72次元 水鏡を駆けるは皓狼ノ遠吠えと犀魚ノ詠
今日は!とんとん拍子の投稿に思わずにんまりな筆者です。
今回は又書きたかった、ある意味自分にとって節目となる御話なのでやる気が違います!
今回の話を思い付いたのはもう五、六年前。
(と言っても、他の設定等に比べれば可也最近の物です。)
書きたかった物がどんどん形になる最近、サクサク手が進むので本当に楽しいです!
今迄の積み立てを崩す此の一話が堪らない!(おや、不穏な気配。)
でも投稿して初めて気付きましたが、サブタイトルに水鏡が入ってるの多過ぎぃ!
てっきり同じ話を間違って投稿したのではと焦りました。
(正直完全にミスしたと思ってうっかり幾つかメモとかを削除しちゃったので、慌てて修復中だったりします。)
舞台も霄が多いから仕方ないのでしょうが、もっと昊の話も書きたいですね。
そんな事を思った真夜中の御話、どうぞ御楽しみに!
水鏡へ届け 我が詠よ
今宵、私は自由の為に戦わんと
だから如何か見ておくれ、古の戦士よ
私を導いておくれ、其の光陰で
例え今宵果てる命としても、此の声は、懐いは、悠久に駆けよう
・・・・・
水鏡に呼ばれている。
そんな気がして皓の狼は腰を上げた。
此処からは水鏡なんて見えはしないのに、此の閉ざされた空間に何処からか光陰は入って来る。
懐かしい薫もする様で、思わず鼻も動いた。
此処最近、何時も然うだ。霄になると無性に吠えたくなる。
恐らく此の水鏡は・・・私の心だ。
薄く目を閉じると確かに目蓋の裏で輝く。
・・・今日なら行けそうだ。そんな気がした。
全身が銀に輝く、まるで曦其の物の様に。曦を狼の形へ束ねて編んだ様な姿。
でも此の身の内は呪いに蝕まれている。其が、こんな仮初の曦を突き破ろうとしているみたいで。
無言で狼は足を動かす。今は只、外に。
外に出た瞬間に兵が連れ戻しに来るだろう、でも構う物か。
正面から堂々と出てやる。私は此の声に従う、自由になるんだ。
「え、ロ、榔様、こんな霄に、」
「如何されたのですか?」
出口に二柱の兵が立っていたが、構う事なく突っ込む。
自分達に向け狼が突っ込んで来るのだ。流石に兵達も異変を察知した。
抑こんな出口迄自分が来る事なんて然うなかったのだから。其の時点でも随分不審に彼等には映っただろうが。
まさか正面から逃げようとする事も無かったし。・・・其の油断を突く。
足の力を弱める事なく・・・駆ける。
「ま、まさか逃げる気じゃあ、」
遅い、すっかり私も舐められた物だ。
私は此の檻から抜け出す。自由に、自由になるんだ。
兵達を乗り越えようと身を屈めた時だった。
電流が走った様に一瞬全身を曦にも似た物が駆け巡り、歪む。
私を誘う、此の声は、
・・・殺せ。
「・・・ッガウゥウッ!」
応える様に吼える。今は此の声の通りに。
声は私に気付かせる。逃げようとするから捕まるのだと。
戦え、己が手で掴み取れ、自由を自らの足で追い掛けろ。
私を導く水鏡よ。其の曦の雫を投げて寄越してはくれないか。
其を頼りに私は・・・進めるから。
唸り声を上げ、榔は兵の喉笛に咬み付いた。
兵は只狼を捕らえようとした丈だった。だからまさか襲われるなんて思ってもみなかったのだ。
だから彼を捕らえようと少し屈んで伸ばされた頸は、彼にとって格好の獲物で。
其の無防備な頸に、彼は喰らい付いたのだ。
「・・・え、」
何が起きたのか、二柱の兵は理解出来なかった。若しかしたら痛みすら感じる間もなかったかも知れない。
其の儘力任せに喰い千斬り、後ろ足で兵を蹴飛ばす。
壁に思い切り叩き付けられた兵は、其丈でもう動かなくなった。
頸が千斬れそうになる程強引に喰らい付いたので夥しい量の出血が伴っている。ショック死してしまったのかも知れない。
もう一柱の兵も、すっかり固まってしまった。屹度現状を理解する事が、受け入れる事が出来なかたのだろう。
まさか塔の主が殺しに来るなんて、此処に居る兵は其こそ、もう随分と永い間此の任に就いていた。だからこそ、此の状況を正しく捉える事は出来ない。
所謂平和惚けだ。榔は躊躇う事無く其の兵の頸にも咬み付き、引き千斬った。
こんな荒々しく狩りをしたのは如何程振りか。少なくとも此の塔に幽閉されてからはこんな機会、とんとなかった。
上品にあれと、本物の置物か美術品の様に扱われて、血を浴びるのも、毛皮を汚すのも久し振りだ。
私は生きているのに。此の国の物でもない、私は私、一柱の神、狼だ。
兵は其の儘頽れる様に消えて行った。何者にも邪魔されない自由な外が目の前に広がる。
匂を嗅ぎ、慎重に榔は外へと足を踏み出した。
此処に兵が元から大して居ない事は知っている。形丈の塔なのだから。
始末したから当分ばれる事も無いだろう。数刻の猶予はある筈。
兵を二柱も手に掛けた事で、興奮し切った彼の毛は逆立ち、荒々しく息を付く。
其の姿は正に獣其の物で、でも迚も自由な心地はした。
自分らしく在れる様な、何にも縛られない野生の心地だ。
そんな彼の火照りを冷ます様に吹く薫風は何て優しいか。こんな風に全身に薫風を感じるのも久し振りだ。
そして見上げた霄旻は、待ち焦がれた水鏡が出ていた。
今宵は何て大きな満月か。完全な皓につい心奪われそうになる。
視界一杯に水鏡を捉えて息を付く。噫、自分の曦なんかよりずっと綺麗だ。
今手に掛けた兵達も、情が無かった訳じゃあない。名も知っていて、言葉も幾らか交わした事もある。
何度彼等に捕まった事か。其ももう全て終わりだ。
今は只此の声に従う。私が只生かされた、此の呪いを解きに行くんだ。
此から向かうは門、彼処へ行けば、
誘う様に曦を投げる水鏡を目指す様に榔は駆ける。
街に出たのも何程久しいか。静まり返った街は時折曦が灯るのみで、通りを行く者は少ない。
だが其でも此の曦輝く毛皮では目立ってしまうだろう。走り様に近くで棚引いていた旗を噛み千斬り、乱暴に羽織った。
凱風の様に走り続ける。噫何て清々しいだろう。
此が、集落に居た頃は当たり前だったのに。すっかり忘れていた感覚だ。
