6次元 絳き滄溟に誰かの記憶抱かれし次元Ⅱ
今日は、分割しました下巻にようこそ。随分と変な所で切ってしまい済みませんでした。でも別に加筆する訳にも行かないし、文字数制限の所為で敢え無くバトル中に・・・。
今回は其の続き、やーっと少し丈、ガルダさんの出番があります。少し丈ね、匂わせる程度に。だって彼奴影が薄・・・ゲフンゲフン。
こんな所で書くのも難ですが、実はロレンさんは可也行き当たりばったりな、本当に突然生まれた子でした。いや・・・ね、リメイクとして書き直していた時に気付いたんですよ。あれ、此の次元、主導者居なくね?
ワー大変、何の為の次元か分かんなくなる!って事で書きました。設定に無理があった事は承知しています。筆者ですら未だに名前憶えられないですからね。眼鏡っ子丈記憶してます。
そんなこんなで後半戦、モフモフとの恋は成立するのか、眼鏡は御八つに入るのか、怒涛の展開と衝撃の結末。どうぞ御楽しみに。
ヒョウの呪いが解けて少し後の事。
相変わらずアーリーとガルダ達は攻防一線を繰り広げていた。
何とかハリーも応戦しようとするのだが、如何せんアーリーの動きが速過ぎる。
翻弄するかの様にガルダの周りを飛ぶ姿は遊んでいる様にも見えた。長く伸びた長布で目眩ましをしたかと思うと、もう背後に回っているのだ。
加えてアーリーは得物を持っているが、ガルダは素手だ。
アーリーに丈幻を放とうにも身軽さと獲物により稼いだ距離の所為でガルダに当たりそうになり、結局地団駄踏む事になるのだった。
其はガルダにしても同じ様で、アーリーの余りの速さに付いて行けていない。
斬られる一方だが、其の傷は瞬く間に治ってしまう。血が出るより先に塞がって行く。
何時迄経っても不毛な戦いが続いていた。
「然うよガルダ、ケルディは元気にしてる?」
突然の問いに刹那ガルダは硬直し、透かさずアーリーは彼の手首を斬った。
其処は急所の筈なのだが、血が一滴出た丈で傷は塞がってしまう。
「ケルディは・・・未だ目醒めていません。」
「然う・・・。でも目醒めていないって事は元気って事ね。全然会ってなかったから。」
良かった、と目を伏せたアーリーに向け、皓い曦が放たれる。だが其を一瞥する事無く、アーリーは斬り捨てた。
刃の先から滴る雫がガルダに降り掛かった。
「光羂噴!」
隙を見て唱える。地が割れ、皓い獣の顎門の様な物がアーリーの足元から現れた。
獣は大きく顎門を開き、小柄なアーリーを呑み込もうとする。散らされた玉屑が彼女を取り巻く様に舞い散った。
アーリーは刃を下に向けず、真直ぐガルダに向けた。水滴が一滴、刃の先から滴る。
其の水滴を刃の背で掬う様に少し丈彼女は刀を動かした。
刹那、皓い顎門から断末魔の咆哮の様な轟音が轟き、牙が霧散する。
顎門は其の儘消えてしまった。其丈ではなく、彼女の足元が陥没する。
「相変わらずの剣戟。流石ですね、師匠。」
未だ彼の技のトリックが分からない。斬った訳ではないのに対象物が斬られたと言うより、寸々になる。突きを繰り出し続けたかの様に。
其の距離が数㎝だろうが数mだろうが、余り関係は無い様だ。小柄な彼女が斯うも縦横無尽に戦えるのは、一重に其の技による、リーチの長さにあるのだろう。
剣戟、衝撃波とも違うし、一体何なのだろう。此の技の正体が分かれば一撃入れる事位は出来る様になるかも知れないのに。魔術でもない様だし、糸口がさっぱり掴めない。
「まぁね・・・でも彼の子は眠った儘・・・か。」
又ケルディを思う辺り、如何やら彼女は余裕の様だ。アーリーは少し距離を取ると考え事に走った。
友達を助けに行くと言った儘、彼の子は帰って来なかった。
もう会えないものと思っていたけど、今はガルダの所に居るらしい。
屹度ケルディを眠らせたのはフォードだろう。彼の子がしたのなら、ケルディは帰って来るに相違ない。だって彼は、変わってしまったけれども、希望を断つ様な神ではないから。
少し丈、安心した。然うだ。じゃあもう不安の種は無い。
ちゃんと彼と向き合わないと。
「ねぇガルダ。褒めてくれるのは嬉しいけど、其って自分の腕が落ちたからじゃなくて?試しに其の身で受けてみるかしら。」
踵に力を入れ、大きく跳ぶ。ガルダの目前で降り立ち、刀を縦に構えた。
「可也痛いと思うけど、大丈夫。・・・屹度死なないわ。」
笑顔を見せ、刀を縦に少し振る。
其は確と目的の彼の左腕へ叩き込まれた。
「っ・・・。」
呻く。左腕に殴られた様な衝撃と、刺す様な痛みが走った。
「な、ガ、ガルダ!!」
ハリーが声を荒げる。
何だと思い少し身を捩った時だった。
何か重い物が落ちる音と、流水音が左からする。
其が何なのか理解する前に、絶叫が彼の口から零れた。
「っあぁあぁああ!!」
無い。肘から先が無い。
じゃあ足元に転がっているのは、此の水の様な生温い物は。
考えるより先に手が動く。
落ちていた其を拾って肘に当てる。接着箇所が寸々で上手く合わず、動き難くて膝を付いたが、痛みが少しずつ引いて行く。
息を付く。嫌な汗を掻いた。其を拭って左腕を見る。
服の裾は千斬れてしまったが、腕はもう千斬れていない。
傷跡も無く、ちゃんと血が通っているし、指は動く。
一連の流れをまるで手品でも見るかの様にアーリーは観賞し、感嘆の声を上げた。
「あら、其はフォードが伝授したのかしら。凄いわ。そんな直ぐ実践出来るなんて。」
「生憎実践しかした事がないんです。」
ガルダは苦虫を噛み潰した顔で応える。実に嫌な思い出だ。スパルタと言うより、虐待否、拷問に限りなく近い。公開処刑も良い所だ。
「あら、本当に彼が教えたのね。興味あるわ。一体どんな教えだったの?今後の参考にしたいわ。」
アーリーは刀を適当に持って玩び始めた。今は戦意はないらしい。
純粋に興味があるのだ。
「僕は研究員だから、戦闘は苦手なので論理的に行く、とか言い乍ら出会い頭に関節と言う関節を全て消滅させて持ち運びが簡単な位にバラバラに分解されました。」
「・・・御悔み申し上げます。」
すっかりアーリーは引いていた。
確かに其をすれば彼の反応も出来る様になるだろう。出来ないと死んでいるのだから。
実に恐ろしいスパルタだ。他の生徒に到底伝授出来ない。
「其にしても子供だから戦闘が苦手という理由を研究員に摩り替えたのは納得行かないわ。」
「え、でも師匠も子ど・・・。」
何かが起こった。
気付けば自分の左側の地面、ぴったり靴の側面から先の地が無くなっていた。
深い溝が出来ている。此の溝へ飛び込んだら、見事な地層が見られるだろう。
唾を呑み込む。
然う言えば子供って鎮魂の卒塔婆では禁句なんだった。
鎮魂の卒塔婆ではフォードがリーダーである為か、子供の神が割と多い。其の為、彼処では子供・・・と言うと差別語として処分されるのだ。
次元の迫間は色々な次元から構成されている為、差別に関しては迚も厳しい。殺人よりも酷い罰が下る事も多々ある。
先失った腕と同じ左を抉る辺り、静かな憾みを感じる。
「ねぇガルダ、細斬れと微塵斬りと蛇の目斬り。何が好み?」
「・・・・・。」
全部死にそうなメニューだ。幾ら再生するにしても痛いのは嫌だ。
個人的には蛇の目斬りが恐い。グロテスクな処刑法にランクインされる気がする。
「先と同じ様に各部位を吹っ飛ばしても・・・あら。」
物騒な事をニコニコと続けていたアーリーは、ちらと又ヒョウを見遣った。
「彼方は終わった様ね。第二ラウンドに行くのかと思ったけど、ヒョウって結構恩情あるし、和解しちゃった様ね。じゃ、此方もちゃっちゃと終わらせましょうか。」
然う話し乍らハリーの放つ焔を切り裂いてアーリーは刀を構え直した。
「終わった?・・・セレが勝ったのか?」
ガルダも同じ方向を見遣る。だが彼の瞳が映したのはそんな朗報ではなかった。
一点丈黔い所がある。
其はセレの辺りに華の様に咲いていた。
今セレは寝かされて、ロレンに看病して貰っている様だ。皓い巨鳥となったヒョウも心配そうに見ている。
瞳が凍り付き、心臓が早鐘を打って熱くなる。
前にもあった。鎮魂の卒塔婆でセレが死に掛けた時。
如何しようもなく、焦り、震えた。恐く・・・なった。其迄なかったのに、突然。
此は使命が変わったから然う思うのか。
否、違う。
何か重なる景色がある。血を見ると懐い出す。
氷鏡、霄、絳、数多の骸。
鼻を突く濃厚な血の香り、未だ燻る銃、そして・・・そして、
―生きてて良かった・・・。―
然う言って自分に寄り添った彼女を、釼で刺し殺す景色。
躊躇等無く、無感情に、あっさりと。
彼女は啼いていたのに。自分が生きていてくれた事に、あんなにも喜んでいたのに。彼女以外に自分にそんな感情をぶつける人なんて、いなかったのに。
世界に嫌われている彼女は自分丈を信じてくれていたのに。
彼女の其の小さな躯を抱き締めてやる可きだった。血に濡れてしまった其の髪を撫でてやる可きだった。
其なのに、其なのに。
殺した。・・・自分が殺した。
此は前世の記憶だろうか。
顔も名前も声も俤も、何一つ彼女の事は憶えていないけど。
だから、だからこそ、其の償いと迄は行かなくとも、セレを護りたいと思ったのかも知れない。
もう彼女には・・・謝れないから。
せめて自分が裏切ってしまった、そしてそんな自分に居て欲しいと言ってくれたセレを護りたかったのだ。
「あ・・・あぁ。」
ハリーも気付いたのか目を見開き、絶句している。
息が詰まる。
何で、如何して。
―ガルダが護ってくれるんだ。・・・とっても嬉しい、有難う。―
「あぁあぁああ!!」
誰なんだ。彼女は誰だったんだ。
如何して死んだ。
如何して護れなかった。
如何して殺した。
突如ガルダの左手に皓い刃が握られる。
否、握っているのは刃ではない。皓い異形の手と化した事で長く伸びた爪が複雑に絡まり合い、一振りの剣の太刀を形成しているのだ。
装飾が施されている様にも見える其の釼は歪に皓く輝く。
其を手にしたガルダの瞳も又、苛烈に狂気を滲ませ、光った。
耳障りな音がする。ガルダの生きている剣の太刀が刻一刻と歪み、伸びているのだ。既に其の長さは六尺を数える。
ガルダの変わり様にハリーはすっかり委縮し、思わず岩陰に隠れた。
近付く丈で斬られる様な気配が滲み出ている。
「っ・・・。」
其を向けられたアーリーは刹那、竦み上がった。
彼女にとって其の剣の太刀は途轍もなく大きい、自分を食い殺そうとしている獣か何かの牙の様に見えたのだ。
「未だ未だ全然、不完全なんじゃない・・・。」
痛みを堪える様な瞳で、アーリーはガルダを見る。
此では二年前と何も変わらない。
フォードはもう彼を放っても良いと言ったけど、此は明らかに時期尚早だ。未だ千斬れた記憶、前世にしがみ付いて、引き摺られているじゃないか。
「はぁ・・・だから貴方に刀は持たせなかったのに。」
彼は未だ気付いていない。
自分が、護りたくて刀を持つのではなく、失いたくないから刀を持っているのだと言う事に。
過去の傷に魘されて刀を持っているに過ぎないと言う事に。
彼は未だ・・・気付いていない。
此の儘では彼は又、斬ってしまうだろう。彼自身と、彼の大切な物を。
其丈は避けなければ。
裏切ったとか、如何とか、組織の事なんて、自分にとって如何でも良いのだから。
寧ろ彼が此の呪われた塔から逃げ果せた事を祝福しているのだから。
何より、最後の弟子として。ちゃんと導いてあげたい。
ガルダが横薙ぎに剣の太刀を振るった。
舐められた地から風花が舞い上がる。
其の刃の背にアーリーはひらりと降り立つ。
「刀、未だ持つなって言ったでしょう。」
そんな刀とは到底言えない代物作っちゃって。
其で何が護れると言うの。
アーリーは刀を構えると、其迄とは比べ物にならない位静かに、そして素早く払った。
忽ちガルダの剣の太刀と化した左腕と右足、左頭蓋と心臓の辺りを彼の技で切り裂き、粉砕して破壊した。
「キャァァァア!!」
だが悲鳴を上げたのはアーリーだった。
アーリーの刀で粉砕、破壊したのと同時にガルダの剣の太刀を構成する爪がアーリーの足を貫いたのだ。
水の様な透明な血が爪を伝う。
「な、何て・・・事。」
見るとガルダの傷、貫かれたり斬られたりした箇所は初めから傷一つ負っていないかの様に綺麗に治っていた。
剣の太刀が落ちるより先に、傾ぐより先に、思考が停止するより先に、血が滲み出るより先に回復していた。加えて纏っていた、破れていた服も繕うかの様に直って行く。
忽ち彼は戦う前の姿に戻ったのだった。
まさか此処迄魔力と干渉力が上がっているなんて。
此は分が悪過ぎる。
アーリーは飛ぶ様に後方へ向け、地を蹴った。
せめて距離を取らないと、殺されてしまう。彼の生きた剣の太刀は危険だ。
一息付いてアーリーは慎重に刀を構えた。雫が又、其の先から滴る。
アーリーが魔力を乗せると湧水の様に水流が刀から涌き出た。
穿った足から出る血が止まらない。もう自分が動ける時は余り残されていないだろう。
早くけりを付けないと。
彼女の表情から笑みは消えていた。呼応する様に涌き出る水が激しさを増す。
フォード、此が貴方の実験?此の子達を使って、何をするつもりなの?
