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ヱウロパの金魚 / Undine from Jupiter II

 途中でなんとか自力で動けるようになった須弥が、ふらふらとしつつ名刺の地図を頼りに走ること十数分。

 息を切らせながら『かがりや』の店内に飛び込んだ須弥(すみ)の隣で、蜜柑(みかん)は涼しい顔で周囲を見回していた。


「……こんだけ走って、でこポンってばなんで平気なの?」

「造りが違いますから」


 身体能力における差は当然ではあるものの、須弥がその事実に気付くことはなく、首を傾げるばかりだった。


「道具もですケド、さっきのアパートよりも古そうな建物ですね」

「そうですな。振袖火事でこっちに移ってから、何回か建て直しとりますけど。空襲で焼けなかったのは運が良かったですわ」


 店内の様子に感想を述べた蜜柑に答えたのは、店の奥から顔を見せた冴えない店主だった。


「須弥さんひとりかと思たら、お連れさんがいましたのな」

「こ、こんにちわ」


 ようやく息を整えた須弥が挨拶をする。そして右手を蜜柑に向けて。


「そんなわけで、見つけてきました」

「見つけた言いますと……いや、もしかして?」


 須弥に促され、蜜柑がサングラスを外す。(かがり)は丸眼鏡に手を当てて位置を直しつつ、彼女に近づいて顔をじっくりと眺めた。


「……昨日の今日で見つけて来なさるとは」

「何というか。友達だったんで」


 はあ、と呆れたように肩を落としたものの、彼はすぐに気を取り直して蜜柑から離れ、帳場に上がるとふたりを手招きした。


「立ち話も何ですな、奥で話しましょか。ちょいと、お茶淹れてきますわ」


 篝は廊下の奥へと消えていき、それを見送った須弥は昨日も訪れた座敷へと足を踏み入れた。


 客間では、茶髪の青年が携帯電話の通話を終えたところだった。机を挟んで反対側には、虎猫が姿勢よく前足を立てて座っていた。


「待った?」

「いんや。一週間前にエウロパに連れて行かれた猫の身元、ちょうど確認できたとこ。須弥の方は、マナブっちに変なコトされなかったか」

「まなぶっち、って誰。変なこと、って何?」

「ああ、いや。会ってないならいい」

『それでユート、どうだった』


 虎猫の問いかけに、勇人(ゆうと)は頷きを返す。


黒猫(ノワール)の娘さんと白猫(ブランシュ)のとこのサブのふたりで、ほぼ間違いなし。純粋な地球猫(ネイティブ)じゃないから、地球に戻ってくるかどうかは当人たち次第になるんじゃないかと」

『無理矢理連れて行かれた、ということはないのか』

「それは無いっすね。どうしても地球から離れたい理由があったんじゃねえかと思うんですが」


 視線を落とし、考え込み始めた虎猫の前に、須弥はドラッグストアの袋をどさりと置いた。何事かと虎猫が見上げると、須弥は屈みこんで顔を近づけた。


「これ、ばあちゃんからのお詫びの品」

『先代からの?』

「たぶん今回の件は、ばあちゃんが手引きしたんじゃないかと思うわけで。やっぱり駆け落だったんじゃないかなー、と」


 袋の中からマタタビ粉の箱を取り出して見せると、虎猫は鼻をひくつかせた。


『天然物の高純度、悪くない代物じゃねえか』

「そこらで普通に売ってますがな。まあ、外では御禁制の薬物(クスリ)ですけど」


 お盆を抱えて戻ってきた篝が、廊下から声をかける。入り口で立ち止まっていた蜜柑を促して、ふたりは座敷へと入ってきた。

 全員が机を囲んで座り、須弥の目の前にお茶が置かれてから、改めて篝が問いかける。


「まだお名前聞いてませんでしたな」

地球(こっち)では不知火蜜柑(しらぬいみかん)と名乗ってますです」

人形(ドロイド)っちゅうことで間違いありませんな?」

「ハイ、そうですね」


 頷く蜜柑。そのやりとりを横で聞いていた勇人が、須弥の方を見て口を開いた。


「見つけてきたのか」

「たまたまね。後でちゃんと話すよ」


 それだけ言って、須弥は篝の方を向く。彼女の視線を受けて、この店の主は軽く頷いた。


「それで、蜜柑さんを連れてこられたっちゅーことは、後は私らにお任せと?」

「それなんですけど」


 居並ぶ面々を見回して、須弥は言葉を続ける。


「篝さんも勇人も、でこポンの後見人にはなれないんですよね」

『一応言っておくが、俺にも無理だぞ。情報屋のクリスにも難しいだろうな』


 虎猫の一声に、ですよね、と須弥は残念そうに答えた。

 全員の視線を受けて、手に持ったお茶を置いた須弥は、姿勢を正してから提案する。


「じゃあ、私が後見人になる、ってのはアリなんですか」

「……ははあ、面白いですな。前例はありませんけど、それなりの理由さえあれば通るやもしれませんな」

「理由、ですか」


 右手の甲を口に当て、須弥はわずかに思案した。


「アパートの管理を手伝って貰うとか。私だけだと無理だし、でこポンってばなんか力仕事得意そう」

「そんなことで、いいんです?」

「ま、大丈夫でしょ。その内容なら、以前とあまり変わらんでしょうし」


 蜜柑の疑問の声に、篝は腕を組んで鷹揚に答えた。その格好のまま、須弥を見据えて問題点を告げた。


「でもそうされるんやったら、正式に相談役になる必要がありますな」

「あー、そうですよね」


 権利を求めるためには義務を負う必要がある。はっきりとそこまで考えていなかったのか、須弥の表情に不安が浮かんだ。


「相談役を辞めたら、でこポンは帰らないといけなくなっちゃう」

「ま、そうなりますわな。ついでに言うときますと、私らと関わることも無くなりますわ」


 須弥は首をかしげる。


「かがりやさん以外もですか? マサさんや、蔵原さんとも?」

「ええ。翻訳機は回収しますし、あの横丁にも入れんようになります。基本的に地球人相手の商売ですから、機会があれば卍屋(よろずや)に会うことはあるかもしれませんけど」


