう何か其の姿も可愛く見えて来ちゃったよ。ギャップ萌えって言うの?其の慣れてない感じとか、其でも一所懸命な所とか、気持を持て余している所とかとか卑怯でしょ!」
・・・ハ?
何言ってんの此の子。何喜色満面で乙女モードに突入しているの。此の子なんて知らないし、此の子の言っている子が誰かも分からない。可愛い?本当ドレミの其の辺りの感性分かんないんだけれど。其に切り替え早過ぎるよ。何で此の姿が可愛く映っちゃったの。ドレミにとってトラウマじゃなかったの。其絶対眼科と脳外科と精神科に行った方が良いよ。入院レベルで。
もう心が悍いとか然う言う問題じゃないよ。尊敬を通り越して恐怖を覚える。
ヒートアップして飛び跳ねるドレミを見て呆れたのか刹嵐は一つ溜息を付いて立ち上がった。
「もう良い?今回は掛からなかったけど、その、騙して罠に嵌めて悪かったとは思うけど。セレ姉ちゃんは其をされる覚悟はあるんでしょ。じゃあもう言わない。ドレミ姉ちゃんの言ってる事は良く分からないけど。」
自分も其には強く同意します。
「良く分かんないのはドレミの方なんだけど。何で?友達だったら助けるの、当たり前じゃないの?」
「だ、だからドレミ、そんな事も無げに。」
―まぁ其がドレミなんだから認めなよ。―
焦る自分を宥める様ローズが尾を自分の足に寄せる。
で、でもそんな事言われてもさぁ・・・。
対する刹嵐は呆れを通り越したのかポカンとしていた。まぁ然うだよね。不思議だな。友達だと言ってくれるドレミより敵である彼の方が気持が分かるなんて。
大罪神を庇う理由が友達だからなんて、自分としては材料の一つにもならないと思ったけれど。然も先出来た許りの旧友でもない訳で。此処二、三日の内に自分を襲ったのは彼女な訳で。
「ふーん・・・。何かすっかり興が削がれちゃったな。僕、友達とかいなかったから然う言うの良く分かんないけど。まぁ好きにやってよ。先の願い、貫いてみせてよね。僕以外に何丈通用するか分かんないけど。」
立ち上がり服に付いた土を払うと挨拶もせず刹嵐は瓊林の中へ姿を消してしまった。
此の後彼は一体如何するのだろう。任務失敗には一体どんなペナルティがあるのだろうか。フォードの罰なんだし、矢っ張りきついのかな。
「後残るはシルザー狼、御前丈だな。」
セレに名指しされ、其迄伏せっていた狼の耳がピンと立つ。
此から如何なるのか分からず不安そうに其の双眸は蒼く透明に揺れる。
そんなシルザー狼の鼻先迄セレが行くと興味本意かローズも付いて来た。
「シルザー狼、私は別に御前を如何斯うする気は無い。私は若しかしたら刹嵐から聞いているかも知れないが、次元龍屋に所属するセレ・ハクリューだ。今回は御前も良く知っているリュウから依頼があって此処迄来た丈だ。」
リュウの名が出たからだろう。突然シルザーはガバッと起き上がり、じっとセレを見詰める。心做しか尾も振られていた。
「依頼内容は御前を次元の迫間迄行けるようリンクを作る事。もう刹嵐に因って道は出来ていると思うが、一応リュウに会いに行ってやってくれ。」
「ワゥ、ワッ!!」
一声鳴くと少し丈セレに鼻先を寄せてシルザー狼も又、瓊林の方へと駆けて行った。
「噫、モフモフが・・・。」
鼻先の毛が迚も柔らかそうだったので触れられなかったのが迚も、迚も悔やまれる。良し、今度リュウの所へ行くとしよう。屹度会える筈だ。いや、意地でも捜し出す。
―同族でも色々いるね。仲間探し、少し興味が出たかも。―
辺りの匂を嗅いでいたローズが独り言ちた。
「えっとセレちゃん。取り敢えず依頼は如何なったの?完了?」
少し首を傾げるドレミ。状況が初めと変わり過ぎたのだから無理もないか。
「然うだな。魔物は一応鎮めたし、依頼主もいなくなってしまったが完了かな。」
此の次元からは一切生命の気配もしないし、次元の主導者の気も感じない。終わってしまった次元なのだろう。其を終わらせたのが世界の摂理か、己の手に因る物なのかは今はもう定かではないけれども。
「ふーん。・・・何か一寸残念だったね。折角の仕事だったのに。」
「まぁ然う言う事もあるだろうな。私のする仕事だぞ。後味が良い物許りじゃないのは分かっていたんだ。噫でもドレミ、済まなかったな。面倒に巻き込んで。」
「皆弱かったから其は別に良いんだけど、ドレミがしたいって言ったんだし。でもあんな具合がセレちゃんの仕事なんだよね。何か凄いなー。全然違う所へ依頼があったら彼所此所行くんでしょ。ドレミ、其の移動の力はあるけど、そんな使い方はしなかったなー。ギルドのは近場許りだったし、斯う何て言うのかな、世界が広がる感じって良いよね。」
態とらしいと言うか、そんな独り言をつらつらと呟いて徒っぽくドレミは笑う。
「ねーセレちゃん。一個提案があるんだけど、良いかな?」
「?態々改まって如何した。」
ま、まさか・・・な。其は考え過ぎか。夢の見過ぎか。
「ドレミもセレちゃんの店で雇って下さい!」
「駄目だ。」
「ふぇ!?え、そんな即答!少しは考えてよ。ドレミ、少しは役に立つと思うよ。」
「あ、いや、済まない。まさかとは思っていたからつい本音が・・・。」
「より酷くなってるよセレちゃん!!」
おや、此の子も中々からかったら面白いぞ。いやまぁ此は質が悪いから早々に切り上げよう。
二人の急展開な会話にローズは黙って見守る。でも其の双眸は結果を逃すまいときょろきょろと忙しなかった。
あー其のクリクリとした瞳、本当可愛い、ハグしたい、モフモフしたい。
「済まない冗談だ。抑私に断る理由なんてない。大歓迎だ。でもそんな急に決めて良いのか?今回は良かったがそれなりに怪我等をするし、嫌な・・・光景をそれなりに目にすると思うぞ。其に私と四六時中顔を合わすと思うが、本当に良いのか?」
「仕事が危ないのって元からだし、嫌な光景も、其を元に戻すのも仕事の内なんでしょ?やる気しか出て来ないね。然もセレちゃんとずっと一緒にいられるって最高じゃん!友達といれたら何時でも楽しいよ。其にドレミはね、此の力、もっと上手に使いたいの。ギルドで仕事するのも良いけど、もっと大きな事、してみたいの。」
本気だ。彼女を此以上止めるのは野暮だろう。
「あ、でも言い忘れていたが給料は粗出ないぞ。住込みだし、休みもないし、保険もないし、ボランティア所かブラック企業も吃驚な待遇だぞ。まぁ其丈悍い意志があるなら此位何でもないと思うが。」
「え゛?」
「うんうん。其の顔は異論が無いと言う事だな。私は嬉しいぞ。」
一瞬何か揺らいだ気もするが気の所為だろう。彼女は本気だ。此の命を掛けた奉仕活動も全力で当たってくれる筈だ。
然うか。ドレミとローズが入ってくれるのか。其は良いな。神手不足も少しは解消出来るし、勁いし・・・。
「ってえぇ!?入るの!本当に!!入ってくれるのか!冗談じゃなくてっ!」
「もうセレちゃん鈍いししつこいよ!ドレミが入るの、何か不満でもあるの?言外に入るなって言われているのかなって気になるよ。ドレミは一度するって言ったら絶対するの!其が信条なんだから。」
其の割には自分を殺さないね、とは流石に言えなかった。
「・・・分かった。流石にもう言わない。驚霆降らされたら堪らないし、歓迎しよう。ドレミ、ローズ、此から宜しく。」
さて勝手に決めてしまったが店主のガルダやハリーに何と説明しようか。ガルダはまぁ・・・OKを出してくれるだろう。でもハリーは怒るだろうなぁ。まぁ何とか肉でもあげて鎮めよう。仲間が増えるのは良い事だ。何より認められたみたいで嬉しい。
「うん!此方こそ宜しく!」
さっとドレミに右手を取られる。勝手に握手されるが曖昧な反応をしてしまう。慣れていないし、今は直の黔の手で晒もしてないし、怪我しないか心配で気が気じゃない。
―僕も宜しく。まぁ基本的にはドレミの付き獣だと思うけど、精一杯するつもりだから。―
「噫勿論頼んだぞ。」
そっと反対の手でローズの背を叩く。うはっ、モフモフが!モフモフが自分の理性を邪魔する!