こんなに真直ぐ走れるのも、石を踏み付けた僅かな足裏の痛みも懐かしい。
薫風の匂を嗅いでいると懐い出す、故郷の事を。
もう帰れないからと無理に蓋をしていた記憶だが、今は只々懐かしくて。
私を慈しんでくれた仲間達、私丈曇りない皓い毛皮でも、誰一柱気になんてしなかった。
同じ呪いを受けた仲間だと。其でも、彼の日々は私にとって幸せだった。
他の兄弟達と一緒に丸くなって眠った霄、パトロールの為必死に母の背を追い掛けた野山、其の全てが愛しい。
・・・でももう彼処へは帰れない。フェルナーデのゲートを使おうが、今更。
其の諦めが此の身に沁み付いた時に私は音を聞いたのだ。
行ける。今なら彼の水鏡にだって届きそうだ。そんな勇気が全身から迸る。
私は独り諦めていたんだ。其が神の性だと思っていたが違う、思い込んでいた丈だ。
本当に私を閉じ込めていたのは私自身、だから今こそ其の檻を砕く。
匂を頼りに走り続けていると、終に門が見えて来た。
離れていても其と分かる大きさだ。此の国へ来る者は必ず彼処を通らなければならない。
出るのも又然りだ。でないと此の国は巨大な結界に護られている。
古の・・・王が創ったとされている結界だ。余りにも強力な其は私の牙ですら届かない。
昔何度も試したが、結局破る事は出来なかった。となれば門しか道は無いのだ。
彼処では入国したい者が常に訪れるので霄だろうが関係なく兵の出入りがある。
実際未だ離れてはいるが、幾らか薫風に乗って声が聞こえて来る。
あんな形で、神が神を選別するのだ。何と烏滸がましい。
何が曦ある者だ、偽りなき心だ。皓で塗り固められた此の国は何て息苦しい。
門は此の国の象徴の一つとも言えるだろう。塔程ではないとしても可也重要な機関だ。
其丈あって何とも物々しい雰囲気が漂っている佇まいだ。皓一色に染められた其は様々な装飾、刺青が施されている。
二重に連なる鳥居に似た形ではあるが、玻璃で出来た様な扉にすっかり閉ざされているのだ。
声はするが門は開いていないと言う事は、入国出来なかった者でも居るのだろう。
此の門の曦に誘われて神達は彷徨う。でも選ばれた者しか入れない、残酷な篩だ。
今も水鏡明かりに照らされ玻璃の部分は輝き、辺りを静かに照らしている。其の玻璃の部分すら彫り物がされ、輝石も鏤められているので刻一刻と其の輝き方は変わって行く。
実際門にも術が幾らか掛かっているので、其が蠢いて見えるのだろう。
「・・・ん、出国を希望されますか?」
走り寄る狼に兵が声を掛けた。
門迄もう数mと言った所だ。走り続けていたので息が切れる。
加えて目立たない様布を羽織っていたので、其が落ちない様口に銜えていた。息が如何しても苦しくなる。
荒く息を付く狼に兵は心配になったのか少しずつ近付いて来る。
此の国は、任務以外で出国する者は可也珍しいのだ。任務であれば事前に連絡が塔等から来ている。だから斯うして単身で来る者は物珍しく写るだろう。
・・・さぁ、覚悟を決めろ榔。私は、私のやり方で自由を得る。
緊張に息を呑んだのは一瞬、榔は直ぐ様近付いて来た兵の頸に咬み付いた。
どうせ此処を出る時に自分の身分はばれてしまう、其なら強行突破だ。
咬み付かれはしたが、慌てて兵は腰に差していた釼を抜き、其で払った。
僅かに脇に痛みが走り、急ぎ距離を取る。
其の際に布が捲れ上がり、凱風に煽られて飛んで行った。
「っあ、貴方様はまさか、」
途端目に飛び込む曦が雄弁に其の正体を明かす。
兵は動揺を隠せず目を見開きつつも数歩下がって構えた。
如何やら彼は少し場慣れした兵だったらしい。門番ともなれば外の者に襲われる事もあるだろうし、荒事に慣れているのだろう。
自分の牙は浅かったらしく、血は溢れるものの兵は退く気はない様だった。
一撃で仕留め損なったので応援を呼ばれてしまう、此の儘では、
毛皮で護られたとは言え、榔の脇には斬り傷が付いていた。其処から血が零れ、斑に毛を染めて行く。
返り血も浴びて来たので其の身は克ての同胞と良く似た物になっていた。
・・・まるで皆が見護ってくれているみたいだ。
「ウォオォオーッン!」
途端無性に吠えたくなった榔は水鏡に向けて吼える。其の声に僅かに兵が怯んだ。
其処へ透かさず榔は迫り、再び咬み付いた。
今度は釼を持つ手首を。思い切り咬み付き、あらぬ方へと曲げる。
兵の躯が跳ねて叫び声を上げると同時に、骨の折れる音が耳朶を打つ。其の儘牙を喰い込ませ、遂には骨も砕いてやった。
肉を咬む感覚は久しいが、本能が教えてくれる。忘れもしない、故郷の日々が私の背を押す。
咬み千斬れはしなかったものの、兵は釼を取り落とした。其を尾で払い除けて遠ざける。
「如何した、何があった!」
「まさか彼は・・・榔様か!」
早くも、門では騒ぎになってしまって次々と応援が駆け付けていた。
兵達が自分を取り囲む様に集まって行く。
直ぐ連れ戻されてしまったが、一応何度か此の門から逃げた事はある。
其の経験が活きていると言う可きか、彼等は直ぐ様自分の目的を理解し、取り押さえようと囲い始めた。
其でもこんな風に兵を傷付けて逃がそうとした事は今迄なかった。だから其の動揺が彼等から伝わって来る。
又榔は其の存在其の物がライネス国の宝にも等しい。下手に傷付けて良いのかと困惑の色も見て取れた。
其の隙を突いてやる。こんな生きるか死ぬかの覚悟を私は持っているのに。そんな獣を中途半端な気持で止められると思うな。
兵達は次々に得物を構えて行く。ざっと十柱以上、流石に此の数は突破も厳しい。
咬み付いた兵から距離を取るも、すっかり囲まれてしまった。其からも何柱かの兵が羽搏いて来るのが見える。
駄目だ。こんな所で捕まる物か、私は、私は、
そんな榔へ静かに光陰は降り注いでいた。先から変わらずずっと導く曦だ。
今一度、旻に輝く水鏡を見遣る。其の皓をしっかりと目に焼き付けて。
・・・やってやる。私は此の身の内の呪いすら解き放って、全てを超え自由になるんだ。
其の時、まるで其の懐いに応える様に不意に榔の内側で何かが蠢いた。
でも其をもう抑える気はない。狼と言う檻すら壊せば良い。
