8次元 皓き懐い 曠野を駆けし次元Ⅰ
はい、如何も今日は。四月ですね。卯の華月。出会いの季節、春の盛り。ふざけんな、何で私がこんな忙しい目に合わないと(以下略)
いやー良い季節ですね、斯う暖かくて、陽気で・・・え?忙しい?何ですか其?私は元気ですよ、病んでないです。
二月に一度は更新したいな~、一日ルーズリーフ一頁以上書いてたら行けるよなぁ~とか思っていたのに・・・今年に入ってから書けたのは未だ六十頁余り・・・。い、いや、こっからが頑張り所だよ。未だ行ける、私は大丈夫。
そんなこんなで第八話。あれ、未だ八話?道理で話が進まない。然も今回も分割です。七万って厳しい・・・。
まぁ実の所、原作の方でも結構長いストーリーだった訳で。若干ネタバレになりますけれど、過去編祭りで此処迄長くなるのは此処以外思い至る所は後1ヵ所しかないです。ある意味貴重な話な訳です。(未来を語るとは言わないので余計進まない訳で。)
此処で愚痴ってても進まないですし、そろそろGOサイン出しましょうか。
ではどうぞ、前編です!
憶えているのは絳い焔、黔い影
自分が招いた悲劇達
謝らないといけない、償わないといけない
でも其をする術を奪われた今丈は
静かに静かに、眠れ眠れ、冴れ冴れ
目を醒まさないで、今丈は
・・・・・
「良い昊だ。」
両の手で思いっ切り窓掛を開け放つ。もう既に窓掛は襤褸なので開かなくても採光は完璧だったが、矢張り開けた方が気分が良い。日光浴でもして躯を温めて置こうか。
個神的には陰霖の方が嬉しいのだが、其を言うのは野暮と言う物だろう。
「薫風でも吹いているかな。」
言ってはみるが、窓を開けない。紅鏡の曦が燦々と降り注ぐ外は砂漠の広がる灼熱地獄と化しているからだ。因みに外の景色は窓の隙間から波紋を放って見ている。隙間が無ければ窓はベニヤ板同然で、昊か霄かも分からない。そして色は分かるが旻の明るさや景色は今一分からないので、曦や闇の魔力が何丈大気に残っているかで時を見ていたりする。氷鏡や紅鏡、零星は凝らせば見える程度だ。
特に次元の迫間は自分の知る紅鏡と氷鏡ではなかったり、其が複数あったりするのだが・・・今は多分昊だろう。
少し遠くを見遣る。其の気になれば自分は何処迄見えるのだろう。千里は無理だが一里位なら見えるんじゃないだろうか。
砂嵐が幾重も昇る辺り、凱風が強そうだ。
「・・・・・。」
良い景色と言えば良い景色だけれど、もっと温暖な、穏やかな景色が良いなぁ。
幾ら干渉力の御蔭で店の内部は外の影響を受けないと言っても、気分と言う物がある。
暫く伸びをし乍ら灼熱砂漠を見ていると、波紋に砂漠を横切る不審な影が写った。
セレの耳がピン、と立つ。
「ん・・・彼は、」
・・・・・
コンコンッ
「はーい、どうぞ。」
キッチンから幾枚か皿を運び、ガルダはドアを開けた。ドアベルが高らかに鳴る。
―た、助かったぁー。―
ポテ、と店に転がり込んで来たのは小さな魔物だった。
全長30cm程で、兎の頭と魚の尾がくっ付いたかの様な姿、腹が少し膨らんでいて、全体的に淡紅色をしている。
「おおっと。」
開けた扉から砂と熱気が入り込んで来るので、急いでガルダは扉を閉めた。
ソファーに座って居たハリーは其の魔物に近付くとしゃがんでじっと見詰める。興味津々の様で、髪の先が狗の尾の様に揺れていた。ハリーの幻覚時の龍の姿は如何なっているか知る由もないが、彼の髪は尾なのかも知れない。
「ハリー食べちゃ駄目だぞ。」
「心配無用なのだ。我に此奴を捕まえられる程の器用さはないのだ。」
「いや、食べようとするなよ。」
ガルは小皿にたった今出来た料理の一部を盛ると、そっと其の魔物の前に置いてやった。
「ハリー、此も食べちゃ駄目だぞ。」
「心配無用なのだ。我に此の小皿を取れる程の器用さはないのだ。」
「もう其、器用さの問題じゃないだろ。」
因みに本日の料理はガルダの得意料理である雑草を炒めたウィードソテー プランテーン掛けだ。
香ばしい香を嗅ぎ付け、鈍々と魔物は目を開いた。多少寠れてはいるが、あどけない表情は此の魔物が未だ子供である証だ。
魔物はペタペタと両手を動かして皿に近付いた。そしてウィードソテーの匂を嗅ごうと鼻をひくつかせた。
「こんな天気の中御苦労さん。一体次元龍屋に何の様な御用件で?・・・あ、其、食べて良いぜ。口に合うと良いけど。」
「ピィ!」
パッと魔物は顔を上げるとキラキラとした瞳でガルダを見ている。
―食べて良かと!?―
「えっと其、何語?後、用件を言ってくれると助かるんだけど。」
魔物はパッタパッタと尾を床に打ち付ける。ガルダの声が聞こえなかったのか、魔物の子はウィードソテーを食べようと口を開いた。そして最初の一口を入れようとした所で、
「ッ!ゲフッ、ゲフッ!ウ・・・ゲェ・・・。」
盛大に噎せ始めた。
「お、おい大丈夫かよ。がっつくのは良いけど、気を付けな。」
ポンポンとガルダが其の小さな背を叩いてやる。ハリーには土台無理な事なので、心配そうに見遣る事しか出来ない。
暫くすると魔物の子は腹を膨らませ、四角い紙の様な物を吐き出した。
「え、何此・・・手紙?」
何故か状態が迚も良いのに泥が付いている手紙だった。彼が食べていたにしては綺麗だ。でも此許りはガルダの方が器用だとしても、取る事は出来なかった。
誰が吐いた物でも取りたくはないよ。
因みに手紙は皓い封筒の、至って普通の手紙だ。其の皓さの所為で、泥が目立つ。
「ん?おい、此は一体。」
ガルダが口を開いた所で魔物の子は喉の閊えが取れたと許りにがっつき始めた。
口の周りに雑草を付けて、体裁も何もない。余程腹が減っていた様だ。
食べ終わってから聞く可きかと思い直していると、突如ハリーの耳がピンと立った。興奮しているのか髪の先がパタパタし始めた。熟見ていて迚も不思議な髪だ。
「おぉ、ガルダ。此奴から同族の匂がする。此奴は龍の端くれだ。後料理が凄く良い匂がするのだ。其方が気になって嗅ぎ分けるのに時間が掛かったのだ。」
其は早く食わせろと、然う言っているのだろうか。
「あ、矢っ張り?此処に来れたから如何なんかなーって思ってたんだよ。・・・ってか其より此の手紙は如何したんだ?」
腹減り過ぎて食べちゃったのかな。山羊じゃないんだし、何があって然うなるんだ。
ガルダの呟きを聞き、魔物の子はピッと背伸びをし、胸を逸らした。一寸丈、敬礼の形を取る。
―し、失礼しますた。ポクは全次元言ノ葉調連合協会のレターフォーユー課、通称三柱ノ遣イ所属のミルミです。―
「ん、ん、詰りは郵便屋さん?」
ちらと手紙に目を遣る。確かに次元龍屋へ、と書いている。
誰からだろう。心当たりがない。フォードからの給料明細書が来るには早過ぎるし・・・。ってか管理が杜撰過ぎる。何で未だ裏切り者に給料なんて出してんだ彼奴。一応店は魔術で隠しているけど、彼奴なら襲撃なんて簡単だろう。本当、良く分からない奴だ。
―違いますっ。ポク達は言ノ葉を届けるんです!手紙丈じゃないんれす!あんなのと一緒にしないで下ひゃい!―
「・・・・・。」
何か恨みでもあるのだろうか。昔箱詰めにされて郵送されたとか。
「郵便・・・?」
聞き慣れない言葉なのかハリーは其を反復し、今度は手紙に目を向ける。中が気になっている様だが、彼の手に掛かれば開けずに中丈寸々にしてしまうだろう。残念乍ら此は渡せない。
「あー若しかしてThe world of the destiny company関連?」
―そやで!―
郵便屋さん、否ミルミは手を叩いて肯定する。
うーん。此の子の口調に一貫性がないが、未だテレパシーを使い始めた許りなのかも知れない。
「ざわーるどお・・・む、何なのだ其は。」
又も聞き慣れない単語にハリーは首を傾ける。
「ん?The world of the destiny companyは、別名T&Tなんだけど、次元の迫間にある代表的な会社だよ。もー兎に角大きい。」
「ふ、ふむ然うか。」
実の所会社も今一分からないのだが、此は後で聞く事にしよう。然う言えば何となくセレと話している時に、ガルダは説明上手だけれど意味が分かんないと言っていたが、此の事なのかも知れない。次元が違うのだから致し方無いとも、アドバイスとして説明の中に分からない言葉が出て来ても其の場で聞くな、後にしろ。じゃないと話が進まないとも言っていたので実行する事にした。
「いやでも有難うミルミ。態々届けてくれて。俺は此処の家主・・・?かな。まぁガルダってんだ。此方はハリー。」
然う言えば此処の店主って誰だろ。店は俺のだけど、セレが店続けたいって言ったんだからセレが店主なのか?
―宜しく御願いしまふ!―
ペコリと頭を下げる。小さくても立派な郵便・・・三柱ノ遣イだ。
「噫、宜しく。なぁミルミ、御前此の後も仕事あるか?」
―ううん。本日の業務は此でしゅーりょーです。―
「そっか。じゃあ何か食べて行くか?腹減ってるんだろ。」
ガルダが小皿を回収すると、ミルミは尾をパタパタさせた。
彼の動きは・・・喜びの舞いか。
何時もセレの尾を見ているので何となく尾を見てしまうガルダだ。気付けばハリーの結わえた髪も揺れている。如何やらハリーはリラックスして来ると幻覚が弱まるのか髪=尾となってしまうらしい。中々珍妙だ。
龍同士、何か繋がる物があるのだろうか。二匹は言葉は発さず尾を振る丈だ。何か微笑ましい光景である。
「・・・はい、どうぞ。」
心做し先より大盛りにしてミルミの前へ置いてやる。
ミルミは今にも涕きそうな程感動して其の小さな瞳を輝かせた。
―う・・・うわぁあぁ!あ、有難う御座いまふ!い、戴きま・・・。―
―バッキャロォォイ!!―
「ゲフォオ!!」
ミルミが口を大きく開けた所で、丁度彼の足元から床を突き破って五回りも大きい様な魔物が現れた。
其の魔物は見事、ミルミの小さく膨らんだ腹部に鼻先をぶつけ、彼を吹っ飛ばした。
ペタ、と少し離れた所へミルミは落下し、目を回したのか突っ伏している。
「・・・・・。」
木片が盛大に飛び散った。土や泥が周りの壁に跳ねて付く。
余りに突飛な事にハリーとガルダはすっかり硬直してしまった。特にハリーはしゃがんでいたので間近で起きた事に口を開く許りだ。
新たに出て来た魔物はミルミと良く似ており、左目に大きな傷跡があった。上体しか出していないが、貫録がある。ミルミの仲間だろうか。
魔物は頭を何度か振って木片を飛ばすと鼻息を荒くした。
余程憤っているらしい。
―全くきさ・・・。―
「バッキャロォォイ!!」
突如セレの部屋のドアが豪快に開き、見事飛び蹴りをセレは魔物に食らわせた。セレ自身身軽ではあるが、筋力も重みにも技には乗らないので、実は余り威力はない。只彼女の歪で硬過ぎる手足がナックルやガントレットの様な武器の代わりとなって威力を上乗せしているのだ。
其の御蔭と言うか何と言うか。隙を突かれた魔物は大きく吹っ飛び、壁に大穴を開けた。因みにハリーの部屋へ開通している。
「全く巌遊兎(モウラー)如きが神様の家を壊すんじゃない!」
憤懣遣る方ないと言った体でセレは手を組む。
御前が言うなよ。
ハリーとガルダの心が一つになった時だった。
―フッ、中々の威力だな。痺れたぜ。―
のしのしと穴から魔物が顔を出し、近寄って来た。
此以上破壊はしないで頂きたい。被害が広がればドメスティック・バイオレンスすら超えてしまう。不和の神になりたいのか。
「・・・セレ、其の口振りからして何時から見てたんだ?」
「其処のちび助が来た時から。出る機会を失っていたから待機していたんだ。」
此奴、堂々と盗み聞きしていたと公言しやがった。良い趣味じゃないか。
「ふ、ふーん。・・・因みに巌遊兎ってどんな龍なんだ?」
ガルダがソファーに腰掛けると、セレも其に慣らう。其の際、そっと両手で床に伸びているミルミを拾い上げた。
そして両の掌に乗せて、一寸揺すってやった。
・・・む、モフモフしてない。ツルツルしている。少し残念。
「巌遊兎は嵒属性で、腹に物を溜められるのと、地中でも俊敏な動きが出来るのが特徴だな。溶解力の高い液を吐く事で、地面を少しずつ軟らかくして進むんだ。」
「へー成程。其の能力を買って貰って、T&Tの奴が見付けてくれたのかな。」
色んな次元に神様だって居るし、期せずして見付けたのも居るだろう。
二柱が話しているとミルミの目が覚めたらしい。ペタペタとセレの指先迄遣って来た。
「あ、おい気を付けろ。怪我をするだろう。」
自分の手には逆刺の様な突起がある。鋭いし、硬いから怪我をし兼ねないのだ。
だがミルミはそんな心配等露知らず、大きな巌遊兎に向け、不満気に尾を叩き付けた。
―母上!何をするのでしゅか!折角今からガルダ様の作って下さった手料理を戴こうとしていた時にぃ!―
「は、母〜?」
一同の声等素通りで、母である巌遊兎も口を開く。
―貴様は誇り高き三柱ノ遣イなのだぞ!何神様の家に上がり込んで剰え飯を貰っているのだ!先に言ノ葉を泥だらけにしてしまった事を謝らんか!馬鹿たれぇ!―
―で、でもガルダ様がこんなポクの為に美味しい御飯を・・・。―
此奴、ちょろいな。雑草で喜んでやがる。
内心ガルダが黒い顔をしていた事に誰も気付かない。
―バッキャロォォイ!!―
案の定と言うか何と言うか、突然巌遊兎が飛び掛かり、尖った鼻をミルミに向ける。
一足先に其の襲来に気付いたセレは地を蹴って天井付近迄飛び上がる事で非難した。翼を出していて良かった。別に不測の事態に備えて出していた訳じゃないけれど、此の御蔭で上へ逃げる事が出来た。
斯くして一柱と一匹は助かったが、代わりに先迄座っていた椅子と床が大破してしまった。
散る木片を翼と尾で防いでそっと床に降り立つ。
母巌遊兎は其の儘地面に潜り、今し方開けた穴から顔を出した。
・・・此の家の床下は大丈夫だろうか。傾いたりしないだろうか。
―な、名のある神と御見受けしまふ。ポクを助けて下さって、如何もありやとうございまふた。お、御名前を・・・。―
ガタガタと身震いし乍らミルミはセレを見遣った。
「ん、私はセレだ。宜しくな。」
―は、はい!セレ様!―
此奴、ちょろいな。
母巌遊兎は落ち着いて来たのか一つ息を付くと、深々とガルダに頭を下げた。何故ガルダなのかは、恐らく今此処で一番目が死んでいたからだろう。
―皆様、大変倅が御迷惑を御掛けしました。ワタクシ、倅と同じ三柱ノ遣イに所属する。ミケアフィーアと申します。ミーアと御呼び下さい。以後、御見知り置きを。―
名前は案外可愛かった。
「俺の家・・・俺のマイホームが・・・。」
ガルダの目は相変わらず死んでいる。光魔術でも治せそうにない。
―ポクからも言わせて下さい!大事な言ノ葉を汚してしまってすいやせんでした!―
「あ、うん。・・・OK、分かった。大丈夫、大丈夫さ。ハハッ。」
「余程心を痛めてしまった様なのだ。」
心配そうにハリーが見遣る。確かに此は重症だ。
因みにハリーは先程迄此のごたごたに乗じて撮み食いを敢行しようとしていたのだが、手先の重大な問題及び欠陥により諦めた様だ。・・・例え器用だったとしても見えているのだからさせはしないが。