今直ぐ抱き付きたいけれど駄目?矢っ張駄目?
ってつまりは此から自分は一つ屋根の下でずっとモフモフと過ごせると言うのか!なんてイベントだ!ボーナスステージか!
「じゃあ先ずは坎帝の牙に脱退宣言しないと。直ぐ行って来て良い?やると決めたからにはさっさと済ませたいの。」
「別に構わない。序での用もあるし、私も一緒に行って良いか?私も其の移動魔術とか、使えるし、此の儘行くとしよう。」
「あ、然うだったの?分かった。じゃあ一緒に行こ!ローズ、御出で!」
ドレミが右手をローズへ差し出す。一度頷くとローズの躯は紅の勾玉へと転じ、ドレミの手に収まった。其を手早く紐で括ってドレミは首に掛ける。
其の間に自分も翼や尾を仕舞って晒を巻く事にする。成る可くは隠しておく可きだろう。今からギルドへ行くのだし。
「良し!じゃあセレちゃん行こう。一応別々の所に出ないよう手を繋ご。多分上手く行くよ。」
又自分の手を取ってドレミは嬉しそうだ。そんな顔を向けられると此方にも移ってしまう物だ。
次元から他次元へ行った事はないけれど、一応イメージ出来ている。上手く行く筈だ。
「準備は良いね。出発ー!」
ドレミの姿が霞む。其に釣られる様に自分も姿を崩す感覚が走った。
只手の温かさ丈覚えて、目を・・・閉じる。
・・・・・
海風を感じて波紋を飛ばす。其処は彼のギルドのある崖の目の前だった。背後では夕凪なのだろう。穏やかな細浪は囁く様な音を立てて弾ける丈だ。
暫く其の音を聞いているとドレミが手を離し、崖へと近付く。そして其の岩肌にそっと手を触れる。魔術が働いて緩りと岩が動き出した。開かれた真黔な洞窟に躊躇せずドレミは入って行く。自分も其の後に続いた。
幾らか歩いていると一気に視界が開け、ギルド、坎帝の牙に到着した。
どっと押し寄せる喧騒の歓迎を受け、日中にも関わらず人でごった返す中を掻き分け、何とかカウンターへ辿り着く。
「あードレミ、御帰り。どっか依頼行くの?」
「ええっと、一寸ね。脱退宣言をしたいの。」
「だ・・・脱退!?ちょっ、如何しちゃったのドレミちゃん急に!」
余りにも驚く受付の姉さんの所為で早速酒飲みの人集りがやって来た。
此は・・・酷く騒がしくなるぞ。
セレが首を竦めて備えていると其の肩を叩く者がいた。
居る事は分かっていたが、まさか向こうからコンタクトを取るとは思わなかった。
首を巡らすと背後に立っていたのはフレスだった。少し困った様な、悲しそうな、其でも何とか笑顔を作ったと言う体で。
「セレさん、少し二人丈で話、良いですか?」
「今か?でも今からドレミが・・・。」
「ドレミが何をしに帰って来たのか知っています。だからセレさんと話がしたいんです。」
「・・・・・。」
真直ぐ自分を見詰める藍玉の瞳が揺れ一つない。覚悟を決めているんだ。だったら話してくれるのかも知れない。自分の知りたかった事、確かめたかった事。
「分かった。じゃあ場所を移そう。何処か良い所はあるか?」
「だったら此の上の丘へ行きましょう。今は紅鏡が最も絳く染まる時だから。」
言うや否やフレスはギルドを出て行く。
背後の割れん許りの歓声を聞き乍ら自分も彼女に続いた。
・・・・・
「先ずは私の話を聞いてくれて有難う御座います。随分と勝手な話なのに受けて頂いて。」
薫風のない丘の上。ローズの瞳の様に真紅の紅鏡を背にフレスは頭を下げた。
此処なら細浪の音もしない。彼女の言葉丈が聞こえて来る。否応なく其の重さが伸し掛かって来た。
「別に。私も聞きたい事があったからな。都合が良い。大事な話なんだろう。実の妹にも聞かれたくない程の。」
「矢っ張り、気付いていましたか。折角一線を引く為に敢えて彼の子の事、ドレミって呼んでいたのに。」
少し目を見開き、苦笑を漏らす。困った様に長く持て余す髪を押さえた。
「神は前世が不幸な者が成るのだと言う。其の定義は私も良くは知らないが、あんな死に方をして幸せな訳がない。そんなにドレミを懐っていたのなら必然的に。」
「然うなんですよね。死んでも死に切れなくて、私気付いたら此処に倒れていたんです。其処をマスターに拾って貰って、まぁ現在ですね。」
「・・・本当に済まない。御前を危めてしまって、村も滅ぼして、ドレミにも酷い事をしてしまった。全て全て、御前達から奪ってしまった。」
頭を深く下げる。取り返しの効かない事をこんなにもやり過ぎてしまった。後戻り出来ない位に。跡が消えなくなる程、深く、冥く。
「本当に変わったんですね。まぁ彼の時は斯う緩り話す事も出来なかったですけど、如何か顔を上げて下さい。貴方の懐いはもうずっと前から受け取っています。彼は貴方がしたくてした事じゃなかった。只貴方の中の其の力と世界が釣り合わなかった。然う言う事ですよね。あんな事になるなんて、知らなかった。其丈です。」
手を組んで諭す様にフレスは告げる。迚も穏やかな声だった。
「・・・如何して御前もドレミも、私を責めないんだ。」
理不尽じゃないか。こんなにも一方的に殺されて、奪われて、どんな訳が其処にあっても赦せる事じゃない。其に本当の所は分からないじゃないか。自分自身が彼の時を憶えていないんだぞ。一体どんな懐いで殺したか、分からないじゃないか。
「然うね、御免なさい。貴方からしたら屹度責められる方が楽よね。優しさが罰になる程に傷付き、傷付けられてしまったもの。可哀相に。其の一端でも背負ってあげられないのが本当に悔やまれるのよ、私は。」
何を訳の分からない事を。御免なさい?可哀相?何方も自分に似つかわしくない言葉じゃないか。
何故そんな事を言う?責められるよりずっと重い其の言葉は本当に自分を蝕み、犯す毒だ。
「私だってそりゃあ基は人間よ。だから神になった最初は貴方を怨んだりした。でもね、考えたのよ色々と。彼の時の貴方の事を。其から何とか集めた貴方の近状の情報。其等を重ねてね、分かったのよ。貴方が責められる可きじゃないって。此は起こるべくして起こった、天災の様な物だったんだって。貴方に此の意味を伝えるのは迚も難しいけれど、只言えるのは私はもう貴方を怨んではいないと然う言う事よ。分かって貰えるかしら。」
「・・・もう言及しても無駄みたいだな。納得は出来ないけれども、其の懐いを曲げるのは無理そうだ。本当にドレミと姉妹なんだな。然う言う所は似ている。迚も。」
「其は強情な所?諦めが悪い所かしら。フフッ、そんな事言われたの久し振りだから何だか嬉しいわ。」
はにかんで咲う彼女を見遣る。其処に居るのは神ではなく、一人の妹思いな姉だった。
「そんなにドレミが好きなら何で打ち明けないんだ?自分は姉だと。ドレミは迚も後悔していた。黔日夢の次元の時、御前を置いて逃げた事を、迚も悔やんでいた。・・・彼の優しいドレミだ。一体何だけ哭いたか、私には想像出来ない。」
「後悔・・・如何してよ。もう決まっていた事なのに。ドレミは一つも悪くないわ。其なのに・・・本当、如何しようもなく馬鹿で優しい子なんだから。死人を其処迄懐うもんじゃないわ。過去なんだから。其に私、使命が終われば直ぐ消えちゃう身なんだから。・・・いや、割り切れたから貴方と行く事を選んだんでしょうね。フフッ、彼の子、面白いでしょ。」
然う咲う彼女は柔らかで、強かで、ドレミの事を悍く悍く思う其の懐いは迚も温かいと思った。
自分には決して誰からも与えられない物。自分を想ってくれるガルダやハリーとは違う。一と一の孤独な想いじゃなくて、互いが互いに与え合う慈しみ合う、そんな、家族と言うか、其の間の者には当たり前の温かな物。
其に触れて、自分は何を思うだろう。嫉妬?破壊?・・・否、切なさ、砕けて塵になりそうな寂しさだ。
寂しい・・・寂しい?何がだ。世界を壊して置いて、其の上ガルダ達と言う仲間を得る幸運に恵まれて。ドレミとも和解して。だのに如何して、自分は一体、何を求めている?
