猫の手打ち / Cats conciliation
小料理屋を後にした須弥と勇人は、蓮ばあさんのアパートへと戻ると、ひとまずは須弥がアパートの大家と相談役を引き継ぐことを店子連中に伝えた。
須弥はそのまま蓮ばあさんの部屋に入り、その日の残りは蓮ばあさんの残した書類の整理や、訪ねてきた店子連中との細かい話に費やされた。
アパートの管理に関しては子供のころから蓮ばあさんからあれこれと聞かされていた須弥であったから、なんとかその日のうちに、契約内容と現状の確認を一通り終わらせることができたのだった。
†
明けて翌朝。四月の末日も関東地方は晴れ、初夏のような暑さが予報されている中、ふたりは青空の下を歩いていた。
「そんなわけで、約一名を除いてちゃんと家賃を払ってくれていることを確認できましたが」
「大丈夫だって。来月は予定通りバイト代入ってくるからさ」
「毎月そんなことを言っているって、つい先日もばあちゃんは愚痴っておりましたが」
「ほら、何て言うか……不測の事態ってあるじゃんよ?」
不信の視線を勇人に向けるものの、須弥は諦めたように息を吐き、首を振った。
「それで、人探しの方はどんな感じなの」
「進展なし、だな。カカ=リの方でも調べてるはずだから、後で行ってみるつもりだ」
吉祥寺の西側にある商店街の通りから細い裏道に入ると、そこは閑静な住宅街になる。静かな道を歩きながら、勇人は須弥に小さな機械を手渡した。
彼はもうひとつ持っていた二センチほどのそれを、自分の耳に取りつける。身振りで促され、須弥も困惑しつつ同じように機械を装着した。
「何これ? 補聴器?」
「翻訳機。これから会う相手な、日本語も標準語も発声できねえから」
「そういえば、ばあちゃんが持ってたような気がするなあ」
「大した技術は使ってねえけど一応、そっちは後で回収しといた方がいいな……と、ここだな」
ふたりは小さな一軒家の前で立ち止まった。前日に蔵原から伝えられた家の玄関を見れば、扉の前でサビ柄の猫が待ち構えていた。
二階の窓を見上げた須弥が、カーテンに映る影を見てぼそりと呟く。
「猫屋敷だね」
「ああ。ちょうど時間だけど、準備いいか」
須弥が頷くのを見て、勇人はインターホンを無視して敷地に足を踏み入れ、目の前のサビ猫に声をかけた。
「聞いてるだろうけれど、アカヤの代わりに来た。俺は付き添いで、こっちが相談役だ」
『……入んな、お客人。ボスが待ってる』
にゃあ、と鳴く声と重なって、翻訳機から聞こえてくる日本語に、須弥は怪訝な顔で周囲を見回す。
「誰?」
「そこにいんだろ」
勇人が指し示した先には、一匹のサビ柄の。
「猫じゃん」
「だから猫が喋ってんだよ。正確には喋らせてんだけど」
「むむむ」
小型の生物に寄生し、意志を伝えて共生する微小知性体。彼らは猫や鳥の体を利用して地球を監視している集団のひとつだった。
喋る猫について理解しようと唸り始めた須弥は、しばらくしてすっきりとした表情になった。
「うん、まあいいや」
「わからん事をわからんままにしておけるってのも才能だよな」
呆れつつも、勇人は玄関の扉を開け、中へと入っていく。その後を須弥とサビ猫が追いかける。
「勇人が普段どおりってことは、そんなに気にすることでもないってことじゃん」
「それでいいんかねえ……」
「それより、家の人さんに挨拶とかいらないのかな」
「したじゃねえか」
「いや、だって……まあ、いっか」
蓮ばあさんが以前に出会ったとき、彼らを猫又か何かだと考えていた節があった。須弥にしても、ばあさんと同様の結論に達したとしてもおかしくは無い。その可能性は大いにあった。
靴を脱ぎ、玄関から上がったふたりに、サビ猫は一声鳴いた。
『付き添いはここで待ってろ。相談役だけ上に行ってくれ』
階段に目を向ければ、そこには小さな三毛猫が待ち構えていた。
仕方ねえな、と廊下に座り込んだ勇人を置いて、須弥は廊下を歩き始める。その背後から、勇人の声がかけられた。
「黒い方がノワール、白い方がブランシュだ。大人しく話聞いてるだけでいいんだからな」
「うん? うん」
三毛猫に先導され、須弥は階段を上る。二階に上がってすぐ左側にあった扉の隙間から、猫は部屋の中へと入っていく。
†
猫屋敷の二階の一室は、白を基調とした小奇麗な部屋だった。部屋の一角には遊具らしき柱が何本も立っていて、途中にいくつか存在する足場には、何匹もの猫が丸くなっている。反対側にはソファがあり、そちらにも猫が数匹。半分ほど開いた出窓の外にも、室内の様子を窺う猫の顔が見え隠れしている。
部屋の中央には座布団が三つ。そのうちのふたつには、真っ黒な猫と真っ白な猫がそれぞれ鎮座していた。
座布団の上で香箱座りになり、眠そうな顔をした黒猫が鳴く。
『お前さんが新しい相談役かい。こりゃあまた、随分と頼りなさそうな小娘が来たのう』
「ええっと。天地、須弥です」
須弥の言葉に、隣の座布団で前足を立てて座っている目つきの悪い白猫が反応した。
『レンの孫だって聞いたがよ、勤まるとは思えねえな。こんなガキがお上のお墨付きたァ、先が思いやられ──』
ちりん、と鳴らした鈴の音に、白猫は口を閉ざす。むにゃむにゃと口を動かした後、鞄をひと睨みして首を振った。