―其の様だな。良し、分かった。御客様には御詫びの証しとして受け取って貰いたい物があります。・・・其処の兄さん、否、其処の姉さん。どうぞ此方へ。―
ミーアは始めハリーを見遣ったが、彼が小皿相手に梃摺っているのを見て、セレを指名し直した。
良い判断だ。然うしないと御詫びの品とやらを落とし兼ねない。
セレは又飛び掛かられない様用心し、慎重にミーアの前に立った。
―そして手を出して頂きたい。噫然う然う。では受け取って下さい。―
そっとミルミを床に降ろしセレが両手を揃えて出すと、ミーアは一度胸を逸らし、何か絳い小さな種の様な物を数個吐き出した。
反射的にセレは両の手を上げ、其を躱す。
其は空しく床に落ちて、乾いた音を立てた。
ハリーではなくても落としてしまった。でも反省はしない。
―えっと・・・いや、あの御客様、受け取って頂かないと・・・。―
「だって吐いた物って触りたくないだろう。」
「まぁ・・・然うだよな。」
ちらとガルダも手紙を見遣る。未だ手を付けていない。
―其は心配無用です。ワタクシ達は溜袋を体内できちっと分ける事が出来るのです。汚したりなんてしませんよ。」
「確かに然うだよな。食べていたにしては変な液って言うか、然う言うの、付いてないもんな。」
泥さえなければ、只の手紙である。因みにセレの足元に転がっている物も汚れ一つ付いていない。
―只此の子は未だ慣れていないので配達中に誤って土を食べてしまい、大切な言の葉を汚してしまったのでしょう。―
ジロッ、と言葉の柔らかさとは裏腹にどすを聞かせた鋭い瞳をミルミに向ける。隻眼丈あって中々迫力がある。只、今の所の彼女の行動からして其の瞳の怪我は、強敵と闘ったりしたと言う輝かしい過去に因る物ではない気がして来た。何方かと言うと愛す可き我が子に愛の鞭を施した時に岩か何かにぶつかった・・・と言う方が信じられる。
ミルミは其の瞳に臆したのかしゅんと項垂れてしまう。
―ご、御免なひゃい。御中空いてて、撮み食いしました!―
如何やら誤って食べたのは手紙ではなく、土だった様だ。でも撮み食いと言うより、水で腹を無理に満たしているのに似ている気がする。
「龍古来見聞録にも確かに然う書いてあったしな。此方こそ折角の品を落としてしまって申し訳ない。」
セレは屈んで絳い丸い種の様な物を拾った。
「此は何だ?如何見ても梅干しの種にしか見えないのだが。」
御詫びの品には迚も見えない・・・。
若しかして此は実を食べた後の残りではないかと思われるのだが、其処の所は如何なのだろう。確かに、此の種を割れば乙な味のする不思議な皓い実が出て来るが、其を取り出して迄食べたいかと言うと微妙な所だ。其に自分の様な爪がないと容易には取り出せない物だし。
―噫、其はウメーの種です。珍しいでしょう?其を植えて置けば年中ウメーが食べられますよ。―
「ウメー?」
巫山戯ている訳ではない様だが、如何せん・・・。
抑くれるのなら其のウメーの方が欲しいのだが。何ヶ月掛かりの御詫びなのだろう。
「何はともあれ、手紙を有難う。又頼む。」
―あ、いえいえそんな!此方こそ有難う御座いまふ!―
ミルミが深々と頭を下げる。其の頭をミーアはペシッと叩くと、くわっと口を開いた。
―さぁ息子よ、長居は無用だ!御邪魔になってはいかん!帰るぞ!―
―は、はい母上!―
「あ、二匹とも一寸待てよ。俺達今から朝食なんだ。一緒に食べるか?」
「・・・雑草を振舞うのか?まぁ美味しいから良いけれど。」
何となく懐かしい味と言うか、俗に言う御袋の味、と言う奴に近いので、好物だったりはする。・・・御袋がいたか如何かは別にしてだ。でも其を他獣に出すのは・・・如何なんだろう。
―有り難い申し出。しかし他の子供達を家に待たせる訳には行かないので、又の機会に御願いしましょう。では。・・・行くぞミルミ!―
「ピィ!」
凄い速さで小皿を平らげたミルミは片手を挙げるとズボッと地面に潜った。
―又彼奴は御客様への御挨拶を忘れやがって!今日と言う日は許さん!待てやゴラァアァアア!!―
怒りで震えたミーアは盛大に土を打ちまけて地面に潜ると地響きをさせ乍ら去って行った。
遠くで挨拶代わりだろうか、バッキャロォォイ!!と聞こえた気がしたが、聞かなかった事にしよう。
「手紙も気になるが。」
セレは机にある手紙を見遣って一つ息を付いた。先程ガルダが泥やら土から護る為、机の上に置いたのだ。つまりは、其の必要があったと言う事は。
「先ずは掃除だな。」
穴だらけの床と、泥塗れの壁。
掃除と言うよりは修理やリフォームに近い。床下の補強迄含めると何日掛かりなのか。
考えた丈で頭の痛くなる話だった。
・・・・・
其の後、ガルダの気合と干渉力に因り、恐ろしい事にものの数分で部屋は元通りになっていた。彼のマイホームに対する信念は並大抵ではない。
ガルダ曰く、彼の事故を無かった事にして、只頓に無事だった時の部屋の内装を思い続けて壁に手を付いていた然うだ。彼の干渉力の邪魔をしてはいけないので、其の間自分は部屋に居なかったが、そんな彼を見たくなかったのも理由の一つだったりする。
でも流石神様と言うか、其ならもう左官とか大工は要らないと思うのだが、其処はまぁ神々の暇潰しらしい。
無駄にこだわってみた、みたいな。
自分には未だ其の感覚は分からないが、まぁそんな物らしい。御金は大切だと思うのだが、其は自分の感覚が未だ庶民的だからなのだろうか。うーん、前世って貧乏だったのかなぁ。一寸其は悲しい。でもガルダは如何やら未だ鎮魂の卒塔婆から給料貰っているみたいだし、良く分からない。別に給料ストップさせても困らないんだったら態々手続きして迄給料止めなくても良いか、と向こうは思っているのかも知れない。給料は形式上、みたいな。其にしても此方を泳がしている向こうの心境が分からない。幾ら結界とかしているからと言っても、薄々はばれている気がするんだが。
考えが逸れた。ガルダもフォードの考えている事は分からないと言っていたし、自分が考えた所で分かりっこないのだろう。うん、考えるのはもう止そう。
「其にしても本当凄いなガルダ。神としての格って言うか、違いを感じる。あっと言う間に元通りだ。」
一段落付いたので、一同は朝餉に在り付いていた。
ガルダは返事もせず、先程から何かブツブツ呟いているが、余程疲れたのだろうか。
因みに手紙は未だ開けていない。初の手紙依頼かと思うとわくわくするのだが、朝餉が冷めてはいけないので後回しだ。
彼の二匹は随分と好き勝手してくれたが、料理に被害がなかったのは僥倖と言えよう。
「料理も迚も美味しいのだ。い、幾らでも・・・食べられるのだ。」
言ってハリーは何とかスプーンを使おうとする。取り敢えず掴める程度には成長したが、其処から先の動作が一切出来ない。何度やっても机にスプーンを突き立ててしまう。後で掻き込むなりして食べさせてあげよう。
「あんな廃屋の様だったのに、良くもまぁ此処迄戻せた物だ。」
バキィイ!!
「・・・・・。」
振り返らずとも分かる。如何やら斜め後ろの床に大穴が空いた様だ。
何の怪奇現象だろう。結構ホラーだぞ、此。
ハリーも只ならぬ物を感じてか鼻をひくひくさせている。
「・・・えっとガルダ。」
「セレ、頼むから、頼むから彼は忘れろ。俺の干渉力がエンストする。」
凄い目で睨まれた。まるで何日も徹夜したかの様な顔をしている。結構力の維持が大変な様だ。
「わ、分かった。」
大人しくウィードソテーを食べる。うん、美味しい。
暫くすると床の穴は少しずつ埋まって行った。
干渉力って凄い。思い込みパワーは伊達じゃない。
「あー何て清々しい昊なんだ。皆も揃ってるし、部屋も綺麗だし。」
先に食べ終えたガルダは優雅に珈琲を飲んでいる。
身も心も家を保つのに捧げている様だ。何とも露骨な力の使い方である。
ハリーも敏感にガルダの変化に気付いている様だが、経緯が良く分かっていないのか、気にしていない風を装っている。
「そ、然うだなガルダ。床もピカピカだし。」
「だろ?噫セレ、食べ終わったら朝風呂にでも入ると良いよ。こーんなに部屋が綺麗なんだから、御前も身形を整えないと。」
何て爽やかな笑顔だろう。見た者のハートを射貫くのではなく、直に心臓を握られているかの様な薄ら寒さが肌を刺す。
「わ、分かった。然うする。言う通りにしよう。」
ハリーにウィードソテーを掻き込ませる。
今は宣言通り、ガルダの言う通りにしよう。皿を洗って、さっさと風呂に入ろう。正直自分も入りたかったので丁度良かった。
今のガルダは人質を取った強盗犯と一緒だ。要求は全て呑まないと如何なるか分からない。
「助かるのだセレ!とっても美味しかったのだ。」
心底セレはほっとした。ハリーが全く零さず食べてくれたからだ。
今部屋を汚すのは自殺行為に他ならない。そんな事をしたら部屋の美観の為にアートなりオブジェにされてしまうだろう。・・・絳い絵と変な形の像に。潔癖症の最終形態みたいだ。
「此方こそ、助かった。・・・良しと。」
セレが皿を重ねているとガルダがピッと掌を向けた。
「セレ、其は俺がしよう。其より先に風呂に入ると良い。」
「あ、噫、あ、有難う。」
爽やかな笑顔が恐い。言外で命令されている気がする。
自分の尾も其を自覚してかしゅんと委縮していた。
如何やら成る可く早く風呂に入って服の汚れや埃っぽさを落とせと言っている様だ。服が汚れていると否応なく彼を思い出すから。
「然う言えば何だ彼だで干渉力で綺麗になるから家の風呂に入った事がなかったな。どんなのか一寸楽しみだ。」
入っていたのは主に勇の家のだ。其の時はシャワーしか無かった、結構シンプルな風呂だったのを記憶している。
「確かにそーだな。俺も娯楽施設の一環で付けた丈だし。じゃあ驚くぞ。結構凄いから。」
一寸元気が出て来たのか、ニッとガルダは笑うと一つ伸びをした。
自分が風呂に入っている間は休憩する様だ。
「あー然うだ。新しいタオルは入って直ぐ左手にあるから。他に何かあったらテレパシーしろよ。」
「何かあったらって、初めて一人で風呂に入る子供みたいに言うな。」
其丈返すと自分は風呂場への扉を開けたのだった。
・・・・・
「な、何なんだ此はー!!」
あ、此では伝わらないのか。・・・確か、
―な、何なんだ此はー!!―
―大丈夫だよセレ。先の声、聞こえたから。―
―そ、然うか。いやでも此は何て言うか・・・武陵桃源みたいだぞ。―
改めて辺りをざっと見る。
扉を開けた時は普通の脱衣所だった。だからこそいけなかったのかも知れない。
タオルの場所も分かり易かったから、タオルを巻いて、石鹸はあるかなーと何の気なしに湯槽への扉を開けてしまったのだ。
何となく足を踏み出すと、足を湯に取られ、転んだ儘湯に運ばれ、激流を下ったと思えば急に中へ投げ出され、自分は果ての見えない程の甃を敷き詰められた床の上に立っていた。
入口がスライダーの風呂なんて考えられない、と思っていたが、辺りを見て其の考えは停止してしまう。
先ずは右手には良く見えないが毒々しい色の露天風呂。蛍光色の湯気が怪しく棚引いている・・・。
左斜めには泡々な風呂、更に其の先には雲華とも霧ともつかない物が旻高くを漂い、其処から陰霖の如く、滝湯の代わりか湯が出ていた。
中央には玻璃の旻中階段があり、螺旋の先には四つの大きな水球が浮かんでいた。
奥にも未だある様だが一体何だろう。まさか・・・否、気の所為か。
―何というスケール!何と言う広さ!金持ちが余った御金を無理に使って作った欲に塗れた楽園の様に開放感溢れる此処は一体・・・。―
―おーい、セレー。帰って来い。―
はっと我に返る。
其にしても、何て広大なんだ。此処は部屋なのか外なのか。
何で客間より風呂の方が広いんだ。銭湯か此処は。天井も見えないし、如何なっているんだろう。
―其の風呂はなぁ、何かフォードの餞別なんだ。躯には気を付ける様にって。癒しには風呂が一番だ、とか何とか。気付いたら凄い事になってた。―
―あ、彼奴が?―
恐ーいイメージしか無いから何とも。風呂大好きだったのだろうか。
―・・・えーっと先ずは風呂の説明を御願いします・・・。―
―だよなぁ、勝手が分からないよなぁ。然うだな、先ず右手にある毒々しい奴、見えるか?―
少し近付いてみる。ゆらゆらと何かが漂っている様な、浮いたり沈んだりしている様な其は鈍く曦を反射している。酷い臭、腥い様な臭もするし、何て言うか魔女の鍋の中身みたいだ。
―あ、噫、見える。見えるぞ。―
矢っ張此、風呂かぁ・・・。
全然風呂に見えない。入ったら毒になりそうな底無しの毒沼みたいだ。出来れば入りたくない。
―其は入ると魔力回復効果がある。怪我した時とか良いかもな。飲むとより効果がある優れ物だ。―
―うはー凄ーい。―
絶対怪我しない様にしよう。飲むとか最悪だよ。
―あ・・・ま、まさか鎮魂の卒塔婆から帰って来た時、怪我の治りが早かったのは・・・。―
ごくりと固唾を呑む。
―え?噫彼の時は魔術、俺のしか使ってないよ。だって風呂に入れるのは・・・その・・・。―
な、何だ良かった。尻切れ蜻蛉みたいな彼の物言いが少し気になるが、取り敢えずは良かった。
―えっともう・・・良いか?じゃ、じゃあ次は左、左だな。左に皓い風呂ない?―
―噫、凄いぼこぼこしているな。―
泡立ち過ぎて湯が真皓だ。
泡風呂かぁ、気持良さそうだな。此方に入ろうかな。
―然う其。見ての通り泡風呂だ。沸騰させて泡作ってるんだぜ。凄いだろ。―
「・・・・・。」
え、何此、100℃位あるの?
煠で上がっちゃうよ?水炊きみたいになっちゃうよ?いやに熱いなとは思ったけれど。
―ガルダ、其は神が入れる様に設計してあるのか?―
―ハハッ、何言ってんだよ。入って数分は湯の効能でヒリヒリするけど、直ぐ収まるし、寧ろ其が癖になるぜ。―
「・・・・・。」
感覚が麻痺してやがる。其はどんな湯でも起こり得る現象だよ。
此、ガルダの光属性じゃないと入れないじゃん。強靭な治癒力がないと煠で上がっちゃう。
仕方がない。泡風呂は諦めよう。
―えーっと確か・・・然うだ。一寸先に靄って言うか雲華があって、瀧みたいになってるのあるだろう。―
―噫、打たせ湯って言う奴だったか?―
中々趣があって面白い。幻想的で何とも言えない味がある気がする。自分は斯う言った風景や芸術には疎いが、此が名のある大工とかの巧みな技が丁寧に、ふんだんに使われているのは分かった。匠の神・・・とか。
其にしても此の打たせ湯・・・、勢いがあり過ぎるって言うか、下の甃、結構ガリガリと削られているけれど大丈夫か?雨垂れ石を穿つって言葉があるが、彼は数十年だか数百年もの歳月が掛かってこその言葉の筈だ。其を今リアルタイムで見ているのだけれど。寧ろ雨垂れ石を砕くみたいになっているけれど、本当大丈夫か?大丈夫なのか此?
―そーそ。打たせ湯って言うんだ。其、結構気持ち良いぞ。強目だけど、凄い肩の凝りが取れて鎖骨とか関節が曖昧になるかの様に柔軟になるんだよ。―
其は肩の骨が其処の甃の様に粉々になっているのでは・・・?