自己分析なんて本当、何時も疑問丈残して中途半端に終わってしまう。
「噫、面白いよ。ドレミといると正直になれると言うか、純粋に楽しい。だからドレミが入ると言ってくれた時は凄く嬉しかった。此からを思うと、一寸不謹慎だがワクワクしているのは確かだな。」
もうドレミが自分の店に来る事も彼女は知っている様だ。其は使命の為か、彼の次元と此の次元の時間の流れの問題なのかは分からないが。
「其なら良かった。まぁ彼の子は何処に行っても大丈夫でしょうよ。自慢の妹だもの。貴方程の神に認められるなんて、彼の子、一体何したのかしら。私としては鼻が高い許りなんだけれども。」
「一つ良いか。聞いてみたい事があるんだが。」
躊躇し乍らも出された問いにフレスは慌てた様に手を打った。
「噫待って貰えるかしら。忘れる前に言って置かなきゃいけない事があったの。御免なさい、話を逸らしてしまって。質問は後できっちり受けるから先ずは私の話、聞いて貰えるかしら。」
「其は勿論、問題ないが。」
抑話があると誘ったのはフレスだ。話してくれる分は寧ろ有難い。
「助かるわ。じゃあ早速本題に入りたい所だけれども、然う言えば私の能力、ドレミから聞いていたりはするのかしら?」
「確か・・・神の威を借る・・・だったか?良くは分かっていないんだが。」
其で未来が見えたとか。ドレミが友達の神、みたいな事を言っていた気もするが。
「然う、つまりは私の親友の神様の力を御願いして少し借りると言う物なの。もう今は其の力も使い果たしたから彼女とはもう話せないけれども・・・。」
目を細めて紅鏡の上を見遣る。懐かしい。もうずっと声を聞いていない。彼女は元気にしているだろうか。又、哭いてはいないだろうか。
「其の力で、私は貴方が来た彼の時の事を知ったの。そして其を回避したかったら『神ノ堕子』と『古ノ嬰児』を探せと言われたの。」
「其は・・・一体。」
『神ノ堕子』『古ノ嬰児』、何方も聞いた事もない。でも不思議と其の名は馴染んだ気がした。
「何かは結局私にも分からなかった。でも、若しかしたら此、貴方にとって重要な情報じゃないのかと思ったのよ。」
「・・・然うか。つまりは私の捜し物が其だったのかも知れないと、然う言う事か。」
つまる所、黔日夢の次元は自分がある物を探していて起こした物だ。其が見付かれば彼は起きなかったのだろう。
でも其の二つは何だ?フレスの知る神と会えば何か分かるかも知れないが。
「フレス、先御前が言っていた神と会う事は出来るか?せめて誰か分かれば探せるんだが。」
「噫、其なら心配しないで。彼女、如何もずっと貴方を見ているみたいなの。懐かしい気配がするわ。だから然う遠くない内に彼女から会いに来てくれると思うの。自己紹介は本神がしたいでしょうし、少し我慢して頂戴。」
思い出し笑いか迚も嬉しそうに、華の様に咲う彼女は只の一人の正女だった。
自分が殺してしまった。でも死して猶、妹の為に神に迄なった正女。
然う思うと其の笑顔に罪悪感を憶えてしまう。いや、こんな事思っていたら、顔に出したらドレミみたく怒られるだろうか。
「・・・と、伝えたかった事も言えたし、質問を受け付けましょうか。」
上目遣いに此方を見遣り、無言で促す。
未だ聞く可きか如何か意地らしく悩んでいたが、致し方ない。抑悩んだ時点で負けか。
「御前が神になった時の事を聞きたい。前世の事を。・・・私は、酷い話だと思うが彼の時の黔日夢の次元の記憶が殆どない。だから御前やドレミと会った事も憶えてないんだ。でも此からドレミも仲間になる訳だし、過去をあんなにドレミが責めているのなら、そして御前も直接ドレミに話す気がないんだったらせめて、私に話して欲しい。知ってしまった事をドレミに隠すのは辛いが知らずにいるなんて、ドレミの背負っている物から敢えて目を逸らすなんて事は私には出来ない。過去を知って、懐いを知って、只隣にいられる様に私はなりたい。彼の時の事を懐い出すのが嫌な事は重々分かっている。私が聞ける立場でもないが、其でも若し話してくれるなら。」
言訳染みた弱い言葉を只々黙ってフレスは聞いてくれた。思った事を其の儘表現するのは難しい。こんな言葉じゃあ伝わらないだろうけれど・・・。
暫くして紅鏡が少し翳りを見せた頃。フレスは一つ溜息を付き、手を組んだ。
「成程・・・ね。何でドレミが貴方に付いて行くか、良く分かった気がするわ。貴方、優し過ぎるのね。相手を懐う余り、懐い過ぎて自分の傷を見逃してしまう。辛い許りだわ、そんな生き方。危なっかしくて見ていられないから彼の子は付いて行く事にしたんだわ。まぁドレミは保護欲と言うか、凄まじいからね。母性とかって言うのかしら。ローズの時も本当手を焼いたわ。」
ドレミと・・・同じ事を言う。
矢張り姉妹と言う事か。自分には一切理解の出来ない話だけれども、彼女達は其で納得出来てしまうらしい。
優し過ぎる・・・其は優しくしようと皮を被ってしまった所為で演技過剰になった丈なのでは、と自分は思えてならないのだが、本心は・・・誰にも分からないんだから。
「如何して御前に話して貰う事が私の優しいに繋がるんだ?御前に黔日夢の次元を懐い出せと言っているのに、彼の忌々しい記憶を、私が忘れたからって。」
「あら貴方、切れる割には鈍い所もあるのかしら。此は失礼ね、忘れて頂戴。価値観の違いなんでしょうし。でも強いて言ったら私が話す分には傷を広げる程度だけれども、貴方にとっては新たな傷を生むのよ?然も彼の子、ドレミの為にね。釣り合わないじゃない、其だと。」
「然う・・・か?明らかに私の方が楽な役だと思うが。御前はその・・・殺されてしまっているんだし。」
其を聞き、フレスは腕を組んで溜息を付いた。決心したらしい。
「分かりました。此以上は不毛な堂々巡りね。大人しく、私の過去でも話しましょう。黔日夢の次元の事、昔話は得意ではないので分かり難い所は御了承下さいね。」
其処迄言うのなら託してみよう。此の神に、私のずっと抱いていた懐いを。彼の子をそっと包める様祈って。
「大体の話は私の能力同様ドレミから聞いていますか?其だと補完のみになって迚も話し易いんですけど。」
「然うだな、大方は一応。ドレミが私を殺し損なって、村に帰ると既に黔日夢の次元は初まっていた。其処で死に掛かった所を何とか助かって、ローズと二人丈で御前を置いて逃げてしまったと。後に又村へ戻ると御前の骸を家の瓦礫の中で見付けたんだ・・・と、そんな所か。」
言っている内に口が遅くなってしまう。原因は全て自分だ。自分がやったんだ。
「今ので特に間違いなかったらドレミと別れた其の後の話を聞ければと思うんだが。」
「えぇ。概、合っています。だったら話し易いわね。彼の次元のドレミの知らない物語。御話します。」
息付き、夕暉を二柱で見遣る。燃える絳の中でも彼女の藍玉の瞳は染まらずに燦々と煌めいていた。
・・・・・
「コフィーとローズはちゃんと行けた、様、ね。」
膝を付き、胸に手を置き息を付く。苦しい、意識していないと満足に息も出来ない位。
其は全てを焼き尽くす囲まれた焔の所為?其とも倒壊した家々から昇る土埃の所為?