「今度のは相当痛いわよ。耐えられるかしら。」
目に見えない疾さでアーリーは突きを繰り出す。
威力と疾さの増した其は見えない剣戟と成ってガルダに突き刺さった。
肩を、目を、頭を、胸を、腕を、脚を、脇を、腹を。
辺り構わず繰り出される衝撃にさしものガルダもボロボロになった。だが其でも回復速度は尋常ではない。凡そプラスマイナスゼロで矢張り不毛な戦いへと持ち込まれるのだ。
突如不穏な気配を感じ、アーリーは又飛び退こうとした。
だが間に合わず、背に冷たいものを感じた刹那、水の様な透明の血が滴る剣の太刀がアーリーを貫いた。
「あぁああ!!」
水を吐き、アーリーは仰け反る。大量の水、血が溢れ出た。
アーリーは身体的に止血が殆ど出来ない構造になっている。流れる水は冰にしない限り止まらないのだ。
此は致命傷、否致死に値する怪我だ。
急激に体温が下がって行く。
「い・・・何時の間に。」
足を重点的に破壊したのに背後を取られるなんて。まさか自分の剣技が彼の再生に追い付かなかったとでも言うのか。
・・・否、此は何方かと言うと、自分が破壊して飛び散った血や肉片から彼其の物が再生したかの様に見えなかったか?彼が瞬間移動でもしたかの様に見えたのは、まさかまさか高じ過ぎた再生能力に因る荒技ではないのか。
若し彼が本当に其をしたのだとしたら、自分達は途轍もない物の研究をしたのではないか、セレ・ハクリューと名付けられた彼の神と同様に、彼も又特異な神だったのかも・・・。
其処迄思考を進めた所で其は引き裂かれる。貫いたガルダの腕、皓い剣の太刀が獣か何かの様に顎門を開けたのだ。まるで主の懐いに呼応するかの様に。
「失わせない。もう・・・絶対にあんな事、させない。」
剣の太刀と化した爪が枝分かれし、傷口からのめり込む。中を寸々にしようと刃を、牙を振るう。
「あぁあぁぁ!!」
血が止まらない。自分は此の儘、彼の手に掛かってしまうのか。
幾ら次元の迫間に帰れるとしても、弟子に一撃食らわせられないなんて。
せめて剣の太刀が抜けないかとアーリーは其を震える手で掴んだ。
刀が手から滑り落ちそうになる。
もうガルダの剣の太刀は一丈になっていた。
抑此の爪は自分の技では砕く事が出来ない。先程剣の太刀ではなく、腕を狙ったのは其の為だったのだ。
斯うなってしまっては、もう如何する事も出来ない。
一連の流れを見ていたハリーも、如何為可きか分からず、只見ている丈だ。
諦めにも似た目で、アーリーが剣の太刀を見詰め、息を付いた時だった。
水の気配を感じた。
悲しいと言っている雫を背後から。
アーリーは流れる血が水である為に、水に関する感覚は人一倍だった。水しか無かった前世の影響も大きいだろう。
此は・・・ガルダの涙なのか。
ふっとアーリーは目を細めた。其の目差に見た目とはそぐわない、大人びた色が混じる。
何て・・・冷たい。
過去の傷は未だ癒えていない。全てを復讐に向ける程、昇華し切れていない。
「俺の所為で、俺の所為で、俺の所為で・・・。」
只聞こえるのは彼の懺悔の声。誰にも届かない其は其の雫に呑まれて行く。
「御・・・免・・・ね。」
其の涙を拭ってやる事が、自分に出来る事だった筈だけれど、大丈夫だと、声を掛けて傍に居る事が、自分に出来る事だった筈だけれども。
もう、出来ない。大事な時に何時も自分は彼の傍に居ない。
「本当・・・なん・・・でよ。」
最後の弟子だってのに。又自分は誤ってしまったのか。
「ガルダ!止めろ!」
「あら・・・。」
今の声は確か・・・。
アーリーが声のした方を見るより先に、ガルダの剣の太刀が無造作に引き抜かれる。
抜いたと言うより、剣の太刀が解けたのだ。
其の儘立っている事も出来ずにアーリーは地に倒れ伏した。
柔らかな銀雪が彼女を包む。御蔭で穿れた傷口は徐々に凍り、事無きを得た。
ちらとガルダを見遣る。彼ははっとして目元を乱暴に拭うと少し離れた所に居たセレに向け、手を振った。
彼の禍々しい気配はもうない。手も元に戻っている。
正気に戻ったらしい。
彼の声はセレ、彼の子の物か。
大方ガルダの不審に気付き、声を掛けたのだろう。
彼にはもう新しい仲間がいる。ちゃんと面倒を見てくれるだろう。
嫉妬なんてしたら、みっともないか。
「一つ・・・否、二つ貸しね。」
ガルダを正気に戻してくれたのと、そして、
「やっと、レイの願い。叶えてあげられたわ。有難う。」
青い顔で微笑むと何とか刀を支えにアーリーは立ち上がった。
次元の迫間へ戻れば、傷は癒えると言っても、此では当分戦前に出られないだろう。大人しく休養を取るか。
迫間へ帰る為、アーリーはよろよろと地を蹴った。其の姿は段々と霞み、玉屑を散らして消えて行った。
ちらとハリーはアーリーの消えた先を見遣ったが、ガルダの傍へ行く。
「ガルダ、その・・・先のは。」
「噫、御免御免。偶に・・・あるんだよ。見境がなくなっちゃう事。何があったか俺は余り憶えてないんだけど。・・・二年じゃ治らないか。」
頭を掻いて溜息交じりにガルダがぼやく。だがハリーは其を聞き逃さなかった様で、ピクンと耳が動いた。
「ぬ?二年とな?」
「あ、否、此方の話。恐がらせちゃって御免な。師匠は・・・帰っちゃったか。うーん、後を追う必要はないだろうし・・・良し、取り敢えずセレの所へ行こう、ハリー。」
「・・・うむ。然うだな。」
駆けて行くガルダの後を追い掛け乍ら思う。
セレとガルダ。二柱が何処となく惹かれてしまうのは、屹度此の影の所で二柱は似ているからなのだと、そんな事をハリーは考えていた。
・・・・・
「あー。」
死んだ目であらん方向を見る。
斯うなったのはガルダを止めようと声を出したからだ。
事のあらましを順を追って思い返してみたいと思う。
休養(一割)とモフモフ保養(九割)の為ヒョウの羽毛に包まって温々していると異様な気を感じて離れのガルダ達を見遣った。すると其の気を纏っているのは何とガルダではないか。
驚きの余り、思わず声を上げた。前、丗闇が然うしてくれた様に。
駄目だ。止めないと、彼が彼でなくなってしまう。
だが形振り構わず無理して叫んだ為、其の直後、
「ぐはっ!!」
大量吐血した。
「セレー!死なないでー!」
ヒョウの首元から顔を出したロレンが血相を変えてヒョウの胸毛を滑り台にして降りて来た。因みに眼鏡は既に粉砕している。
「セレ!全然治ってないじゃないですか!何で嘘吐いたんですか!ほら早く横になって下さい!」
え、治ってないって当然じゃん。止血した丈で傷が治ると思っているのか此の子。
良い様に取って此の次元の人達の治癒能力は極めて高いと考えよう。
ロレンがそっと自分をヒョウの胸毛の内へ寝かす。軽いので簡単に移動させられてしまう。
血が付いてしまったので、後で詫びねばならない。
「あー・・・。」
其で残っていた力の殆どを声で使った為、セレは暫くぼーっとした様な、半分寝た様な感じで横になっていた。
其処へガルダとハリーが帰って来た。特に大きな怪我もない様だ。まぁガルダは治っちゃうから見た丈では分からないんだけれども。
「おい!セレ、大丈夫か!」
ガルダの声ではっきりと目が覚め、ちらと見遣る。
声が出せないでいるとさっとガルダは光魔術を掛け始めた。
見る間に傷が塞がり、気持悪さも無くなった。残るのは後遺症にも似た痒み丈で、何とか伸びの一つ出来る様になる。
やっと復調だ。
気持良いのでヒョウに背を預けた儘、取り敢えずセレはガルダに礼を言った。序でにオーバーコートの裾でヒョウの胸毛を汚してしまった血を拭って置く。
そんなセレの隣に、ちょこんとロレンも同じ様に腰を降ろす。
「えーっと、治ったのは良いけど、何があって斯うなったんだ?」
ガルダが恐る恐るヒョウを見遣る。
応じる様にヒョウは尾を少し上げて鳴いた。
ハリーの耳がピクッと立つ。何か感じたのだろう。微笑すると其の潤み色の瞳をヒョウに向けた。
「此奴の呪いを解いたから和解した。そんな所だ。」
詳しく言えなくて御免。ロレンが居るから話せないんだ。
何となく事情を察したのかガルダは二度程頷いた。
ガルダの様子を見る限り、今の彼は彼の気を放っていた時と別神の様だ。普段通りだし、無理に先程の事に付いて聞かない方が良いだろう。
ちらと隣のロレンを見るとぴったり此方にくっ付き、満足そうに又眼鏡を掛けて満面の笑みを浮かべていた。
「ロレン、調査とやらは終わったのか?」
「はい!御蔭様で。皆さん本当に有難う御座いました!」
其を聞いてヒョウは一度身震いして毛を逆立てた。あんなにも痒かった調査が終わって、ほっとしたのだろう。
躯が更に沈み込んだので、ロレンが歓声を上げる。
「此奴を飼いたいか?」
「ゑ?」
「はい!」
ヒョウの声を遮ってロレンが手を上げる。余程気に入った様だ。
「もっと細部迄色々調べたいです!」
「細部!?」
ぞわっと其迄とは違う形でヒョウの毛が逆立った。
ニヤニヤと神の悪い笑みを浮かべているセレに気付き、ガルダは苦笑を洩らす。確かに、和解は出来た様だ。
「あ、でも餌が分かりません!其にこんなに大きいと量が・・・。」
「眼鏡でも食うんじゃないのか?其とか。」
其を聞いてさしものロレンも怒った様だ。頬を膨らませる。
「セレ!無視しようかとも思いましたが、一応ちゃんと言って置きます。此は眼鏡ではなく、私の発明品、Meddle Gabfest Negligentです!眼鏡眼鏡と言わないで下さい!」
ワオ、其処で怒ってたの?からかった事ではなく?