何の道、自分には無理の様だ。仕方ない。諦めよう。
―えーっと、確か・・・あれ、後何がある?―
ちらと辺りを見遣る。気になるとすれば、目の前の此だ。ってか自分の家の風呂位憶えとけよ。
―階段。―
―噫、然うだ然うだ。其、一寸上ってくれるか?―
―・・・分かった。―
彼も風呂なんだ。オブジェかと思ったけれど。
尾を振って距離を確かめ、助走を付けず軽く地を蹴る。爪が床に擦れて音を立てた時には、自分は階段を上り切っていた。
下から律儀に上っていると此の玻璃の床が傷だらけになり兼ねない。此の位のショートカットは許して貰おう。
四方を見る。
四つの球体の様な水が浮いている。何とも不思議な光景だ。反重力みたいで、足元が覚束無くなる錯覚を覚えてしまう。
―上ったか?えっと其、目の前に四つある球、あるだろ?其は中に入ると汚れとかを落としてくれる。中で息も出来るし、眺めも良いし、気に入ると思うぜ。―
―其は良いな。・・・じゃあシャワーは無いのか?此があるからシャワーとか、石鹸が無いのか?―
もう一度辺りを見ても其らしい所はない。入れない観賞用の風呂しかない。
確か風呂に入る時ガルダはタオルの場所しか言わなかったから石鹸は無いのかも知れない。
―え、だから彼の瀧のや・・・、―
―いや、良い。此は便利だからな。シャワーは要らないな。何て楽ちんなんだ。―
そっか。此があるからシャワーは要らないんだ。代替打たせ湯シャワーなんて刑具は存在しないんだ。もう石鹸とか使うのは古の話なんだ。屹度然うだ。
良し、此なら入れそうだし、一寸興味もある。入る事にしよう。
―此ってタオル巻いた儘入ってはいけないよな。―
洗濯・・・にはならないだろうし。
実の所翼が大きいのだから、後誰も居ないし、十分其で隠せるのだけれど、癖みたいな物で一応タオルは巻いている。如何も布を見たら包まりたくなるのだ。温かそうとか考えてしまう。
其にしても湿っぽい。翼が重くて気怠い。さっさと入って温まりたい所だ。
―タ、タオル!?え、あ、う、うん。ど、何方でも・・・その、良い、良いよ。・・・うん。―
声が上擦っている。一体如何したんだろう。又ぞや干渉力がオーバーヒートしてしまっているのだろうか。いや、もう既にメルトダウンしているのかも知れない。
―何だ。ガルダの所ではタオルを巻くのは変な事だったのか?自分の所では然う言う風習があったが。―
―い、否、俺も同じだけど、その・・・だ、だって今、は、・・・うぅ。あーもう!もう切るぞ!―
―な、何だ何かあったのか?未だ入れるか如何か聞いていない風呂だって有るんだぞ。取り敢えず向こうの奴丈でも説明してくれ。―
聞き過ぎて面倒だと思われたのだろうか。随分早口だ。
だって仕方無いじゃないか。聞かずに入ったら死んでいるかも知れないんだぞ。火傷とか複雑骨折とかで。
風呂で複雑骨折とか密室事件にもない。わー風呂に入ったら骨が出たーとか聞かないだろ普通。
―え・・・あ、向こう?向こうって確か・・・。―
目の前の水球を指で突き乍ら答える。
見えなくても波紋があるので背後の大きな風呂が見えるのだ。
此の大きさ・・一寸した滄江みたいな感じになっているのだが。其に何か変な付属品、流し索麺の台みたいなのが付いている。此は一体・・・?
其にしても此の球は不思議だな。水が宛ら宇宙空間にある様に浮いている。触ったら少し弾力があるし、不思議だ・・・魔術、なのだろうか。
―向こうってのは何か途轍もなく大きい風呂だ。少し離れているから全貌は見えないが・・・。―
ってか此の風呂場、何丈広いんだ。波紋なら軽く2、3km迄頑張れば見えるのに、頑張っても果てが見えない。干渉力って凄いな。こんな大部屋ってか風呂の世界も外から見ると二畳程度にしか見えない。此こそ巧の技なのだろうか。極限迄コンパクトにしてみましたみたいな。
―噫、彼か。彼は流れる風呂だよ。ホットウォータージェット付きの。―
成程、彼の流し索麺の台みたいなのは滑り台だったのか。凄い水の勢いが良いから索麺用かと思ったよ。
温水プールとの違いが分からないけれど、取り敢えずは流れる風呂なんだな。
―・・・ってそんな混浴とかじゃないのに温水プ・・・流れる風呂って、一柱で入るの寂しくないか?―
元はと言えばフォードが造ったらしいし、若しかして大きなプールに憧れていたのかも知れない。一応・・・子供だし。年は知らないし、正直可也恐い神だからそんな童心があるかは分からないけれど。
其を思うと此の風呂、フォードの悪意が其処彼処に転がり、鏤められている気がしてならない。否、寧ろガルダの事を考えに考え抜いて迷走して結果が此の処刑場なのかも知れない。何かと忙しそうだもんね、彼。
―んー確かに一柱だと寂しいけど、そんな広い空間を独り占めって中々楽しいぜ。―
―まぁ然うかもな。―
緩りは出来るだろうな。永遠に出られない可能性だってあるし、彼のプールだって一周が長過ぎて果てが見えないからな。じっくり一時間は流されるかも知れない。
―一寸流れが急なのが玉に瑕だけどな。すっごい湯飲んじゃうんだよ。只其の湯の効能かな。沢山飲むと少し意識が飛んで楽になるんだよなぁ。―
「・・・・・。」
ガタガタガタ
ガルダさん、其、溺死って言うんだよ。とっても危ない事なんだよ。其の儘楽になっちゃう事もあるんだよ。君、効能って言葉、言っとけば大丈夫だとか思ってないかい?
然うか。彼もガルダにしか入れない風呂なんだな。良かった。最後迄聞いてて。行方不明になる所だった。前も溺れたから其には自信があるんだ。
―良し、分かった。教えてくれて有難う。適当に入って出る事にしよう。―
―あ、噫・・・えと、ご、御緩。―
何だか彼の様子が変だが、屹度干渉力の使い過ぎに因る疲労だろう。
尾で床をさっと擦る。
さて、折角色々な風呂があるのに自分が入れるのが一つ丈と言うのは切ないが・・・否、一つでもあったから良かったのか。
まぁ取り敢えず其の一つである此の水球に入ってみよう。
一寸わくわくする。一体如何なっているんだろう。
手を少し入れてみる。
わ、凄い、ちゃんと水の中に入ってる!何だ此!イリュージョンか!
此の位丈では手が手だから余り感覚がなくて何とも言えないが、温かそうだ。
好奇心が先に立つ。尾が見ずともブンブン振られているのが分かる。
まぁ然う慌てるな。今は大目にみるが、此処は寧ろ冷静に慎重にだな・・・。
「行っくぞぉぉお!!」
一呼吸の間もなく、思い切って中に飛び込んでみる。
おお!本当だ、息が出来る!其に温かい、全身が入っているからポカポカする。尾も翼もすっぽり入るなんて!何て開放感!・・・只何だろ、少しちりちりする気が・・・。
「ッギィイィャアァアアァアァアッ!!」
悲鳴ならぬ断末魔が盛大に谺する。
全身に痛みが走り、思わず絶叫と共に水球から飛び出す。そして其の儘床迄真っ逆様。受身も取れずに落下して、しこたま躯を打ち付けてしまう。
痺れる様な、感覚が遠退く様な痛みも相俟って暫く床に這い蹲り、呻る。只、ひりひりが続くので一度水を飛ばし、タオルも少し遠ざけた。代わりに翼と尾を駆使して縮こまる。
額が割れている気がする。視界が絳黔いし、此の湯・・・こんな色してなかった気がする。否、此の色が此の毒水の真の姿なのかも知れない。
「い、痛たたた・・・。」
な、何だったんだ。彼の焼ける様な痛みは、まさか此も熱湯?あ、腕も絳くなっている。血も滲んでいるし・・・でも今の感じって、
―ちょっ、セレ大丈夫かよ!今凄い声がしたんだけど!何だ、若しかして誰か居るのか!―
何で発想が其処?まぁ今は其所じゃない。
―あ、彼の水の球の風呂って・・・効能、何だっけ・・・。―
毒水に効能も何もないけれど、一応聞いてみよう。
―え?先も言っただろ。汚れ落としてくれるって。其より何があったんだよ。―
な、成程、分かったぞ。彼の風呂は汚れを身ごと削ぎ落して溶かすんだ。
つまりは・・・強酸風呂。
「・・・・・。」
固唾を呑む。まさか一番危険な風呂に飛び込むとは。此の手足は頑丈だから良いけれど、他の所は然うは行かない。
タオルは薄くなっているし、髪だって軽くなってしまっている。本当の行方不明になる所だった。手品、否猟奇事件に他ならない。
何があったか・・・ねぇ。何だと思う?
―ほらあの、何か改めて良い景色だなぁ・・・と思って。つい感嘆の声を上げてしまった。―
―然うか?俺には興味津々で風呂に飛び込むと躯が溶けて余りの激痛につい断末魔が漏れたのかと思ったんだけど。―
―否々、そんな事は無い。いやー本当に綺麗だなと思った迄だ。―
床を見詰めた儘テレパシーを飛ばす。冷や汗ですっかり冷え切ってしまった。
ってかそんな具体的な悲鳴が聞こえたなら彼にも原因が分かりそうな物だが、身体的にも精神的にも鈍感な彼には届かなかったらしい。
悲鳴丈で状況の分かる素晴しい観察力を有しているのに、其と感受性が結び付かない様だ。其奴、最低じゃないか。一寸神格を疑うぞ。
あー血が止まらない、如何しよう。墨みたいなのがポタポタと・・・一寸タオルを当てるか。
手を伸ばして先程放った其を拾う。そしてそっと額に当ててみた。薄くはなったけれど吸水力は多少はあるだろう。
「あれ・・・止まる所か勢いが増した・・・様な。」
どくどく出てる・・・血の出過ぎか頭の回転が宜しくない。若しかしたら背のマイクロチップが少しいかれたのかも知れない。良く取扱説明書に濡らさないで下さいってあるけれど、強酸に関しては言わずもがな濡らしちゃいけない事は分かっているからな。何方かと言うと危険物に近付けないで下さいの方に近い。
「あれ・・・もうタオルが真っ黔に。あ、然うか。」
止まる訳ないじゃん。だって此には既に強酸が染み込ませてあるんだから。どんどん溶かしちゃうぞー。
「ははー馬鹿だなぁ。一寸考えたら分かるじゃんそんな事。馬鹿は死ななきゃ治らないんだぞー。」
ははは、はは・・・。
「うわー!!此の儘じゃ本当に死んじゃうよー!!あぁぁあ止血しないと!」
タオルを打ん投げて慌てて額を押さえる。時空の穴から彼の晒を取り出して頭に巻いた。
良し、此で大丈夫だ。はー助かった。
思わず投げてしまったタオルを探すが、少し考えてみる。確か投げた時、自分は彼を少し高目に投げた筈だ。本体なら彼は自分の直ぐ背後か少なくとも其の付近に落ちている筈なのだが・・・無い。えーっと、然うだ。投げた時、上空の方で何かジュって音がした気がする。
上を見上げる。見る迄もなく其処にあるのは彼の水球だ。
「く、何て事を!私は彼奴を巻き込んだ許りではなく、たった独りで死地に赴かせたと言うのか!彼処に行けば奴等の為すが儘、無抵抗に嬲り殺されてしまうではないか!彼奴とは身を預けた仲だと言うのにっ。でも、私は忘れないぞ、次こそは必ず、御前を護り抜いて見せるから!」
―・・・狗も食わぬ茶番は良いから早く彼奴に応じたら如何だ。煩くて眠れん。―
拳を震わせていた自分に無粋な石を投じたのは他でもない丗闇だった。
―あ、ご、御免丗闇。ん、でも彼奴って?―
―・・・おい、セーレー。聞こえないのかー?―
ピクッと耳が動く。勿論、其をしても何ら意味は無い。此はテレパシーなのだから。
一柱で遊んでしまってすっかり彼を忘れていた。
―済まないガルダ。何だ?聞こえるぞ。少し惚けてしまっていた。―
―あー分かる分かるよ。俺も風呂の余りの気持良さについ意識がふーっとな。―
全然分かってねぇよ。何だ此奴。まぁガルダの場合は気持良さでふーっとなった訳ではないんだろうけれど。おかしいな、ふーっとなった理由は似た様な物なのに、斯うも感想が異なるのか。
―でもセレ、本当に大丈夫か?何かあったんじゃないのか?ハリーだって助けに行かねば、とか言って扉ガリガリしているぜ。何かあったんなら正直に言えよ、仲間だろ。・・・其とも矢っ張俺の事信用出来ないのか?―
しつけぇ・・・。風呂丈に何真剣になってるの?然も其の台詞を言う奴って大低良からぬ事を考えている輩だぞ。ってか止めろ、覗くな。何ナチュラルに覗こうとしているんだハリー。後二刻以内に風呂から出ないと彼が入って来てしまう。・・・あれ、其だと覗きじゃなくて只風呂に入ろうとしている丈なのか?
此の家にはデリカシーの無い奴しか居ないのかも知れない。否、でも何だ彼だ言ってガルダは気が利く奴だ。其では失礼だろう。
―あ、若しかしてセレ、腹減って御中が鳴ったの隠そうとして叫んだんじゃないのか?ばっかだなぁ、照れ隠しにもなっていないぜ。其とも此処迄聞こえる位大きな音だったのか?―
デリカシー零。エアクラッシャーとは彼の事か。
―・・・頓馬め。―
―うえぇ!?何、其の、何か今迄で一番心の籠った怨言は!?―
失礼な。自分からの愛の籠ったアドバイスに他ならない。
神が御前の風呂で死に掛けているのに呑気に飯の話すんじゃねぇよ。
―・・・御前も大変だな。―
―うぅ、分かってくれるのは丗闇丈だよ。―
やばい、涙出そう。有難う丗闇。何か其の一言で報われた気がするよ。
―あ、そだセレ。真面目な話、上の丸い風呂は四つの内一つ故障しちゃって湯しか出ないのがあるんだよ。若し汚れ落ちが悪いと思ったら他のに入れな。ランダムで一つ壊れるから何がとは言えないんだけど。御免な。修理早目にして貰うから。―
―其だ!―
やったー自分にも入れる風呂があったよ!いやー良かった良かった。壊れてて本当良かった。
―ガルダ、修理はしなくて良い。何かロシアンルーレットみたいで面白いじゃないか。其は恐らく此処を作った巧さんが態と然うしたんだよ。此は此で趣があるってもんだ。―
立ち上がって上を見る。さて、何が楽園だ?
―そ、然うか?セレが其処迄言うなら良いけど・・・変な奴。―
煩い。身体的に変で鈍感な御前に丈は言われたくない。
自分だって分かっている。ロシアンルーレットの何処に赴きがあると言うんだ。然も只のロシアンルーレットではない。一箇所以外全て弾丸が込められているんだぞ。
そんなリスクを自分は私生活に持ち込むたくない。仕事がハードな分、何方かと言うと平穏で暇な位の日々を望む。
タンッと地を蹴って又、玻璃の上に降り立つ。
さて、前後左右は水球だ。鬼門は避けなければいけない。
―丗闇、湯の成分、闇の力か何とかを駆使して見た丈で分かったりしない?―
―タオルの端を入れてみれば良いだろう。―
―な、成程。―
何と知的な方法だ。流石だ。こんな時でも冷静さを失わない。
あっさり助言をくれたのは自分を不憫に思っての事だろうか。
早速タオルの端を・・・あ、タオルは・・・。
「・・・・・。」
―御前も死地へ赴く時が来た様だな。―
―御願いします。助けて下さい丗闇様。―
ってか斯うなるの分かっていたよね丗闇さん?からかいたかったのでしょう?
―其の無駄に長い髪で代用すれば良いだろう。―
―あ、有難う。―
あれ、別にからかいたかった訳ではないらしい。本当は只単に早く寝たかったのかも知れない。
まぁ御蔭で良いアドバイスが手に入ったのだ。実行してみよう。
数本髪を抜いてみる。長いと言っても、心做し短くなっている。其を手に取ると曦の加減で金や銀へと変わっていき、まるで絹か露に濡れた蜘蛛の糸の様だった。
其の先を持って正面の水球に浸けてみる。・・・溶けた。外れだ。
隣の奴は先身を以って知ったので其の又隣だ。・・・おお、溶けない!本当にあったんだ!デマゴギーでも、都市伝説でもなかった!
そっと足を入れ、慎重に入って行く。
「ほ、本当に湯だ!只の風呂だ!やったー!やっと温まる!」
ほぅと息を付く。
噫、苦労した分気持良く感じる。丗闇の溜息が聞こえた気がするが屹度気の所為だろう。
一寸ヒリヒリするけれど彼の痛みと比べたら心地良ささえ覚える。
あ、いや、覚えちゃ駄目だ。其こそ変な奴になる。自粛しよう。
尾を振って目を細めると、セレは暫し其の場に留まるのだった。
・・・・・
「おーセレ、上がったか。随分長風呂だったな。」
ソファーに座って居たガルダが片手を上げた。若しかして彼はずっと、自分が風呂に入ってから出る迄然うして居たのだろうか。ぼーっとしていたのかも。
「噫、良い風呂だった。」
生を実感する位に。
後手で扉を閉じる。見ずとも触れた丈で其は寸々だと分かった。
「ん・・・御前入り過ぎだろ。逆上せて絳くなってるぜ。御負けに粋な晒の巻き方しちゃってぇ。」
ヨッ!色男、と囃す此奴に殺意が湧いたのは自分丈ではない筈だ。此の衝動に任せて此奴をぐちゃぐちゃにして彼の強酸風呂にしっかりたっぷりじっくり漬けてやれば此奴も他神の痛みが分かる様になるのかも知れない。
自分の内に眠る、もう直ぐ目醒めるかも知れない冥い感情に気付いたのか、ハリーの耳がピンと立ち、わたわた髪を揺らした。
「だ、大丈夫なのかセレ!何も無かったのか?」
「大丈夫だよハリー。ほら、私は元気一杯だ。」
肌と頭とタオルと髪数本と精神の犠牲丈で彼の武陵桃源から生きて出て来られたのだ。無傷と言っても良い。
ニコニコと達成感の滲み出る良い笑顔のセレを見て、ハリーも自然笑みが零れる。髪先が少し揺れた気がした。
「ふむふむ。風呂とは中々凄い物の様なのだな。我の居た所には其の様な物無かったからどんな物かは分からぬが、セレよ。其方の様子を見ていると我も入ってみたくなったぞ。百聞は一見に如かずと言う言がある。我も入ってみたいのだ。」
わーすっごい無邪気だ。無知とはこんなにも恐ろしい物なのか。
・・・ん、でも百聞は一見に如かずって変じゃないか?だって百聞って自分の悲鳴と断末魔がメインだろう?だったら一見は言わずもがな、其の類の物だって、分かりそうな物だが。
「其は又の機会に取って置くと良いよハリー。うん、其の方が楽しさ倍増だ。本来彼は疲れた時に入る物だからな。」
「うむ。分かったのだ。」
頷き一つで返事をするハリーが何だか無性に可愛く見えて来た。
世の中御前みたいなのしか居なかったらもっと棲み良い世界になっていただろうに。・・・手先は除いて。
何とはなしにポンポンとハリーの頭を叩いていると、彼のエアクラッシャーから突風がやって来た。
「でも入りたいなら入っても良いぜハリー。別に家なんだから何度入っても良いんだし。水浴び気分で行ってみたら如何だ?」
和やかに手を振り乍らソファーに腰掛けているガルダが声を掛ける。
貴様は然うやって仲間を死地に送り込むのか。宛ら前進しか言わない敗軍の指揮官の様に。
さぁ一体何の水を浴びせるつもりだ。熱湯か?毒水か?激流か?将又強酸か?
