情報屋の憂鬱な午後 / Melancholic afternoon
人通りの少ない裏通りに、猫の鳴き声がひとつ。
『人形の代わりに連れて行かれたのが誰なのかは、判らないんだな?』
須弥の両腕に抱えられた虎猫が、隣を歩く勇人へと問いかけると、彼はすぐに頷いた。
「そうっすね。でも、兄貴の知り合いってんなら、特徴を教えてもらえりゃエウロパの知り合いに調べさせますよ」
『それは、すぐにでも頼みたいところだが。星間通信は大丈夫なのか』
「部屋に通信装置あるんで。多少コストはかかるっすけど、払いはクレジットなんで」
「勇人はアパートに戻るの?」
会話を聞いていた須弥が、「だったらお願い」と虎猫を差し出した。
天頂に差し掛かった太陽からは容赦なく熱線が降り注いでいる。駅周辺の人混みを避け、建物の影を歩いているにもかかわらず、須弥の首筋には汗がにじんでいる。抱え込んでいた虎猫もいい感じに温まっているようで、勇人は渋い顔で受け取りを拒否した。
「ここまで来ればアパートまで信号ないだろ……兄貴も自分で歩けますよね」
『まあな。その方が気が楽だ』
虎猫は身体を捻って須弥の手から逃れ、彼女を見上げて口を開く。
『情報屋に会いに行くのか』
「うん。場所もそんなに遠くないし」
須弥が顔を上げると、申し訳なさそうな表情の勇人が頭を掻いていた。
「俺も一緒に行きたいところなんだが、今あいつにほんのちょっと金借りててさ」
「ほんと駄目人間だよね……」
†
ひとりになった須弥は、携帯電話を取り出して友人からの返信が無いことを確かめながら、さらに強くなってきた日差しの下を進んでいく。
アーケード街の東側、大通りを渡った先にある大型家電量販店の裏側一帯には、様々な分野の店が点在している。昭和の時分には怪しげな歓楽街であったこの場所も、今ではかなり大人しい雰囲気になっている。
四階建ての小さな雑居ビルの最上階、『卍屋』と書かれたプレートが貼られたドアの前に立って、須弥は猫屋敷で手に入れたチラシに目を向ける。『万象落着!』という謳い文句の下に書かれた文章を、彼女は小声で読み上げた。
「よろず承ります。一時間二千円、必要経費別。情報屋というか、便利屋なのかな」
家賃回収も請け負ってくれるかな、と呟きつつ、須弥はドアを開ける。
ドアの裏側に取り付けられていた呼び鈴がからんと鳴り、それと同時に、部屋の奥から女性の大声が聞こえてきた。
「遅い、遅いぞ馬鹿マナブ。ダッツ買ってくるのにどれだけかかっているのだ!」
ドアの前に立てられた仕切りが邪魔で、声の主の姿は見えない。須弥は横に身を乗り出して、部屋の中を覗き込んだ。
手前には来客用のソファと低いテーブル、奥にはノートパソコンや書類が置かれたデスクが見える。
小さな探偵事務所に例えるのが相応しい造りの部屋の奥、窓際には長い黒髪の女性が背を向けて立っていた。身長はかなり低めで、ビジネススーツ姿はあまり似合っているとは言い難かった。
「まったく。こんなに時間をかけていては、この暑さですっかり溶けて……って、あれ? お客さん?」
文句を言いつつ振り返った女性は、鋭い目つきでドアの方を睨みつけ、仕切りから顔を出した須弥と目が合って固まった。
「どうも」
「あー、えっと……御免なさい。どうぞどうぞ、中に入って、ソファへどうぞ。今お茶入れるから」
須弥の会釈を受けてあたふたと動き始めた女性は、打って変わって大人しい雰囲気でソファを進める。小走りで部屋の片隅に向かい、置かれた冷蔵庫からペットボトルを取り出して湯飲み茶碗に注いでいく。
「従業員がちょっと出払っちゃってて。ちょっと待っててね。ホント、学君ってばどこで道草食ってるんだか……えっと、煎餅食べる?」
「いえ、お構いなく」
「あらそう、残念」
お盆に茶碗を乗せ、不慣れな手つきでゆっくりとソファへと歩み寄る。須弥の反対側に座りつつ、ポケットから名刺を取り出してテーブルの上に置いた。長い黒髪を揺らしながら、彼女は軽く頭を下げる。
「えー、栗栖と申します。『よろずや』の所長をやってます」
「天池です。マサさんから教えてもらって来たんですが」
須弥の自己紹介に続いて鞄の中から鈴を鳴らすと、栗栖と名乗った女性は納得したように頷いた。