自分だって眼鏡眼鏡って言っていた気がするけれど。
仕方ないな。もう少し丈からかってあげよう。
「だから眼鏡じゃないか。其の正式名称の上から二文字ずつ取れば、MEGANE、眼鏡だ。」
其を聞くと、ピシッと音が聞こえそうな位露骨にロレンが固まった。
「な、ななな何と・・・。ちゃんと正式名称を知っていた上で略していたのですね!しかも流行語っぽく、敢えて上から二文字丈取るなんて!かっこいいです!失礼しました。」
「いや、絶対セレ知らなかったから。」
ガルダの声は興奮しているロレンには届かない。彼女は一度礼をすると首を傾げた。
「でも如何して教えてもないのに此の名を?私、言いませんでしたよね?」
おぉ、思っていたより鋭い。斯う言ってはなんだが、気付かないと思っていたよ。
仕方ないな。もう少し丈からかってあげよう。
「フッ、其はな、私は悟りを啓いているから見た丈っで其の真の名が分かるのだよ。」
胸を逸らし、斜に構える。忽ちロレンの鈍の瞳が輝いた。
「おぉ!碧山とか熔岩で得られる物ですよね!凄いですぅ!憧れますぅ!」
キャッキャッとロレンは飛び跳ねる。勇と良い友達になれそうだ。
「セレよ、そろそろからかうのは・・・。」
「心配するなハリー、少し丈だ。」
怖ず怖ずと声を掛けるハリーにセレは苦笑を返す。
全快祝いに此位の戯れは許して欲しい物だ。
「・・・っ、噫!然うですよ!ガルダ、ハリー、あの、あのあの!アーリー様は何処へ!?」
信者降臨。
彼女の余りの変化に気圧されたガルダだが、意を決して口を開く。其は勇悍か蛮勇か。
「えーっと御免。用事があったみたいで先帰ったよ。」
「なっ・・・っ!」
酷くショックを受けたらしい。がっくりと彼女は肩を落とす。
余りにも落差が激しく不憫だったので、セレは声を掛けようとした。
だがセレは敏感に気配を感じ取る。
失意に沈む彼女の肩から殺気が滲み出ている事に。
震えていた彼女の手が、青筋を立て玉屑を握りしめていた事に。
心做し、幽風が騒めいた気がした。
此の後ガルダが彼女の手により眼鏡で撲殺されるか溺死されるか圧殺されるかも知れない。
其丈は何としても止めなければ。
偉大なる使命感に突き動かされ、セレも又蛮勇の道を歩む事になる。
激しく怨怒されているロレンにセレも意を決して声を掛けた。其の声が微妙に震えているのは・・・まぁ致し方ない事だろう。
「ま、まぁ良かったじゃないかロレン。ヒョウとは友達になれたんだろう?」
ちらとヒョウを見遣る。察したのかヒョウは出来る丈頭を下げてロレンに目線を合わせた。
先程はペットの様に扱って、今度は信者を鎮める犠牲にと何とも酷い事をしている様で心苦しいが、此処は彼に任せよう。屹度彼なら彼のモフモフでロレンを救う事が出来る筈だ。
「ロレンと言ったな。汝とは機会がある時、色々話をしたいと思っている。其では・・・駄目か?」
身振りを加えて何とか伝えようとするヒョウを見ていると微笑ましい気持になる。今は事が事なので何方かと言うと其の涙ぐましい努力に心打たれる物があるのだが、一貫して思う事はある。
本当にヒョウは人が好きなのだと言う事だ。彼が居て、本当に良かった。命拾いした。
「ほ、ほほほほほ、本当ですか!?」
顔を上げ、其迄とは全く異なる震えに襲われたロレンは堪らなくなってヒョウに抱き付いた。抱き付いた所はヒョウが下げていた頭なのだが、其処も気持良い様で彼女は頬擦りをする。嘴恐怖症の自分としては羨ましい様な、微妙な心境だ。
作戦通り、彼女もモフモフトラップに引っ掛かった様だ。
又セレが神の悪い笑みを浮かべているとガルダは思い乍らも胸を撫で下ろした。ガルダもロレンの狂気を感じてはいたので正直助かったのだ。
「ぜ、是非、勿論!駄目だなんて一つも!えぇ全く!はい、分かりました!貴方が大きな鸚哥と分かった丈でも十分な収穫です。アーリー様は又何処かで。」
ほっと一同が安堵の息を付く。
良かった。穏便に済んで。
血迷った彼女ならアーリー様を呼ぶ為の犠牲になるのだー!とか言い兼ねない。
「では取り敢えず我はリュウの所へ戻るとしよう。我の力を借りたい時は何時でも呼ぶが良い。ではな。」
「はいー!又ですー!」
実はもう十分過ぎる程力を借りたのだがな。
内心思い、セレが軽く手を上げ、ロレンは飛び跳ねて両手を大きく振る。
ヒョウは声高に一声鳴くと翼をはためかせ、朧雲の隙間へ消えて行った。
暫く手を振っていたロレンだが、不図手を止めると一同に向き直った。
「・・・本当に皆さん有難う御座いました。まさかこんな凄い事、経験出来るなんて・・・。数年分の研究が一気に飛躍した気がします。」
深々と頭を下げる。其の効果音として、眼鏡の割れる音がした。
今一緊まらないが、別段悪い気がしないのは其が本当の誠意の元での礼だからだろう。
「まぁま、此方も楽しかったし、良いんじゃないのか?無事依頼も終わったし。」
一つ伸びをしてガルダが然う呟く。さて、果たして然うかな?
「ガルダ、御前は何かしたのか?」
「うえぇ!?ひ、酷いぜセレ!俺は・・・えっと・・・まぁ色々、色々したんだ。裏方に徹したんだ。な、なぁハリー。」
「うむ。我も色々したのだ。」
冷や汗を掻き乍らガルダが胸を逸らす。ハリーも然うしたら良いと思ったのか、少し歪な感じで胸を逸らした。
其の様子がおかしくてつい吹き出してしまう。ガルダは本当に嘘が下手なのだ。
本当に何もしなかった訳ではないのだろうけど、言える程の事は出来なかった、と言う訳だろう。
「然うだな。良し、後は報告のみだ。行こうか、ロレン。」
「はい!行きましょう!」
眼鏡を掛け直したロレンが手を上げる。
「いやいや、一寸待てよセレ!」
「然うなのだ!こんな寒い所に置き去りは嫌なのだ!」
談笑し乍ら碧山を下る二人の後を慌ててガルダとハリーは追い掛ける。
不図ガルダは立ち止まり、振り返った。
其の先は只風花の舞う銀の世界が広がっている丈だ。然う遠くない内に自分達の足跡は綺麗に無くなってしまうだろう。
「・・・師匠。又、会いましょう。」
小声で呟くとガルダは置いて行かれまいと駆け出した。少し離れた所で手をっ振って待っている三人の元へ、脇目も振らずに。
・・・・・
雪山を下り、四人はギルド坎帝の牙へ向かう。
碧山さえ降りてしまえば辺りは穏やか其の物。寒さも和らいだので幾分セレは上機嫌だった。其の為前を歩くセレとロレンはずっと談笑に華を咲かせていた。
同性の友人が出来た事もあって、何時になく饒舌だ。
其を後ろから微笑ましそうに見るガルダと、少し嫉妬しているのか、むすっとしたハリーが続く。
「・・・でですね、東の、知ってますか?コナミの蕭森に行った時なんですけど、うっかり眼鏡を落としてしまって。」
「然うか。うっかりか。」
小気味良く頷き、ちらとセレは滄溟を見遣る。
少し荒れている気がするが、もう少しでギルドに辿り着けるだろう。少し先にある崖が然うだ。
泡が弾けては巻き上がり、消えて行く。
無闇に靴を濡らしたくはないので、少し浜から遠ざかる。手足に晒をしているので濡らしたら色々と面倒なのだ。
「そして其の時ドレミが言ったんですよ。だったらダブル眼鏡にしたらって・・・あー!ドレミだ!」
噂をすれば何とやら。
ロレンは遥か彼方で滄溟を見詰めているドレミを見付け、眼鏡を踏み締めて駆けて行った。端から見えていたセレは別段驚きもせずに彼女の後を追う。期せずにしてロレンが仲介をしてくれそうなので願ったり叶ったりだ。
序でに無慚な姿となった眼鏡も拾って行く。
「ドレミー!」
「ロッちゃん!?・・・あ。」
ドレミの視線が直ぐ自分に向けられた。余程滄溟を見入っていたのか驚きの余り口を戦慄かせている。
紅鏡は既に可也傾いていて、夕暉が曦を投げ掛ける。其は滄溟を焔に変え、火の粉を散らす。
彼女の顔も又其に照らされ、絳く照っていた。
そんな絳の中で、焔の様な、血の様な絳の中で、彼女の瞳は凍り付いていた。まるで同じ様に絳く照らされている自分を見て、何か別の物を重ねているかの様に。
明らかに昊と様子が違う。今の彼女は彼の時よりも恐れる余り、敵意迄も刈り取られたかの様だった。
其の為ドレミは怒りではない何かを瞳に孕み、済まなさそうに下を向く丈だった。だが意を決したのか顔を上げ、ちゃんとセレと目を合わせた。
其でも孕むのは恐れだった。怒りではない。
「あの・・・先は・・・。」
「先は助かった。御前の驚霆の御蔭で死なずに済んだ。」
「え、えっと其は・・・。」
もごもごと何かを呟き、又顔を伏せる。
別に自分は恐がらせたい訳ではないので助け船になればと思ったんだが、逆効果だった様だ。出端を挫かれた所為で二の足を踏む事になってしまった。
そんなドレミをロレンは驚いて見遣った。
「え、ドレミも碧山に居たの?あ、そっか。彼の驚霆はドレミのだもんね。私の目に狂いはないから!」
何故か胸を張るロレン。御前の眼鏡は狂い捲っているけれどな。
「でも何で言ってくれなかったの?一緒に来れば良かったのに。楽しかったよ?」
「其は・・・色々あったの。御免ね、一緒に行けなくて。だってほら、ドレミ依頼中だったし。」
然う斯う言っている間にハリー達がやって来た。二柱共目を丸くしている。
「ぬ!小娘ではないか!セレに近付くな、離れるのだ!」
フーッとまるで毛を逆立てた猫の様にハリーは唸り、セレとドレミの間に無理矢理入った。
「ちょっ、一寸ハリー如何したんですかぁ!」
「然うよ!関係ない人は彼方行ってよ!」
二人の間で火花が散る。
ハリーとドレミ、何となーく似ていると思ったが、口には出さない事にしよう。
因みにガルダは触らぬ神に祟り無しと許りに外方を向いている。まさか逃げに走るとは何て言う奴だ。
勝手に涼んでんじゃねぇよ。滄溟綺麗だなぁとか思ってんじゃねぇよ。今は目の前のドロドロした黒いのを見ろよ。其が現実だぞ。
「ハリー、ドレミは私の命の恩人だぞ。先の事は忘れるんだ。そんな突っ掛かるんじゃない。」
ポン、とハリーの肩に手を置く。
反射的にガバッと振り返ったハリーの口端には怒りの余りか牙が覗いていた。
「セレよ!元はと言えば小奴の所為で命の危機に瀕したのだぞ!」
「でもハリー、別に向こうとて啀み合おうとしている訳ではないんだ。彼は事故だったんだから落ち付け。」
大切に想ってくれているからこそ怒ってくれているのは分かるんだけど、此では話が進まない。
確かにハリーの反応の方が普通なのだろう。自分を本気で殺そうとして来た奴と、普通に接して話せる訳がない。
其が出来ると言う事は、つまりは慣れていると言う事だ。
殺される事に、殺す事に。
自分の前世は屹度そんな次元で生きていたんだ。
「ぐぬぬ・・・。」
ちらとハリーはドレミを見遣ると、身を引いた。だが何時でも間に入れる様目を光らせている。
先の話を聞いてドレミは何とも言えない複雑な顔をしていた。
話の内容より、セレの言葉が引っ掛かっている様だ。彼女の知るセレと、今目の前に居る彼女が、同一人物かを疑っているのだろう。
「・・・で、ドレミだったよな。御前はこんな所で何をしているんだ?」
ハリーの前にガルダが立ち、声を掛ける。
・・・此奴、やっと一頭の龍を鎮めた所でいけしゃあしゃあと出てきやがった。いっその事ずっと滄溟でも見ていたら良いのに。ほら、今夕暉が沈もうとしているよ。絶景だよ。
―・・・まぁ確かに絶景ではあるな。―
え?あれ、丗闇さん?えっと久し振りですね、御早う御座います。
セレの内心を知ってか知らずか、ポン、とガルダはセレの頭を一度叩いた。セレとしては丗闇と話し中と言う変なタイミングだったので、面倒そうに目を眇めて其の手を見た。
「え、えっと・・・。」
言い難そうにドレミは呟いて考える素振りを見せた。
其の刹那、激しい水しぶきが一同を遮った。
滄溟の方を見遣ると、しぶきを散らしてドルウェルが上体を水面から出していた。斯うして見ると海豚と良く似ている。
「キュル!キュルルルッ!!キッ!」
眦を釣上げ、ふっと鼻から潮水を噴き出す。くわっと口を開けてはそんな声を発する。
「・・・何か怒ってないか?彼奴。」
此処に戻った時、リュウの所へ帰してやろうと思ったのだが、此の様子だと鎮めなければいけない様だ。
此は先鎮めた龍より幾分手強いぞ。
「しつこく乗り回していたら怒らせちゃったみたい・・・。」