「むむぅ。」
少し困った様にハリーが首を捻る。
ま、不味い、此の儘ではハリーは敵の正体も知らぬが儘に進撃してしまう。
其丈は止めないと。
「ほらでもハリー、入るのならちゃんとした準備が要るんだぞ。先ずタオルは必須だ。其を持っていないと話にならない。何なら二枚以上用意しろ。あればある丈良い。そして入り方にも作方があるからな。其の道程は長く険しいから今は割愛するが、良いか、ハリー。御前はタオルを持てないだろう?だから此処はもう少し機会を待って・・・噫、そんなに落ち込まないでくれ。此は御前の為想って言っているんだ。頼む、信じてくれ。ハリーの初御風呂を良い、最高の懐い出にしてあげたいんだよ。何なら私が練習に付き合ってやるから。な?」
「う、うむ。分かったのだ。然うするのだ。」
必死過ぎたらしい。滲み出る闘気にも似た物についハリーはぱちくりと瞬きを返す。
納得はした様だが少し残念そうな面持ちなので自分はわしゃわしゃとそんな彼の頭を撫でる事で慰める事にする。決してモフモフ依存症に因る副作用ではない。
「えーでも・・・。」
「あ、然うだガルダ。依頼の手紙は何処にある。内容が気になる。是非見せてくれないか?」
でもが多いんだよでもが。でもは二回迄なんだぞ。でもでもがあってもでもでもでもってくど過ぎて聞かないだろう。
緊急回避で躯ガルダに向き直る。躯を張らないと、エアーがクラッシュしてしまう。
「手紙?あぁー彼な。わりぃ、待ち切れなくて先開けちゃった。」
開けたのかよ、開けちゃったのかよ。
ホントデリカシー0だな。先に風呂に入った自分も自分だけれど、でも元を正せば其はガルダが強制したのだから自分に非は無い筈だ。長風呂になってしまったのも然る可き理由の基だし、何より自分が迚も楽しみにしていた事を此奴は知っていた筈だろう?だのに何故こんな酷い仕打ちを苦笑一つで出来るんだ。
若しかしたらガルダは干渉力を使う代償にデリカシーを消費しているのかも知れない。だったら良いよ家直さなくても。其処は素直に巧さん呼んであげようよ。
ってハリーは手紙開けるの止めてはくれなかったのだろうか。・・・あ、然うか。ハリーは扉攻略に全精力を傾けていたのだ。ガルダの奇行を止める事等、出来なかったのだろう。
「・・・で、中身は?」
「んー、其なんだけど。」
ガルダが机に手を伸ばし、一葉の手紙を取る。皓い封筒に皓い便箋。何ともシンプルな手紙だ。
ガルダは手紙を取ったは良いが、中々此方へ渡そうとはしなかった。ふい、とガルダが手を振るうのをハリーの潤み色の瞳が追い掛けた。
読ませたくない様だ。内容が引っ掛かるらしい。全く、今更そんなに空気を読まれても困るのは此方だ。
其の動作丈で、手紙には何て書いてあったか少し見当が付くのだから。
少し乱暴に引っ手繰る様に手紙を受け取る。
広げなくとも其処に踊っている字は見えていた。見る迄もなく、見えてしまうのだから。
曰く、『魔の者が村を壊滅させたので、捜し出して討伐して頂きたい。』
何でもない依頼文だが、悪い気がするのは確かだった。
魔の者、そして討伐。其の魔の者が何なのかに因っては達成出来ない依頼だ。自殺する訳には行かない。
捜し出して・・・、一番引っ掛かりを覚えるのは此処だろう。場所が特定出来ていないと言う事は、他次元の者と言う可能性が如何しても否めないのだから。
「俺が行って来ようか?」
「何を言っている。折角の初依頼じゃないか。此処は私に行かせてくれ。自分で確かめたい。」
皆で、とは言えなかった。
其が言える程自分は、一緒に居る事に、支える事に慣れていなかった。気を遣わす位なら、気を遣う位なら、一柱の方がずっと楽だ。
くしゃっ、と手紙が音を立てる。自分の手が余りにも歪過ぎて、本の少しの力丈でくしゃくしゃにしてしまう。
此の手は、足は、姿は、然う言う代物なのだ。
「・・・分かった。呉々も気を付けろよ。俺達は留守番だな。ハリー。」
察したのか其以上ガルダは追及しなかった。・・・此の距離が良いのかも知れない。少し、寂しいけれども。
「ぬ?ガルダよ。其なら我等は我等で何処かの次元へ行けば良くないか?」
「いや、なーんか来る気がするんだよ。虫の知らせって奴かな。悪い事じゃないだろうけど。其に店空けとく訳には行かないだろ。干渉力で如何斯うなるとしてもだ。ちょーっと用事も出来たしな。」
ちらとガルダが自分の部屋を見遣った。大事な用だろうか。・・・言わないのなら聞かない方が良いだろう。
「ふむ。然う言えば然うなのだ。神手が足りないと中々思う様に回らぬ物だな。」
「うーん。どっかに物好きで体の良い神、落ちてないかなぁ。」
腕組をして少し唸る。神遣いの荒い神だ。祟られるぞ、そんな事したら。
「・・・じゃあ私はそろそろ出るぞ。・・・ん、噫此、飾ってくれたのか。」
何時の間にか玄関の窓辺に蛍ノ鈴が置いてあった。家が破壊された時には無かった筈だから今々先置かれたのだろう。
此処ならドアを開ければ其の薫風で音を鳴らしてくれるし、何より綺麗だ。見ていて自然と頬が緩む。
「あ、気付いてくれた?一寸時空の穴から拝借しました。」
気が利くのは良いけれど、あれ・・・時空の穴って共有の物なの?デリカシーが無いのは何時もの事だけれども。うーん、自分の時空の穴の使い方が悪いのかなぁ。干渉力、足りていないのかも。ガルダに侵入を許したら何かといけない気がする。
「そっか。じゃあ此でもう此のドアベルは只のインテリアになったな。」
背伸びし、指先で一寸ベルを突いてみる。何だか少し寂し気だ。
其も然うか、未だ数える程の客の来訪を告げた丈なのだから。
「止めろ。そんなの巧の神様に失礼だろ。」
そんな事を言われても仕方ない。蛍ノ鈴に罪は無いし、匠の業を活かせなかったガルダが悪いのだ。
「じゃあ行って来る。」
軽く手を上げると応じる声が二つ上がった。
襤褸のオーバーコートを翻す。
ドアを開けると薫風に触れてか、蛍ノ鈴が音を紡いで見送った。
・・・・・
疎らな雲華が急ぎ足で駆ける中、荒れ果てた家々の立つ荒涼とした地に緩りと舞い降りる影があった。
被っていたフードから幽風に煽られ金髪が零れ出る。其の髪を押さえて一つセレは溜息を付いた。
手紙の送られて来た道を辿って来たのだ。
歓迎されていない事は分かっていたが、斯うも寂しく廃れてしまった廃村を見ては、嫌な気がして仕方ない。
此の思いすら、自分を、丗を騙す演技なのかも知れないと思うと、吐き気さえ込み上げた。
前後左右に波紋を投げてみるが、映るのは崩れ掛かった家屋許りだ。
此を・・・魔の者がやったのだろうか。
「先ずは依頼者を探すか。」
流石に此処に依頼者が住んではいないだろう。野晒しの家々に今昨の生活跡は残っていない。此処は小高い丘の様になっているから、此処を下りれば何かはあるだろう。
「ん・・・。」
数歩歩いて立ち止まる。何かの気配が二つ程、影になって波紋に映ったのだ。
待ち伏せ?否、此は寝ているのか。
長く尖った耳を敧てると凱風に乗って小さな寝息が聞こえる。気配を隠している様でもないし、間違ってはいないだろう。
此の影は若しかしたら・・・其はないか。
不図取留めのない考えが浮かんでは即座に消した。
寝ているのならそっと様子を見れば良い話だ。近くに人か何か居ないか尋ねてみよう。
屋根の崩れ落ちた、壁丈で何とか家らしき物を形成している其に近付く。余り音を立てない様に壁の裏側を覗き込む。
「っええ!?」
はっとして口を塞ぐがもう遅い。余りにも大きかった声は寝ていた一人と一匹の背を叩いた。
「何よー、人が寝ている時に・・・ひぇえぇ!!」
互いに鏡を見せた様に同じ顔を浮かべる。
其処に居たのは誰であろう。ドレミと一匹の魔物だった。
「う、え・・・あ、をっ。」
口をパクパクさせ、一心に状況整理に努める。
驚いてつい立ち上がったドレミも手をパタパタさせたりと忙しそうだった。
まさか、まさかとは思っていたんだ。でもまさか知人に遇うなんて普通思わないだろう。外国に行ったら灰吹きから蛇が出るの如く友人に遇った、と言うレベルではないのだ。他の星々、否、銀河に行って偶々友人と遇うレベルだ。誰がそんなの予想出来る?
「え・・・と。」
いやいや待て待て、今目の前に居るのが先会ったドレミとは限らないだろう。赤の他人、他人の空似だろう。
いやでも此方見て驚いていたんじゃ・・・。
噫いや、彼は彼だよ。ほら、他人がこんな所に居るなんてーそんな驚きだよ。
「えっと・・・奇遇ですね。何て名前ですか?私はセレ・ハクリューです。」
「ドレミ・・・だけど。」
ですよねーと言う空気が一同を包む。
えー本当に本人なのかなぁ。あ、でもほら、同じ名を付けると其の名に込められた願いに因って似通った人になるって話あるじゃん。彼だよ、うん、ほら、彼女の大切にしていた彼の絳い勾玉もないし。
・・・考えてみて、醜くて空しい足掻きだった。
ドレミも自分と同じ事を考えているのか目を伏せておろおろしている。
互いに視線を合わせられずにいると、むくりとドレミの隣で横になっていた魔物が起き上った。
其の魔物は長い尾を入れて全長3m程で、狐か狗の様な体躯、耳は大きく翼の形をしていて、黄の腹を除いて全体的に橙色。背には棚引く茶の鬣を有し、恰も二つ目の尾の様に閃いている。瞳は夕暉の様な真紅で、近々見た事がある様な既視感を覚えた。柔らかそうな毛並に短い牙、爪が無い所からして如何にも温厚そうだ。
其の魔物は一度瞬きをするとドレミとセレを交互に見遣った。
―ドレミ、そんな間怠っこしい事しないで直接聞いたら如何?貴方は坎帝の牙で会った方ですよねって。―
「テレパシーが使えるのか!」
然も迚も知的そうだ。其のざっくりした感じが良い。モフモフも然りだ。
「・・・あ、然うか分かったぞ。御前は古獣か。」
龍古来見聞録にあった筈だ。
彼等は龍族の中でも特異な者で、全属性耐性があり、四つ足の狗か狐の様な体躯を除くと身体的特徴は一頭一頭異なる。只彼等は輝石に願いを掛けて生まれたと言う伝説があるからか、輝石に転じる術を有し、古獣の帝国と呼ばれる地に棲息していると言われている。そして其処には王の様な者が居たりと、社会性を築いており、己の国の中で閉鎖して生きている為、目撃例が極めて少ない。・・・こんな感じだったろうか。
―はい、僕は古獣のローズと申します。以後、御見知り置きを。―
ペコッと頭を下げる。
うわー凄いモフモフしてそう。触りたい。凄く抱き付きたい。何とかもっと御近付きになれないだろうか。
「ん・・・でも何で御前が私の事を知っているんだ?前の次元・・・えっと、海辺と言うか、彼処には居なかっただろう?」
こんな奴が彼の時近くに居たら間違いなく自分のモフセンサーが反応する筈だ。見逃す訳がない。そんなの、モファンターの名折れだ。
―噫、其の事なら、勾玉になれるので。―
「成程、然う言う事か。」
ローズの瞳の絳に既視感を抱いたのは、其が丁度彼の勾玉と同じ彩だったからだ。
・・・でも然うか、矢っ張り然うか。御本人さんでしたか。何故か他次元で邂逅しちゃいましたね。不思議だなぁ。
「あれ、でも其方こそ如何してロー君の事、知ってるの?」
一寸ドレミが首を傾けて疑いの目を向ける。
う・・・怪しまれている。モファンターだとばれたのだろうか。
「まぁ然う言う存在を知っているって言うか。」
ちらとセレはローズを見遣った。
対するローズは耳を戦がせると、数歩セレに近付いた。そして鼻先をそっと腰の辺りに擦り寄せる。
「あ、一寸ロー君。」
ドレミが長くうねるローズの尾の先を掴んだ。
其に尾を少し持ち上げ、ドレミを見遣ってローズは応じる。
―ドレミ、心配ないよ。此の人は恐い人じゃないよ。同族の匂がする。・・・全て貴方に対する親愛の意が込められている。―
「モフモフ!」
ローズが言い終わるか如何かの所で其迄ピクリとも動いていなかったセレが突然ローズに抱き付いた。
一応己の鋭い爪には気を付けて、でもギュッとローズの頸に手を回して抱き締め、頬擦りをする。
噫、やばいモフモフだ。柔らかくて温々して手触り心地が良い。月冠龍の柔らかさは天下、否天上一品だが、此の何方かと言うとフサフサに近い柔らかさも又良い。荒々しい中にも繊細さがあると言うか、野性的なモフモフだ。もう気持良い。放したくない。
「キュキュイ!?」
「ちょっ、一寸何してるの!?其はドレミ以外しちゃ駄目なんだよ!」
二人の声にはっと我に帰るとセレは直ぐローズを放した。
あ、あれ、記憶が飛んでいた。ローズが自分の事を恐くないと言って・・・あれ?其から如何して自分は彼に抱き付いていたんだろう。
取り敢えず謝らないと、もう二度と抱き付かせてくれなくなってしまう。
自分がちゃんと許可を取るか如何かは別として。
「す、済まない、そんなつもりじゃ・・・。行き成り抱き付いて済まなかった。最低でももう一度はするけれど、本当に済まない。」
―あ、えっと・・・驚いた丈なので、良いですよ。そんな御気になさらずに・・・。―
目をぱちくりさせ、二、三歩下がったローズだが、戻って来てくれた。
今度許りはセレもそっと緩り頭を撫でた。
噫、もう、噫、此の鬣が特に病み付きになるな。其は宛らショートケーキの苺の様に少し丈最後に残す甘酸っぱい一時。至福の刹那が短ければ短い程愛おしくなる。正に此の鬣は然うだった。
「うわー気持良い。・・・ずっと斯うして居たい。此許りは丗の遺産だな。自然の育んだ奇跡だ、宝だ!」
ローズも気持良いのか耳を垂らして目を細めた。其の耳の後ろを掻いてやると小さく鳴いた。
もぅ、可愛いなぁ。癒されるー。
「な、何だか意外・・・。斯う言うモフモフ?したのが好きなの?」
恍惚の笑みを浮かべるセレを見、ドレミは唖然としてしまう。
変な気分。世界を壊したりし乍らこんなのが好きなの?否、こんなのって言ったらローズに悪いけど、でも変なのは矢っ張り変だ。おかしい。
・・・好きな物があるなんて、考えてもなかったな。自分達と同じ様に、好きな物や嫌いな物があるんだ。
「噫、好きだ、大好きだ!愛している!!」
―あ、愛・・・。―
即答するセレにローズはたじたじだ。でも対するドレミは堪え切れなくなって吹き出してしまった。
「あっははは!ははっ!・・・あーぁ、ずっと意地になって馬鹿みたい。元々斯う言うの、キャラじゃあないし。」
大きく息を吐いてドレミは一度旻を見た。
其の瞳が一瞬金色に輝く。其の表情は酷く大人びて見えた。
何かをずっと引き摺るなんてそんな辛い事、初めから私には不似合いだもの。