 記憶の消去に関しては言葉を濁して、少し考えてください、と言い残して、篝は客間から出て行った。


         †


「そうそう。蓮さんに頼まれていた物ですけど、お見せしときましょ」


 そう言いながら篝が抱えてきたのは、透明な丸い硝子(ガラス)の容器だった。中には水が入っており、小さな魚が泳いでるのが見て取れる。

 それは海の蒼色で、須弥は祖母の手紙を思い出す。


「ヨーロッパの、青い金魚だ」

「分厚い氷の下に生息しとった奴でしてな。検疫に時間がかかるのは仕方ありませんけど、出来れば蓮さんが生きてるうちに届いて欲しかったですな」


 机に置かれた容器の中で、青い尾びれをゆらゆらと揺らす魚に、須弥は顔を近づける。遺伝子的には別物であるものの、見た目が似ているために『金魚』と呼ばれている魚は、須弥を警戒するように離れていった。


「氷の下って、暗くないんですか」

「可視光の代わりに熱を見とるんですわ。赤外線っちゅー奴ですけど、わかります?」

「でこポンのサングラスみたいな感じかなあ」


 じっと魚を見つめながら答えた須弥に対して、篝は「それで、本題ですけど」と声をかけた。


「考えはまとまりましてん?」

「相談役、続けようかと思います」


 彼女は顔を上げ、考えた結果を口にする。


「でこポンのこともあるけど、昨日からのいろんなこと、無しにしちゃうのはちょっと無理そうなんで」

「さいですか。ほな、相談役の証を出してもらえます?」


 須弥が鞄から取り出した携帯電話を机の上に置くと、篝は蛙の根付に向かって語りかけた。


「状況は把握しとりますな? ここにいる全員が保証人やさかい、天池須弥を正式に相談役として認証したってくださいな」


 彼女が生まれたときからの付き合いであるから、生体認証などといった小難しい手順は必要ない。木星の中継基地にある私の本体へと必要な情報を送信しさえすれば、手続き完了である。

 ちりん、と鈴を鳴らして篝に答えると、彼はこれでお仕舞いとばかりに、また腕を組んで大きく頷いた。


「さて。須弥さんがマスターになる件については、こっちで手続きしときますさかい。蜜柑さんは一晩こちらで過ごして貰いますけど、大丈夫ですかな。ついでに金魚の世話の仕方とか、説明しときましょか」

「ハイ、お願いします。スミさんも、有難う御座います、です」

「いいっていいって」


 頭を下げる蜜柑に片手を振って苦笑していた須弥は、ふと気付いたように携帯電話に視線を向けた。


「そうだ。情報屋さんにも知らせておかないと」

「クリスにか? だったら俺がメール送っとくぜ。俺からも伝えたいことがあるしな」

「借りたお金は早く返した方がいいと思うよ」


 言葉に詰まった勇人を尻目に、黙って話を聞いていた虎猫が口を開いた。


『叔父貴に話すのは、もう少し間を置いた方がいいかもしれねえな』

「ま、上が落ち着いたら、なんぞメッセージでも来るんとちゃいますか」


 そうだな、と篝の言葉に頷いて、虎猫は須弥の方を見上げる。


『また呼びつけるかもしれねえが、その時はよろしく頼む』

「お手柔らかにお願いします」


 彼女は目つきの鋭い虎猫に笑いかけた。

 ひとしきり話を終えて静かになった部屋の中を見回して、須弥は右手を軽く挙げる。


「じゃあ、相談役からもうひとつ相談事ってことで」

「なんだよ。改まって、真面目な顔して。ばあさんのやり残しは粗方片付いたんじゃねえの」


 地球(ここ)から離れたい猫と、地球(ここ)に残りたい人形がいて。蓮ばあさんは相談に乗っただけで、その後始末について、今できる事はもう無いんじゃないか、と勇人は問いかける。

 そんな彼に向って、須弥は人差し指を立てて見せた。あとひとつ、と答えた彼女の横で、蜜柑が首を傾げた。


「それで、何でしょう?」


「だってほら。この子の名前を決めてあげないと」


 須弥が指し示した先。

 机の上の水槽のなか、漂うように泳ぐ蒼い金魚の名前が決まったのは、空がすっかり暗くなった頃だった。



         †



         †



 ──とまあ、こんなところかしら。編集前の生データは明日までに用意しておくわね。


 え? 金魚の名前なんて、別にどうだっていいじゃない。細かいところを気にするのね。カラスと共生してるから?

 いいから教えろって、私もその場に居たわけじゃないし。うろ覚えだけど確か、水の精霊か何かから名前を取ったとか言ってたから……ウンちゃん、とかじゃないのー。


 信じなさいよ。直接聞くって言っても、彼女たち学校に行ってるから、アパートに行っても会えないわよ。

 まあ、今日はこっちに顔を出すって言ってたし、夕方までゆっくりしていきなさいな。

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