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マンホールの中の人形 / Marionette in a manhole

 人通りの多いアーケード街を抜け、羊羹屋の長い行列を横目に見つつ、ハモニカ横丁に入って細い路地を抜ける。丸一日ぶりに訪れた黄昏横丁は、相変わらず黄色く染まっていた。


蔵原(くらはら)さんには当てにできないから、ひとまず怪しいところを……」


 須弥(すみ)の足は、路地の北の端にあるマンホールへと向かう。橙色黒のバリケードを乗り越えて、半分ほど開いた穴の中を慎重に覗き込んだものの、暗闇を見通すことはできなかった。

 マンホールの蓋に恐る恐る手をかけて、須弥は力を込めて動かそうとする。しかし、相当な重量がある鉄の円盤はびくともしなかった。

 諦めて再び穴を覗き込み、須弥は大きく息を吸った。


「でこポン、中にいるー?」


 須弥の呼びかけから暫くして、扉が軋むような音と共に穴の奥から光が漏れ出し、人影が姿を見せる。

 四メートルほどの深さの穴底から見上げる金髪女性は、そんな場所でも細い遮光眼鏡(サングラス)をかけていた。


「でこポン! 降りてもいいかな?」

「はい、スミさん。ロクにおもてなしできませんケド」

「このフタ、ちょっと邪魔なんだけど」


 蜜柑(でこポン)は頷くと、マンホールの側面に据え付けられた梯子を登り始める。穴の入口辺りまでやってきたところで、蓋を支えるように片手を上へと向けた。


「近くに誰も居ないです?」

「ん、私だけだよ」


 それでは、と蜜柑が白い腕を動かした。分厚い蓋は抵抗も無く持ち上がり、腕の動きに合わせて穴の脇に置かれる。

 マンホールから顔を出した蜜柑を見下ろしつつ、須弥は蓋を指し示す。


「重くなかった?」

「まあ、慣れてますので。スミさんよりは軽いかもですよ」


 須弥が脳天に手刀を叩き込むと、蜜柑は僅かに微笑んでから穴の底に落ちて行き、すとん、と華麗な着地を見せた。

 かなりの距離を落下して平気そうに手招きする彼女にしばらく茫然とした後、須弥も気を取り直して穴へと身体を滑り込ませた。


 マンホールの底の空間には開かれた金属製の扉があり、その奥は小さな画室(アトリエ)になっていた。壁際に何枚も立てかけられたカンバスや、先程まで使われていたであろう画材やイーゼルを見てとって、須弥は感嘆の声を上げる。


「生臭そうなところに引き籠ってるのかと思ったら、でこポンってば何か充実しちゃってるじゃないの」

「でも、スミさんに見つかってしまったですし、そろそろ潮時のようです」

「潮時って、どうしてよ」

「だってスミさん、ワタシを送還するためにわざわざココまで来たのでは?」


 互いに首を傾げるふたりの間に、沈黙が流れる。

 しばらくして、須弥は鞄の中から携帯電話を取り出して、『かがりや』で撮影した画像を表示させた。


「この写真、でこポンで間違いない?」

「ハイ、そうですね」


 サングラスを外してまっすぐに見つめてくる蜜柑を、携帯の画面と見比べる。

 蜜柑はゆらゆらと揺れる蛙の根付に視線を向けて、確かめるように口を開いた。


「スミさんは相談役になったんですか」

「とりあえずのお試し期間中だけれど。ってメール送ったのに、やっぱり見てないのね」

「ずっとココで作業してましたから」


 読みようがナイです、と続けた蜜柑の頭頂部に、ふたたび須弥の手刀がお見舞いされる。


「心配したんだからね」

「……ハイ、御免なさいでした」

「よろしい」


 腕を組んでふんぞり返る須弥に、蜜柑はいそいそと椅子を勧めた。

 椅子に座りながら、須弥は怪訝そうな目つきで蜜柑を見上げる。


「相談役のことを知ってるってことは、ばあちゃんに会ったことあるの?」

「いえ、直接会ってはいないです。けれど、絵に興味があるという話を前のマスターがしたらしくて、学校のことを教えてくれました。スミさんの祖母だったとは知らなかったです」