自分の罪も罰も受け入れる。其はずっと忘れない。でも、其に彼女を巻き込んではいけなかったんだ。
彼女だってちゃんと自分で背負っているのだから。
「・・・ね、セレちゃん。一寸話しない?ドレミ、もう一寸セレちゃんと話してみたい。もっとセレちゃんの事、色々知りたい。」
虚を突かれたセレは手を止めて瞠目した。
初めて名前を呼ばれた。そして、何て晴れやかな笑顔なのだろう。
今迄見た何処かぎこちない其とは違う、彼女は心から自分に微笑み掛けてくれた。自分なんかに話す余地をくれた。
有無を言わさず詰っても良い位の事を自分は屹度彼女にしているのに。でないと、こんなにも優しい彼女が誰かを殺したいと思う程、憎む筈がないのだから。
其が本当に嬉しくて、信じられなくて、自然と自分も笑みを浮かべる。
「噫、私も然う出来たらと思っていた所だ。・・・宜しくドレミ。」
手を出そうとしたが、つい引っ込めてしまう。矢張り此の手は恐がるだろうから。・・・一番恐れているのは自分だと、分かっているけれど。
「何今更気にしているの?もう知ってるんだから別に良いでしょ?」
さっとドレミの手が伸びて自分の手を掴む。握手をするとドレミは何処か気恥ずかしそうに咲った。
其の手が擽ったくて自分もつい吹き出してしまう。
小さな小さな温かな手。
「然う・・・だな。有難う。」
ドレミはとっても悍い。そして自分に正直だ。変に飾らなくて、相手の事を自分の事の様に想って想って、懐い続けて、最善を尽くそうと、何時も一所懸命で。
自分とはまるで真逆な彼女を迚も眩しく思った。
こんなに黔くて醜い、自分の心に巣くって辺りを今も猶蝕み続けている彼の懐いがある自分には、迚も迚も届かない曦。
「セレちゃん、どっか行く予定あるの?じゃないとこんな所、来ないでしょ?」
ドレミは服についた嫩草を払うと、一つ伸びをした。
「然うだな。今は仕事中だから依頼者に会わないと・・・。取り敢えず村か何かがある所迄行きたいんだ。」
「仕事中・・・なの?どんな仕事?あ、若しかして前会った時も仕事中だったの?」
小首を傾けて彼女は聞いて来たが、さて、一体何処迄話したら良いかな。
抑如何して彼女がこんな所、別次元に居るか分からないから話し難いのが実の所だ。同族・・・じゃない気はするし、次元とかって概念が彼女に伝わるのだろうか。
「噫、然うだな。仕事と言っても彼だ。色々な所へ行って何でも屋、みたいな事をしている。未だ始めた許りだけれどな。仕事・・・と言うより、旅をさせて貰っているって所かな。」
然う、旅、旅なんだ。色んな者と会って、色々な事を教えて貰って、繋がって行く。
此の仕事の楽しさを、自分は然う見出していた。償う旅であると同時に、其も又得る旅路だと。
「そっか。じゃあ一応下ってみる?人、居るかも知れないよ。話し乍ら行こう?」
ドレミがローズの背をポンと叩いて歩みを進める。自分も付いて行って其の隣に並んだ。
薫風が心地良い。平原が続くが、滄江もあるみたいだし、近くに住民が居るのかも知れない。
「ふーん、でも何でも屋かぁ。じゃあ人助けしてるんだ。偉いね。」
「え、えらっ!?」
感心する彼女につい言葉が詰まってしまう。偉いって何処がだ?何でも屋って頼まれたら何でもするのだから、決して人助けとは限らないんだぞ。
「だって前はロッちゃんの為に来てくれたんでしょ?ドレミ丈じゃ後一歩って所迄しか背中を押せなかったけど、ロッちゃん、セレちゃん達と行ってすっごく嬉しそうにしてたから。もうドレミが居なくても頑張れるよ。ドレミからも言わせて。大事な友達、助けてくれて有難う。」
にっこりと咲うドレミを見て胸の奥が熱くなり、広がって行くのが分かる。
噫、自分は嬉しいんだ。
誰かに礼を言われて、無意味じゃないんだって分かって。
そっと胸元に手を置く。息が詰まりそう。
「屹度一杯頑張ったんだね。だって今、すっごく辛そうな顔してる。・・・ドレミと居た方が辛い事、一杯懐い出しちゃうかな。」
「そんな事・・・無い。慣れていないんだ。そんな風に礼を言われる事。喜ぶのは下手だから。」
ローズが鼻先で手を突く。そっと其の頭に手を置いた。
其を見て、又ドレミは微笑んだ。
「だったら大丈夫だよ。此からもっと一杯、愉しい事あるから。頑張っているなら絶対に。何時か屹度素直に咲える時が来るよ。」
「だと・・・良いな。」
口元が少し丈緩む。
噫、一体彼女は何丈の事を乗り越えたのだろう。
齢は知らないが其の見た目にはそぐわない程の事を経験している気がした。
彼女の瞳に金の花弁が散って光る。
「うんうん。何でも屋ね。良いね、其。一寸興味あるな。・・・あ、じゃあドレミも一つ頼んで良い?あ、仕事中なら後の方が良いかな。」
伏し目勝ちに彼女は言うが、断る理由なんて一つも無かった。
「いや、内容丈でも言ってくれないか?今回のが終わったら直ぐにでも出来るし。・・・私に出来る事なら。」
「然う?あ、じゃああのね、仕事する所、見てみたいの。一緒に居ても良い?今回でも、次のでも良いから。料金って言うの?一寸其が分からないけれど。」
「・・・良いのか?御前こそ辛くはないのか?私とずっと居て、無理をしてないか?」
「セレちゃんこそ、そんなに気を遣って辛くない?全然休めてないんじゃないの?」
心配そうにドレミが顔を覗き込む。
心配しているのは此方なのに、立場が入れ替わってしまっている。
・・・うーん、此の子、凄く大人っぽい気がしてならない。態と子供の振りをしている様な。儘ならないと言うか、何か遣り切れない。
「別に・・・辛い事はないけれど。休んでもいるし、ん・・・。」
心配される事、誰かと繋がる事にも慣れていないんだ。
むず痒いと言うか・・・然う、ガルダ達のしてくれる心配と、彼女のは別だから然う思うのかも知れない。
ガルダ達は敢えて口に出さずに、でも何時も見護ってくれている気はしていた。
でもドレミは真直ぐ、自分丈に言って来る。
其が・・・何故、如何してこんな嫌な気持になるのだろう。
ドウセ触レレバ壊レテシマウ癖ニ。
吐きそうな、目眩を覚える様な、嫌だと言うより、
モウ壊レ、滅ビ行ク世界デ、何故咲ウ必要ガアル。
近付いて欲しくない。此以上踏み込まないで欲しい。
壊シテヤル。
自分にはそんな資格、無いのだから。狂ってしまっているのだから。
黙っているとドレミが気にしてか続けた。
「・・・まぁドレミは全然辛くないって言ったら嘘になるけど、でも一緒に居てセレちゃんの事好きになったら、辛くなくなるでしょ?好きな物が増えた方が良いでしょ?」
過去が変わらなくとも懐いは、考えは変われる物なのだから。
其はドレミが身を以って教えてくれた事。でも今自分は、初めて其の本当の意味を知る事が出来た気がした。
「逃げないんだな。」
「・・・もう逃げるの止めたの。」
少し悲しそうな顔で微笑んだ。
自分は其を直視出来なかった。
自分はずっと過去から逃げているのに。彼女は何時も何時も真直ぐだ。
自分には無理だ。絶対に。分かるんだ。
止まったら、向き合ったら、壊れてしまう、死んだ方がマシだと思う程に。
だって自分は、
―私は・・・世界に嫌われている。―
ほら、直ぐ其処に、アレが隠れている。
今踏み締めた嫩草にも、影を作る雲華にも、薫風に吹き遊ぶ花弁一枚、一枚にも。
息もせずに、瞳丈を覗かせて、只じっと。自分の隙を待っているんだ。
何時でも・・・消せる様に。
―御前ハ触レレバ直グニ壊レテシマウカラ・・・。ダカラ如何カ、ズット此ノ儘・・・。―
何時かの声。闇を孕んだちぐはぐな、意味の無い音を繋げた丈の温かな闇の谺。
其を言ったのは誰か憶えていないけれど、でも、然うなんだ。
自分は逃げないと、アレから。
せめて・・・目醒める迄。
「セレちゃん?大丈夫?具合悪いの?・・・其とも矢っ張辛い?」
はっとして顔を上げる。波紋を集めると彼女の金に閃く瞳と搗ち合った。
ローズも心配そうに尾を振っている。
しまった、考えに没頭していた。
駄目だ。如何してだろう。彼女と居ると色々考えてしまって、冥くなる。
彼女の所為なんかじゃないのに。ずっと隠している自分が晒されそうになる。
・・・未だ、駄目だよ。
今解き放ってしまえば、彼女とローズを、此の次元を壊してしまうから。
自分は其を拒んでいる筈なんだ。
然うだろう?此は表面丈なんかじゃないんだろう?
「済まない。本当に何でもないんだ。もう大丈夫だから。」
「そんな顔で言われても。・・・ね、セレちゃん、もっと咲いなよ。気難し屋なら仕方ないけど・・・接客業なんだし、ね。」
「然うだろうけれど。」
言われて出来る程自分は芸達者じゃあない。
「うーん、然うだよ。其の晒、取っちゃえば良いんだよ。手足は・・・まぁ仕方ないかも知れないけど、目は不自然でしょ?美人さんなんだし、ほらほら。」
ドレミの手が伸び上がる。晒に届くか如何かの所だ。
「びじ・・・っ!?あ、いや、此は駄目だ!」
慌てて身を引く。其処迄近付かないで欲しい。如何しても恐怖心が芽生えてしまうから。
殴られたり、銃を向けられたりするのではと考えてしまう。
「もう何でよ。此方が気になるの!何で見えるのかもだけど、兎に角不自然なの!」
怒られても・・・此は駄目だろう。
「此は・・・手足が駄目なのと同じ理由だ。見て良い物じゃない。何で見えるかは、彼だ。闇の魔力を波紋みたいに飛ばして、キャッチしているから分かるんだ。」
「へーぇ、鯨さんみたいなんだね。」
ク、鯨さん?えっと何だっけ其。あ、彼の大きい海豚か。・・・うーん、反応に困る。
「ふーん、成程成程、一寸分かって来たよ、セレちゃんの事。矢っ張誰かと一緒に居るのって良いよね、愉しい。」
ね、とドレミは咲い掛け、ローズにも目を遣る。
―然うだね。久し振りに外に出たし、ドレミが愉しそうにしていたら、此方も愉しい。―
「えへへ、有難。」
ギュッとドレミがローズの頸に抱き付く。
うはぁ、羨ましい!
二人は神前で突然いちゃつける程大の仲良しの様だ。其処に水を差すのは悪い気がするけれど、でも聞かないと。
聞かないといけない事が・・・ある。
「・・・でも未だ分かっていない事があるだろう。彼の日の事、一番、御前は知りたいんじゃないのか?」
正直気は進まないけれど、でも敢えてドレミが触れずにいる事位は分かる。知りたくて仕方無いのに。
聞かないのは、狡い気がして、虫の良過ぎる気がして、無視出来なかった。
「・・・何で自分から言っちゃうのかな。セレちゃんは屹度優し過ぎるんだね。だから辛いんだ。」
「世辞は良いから。本当の事を言ってくれ。・・・そんな事はないんだから。」
寂しそうな目をした彼女を然う切り捨てる。
止めてくれ、優しいなんて。そんな馬鹿な事、ある訳ないんだから。
自分はこんなにも、黔くて、醜いのだから。
「本当の事だよ、何時でも。其に聞かないよ。だって分かるもん。今セレちゃんは沢山反省して、後悔して、死にたくなる位辛い懐いをして、此処に居るって。頑張ってる人の過去を責めるのは、とっても狡い事なんだよ。」
「何で・・・分かるなんて。未だ会った許りじゃないか。適当な事は言わなくて良いから。憾んでいるんだろう、殺したい程憎んでいるんだろう!私は・・・責められても良いんだ。分かっているから。過去は変わらないんだから。」
自分は如何して欲しいんだろう。詰って欲しいのか、嫌われたいのか。
此じゃあ我儘と一緒だ。駄々を捏ねているのと、何ら変わらない。
辛い事を相手に渡して、自分は逃れようとしている。背負う事が全てじゃない事位分かっているのに。
「駄目だよセレちゃん。そんな事、言っちゃ駄目。」
そっとドレミが自分の手を取る。
其の小さくて温かい指は震えている気がした。
「今の懐いは、本物なんだから、捨てちゃ駄目だよ。否定しちゃ駄目なんだよ。そんな事したら、空っぽになっちゃう。ドレミはセレちゃんに然うなって欲しくない。」
一息付き、ドレミは一気に言い募る。訴える様に、自分に言い聞かせる様に。
「徒に傷付け合ったって、無意味なんだよ。其の痛みで一時は本当の痛みを忘れられるかも知れない。でも確かに痛みは続いているの、忘れられない呪いみたいに。そしたら・・・もう、其処にあるのは絶望丈なんだよ。」
ドレミの言葉にセレは只頷く丈だ。
意味は分かっているけれど、呑み込むのは難しい。此の言葉は屹度彼女の過去に因る物なのだろうから、中々理解するのは難しかった。
「・・・だからしっかりしなさい。前を向きなさい。貴方にだって、誇れる物があるでしょう?」
彼女の瞳が冴え冴えと金の陰霖を湛え、降り注ぐ。
彼女の本当の言葉を聞いた気がした。
「御免・・・有難う。」
自然と口を付く。背中を押された気がした。
有難う、真直ぐ自分に言ってくれて。
其丈で、今の自分は自分だと、表面じゃないと思えるから。
「どう致しまして。」
伏し目勝ちに然う返すとドレミは一寸上を見上げた。
旻模様が怪しい様だ。確かに、水気を感じる。軽く一陰霖降るかも知れない。
「うーん、ドレミばっかり聞いても悪いし・・・良し、じゃあセレちゃん。今度はどんどんドレミに聞いちゃって!セレちゃんもドレミの事一杯知ったらもっと仲良くなれるでしょ?辛くなくなると思うの。」
任せなさいと許りに胸を張る。何だか可愛らしかった。
此は聞かないと失礼だよな。さて、何を聞こう。
「あ、然うだな。じゃあドレミこそ、如何して此処へ?最後に挨拶でもって思ったのに御前もマスターもフレスも居なかったから気になってな。」
理由より行き方を聞きたかったのだが、何とも聞き難い。
取り敢えず外堀から攻めてみよう。其の内、ポロッと言ってくれるかも知れないし。
・・・此処が別次元だと彼女が自覚していれば。
「うーん・・・一寸一人になりたかったって言うか、色々整理したかったと言うか・・・。」
―一緒に居たのに一人になりたかったの?―
ちょいと鼻先を上げ、不満気にローズが尾を上げる。
ドレミはそんなローズの頭を子供でもあやす様にポンポンと叩いて少し困った顔をした。
・・・う、羨ましい。自分もポンポンしたい。もう一回ギュッてしたい。
「もー御免御免って。でもロー君は一匹でしょ?良いじゃんそんな細かいの。別にずっと一緒なんだから改めて言わなくても良いじゃん。勾玉の時でも外したりしないでしょ?」
―まぁ・・・然うだけど。―
耳を戦がせると一応納得したのかローズは尾を下げた。
ずっと一緒だと!?何て羨ましいんだ。手を伸ばせば常にモフモフがあるなんて!