一際息を吸おうとして鋭い痛みが胸を走る。遅れて黔ずんだ血を吐いた。
噫然うか。彼の魔物、面は女性だったか。彼に最初吹き飛ばされて壁にぶつかった時、何処か骨が折れた気がしたが、其が臓腑を傷付けているんだ。
もう力なんて一欠片も残っていないし、持って後何位あるだろう。やらなきゃいけない事は全てしたけど、其の後の事は又く考えていなかった。
此の儘此処で寝てしまおうか。早く意識を手放した方が苦しまなくて済む。
不図薫風を感じて顔を上げた。視線の先には偶々丘の上にある我が家が写っていた。
然う言えばコフィーは何か見当でもあったかの様に走っていたけれども、若しかしたら家へ向かっていたのかも知れない。
幸いな事に未だ崩れてもいないし、燃えずに残っている様だ。
家には確か、あ、然うだ。前撮った家族写真がある。未だ予知夢ですら此の地獄を見れなかった程前の、幸せの象徴。
酷い怪我。もうする事もない。なら最期を彼所で過ごしても良いじゃないか。
然うと決まれば急がないと。何時彼の魔物が来るか分からないし、抑自分の躯が家迄持つか分からない。
震える膝を叱責し、丘を目差す。
片目に血が入って見えない所為もあってか少しふらつく。周りに打ち捨てられている親しかった村人達の無残な姿から目を反らして。只丘丈を見て歩く。
燃える様な旻は何処迄も続いている様だった。
・・・・・
「あ・・・あった。」
何とか無事に家迄帰り着き、机に手を付いて写真立てを取った。もう体力の限界だったので其の儘床に倒れ込んでしまう。でも写真丈は手放さなかった。
「はぁ、はぁ・・・っ、ふっ、あ。」
息が苦しい。段々痛みが激しくなって来る。
道中で付いた血の所為で写真の一部を汚してしまった。何度か拭うけれども其の手が既に汚れている所為で中々拭き取れない。
只其処に写っていたコフィーのあどけない笑顔を見ると我知らず落涙していた。
「あ・・・っあ。」
別れは分かっていたのに。ちゃんと悔いなく、した筈なのに。何で、如何して未だ私はこんなに辛いの?
上体を無理に起こして堪らず写真立てを抱き締めた。
一緒に行きたかった。もっと生きていたかった。傍に居たかった。離れたくなかった。独りになんかなりたくなかった。独りにしたくもなかった。喧嘩でも良い、もっと話したかった。話を聞きたかった。もっと私の気持を伝えたかった。もっと彼の子の事を知りたかった。髪を撫でたかった。彼の温もりに触れたかった。抱き締めたかった。もっと咲い合いたかった。
「あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」
溢れる懐いは止まらない。
強く強く写真を抱くが全く癒えない。
懐い丈が募って行く。
キィ・・・ィ・・・
旋風もなく背後の扉が開く。恐る恐る振り返るも、もう見る迄もなかった。
こんな時に訪ねる者なんて一人しかいない。肯定するかの様に黔い息の詰まりそうな気配が頬を撫でる。
入って来たのは全身血に濡れそぼった彼の魔物だった。
濡れて肌や服に張り付いている髪からは絶えず紅の雫を零して床を汚して行くが、気にもしないのか魔物は手で拭う事もしないで成すが儘にしていた。
自分が不用意に声なんか上げてしまったから気付かれてしまったのだろう。
だが魔物の瞳は私を捉えていない様だった。何処か、ずっと遠くを見ている様な・・・。
不安そうに、辛そうに、何故だか思えた。
濃い血の匂いが鼻に付く。吐き気が一気に込み上げて来た。屹度彼の血は全て村の、皆の物なのだろう。そして恐らく私が・・・最後。
我知らず震え、後退りしてしまう。逃げ場等ない事は分かっているのに。
恐い恐い、闇が私を壊そうとして来る。
緩りと魔物は足を進める。焦らす様に、でも淡々と、何でもないかの様に。
「チガ・・・う。此・・・デもナイ。」
漏れ出た声は切なくて、良く見ると魔物の頬は血の涙だろうか。すっかり濡れてしまっていた。
「・・・何?何か探し物?ケホッ、うっ・・・ごめ、なさ・・・ね。こんなけ、怪我なんかな、かったら・・・手伝・・・っげぼっ、ごほっ、っあ・・・ハッ。」
信じられない位大量の血を吐いてしまう。口元を押さえていた手では防ぎ切れず、伝う幾本もの絳い道は床を汚してしまう。
ちらと彼女を見遣るが相変わらず彼女は血の涙を流し、迚も悲しそうな、見る者の心を掴んで締め付ける様な黔の瞳をしていた。
纏う闇は、力は、恐ろしい物なのに、彼女はこんなにも辛そうで、其の力は彼女おも苦しめている様に思えた。
そして分かった。彼女には屹度、私の声は届いていない。其は彼女が閉ざしてしまっているからだ。
己を世界から。自ら独りになろうとしているんだ。そして何かを探し続けている。破壊を繰り返し乍ら、こんな地獄をたった一柱で見続けて。
「若し・・・かし・・・って、・・・っ。貴方・・・が、神ノ・・・堕子?」
彼女を生み出せるのは屹度神しかいない。そして其の孤独な魂は温もりを求め囀る巣から落ちた雛の様で。
彼女に届かないのは分かっていた。でも徐に彼女は其の漆黔の禍々しき腕を私の胸へと突き立てた。
何かの砕ける嫌な音がして、彼女の歪な爪は軽々と私の躯を貫通する。
致命傷を通り越した怪我、其の所為だろうか。先迄感じていた痛みや寒さが一気に遠退き、只々酷い睡魔丈が残った。
やっと・・・終われる?此で終わるの?