薄く目を閉じると・・・其処にも水鏡が見えた。
静かに照らす光陰よ。其の曦は不思議と故郷で見た其と似ている。
でも不意に其の水鏡は巨大な目となって開かれた。
漆黔の瞳、私は此の目を何処かで見た様な・・・。
―・・・力が欲しいのか。―
宵闇の向こうから声がする。私を呼んでいた声が。
応う様に一つ長く吼えると、満月は朏の様に薄められた。
そして・・・呪いが荒れ狂う。
まるで内臓が皮膚を妬んで突き破ろうとするかの様に、内側から湧き上がる黔い懐い。
現に榔の姿は大きく捩じれ、変わって行った。
其の毛皮は輝きを失い、くすんで黝ずんで行く。
牙が伸び、口端を裂いて肉を断って行く。肩が、鼻が、胴が、順に大きく膨れ上がり躯付きが変わる。
そして手足には朽ちて千斬れそうな枷がされ、鎖の先は薫風に煽られる様に揺れている。
其が光陰を写し、地を打って音を立てる。まるで祝詞の様に、導く様に。
然うして全身が大きくなり乍らどんどん榔の口は裂けて行った。
最早胸より先、腹迄が裂かれて大きな口となる。
「ガゥゥァァアアアァアアア‼」
其の異様に大きな口を広げ、克て狼だった化物は吼えた。
「な・・・な、何だ、何が一体、」
「ロ、榔様、いや、此は・・・、」
其の変身の一部始終を見届けていた兵達は明らかに動揺し、怯えていた。
彼の曦で出来た皓く美しかった狼が、今では自分達を見下ろす程大きく黔くなり、牙を向けているのだ。
家位なら丸呑み出来そうな大きさになった榔は其でも未だ変わりつつあるのか背や鬣が蠢いている様だった。
傍から見れば其の全身を蟲が這っている様な、そんな不気味な蠢きで、正視するのは憚られる。
大きく開かれた口からは紫の粘液が涎の様に垂れ、酷い腐臭が漂った。
そんな逞しい姿に成ったと言うのに、榔は何処か晴れやかな心地に包まれていた。
噫、此が呪いの真の姿。
今迄ずっと閉じ込めていた呪いはこんなにも大きく醜くなってしまっていた。
噫何て滑稽か、御前達は此に気付きもせず、仮初の私を崇拝していたなんて。
見よ、恐れよ、嫌悪せよ!御前達が最も忌み嫌う物が此処にあるぞ。
此の呪いを全て御前達に返してやる。今こそ、仇討だ。私の故郷を奪った罪を。
榔だった化物は早速目の前に居た兵五柱程を一気に丸呑みにした。
大きく顎門を開いたかと思えば、瞬きの後に閉じられる。少し身を屈んだと思えば口を横に曲げ、鋏の様に開いて全てに喰らい付いたのだ。
「っ、ギア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ‼」
顎門に捕らえられた兵達は僅かに踠いたものの、皆喉が潰れる様な絶叫を上げて手を回す。
すると忽ち其の胴からどろどろに溶け、紫の粘液と混ざってしまう。呑む迄もなく兵は皆骨毎全て溶かされてしまった。
そんな光景を目の当たりにしたのだ。兵達は集まりつつも怯んでしまい、彼を取り囲む輪は広がった。
「ウ゛ォロロロロ・・・。」
唸り声を上げ、体勢を低くして榔は兵を一瞥する。其の口端から紫の粘液が垂れ、地に落ちると未だ溶かし足りないのか音を立てる。
其の様がまるで舌舐りしているみたいで・・・猶の事兵は下がった。
だが榔は軽く跳んで兵達の背後に降り立つと、何柱か一気に喰らい付いた。
荒々しく咬み付いた為に近くに置かれていた樽や木箱も一緒に銜えたが何の其の、皆一様に溶かされて行ってしまった。
もうすっかり兵達は逃げ惑い、小さな混乱が起こる。
此に乗じれば門を潜る事等容易だ。榔は右手を振り上げると玻璃の扉を斬り付けた。
同時に手枷も銀色に輝き、流星の様に爪の軌跡を追う。すると玻璃に幾つもの傷が刻まれた。
其は段々と広がり、まるで錆の様に玻璃の表面を覆い尽くし、見る間に大きくなって、
そして終には音も無く其は砕け散った。欠片は全て中旻で霧散してしまった。
「・・・っ‼」
其の先を見遣って榔は息を呑んだ。
もう彼を阻む物は無い。其処には只広大に続く野原が広がっていた。
其の景色は謂わば有り触れた物なのだろう。でも彼が其を目にしたのは遥か古の事で。
こんな姿に成っても吹く薫風は変わらず、又こんな大きく成ったと思っても見上げる旻は広くて。
噫、自分は本当にずっと、あんなちっぽけな塔に閉じ込められていたのだと強く痛感した。
一体何程焦がれたか分からない外、自由が眼前に在り在りと広がっている。
「・・・な、何て事だ・・・。」
「門が、此は如何なってしまうんだ。」
兵達も腰を抜かして同じ様に其の景色を眺めていた。
もう此の国と外を隔てる物は無い。
分かってしまう、王の結界が解かれたのだと。もう残るは門の形をした残骸のみだ。
一番肝心な扉を壊されてしまったのだ。斯くも無残に術は呪いに喰い尽くされた。
―・・・本当に、何て事をしてくれたのでしょうか。―
「ッギャン!」
後ろ足に痛みを感じ、榔が振り返ると其処には巨大な蠍に似た神が居た。
彼の姿は・・・忘れもしない。同じ此の国を収める塔の一つ、クルスティード尖塔の長、クルスだ。
もう嗅ぎ付けて来たか。其の伸ばされた尾で足を斬り付けて来たらしい。
斬られた箇所から血の代わりに彼の紫の粘液が散り、近くに居た兵達に飛散した。
呪いが此の身全てに沁み込んでいる。辺りを徒に汚染し、蝕む。
「ヴゥ゛ヴ・・・ガァァアァアア‼」
怒りを顕に榔がクルスへ吼えるも、彼女は只尾を揺らす丈だった。
怯みなんてしないだろう。彼は裁く為に来たのだ。
正に醜い此の国の姿其の物と言う可きか、一つの在り方を示している。
只己が信じる神丈を崇めて、其以外を蔑ろにし、独り善がりな正義を貫く。
噫、姿が変わり果てた所為だろうか、此の目が変わり、写る景色も変わった所為なのか。
今の自分は酷く彼女を嫌悪してしまう。何て醜い曦だと。
塗り潰したくなる、此の呪いで砕いてやりたいと。
榔の内なる懐いに応える様、手足の鎖は激しく波打って地を叩く。
其丈で見えない斬撃にでもあったかの様に地は抉れて行った。
今迄彼を縛って来た全てが、彼の呪いを強める力と化している。戒めが強ければ強い程、狼は猛り、吼えるのだ。