「でもそっかぁ。フレちゃんもマッ君も居なかったんだね。二人共良くどっか行っちゃうもん。デートじゃないのって言われてるけど・・・。ドレミは認めないよ!あんな髭親父!」
「そ、然うか・・・。」
マッ君・・・。あ、いや、其より彼の時偶々タイミングが悪かった様だ。てっきり態と席を外したのかと思ったけれど、勘繰り過ぎだったのかな。
「でも行こうとしても直ぐ行ける所じゃないだろう。此処は・・・彼のギルドから凄く遠いじゃないか。」
「え、じゃあセレちゃんこそ如何やって来たの?」
「飛んで。」
「なーるほど。」
一発で理解したか。じゃあドレミは手足丈じゃなくて尾とかのある自分の完全体を知っているんだな・・・。
じゃあ出しちゃおうかなとも思ったけれど、そんな失礼な事、出来ないか。
「ドレミはねぇ、何だろ。力って言うか、能力って言うか・・・魔術みたいな物で、何だか色んな所へ行けるんだよね。でも色んな所って言っても近くの国とか、街とかじゃないんだよ。毎回全然知らない所行っちゃうから。」
だからセレちゃんが居たのすっごく吃驚したんだよ!と、目をキラキラさせてドレミは自分を見遣る。
旧知の共に会えたかの様な反応だ。彼女の其の過去の割り切り方は其こそ一つの力の様に思えた。迚も素晴らしい事だと思う。
でも知らずに次元移動しているのか・・・。そんな事が出来る次元の民と言うか、一族っているのだろうか。絶対いないとは言い切れないけれど、でも何か其、神様の立つ瀬が無いって言うか。・・・滅茶苦茶勁いし。
「然うか。其は彼か?ドレミの家族とか、村人皆が使えたりするのか?中々凄い事だから如何も気になってな。」
「んーん、ドレミ丈。一応姉ちゃんも色々出来たけど、色んな所へ行けるのはドレミ丈だったよ。村って事は、ロッちゃんから聞いたのかな?」
一人丈、其の力を使えたのか。
ふーん。突然変異か?然う言う事もあるのかも知れないな。
「噫、魔物を鎮める詩がある村ってな。じゃあロレンが凄く遠い村だと言っていたのは其の力を使って行ったからか?」
「うん、然う。ぐーぜん行った所が彼のギルドだったの。で、其処に居たフレちゃんがもう姉ちゃんそっくりで、名前も一緒だし、嬉しかったからギルドに入ったんだよ。」
「姉ちゃんか・・・ドレミは姉が大好きなんだな。」
「うん!すっごい無茶苦茶言うし、良く分かんない所もあって意地悪だったけど、何時も姉ちゃん優しかったもん。」
―・・・確かに無茶苦茶だったけど、うん。とっても優しかったよね。懐かしいなぁ。―
ひょんと尾を振るローズにドレミは頷く。凄く幸せそうだ。
姉・・・か。そんな存在、自分にいたのかな。全然イメージ出来ないけれど、温かそうだなとは思う。
屹度ドレミの姉なんだから彼女と同じ様に迚も柔らかな、温かくなる日溜りの様な笑みを良く浮かべる人ではないのだろうか。
「姉とは良く会うのか?」
言って失言だったと直ぐ気付く、つい考え無しに言ってしまった。
考えれば直ぐ分かるじゃないか。フレスが何丈姉に似ているからって、本物の姉に勝る訳がないのに。
案の定、ドレミの表情が曇った。
「えっと・・・姉ちゃんは色々あって・・・。ドレミを庇って事故死、したの・・・。」
「クーゥ。」
小さく鳴いてローズが鼻先をドレミに寄せる。
「事故じゃないだろう。私が・・・したんだろう。」
自分が言わせてしまったんだ。自分が如何にかしないと。
助けてもらって許りでも居られないだろう。自分で傷付けて置き乍ら、更に傷付けるだなんて。酷い事をしてしまったのだから。
「・・・・・。」
黙ってドレミは俯く。
正直な彼女だ。嘘を吐けないけれど、本当の事も言えないのだろう。
我乍ら本当、酷い事をさせてしまったな。こんな時、自分は自分に無性に腹が立ってしまう。言うのは一瞬、後悔は一生だ。
「じゃあ其を、話してくれないか?」
はっとしてドレミが顔を上げる。ローズも耳を立てた。
「私も、御前の事を知りたい。過去に何があってそんなに悍くなれたのか。何を見て来たのか。・・・差支えなければ、聞きたい。」
「狡い言い方するね。」
罪を押し付けられるのに。分かってるんでしょう?
やっぱり彼女は優し過ぎる。他人の為に必要以上に自分を傷付けてしまうタイプだ。周りの者に対して、そして何より自分に不器用なんだ。
そんな生き方、辛い丈なのに。
折角彼の日の事、聞かないでいたのに結局話す事になるのか。
良いよ、だったら自分も其に応えよう。隠さず、有りの儘に本当の事。
其の方が屹度、彼女を一番傷付けなくて済む事なんだと信じてるから。
「分かった。話してあげる。えっと二十・・・あ、えと、ずっと前の事なんだけど、ドレミはある村で姉ちゃんと二人で暮らしていたの。パパは良く遺跡の調査や採掘の仕事をしていて、ドレミが小さい時に土砂崩れに巻き込まれて。ママはドレミを産んで直ぐに。だからずっと姉ちゃんと二人だった。・・・あ、然う然う。実はドレミって、彼のギルドでの通称だから本名は違うんだよ。」
「え、然うなのか。通称って事は・・・通り名、みたいな物か?」
其にしては随分と可愛い名だな。
「うーん、何方かと言うとフレちゃんが適当にドレミの事然う呼ぶから定着しちゃった丈で、本当はフリューナ・セム・セレスクレイ=コフィルムって言う立派な名があるの。まぁ今更其方で呼べとは言わないけどね。」
少し目を細める。懐い出すのは如何だろう。未だ辛いかな、痛いかな。
「一寸話逸れちゃったね。えっと、其で、うん。ドレミと姉ちゃんはパパと同じ仕事、トレジャーハンターって言ったら分かるかな。其をして、何とか暮らしていたの。廃れた所だったからする事も無かったし、其の時にロー君にも会ったんだよ。紅玉みたいな目がすっごく綺麗だったから、同じ色の華の名前付けて、もう可愛かったから直ぐ連れて帰ったの。」
ギュッと又ドレミはローズに抱き付いた。
少し丈、ローズは其の紅玉の瞳を細める。
―・・・確か神殿にあった卵の輝石を姉さんが力を使って爆発させて無理に孵化させたんだよね。・・・恐い事するよね本当。―
少し身震いし全身の毛を僅かにローズは膨らませる。直ぐ様ドレミはそんなローズを放した。
「そーそ。姉ちゃん本当乱暴な暴君だよね。ロー君育てる代わりに掃除、洗濯、炊事、買物、家事全部しなさいって、酷い話よね。」
「其丈聞くと姉の優しさが欠片程も伝わらないのだが・・・。」
此の儘だと姉の愚痴に移行しそうだ。居ない人の悪口をそんなに言ったら影が差すぞ。
「然うだ。先少し振ったけど、姉ちゃん、色々凄い事出来てね。魔術とは別の、何だろ。神の威を借る呪だったかな。兎に角其を使えてね、未来予知とか出来たの。其がある夢を告げたのが、全ての初まり。」
はっと息を呑む。
すっとドレミの表情が冷たくなった。
今から語るのは黔日夢の次元の物語。全て喪った絳の記憶。
一度目を閉じ、金の波を瞼に隠した儘、ドレミは口を開いた。
・・・・・
彼はドレミ、元いコフィーが隣町迄買物に行った時の事だった。
ローズと一緒に村に帰って来ると、もう夕刻なのに皆が何故か表に出て囁き合っていた。
「闇が・・・来る。」
「世界が滅ぶ。」
「何処へ行けば・・・。」
「如何なるんだ。」
「化物が目醒める。」
「・・・何の話だろう。」
―姉さんが何か見たのかもね。―
ローズの尾がさっとドレミの背を擦る。此は、彼が不安な時の癖だ。
私も・・・胸騒ぎがした。嫌な事が起こる気を否応なしに。
「姉ちゃんが言ったかは分からないけど、屹度何か知ってるよね。聞いてみよ!」
ポンとローズの背を叩いて走り出す。
余りにも絳い旻が、自分の影を家迄道導の様に照らしていた。
・・・・・
「姉ちゃん只今!」
―帰ったよ。―
「噫御帰りコフィー、今度はちゃんと卵買って来た?今度こそ忘れてないでしょうね。」
ドアを開けると姉ちゃんが何時もの様に柔らかい笑みで迎えてくれた。
フレスの瞳が優しく瞬く。
「ちゃんと買って来たよ!鵝の奴!」
誇らし気に袋を掲げる。うん、今日はちゃんと全部ある筈だ。
―忘れ掛けていた其を教えたのって誰だっけ。―
「良いの!忘れてないんだから!」
頬を膨らませるドレミにフレスは吹き出してしまう。
「分かった分かった。有難うコフィー。ほら、前占いをした御礼にゼリービーンズを貰ったわ。コフィー好きでしょ?どうぞ。」
フレスはコフィーの手から袋を受け取ると、机の上を指差した。其処には瓶詰めされた色取り取りのゼリービーンズが恰も宝石箱の様に煌いていた。
「うわーやった!有難、姉ちゃん。」
手を伸ばして瓶を引き寄せる。
ローズも前足を机に乗せて立ち上がって見た。
―綺麗だね。後で食べて良い?―
「勿論。」
フレスは袋から次々と食材を取り出して行った。
「占い・・・あ、然うだよ姉ちゃん。変な噂を聞いたんだけど、闇が何とかって・・・。姉ちゃん知ってる?」
「噫、聞いちゃったの。」
一瞬フレスの手が止まった事をさしてコフィーは気にしなかった。代わりに彼女は適当な椅子に座ると足をぶらぶらさせた。
「もう数日の内に此の村に化物が来るの。そして滅ぶわ。此の村は。」
「え・・・何、其。」
首丈動かしてコフィーは引き攣った笑みを浮かべた儘フレスを見遣った。
だがフレスは別段、特別な事は何も言っていないかの様に只目を伏せる丈だ。
だから先のは質の悪い冗談なのだと思った。
「其って・・・予言?夢を見たの?姉ちゃん。何かの間違いじゃ・・・。」
言い乍ら分かっていた。姉の予言が外れた事等無いのだから。
来るんだ、本当に。突然、化物が。
フレスが少し顔を上げた。其の瞳が藍玉に煌く。
「じゃ、じゃあ早く逃げないと。姉ちゃん、村の皆はもう知ってるんでしょ。早く、安全な所へ。」
「無理よ。」
ピシャリと言い切るフレスにコフィーは二の句が継げなくなる。
「駄目、何処へ行っても。だって滅ぶのは世界だから。・・・正確な事は実の所、分かってないけどね。こんな不安定な夢、初めてだから。丗の神の啓示にも刻まれていない未来。でも彼の化物は確実に此の世界を滅する丈の力を持っている。何処へ行っても結果は一緒よ。」
「其、姉ちゃんの友達の神さんが言ったの?」
姉ちゃんは、神と心を通わせる力を持つ。話す事で、頼む事で、神の力を借りるのだ。
「えぇ、彼女も随分言い渋っていたけれど、私が夢で見たって言ったら教えてくれたわ。」
「・・・じゃあ何でそんな冷静なの!?だ、だって・・・し、死んじゃう・・・かも。」
今迄姉ちゃんは死の予言をした事もある。でも其は病気や事故で、一人、二人の事だった。変わらない未来と知っていたから、村の皆は其を受け入れ、最後の時を其の者と過ごすのだ。
トレジャーハンターなんて収入が不安定な仕事でも何とかやって行けたのは、姉ちゃんの占いによる物が大きかった。
只でも今回は規模が大き過ぎる。行き成り世界が滅ぶなんて・・・考えられない。悪い冗談だ。
「実はね、コフィー、私此の夢、一ヶ月位前から見てたの。でも言っても如何しようもないでしょ?だから今日言ったの。」
此は逃げる為の救いの予言ではない。
終止符を告げる為の、最後の時の存在を知らせる為の予言。
「だからコフィー、其の予言は忘れても良いの。もう・・・決まっているから。」
「・・・嫌だよ姉ちゃん!コフィー、出来る事はしたい。無駄だったとしても、何か・・・何か。事故じゃないんだったら、何か出来る筈だよ。化物って・・・魔物なんでしょ?鎮めてしまえば・・・。」
「詠も踊りも、祝詞も犠牲も意味を為さないわ。其は此の世界丈に伝わる物だから。彼の化物は全く私達とは別の所に居るの。会う事も無理よ。」
然うだ。一ヶ月も前から姉ちゃんが此の未来を知っていたなら、今迄何もしていない訳がないのだ。
考えに考えて、一つも方法が、助かる術が無いと悟ったから、皆に夢を告げたのだから。
でも一つ丈、ある考えがコフィーには浮かんでいた。
其は、姉ちゃんには出来ない事、自分にしか・・・出来ない事。
「・・・ねぇ、姉ちゃん、若しかしたらコフィーなら、其の化物に、会えるんじゃないかな。」
フレスが息を呑み、口を噤んだ。
ローズも顔を上げ、其の紅玉の瞳でじっとコフィーを見遣る。
「コフィー、小さい時から色んな所へ行ける力、持ってるもん。姉ちゃんは余り使うなって言ってたけど、今こそ、使う可きなんじゃないの?」
「止めて、そんな事、言わないで。」
震える声。ぎゅっとフレスは手を握った。
「でも、然うでしょ?コフィーなら行けるんでしょ、其の化物の所。」
「行って如何するの?何が出来るって言うのよ。」
「分からないけど・・・でも、未だ其の化物が何もしていないって事は、若しかしたら未だ其が出来ないからじゃないの?今なら未だ・・・間に合うかも知れないでしょ。」
「っ・・・分かってる。私だって分かってるのよ。でも、そんな分からない不安定な未来の為に私は貴方を犠牲にしたくない!私と、貴方とローズの、たった三人の家族なのにっ。父も母もいなくなって、其の上貴方迄いなくなったら・・・私・・・。」
顔を上げたフレスの藍玉の瞳からは透明な輝石が零れ出ていた。
こんなにも、弱い姉ちゃんを見たのは初めてで。
こんなにも思い詰めていた事を、一月も私は気付かなかった事が恥ずかしくて。
だから少しでも其の涙に応えようと思った。
だって私は姉ちゃんが大好きだから。
理由は其丈で、十分でしょ?