ドレミは重い溜息を付く。
又此奴の所為で龍が怒っているだと?もう止めてよ。既に此方、二回死んでいるんだぞ。
ドルウェルの頭には見事な水精の様な角がある。未だ依頼は達成していない様だ。
何て事だ。此の後帰ってモフモフに寵愛の意を示しに行こうと思っていたのに。もう一回死ぬ必要がありそうだ。
「此の儘ギルドへ戻るのも難だ。彼奴の角取るの手伝おうか。」
「えぇ!でもそんな・・・。」
「遠慮しないでよドレミ。セレ、とっても勁いから。」
御前がする訳ではないけどな。御前がするのは眼鏡クラッシャーだろう。
「其は知っているんだけど・・・。」
まぁ色々あるのだろう。中々首を縦に振らないのも分かる。だが此の儘ではリュウの依頼が果たせないので、引くに引けない。
「うん、然うだね。分かった。・・・えっと、御願い・・・します。」
一寸頭を下げる。
彼女が承諾するとは夢にも思っていなかったので、ハリーは目を見開いてまじまじと彼女を見遣った。だが口には出さない事にしたのか、ドルウェルの方へ視線を向ける。
「で、でも本当に良いの?ドレミ、あんな事したのに・・・。普通は言わないよ、手伝うって。」
思い掛けない言葉に思わずセレは瞠目した。
矢張り変だろうか。殺そうとして来た相手と話すのは、赦せてしまうのは。
話せるのは、殺しを自分は肯定しているからだ。己の願いの為なら其の手段を取るのも致し方ないと思っている。
赦せるのは、自分が丗で最も重い罪を背負っているからだ。ガルダは生きろと言う、自分も頑張ろうとは思っている。でも、どんな時でも、相手が誰であっても、自分を殺すのは大きな正義に他ならない。確実に救われる者がいるのだ。
だから自分は悪意も殺意も受け入れる。ガルダに生きていて良かったと言われた時、然う決めたんだ。
・・・でも不思議だ。如何して自分は殺しを罪だと知っていたのだろう。否、然う思っているんだろう。殺しを手段の一つだと言って置き乍ら、如何して其が悪だと自分は思っているんだろう。決して然うとは言い切れないのではないのだろうか。事実悪だとは断定出来ないのでは?理由も根拠も、少なくとも自分は用意出来ないのに。
・・・若しかしたら昔、前世で誰かに教えられたのかも知れない。其が罪だと、業だと。そんな事を自分に言ってくれた者が若しかしたら・・・。
「・・・然うだな、まぁ其は慣れたからな。其よりドレミ、如何やって彼の角を取る算段だったんだ?」
今目の前に居る少女の様に沢山沢山悩んで、結論を出す者もいる。若しかしたら本当にそんな奴がいたのかも知れないな、何か大切な物を自分に必死に伝えようとした者が。今は、懐い出せないけれど。若し然うなら一寸丈懐い出したいなと思った。どんなに冥い過去でも。
さて、考えるのは此位にして今は今に必死になるとするか。先ずはドレミの作戦を聞く事にしよう。方法さえ分かれば、後は御手伝い程度で良いだろう。作戦は大切だ。
「驚霆さえ当たれば彼は簡単に折れると思うの。只何処から出て来るのか分からなくて。・・・水中だと分散して他の御魚ちゃんに当たっちゃうし・・・。」
考える仕草をし、又ドレミは一つ溜息を付いた。其の仕草も話し方もぎこちなく感じたが、普通に接しようと頑張っているのが良く分かった。
此は・・・本当に彼女の期待に応えないといけないな。
「分かった。誘導すれば良いんだな。」
失敗は赦されない。さっさと決めて、蟠りなく帰ろう。
「何か案があるのか?セレ。」
ガルダが手で廂を作って遥か彼方を見霽かす。ドルウェルが大きく身を翻して飛び上がった。
「噫、此はドレミと二人でさせてくれるか?多分上手く行く。」
多分じゃないな、絶対だ。
其を聞いてガルダは満足そうに頷くと、戯けた様に一笑した。
「お、自信満々だな。俺は異論ないぜ。此以上死にたくないし。ハリーは?」
「うむ。・・・まぁ良いのだ。」
少し不貞腐れている様だが、渋々ハリーは首を縦に振る。
仕方ないなぁ。帰ったらわしゃわしゃしてあげるから今は我慢してくれ。
・・・ってかガルダは自分を護るのが使命じゃなかったっけ。我が身可愛さに逃げるなよ。身を呈して迄護らなくても良いからせめて傍で見護っていてよ。あ、いや、彼奴は光属性だった。だったら身が砕け散る迄護ってよ。何の為の躯なんだよ。
「では二人共、頑張って下さいー!」
早くも安全地帯に逃げ込んでいたロレンが手を振る。ガルダとハリーも其処へ向かう。
「キィィイィ!!」
ロレンの大声に反応してか、其迄苛立たし気に輪を描いて泳いでいたドルウェルが又ザバッと顔を出した。頭を冷やしても怒りは収まらない様だ。
「取り敢えず彼奴を一度水中に戻すか。」
「キュルル!」
突如ドルウェルの鰓から二枚ずつ鰭が出て来た。
ひらひらと其を閃かせ、ドルウェルは水を掻く様に鰓を払う。すると忽ち其処から浪魔力を帯びた渦を巻く水の竜巻が顕現する。今目視出来る限り一、二・・・六つ程出来ている様だ。
先ずは暴れる丈暴れさせて、疲れさせるのが先決か。
「黔鎌刃!」
セレがすっと渦へ向け手を伸ばす。すると巨大な刃が異空間から現れたかの様に真直ぐ旻に突き刺さり、渦ごと滄溟を割った。
夕暉に照らされ、血の様に絳く染まった水しぶきが散る。
顔に掛かってしまったので二、三度首を振り、其を散らした。少し髪が重くなる。
海水なので余り掛かりたくないのだ。
「在しませ、雷釼輪!」
真言が響き、丁度竜巻の真ん中に金の驚霆の釼が叩き込まれる。縫い付けられた渦は釼から発された輪状の驚霆、金冠に砕かれた。派手に水が散り、霧散した。
「キィキッ!」
不服なのかドルウェルは声も現に吼号し、尾を水面に激しく叩き付けた。
忽ち尾の先から渦が生み出される。懲りずにドルウェルは輪を描き乍ら鰭を打ち付ける為、無数の渦を生み出した。
此は中々見られる物ではない。海上を駆ける無数の竜巻、血の様な夕暉、荒れ狂う滄溟。
此の世の終わりの様な光景だ。さて此の天災を神は生き残れるだろうか。
「手当たり次第か。ノアの洪水みたいだ。」
まぁ彼は神の仕業なんだけれど。
手を付けられない事になっている、御立腹だ。
加えて張り切ってかドルウェルが駆ける様に海上を叩いて回るので一際巨大な竜巻が精製される。余りの大きさに遥か彼方の茜雲迄、其の竜巻の一部の様に見えた。未だ離れているのに刺す様に散る水の量から其の甚大さが分かる。
直撃すると飛ばされるより先に寸々にされそうだ。
・・・外はこんな事になっているのに、ギルドから誰も出て来ないのは何でだろうか。彼の騒ぎ様から気付かないのも無理ないかも知れないが、其は其で如何なのだろう。敵襲とかないのだろうか。
「感想言ってる場合!?」
一喝され、我知らず背筋が伸びる。考え事・・・現実逃避をしてしまった。軌道修正、閑話休題だ。・・・ん、何か少し違う?
ドレミは一歩前に出ると手を横薙ぎに払った。少女の瞳に金の驚霆が駆ける。
「走れ波雷陣!」
滄溟と平行に一直線上に驚霆が走ったと思うと、雷霆のフィールド、フロアが形成された。其は渦を取り捲き、掻き消して行く。驚霆が渦に食らい付き、引き裂くのだ。
急激に熱せられる事により、渦の食われた個所から皓煙が上がる。其すらも逃すまいと驚霆の蛇は皓煙に飛び掛かり、雷の渦と化す。
「・・・・・。」
あれ、此の子、一体何なの?勁過ぎないか?チートじゃないのか?
何故か先程より地獄絵図化しているのは気の所為だろうか。
余りの眩しさに一同は瞳を閉じたが、セレは波紋で確と捉えていた。驚霆が迫り来る直前にドルウェルが慌てて水中へ潜って行ったのを。
「大した魔力だ。凄いじゃないか。」
正直に驚いた。否、恐れたに近いか。
一応自分神様だよ?世界壊した神だってのに、そんな自分が恐れる様な魔力を此の少女が有すると言うのか。
如何やら彼の時自分が食らった驚霆は未だ序の口だった様だ。こんなのを彼の時食らっていたら、此のパーティの全滅は必然だ。
さて、此処からは自分の担当だ。
あんな芸当を見せられた後なので如何しても見栄えは悪いし、やる気は起きないけれども、ちゃんと誠意を持って自分の責務を果たそう。
「幽波。」
滄溟に向け、足を踏み出す。足は滄溟に沈む事無く、恰も滄溟が凍っているかの様に其の上を滑る。
両足で滄溟を踏み、さっさとセレは沖に向け、歩き出した。
足跡の様に黔い波紋が滄溟に残され、其は広がり乍ら滄溟を鎮める。
廻瀾を食らい、泡を裂き、渦を薙ぐ。
漣すら立たない凪いだ滄溟の中心で、セレはちらと海中を見遣った。
見た所で何も見えない。放った波紋が何も映さず帰る丈だ。
一同はセレが何をするのか見当も付かず、見守る事しか出来ない。
そんな静寂の中でセレの詠唱が響く。
「曖汐。」
セレの足元、海中で影が疼いた。まるで水の中に彼女の影でも映っているかの様に。
黔い其は伸び上がり、形を崩した。後に膨らんでは弾けてを繰り返し、翼を広げた様になったかと思うと毒霧を吐く蛇の様な、陰雲を掴む龍の様に踊り上がった。
「行け、炙り出せ!」
セレの声に呼応し、其は三頭に分かれ、海中を駆け廻る。
忽ち滄溟は墨を垂らしたかの如く漆黒に染まる。其の中で一点、滄溟が騒めいた。
「其処か。」
主の声を聞き、黔い三頭の龍は同時に其の一点を見る。そして其々四方に散ると、三方向から其の一点に向け、顎門を開いた。
セレの目では前後左右の空間は感じる事が出来ても、遮断された、例えば壁の向こう側や水中の様な別の空間は感じる事が出来ない。
でも此丈滄溟が凪いでいれば、中で少しでも変化が起これば感じる事が出来る。
追い詰められたドルウェルが水中で身を翻す事で、小さな渦が僅か乍らも海面に出れば感じる。蜘蛛が己の糸で織った巣に獲物が掛かれば、其の振動で獲物の位置が分かる様に。自分は波紋が教えてくれる。
実の所今自分が放った黔い汐、黔い龍は、無害でペイント以外の効果は無い。見掛け倒し、虚仮威しでしかないのだ。
だが突如滄溟が黔く染まれば、其を避けようとするのは自然な事だ。生物は本能的に闇を恐れるのだから。
「ドレミ!彼の黔くない一点からドルウェルが出る!構えろ!」
「・・・分かった。」
少し背伸びをし、其の地点を確認するとドレミは両手を前にした。
「睹よ、雷神鏡!」
滄溟の色を残した其の一点の上旻に幾つもの魔法陣が形成される。
金色の曦を零す蒼皓の魔法陣は驚霆が蔦の様に絡み付いていた。
「此は・・・。」
地上である此処迄空気がピリピリしている気がし、セレは二、三歩下がった。
未だ彼の焼け付く様な痛みを、忘れた訳ではないのだ。
此の魔法陣、恐らく驚霆の精度、命中を上げる為の物だろう。驚霆は針の先を当てると言った狙い目に関しては引けを取らない命中率を誇る物の筈なのだが、此処迄大袈裟な陣、見掛け倒しではないとしたら一体・・・。
「フィィイイ!!」
水面が大きく膨れ上がり、ドルウェルが堪らなくなって海上に踊り上がった。
スポットライトの如く残された蒼の地に水柱が上がる。
直ぐドルウェルは天に架かる金の陣に気付き、警戒を示した。
「劈け、鳴雷鑓!」
魔法陣の中心から爆音を引き連れ、鋭く細い線の様な曦が抜ける。
其は真直ぐドルウェルの角へ降り立ち、其の表面を滑る様に駆けると、一番脆そうな所へ突き刺さった。そして根元から角を圧し折る。
彼の陣は如何やら複数の地点に座標を合わせる事で、単に驚霆が真直ぐ落ちずに、丁度折れる地点を探せる様に調整する物だった様だ。彼の大きさは伊達ではなかったのだ。驚霆が輪を描く所等初めて見た。
「キュウゥウ!?」
「良し・・・って待て待て!」
ドレミの驚霆は的確過ぎる位に角に丈当たった様で、ドルウェル自体には当たらなかった。驚いたドルウェルは弾かれた様に旻中一回転を決めると大きな水しぶきを上げ、水中に消えた。
其の後を追う様に折れた角が夕暉に照らされ乍ら今正に滄溟に沈もうとしていた。
水精の角がしぶきの絳と相俟って光る様は中々に幻想的ではあるのだが、今は其を見ている余裕等ない。
「黔陣飄!」
水面を蹴り、天を駆ける。蹴られた水面が大きく割れ、抉られた。
其迄に掛けられていた魔術を解いて全てを今の魔術に注ぎ込む。
此の儘では間に合わない。だからと言って尾や翼を出す訳には行かない。己の魔術で加速させるしかないのだ。
瞬きの後に角の目前迄セレは飛び立った。本気で走った癖で、足より先に手が水面を叩く。
