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黄昏横丁 / Dusk street

 吉祥寺駅の北側には、南北に伸びる五本の通り(アーケード)に小さな店がいくつも並んだ『ハモニカ横丁』と呼ばれる場所が存在する。戦後に現れた闇市を源流とし、その名残を残すこの区画を、勇人(ゆうと)須弥(すみ)を連れて目指していた。


「何か人が多いのは、連休初日だからかねえ」

「観光客っぽい人も多いね」


 人混みの間を抜けて、ふたりは駅前の通りから細い小路に入っていく。他の通りと比べて静かなその道は、開いている店がほとんどなく、人通りも少なかった。

 通りの中ほどまで進み、シャッターの下りた店の間で立ち止まると、勇人は片手を上げて須弥を制止した。


「ちょい待ち」


 彼は前後を見回し、誰の視線もこちらに向いていないことを確かめる。よし、と小声で呟いて、店と店との間、人ひとりがなんとか通れそうな隙間へと身体を滑り込ませた。そこは、普通に歩いていれば気付かないであろう暗がりだった。


「ちょっと、勇人(ユート)?」

「こっちも大丈夫だな。須弥も入ってきな」


 左手だけ出して催促され、仕方なく彼女も足を踏み入れる。勇人の後を追い、足元に気をつけながら薄暗い隙間をしばらく進んで木戸を抜けると、そこは別の通りになっていた。


 上を見上げれば、塗装の剥げたアーケードは天井が黄色く変色していて、差し込む光によって通り全体が黄昏色に染まっていた。細い通りに人影はなく、どこかで猫が騒ぐ声だけが聞こえてきている。


「こんな場所、来たことないんだけど」

「秘密の場所だからな。俺らと相談役くらいしか知らないはずだぜ」


 須弥は口を開けたまま周囲を見回す。南北に伸びる細い路地は、それぞれ十数メートルほど先で袋小路になっている。振り返ると、細い隙間の向こうに元の小路が見えていた。


「ここからしか出入りできないの?」

「ちゃんと外に繋がってるのはここだけだな。店の裏側から出られるところもあるらしいけど、俺は知らない」


 北の方を見れば、突き当たりの地面に半分ほど蓋が開いたマンホールがあり、その手前に「安全+第一」の文字が書かれた、工事現場でよく見かける橙色のバリケードが置かれている。

 須弥は携帯電話を取り出し、地図のアプリケーションを起動しようとして、首を傾げた。


「どうした、須弥」

「なんか電波入らないなー、って」

「この横丁は圏外だぜ。一般人が入って来られないように、妨害装置とかいろいろ動かしてるかららしいけど」

「何それ。不便じゃないの?」


 須弥は納得いかない表情で携帯電話から顔を上げ、南の方へと歩き始めた勇人の後を追う。

 少し進んだところで、須弥は背後の騒がしさに振り返った。数匹の猫が屋根伝いに走り去っていくのを見つけて、彼女は立ち止まった。


「なんか猫がうるさいね」

「ああ、そういやそうだな。でも最近ずっとこんな感じだったぜ」

「喧嘩でも、してるのかな」


 そうかもな、と勇人は歩きながら答え、言葉を続けた。


「確か、聞いた話じゃアーケードの辺りは中立地帯だった筈なんだが」

「中立地帯?」

「ああ。西と東に分かれて、縄張り争いしてるんだよ」


 勇人の言葉に、須弥は思わず噴き出しながら彼に近づいた。


「それ、誰から聞いたの」

「縄張り争いしてんのは有名だぜ。中立地帯云々は、情報屋から聞いた」

「へーえ」

「信じてねえ顔だなあ」


 別にいいけどよ、と諦めたように溜め息ひとつ。

 離れていく猫の声を気にかけつつ、ふたりは路地を進んでいく。


         †


 怪しげなアクセサリショップや古着屋、コインランドリーの前を通り過ぎた先の突き当たりには、『食事処』とだけ書かれた茶色い暖簾(のれん)の店があった。

 須弥は少しだけ身を屈め、暖簾の下から中を覗き込んだ。壁に貼られている手書きのメニューは茶色く変色している。コの字型のカウンターに並ぶ丸椅子は、いくつか経年劣化による穴が開いているのが見受けられる。