「コ・・・フィ、ご・・・めっ。」
無意識に最後に見遣った彼女の面影は冥い物で。残された彼の子がそんな顔をしていないか不安になった。
でも其以上意識を保てる筈もなく、私は貫かれた儘の腕に凭れる様に目を・・・閉じた。
・・・・・
「・・・私の前世はこんな所かしら。」
何処か清々したかの様にさっぱりと突然、彼女の語りは終わってしまう。
そしてちらと此方を見遣ると少し困った様な微笑を浮かべた。
「矢っ張りね。此の話聞いたら貴方、そんな顔すると思っていたわ。私は最期貴方に因って苦しまずに済んだのよ。と言っても矢っ張り晴れないんでしょうね、気分は。」
「当然だ。元はと言えば私が・・・。」
そんな顔って言われても自分には分からない。
悲しそう?辛そう?同情してる?憐れんでる?何も違うんじゃないか。其の仮面の下は・・・無表情なんじゃないのか。
「ストップ。もう責めるのは止して頂戴。じゃないと私、貴方に安心してドレミを任せられないでしょ。」
「・・・・・。」
其の言い方は狡い。反論出来ないじゃないか。任すなんて重過ぎる言葉に閉口してしまうだろう。
「フフッ、ちゃんと黙ってくれるのね。可愛い所、あるんじゃない。本当、初めて貴方と会った時はそんな事、考えられなかったわ。今は不思議な気持よ。待ち望んでいた時をやっと迎えられて、嬉しい様な、少し寂しい様な。」
うぅ・・・本当に姉妹だ。いや、此処迄来たら双子じゃないかと思えて来た。可愛いなんて言われたら・・・慣れてないし、照れると言うか・・・いや、顔には出すなよ。赤くなったら屹度又突かれる。ドレミの時の二の舞にはしない。
話題を変えよう。未だ話したい事もあるし、丁度良いだろう。
「所で先の話について気になる所があったんだが良いか?」
「あら、此処からが面白いのに。まぁ良いわ。其の切り替え方、如何も散々ドレミに遊ばれて学んでしまった様だし。」
口元に手を当ててフレスは笑う。迚も御機嫌そうだ。
図星だ。何か悔しい。玩ばれている気分だ。
「大した事じゃあないんだが、私の事を神ノ堕子と言ったのは?何か意図があってか?」
其が捜し物なのか如何かも怪しい物だ。今は情報が一つでも欲しい。
「噫彼は先も言った通り、私自身其については全く分かっていないのよ。只でも彼の時直感的とでも言うのかしら。貴方を見た時に其の名前が迚もしっくり来たのよ。只其丈なんだけどね。先の話は有りの儘を其の儘話した丈だから、余り深くは考えないで頂戴。」
「然うか。分かった。其は又帰って調べるとしよう。じゃあ最後にもう一つ丈。」
「フフッ、随分と知りたがり屋ね。良いわ。何でも聞いて。私の知ってる事なら何でも話すわ。」
「助かる。此が一番気になっていた事だからな。ドレミの事なんだが、彼奴の持つ力。次元を渡る力は別にドレミの生まれ持っての力ではないんだよな?」
「と言うと?」
相変わらず悪戯っぽく笑うフレスだが、其の瞳が笑っていないのは見逃さなかった。
聞く可きか一瞬又揺らぐが、其の目をすると言う事は自分の問いは的外れではないのだろう。今後の為に聞いて置く必要があるし、仕方ないだろう。
其が彼女の最も避けたかった事に触れるとしても。
「焦らしても仕方ないな。はっきりと言おう。ドレミは私達と同族の神じゃないのか?」
其の問いに何を思ってかフレスは瞠目して只々言葉の一つ出さずに見詰め返すのだった。
もう半分以上沈んだ紅鏡が一際陰った気がした。
・・・・・
「はいっと、此で堅っ苦しい脱退宣言は終了だ。今迄御苦労だったなドレミ。ま、元気でやれよ。何かあったら頼ってくれたら此処の暇人位貸すからさ。」
「うん。マッ君も元気でね。ドレミ、頑張るから。本当に御世話になりました。」
ドレミが宣誓書にサインするとマスターは其の紙を貰って暫く眺めた。そして岩壁に向けふっと葉巻の黔い煙を吹き掛けた。すると一際大きな岩山の一つにドレミの名が刻まれた。此の岩は今迄のギルドを去った者全ての名が刻まれていると言う。辞めても仲間であり続けると言うマスターの作った為来りらしい。然う言えば私の前って誰だったっけ。
さて、此で本当に脱退したんだ。後戻りは出来ない。進む丈だ。
「ほ、本当に辞めちゃうんですねドレミ。でもこんな急じゃなくっても。」
不満そうにロッちゃんが口を膨らませていた。今日は眼鏡が三重重ねになっている。其程ロッちゃんも動揺しているんだろう。
「本当御免ロッちゃん。でもドレミ、やっと本当に自分がしたい事、見付かった気がするの。今を逃したら次何時会えるか分からないし、約束、守れなくて御免ね。」
ペコペコと頭を下げるドレミを見て、ロッティはフーと一つ溜息を付く。ドレミは一度決めた事は必ずやり通すんだ。自分が止めた所で止める訳がない。こんなのは只の愚痴だ。
「良いですよ、そんなの。其に又何時か遊びに来てくれるんですよね?其の時色々話を聞かせて下さい!他の所の魔物とかも知りたいですし。」
「うん!勿論だよ。ドレミも頑張るからロッちゃんも研究、完成させてね。」
「分かったです!鸚哥と海豚の関係性についての論文。もう一寸で出来そうなので案外、完成は近いかも知れませんしね!」
「ん、んん?う、うん。然うだね。其の調子でね!」
ロッちゃんの研究が迷走している気がしたが聞かなかった事にした。心の中でずっと応援している事にしよう。屹度もう私が手伝えない次元に達しているのだろう。
「おいおいドレミよぉ。此処を止めちまうと言う事はどっかに雇われたのか?先迄彼所に居た彼の金髪のねーちゃんの所か?」
酒瓶片手にテーブル椅子から男が首丈巡らせて聞いて来た。
同じテーブルの者丈ではなく、周りの酒飲み連中も興味があるのか、其の場が本の少し静まり返った。
「うん然うだよ!もっと色んな所、遠くへ行く仕事なんだよ。此処を出るのは寂しいけど、ドレミの本当にしたい事、見付けた気がするの!」
「あ、セレの所なんですか?良いなぁ、屹度色んな魔物に会えそう。」
「へーぇ、若いねぇ。其の齢で転職とはなぁ。達者でな。有名になったら酒でも奢ってくれ。マスターは吝嗇だからなぁ。」
小声でドレミに耳打ちすると何が可笑しいのか男は大笑いする。ちらとマスターを見遣ると聞こえていたのか内容が想像出来たのか、攻撃的な悪い笑みを浮かべていた。此のオジちゃん、私の次に脱退するのかも知れない。
「あーぁ、だからか。先フレスと彼のねーちゃんが二人で出て行ったのは。」
テーブルの一人が机を足で蹴って自分の椅子を揺り椅子の様に揺らした。
皆の視線が集中する中、男は葉巻を一度吸う。
「何だ。勿体振るなよ。何があるってんだ。」
「そんなん修羅場に決まってんじゃねぇか。あっつーい焔が燃え滾ってんのよ。」
「修羅場だと!!」
喧嘩の華で酒を飲む彼等である。其の魅惑的な単語に反応しない訳がなかった。
「・・・?」
事件の渦中に居るドレミ丈は現状に付いて行けず、代わりに酒飲み達が酒の肴を見付けたと許りにヒートアップする。
「おいおいもっと詳しく聞かせろ!」
「賭けか?此は参加しなきゃな。」
「でもドレミはもう脱退しちゃったぞ。どんな戦いになるんだよ。」
「仕方ねぇなぁオイ。じゃあ話すから良く聞いとけよ。」
一度咳払いし、場を鎮めた所で、急に男は声を張り上げた。
「私はドレミの保護者として!断じて貴方の仕事は認めないわ!きちんと仕事内容や手当、保険の保証等提示しなさい!・・・いやいや御姉さん、彼女はちゃんと此の誓約書にサインをしました。もう彼女は立派な、我が職場の一員です。御引取下さい。又然うやって話を逸らす!もう良いわ、此の釼を取りなさい。そんな誓約書、破いてしまえば無効だわ!フッ、高が一ギルドの一員が、随分と舐めてくれた物だ。矢張り野蛮なギルドの者は力で屈服させた方が良さそうですね。」
「おぉ〜!!」
一人全く似ていない語りをする彼に皆が興奮した視線を送る。
何と言うか・・・馬鹿な集まりに見えて仕方ない。何時もの事ではあるけれども如何せん、何時も御淑やかなフレちゃんがアグレッシブな所を想像すると何か燃える物があったのかも知れない。酒の回りが早過ぎる。
でもセレちゃんを悪者っぽくするのは一寸困るかな。もっと彼女は可愛いんだから。又真赤になったの、見たいな。