其が沈むより先に手を動かし、跳躍する。
両の手を伸ばし、広げて、何とか角を抱いた。
良かったと安堵し、其の冷たさに頬を寄せたのも束の間、抱いた所で止まる訳もなく其の儘セレは真っ逆様に滄溟に叩き付けられた。
「セ、セレー!大丈夫かー!」
「頑張って下さい!死んじゃ駄目ですー!」
ぶくぶくと泡丈が浮かぶ水面に向け、一同が声を張り上げる。
暫くするとちょこんとセレは頭を水面から出した。長い金髪が陽光を受け、此でもかと許りに金に輝いている。もう一刻もしない内に其の輝きは銀に転じるだろう。
すっかり濡れそぼってしまったので頭を振って張り付く髪を払う。
ちゃんと角は抱き抱えていた。滑り落ちそうなので、爪を立てない程度にしっかり持って置く。
岸迄は凡そ50mか。ガルダ達が思っていたより遠くに見える。随分と素っ飛んでしまった様だ。
狗掻きしか出来ない自分だが、まぁ泳げなくはない距離だ。体重が無いのは斯う言う時役に立つ。
だが如何せん、角が重く、持ち難い。幾ら軽くても限度がある。
此は少し頑張って泳がなくては、とパシャパシャ足を動かして泳いではみるのだが、段々躯が沈んで行く。服も水を吸って急激に重くなって来た。
加えて滄溟は冷たい。躯の動きが何処かぎこちなく、遅くなって行く。
強目に足で水を蹴ってやっと息継ぎが出来た。
あれ、此って結構不味いんじゃあ・・・。
焦りで足が縺れてしまい、躯が一気に絳い滄溟に沈む。
波紋が放てなくなり、方向が分からなくなった。思いも寄らないピンチにさしものセレも焦った。
干渉力で鰓呼吸が出来る様にはならないだろうか、心臓が無いのだから呼吸位・・・否々、想像出来ない。如何すれば良いかさっぱりだ。自分は魚になれるのか?否、此の際だ。貝とかの方が・・・何考えているんだ。其では泳げないじゃないか。魚、魚、何の魚が良いんだ?竜宮の遣いか?翻車魚か?否、何で薄っぺらいの許りなんだ。もっと斯う泳げそうな、亀とか・・・だから何でだよ。魚じゃないし、速くもない。滄溟の都から帰って来たら亀になっていましたーなんて聞いた事もない。
何て事を考えている内に又セレの姿は水面から消えてしまった。
「え、彼って溺れてるのか?此って可也不味いんじゃないのか?セレ!セーレー!・・・大変だ返事が来ない!えっと、助けるには何の魔術を使えば良いのだ!?」
「むむ、凍らせたら良いのか?しかし場所が・・・。」
「何、馬鹿な事やってるのよ。まさか・・・本当に。」
ドレミが顔面蒼白になって口を噛む。
まさかこんな事で死んじゃうんじゃ・・・。やっと、やっと少し丈話せる様になったのに。
騒然となった所で水面が大きく膨らみ、角が無くなったドルウェルが顔を出した。其の額には代わりに角を抱えた儘ぐったりしているセレが乗っていた。
其の儘ドルウェルは緩り岸に向かう。
「えっと・・・彼は助かってるんだよな?」
「うむ。恐らくは。」
ハァ、と一気に息を吐き出し、ガルダが膝を付く。
「本当、びびらせるなよもう。」
護る事は慣れていないのだから。
そんな様子のガルダを見て、フゥと一息、ドレミも息を付くのだった。
「ゴホッ、ゴホッ!う・・・ゲホッ!」
激しく咳き込んで少し丈セレは上体を起こした。
だが躯が震えて上手く起き上がれず、ドルウェルの額に俯してしまう。
「ケホッ、うぐ・・・し、死ぬかと・・・ゲホッ、思った・・・。」
水を吐いて口を拭う。
思ったより此の次元の滄溟は塩辛くなくて良かった。それなりに真水に近い。
でもすっかり冷えてしまった。気力も削がれ、寒さに背筋がぞくぞくするので、少し丸くなる。
抑自分は滄溟に来た事、あるのだろうか。海水を余り辛いと思わなかったのは、想像の滄溟が此以上塩辛いと勝手に思い込んでいたからではないだろうか。自分が何となくイメージしていたのは、絵本に出て来る様な蒼と皓で区切られた現実味のない滄溟。
此は単に次元が違うから、加えて記憶が無いから、然う思うのかも知れないけれど、若しかしたら自分は初めて滄溟に来たのかも知れない。
「一度目に来た時は驚霆に打たれて、今度は溺れるとか・・・。」
苦笑を漏らす。此ではトラウマになって遊べないじゃないか。まぁ具体的な遊びなんて何一つ思い浮かばないけれど。
一気に疲れたので軽く目を閉じる。すると脳裏に浮かぶ二つの影があった。
―良いか?俺は滄溟に行った事があるんだけど、彼処は凄いぞ!綺麗で、澄んでて、此の街とは大違いだ。―
彼が立ち上がり大袈裟に手を広げる。其の好意は屹度つまらなそうにしている自分の興味を少しでも引こうとしての事だったのだろう。でも自分は其の動作にすらつまらなさを感じてしまう。
・・・只、彼と話している時は何だか、不思議な気持ちになる。何だろう、此の感じ。分からなくてつい不機嫌そうな顔をしてしまう。声も、投げ遣りになってしまう。
―・・・でも滄溟は只の大きな水溜りだって前言っていた。飲み水には良いと思うけれど、景色は・・・。―
視線を彷徨わせる。・・・御中空いたな。今日は如何しよう、此処二日位雨水しか飲めていないから凄く気分が悪い、疲れる。
こんな所でじっとしている暇は無いのだけれど、動くのも大儀だから結局座ってしまう。
―ハハッ、何だよ。食べ物の事ばっかだな。ま、此処の所凶作続きで酷いもんなぁ・・・。あ、でも滄溟の水は飲んじゃ駄目だぞ。塩ってのが入っているから辛いぞ。―
彼がポンと自分の頭に手を置く。気怠くて其を払う事も出来なかった。
・・・如何して彼はこんな自分に鬱陶しい位構ってくれるんだろう。自分なんて、世界に嫌われている自分なんて、可愛げもなくて、メリットなんて一つも無いのに。
―じゃあ行く丈無駄じゃないの?其なら私は古井戸の所の死体漁りの方が良い。目とか内臓は良い金になるし、一週間位は如何にかなる。―
然うだ。今日は彼処に行こうと思っていたのに。彼の所為で其の予定が少し狂ってしまった。
気分が悪い。早く向こうへ行きたいのに、足が動かない。
―・・・はぁぁ、本当、嫌な世の中だよなぁ。でも頑張って生きていたら良い事もあるよ。神様は見てるからさ。―
彼の切ない様な、困った様な笑みを懐い出した。
此は前世の物だったのだろうか。
―・・・大丈夫か正女よ。―
頭に甲高い声が響き、そろそろとセレはドルウェルを見遣った。
ドルウェルの背は滑らかな上濡れているので、注意しないと滑り落ちてしまうのだ。
ドルウェルの上目遣いな紺碧の瞳に自分の顔が写る。
目の晒が少しずれている様なので、そっとセレは其を直した。
「一応・・・ケホッ、生きてはいるけれど・・・うぅ。」
噫、何にしても海水って本当、飲む可きではないな。耳とかにも入ってしまったので気持悪い。
ぐったりするセレを気遣ってか、ドルウェルは緩り蛇行する様に泳いだ。
僅かに散るしぶきに目を薄める。
「ん・・・助けてくれたのは嬉しいが、怒ってないのか?その・・・角の事。」
一つ息を吸って咳き込む。未だ水を吐き切れてないのだ。
―怒ってなくはないが、其で見殺しにする程私も非情ではない。・・・抑、角が欲しかったのなら初めから然う言えば良いのだ。だのに全く、彼の小娘は・・・。―
腹立たしいのか一度ドルウェルは強く尾で水面を叩いた。
渦こそ出なかったものの、ぐらついたので急いでセレはドルウェルの角のあった所にしがみ付いた。
残っていた角の欠片に爪を立てる。
もう嫌だ。落ちたくない。
―全く、行き成り龍様に驚霆を叩き付ける者がいるか!折角リュウの所へ行こうかと思っていたのに!―
「ん・・・。」
違和感を覚えた。其、元からドルウェルは次元の迫間への道が開いていたと言う事だろうか。
考えるより聞く方が早い。最後に一度咳き込むとセレは口を開いた。
「御前は・・・初めから次元の迫間に帰れたのか?」
―否、つい最近の事よ。・・・然うか、最近我等を導かんとする神がいると噂は聞いたが、正女の事だったのか。御苦労だったな。―
「はぁ、えっと・・・まぁ。」
何故か海豚に迄知られていた。何だ此の知名度、偏り過ぎだろ。
―確か所属は屋・・・屋。・・・うむ?―
駄目だ。龍族は店名の屋しか覚えられない様だ。
其とも自分のネーミングセンスの悪さが影響しているのか。若し然うなら店として致命的だ。店名が覚えられない店とか、潰れる予感しかしない。一々自分で店名を言うのも何だか気恥ずかしいんだけれどな。
「次元龍屋だ。後、私の名はセレ、セレ・ハクリューだ。宜しくな、ドルウェル。」
ポン、と其の背を叩いてやる。応じる様にドルウェルは顔を上げた。
―ふむ。正女は礼を弁えているな。感心だ。―
「・・・命の恩龍だし、角折ってるし・・・。」
寧ろ十分無礼をしていると思うのだが・・・。何方かと言うと振り落とされないか冷や冷やしている。御願いします、絶対に落とさないでください。
―然うだな。私の確も見事な角を、こんな無残な姿にしおって。―
「ご、御免なさい・・・。」
滄溟に落とされる。
ドルウェルから発された殺気にも似た物を敏感にもセレは感じ取った。そして其が素直に謝るようセレを駆り立てる。
ドルウェルの動向を窺おうとセレの耳が忙しなく動いた。
―まぁ良かろう。一応、正女の御蔭で、此の場は治まったのだからな。リュウも世話になった様だし。―
然う取ったか。
取り敢えず岸迄連れて行ってくれるのなら良かった。
後はドレミが土下座をしたら済みそうだ。
安堵の息を付いた所で一つの疑問が浮かび上がった。
背中のマイクロチップの事である。
余り違和感もないのでつい忘れ勝ちになるが、防水加工はしてあるだろうか。フォードの事だし、そんなドジは踏まないと思うが、海水も大丈夫なのだろうか。
大丈夫じゃなかったら錆びたりショートしたりして死亡確定だ。其丈は避けたい。自分には未だ遣り残した事があるんだ。
「ギッ、キ!」
鋭く鳴くとザバッとドルウェルは躯を浜へ打上げた。
其の儘体勢を低くする為か、腹這いになる。
ドルウェルが大人しくなったので直ぐにガルダは駆け寄ると、其の背に攀じ登った。
「おい、セレ!大丈夫か?」
ゆさゆさと揺さ振られ、思わず角の端にしがみ付く。
未だ少し気持悪いし、滄溟に落ちるのではとつい思ってしまったのだ。
トラウマは早々消えないらしい。
「うわ、ずぶ濡れだな。寒いだろ。・・・よっと。」
ガルダは手を伸ばすとセレの手から角を取り、そっと砂浜に降ろした。続けてセレのオーバーコートを掴んで引き寄せ、背に負ってドルウェルから離れた。
暫くガルダの行く先を目で追ったドルウェルは尾を上げると何とか身を捩って滄溟へと戻って行った。尾迄水に浸かると一回転し、顔丈を水面から出す。
「ほーらセレ。御日様燦々だぞ。日光浴でもしよーな。」
然う言いガルダは紅鏡を背にしてセレがずり落ちない様に背負い直した。
うーん・・・結構冷えてるな。普段からセレは冷たいけれど、今回は其に輪が掛かっている。凍傷になりそうな程冷たくなっているし、結構大丈夫ではないかも知れない。・・・碧山登りの時は無理していたのかもな。
「うっ・・・ん。」
少し目を開け、ガルダの首に齧り付く。麗佳な長い髪の先から金の雫が落ちた。
迚も寒かったので、此は有難かった。ガルダには悪いけれど、今は此の儘にさせ貰おう。。
紅鏡は温かく、結構ガルダもポカポカしている。眠気を覚えて少しセレはうとうとし始めた。
すっかり大人しくなったセレを心配そうにドレミは見ていた。何か為可きだとは思うのだが、何と声を掛ければ良いか分からないのだ。
だが其より目前に現れたドルウェルの方が問題だと思い直し、目線をドルウェルに向けた。
ドルウェルもじっとドレミを見ている。其の瞳は怒りの為かより深く濃い色を宿していた。
同族と言う事もありハリーが、大きな魔物さんと言う事でロレンが、好奇心も顕に警戒心の欠片もなく、ドルウェルに近付いて行く。
そんな二人を知ってか知らずか、突如ドルウェルは其の大きな口を開けた。
今のハリーやロレン等、一呑みに出来そうな口だ。
ヒャッと短い悲鳴を上げると二人は立ち止まって何事かこそこそ話し始めた。作戦会議だろうか。
ドルウェルは其の儘何度か口を開閉するとドレミにテレパシーを送った。随分、御立腹の様だ。
―やい小娘!行き成り驚霆を立て、散々乗り回した挙句、私の大切な角を折る等、如何してくれる!―