―何と変わり果てた姿か。其の様な穢れは此の国に、否此の世界に遺しては置けない。―
―戯言を、私を此の国へ閉じ込めたのは御前達だろうに。―
忘れもしない彼の日を。集落を突然襲った神々を。
特に御前の其の煩わしい程の曦を、忘れた事は一度もない。
―えぇ然うです。でも貴方は其の恩を忘れて、そんな呪いに屈してしまった。―
―恩だと、何を嗤わせるっ!御前達が私を勝手に攫い、閉じ込めたと言うのに。―
怒りの余り毛が逆立ち、苛立たし気に尾も振られて空気を裂く。
今の彼は余りにも大きくなり過ぎた。其の為、其丈で近くの壁等に亀裂が入って倒れて行く。
最早災害其の物だ。見護っていた兵達も少しずつ遠巻きになって行く。
彼等も知っているのだ。もう彼の二柱の神の目に自分達は写っていない事を、クルスは裁きの為なら徹底的に、手段も選ばないのだ。
彼女に巻き込まれる神も少なくない。せめて邪魔にならない様にと息を潜める。
―如何やら永きに渡り貴方は勘違いをしていた様に見える。其とも神の、王の愛にも気付けなかったか。―
―御託は良い。はっきり認めたら良いじゃないか。私は、呪われていたのだ。だのに表面丈の美しさに気を取られ目が曇っていたのだと。―
榔が幾ら吼えようが、クルスは釼と化した手を光陰に照らす丈だった。
今迄は、奴の前に斯うして立つ事なんて考えられなかった。でも今なら、何を恐れていたのかと呆れ許りが込み上げる。
仇相手に、何を怯む事があるだろうか。何を躊躇う必要がある。
出口は、門は目の前で開かれている。でも榔はきっぱりと其に背を向け、クルスと対峙していた。
何故なら、奴も又己を縛る枷の一つだからだ。此奴を止めない限り真の自由は訪れない。
―・・・其でははっきり申し上げよう。貴方が座していた塔は特別な呪が施されていた。其は呪いを抑え、鎮める為の物だった。―
其は・・・今迄、榔は露として知らない話だった。
思わず瞠目してしまう彼に、クルスは厳かに告げる。
―王は、貴方達一族を赦したのだ。だから呪いを解く為彼の塔で鎮めていたのだ。其なのにより呪いを強めてしまう等と。―
―何が・・・何が赦しただ。私達は赦されたかった訳ではない。誇りを持って戦っていたのだから!―
今更、そんな言葉に意味はない。寧ろ此の呪いを育む餌になる丈だ。
確かに今思い返せば其の様な呪はクレイド§スフィアに掛けられていたかも知れない。余りにも永い間榔が生き永らえたのは、彼の塔の御蔭かも知れない。
でも其の時間は、彼にとって苦痛だった。自由なんて一つも無く、見世物として生かされる丈の日々は。
自分達は、誇りを持った神だった。其を蔑ろにして穢したのは、矢張り御前達だ。
―其に、私は知っている。もう・・・私達の一族は滅んでいるのだろう。私以外の仲間を皆殺しにしたのだろう!―
―おや、一体何処で聞いたのやら。其にしても神聞きの悪い、彼は裁きを与えた迄の事。―
「グルルルルルッ‼」
榔は地が震える程の唸り声を上げて睨め付けた。
矢張り然うだったんだ。此奴等が・・・皆を。
私だって只幽閉されていた訳じゃない。塔から脱出して数回は集落へ戻ろうとしたのだから。
だがもう彼処には、何も無かった。破壊し尽くされ、彼の日々を想起させる物は残っていなかったのだ。
自分が捕らえられてから中々助けが来ないのも気になっていたのでまさかと思ったが、其が最悪の形で答えを突き付ける。
恐らく、自分を捕らえた後に奴等は再び私達の集落を襲撃したのだ。神に抗った罰として。
もう価値ある物は無いからと、皆を・・・手に掛けた。
そしてそんな事を先導する神と言えば・・・此奴しか居ない。
―矢張り御前丈はっ!生かしては置けない!此の偽善者め!皆の仇だ!―
―・・・貴方も、中身は只の獣でしたか。塔を壊してしまいますが仕方ありません。・・・裁きを下さなければ。―
クルスが一度尾を下げたかと思えば、其の場で一回転して振り回す。
余りにも早過ぎて目で追うのは困難だ。鋒が一閃となって駆け、四肢を斬り付ける。
鋭過ぎる刃に両前足は手首から斬り落とされてしまい、途端紫の粘液が溢れ返った。
後ろ足迄は切断されていない。でも大きく榔の上体は傾ぎ、前のめりになる。
可也の痛手だ。だが此の程度等、
榔が四肢に力を込めると、枷の鎖がまるで足の代わりの様に地に刺さった。
そして其を宛ら骨組みの様に溢れた粘液が覆い固めて行く。
即席の足となった其で思い切り地を蹴ると、榔はクルスに向け飛び掛かった。
足を失って直ぐ反撃されるとは思わなかったのだろう、流石のクルスも反応に遅れてしまう。
真直ぐクルスの元へ降り立った榔は彼女の中心に聳える十字架へ咬み付いた。
だが、余りにも其は硬く、歯形すら付かない。此の呪いですら刺さらないか。
爪の代わりに粘液に覆われた両前足を掛けるも、彼女を溶かす事は出来ない。
噫本当に、此奴も此の国の象徴の様な存在だな。
強情で独り善がりで、其の上こんなにも勁い。
其でも私は諦めない。此の呪いが全身を巡る度に伝わって来るのだ。
皆も屹度、諦めずに此奴に挑んだのだと。私を助けようと戦ってくれたのだろうと。
其の光景を、在り在りと私は写す事が出来る。
―其の程度の懐いでは私を破れませんよ。―
クルスは釼を振るい、榔を払い退けた。
此奴には爪も牙も毒も効かない。でも未だ折れない心がある。此の刃を必ず届かせてやる。
―未だ私は諦めない。王も曦も私は認めないのだから!―
―愚かな。塔の主とは思えない哀れな存在に成り果てましたね。只・・・、―
クルスの釼が振るわれるので流石に榔は大きく下がった。
彼丈は、如何仕様もない。何とか避けるしかないか。
様子を伺う榔に、クルスも又少し丈手を止めた。
・・・裁くと言う割には中々動きが鈍い。何か考えているのだろうか。
―一つ丈、聞いてみます。如何やって其の呪いを解き放ったのか。彼の塔の護りある内はそんな風に暴れる等、其に・・・不快な気配もする。彼の化物の・・・。―
彼の化物、彼女が然う毒突く存在とは。
思い当たるのは一柱の神、私に希望を、勇気を見せた。