「だったら、古美術研究会で一緒になったのは偶然か」


 神妙な様子で言葉を聞いている蜜柑を見て、須弥は安心させるように表情を和らげた。


「私としては、でこポンが残りたいんなら協力するつもりだったんだけど」

「そうなんですか?」

「他の人たちは黒服の人たちに引き渡したいみたいだったから、ひとりで来たのにな」


 右手の人差し指を目の前に立てて、須弥は言葉を続ける。


「確認するけど、でこポンは帰りたくないんだよね」

「……そうですネ。地球の文化は興味深いですし、ここを離れてしまったら、こんな風に絵を描く機会はもう無いかもです」

「そっか」

「でも、マスターなしで滞在するのは連邦法で禁止されてますから、仕方ないです」


 須弥は思案する。地下室の壁際に並ぶ絵をぐるりと眺める。それから、イーゼルに立てかけられた描きかけの絵に目を向けた。

 夜の公園、不可視光の風景。


「だったらさ、駄目元で試したいことがあるんだ」


         †


 須弥と蜜柑はマンホールを抜けて地上へと戻り、蓋を閉めてからその場を離れた。ふたりは黄昏色の光が射し込む通りを歩き、横丁から出るための細い路地へと差し掛かる。

 先に路地へと入ろうとしたところで、その先からやってきた大きな人影が須弥の前に立ち塞がった。


「思っていたより早かったね。さすがは(れん)さんの孫といったところかな」

「蔵原さん」


 身構える須弥に、路地から出てきた坊主頭の大男は両手を上げて、敵意が無いことを示す。


「ああ、いや、君に手を出す気は無いんだ。ただ、ちょっと確認しておきたいことがあってね」

「えっと……何でしょうか」

「君は、その子を送り還すために連れていくのかな」


 蔵原の問いかけに対して、ゆっくりと警戒を解いた須弥は首を横に振った。


「相談役について詳しい人に話を聞きに行こうかと思ってて。でこポンが一緒の方が、話が早そうだったんで」


 そうか、と蔵原は手を下ろし、真剣な表情になった。


「だったら、アーケード街から出た後はなるべく急いだ方がいい。相談役の証を持っている君は常にマークされているから、君が彼女と一緒ならすぐに保安官が怪しんで駆けつけてくるだろう」

「大丈夫でしょうか」

「相談役に対して手荒な真似はしないと思いたいね」


 実際のところはわからない、と蔵原は首を振った。


「私もひとつ聞いていいですか」

「何かな」

「もしかして、祖母に頼まれて、でこポンを匿ってたりしました?」

「ははは、そんなお人好しじゃあないさ。その子の元マスターと取引して、一年前からあの地下室を貸しているだけだよ。結局、ワインの方は売り物にならなかったけどね……」


 笑顔に少し渋い表情を織り交ぜつつ、蔵原は右手で須弥の肩を叩く。頼んだよ、と言い残して、彼は背中を向けた。


「……行こうか、でこポン」

「ハイです」


 細い隙間を抜けてすぐに、須弥は携帯電話を鞄から取り出した。「圏外」の表示が消えるのと同時に、『ユート』へと発信する。

 数回の呼び出し音の後、聞きなれた青年の声が応じてくる。


『須弥か? どうしたよ』

「今どこにいる?」

『カカ=リんとこで経過報告中。マサの兄貴も一緒だけど』

「マサさんも一緒なんだ。そっち行くからちょっと待ってて」

『お、おう?』


 戸惑う勇人(ゆうと)に構わず電話を切った須弥は、蜜柑の手を引いて小走りに歩き始める。


「それで、目的地はどこでしょう」

「玉川上水の近くの古いお店。その前にアパートに寄ってくね」


 アーケードの東側を抜け、信号を渡ってふたりは走り始めた。


         †


 午後の日射しの下、裏道を走って中央線沿いのアパートに辿り着き、須弥は蓮ばあさんの部屋に飛び込んだ。適当に靴を脱ぎ散らかして、押し入れから目当ての品物を引っ張り出す。