キィキィと声を上げるドルウェルに怖ず怖ずとドレミは歩み寄った。其の目は大きく開かれている。胸元で揺れる紅の曲玉をぎっと掴んだ。
突然喋ったのは驚いたが、此は明らかに私の所為なので謝らないといけない。
何だか謝って許りだな。
ふぅ、と息を付くとドレミは一度頭を下げた。
「御免なさい。その・・・依頼で、角が必要だったの。驚霆落として御免なさい。代わりと言ったら難だけど、御菓子・・・食べますか?」
ポケットから鮮やかな色合いの、何処かの民族模様らしき物を施された布袋を取り出し、口を開けて中を見せてやる。
中には此又色鮮やかなゼリービーンズが入っていたが、如何せん相手がドルウェルなので量が少な過ぎる。
―ふむ・・・。―
ドルウェルは一度思案顔で首を曲げたが、くわっと口を開いた。
其処へドレミは少し背伸びして、袋の中身を打ちまけた。
ころころと絳や黄色のゼリービーンズがドルウェルの口内へ消えて行く。何時ぞやガルダがハリーに御飯を食べさせていたのを思い出した。
口を閉じると暫くドルウェルは口を動かし、味わっていた様だった。
其の間ロレンは又ドルウェルに急接近し、尖った口先をそっと触ってみた。其の瞳がきらきらしている。先のゼリービーンズの後を追わないと良いのだが・・・。
食べ終わったのかドルウェルは又口を開いた。其が笑みの形になっている事にドレミは気付き、胸を撫で下ろす。
―ふむ。美味だったのだ。角は十年で元通りになるし、まぁ良かろう。小娘、次からは気を付ける様に。其処の正女は大事にな。―
「如何も。」
少し乾いて来たのでパタパタと手を振る。微妙に塩分が含まれているので手が軋む様だ。
先迄の厚い礼義は如何したと思われそうだが、地上に来てしまえば此方の物だ、多少砕けた物言いをした丈で滄溟に落とされると言う事はないだろう。今は両足共浮いてしまっているけれども、地に足が付くのは良い事だと染み染み思う。
噫、眠くなって来た。少し・・・寝ても良いかな・・・。
ドルウェルは鼻先を少し持ち上げると、向きを変え、ザブザブと滄溟へ潜って行った。次元の迫間へ帰るのだろう。
其の背を名残惜しそうにロレンは見遣る。
「い、行ってしまわれた。・・・喋る海豚さんが・・・。」
がくりと眼鏡と共に膝を付く。
其の間にハリーはそろそろガルダの所へ行くと、心配そうにセレを見遣った。そしてそっと覚束無い手取りでセレの背を摩った。
「っ・・・。」
本当は背を触られるのは迚も苦手だ。ぞわぞわする。恐い。
でも今は拒否する力もないし、悪い気はしなかった。
其は・・・其の手を温かいと思えたからだろうか。
ドレミはロレンの所へ行こうかと思ったが、思い直して横たえられていた角を拾うと、ガルダの方へ駆けて行った。
角は重くて、良く滑る。結果引こづる形となってやっとこさドレミはガルダの隣に並んだ。
だが来たのは良いものの、如何すれば良いか分からず、視線を彷徨わせる丈だ。
「ん?何か用か?」
ガルダは少し屈もうとしたがセレがずり落ちそうなのでもう一度背負い直した。
手の力が大分弱くなっている。余程疲れてしまった様だ。
「えっと・・・あの、大丈夫かなって・・・思って。」
「あ、セレの事か。一応大丈夫だよ。一寸寝ちゃってるけど。」
ガルダが苦笑を漏らす。ドルウェルと別れる時起きたと思ったのだが、半分夢現だった様で、今は規則正しい小さな寝息が聞こえていた。
心臓が無くても呼吸をするのか。噫でも然うじゃないと溺れたりしないか。
「え!?寝てるの!・・・あ。」
慌てて口を塞ぐが、セレの眠りを妨げる事はなかった。
ホッと胸を撫で降ろすと小声でドレミは何かをセレの耳元で言って角を引き摺った。
「・・・ドレミは・・・悍いんだな。」
消え入りそうな声。でも確かにドレミには聞こえた様で、其の背がピタリと止まる。
「あれ、セレ起きてたのか?」
ちらとガルダが見遣るが、矢張り寝ている様で身動ぎ一つしない。
「寝言・・・かな。」
ドレミが何と言ったのか分からなかったので、ガルダはセレの言葉を然う結論付けた。
だが、セレの耳には確かに届いていた。
―無理しないで。心配するでしょ。―
其は、自分が此処にいても良いと言う意味。
生きていても良いと、肯定する言葉。
ドレミは、変わってしまったセレを見て、過去の誓いを裏切って、セレを赦す事にしたのだった。
其が一体どんな懐いと迷いの渦中へ彼女を誘ったのか、セレは知らない。
でも、セレの寝顔は幾分穏やかになっていた。
ドレミはちらとセレを見遣ると、一度角を置いた。そして一同を見渡すと頭を下げた。
「皆有難う。後、御免なさい。皆の御蔭で、依頼が達成出来ました。」
「そんなに畏まらなくても良いぜ。俺、何もしてないし。」
片手を上げ、パタパタとガルダが振る。
・・・あれ、本当に今回は俺の活躍が少ない気がする。初めての仕事なのに、何だかなぁ。
一寸思い返して軽く落ち込むガルダの隣に新たな眼鏡を掛けたロレンが並んだ。
「然うだよドレミ。あ、でも次依頼する時は呼んでね。絶対。」
「うん。然うだね、次は然うする。」
含笑するとガルダも笑みを零した。
彼女は、咲っている方が良い。
瞳に煌かす驚霆は背筋が凍る、冷たい色をしていた。全てを裂き、焼き払う忿怒の疾雷。
でも今は其も凪いで澄んだ黄玉を有している。
迚も晴れやかな、曇りの無い色だ。
「ふむ。用は済んだのだ。早くギルドとやらに行けば良いだろう。」
ドレミは一つ頷くと何とか角を持ち上げ、ギルドへ続く岩を開けると、中へ入って行った。
ガルダも後に続こうかと思ったが、未だセレは濡れている様なのでもう暫く留まる事にする。
所在無気にしていると、ロレンが迚も満ち足りた笑顔で滄溟を見ているのが目に入った。
鈍の瞳が夕暉を反射し、何時もより輝いているので印象強く見える。凱風がさらさらとそんな彼女の皓髪混じりの茶髪を玩んだ。
紅鏡がもう沈む。
「・・・一寸長話、良いですか?」
「ん、何だよ急に。何の話なんだ?」
ガルダの声にロレンは頷きもせず前を見続けてた。
凱風が空白を埋める様に吹き抜けた。
我知らずハリーは鼻をひくつかせた。此の匂いは空気を凍らせる物、張り詰める類の物だ。触れれば忽ち切れてしまいそうな糸を思わせる。
「五年前の彼の事件の話です。私ちゃんと話してませんでしたから。」
「其は無理に話す事もないのではないか?傷を広げる事もなかろう?」
誰が、とは言わない。屹度ハリーはロレンと、セレの事を指したのだろう。例え寝ていても聞かせたくない話だと直感で彼は感じ取ったのだ。
「いえ、聞いて欲しいんです。私が本当に言いたい事、ちゃんと伝えるには必要な話だと思うから。私は今日一緒に依頼をした皆さんに聞いて欲しいんです。」
矢張り彼女は振り返らない。若し凱風が吹かなければ時が止まっているのでは、と錯覚してしまう程に、彼女は微動だにしなかった。
ちらと丈ガルダは背後を見遣った。羽根の様に軽い彼女は今も未だ瞳を閉じているのだろうか。
悟られない程度に溜息を付く。そんな言い方されたら断れないじゃないか。
「OK分かった分かった。ちゃんと聞くから話してくれよ、ロレン。」
「はい、有難う御座います。話しと言うのはですね。彼の事件の時の私・・・私の過去を聞いて欲しいんです。実は彼の時、私は一寸した用で空山に行ってたんです。でも魔物達の様子がおかしかったので、其が気になって村へ引き返したんです。帰った時には、私の村は・・・壊滅していました。まるでずっと前から廃村だったかの如くに、道を誤ったのかと思う程に、でも彼は間違いなく私の村でした。斧の柄朽つ、正にそんな感じでした。」
壊滅・・・。ロレンの言い方からして其は本当に余りにも酷い惨事だったのだろう。目を疑う様な、否、疑わざるを得ない程の光景。
「絶望とか、悲嘆とか、意外と直ぐには沸かない物ですよね。只私は生き残りが居ないか、当て所もなく捜し始めました。・・・ショックは大きかったんです。じゃないと、未だ魔物が潜んでいるかも知れない様な所、歩く訳ないですよね。」
「・・・って事は。」
「はい。居たんです。人じゃなくて、魔物・・・が。」
一度息を吸うと、堰を切った様に滔々とロレンは傷口を晒したのだった。
・・・・・
「誰か・・・誰か居ないですか。」
掠れ声で、静かにそっと呼び掛ける。足は覚束無い、ふらふらと幽霊みたい。
初めて訪れた街の様に、自分は目的もなく歩き出した。
だって道がある筈の所に瓦礫の山がある。家がある筈の所にバラバラになった人形みたいな物が沢山重ねられている。華が咲いていた所に焔が咲いている。
足の踏み場もない様な所を、如何やってか自分は進んでいた。
色の無い世界。時が止まった様。
自分は本当に幽霊にでもなってしまったのかも知れない。
「誰か、誰・・・か。誰でも良いからっ。」
「クーッ!クーウッ!」
「何・・・今の声。・・・若しかして。」
辺りを見る。彼の瓦礫の裏からだろうか。
でも彼の声は人の物じゃない。屹度彼は・・・。
構ってられなかった。只、誰かに会いたかった。会って、時間を動かして欲しかった。
其の先に、何があるかも分からずに。
「あ・・・。」
「クーゥ!クゥウ・・・クーゥ!」
案の定と言うか何と言うか、其処には魔物が居た。蒼い狼の様な、髑髏を被った魔物だった。
只鳴いていたのは迚も小さな、其こそモルモット位の魔物の子供だった。
すっかり冷たく固くなってしまった魔物の上に乗って必死に顔を擦り寄せている。彼の髑髏を伝っているのは涙だろうか。
屹度母親か父親だったのだろう。
其の魔物は自分が来た事に気付いたが、其の場を動く気はない様だった。
若しかしたら抑動けなかったのかも知れない。其程迄に其の子は深い傷を負っていた。蒼かったであろう毛並みはどす黔くなっていたのだ。
其処の魔物達と一緒に村を襲ったのかも知れない。そして返り討ちに遭ったのか。
「っ、な、何で未だ居るんですか!」
然う思ったら一気に色々噴き出して来て、咄嗟に自分は近くの石を拾った。其を魔物に向けて投げる。
コントロールはそんなに上手い方ではない。
石は其の子には当たらず、其の子の下で息絶えていた魔物に当たった。
「クゥ!クゥウゥ!!」
咄嗟に魔物の子は庇う様に身を乗り出すと石が当たった箇所を執拗に其の小さな舌で嘗めた。
そんな事、今更何の意味もないのに、未練がましく縋ろうとする。
其の行為に無性に腹が立って、自分は何度も石を投げた。
石丈は事欠かなかった。動かずとも其処等中にあった。
石を投げる度に其の子は親を庇って、骸を抱いて、身を呈した。
先に音を上げたのは自分だった。
振り上げていた石を取り落とす。同時に膝も折れる。
気付けば自分は啼いていたのだ。
子供の様に噦り上げて、石を投げる気力すら奪われていた。
魔物は今の内にと何とか石に埋もれ掛けていた躯を起こし、尾で器用に石を払い落して行った。
其の石に絳い物がこびり付いて行く。
体力の限界だったのか、其の子は石を全て払い除けると膝が折れ、倒れてしまう。其の背が小さく動いて、親の耳に甘噛みするのが精一杯の様だった。
「・・・何で、・・・何で・・・。何で村を襲ったの!?私達、何もしてなかったのにっ。」
此の子に言っても分かる訳がないのに。
自分は八つ辺りを止める事が出来なかった。
「クウッ、クゥ!クゥウッ!!」
まるで自分の言葉が分かっているかの様に、其の子は何とか頭を上げると然う鳴いた。
此の時、確かに自分は、其の子の言っている言葉が分かった気がした。
悲しみの声を。
「何でですか・・・。同情なんてしませんから。私だって・・・私だって。」
自分だって啼きたいんだから。
此の理不尽さを、誰かに打ちまけたいのだから。
「先にやって来たのは其方でしょ!啼かないでよ!酷い奴だって言えないじゃん!」
「クゥ・・・ウ・・・。」
「っ・・・。」
声が段々悲し気な物になって行く。其に先迄の烈しさはない。
「うっ・・・っ、何で・・・言葉は分かるのに、こんな事になるの。・・・話せたのに、私達、話し合えたのにっ・・・!」
「ウゥ・・・クゥ。」
譫言の様に鳴いている。
此の子は・・・屹度もう助からない。
馬鹿だ。そんな物に縋っているからだ。戻らないと分かっているのに。
縋るから、自分みたいに。惨めになるんだ。
自分が・・・石を投げたから。
恐がらせない様に、そっと魔物に近付いた。其の絳くなって毛並みも何もあった物じゃない其の背を撫でようと手を伸ばす。