・・・其処で不図水鏡を見遣る。
似ている、彼の瞳と水鏡が。然うか、然う言う事ならば、
やっと全てに合点が行った。私の内に流れる力は恐らく、
―然うだ。彼の神が私に力をくれた。私を自由にしてくれた。私の願いを・・・叶えてくれた。―
―何と悍しい、塔の主ともあろう者が彼の様な邪神を信じる等。―
初めて、クルスの怒りにも似た感情を榔は感じた。
何時も只裁きを与える丈の神が、感情を、明らかな否定をしている。
如何やら随分と彼の神は此奴にとって苦となっている様だった。
思わず口端が上がり、榔は笑ってしまう。
然うか、やっと遂に此奴を少し知れた気がする。
今迄何一つ響く様な事が無かったのに、心も其の鎧の様に堅牢で石の様になっているのだと許り。
・・・此が、御前の弱点か。其の躯を傷付けられぬなら、其の心を狙う丈だ。
然うだ。然う言えばセレは二度もクルスティード尖塔に侵入していると言っていた。其を逃したと言うのは彼女にとって可也の失態だった筈。
加えてソルニアも逃がしている。彼を捕まえたのが彼女の大きな功績だった為に、相当彼女から恨まれている可能性は高い。
然う思えば・・・確かに、セレ以外に彼処迄彼女の名誉を棄損した存在はいないかも知れない。彼処迄ライネス国に土足で踏み込んだ者はいなかった。
今最も彼女が裁きたい対象としてセレを見据えていてもおかしくはない。そんな相手から助力があったと知れば・・・。
―然うだ。私は王の加護等、そんな物は要らない。代わりに此の力を授かったんだ!―
―噫愚かな愚かな。何故あんな、存在すら赦されぬ者を選ぶか。其の道を誤りと気付かぬか。―
声に・・・力が籠っている。釼を振り上げ、尾を地に叩き付ける様は間違いなく怒りに震えていると言えるだろう。
初めてだ。此の神がこんな、心を乱すなんて事。
―如何だ。ライネス国の塔の主ともあろう私が、彼の神から力を、加護を得たとなれば、一体何程此の国は堕ちたと思うか、清く正しくと唱えたのは表面丈だと、良く分かるんじゃあないのか!―
榔は四肢を踏ん張り、吼え声を高らかに上げる。
然うだ。国中が此の異変に気付けば良い。此の重大な裏切り行為を目に焼き付けろ。
私の言葉を聞け、疑え、何が正しい姿か。皓とは、曦は何か考えろ。
疑いは信仰心を鈍らせる。であれば私は大きく此の地を穢そう。
私とて爪跡を残したいのだ。共に戦いたいと思ったのだから。
―っ・・・っ!噫御赦しください王よ!今直ぐ、此の不届き者は私が裁きます!国賊め、我が釼が、我が十字架が、御前の心の臓を貫こう!―
光陰に照らされ、クルスの全身は此でもかと輝いた。
そして振り上げた尾や手が流星の様に宙を駆ける。
・・・来るか。ならば、
同時に榔も地を蹴り、其の刃を掻い潜ってクルスへと迫る。そして尾の付け根に力の限り咬み付いた。
だが其でも傷一つ付かない。腐敗も溶けもしない甲は堅牢だ。咬み千斬る事は叶わない。
そんな榔の背に曦で出来た巨大な十字架が突き立てられた。背を貫通し、腹迄到達して縫い付ける様に刺さる。
痛みに呻くも、血の代わりに紫の粘液が溢れ、クルスの背を汚して行く。
此奴の背はがら空きだと思ったが、術も扱えた様だ。でも離れ過ぎれば見えない釼が迫る。此処で踏ん張らないと。
榔は何とか歯向かおうと牙を滅茶苦茶に立てた。
呪いを伴った液を吐き乍ら、鎖を叩き付けて爪を振るう。
流石に背中で暴れられると煩わしく思って来たのだろう。乱暴に振り払おうとクルスは突進したり尾を振り回し始めた。
周りの家屋や壁等御構いなしだ。門も余りの衝撃にどんどん罅が広がって行く。
未だ、彼女は気付いていないのだろう。彼女が尾を振るえば其丈で何柱かの神の命が断たれている事を。
本当の厄災は何方だろうか。考えた事も無いのだろうが。
只余りにも容赦なく暴れるので、遂に榔は大きく其の背を蹴って飛び退いた。
其処で一度様子見の為に周りを見遣ったが、酷い物だ。
すっかり瓦礫の山となってしまい、此処が彼の光の国、ライネス国とは思えないだろう。
死体が消えてしまった丈で、神も何柱か犠牲になっている。此処迄の騒動となるとは。
瓦礫の山となってしまったのは克ての門だ。其の上へ降り立ち、今一度旻に吼えた。
其処へ狙い澄ませた一撃が刺さる。真直ぐ榔の胸を、クルスの尾が貫いたのだ。
そして横薙ぎに其の尾を乱暴に引き抜いたので、榔の左半身は裂かれてしまった。
大量の粘液が飛び散り、吐き出されて行く。毒の沼の様な有様だ。
流石に・・・此は、
もう立っている事も出来ず、伏せる形で榔は頽れた。
其でも大量の紫の液が溢れ、地を染める。
此処迄か・・・もう足は動かない。でも、
毒を吐き乍らも榔は何度も水鏡へ吼えた。霞みつつある旻へ。
そんな榔に向け、じりじりとクルスは近付き、釼を構えた。
もうそんな警戒する必要はないのに。もう私は逃げないのだから。
真の自由を・・・手に入れたのだから。
―結局貴方は此処で朽ち果てる。あんな者の力を借りた所為で。然うしなければ安泰で居られたのに。―
―いや、私は今、迚も満足している。私は・・・爪跡を、呪いを遺せたのだから。―
―そんなの一時的だ。直ぐに門は再建されて元に、―
―いや、其はもう叶わないぞ。―
口端を釣り上げ、榔はクルスを睨め付ける。
未だ其の目は諦めに染まっていなかった。寧ろ何処か勝ち誇る様な。
―私の目的は達成された。私の呪いが、此の地を、御前を汚すのだ。私が此処で、御前の手に掛かって朽ち果てる事で。―
榔の姿は、始め転じた様に又変わって行った。
最初は腹の肉が落ち、内臓が溶けた様になって零れて行く。
濃い紫の塊となって地に染み込みつつ広がって行った。
然うして毛皮もずり落ち、皆溶けて行ってしまう。
其の中でも彼の目は濁らず、澄んだ儘水鏡を見ていた。
―私を閉じ込めた戒めを此の地に。そして私に止めを刺した御前には腐敗の呪いを。其が、完璧であった筈の此の国に亀裂を入れる綻びになれば。―
―最期の悪足掻きか。・・・っ、―
僅かにクルスは痛みを感じて下がった。