 ドラッグストアの袋を見て、玄関で待っていた蜜柑は少し不思議そうな表情を見せる。


「薬を持って行くんです?」

「まあ、そんなとこ。お待たせ」


 急いで部屋を出て玄関の鍵を閉め、『かがりや』へと向かおうと須弥が一歩踏み出したところで、服の袖を蜜柑が引っ張った。

 何事かと問いかけようとする須弥の目の前に、ばさりと一羽の大きなカラスが舞い降りて、一声鳴いてみせた。


『アマチスミ、だな?』


 耳に付けたままだった機械から、カラスの声が翻訳されて発せられる。


「猫の次は、カラスって」

『理解できているようだな。大人しく、そちらの人形(ドロイド)を引き渡してもらおう』


 須弥は首を横に振る。蜜柑を庇って前に立つ彼女に対して、カラスは諭すように言葉を続けた。


『庇い立てするなら、君も無事では済まないぞ』

「スミさん、保安官に抵抗するのはちょっと……」

「大丈夫。ここまで来て諦めるとかないから」


 じりじりと後ずさる須弥に押されるように、蜜柑も一歩後退する。その様子に、カラスの保安官は首を振った。


『止むを得まい。少しの間、眠っていてくれ』


 カラスが口を大きく開いた瞬間、大気が大きく震えた。人間の耳には聞こえない音が放たれ、須弥の上体がふらりと揺れる。


「なに、これ……」

「スミさん!」


 高出力の音波で人の意識を刈り取る音響兵器(スクリーマ)。いきなりの強硬手段に出遅れたが、それに対抗するための波長の解析を直ちに開始する。

 数秒をかけて解析を完了。須弥が意識を失う前に鈴の音を響かせる。


 がくりと膝が曲がり、倒れそうになった彼女を、蜜柑が後ろから抱きとめた。

 音波を打ち消されたことに気付いた相手は、須弥の手提げ鞄を、その中にある蛙の根付を睨み付ける。


『保安官に逆らって仮の相談役を守るのか。優先順位を確認したまえ』


 こちらに呼びかけてくる大きなカラスに、応える必要は無い。蓮ばあさんにも篝にも、天地須弥を護るように頼まれているのだ。


「ちょっと、待って。私は──」

「はいはーい、そこまでー!」


 なんとか持ち直し始めた須弥の言葉を遮って、女性の声が響き渡る。ふたりと一匹の視線が、アパートを囲む塀の上に腕を組んで立つ彼女に集中した。

 小柄な体格にスーツ姿の女性、栗栖(くりす)は、器用に塀から飛び降りると、格好をつけて右手の人差し指をカラスへと向ける。


「か弱い女の子たちを苛めようなんて、保安官も落ちたものね」

『情報屋が、邪魔をするのか』

「さっきのシーン、ばっちり記録してるんだけど? 連邦保安官が地球人を襲う、って結構なネタよね。ボーナス貰えちゃうかな」

『馬鹿な。映像記録などいくらでも改竄できるだろうに、それだけで信用されるものか』

「判断するのは視聴者よ。部屋の中から様子を窺ってる人たちもいるみたいだし、証言も集まるんじゃないかしらね」

『むむ……』

「それに貴方のその姿、情報収集担当であって回収担当じゃないでしょ。欲を出すと失敗するわよ」


 図星だったのか、言葉を失ったカラスの様子に満足げに頷くと、栗栖は振り返った。ようやく自分の足で立つことができた須弥に、笑顔で声をかける。


「こいつには私が話をつけとくから、貴女たちはさっさと用事を済ませちゃいなさい」

「えっと、ありがとうございます。でもまだちょっと、歩けそうにないですけど」

「でこポンちゃん、運んだげなさいな」

「あ、ハイ」


 反射的に頷いた蜜柑は、屈み込むと須弥を横抱きに持ち上げた。


「ちょ、ちょっと。これはさすがに」

「それでは、失礼しマス」


 蜜柑は一礼して、須弥を抱えたまま走り始めた。

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