「場所は矢っ張此の上の彼の崖の所かな。」
「夕暉を背にか?一寸古いけど良いねぇ、其の演出!」
「俺フレスに賭けんぞ!小さな姫さんを奪還だ!」
「そいやドレミは十二歳だったか?うーん成程。そりゃあ可愛いだろうなぁ。激しくなるだろうよ。」
男の一人がドレミを見遣って頭から爪先迄じっと見て来る物なのでついドレミは背伸びをしてしまう。
「うん然う。十二だよ。あ、でも子供じゃないからね。もう立派な大人だよ。」
「ハッハ、俺らからしたらそんなん、未だ未だ餓鬼だっつうの。抑俺が此処に入った時、未だ御前生まれてもないんだぜ。」
「いやでも思い返したら初めて御前が入った時、吃驚したもんなぁ。最年少だし、だのに腕っぷしは確かだし、俺は最初、どっかの御嬢ちゃんが御遊びで来たのかと思ったぜ。」
男が一気にジョッキの中身を飲み干す。飲みっぷりは良いけど今日は本当に皆飲み過ぎだ。
「フフン、然うだよ。じゃあオジちゃん達に勝てるドレミって矢っ張り大人だよね!」
「だーかーら、大人大人って気にしてる内は餓鬼なんだよ。まぁミルクでも飲んで背伸ばせよ。其位今日なら奢ってやるぜ。」
「もう!又子供扱いする!」
ドレミが怒って空気が僅かに電気を帯びても何の其の。男達は其の様を肴に又ジョッキを空にするのだった。
・・・・・
「あら凄い。其処迄気付いてしまったの?黙っていようかと思っていたけど、ばれてしまったら仕方ないわね。其の通り、彼の子、ドレミは・・・もう神様なの。悲しいけど・・・ね。」
少し遠くを見る様にフレスは目を細める。何だか其の声音は自虐的に聞こえた。
「確証はなかったがな。色々と条件が整い過ぎていた。・・・一つ気になるとしたら何時神になったか、此が今一判明しなかったが。」
恐らくドレミの話からして黔日夢の次元の時だと思ったがドレミは其の前から次元移動の力があった。だとしたら何時からか。幼少期に何かあったのだろうか。不幸の中で亡くなる様な事が。
「彼の子はね、初めから神様だったのよ。」
歯切れ悪くフレスは何とか言葉を繋げる。誰にも話すつもりはなかった。一番彼の子に知られたくない秘密。そして信じたくない過去。
「つまりは死産・・・だったの。だから私は神の力を借りて彼の子を無理矢理神へ召し上げたのよ。不幸とか関係なく、自然に反した神を創り出す禁断の術。私はね、決して赦されない事を生まれた許りだった彼の子にしてしまったの。」
「神を・・・創ったと言うのか。其は凄い力だな。然もドレミが生まれた時なら未だ御前も幼いだろう。良く扱えたな。」
「出来たのは其の一回丈だけれどもね。ドレミを生んで直ぐ母さんは亡くなってしまったけれど、私は何も、出来なかったから。」
視線を下ろした儘、フレスは目を合わせず、夕暉ももう見ない。
自身の死よりもドレミの死の話をする方が此の姉には堪えた様だ。当然か、一緒に二人丈で育って、ずっと自分を慕ってくれているドレミ迄もが既に死人だなんて。自分だってまさか初めから亡くなっているとは思っていなかった。途中で亡くなって神になるよりも其は不思議と重く感じた。然うか、ドレミは言い換えれば初めから神として生まれた様な物なんだ。人として生きた時は無いに等しい。
でも当の本人は全く自覚していないのだろう。人なんだって、黔日夢の次元の生き残りだって、信じて疑った事もないのだろう。
神の真の姿が化物だなんて信じられないのと同じ様に。
「じゃあ黔日夢の次元の時は何の力を使ったんだ?ドレミの話から推測でしかないが、彼の時ドレミに何らかの術を掛けたと思ったんだが。ドレミが家の下敷きになってしまった時に。」
「えぇ、其の通りよ。彼の時私がドレミにしたのは神降ろしの力なの。神を又強制的に召還する力なんだけれど、友達の神から世界の事とか、色々聞いてたのよ。神は死んだら次元の迫間って所に行くとか。彼の黔日夢の次元の時、私の次元があんな事になったんだから迫間はもっと危ないんじゃないかと思ったのよ。然もそんな所に飛ばされたらドレミ戸惑うでしょう?だから敢えてドレミが死んでしまった彼の瞬間に神降ろしをしたの。私の力は其で全て使ってしまったけどね。・・・でもドレミの話から其処迄ばれるなんて私、随分とへまをした様ね。此でも気を付けていたんだけど・・・。」
「いや、御前は上手くやったよ。御蔭で今もドレミは自分が生きているって信じている。御前の事も、大切な姉だって懐い続けてくれているじゃないか。其の力も全て、ドレミの為に使ってくれていたのだろう。」
自分だってある丈あった力を全て世界を壊す事に使った。今でも自分の願いの為丈に使っている。誰かの為なんて考えた事もない。
「フフッ、有難う。不思議ね。貴方と話していると肩の力が抜ける様。あんなに始めは気張っていたのに、もうこんなに素で話しているし、でも其だとすると貴方はドレミも気付かなかった違和感をドレミの話丈で分かってしまったの?聡過ぎるのも考え物よ。」
「聡い・・・訳ではないと思うが、何と言うか只単に聞いた話を自分の中で写真・・・と言うか、映像化させている丈だ。其が出来るのも、ドレミの話し方が上手かったからだろうな。」
先フレスに鈍いと言われた許りなんだが・・・。如何言う事だろう。又違う話なのだろうか?鈍い、と言われた意味すら分かっていない分相当鈍いのだろうけれど。
「彼の子が?そりゃあ大切な事はきちっと言う子だけど、話上手だったかしら・・・?其か貴方の想像力が途轍もないのか。」
「褒め続けるのは止してくれ・・・。否定するのもそろそろ限界だ。」
「じゃあ受け入れちゃいなさい。屹度其、貴方の力の一つなのよ。良い事じゃないの。感受性が高いって事で。此処は素直に礼を言う所よ。」
力。力の一つ・・・か。壊す事以外にも、自分に出来る事があるのか?気休めかも知れないけれど、其は迚も素敵な事の気がした。自分の存在証明、破壊、黔日夢の次元、化物、其以外に何かあるのなら・・・。
嬉しいと思った。純粋に。自分の事すらはっきりと分かっていない自分にとって。だから、此処は認めようと思った。どうせ無意味な押し問答だ。其にフレスの方が屹度話上手だ。此以上押される位なら礼を言う事にしよう。
「・・・有難う。然う言われたのは初めてだ。」
「フフッ、本当可愛いわ。ドレミが羨ましくなる位ね。此方こそ有難う。貴方と話すの、本当に愉しいわ。小さい時のドレミみたい。彼の子、見ない間に結構成長しちゃったからこんなやり取り、躱されちゃうのよね。」
其は自分が子供っぽい、からかい甲斐があると言う事だろうか。・・・おかしいな。褒められた延長線上で御礼と共に貶された気がする。是非ともドレミの技術を教わりたい。切実に思う。
・・・あ、若しかしてドレミも可愛いと言った所は其か。だとしたら不味い。ドレミに教わる前に弄り倒されそうだ。一寸は抵抗出来ると思っていたのに未だ全然らしい。
「あ、話が逸れ過ぎたわね。彼の子の大切な話なんだからちゃんと言って置かないと。・・・つまりはね、彼の子、ドレミは半人半神なのよ。だから本来は神って時間が止まってるでしょ?死んだ時の姿の儘、干渉力に因って時間が止まってしまうの。」
「噫・・・然うだな。」
確かガルダが少し其の話をした様な。黔日夢の次元後の、初めて目を醒ました時だけれどもそんなに経ってない筈なのに随分前に感じる。自分は前世も懐い出せないから此の形が生前と一緒かは分からないけれども。
「だけどドレミには其の自覚がなかったでしょ?だから人と同じ感覚で彼の子の干渉力も働いたのよ。突然次元移動した時は吃驚したけれどもね。でも流石に二回目の蘇生、神降ろしをした時は彼の子自身何かを感じたんだと思う。彼の瞬間に、彼の子の魔力が変わったから。強力で少し異質な、少し神に近付いたんでしょうね。だから彼の子に此の神降ろしの術は時間を止めるから其以上は成長しないんだって話したのよ。本当の事は言えなかったけど、何も知らないのは酷でしょう?」
成程。だから初めてドレミと会った時、変な気配だと思ったんだ。半人半神。人では非ず、神にも成り切れない。混ざってしまった者。だから違和感を覚えたのだろう。・・・でも神降ろし、何だろう。何か懐い出す様な・・・?