「姉ちゃん、御願い。コフィーにもっと夢の事詳しく教えて。大丈夫だから。コフィーが屹度姉ちゃんを、皆を護るから。」
「・・・如何して、最期を家族で愉しく過ごせたら良いと思っていたのに・・・。本当、其の責任感の強さは、母譲りね。」
ハァ、と一つ溜息。
私はそんな姉ちゃんの傍へ行って、咲い掛ける。
私にも出来る事があるのなら、斯うやって傍に居る事以外に出来る事があるのなら、したいから。
「其は・・・姉ちゃんも一緒でしょ?」
其処で初めて姉ちゃんは、咲ってくれたのだった。
・・・・・
其から姉ちゃんに聞いた事は、
其の化物が来る迄、もう一週間もない事。
其の化物が居るのはとある研究所だと言う事。
そして、其の化物の正体は・・・。
「駄目だったわ。今日迄頑張って何度も夢を渡ったけど、終ぞ分からなかったわ。何だか、夢が千斬れてしまうの。彼に近付く丈で、消されてしまうの。夢の中なのに、其処迄力が及ぶのかしら。只闇・・・其しか分からなくて・・・御免ね、コフィー、もう行かなきゃいけないのに。最後に役立てなくて。」
済まなさそうに目を伏せ、フレスは口を噤む。
そっとローズが近付いて其の手の甲を舐めた。
「何言ってんの!姉ちゃんが予言してくれたから未だ可能性があるんだよ。コフィーも頑張るから。だから待ってて。屹度・・・否、絶対上手くいってみせるから。」
―然うだよ。一緒に行くから大丈夫だよ。一寸遠い御遣いだから、ね。―
元気付ける様ローズは前足を上げた。
「・・・二人の未来も、ずっと見れなかったけど、然うね。其は可能性があるって事よね。・・・うん、気を付けて。頑張るのも良いけど、危ないと思ったら直ぐ帰って来るのよ。其の時は・・・私も頑張るから。祈る意外にも屹度、出来る事はあるから。」
フレスの瞳が藍玉へと輝く。
「だから最後に一つ丈、祈らせて。如何か、此のローブが貴方を禍から護ります様に。」
そっと手を出し、フレスはコフィーの纏っていた灰のローブに触れる。そして呪を紡ぐ。
此のローブはローズを見付けた神殿にあった、言わばエンシェントトレジャーだった。年月の劣化が見られない程の魔力を込められているので、有らゆる魔術を半減させるのだ。
此のローブが私の命を繋ぐ事になるのかも知れない。
ぎゅっと、コフィーもローブの裾を掴んだ。
「じゃあ餞別に、何時もの詠御願い!」
「もう、本当好きねコフィー。良いわよ、其なら幾らでも。」
目を伏せて姉ちゃんは何時もの揺藍歌を歌う。
私が小さい時から何時も聞いている詩。
古の儀式の魔物を鎮める詩らしいけれど、私にとっては揺藍歌、何だか安心する詠だった。
ママを知らない私にとっては其の代わりになる詠でもあった。
此を聞いていると自然と勇気が出るのだから不思議だ。
暫く聞き入っていたコフィーだが、フレスが詠い終わるとにっこりと微笑んだ。
「有難姉ちゃん。何か元気出た。」
もう大丈夫。私は頑張れる。
「うん、じゃあロー君、御出で!」
コフィーが手を出すとローズは一つ頷き、絳の曲玉へと転じてコフィーの手に収まった。
其に紫の麻の紐を通し、頸に掛ける。
「行って来るね、姉ちゃん。」
「えぇ。・・・帰って来るのよ、ちゃんと。」
火点し頃の紅鏡を背に浴びて、一人曠野迄見送りに来た姉ちゃんの涕き腫らした笑顔が黄玉の瞳に焼き付いて、
私は地を蹴った。浮遊感が私を包む。
失敗させない、屹度出来るから。今は其丈を信じて。
・・・・・
瞬きの後に着いたのは草木の一つない黔い地。そして目の前に聳え立つ、同じく真黔な塔。
「此処・・・だよね。」
姉ちゃんの言っていた研究所の情報と照らし合わせる。・・・多分合っている筈だ。
一つ息をすると勾玉を握る。
冷たかった其が仄かに温かく、そして曦を放つと形が崩れ、ローズが顕現した。
片耳を上げ、上目遣いに塔を見詰める。
―行くんだよね、コフィー。―
「うん。屹度大丈夫だよ。二人なら。後ろは任せたね。」
ローズが神妙に頷く。
黄玉と紅玉の瞳が煌めいて。
一人と一匹は鎮魂の卒塔婆へ足を踏み入れたのだった。
・・・・・
塔に入ると其処はもう異世界だった。
家と言えば石壁が主流だったコフィーにとって、漆黔で滑らかな手触りのする此の壁が、一体何で出来ているのか些とも分からないのだ。
他にも機械や突如曦を放つディスプレイ。勝手に動いて行くパソコン等、何も見た事の無い物で、つい物珍しく見てしまう。
加えて聞き慣れない電子音一つ一つにびびってしまう。
「な、何なの此処・・・こんな所あったなんて・・・。」
すっと蒼い曦が壁を駆け抜ける。ついコフィーは意味もなく身を屈めた。
―本当だね。何だか冥くて・・・恐い。―
「も、もう弱気にならないでよ!コフィーだって居るんだから。先大丈夫って言ったじゃん。」
声を顰めて足を進める。
でも変だ。研究所って言うからには何か大切な物がある筈なのに、警備の人とかに一切合わない。番獣も居ないし、本当に此処に例の化物は居るのだろうか。
抑如何して化物はこんな所に居るんだろう。実験魔物として連れて来られたのだろうか。其とも此処で創られたのだろうか。生き物を創るなんて全く考えた事も無いけど、こんな見た事の無い物で溢れている此処なら可能なのかも知れない。
「第一研究室・・・えっと確か目的地は・・・。」
―第四、だよね。近くにあるのかも。―
ある部屋のプレートを見ていたコフィーの隣にローズが並ぶ。
「然うだね。もう一寸だよ、頑張ろう。」
さっと頭を撫でているとローズの尾が知らず私の背を擦った。
矢っ張りローズも気付いているんだ。
進めば進む程、濃密な、息の詰りそうな黔く透き通る気配が強くなっている事に。
闇・・・姉ちゃんの表現した彼の言葉の意味が、今なら良く分かった気がした。
・・・・・
「此処・・・かな。」
幾つかの部屋を回り、特に何かの気配、嫌な気の漂う部屋の前で立ち止まる。本当は行きたくない。でも此処が若し然うなら行かないと。
「・・・彼女に会いに来たのか。」
「ふぇ!?え、だ、誰!」
部屋を覗き込んでいたコフィーの背からそんな声が掛かる。
振り返ると自分より少し背の低い少年が物珍しそうに顎に手を付け、私を見詰めていた。
其の少年は今迄見た事の無い、星屑色の髪をし、瞳も同じ、でも濁った灰色をしていた。
輝石の様に煌かない瞳なんて初めて見た。何て虚ろな一色だろう。
服も見た事の無い変わった黔と皓の布だし、此処の者なのだろうか。
「ちょっロー君!後ろ見ててって言ったじゃん!」
―見てたよ!でも此の子、急に現れたって言うか。―
ローズは驚き乍らもドレミの前に立って小さな唸り声を上げる。尾の毛が少し膨らんでいた。
「珍しい、実に珍しい。彼女に来訪者が来るなんて。然も神族でもなさそうだ。面白い。何をしに来たか、是非とも動機を知りたいね。」
口端を僅かに上げ、コフィーに少年は近付く。
な・・・何なの此の子・・・。
コフィーの疑問は其の儘口を突く。
すると少年は少し悪戯を企んだ様な笑みを浮かべた。良い暇潰しが出来たと、其の瞳は語っている。
「侵入者なら排除す可きだけどね。でもまさか此処に来る様な珍妙な奴は居ないと踏んでいたから警備に力を入れなかったのが仇となったか。否、此処は幸運と言う可きか。」
話聞いてないし。
動くに動けないコフィーに少年は少し離れて壁に背を預けた。
「まぁ良い。僕は別に何もしないから入って来ると良い。あんなにも不安定になってしまっている彼女に、会ってみると良い。君は無事出られるかな。僕は其を観察したい丈だ。」
どうぞと言いた気に少年は手で研究室内を示す。
「う、うん・・・えと、じゃあ。」
本当、何で子供が此処に居るか、其に言っている事も分からなかったけど、邪魔をしないのなら其で良い。
「入るよ、ローズ。」
―・・・然うだね。―
其でも彼の子供を睨めつけていたローズはあっさり視線を外すと又コフィーの隣に並んだ。
でも彼の子、彼女に会いに来たの如何斯う言っていたけど、誰かと勘違いしているのだろうか。今から自分達が会うのは化物の筈なのに。
「え・・・何、此。」
入って絶句する。
何なんだ此、一体何なんだ。
部屋の中は他の部屋で見たのと余り変わりなかった。色々な所に積まれた紙、良く分からない物々が浮いたり、回転していたりと散乱している。
只でも一つ、壁沿いに並べてあった水玉の中の一つに、其は居た。
黔い、黎い何とも形容出来ない闇。
何処となく人形の様な其を敢えて、無理に形容するとすれば、其が適切で、然うとしか言い様がなかった。
腕には翼の様な突起が複雑に生え、重なり、漆黔の歪な爪を有している。其の爪を鱗の様な物が覆って幾つもの逆刺の様、鋭い針か棘も所々生え、僅かに蠢いている気がした。
脚も漆黔の其で、膝辺りに歯車の様な物が突出し緩りと回っていた。同じく歪な爪先は不自然に折れ曲がり、牙の様。
迚も長くて撓る尾は特異な表皮か鱗に覆われていて其が耳障りな音を立て、騒ついたり、綺麗に並んだりして尾の長さが其の都度変わった。尾の先の扇の様な物が緩りと水玉中の光る蒼い水を掻く。
背には大きな翼、色々な者の翼を寄せ集めたかの様な八翼の其は時折羽根を散らしては又直ぐ新たな羽を生やし、不揃いな形となる。
長い黔髪の所々が透明な色を放ち、其の曦が滑り落ちて髪の先が色の無い、透明な其へと変えて行った。
鋭く尖った二本の釼の様な角から同じく尖った長い、羽根を象った耳に掛け、同じく羽根の様な鬣が覗く。
良く見ると所々傷があり、黔い根の様な物が刺青の様に這う其の面は女性の物だと分かった。
閉ざされた瞳からは常に血の色の珠を落とし、其が周りを揺蕩っては消えて行く。
纏う襤褸のオーバーコートは冥い焔の欠片を散らして逸る様揺らめき、其に合わせて歪な手足も緩りと胎動する様蠢く。
面丈見れば其の穏やかとも取れる顔は聖女の様なのに、其の姿の所為で何とも言えない歪さが表立ってしまう。
何だ此、此は・・・一体何なんだ。
闇、否其以上に此は・・・混沌だった。
「あ・・・う。」
如何してか美しいとも醜いとも取れる姿にコフィーはつい惚けてしまう。
―コフィー早く、早くしないと。―
慌ててローズがコフィーのローブの裾を噛んで引っ張る。
「あ、わ、分かってるよロー君。焦らないで、今如何するか考えているから。」
如何するも何も、考え付かなかった。
話せるとは到底思えない、其程の歪な姿。でも面持は私達と同じ、人の物だ。魔物の其ではない。其に例え魔物其の物だとしてもローズの様に話せる者も沢山いる。見た目は関係ないのだ。
だったら話せそうな気もするけれど、今は寝ている様なので、今の内にさっさとけりをつけてしまうのもありだ。
不意打ちみたいで少し許り気は進まないけれど、でもそんな事言っている暇はない。
―早くしないと、屹度もう目醒めてしまうよ。目を見ちゃ駄目だ。見れば求めてしまう。彼を、終わりを・・・壊されてしまう前に。―
「ロー君、何か知ってるの?」
ちらと振り返ると酷く怯え切った紅玉の瞳と搗ち合った。
こんなに怯えているロー君を見るのは初めてだ。足も震えて尾は足の間に入れてしまっている。
―知ってるんじゃない。分かるんだよ。僕等は、然う言うのに敏感な種族だから。駄目だ。此以上此処に居たら求めてしまう。呑まれてしまうよ。―
「じゃ、じゃあ攻撃した方が良いって事だよね。話なんか出来ないって事でしょ?」
然う言ってもロー君は何とも言えない顔を浮かべる。
戦うのでも、話すのでもない道を選ぶ可きだと。
コフィーだって、ずっと警鐘が止まない。
其が告げている。・・・逃げろと。
「駄目だよ。逃げた所で未来は変わらないんだから。コフィーが如何にかしないといけないんだ。」
片手を真直ぐ水玉へ向ける。
「哦え、雷翰飛。」
コフィーの足元から様々な電光の鳥が飛び立ち、詠を、火花を紡ぐ。
其はベールの様に二人を包む。
「RC=HΦC」
太古の呪、其の詞はコフィーの右手に集う。
そしてローブの下に忍ばせていた一つの飾り瓊を揺らす。
カシャン、と其は滑り落ち彼女の手首で止まる。
其は手枷の様な物に鎖を付け、其の先に瓊を付けた、丁度罪人の足枷の様な形をしていた。
其の瓊が少しずつ大きくなって行き、回転して行く。
此もある神殿で見付けたエンシェントトレジャー、古の祝詞にのみ反応し、武器へと転じる飾り瓊だ。其の輪も終にコフィーの手首より大きくなり、落ち掛けた輪を彼女は掴む。
巨大化した瓊は中に蔦を絡めた時辰儀を閉じ込めた様な水精になり、緩りと針が廻り時を紡ぐ。
「導け、電導蹊!」
唱えて右手を振るう。
すると重い筈の瓊が回転し乍ら浮き上がり、小さく細く光る電気を帯びる。
其は大きなフレイルだった。
フレイルは先程張り巡らされた金と皓のベールを伝い、速度を上げて巡り続ける。
そして不意に彼の化物のいる水玉に向け、突進する。
時辰儀に絡み付いていた蔦が剥がれ、驚霆を迸らせる。丁度大きな二振りの鎌の様に、鋏の様に捩れ、真直ぐに吸い込まれる様に化物へと、
当たったと思った刹那、不意に化物は瞼を震わせた。
・・・其の後の一瞬は良く憶えていない。其の一瞬を壊された様に、抜け落ちてしまっている。只、コフィーは咄嗟にフレイルを引っ込め、飾り瓊に戻してロー君と共に飛び退いていた。
そして・・・そして、
気付けば化物の周りの物は全て罅割れていた。
化物の入っていた水玉も、驚霆のベールも、床も、壁も、魔術の鳥達も、浮いていた物々も、空間も。
全てが玻璃の中に閉じ込められた風景の様に、其の上から石塊一つ落とした様に、一様に。
「う・・・っぐ。」
気持ち悪い。
空間に入った罅が重なり合って蠢いている気がする。
何だ此は。何が・・・起こった。
此が・・・化物の力?世界を滅ぼす丈の・・・力?
気付けば罅だらけの世界の中で化物は目を開けていた。
漆黔の中に透明な氷鏡が浮かぶ様な霄の瞳。
煌きは違う其の揺らめきにコフィーは何とも言えない違和感を覚えた。
血の雫を零す不思議な、奇な、氷鏡。
でも其の焦点は何処も捉えていない様で。
化物は口を開いた。
「ア・・・あ・・・あ・・・っぐ・・・ウ」「わた・・・し、ワ・・・レは・・・だ・・・れ」「何デ・・・如何・・・して、未ダこんナ・・・所ニ」「消サレる・・・嫌だ・・・恐・・・い。世界ガ・・・嫌ッテル、私の・・・事」「・・・っ闇は・・・何処ニ行って・・・しまったの・・・」「噫・・・憎イ、赦さない。・・・如何シて彼の者は・・・こんな」「如何シテ、私ヲ創ったの・・・壊し・・・テ、壊サ・・・ナいと」「彼の人ハ・・・何処」「消エテしまえば・・・良いんだ。何モカモ」「早く・・・使命ヲ・・・丗ヲ・・・此の儘じゃ」「うぐっ・・・っ、止メテ来ナいで。私ハ、未ダ・・・こんな所で・・・っ、噫・・・。」
紡ぐ音は何なのか。
意味の、懐いの繋がらない其の詩は誰への手向けの華か。
漆黔が騒めいた。
化物を包む黔い腕が、脚が、尾が、翼が、髪が、鬣が、角が、耳が、牙が、蠢き、不自然に針や棘、其の外形を成さない物を生やしては崩して行く。
其の中で氷鏡丈が輝いている気がした。
不意に氷鏡が瞬く。
光陰に照らされた様な静けさをコフィーは感じた。
「お・・・まえ・・・ハ・・・誰・・・ダ、ま・・・又、わた・・・わ・・・レ・・・から。・・・うば・・・ウ気か・・・全て・・・何もカも。望ンで置き乍・・・ら、赦サ・・・ナい、殺してヤル、消してヤる、壊してやる。・・・こんナ世界なんテ、御前ナんて・・・ア・・・グアァ・・・ウ・・・ガ・・・全て・・・壊シテヤルッ!!」
突如瞳の氷鏡が盁月を迎え、酷く耳障りな音と共に急激に世界に罅が入る。
其は千の招く手の様に、無数の普く蛇の様に、解けぬ縷の様にコフィーとローズを囲んで行く。
此は・・・不味い。
―コフィー!!逃げるよ!此以上は駄目だっ!―
言うや否やローズが私のローブを咬み、己の背に乗るよう促す。
―WF=11Y―
飛の唱がローズの姿を包み込み、其の姿を変貌させる。
体躯は嫩葉色の鮮やかな其となり、胸元に丁度フレスの瞳と同じ藍玉の様な輝石が埋め込まれた。其処から浅葱色と草葉色のグラデーションが韶麗な翼が生え、蝶の様に広がって行く。
翼を象った耳も四翼となり、より長くなった蘚色の鬣は幽風もなく棚引いた。
姿が完全に変わった所でローズの背にコフィーはしがみ付いた。
凱風を閉じ込めた蘚色の瞳が一度瞬き、ローズは地を蹴った。足に纏う飛が軽々と二人を旋風に乗せる。
一気に跳躍して何とかローズは罅の輪から抜け出せた。同時に今々先迄居た所の空間が崩れ、バラバラに砕けて穴が開いた様になる。
危なかった・・・彼の穴が何処に繋がっているのか分からないけれど、屹度一度入ると助からない所なのだろう。
―其の儘しっかり持ってて!―
逃げるとか、戦うとか、そんな考えは一切なくて。
只何処かへ、此の化物のいない所迄行かないといけない、其しか考えられなかった。
其は一つの現象の様でもあった。化物が危ないんじゃなくて、危ない事が起きる所だから離れる、避難する。現象が、物事が云々なのではなく、良くない物だから近付かない、其丈の単純な本能にも似た物。
ローズが又大きく地を蹴り、研究室を出る。もう彼の少年の姿はなかった。
刹那振り返って見た化物は・・・哭いている気がした。
・・・・・
何程経ったのだろう。
気付けばコフィーは薄暗い蕭森の中に居た。今が何刻か分からない、其程鬱蒼とした蕭森。