痛みなんて、永らく感じなかったのに。其は背の十字架から伝わって来る様で。
でも榔の目ははっきりと捉えていた。彼女の十字架に小さな亀裂が入っている事を。そして其処から彼の紫の液体が流れ出ているのを。
如何やら、私の毒牙は最後の最後で届いた様だ。彼丈では殺せはしないだろうが、彼が起点となれば何れは。
そして此の地もすっかり穢れてしまった。もうライネス国は門等造れはすまい。王の加護等、撥ね除ける呪いを刻んだのだから。
もう此の国は閉ざされた神の国ではない。私が、解放してやるのだ。
噫、遥か古に滅びてしまった我が同胞よ、見てくれただろうか。
私自身の手で奴を屠る事は叶わなかったが、でも私は其を悲観してはいないのだ。
何故なら後継が居るから。此の呪いを引き取る者を私は知っている。
・・・力を授けてくれた事、感謝するぞセレよ。
そして如何か、此の呪いに終止符を、帰る所へ導いておくれ。
私は霄を讃えよう。曦ではなく、貴方が照らす闇を慕うのだ。
そして我が同胞であるガルダよ、貴方の旅路も満たされる事を切に願う。
毛皮もドロドロに溶け、骨丈が残されて行く。
顔も崩れ、其の瞳の曦は次第に失われて行った。
最後に・・・フェルナーデ。
私を愛してくれて有難う。私は貴方に救われた。
そして貴方が此の道を望まないのは知っていたのに、愚かにも、でも誇りを持って戦った私を、如何か赦して欲しい。
貴方との日々は幸せだった。けれども何時かは終わらせないといけなかったのだ。
私は、彼の塔に在る可きではなかったから。縛られ続け、彼の国に支配される事等、あってはいけなかったのだ。
罪深い私は、もう貴方に逢う事は叶わない。けれども此の懐いがせめて水鏡に乗って貴方へ届きます様に。
終に瞳は完全に色を失い、骨と共に朽ち果てて行った。
最後に残った塵も微風に乗って跡形もなくなってしまう。
―裁きは為された。でも此は・・・。―
クルスは最早無残な姿に成り、黔く汚れた門の残骸を見遣った。
噫若しも溜息が付けたなら、涙を流せたなら、其で島一つ沈んでしまう位の深い悲しみを現せると言うのに。
確かに呪いは遺されていた。此を祓い去るのは容易ではないだろう。其位深い根が張ってしまっている。
一体此の度の事は何て王に報告為可きか、事実丈を伝えるにしても、王の心労は計り知れないだろう。
其でも今は戻らねば、そして次なる裁きを。
必ずや彼の神を裁かなければならない。塔の主を誑かし、彼の非道な行いを嗾けた彼の悍しき化物を。
欠けた十字架を背負い、クルスは急ぎ城へ向かうのだった。
・・・・・
「・・・ガルダ、今良いか?」
「ん・・・、セレ、か?」
ノックの音に起こされ、眠い目を押さえてガルダはベッドから起き上がった。
未だ随分と冥い、明け方が近付いているとは言え、霄の様だけど。
こんな時分に一体如何したのか、ガルダは取り敢えずと直ぐドアを開けた。
「済まないな、起こしてしまって。一寸行きたい所があるんだが、一緒に来て欲しくてな。」
「一緒に来て欲しい所・・・?如何したんだセレ。」
セレは困った様に上目遣いで俺を見ると一つ頷いた。
「レリーシャ=ガーデンに行きたいんだ。凄く嫌な予感がしてな。だからガルダもと思って。」
普段のセレなら一柱で行ってしまいそうだけれども、斯う誘うと言う事は余っ程の予感なのか。
セレの嫌な予感って、其こそ嫌な感じしかしない。彼女の事だから、其は的中していると思っても良い。
其丈の干渉力を有しているんだ。魔力の乱れ等から何か感じ取っても不思議じゃあない。
其にしてもレリーシャ=ガーデンか・・・場所が場所丈に何とも言えない。
寝惚けていた頭も段々と焦りから冴えて来る。其処での嫌な予感って。
「本来は行く可きじゃないんだろうが。正確にはレリーシャ=ガーデンじゃないんだ。其に嫌な予感と言うのも、少し違う。」
彼女は煮え切らない様な、言葉を選んでいる風だった。
・・・穏やかじゃないな。一体如何したんだろう。
「レリーシャ=ガーデンじゃないって事は、クレイド§スフィアとかか?」
彼の場に用なら其しか考えられない。すると彼女は又一つ頷いた。
「噫、そして其処で恐らくだが・・・私の加護が発動した。」
「っ其って、」
セレの加護を持った者なんて彼の国で一柱しか居ないだろう。
榔の身に、何か起きたのか。其に加護だなんて、其が起こるのは本当の最期の時。
彼の国に居乍らそんな物が発動するなんて何が起きたのか。
「・・・若しかして俺達の事がばれたのか?」
「可能性はある。だから取り敢えずフェリナの所へ行こうと思ってな。」
「・・・分かった、直ぐ行こう。」
行く可きじゃないと彼女が言った理由も良く分かった。若し俺達と繋がっていたのがばれているなら、もう兵が集まっているかも知れない。
其でも、此の儘見過ごす事も出来ないだろう。兎に角何が起きたのか確かめないと。
素早く身支度をすると、二柱は直ぐ様店を飛び出した。
沈み行く水鏡を目指す様に、向かうはレリーシャ=ガーデンだ。
・・・・・
「・・・少し、遅かったか。」
「セレ、何が見えたんだ?」
店から飛び始めて幾らか、不意にポツリとセレが呟いた。
波紋で見えたのだろうが、こんな偸閑に事が起こってしまっているのだろうか。
其に加護が発動したのは榔の方だってのに。此方に迄異変が起きているとなると・・・。
確実にばれているんじゃないだろうか。俺達の事がばれて、其で取り押さえられたりしているのなら。
セレは何処か困った様な、何とも言えない顔をしていた。そんなに良くない事が起こっているのだろうか。
「セレ、あの、此はもう引き返した方が良いんじゃないか?俺達迄ばれる前に。」
「いや、恐らく其は大丈夫だと思う。只・・・、」
其でも何だか煮え切らない様子だ。一体何が彼女に見えたのだろうか。
然う思う間にレリーシャ=ガーデンが見えて来た。未だ遠目だが、其でもガルダも異変を理解した。
塔の形が変わっている様な、否、彼の皓いのは一体、
まるで植物の蔦の様に皓い何かが塔に巻き付いている様に見えたのだ。
彼は一体・・・?