其に彼の勁さ。ドレミが黔日夢の次元の後、此の次元に来る迄の間にそれなりの旅をして来たのなら自然と力を付けて行くだろう。実際は何歳か分からないが、見た目通りの齢では少なくともなさそうだ。
「色々話してくれて有難う。御蔭でドレミの事が大体分かったと思う。他の所は此から少しずつだな。彼奴に何かあっても今の話は迚も役立つだろう。」
「然うだと良いわね。フフッ、貴方にならドレミを任せられる。宜しく御願いね。やっと私の肩の荷が下りたわ。」
フーと息を付いてフレスは又旻を仰いだ。小さく旻に浮かぶ千切れ雲を捉えた瞳は薄く滲んだ藍玉だった。
・・・・・
修羅場騒動は酒飲みには良い肴だったらしく、熱は広がり続けて終にはテーブルの上に男二人が立ってちゃんばらごっこが始まった。
斬れのない釼の軌道がふらふらと危な気に振られる。
うーん・・・確かにフレちゃんとセレちゃんが居なくなったのは気になっていたけど、修羅場ではない気がする。
・・・あ、でもフレちゃんが若し本当に私の為に決闘でもしてくれたら嬉しいかも。セレちゃん相手だとちょーっと、否全く勝目がなくて瞬殺だとは思うけど、本当に然うだったら一所懸命応援したい。勿論今更坎帝の牙に戻る訳じゃないけれども。
「然うと決まったらドレミ、最後の依頼だ。崖へ行って様子を見て来い!」
「えぇー、まぁでもドレミも気になるし・・・分かった。行って来る!」
勢い込んでドレミは急ぎ足でギルドの外へ伸びる洞窟へ向かった。
「戦いで、飄閃」
ギルドを閉ざしていた岩が開くのと同時に唱える。
途端に閃光の飆が誘う手の様にギルドの出口から伸びて来た。
地を蹴り、其の飆に飛び乗るとジグザグに曦は揺れ動き、忽ちドレミを崖の上へと持ち上げた。
「着いたっと・・・お、お?」
崖の上で仁王立ちすると飛び込んだのは沈んだ夕暉を背に対峙する二人だった。
まさかとは思ったけど、え?本当に?此が修羅場?
「セレちゃんフレちゃんストップストップ!!ドレミの為に争わないでー!」
バタバタと手を振り乍ら二人の間に割って入る。未だ纏わり付いていた電気が少し其の両手から爆ぜたのでそっとセレは後退った。
「噫ドレミ、もう式は終わっちゃったの?」
「もう準備は良いのか?」
「え、うん。終わったけど・・・うん?」
はたと動きを止め、二人を交互に見遣る。何だろう、凄く穏やかだ。まさかもう決着は付いたのかな。
「如何したのドレミ。そんなに慌てて。何か言いに来たんじゃないのかしら。」
一寸屈んでドレミと視線を合わせるフレス。うん、御姉さんだ。もう御姉さん気質が凄い。何だか温かい様な、ほっこりする感じ。
「えっと、オジちゃん達が何か賭けしてて、んでフレちゃんとセレちゃんが修羅場になってるからって、ドレミが見て来いって言われたの。」
如何やら其の場のノリとやらで来たらしい。何を言っているのか分からない。
「成程、確かに小父さん達ならやり兼ねないわね。私達がドレミを行かせるか行かせないかを賭けて夕暉を背に熱く戦うと。」
「うん、然う!然うなのフレちゃん!」
「成程分からん。」
流石フレスだ。ドレミの彼の言語を的確に分析、解析し、翻訳してくれた。其でも分かったのは五、六割位だが、まぁ其以上は知らなくても良いだろう。
「ハッハハ!ドレミ、其の説明はないだろ。流石の俺でも分からんぞ。」
声がしたかと思うとマスターが一人、崖を攀じ登って来た。
何時の間に・・・。あんな風に只崖を登っていたら波紋に写らない訳がないんだが、此のマスターは消える癖でもあるのだろうか。
「あれ?マッ君も来たの?」
「そりゃあな。娘っ子の門出だ。出迎えない訳には行かねぇだろ。御前の事だから此の儘出るつもりだったんだろ。」
一つ伸びをしてマスターも輪に加わる。薫風を受けて短い茶髪が戦いだ。
「うーん、矢っ張りマッ君には敵わないな・・・。彼以上彼所に居たらわやくちゃにされそうだから大人しく出て来たのに。」
「そーよ。小父さんを騙せるなんて無理だ無理。諦めな。してフレス、此の賭けは何方が勝ちなんだ?せめて其丈でも聞いとかないと俺がギルドに戻れねぇ。」
「然うですね。じゃあ保留で。」
「てめぇ!ドレミに続いて俺迄、ギルドマスター迄脱退させる気か!」
さらっと笑って薄情にも告げるフレスに、腕を上げて怒鳴り込むマスター。
そんな空気を一杯吸った所為か何だか色々如何でも良い気がして来た。温かいのとは別で一寸大袈裟に最後迄滅茶苦茶な感じが彼等らしさなのだろう。
「ま、はっきりとさせましょうか。私の負けです。えぇ、一発でノックアウトです。だってセレさん反則的に可愛いですもの。」
「だよね!だよね!矢っ張りフレちゃんなら分かると思った!」
「う?えぇええ!!」
突如女子モードに入った二人を止めなくては!何で突然自分の話になったんだ!