「うっ・・・うぅっ。」
手を・・・伸ばして直ぐ引っ込めた。
だって自分は未だ赦せなくて、憎んでいたのだから。
撫でられる訳がない。そんな権利はない。
自分は其の手で拳を作って地を突いた。
もう堪らなかった。涙が止まらなかった。
如何して、如何して、如何して・・・。
「うわぁあぁぁぁあぁ!!」
其処でやっと自分は絶望しました。
受け入れるには余りにも重い事実を知りました。
哭いて哭いて、辺りを疎らに染めていた焔が叢時雨によって掻き消された頃には、彼の魔物の子も息絶えていました。
・・・・・
「其で・・・研究か。」
ガルダの声にロレンは一つ大きく頭を縦に振る。
終始ロレンは振り返らずに話した。たった一度も。そして今も。
「はい。彼があったから私は魔物を憎めませんでした。そして私、魔物と話せる様になろうって。話し合える様にしようと決めたんです。屹度戦いを好まない者だっていると思って。」
其処で初めて彼女は振り返った。悍い意志の元煌めく鈍の瞳が潤み、撓んでいる。
「だから今日は本当に良い日でした。私の考えは間違っていなかった。其が分かった丈で・・・。」
ロレンは咲った。此以上の幸福は無いとでも言う様に幸の涙を流した。
「私・・・頑張れますから。・・・言いたいのは其丈、です。」
「そっか。話してくれて有難な。其が聞けて、俺も嬉しいよ。」
微笑を返し、ガルダは己の背を見遣った。
小さな寝息が規則正しく聞こえている。今の彼女の晒の下の漆黔は閉ざされた儘なのだろう。
セレ、ロレンの過去は御前の胸を抉り、消えない傷を新たに作る物ではあったのだろうけれど。
ガルダは視線を前に戻す。ロレンは涕いていた頃に今更気付いて乱暴に手で眼鏡ごと拭うとはにかんだ。其の笑顔に裏、影は無い。
御前に見せてやりたかったな。今のロレンを。御前の壊してしまった世界でも頑張ろうと前を向いてる奴がいるって。
「然う言えば皆さんは此の後、如何するつもりですか?」
ピクッ、とハリーの耳が動きガルダを潤みの瞳で見詰める。
「あー然うだなぁ。」
ガルダは少し遠い目をして考える素振りを見せた。考えているのは背中の居眠りさんについてだ。
早く帰った方が良さそうだよなぁ・・・。だって普段は背後に立つ丈で起きちゃう様な敏感さを持ち合わせれるんだぜ?だのに全く起きる気配を見せないとは、余程疲れているに違いない。
・・・他の理由もあるのかも知れないけど。
「うーん・・・ま、直ぐ発つ事にするよ。俺達、流れの者だし、な。」
二度程ハリーも頷く。異論は無い様だ。
「え!?直ぐに?セレ、具合悪そうなのにですか?少し休んだ方が良いと思うんですけど、ギルドには永眠室、ありますよ?」
「其は・・・入ったら二度と目覚めない部屋だと我は思うのだが・・・。」
「然うなんだけど・・・な。」
具合悪そうだから早く行きたいんだ、なんて言えないし。
「まぁでも色々あるんだよ。御免な。」
大人の逃げ道、色々ある発動。追加装甲、御免を装備。
「然うですね。・・・分かりました!私が皆さんの分も永眠室で安眠を貪ります!」
護りは完璧だった様だ。装甲に傷一つない。
・・・でも何だろう。其の代わりに大切な戦友を犠牲にするかの様な嫌な後味が残る。
ロレンはそんな事は露知らず、敬礼をすると、ピッと背伸びをした。其の拍子に眼鏡が儚く散る。
「・・・ちゃんと生きて出て来るのだぞ。」
言って其の眼鏡を拾おうとハリーは苦心する。眼鏡が大破するか見事ハリーが其を手にするか、不毛な戦いが始まった。
「良し、セレも乾いたし、俺達も入ろうぜ。」
乾いてすっかり軽くなったので、幾分背負い易くなった。
ガルダは又セレを背負い直すと、ギルドのある方に向け、歩き出した。
小さな寝息が耳元でする。此の分だと当分起きそうもない。
・・・否、其所か何か猫とかが喉を鳴らす時の声って言うか音が先程から少ししているんだけど、大丈夫かな。具合悪くないのだろうか。夢でも見ているのかも知れない。見掛け以上に特殊な身体機能を彼女は有している様だ。
「はい!然うしましょう!」
滄溟から目を逸らし、ロレンが大きく頷いた。未だ頑張っていたハリーに一言詫びて、落ちていた眼鏡を回収する。
面目ないと言いた気にハリーは頭を掻こうとしたが、其が儘ならないのが又歯痒い様で、頭を一、二度振ると立ち上がった。
三つの影が伸びて一つに重なる。
紅鏡はもう没していた。
・・・・・
「あれー・・・。」
ギルド、坎帝の牙へ向かうと、其処にはフレス、マスターは疎か、何故か居ないといけない筈のドレミが不在となっていた。
「何で彼奴等居ねーんだよ!!」
気が立ったガルダの怒号に周りの酒飲みが無遠慮な視線を寄越す。
「見世物じゃないぞ俺は!」
地団駄踏むガルダを見て其に哂笑が混ざる。更にガルダが怒ると、何とも哀れなスパイラルが展開されていた。
ガルダの怒りのボルテージが上がるに連れて、背に居るセレは宛ら暴れ馬の背に跨っているかの様な揺れ具合を体験した筈なのだが、一向に目を覚ます気配が無い。
まさか勝手に御陀仏になってたりして、と舞い揺れる金髪を見乍ら洒落にもならない事をガルダは考えた。こんなに起きないのは矢張り不自然だ。顔色は良さそうだが時折聞こえる彼の変な声からして、具合が悪いのかも知れない。背中のマイクロチップの調子が悪いのかも。
・・・何はともあれ、早く話を聞いて帰ろう。
「確かに変なのだ。彼の小娘とは別に此処迄の道で擦れ違わなかったし、幻の様なのだ。驚霆にでもなれるのやも知れぬ。」
むむ、と唸ってハリーが腕組をする。
確かに、と言い乍らロレンも彼の真似をした。
真似と言ってもハリーの腕組は到底腕組とは言えないので、二人で変なポーズをしている様だ。何方かと言うとマッチョマンが己の筋肉を見せ付ける例のポーズに似ている。
普段なら其を嗤ってやるガルダだが、今は憤懣遣る方無いと言った体で、一切其を黙殺する。
「本当に御前等ドレミ達の居場所知らないのかよ。」
先刻したのと同じ質問をする。
勿論、答えは期待していない。只の未練だ。
「噫?全く知れねーよ。確かにドレミは彼処、今御前等が来た所から出てったんだ。嘘は吐かねぇよ。」
男はガルダから視線を外すと、ジョッキに入っていた酒を一気に呷った。
「其なら俺も見たぜ。あ、でもマスター、ドレミが出た後何か言ってたよなぁ。」
男の向かいに座ってた別の男が言葉を紡ぐ。視線を隣の女へと移した。
「噫、彼の子、急用で一寸遠くへ行くって奴?本当急よねぇ。」
「・・・で、マスターもフレスもドロンと。本当、何処行ったんだろーな。」
後に続くのは嗤い声だ。
眉を引き付かせ、渋面でガルダは其の場を去った。向かうのはガルダが話している内に人込みを恐れて離れていたハリーの所だ。ロレンは適当に近くの酒飲み達と話していた。如何やら彼女は己の鞄の中を見せている様だが、ブレイクグラスズを見せて一体何の話をしているのだろう。
「如何するのだガルダ。もう少し待ってみるのか?」
言ってハリーは鼻を動かし、眉を顰める。アルコールや莨の匂に未だ慣れない様だ。龍なのに神酒は嗜まないらしい。千年もの間箱入り龍だったのだから仕方ないのだろうが、そんなハリーとしては一刻も早く店へ帰りたいのかも知れない。セレの為に、の方が比重が高いのだろう事は言う迄もないのだけれど。
自分も帰りたいとは思っていたし。・・・引き際か。
「うーん・・・待っていても余り意味が無いだろうし、一先ず今回は保留にして、何処かでけりを付ける。何かは間違いなく知っているからな。」
「ふむ。まぁ・・・然うだな。此の次元でやる可き事はしたのだ。帰るには良い折だろうのう。」
「おぅ。・・・セーレ、起きろよ。ロレンに御別れの御挨拶だ。」
そっと揺さ振ると起きたのか肩を持つ手に力が籠った。
少し背伸びをする様にして、セレが顔を上げる。金の髪が其の面を少し隠した。
「う・・・ん。・・・んん!?ガ、ガルダ、何を、何をしているんだ!?」
わたわたわた。
緩り辺りを見たかと思えば慌てた様に飛び上がる。尾が出ていれば鞭の様に振るわれていただろうに。其の幽姿が見られず、非常に残念である。
活きの良い魚の様に良く暴れて又擦り落ちそうになったので、ガルダは慎重に背負い直すと首を巡らせた。
何故か頬を少し赤く染めて、オーバーコートの裾で其を隠そうとするセレの視線と搗ち合う。・・・と言っても自分はセレの瞳なんて見えないし、彼女は反対に全て見えていると言った、何とも矛盾した様子だけれども、確かに目が合った気がするのだから不思議だ。正しくは意識が搗ち合ったと言う可きか。
「え、何、高所恐怖症ですか?萌えキャラスキル、持ってたりするの?」
「違う違う!何でガルダが私を背負っているんだ!?その、何と言うか・・・う。」
凄く温かくて気持良かったし、良い夢も見られたけれど、でも、其は・・・。
「わ、私なんかの為に其処迄しなくても・・・っ!ガルダ!御前の服が皺になっているじゃないか!其に私の爪が痛かっただろう?噫!後、重かっただろう!?済まない、世話を掛けた。降りる、もう大丈夫だから降ろしてくれっ!」
バタバタと暴れ出したセレをがっちりとガルダは手で固定した。下手に暴れられると却って爪が刺さって痛いのだ。彼女を落とす訳にはいかないので、大人しくなる迄斯うして置こう。
「いやいや、暴れるなよ危ないだろ。服なんて次元の迫間に行ったら戻るし、俺、自己再生能力高いし、御前スゲー軽いから心配すんなよ。寧ろ御前冷たいから暑い所に此をして行けば寒を取るって言うのか?其が出来るから良いな、とか。」
ハハッ、と快活に笑うガルダの上でセレの尖った長い耳が赤くなる。
もう如何にも降ろしてくれない様だと理解したセレは、せめて目立たない様にしおしおと小さくなった。
其の様がおかしくて、近くの酒飲み達が笑い声を上げる。
其が余計恥ずかしくなってかセレはガルダの背に顔を埋めた。波紋もストップさせる。先程のガルダの負のスパイラルと同じ状況になっていた。
「否、だからセレ起きろよ。ロレンに御挨拶するんだって。」
ゆっさゆっさとガルダがセレを揺する。がくがくと上体が動いて流石にバランスを取るのが怪しくなると、セレは肩に置いていた手に力を込めて少し起き上がった。不満そうに口を噤んでいる。
「何してくれる。酔いそうになったじゃないか。」
「だからロレンにバイバイするんだって。其方こそ何回言わせるんだよ。後爪痛い。」
先迄は安定する様置かれていた手が、宛ら鷲が得物を捕らえて飛び上がろうとする様に、肩に深く其の爪を食い込ませている。血が出ていないのは己の生命力の御蔭か、深く刺さり過ぎて其の爪が栓の役割を果たしているのか定かではない。
「・・・何か端から見ていると子供の御遊びの様なのだ。」
ハリーの言葉に明らかに気分を害したセレは手の力を抜くと大人しくなった。だが今の状態に未だ慣れていないのか、安定しない様で身動ぎを繰り返して居る。
「ドレミやマスターは如何したんだ。此処はギルドだろう?先に其方を片付ければ・・・。」
途端にガルダの顔が渋くなる。何れ聞いて来るとは思っていたが、此処迄早くだとは思わなかったのだ。
「えーっとなぁ・・・其なんだけど・・・。三人共、とんずらを掛かれた。」
別に罪を犯しての逃げではないが、まぁ似た様な物だろう。
「えー。」
何やってんの、と其の不満そうな声は語っていた。だが寝ていた奴に言われたくはないのでガルダは其を黙殺した。セレも其は分かっている様で、何も言わない。
「何で?何があったの?おかしいでしょ。自分は寝たよ?確かに寝ました。でも其の後直ぐドレミの後を追っていたら見失う訳ないでしょうが。剰えマスターもフレスも見逃すとか、起きていたの?ねぇ、黙ってないで何か言ってよ。いざって時には護ってくれないし、何、何なの?御前の其の超再生能力は何の為にあるの?別に自分の回復薬庫じゃないんだよ?怪我直す前に護れっての。」
・・・言わない訳ではなかった。
くどくどと小言を言われ、僅かにガルダの作り笑顔が引き攣った。
・・・此奴、こんな子姑みたいな性格だったっけ。
「えっと、其はだな、セレよ・・・。」
ハリーが何か言おうと口を開く真際、ピシャリとガルダが言い放った。
「其以上言ってみろ、セレ。船酔いで殺してやる。」