其の中をロー君はとぼとぼとコフィーを乗せて歩いていた。
此処は・・・先の場所と違うけど、こんな所迄ロー君が走ってくれたのだろうか。其とも知らない間にコフィーが力を使ったのか。
―何とか・・・戻って、来れた。・・・上手く行って良かったよ。―
疲れているのか声が掠れ気味だ。尾も今は持ち上げていなくて地を引き摺っていた。
コフィーはそっとそんなロー君の胴を撫でた。
立ち止まったローズは首を巡らせる。そして小さく啼いてコフィーを見遣った。
―コフィー、もう直ぐ村に着くよ。・・・寝てて良いよ。疲れたでしょ。―
「然う・・・なんだ。うん。でも一寸止まって。・・・未だ、帰りたくない。」
ローズの背を降り、其の場にへたり込む。大きな溜息を一つ丈付いた。
―コフィー、でも帰らないと。姉さんが心配してるよ。―
「うん。分かってるから、もう一寸丈。」
ぎゅっとローズの温かな首に齧り付く。
ローズは耳を垂らすと、ストン、と腰を下ろした。
其の柔らかな毛並みの中で、コフィーは声を殺して涕いていた。
忘れられない恐怖。
闇、罅、氷鏡。
そして不甲斐なさと、自分への失望感。
「っ・・・ひぐっ・・・っ。」
如何しよう如何しよう。
此の後コフィー達は如何なるんだろう。
考えると恐くて、如何しようもなくて。
只々ずっとコフィーは涕く事しか出来なかった。
・・・・・
又時が巡って緩りと辺りは暗くなって来た。
惚けた様に愚図るコフィーをそっと其の長い尾でロー君は包んでくれていた。
「如何しようロー君、コフィーは・・・如何したら良いと思う?」
其の温かさに不意に口を突いたのはそんな弱音で。
ロー君はコフィーの頬に残る涙の跡を一舐めすると緩りと紅玉の瞳を瞬いた。
―村へ戻る可きだと思う。此処に居ても始まらないよ。若しかしたら何か未来が変わっているかも知れないじゃないか。逃げられたんだから若しかしたら又、逃げ切れるかも知れないよ。―
諭す様に静かなロー君の言葉が自然と入って来て、やおらコフィーは立ち上がった。
「うん、うん。然うだね。然うだよね。御免ロー君、有難。帰ろう。未だ出来る事、あるかも知れないから。」
―其の意気だよ。―
ロー君が又背に乗るよう促す。
コフィーが跨ると直ぐにロー君は飛を纏って駆け出した。
有難う、ロー君。ずっと村へ行くの、私の為に我慢してたんだよね。
其の背に顔を埋めて、黄玉の瞳は煌く。
如何か・・・丗の神の啓示の告げし未来が外れる様に・・・と。
・・・・・
其処は・・・地獄だと思った。
太古の遺跡の様に、元から然うであったかの様に家々は崩れ、形ある物は皆壊されていた。でも確かに其処はコフィーの村だった。・・・村だった筈なんだ。
地を濡らすのは絳とも黔ともつかない血。
天を焦がす焔を上げているのは骸許り。
旻は雲華一つなく真紅で、時の止まった様。
ロー君の背を降り、呆然と私は其の景色を目に焼き付けていた。ロー君も輝く紅玉の瞳を此以上ない位見開いて、只々其の様を見ていた。
「う、うわぁあぁ!!や、止め・・・、」
突如響き渡る悲鳴と、其に続く何かを引き裂き千斬る嫌な音。
知らず視線を動かすと離れた塀の傍でドサッと男の人が倒れた。
先の悲鳴は彼の物だろうか。でももう其を確かめる術はない。
男は・・・首が無いのだから。
「っ・・・。」
吐きそうになって思わず口に手をやる。
噫、なんて絳い、絳い・・・。
男の頸からは夥しい量の血が噴き出す丈で。
地を天を染め上げる。
噫、なんて気持ちの悪い、不気味な絳なんだろう・・・。
―コフィー、早く・・・早く逃げないと・・・来る、来ちゃうよ。―
ロー君が頭でコフィーの背を押す。
然うだ。今は逃げないと。彼の男を殺した奴は、直ぐ、直ぐ近くに居るのだから。
微かに硬い物の擦れる音がする。其は男の骸の直ぐ傍の壁からだ。
彼は・・・彼の化物が鳴らす禍々しき爪の音ではないのか。
口を噤む。一気に彼の恐怖が込み上げて来た。
此の儘じゃあコフィーも・・・殺される。
背を向け、一気に走り出す。ロー君も後から付いて来た。
御免なさい、御免なさい。
コフィーがもっとちゃんとしていれば。
コフィーがあんな所で諦めなければ。
「だ、誰か助けっ・・・、」
「キャァアァァ!!」
悲鳴の合唱が谺し、其に続く死の音。
そして・・・静寂。
でもコフィーは振り返る事も出来なくて。
御免なさい、御免なさい。
助けられなくて御免なさい。
見捨てて御免なさい。
コフィーの・・・所為でっ・・・、
「コフィー!!」
聞き覚えのある声がコフィーの名を紡ぎ、思わず頭を上げる。
滲む瞳が確と、少し離れた所で手を振る姉ちゃんの姿を捉えた。
怪我をしているのか姉ちゃんは片足を引き摺っていて、服は返り血か真絳に染まってしまっている。
顔にもべったりと血がついてしまい、片目が上手く見えない様だった。
「姉ちゃん!!」
凝っていた喉から自分でも驚く位の叫びにも似た声が溢れる。そして足元も見ずに我武者羅に駆け出した。
でも其がいけなかった。もっと辺りを見れば気付けたのに。彼の時のコフィーは姉ちゃんの事しか考えてなくて。
コフィーの直ぐ傍に建っていた家に無数の罅が入っている事に気付けなかった。
―コフィー!危ない!!―
ロー君の声にハッとした時には何とか家の体裁を保っていた石壁が崩れて、コフィーの視界を埋め尽くした。
其の瞬間に声にならない痛みが躯中を駆け巡った。
躯がバラバラになるのではと思う程の、意識が遠退く様な痛み。
何か生暖かい物が手首や、頸筋から熱を持って溢れ出て、急に冷え、ピクリとも躯が動かなくなってしまう。
瞼が緩りと落ちる中、二つの声丈が聞こえた。
一つはロー君が心が痛くなる程無茶苦茶に咆哮にも似た啼き声。
もう一つは静かな、優しい姉ちゃんの声。
「然う・・・私は、此の時の為に生かされたのね。私に使命は無いけれど、意味があったのなら・・・こんなに名誉な事は無いわ。」
終に堪え切れなくなって目を閉じる。
そして意識を失う、本当の最後の瞬間。
「第弐ノ柱 召還ノ奉」
姉ちゃんの、神の呪いの祝詞を聞いた気がした。
気を失っていたのは一瞬だった様で、目を覚ましたコフィーは未だ周りを石で閉ざされていた。でも先迄あった痛みや冷えはすっかり引いている。
闇雲に手を動かしていると石の一部が動き、何とかコフィーは瓦礫の山から抜け出せた。
―コフィー!コフィー!!大丈夫?どっか痛くない?―
「え、うん。・・・ロー君こそ怪我してるよ。大丈夫?」
顔を上げると目の前に瞳を潤わせていたロー君がいて、コフィーに思い切り甘える様に顔を寄せて小さく啼いた。
―良いんだよ、此の位。でも良かった・・・本当に。―
血を流して引き摺る前足と長い耳が痛々しくて。コフィーを庇おうとして負った傷だと想像に難くなかった。
「本当・・・良かった・・・。初めてしたけど、上手く行った様で。」
ロー君を撫でていると何時の間にか傍で膝を付いていた姉ちゃんが息を付く。
姉ちゃんの頬は皓を通り越して青くなっていて、苦しそうに胸を押さえていた。
「ね、姉ちゃん。姉ちゃんこそ如何したの。大丈夫・・・なの?」
「えぇ、一寸術を使ったから。」
顔を上げてフレスはコフィーに咲い掛ける。少し・・・寂しそうな藍玉で。
「聞いて、コフィー。此の術はどんな傷でも癒す代わりに其の人の時を止めてしまうの。・・・だから貴方はずっと其の形になってしまうけれど、でも私は其でも貴方に生きて欲しかったから。傍に・・・居て欲しかったから。」
御免ね、と呟いて姉ちゃんは隕涕する。
「何で?姉ちゃんの御蔭でコフィーは助かったんでしょ?コフィーは・・・誰も護れなかったのに。本当に御免なさい。コフィーは何も出来なかった・・・。」
又、瞳が潤んで行く。罪悪感と後悔の廻瀾許りが押し寄せる。
「良いの。・・・私だって、私のエゴで貴方を助けたから。助けた気になっているから。本当は・・・為可きじゃなかったのに。貴方に丈、背負わせてしまう・・・。私だって護れなかったのよ。真っ向から彼の化物に対峙したのに。簡単に気絶させられて・・・此の様よ。」
力なく姉ちゃんは嗤ったが、直ぐ口を噤んだ。
辺りを包む焔の爆ぜる音がいやに大きく聞こえた。
「姉ちゃん、其は姉ちゃんが悪いんじゃないよ。姉ちゃんだって戦ってくれたんだから。未来が分かってても抗おうとしたコフィーの我儘、聞いてくれたんだもん。でも姉ちゃん、最後にもう一度御願い。此処から逃げよう。未だ矢っ張りコフィー、諦めたくないから。」
酷い事を言っているのは分かっている。
護るとか言って置き乍ら皆を見捨てて逃げるのだから。
其でも・・・其でもコフィーは、姉ちゃんとロー君、三人で生きたい。
こんな理不尽な運命を受け入れられる程、素直じゃないから。
―・・・然うだよ。早く行かないと。未だ走れるから、何方か乗ったら直ぐ行けるよ。―
血を流して震えている脚は迚も走れそうには思えなかったけれど、気丈に振舞おうとロー君は尾を立てて紅玉の瞳を一際輝かせた。未だ諦めていないと、其の瞳は訴えている。
「大丈夫・・・ケホッ、大丈夫よコフィー、貴方には彼の力があるでしょう?私も一緒に、ケホッゲホッ。力を使えば・・・何とか行けるから。」
姉ちゃんは何処か痛めてしまっているのだろうか。
嫌な咳を繰り返しては苦い顔を浮かべた。
「そ、そっか、然うだよね。うん。じゃあロー君!」
コフィーが手を出すとロー君の姿が崩れ、紅玉の勾玉となって其の手に落ち着いた。其をしっかり握る。離さない様に、逸れない様に。
「取り敢えず、何処か遠い所へ行こう姉ちゃん。」
姉ちゃんは只静かに頷き、其の儘俯いた。
其と同時にコフィーの躯は霞み始めた。
でも姉ちゃんは其処に呆然と居る丈で、力を使う気配がない。
「ね、姉ちゃん何してるの!早く力を・・・、」
「御免ね、コフィー。」
今にも涕きそうな顔で、姉ちゃんは顔を上げてコフィーを見遣る。又・・・先と同じ言葉を呟いて。
如何しようもなく一気に胸騒ぎが起き、其は瞬く間に大きくなった。
「私、もう力なんて残ってないの。先ので全て、使っちゃった。元から私は・・・如何してもそんなコフィーみたいな移動の力、使えないからね。・・・ゲホッ、ゴホッ。」
口元を押さえる。二筋の血の跡が口端から漏れていた。
コフィーは只、そんな姉ちゃんを見る事しか出来ない。・・・何を言っているのか、理解出来なかった。
「・・・だから、此処で御別れよ。」
「い、嫌だ!何でそんな・・・姉ちゃんを置いて行くなんて、出来ないよ!」
然うだ、少し考えれば分かる事だったんだ。
若し姉ちゃんも此の力をコフィーと一緒に使えたのなら、始めから使っている筈なのだから。
化物相手にコフィーとロー君丈で行かせるなんてしないんだ。待つ辛さを知っているから。
焔の勢いが増して、姉ちゃんの背後で燃え盛る。
其の絳に照らされて、姉ちゃんは何時もの様に微笑んでいた。涙が一筋、流れているとも知らずに。
二度目の絳の別れ。でも此が永遠の別れの気がして。
堪らなくなって手を伸ばすコフィーに、静かに、でもはっきりと姉ちゃんは御別れの挨拶をした。
「だから如何かしっかりしなさい。前を向きなさい。貴方は私の誇りだから。生きて、如何か幸せに。」
焔が降り掛かり、視界が絳一色になった所で僅かな浮遊感。
馴染のある此の感覚は、否応なく今のが別れの言葉だと突き付けて来て。
最後の最後に何処からか聞こえて来た彼の揺籃歌が、最期の姉ちゃんからの手向け華の様に耳に残った。
・・・・・
次に瞬いた時には、コフィーは見ず知らずの蕭森の中で倒れていた。気付かない内に寝てしまっていたのかも知れない。
隣で何時の間にか勾玉から戻っていたロー君がコフィーの顔をずっと舐めていた様で、其の擽ったさで目が醒めたのだ。
「此処・・・は。」
見た事のない木々が立ち並んでいる。こんな色鮮やかな草花をコフィーは今迄に見た事がなかった。
静けさ丈を湛えた晁は、彼の絳を夢だと告げる様で。
同時に重い位の現実がコフィーの中に蟠った。
―コフィー・・・此処は、―
目を伏せるロー君を正視出来なかった。
「コフィー・・・姉ちゃんをあんな所に、怪我してたのにっ、置いて逃げちゃったんだ・・・っ。」
声が詰まって、如何仕様もなく噦り上げてしまう。
なんて酷い事、姉ちゃんはあんな地獄でずっとコフィーを待っていてくれたのに。
声にならない懐いは衝動となって。
擦り寄ってきたロー君の首にしっかりと抱き付いて、
「わぁあぁあああ!!」
只々、涕き続けた。
若しかしたら彼の化物が又来るかも知れないのに、そんな事もすっかり忘れて。
声が枯れる迄、悲しみを全て吐き出せる迄。
でも涙が乾いても、未だ其は沸いて来る様で。
何程経ったか分からないけれど、コフィーが涕き疲れて寝てしまう迄、ずっと然うしていたのだった。
・・・・・
次に目を覚ましたコフィーは直ぐロー君と彼の村へ戻った。
無意味な悪足掻きだって分かっている。でも、如何しても諦めたくなくて。
着いてみると焔はすっかり止んで、瓦礫の山しかなかった。
村の誰かの筈なのに誰か分からない位酷い有様になっている骸を一つ一つ確認して。
何度か余りの気持悪さに吐いてしまったけれど、何とかコフィーは姉ちゃんを見付け出す事が出来た。
場所はコフィー達の家があった所、家は他の家同様崩れていて、其の瓦礫の中で息絶えていた。
薄ら目を開け、辛そうに口を歪めて、三人でつい数ヶ月前に撮った家族写真を抱いて。
如何してこんな物を取りに姉ちゃんが家へ帰ったのかは分からない。でも其を抱いた痛み、辛みは分かった気がした。
姉ちゃんだって生きたかったんだ。三人で逃げて、又彼の日々を過ごしたいと。
分かっていた事なのに、改めて突付けられると胸元に重石を置かれた様な息苦しさを覚えた。
「っ・・・姉ちゃん、ごめ・・・本当に・・・御免なさいっ!」
もう何度後悔したか分からない。
でも未だ未だし足りなかった。
こんなんじゃ全然。数日の涙では。
迚も此の一刹那の悲しみすら満たされない。
―・・・コフィー、何か持って行く?此処にはもう残らない方が良いよ。せめて写真丈でも。―
ロー君の言う通りだ。生かされたコフィー達は此処を去らなければいけない。
コフィーの村では風葬と決まっている。
遺跡の多い此の地では、人も自然に委ねる事で遺跡の様に懐い丈を残すと言われているんだ。
だからコフィー達は行かないといけない。
此処は・・・一つの奥つ城となってしまったのだから。
「ううん。写真は・・・姉ちゃんが持ってて。ずっと一緒にいられる様に。」
目を閉じさせ、写真にコフィーの手を重ねる。写真に写った三人の笑顔が酷く色褪せて見えた気がした。
其処で初めて姉ちゃんの胸元に大きく穿たれた跡がある事に気付いた。
釼の様な物ではなく、握り拳一回り程大きな傷。
骨や内臓ごと貫いている其が致命傷なのは言う迄もないだろう。其処から溢れ出た血が彼女の肌や服、地を余す所なく染め上げている事からも其の酷さが窺える。
瓦礫の所為か所々傷だらけになってしまったので気付くのが遅れたが、間違いなく此が止めだったのだろう。
「此・・・まさか彼の化物の・・・、」
忘れられない彼の姿。彼の歪な爪で刺したなら・・・こんな傷跡が丁度出来ないだろうか。
「・・・ロー君、コフィー決めたよ。生きる意味、生かされた訳、コフィーの為可き事。」
ローズが長い耳を立てる。声も上げずに只々紅玉の瞳は悲しみに暮れ、静かな瀾を湛えていた。
「彼の化物を今度こそ殺す。皆の、姉ちゃんの仇を・・・絶対取る。其の為にコフィーは生きるよ。」
然う、此はコフィーが故郷と言う名の奥つ城に誓った懐い。
如何か消えないで。此処に留めて。もう逃げないから、せめて此の懐い丈は護り抜こう。
・・・そして、コフィーと共に世界を移ろおう。
・・・・・
・・・ね、過去編丈で終わったでしょう?大丈夫です。後編でもありますから。
では恒例(?)暇潰しの次元(てきとーに考えた)です!
ク、鯨さん?えっと何だっけ其。あ、あの大きい入鹿か。・・・うーん、反応に困る。
セレの晒について、ドレミとの会話です。入鹿パートⅡです。(意味不)大きい入鹿って、セレは何を思ったんでしょうね。超音波を放つ入鹿って見たくないです。
其から姉ちゃんに聞いた事は、
其の化物が来る迄、もう一週間もない事。
其の化物が居るのはとある所だと言う事。
ドレミが鎮魂の卒塔婆へ行く前の回想。投稿する直前に気付いて大慌てしました。
流石に御姉ちゃんでもセレの居場所は分からなかったそうです。詰みゲーですね。
噫、何て気持ちの悪い、不気味な・・・アカン・・・。
シリアスシーンのミス来ましたー。はい、ドレミの村がぐっちゃぐちゃにされたシーンです。正しくは絳い、ですね。
でも何だか以外にしっくり来ますよね。最早言葉にすら出来ないみたいな、口調が素に戻っちゃったみたいな・・・はい、巫山戯過ぎました、御免なさい。
「っ・・・姉たん、ごめ・・・本当に・・・御免なさいっ!」
はい、もう言う事ないです。御免なさい。
瓦礫の所為か所々傷だらけになってしまったので気付くのが遅れたが、間違いなく此が届けだったのだろう。
如何か消えないで。此処に届けて。もう逃げないから、せめて此の懐い丈は護り抜こう。
届けてシリーズ。でも不思議と違和感がない。婚姻届だとすれば恋愛物か、ドロドロの昼ドラ物か・・・。
正しくは上は止め、下は留め、ですね。
取り敢えずはこんな所です。では又後編で出会いましょう。