「もうセレさんったら私が少し褒めた丈で・・・。」
「ドレミもドレミもー!挨拶程度のベターな褒め方にも関わらず顔を真赤に。」
「え?真赤?待って、未だ私其は見てないわ。是非とも拝見しないと。」
「わーわー!!止めろっ!其以上話すな!私の話をするなぁ!!」
「キャー!本当真赤!林檎みたいで可愛い!」
「ギャー!止めろ!本当に止めろー!」
牙を剥いたのに全く怯まない所か盛り上がってしまった。何だ此奴等、神じゃないだろ、邪神だ。悪魔だ。
「ほぅ、フレスの完敗か。此は此で面白いな。確かに伝えよう。」
「いや待て、此は勝負じゃない。修羅場でもない。私が一方的に被害を受けている丈だ。」
「あら、もう再戦受付ですか?リベンジマッチですか?」
「ドレミも参戦するー!」
「小父さんも混ぜてーハハッ。」
「くっ!何なんだ御前等!最後の最後で矢っ張ドレミは渡しませんと、然う言う商法か!」
引っ掛かった!なんて詐欺だ!失われた自尊心を返せ!
「御免ってセレちゃん!ほら、ドレミ行くから!」
ぎゅっと自分のオーバーコートを掴んで見上げるとニッとドレミは笑った。
「ハッハ!確かにこりゃフレスの完敗だな。此奴は腕は確かだ。必ず役立つと思うぞ。」
豪快に笑って乱暴にドレミの頭を撫でる。だがドレミは直ぐ頭を退けると不満そうに頬を膨らませた儘髪を整えた。
「噫、今迄ドレミを見ていてくれて有難う。マスターの御墨付だし、今後が楽しみだ。」
「フフーン。ドレミに任せて!じゃあセレちゃん。そろそろ行こう!」
「ドレミ。」
セレの手を取るドレミに、フレスは堪らず声を掛ける。
ドレミが振り返って首を傾ける。何か言わなきゃ、最期なんだ。此が・・・最期。
もう彼の刹那に後悔した事、全て叶えたでしょ?もう全て全て、片付けたでしょ?
言いたい事、一杯考えたじゃない。何を言う可きか分かってるでしょ?
「行ってらっしゃい。」
搾り出したのはそんな当たり前の一言だった。
もう、此で最後なのに。もっと気の効いた言葉、何かなかったの。
「うん、行って来るね!!フレちゃん、ずっと有難う!本当の姉ちゃんみたいで、ドレミ本当に楽しかったよ!」
でも其の考えはドレミの笑顔を見て全て吹き飛んだ。
然うだ。もう其丈で十分じゃないか。前の別れの時に出来なかった事、此の一年で全て出来たのだから。
今度は笑顔でさよなら出来るんだから。
セレとドレミは崖を下り、見送りの二人が見えなくなってから其の次元を去った。
でも二柱の姿が消えても崖の上でフレスはずっと手を振っていた。
「・・・良いのか。こんなにあっさり行かせちまって。」
「えぇ、もう分かっていたから。」
「もう我慢しなくても良いんだぞ。」
「・・・っ、然う、ですか。」
フレスは手を止め、両手で目元を覆った。堪え切れなくなった涙が溢れて止まらない。
「祈るしか出来ない、神に成ってもずっと無力な私だったけど。・・・ドレミ、コフィー、貴方の傍に居られて、使命も果たせて本当に良かった。」
ずっと告げられなかった真名。今迄ドレミに真実を悟られない様、ずっと閉じ込めていた名前。でももう二度と彼の子には届かない。
其を実感すると又涙が溢れて来る。只々静かに雫丈が零れて行く。
「御前の使命、ドレミを彼奴等の店、次元龍屋に行かせる事だったよな。一年、御疲れ様。」
マスターの労いに何度も頷く。其の間も涙は一切止まらなかった。
然うか。大切に懐えば懐う程、時は短く、早く去ってしまうんだ。もう彼の頃には戻れない。彼の子にも会えない。分かり切っていた事だったのに。
左様ならコフィー、今迄有難う。此からはドレミとして、元気で、一所懸命に生きて。
「マスター・・・本当に、有難う御座いました。私、此の一年、幸せでした。」
言葉尻が霞んで行き、薫風の音丈が残る。
「幸せ・・・な。神様の最期にしては本当に良い言葉だよな。良かったなフレス。」
一人マスターは息を付いて冥い旻を仰いだ。
「じゃあ彼の酒飲み達に伝えねぇとな。賭けの結果と、もう一人の脱退者も。」
儀式自体はもう済んでいる。ドレミの前に、もう名は刻まれている。後は彼奴等に何て伝えようか。妹勝負に敗れたから武者修行の旅に出たとか・・・。うん、フレスなら屹度赦してくれるだろう。
「セレ神さん・・・か。こりゃあ又世界が大きく動き然うだ。ドレミやフレスの分も是非とも頑張って貰わないとな。」
何処となく嬉しそうに独り言つとすっかり冥くなった足元を緩りと慎重に崖を後にするのだった。
・・・・・
悲劇はもう過去の物で
世界は既に次の舞台を用意していた
新たな世界は温かで、抱かれた曦は未来へ誘う
目を醒ました先は新たな道
出会いも別れも忘れない
全て背負って、手を繋いで歩こう、皆で
如何もです、良く頑張りました。終にメンバーも増える・・・のか!?(分かってた。)
結構思い入れのある話でもあるので筆者ホクホクです。BadEndではないのが不服ですけれど、まぁ良いでしょう。
そろそろ飾りだったR15、入れようかな、とも思ったんですけれど、御預けにしました。飽く迄もドレミの回想なんでね、あの子が態々そんな生々しくセレには話さないだろうと思い、ソフトにしました。セレも余憶えていないようですし、此の位が妥協点でしょう。
所でそろそろ此の物語の違和感、出て来たでしょうか。筆者の思惑とは全く別の違和感を抱いてしまったなら筆者の文章力不足です、申し訳ない。
ネタバレになるので明かせないですけれど、主に主語だとか、思惑に出て来ています。其の辺りを想像して読んで貰えると嬉しいです。(長過ぎて其処迄頭回らねぇよ。)
さて、今回もあります!暇潰しの次元(確定?)です!
「セレつぁんセレつぁん、寝るのも良いけど、此処で寝るのは余り良くないと思うよ。」
・・・いや、此の打ち間違いは結構あると思うよ!絶対!其丈が言いたかったのです。此の手だと他にも「来たよ。」が「来たっちゃよ。」に良くなります。
「っふーん。其は確かに中々手強然うだね。・・・如何する?セレちゃん。」
何故か誘惑するドレミさん・・・。こんな口調もありかな?とも思ったんですけれど、取り敢えずは誤字なのでね。はい没!
「わぁ、ちゃんともぐもぐして耐えるんだ。可愛い。」
ドレミの打ち間違い、本当に多い・・・。今度はサディストドレミです。ホント御免ね。
本気だ。大好きなのだろう。殺気が肌を刺す。
セレと刹嵐の対峙シーン。斃す気、だったんですけれど、ヤンデレになってしまいました。ま、此は此でありか。(駄目だ此奴・・・。)
「だ・・・だっだい!?ちょっ、じょうしたったのドレミちゃんきょうに!」
はい、ドレミが脱退する時ですね。受付の御姉さんが大変な事になりました。屹度御疲れだったのでしょう。
「運送だよ!もっと色んな所、遠くへ行く仕事なんだよ。此処を出るのは寂しいけど、ドレミの本当にしたい事、見付けた気がするの!」
ラストもドレミ。ドレミが小父さんに何処に就職したのか聞かれたシーンです。正しくは「うん、然うだよ!」だったんです。でも何故が違和感が仕事をしなくなりました。
此の答えには流石に小父さんの酔いも冷めた事でしょう。
・・・阿保らしい事を書いていたらこんな長さに・・・。と言う訳で今回は此処等辺で。次回はもう少し早く・・・うーん・・・。
では又々御縁がありますように。