「なるほど、ユートが言ってた新しい相談役ね。ということは、猫の抗争か、行方不明の人形に関する件かしら」
「行方不明の方です。猫さんたちにはさっき会ってきました」
「あらら。ひとまず手打ちにしたのね。政之助が頑張ったのかな」
それはそれとして、と栗栖は表情を改めた。
「ユートの奴からメールが来てたから、人形探しの方も一応調査はしている。金も返さないのに頼み事は一人前にしてくるんだから、困っちゃうわよねー」
軽く話してはいるものの、一瞬だけ見せた怒りの表情に、貸した金額が少なくないことを推測させる。
須弥が先を促すと、彼女の表情がわずかに曇る。ソファに背を預け、肩をすくめて愚痴をこぼした。
「でも、金髪の女性なんて腐るほどいるのよね」
「ほかに手掛かりがあったら探せそうですか。例えば、今の髪型とか」
須弥の言葉に、栗栖は腕を組んで思案する。
「もうちょっと絞り込める条件が欲しいかな。何か知ってる口ぶりだけど、もしかして知り合いなの?」
「ええ、まあ。学校の同輩といいますか」
「だったら連絡とれるんじゃない」
須弥はその問いかけに対して首を横に振る。『かがりや』を出てすぐに送ったメールには未だに返事がなく、何度かかけた電話も不通だったのだ。
「そっかー。だったら、最近この辺で会ったりしてないかな」
「一昨日、井の頭公園で朝からずっと絵を描いてたみたいですけど。一度始めたら、彼女ちっとも動かないんで」
「ふむ、公園ね。なら定点カメラの記録が……」
栗栖はソファから立ち上がると、デスクからタブレット型の端末を拾い上げ、液晶画面を何度かタッチしていく。
「クリスさん?」
「ん、ちょっと待ってねー」
ソファへと戻った彼女は、須弥に見えるように端末をテーブルの上に置いた。液晶画面には、井の頭公園を俯瞰した画像が表示されている。
「どの辺りだったか覚えてる?」
「えっと、池の北側です」
須弥が指し示した場所を、栗栖が少しずつ拡大していく。ベンチに座る金髪女性の姿がはっきり見えてきたところで、須弥の表情が驚きに変わる。
「確かにでこポンですけど、これ一体どうやって?」
「企業秘密よ。この子で間違い無いみたいだから、マークして追跡かけましょう」
栗栖の操作に従って、再び俯瞰に戻った映像が高速で動いていく。景色が暗くなり、液晶の隅に表示された時刻が七時を回った頃になって、対象の位置を示す赤い枠線の目印が動き始めた。
「駅の方に向かってるみたいね。電車に乗られたらさすがに追い切れないんだけど……」
「改札が苦手であんまり乗らないらしいですけど。学校にも自転車で来てるし」
「そう。なら大丈夫そうね」
ふたりが見守る中、目印は駅近くの百貨店の入り口で止まり、点滅を始める。
「建物に入っちゃったか」
「画材買い足すって言ってたし、ゆざー屋さんで買い物かな」
「なるほど。うん、また動き出したね」
移動を再開した目印は、吉祥寺駅の西側の高架下を通って北へと抜けていく。そのままアーケード街の入り口で停止し、点滅を繰り返す赤い印の位置を確かめてから、栗栖は液晶画面を何度か叩き、「ふむ」と呟いて顔を上げた。
「一昨日の深夜、ハモニカ横丁に入ってからは捕捉できないみたい。よほど上手く変装して逃げたか、この辺りに潜伏しているってことね」
「潜伏っていうと……蔵原さんの横丁とか?」
「そうかもね。電話、ずっと繋がらないんでしょう」
うーん、と須弥は首を傾げる。
「でも、蔵原さんは知らないって言ってたのになあ」
「黄昏横丁で匿ってるんだとしたら、とぼけられたんじゃないの」
小料理屋での会話を振り返る須弥に、栗栖は至極真っ当な推測を述べる。これ以上考えても仕方ないと割り切ったのか、須弥は礼を言って、鞄に手を伸ばした。
「ちょっと行ってみます。それで、今回のって、必要経費とかどうなるんでしょうか」
「そうね。お金はいいから、あとで相談役の証から今回の記録を拾わせて貰う、っていうのはどう?」
「そんなことできるんですか」
「知ってるかもしれないけれど、相談役がきちんと対応してるか上が判断するのに、ずっと行動記録を取ってるのよ。それをどうやって抜き出すかは、企業秘密だけどね」
栗栖は笑みを浮かべて、人差し指を口に当てた。