迷わずセレは塔へ近付くが、流石にガルダも気になって来た。
フェリナは無事なのだろうか、其とも・・・。
―・・・噫セレ神さん、ガルダ神さん、良くぞ来てくれました。―
塔の目前、湖の前へ立った二柱にテレパシーが届く。
其は聞き覚えのある声音だったが、何処か違和感があった。
「フェリナ・・・だよな?一体何処に・・・ま、まさか。」
一歩ガルダが足を出し、湖を見遣ったが不意に目を見開いた。
湖には魚影一つも無い、所か湖はすっかり凍ってしまっていたのだ。
あんな静かで穏やかだった湖が、丸毎一つの鏡の様に澄み切って凍り付いてしまっている。
そして其の鏡に映る長身の影にガルダは息を呑むしかなかった。其処に写る一対の目と合ったからだ。
慌てて目線を上げ、塔を見詰める。塔に巻き付いていた皓い其は如何やら蛇の様だった。
巨大な皓い蛇、其がレリーシャ=ガーデンに巻き付き、頭を擡げていたのだ。
其の頭には鰭があったので若しかしたら海蛇なのかも知れないが、其の蛇はじっとセレとガルダ、二柱を見詰めていた。
そして其の双眸から、輝石の様に凍ってしまった涙がはらはらと落ちて行っているのだ。
其の優しい眼差しを知っている。彼女は恐らく、
―えぇ然うです。私です。真の姿と成ってしまいましたが・・・。―
「如何した。一体何があったんだ。まさか榔の事と関係があるのか?」
真の姿、如何やら此の海蛇がフェリナの様だ。でもそんな姿に成ってしまうなんて、一体何が起きてしまったのか。
真の姿に成るなんてそんなの、限られた場面でしか起こり様がないのに。
―・・・良かったです。其の事を貴方達に伝えたかったのですが、此の姿では如何すれば良いか分からず困っていた所でした。だから、二柱が来てくれた事に感謝します。其に・・・、―
涙は止まる事なく落ち続け、フェリナは水鏡を見上げた。其の目は迚も遠くを見霽かす様で。
―若しかしたら御二柱にも届いたのでしょうか・・・。然うです、榔が・・・亡くなりました。―
多少覚悟をしていたとは言え、二柱は息を呑まずには居られなかった。
矢張り、予感は的中したのだ。加護が、発動してしまった。
其でも、榔は護れなかったのか。又しても、加護を与え乍らこんな結果だなんて。
―クレイド§スフィアが倒壊したと、先程私の所へ知らせが来ました。そして如何やら彼は塔を抜け出し、脱走を。いえ、謀反を、企てたみたいで・・・。―
「まさか榔がか?こんな急に。」
今迄全く素振りが無かった訳ではなかったとは言え、急過ぎる。たった一柱で其を決行したと言うのか。
自分達にも、フェリナにも伝えずに。
「謀反って、まさか塔の長が・・・?一体、何したんだ。」
―門の破壊です。其の後、クルスティード尖塔の主、クルスと戦闘になり、其の儘殺されたと。―
「も、門の破壊っ⁉」
目を剥いてガルダが一歩近付く。随分必死な面持ちだ。余っ程の事らしいが。
「門って、そんな大事なのか?」
「あ、噫、ライネス国の門は障壁でもあるんだよ。だから彼が壊れたとなると、今のライネス国は入り放題かもな・・・。」
「お、其は良い事を聞いたな。」
途端仕舞ったと言う顔を彼は浮かべたが、直ぐ又少し考え込む。
障壁か、其を榔が破壊したと。
今迄ゲートでしか彼の国へ侵入する方法は無かった。其の枷が外れたと。
「でも彼は確かライネス国の王が施した筈、然う然う破れる物じゃないと思ったけど。国が出来てからこんなの、初めての事だろうし。」
―其に如何やら榔は自身に掛かっていた呪いを振り撒いたらしく、門の再建は絶望的だそうです。―
「まさか其処迄徹底的にか。・・・彼奴は、随分とやってくれたんだな。」
「門が無くなったとなると、大混乱が起きるだろうな。今迄入れなかった奴とか一杯居るだろうし。」
―えぇ、貴方達にとっても悪い話ではないかと思います。―
詠う声も忘れ、涕き乍らフェリナは静かに告げた。其の声は悲しみに暮れて震えているのに澄んでいて。
「然うだが、でも本当に急だな。そんな・・・命を掛けてやっただなんて。」
クルスと対峙したなら、彼が殺されるのは必須だっただろう。
門がそんな大切な物だと言うのなら、元より彼は生き残る気も無かったかも知れない。
そんな決死の、でもある意味捨て身な状態で挑んだと言うのか。
でも、矢張り何故と言う疑問が付き纏う。こんな急に。
彼もライネス国に一手加えたいとは言っていた。若しかして自分達が慎重に動いていたので、手を拱いていたのだろうか・・・。
―屹度榔は、気付いたのかも知れません。ゲートの存在がばれつつある事を。だから私達に危険が及ぶ前に・・・自ら、動いたのかも知れません。―
「ゲートがばれていた、か。其の可能性はあったかも知れないな・・・。」
少し事を急ぎ過ぎたのかも知れない。一応利用時には良く良く注意したつもりだが、クルスに二度目撃されているし、落龍の詠の流れに乗じていたとは言え、絶対見られていないとは限らない。
其が、彼の立場を危うくさせていたとならば、
―噫セレ神さん。別に貴方を責めているのではありません。何れ斯うなる事は分かっていたのですから。私達の関係は、誤りである事をずっと昔から理解していましたから。だから予め決めてはいたのです。何かゲートの事で問題が起きた時は直ぐに破壊する様にと。―
フェリナが少し身を捩る丈で塔の外壁は崩れて良く。
其の瓦礫が落ちる音丈が響いていた。
―霄の内に榔のゲートは壊されていました。だから彼は初めから覚悟を決めていたのでしょう。そして、屹度貴方達へ繋ぐ為に門を壊したのです。ゲートが無くても大丈夫な様に。―
恐らく其は間違いないのだろう。彼は彼の国を恨んでいた。だから爪跡を遺そうと踠いたのだ。
ゲートが無くとも、抑門がなくなれば問題ないと、次へ託す様に。
噫、然うと分かれば、自分が感じ取った加護の事も少し説明が付くかも知れないな。