「ハッ、船に乗った事の無い私を船酔いにさせるだと?やれるもんならやってみろ!」
「言ったな!行くぞ!」
二柱共不満が溜まっていたのか、痴話喧嘩が自棄になって加速する。
はらはらと二柱の成り行きを見守っていたハリーだが、入る事は出来ないと分かると飛び火しない様少し二柱から離れた。因みに周りの酒飲みは喧嘩等日常茶飯事なので、囃す者は居ても、止める者等居ない。
一つ大きく息を吐くと、ガルダは安定する様足を広げ、体勢を低くした。そして凄い勢いで上体を上下に動かした。
残像が見えそうな、そんな目にも止まらぬ速さで振動するガルダに観衆から声が上がる。見た目以上に彼は鍛えていた様だ。やっている事は何とも馬鹿らしく地味だが、然う真似出来る動きではない。
其はセレも思っていた様で、予想を超えた振動に堪らなくなって背に爪をキッ、と立てる。声も上げられない状況にセレは困惑したが、此は船酔いではなく、ジェットコースター酔いに近い。前ハリーの背に乗った時の事を思い出した。彼程ではない・・・あ、否、其以上に・・・此は・・・。
暫く無言の争いが続いたが、不意にガルダは其を止めた。体力の限界だったのだろう。
「ど・・・如何だ。流石・・・に、酔っただろ・・・。」
ゼーハーと息を詰まらせ、フラフラと力なく足が震える。たっぷり三分は揺すったので足がもうがくがくだ。倒れない様に足に力を込めて何とか安定させる。
するとすっかり参ったのか伸びてしまったセレが同じく力なくガルダの背に倒れ込んだ。相当効いたのか、変な声を出している。
「う・・・き、気持・・・悪い。・・・も、もう止めて・・・っ、本当に。うぐっ・・・。」
口元を抑える。顔は真青だ。
別段ガルダは勝利に喜ぶ事もなく、寧ろもうしなくて良いと分かると、安堵の笑みを零した。
「分かったなら・・・宜しい。」
「・・・なぁガルダ。もう・・・二度と、っ。喧嘩は・・・うっ。しない様にしよう。・・・謝るから。」
「そ・・・だな。何か疲れて空しい丈・・・だったし。」
一応の和解をした所で、気を取り直してガルダはロレンの所へ向かった。矢張り降ろしてはくれないのか、とセレは愚痴を漏らし乍らも大人しくしている。
ハリーも、もう大丈夫と判断したのか、後からそっと付いて行く。酒の匂に酔ったのか、頬がほんのり赤くなっていた。
ロレンはすっかりギルドの者に揉みくちゃにされ、からかわれた様だ。眼鏡を握り締め、数人の屈強な男達を相手にしていた。酒でも飲まされたのか、彼女も又、少し顔が赤くなっている。だからこそこんな無謀な戦いが出来るのだろう。
セレとガルダは先の争いで、如何に戦いが愚かかを痛感していた。此の気持丈で戦争が世界と言う地図から消え去る程に。其の為、半分呆れ顔で、冷めた瞳を当事者に向けていた。
さて如何しようかと二柱がアイコンタクトを取っている時だった。
「食らえー風眼斬!」
等と言ってロレンの眼鏡から衝撃波が放たれる。男の一人は其によりあっさりと吹き飛ばされてしまった。
場が騒然となって男達がたじろぐ。何が起きたのか良く分からないが、今がチャンスと踏んだガルダは大股に歩き、ロレンに近付いた。
「あら皆さん御機嫌ようぅ〜。」
とろんとした目でロレンは一同を見遣ると、先程破裂した眼鏡を鞄に仕舞い、新たな眼鏡を召喚した。
「おぅロレン。俺達用が済んだからもう行くな。研究、頑張れよ。」
「登山、初めてだったが楽しかったぞ。何処かで縁があると良いな。ドレミに宜しく言って置いてくれ。」
「ふむ。六花は中々見てて良い物だったのだ。・・・眼鏡は呉々も、大切にするのだぞ。大切な研究成果なのだから。」
「はいー。私もとっても楽しかったですぅー。研究にもぅ、屹度役立てますよ〜。」
ひらひらと手を振るロレンに一同はギルド、坎帝の牙を後にした。
背後でロレンが眼鏡からビームの様な物を出し、男共を蹴散らしているのがセレの波紋は確とキャッチしていた。しかし、今更詮索する事もないと思い、黙殺する事にした。
薄暗い洞窟の中、未練がましくガルダが抜け道を探していた。セレも波紋を放って手助けする事にした。ハリーも又、嗅覚をフルに活用したのだが、別段怪しい所を見付けられぬ儘、出口に差し掛かってしまった。
「本っ当に擦れ違ったり、出て行く所を見たり、良く見たらギルドに居たって事はないんだな。」
攀じ登ってガルダの両肩に手を置いたセレが尋ねると、粗同時にガルダとハリーは頷いた。
「・・・後考えられるのは魔術で自身を驚霆に変えて出て行った・・・か。」
正直言って荒唐無稽だ。抑自身を驚霆にするなんて、並大抵の干渉力ではない。若し其が出来るなら自分達が居なくても初めて会った時に既にドレミはドルウェルの角を取れていた筈だ。其をするメリットもないし、爆音がすればギルドの誰かが気付くだろう。
「・・・納得行かないが、今は・・・仕方ないか。」
別の機会に来るしかない。其の時には干渉力に因って少し違う次元にはなってしまうだろうが、致し方ない事だ。
ドレミに御別れ位、言いたかったのだが。
「じゃあ帰るぞ。」
洞窟を閉ざしていた岩が緩りと動き出す。重々しい音と共に広がる景色は、紅鏡の落ちた冥い滄溟だ。
だが、自分達の足は其処へは向かわない。繋がっているのは、次元の迫間にある店だ。
「じゃ、取り敢えず。」
一歩踏み出す。世界が揺れ、崩れる錯覚を覚えた。
「任務完了って事で。」
誰も通る事無く、又岩は動き出し、道を閉ざした。
でも、三柱の姿はもう何処にもなかった。
・・・・・
「っつつつ・・・ったく其の技、討伐依頼にでも何でも使えば良いのによぉ。変な研究ばっかしやがって。」
先程ロレンの謎の眼鏡ビームを食らい、吹っ飛ばされた男が頭を押さえて立ち上がった。背後に積まれた樽や木箱が音を立てて崩れる。
「そーだよ。御前、向こうじゃ一寸した名の知れた気の使い手だったんだろ。例の事件の時も魔物退治の誘いがあったとか。聞いた事あるぜ。」
「はい!・・・え?・・・い、いえ、違います、人違いです、はい。魔物退治なんて全部断ったし・・・。」
慌てた様にロレンは壊れた眼鏡を仕舞う為、鞄を手に取った。だが手が震えて上手く開かない。
其の様を見て回りの者は図星だと当たりを付けた。何より先の言葉が証拠だ。
どんどん彼女の顔が、耳迄赤くなって行く。
「そんな眼鏡なんかでカモフラージュしなくてもバレバレだっての。」
「ま、あんな技されたらな。彼、可也特異な技だし、体力馬鹿だし・・・な。」
「ち、ち、違うんです!気なんて知りませんよ!えぇ!噫!もう何で開かないのかなぁ此の鞄。」
明らかに動揺しているロレンを見て、男達が人の悪い笑みを浮かべた。
酔っている所為か、何時もより口が下手になっている。酒の肴には丁度良い見世物だ。
「此の際さぁ、そんな研究止めて俺達とチーム組まないか?」
ピタ、とロレンの手が止まる。鞄の蓋が開いたのだ。
中は既に壊れた眼鏡で一杯だった。其の眼鏡は付いていた玉屑が解けたのか水滴が付いていたり、皓い大きな羽根が混じっていた。ヒョウの翼の中に居た時、紛れ込んだのだろうか。
ロレンの赤かった表情に笑みが浮かぶ。
「止められる訳、ないじゃないですか。」
新たに大破した眼鏡を其処に入れ、手を入れて掻き分ける。そして新品の物を二つ手に取った。
其を掛けて、ビシッと男の一人を指差す。
「見てて下さい!今に超有名人になってみせますから!」
「ハハッ!こりゃ大きく出たぞ!」
男の一人が手を叩く。別の男が手で眼鏡を象り、続けた。
「有名になるのは彼だろ。眼鏡クラッシャーの世界記録だろ。」
「ち、違いますぅ!!」
又々顔を赤らめたロレンの眼鏡から烈風が放たれ、眼鏡が破裂すると共に哂っていた男達を吹き飛ばす。
後はもう喧嘩祭りに雪崩れ込む。何時もの事なので止める者はなく、囃す者許りだ。
賑わいを増す一角を、何時の間に戻って来たのかマスターとフレスが微笑を湛え、見ていた。
マスターは適当なグラスを出すと近くの酒瓶の中身を注ぎ込む。薄茶色の其を一気にマスターは飲むと、もう一杯同じ物を別のグラスに注ぎ、フレスに手渡した。
如何やらマスターは酒に強い様で、頬に色は付かず、瞳も又、依然として強い曦を帯びた儘だった。
フレスは少し頭を下げると両手でグラスを取り、徒に其を振った。歪んだフレスの顔が、其処に映っては消える。
「・・・上手くやったみたいですね。」
少し寂しそうな顔をしてフレスは笑った。
ドレミは遠くへ行ってしまったし、さて、自分は如何しようか。もう未来は決まっている。
残るは・・・自分が為可き事を、やらなきゃいけない事をする丈だ。
「おう、仕事が早いな。此なら期待出来る。・・・俺達もうかうかしてられないな。」
騒ぎの中心に居るロレンを見詰める二つの今様色と枯草色の瞳。其は不図思慮深い色を宿して、只々微笑むのだった。
・・・・・
一見穏やかそうな、しかし、其の穏やかは何かが終わった後の静寂の様な、そんな切り取られた草原に、一人の少女は立っていた。
草原にぽつぽつと立つのは朽ち果ててしまった家々だ。寂れたか、魔物に襲われたかは、荒れ果て具合から定かではない。只、其を見ていると、否応無しに、彼の景色が脳裏を過る。
絳い旻、絳い焔、絳い血、絳しかなかった世界に響いた声。
駄目だ。未だ自分は痛い程に忘れられずにいる。もう何年も経ったのに。懐い出せば傷が抉れ、血が噴き出る程に、剃刀にも似た記憶。
そんな懐いがあるからだろう。此の景色は、旻も、上風さえも寂しく思えてしまう。
そして其の薫風が一陣さっと彼女の首元にある深紅の曲玉を揺らした。
ギュッと、彼女は其を握る。
手放さない様に、離れ離れにならない様に。自分と彼の記憶を只繋ぐ此の子を、放したくはなった。
「ドレミ・・・は、」
息を吸う。一際強い通り凱風が吹き抜けた。
其の凱風が彼女の、草原よりも鮮やかな翠の髪を揺らす。
彼女は其の唸りに負けない様、声を少し大きくした。
「ドレミは、決めたんだ。前を向いて行くって。」
でも旻は儚い程蒼くて・・・。
・・・・・
寂しさの中、彼女は終に答を見出す
愛する者はもう帰って来ない
憎む者を幾ら増やしたとて、其は同じ事
だったら又、愛せば良い
又一から始めれば良い
少女を取り巻く者は、愛する者になった
何をか嘆こうか
もう少女は寂しくない
少女は愛されていたのだから
御疲れ様です。長かった六次元、何だか色々投げやりに終わりました。フラグ丈立捲るとか嫌な商法ですよね。然う言う割には自分も何時の間にか書いてました。だって此の流れの展開書き易いし、回収めんどか・・・ゲフンゲフン。
まぁそんなこんなは良いのです。今回が本番NG集、適度に眺めて下さいな。
「一つ・・・否、二つか死ね。」
アーリーさんの独り言。「貸し」が恐ろしい変換をしていました。ギリギリで気付いて良かった。情緒不安定な子になる所でした。
滄溟の方を見遣ると、しぶきを散らしてドルウェルが上体を水面から出していた。斯うして見ると入鹿と良く似ている。
描写ですけれど、第一変換が如何して入鹿なんですか?海豚って一般的ではないのですか?入鹿って学校以外で使う事ないと思っていたのに。
「五歩っ、誤発!う・・・ゲホッ!」
セレが溺れたシーン。打ち間違いも酷いですが、こんなに咳って変換の余地があるのかと思い知りました。何となく戦場での台詞っぽくなりましたよね。五歩先に地雷が・・・誤発しただと!みたいな。
―無視しないで。心配するでしょ。―
ドレミの和解の一言。迚も切ない物になりました。取り様に因っていは色々バリエーションがありますけど、皆さんは何を最初に思いましたか?
「食うッ、クゥ!クゥウッ!!」
「うえあぁあぁぁぁあぁ!!」
ラストは此方。何方もロレンの過去編です。好きなシーン程焦って打ってNG連発と。実際此の二つのセリフはまま離れていますけれど、隣り合わせにすると何だかすんなりと行きますね。
さて適当に書いてみました。何か此のゆるーい感じ、好きになるかも知れないです。タイピングが上手くなる迄は続けるかも知れません。
最後に次回ですが、次は筆者の趣味全開な真絳な世界が展開されます。でも大丈夫。未だR指定の話迄は行きません。
そんなに長い話ではないので、恐らく然う遠くない内に又見えるかも知れないですね。
では皆さん新しい年で御会いしましょう!