『まァ、いいや。そこに座ンな』
言われるままに、須弥は二匹の正面に敷かれた座布団に座る。
手提げ鞄を脇に置き、背筋を伸ばしてきっちり正座した須弥を見て、黒猫はさらに目を細めた。
『……ワシらのことは聞いてるようだから、さっそく本題に入るとしようかの』
黒猫は両手を前に出し、わずかに顔を上げてから言葉を続ける。
『事の起こり、ワシの娘が行方知れずになったのは、ひと月くらい前のことだ。組の連中が総出で街中探しても見つからんかった』
「娘さん、ですか」
『ああ。で、情報屋に調べさせたら、姿をくらます直前に白いのんとこの若いのと会ってたってわかってな。ありゃあ、なんて名前だったか』
黒猫の視線を受けて、白猫が話を引き継ぐ。
『サブってンだがよ、まあ、同じ頃に居らんようになった。ついでに、仕入れたばかりの高級猫缶もごっそり消えてやがった。いい面汚しじゃねえか、まったく』
「聞いた感じだと、それって駆け落ちの、よう、な」
途切れた話に、恐る恐る須弥は口を開いたものの、黒猫にぎろりと睨まれて尻すぼみになってしまった。
『冗談を言っちゃいけねえや。ウチの娘に限って、あんなチンピラに着いていくような馬鹿な真似はせんよ。もし一緒にいるなら、無理矢理連れて行かれたに違いない』
『あ? そいつァこっちの台詞だ、黒いの。手前の娘がサブをたらし込んだんじゃねえのか』
無言で身体を起こす黒猫を、毛を逆立てた白猫が睨みつける。周りにいた他の猫たちも、それぞれのリーダーの動向に注目していた。
見かねて声をかけようとした須弥に対して、白猫が顔を向ける。
『大体、どっちも消える前にレンとも会ってたって話じゃねえか。孫の手前は何も聞いてねえのか』
「えっと、その。相談役やってるってことも全然知らなかったんで」
『少しでも娘の手掛かりになりそうなことがあったら教えてくれないかねえ』
「ま、まあ、ちょっと、落ち着いて」
黒猫からも言葉をかけられ、周囲の猫からの視線を受けて。慌てた須弥は宥めるように両手を前に出して、引きつった笑いを浮かべるものの、状況は一行に改善しない。
沈黙が支配する中、重苦しい雰囲気を断ち切るように、尻尾の短い虎猫がソファから飛び降りる。鋭い目つきの虎猫は二匹の間に割り込むと、鳴き声をあげた。
『叔父貴、抑えてください。ブランシュの親分も、どうか』
『……フン』
『ああ、悪ぃな、マサ』
虎猫の顔を立ててか、白猫は不満気に顔を背け、黒猫は座布団に座り直した。虎猫は須弥に向かって何歩か近付いて、二匹の代わりに語り始める。
『まあ、なんだ。そんなわけで見ての通り騒ぎになってな。組同士でこれ以上やり合ってても何の利益もねえし、ここいらで手打ちにしようってことになったんだ』
「手打ちって、納得してないけどこの話はお仕舞いにしますよってこと?」
『お嬢たちの消息がはっきりしねえんだから、納得しようが無いだろう。アンタはそこで、証文に手形を押すのをしっかり見ててくれればいい』
「そんなのでいいの?」
虎猫が頷くと同時に、別の猫が一枚の紙をくわえてやってきた。須弥には読めない文字で今回の件を収める旨が書かれた紙が目の前に置かれ、白猫と黒猫が順番に歩み寄って肉球で判を押していく。
「なんか、随分とあっさりな感じ」
『ここまで来るのに時間がかかってんだ。あっさりなんかじゃねえぞ』
「そ、そですよね」
白猫の言葉に須弥が愛想笑いを返していると、黒猫は座布団には戻らず、開かれた出窓の方へと向かっていた。
「あれ、もう行っちゃうの」
『白いのの縄張りに長居は無用だってンだ。ああ、サブの野郎が見つかったら知らせてくれや。ケジメつけさせねえとな』
振り返ることなく尻尾だけ揺らして、黒猫は窓枠に飛び乗り、数匹の取り巻きを連れて青空の下へと去っていった。
†
他の猫たちもそれぞれに白猫に挨拶をして窓から去っていく中、須弥は虎猫に促されるままに廊下へと出た。
『とりあえず、これで少しは落ち着くだろう。スミ、って言ったか、手間とらせたな』
「ねえ、マサさん。ちょっといいですか」
用は済んだとばかりに部屋に戻ろうとした虎猫に、須弥は屈みこんで小声で呼びかけた。
立ち止まり、無言で振り返る虎猫。
「行方不明になったのって、やっぱり猫なんです?」
『共生相手を乗り換えてなけりゃ、そうだな。それがどうかしたか』
「親分さんたちに聞かれてちょっと考えてたんですけど。私、ふたりがどこに行ったか分かるかも」
虎猫は須弥に向き直ったものの、疑うように首を傾げた。
『本当か?』
「たぶん、この町にはもういないんじゃないかな。詳しいことは一緒にきた勇人が知ってるはず」
『下に居る奴か。それならそうと、何故さっき言わなかったんだ』
問いかけられて、須弥は苦笑した。
「期待させといて実は間違ってました、とかなったら嫌だし。マサさんなら大丈夫かなと」
『そうか。確かに、叔父貴に知らせる前に外で話を聞いた方が良さそうだな』
部屋の中に一声かけて、階段を降りようとした虎猫を、須弥は再度呼び止める。
「あ、ちょっと待って」
『まだ何かあるのか』
「私も今、人探しをしてて。黒猫さんが言ってた情報屋って、どこに行けば会えますか」