「・・・確かに、抑私は榔に掛かっていた筈の加護に異変があった様だから此処へ来たんだ。でも其の加護が少し違う様子だったからな。何と言うか、護る為じゃなく、力として発動した様なんだ。」
―加護、ですか。そんな物を授けてくれていたのですね。―
「私のは言葉通りの良い物ではないがな。恐らく彼の感じは・・・榔の呪いを強める為に加護が使われたのかも知れない。大きな力を感じたからな。」
自分は、とんと護る事が苦手だ。
だから本来の意味での加護は与えられない。死に掛けた時に反撃出来るか如何かと言った力で、護る為の物ではない。
だからある意味、戦う為に加護を使ったとしたら、其は一番の有効活用とも言えた。最も自分の力を引き出せる方法だろう。
―然うですか。であれば屹度、彼は最後勇敢に戦えたのでしょうね・・・。―
「・・・勇敢、か。」
自分の力を、然う捉えるのか。全てを破壊する呪いの様な力を。
―先私は不思議と、狼の詠が聞こえた気がしたんです。其は凄く堂々としていて、雄々しく、美しかった。・・・若しかしたら彼の詠は、彼が最期に届けてくれたものかも知れません。―
彼女は蛇の姿と成ったので其の表情は伺い知れないが、少し丈涙は落ち着いた様に感じた。
瞳も、迚も澄んでいて水鏡の様に輝く。
―彼を失った悲しみの余り真の姿と成ってしまいましたが、でも、其を聞けて良かったです。彼が最期に報われたなら良かった。―
フェリナの姿が変わってしまったのは矢張り榔の一件だった様だ。
つい先日、御茶の席に同席したりした許りの、長い間愛し合っていた相手を失うのは如何程だろうか。
其の原因に、自分は大きく関わっている。フェリナは自分の所為ではないと諭す様に言うが、其でも。
此の因果を運んだのは自分なのだろう。
―・・・私は、此の儘仲間達と共に眠りに就きます。・・・もう、十分生きたでしょうから。此の塔と共に沈みましょう。―
「・・・然うか。」
其以上の言葉なんて掛けられなかった。只、見護る事しか出来ない。
―最後に、榔の願いを叶えてくれて有難う御座いました。貴方達と会ってから彼は迚も生き生きしていました。私も、其が凄く嬉しかった。私では彼を慰める事しか出来ませんでしたから。彼がもう一度、誇りと共に戦えたのは貴方達の御蔭です。―
そんなのは、都合の良い解釈じゃないか。私は只、御前達を利用した丈なのに。
其の言葉が口を突きそうで、でも遂に・・・言えなかった。
もう終わりを見据えている彼女には屹度届かないだろう。せめて彼女の世界は美しい儘であって欲しい。
然う願うのは、随分と都合の良い幻想だ。自分にとっても都合良く、偽善を満たす為の願い。
其でも私は・・・其の願いが偽りでも、信じたいと懐った。
偽りも含めて自分の懐いだと信じたくて。
フェリナは一度眴せを送るとより勁く塔に巻き付いた。
まるで無い両手で抱く様に。勁く、勁く塔に巻き付く。
暫くしてあっさりと塔は瓦解し、フェリナと共に湖へと落ちて行った。
塔だった瓦礫が叩き付けられ、氷の湖に亀裂が入る。
そして到頭湖も砕け、大きな穴が開いて其の中へとフェリナ毎塔は沈んで行った。
如何やら凍っていたのは湖の表面丈だったらしく、大きな水しぶきが上がって全てを呑み込む。
だが其の廻瀾も落ち着き、再び湖の表面は凍り付いて行った。
もう、其処には何も無い。只一面水鏡を写す丈の鑑がある丈で。
塔の崩壊を目の当たりにして、二柱は一言も発せず只見ていた。
神の終わりも、懐いの果ても全て見届けて。
其の光景を、忘れる事は屹度無いと。
悲しみとも何とも付かない心地に包まれる中、二柱は只々沈み行く水鏡を見ていた。
たった一霄で二つの塔は壊れ、ライネス国の門も失われた。
神の世にとって余りにも激動の多い一日となった事だろう。
レリーシャ=ガーデンが崩れたとなっては流石に兵か何か来るだろうからと急ぎセレ達は帰路に着いた。
でも其の道中、中々言葉は見付からなかった。
二柱の神の死を如何受け入れるか、彼の終わりに何を見出すか。
互いに懐い合い、続くと思っていた物語が、唐突な終わりを迎えたのだ。其の意味を噛み締めて。
彼等と同じ結末を自分達だって歩み兼ねないのだ。彼は一つの未来を映していた様で。
若し自分であったなら、一体何の道を選んだだろうか。
そんな答えの無い問いを抱えつつ、皓と黔、二翼の翼は連れ添う様に飛び立つのだった。
・・・・・
犀魚は哦う 水鏡に向けて
其は彼の者を讃える為か、鎮める為か
貴方が今宵果てると言うのなら、私も其に倣いましょう
互いの音を重ねて、共に在る事すら叶わないのならせめて
此の声と懐いは、自由に共に在られればと
はい、と言う事で恐ろしい勢いで世界情勢が変わっちゃった一話でした。
多分神の世界でも教科書に載る位滅茶苦茶な日です。激動って書くの楽しぃ!
最近余進展が無かったセレの塔破壊計画(勿論そんな物はありません。)が一気に進みましたね。
一応全体で言えば凡そ半分の塔が崩壊した事に・・・何て事だ。
たった数柱に此処迄国を滅茶苦茶にされるなんて、国の怠慢だー!とか思われると思いますが、其処は色々理由があったりなかったり・・・?
(単に作者がサクセスストーリー書きたいからじゃあ、ゲフンゲフン。)
其でも今回御亡くなりになった二柱は、登場当初から此のおちが決まっていたので、終に終わらせちゃったなぁと思う許りです。
カップルが出たら絶対何方かは消える定めなので、予定調和ですね、うん。
只若し今後、二柱をメインにした話とかが思い浮かんでも書けないのかと思うと切ないですが、然う言う時は閑話休題、番外編、秘密の次元に託したいと思います。
斯うなって来るとバトル回が増えるなぁと思うのですが、其はもう宿命ですね。甘んじてバッサバッサと皆を切り捨てたいと思います。
彼等の最期が、一体此の世界にどんな影響を与えるのか・・・又御縁がありましたら御会いしましょう!