 およそ女性を誘って入るような雰囲気ではない、年季の入った店内の様子を眺めてから、勇人の方に向き直る。


「えーと」

「大丈夫、味は保証するぜ。ちゃんと地球風の味付けだし」

「地球風じゃない味付けの方が気になるんだけど。ていうか、やってるのここ? お客も店員もいないじゃない」

「ん? アカヤの旦那、居ないのか?」


 いつもならこの時間にはやってるんだけどな、と呟きながら、勇人は店に入っていく。

 カウンターの奥から厨房を覗き込み、さらに中へと入っていくのを見守っていた須弥の背後から、唐突に男の声が聞こえてきた。


「おや、すまないね。待たせてしまったかな」

「あ、いえ。大丈夫で……」


 声の方を向いた須弥が、返答の途中で言葉を止めてしまう。

 まあ、無理もない。彼女に近づいてきていたのは、身長二メートル近い坊主頭の大男だったのだから。


         †


 坊主頭の大男、蔵原赤耶(くらはらあかや)はこの横丁に小料理屋を構える料理人である。薄手のシャツの上に白いエプロンを身に付けた彼は、出前から戻ってきたところなのか、右手に岡持ちを提げていた。

 場所が場所だけに、彼の店にやってくる客のうち、地球人が占める割合はかなり低い。細い抜け道には認識阻害の仕掛けが施してあり、一般人が迷い込んでくることは年に一度も無いらしい。


「とりあえず中へどうぞ。摂取できない物質(マテリアル)があったら言って下さい」

「え、あ、はい?」


 後ろから肩を押され、須弥はなすがままに暖簾をくぐらされる。彼女が手近な椅子に腰を下ろしたところで、その後から身を屈めて入ってきた蔵原と、厨房から出てきた勇人との目が合った。


「あれ、戻ってきやがった」

「そりゃあ、僕の店だからね。彼女は君の連れかな」


 ああ、と勇人は頷くと、カウンターから抜け出して須弥の隣までやってくる。


「蓮ばあさんの孫娘。地球人で、新しい相談役だ」

天池須弥(あまちすみ)です。ひとまず試用期間で」


 須弥の言葉に合わせて、手提げ鞄の中で鈴を鳴らす。ちりん、と小さく響く音に、猫背になって店内を移動していた大男が一瞬だけ足を止め、頷いた。


「なるほど、初めまして。僕はこの店の店主をやってる蔵原です。蓮さんには随分と世話になりました」

「一応、この横丁のまとめ役な。怖い顔してっけどそんなに悪い奴じゃねえから」

「傷つくねえ」


 蔵原は苦笑しながら、カウンターの下の冷蔵庫からコップと水差しを取り出して、ふたりの前に置く。


「ともあれ、蓮さんの後を継ぐのなら頑張ってね。詳しく聞き知っているわけじゃないけれど、揉め事になると大変そうだったからね」

「あー、やっぱりそうですか」

「須弥に変なプレッシャーかけんなよ。ばあさんだって適当だったじゃねえか」

「でも、アパートの管理もしないとだし、専門学校も続けたいしさ」

「それは……まあ、大変だろうな」


 勇人は反論するものの、須弥の言葉に勢いを失ってしまう。そんな中、蔵原は両手を打ち合わせて注目を集めた。


「それはそれとして、先に注文を聞いておかないとね」

「だな。俺はおまかせランチでいいや。須弥はどうする?」

「というか、メニューが読めないんだけど……」


 壁の張り紙は文字が掠れている上に、そもそも銀河連邦の標準語で書かれているのだから、どんなに目を凝らそうが彼女に読めるはずがない。須弥の視線に気付いた勇人が、壁を見て「確かに」と頷いた。


「得意なのは洋食らしいけどな、大概なんでもできるぜ」

「仕込みが必要でなければ、ね」

「じゃあ、私もおまかせで」


 はい、と応えて、蔵原はコンロにフライパンを乗せた。調味料やら下拵えを済ませた食材やらを取り出して調理を始めた彼に向って、勇人が声をかける。


「でさ、アカヤ。さっき冷蔵庫ん中からこんなの見つけたんだけど」


 勇人がカウンターの上に出した左手には、ワインのボトルが握られていた。欧州産、それなりの価格であろうその一本には、銀河連邦の標準語で『検疫済』と書かれたシールが貼られている。

 太陽系の外へ物品を持ち出す際には、木星の中継基地での検疫が必要になる。害が無いことを確認できた品物にはシールが貼られるのだが、それは地球上では縁の無いはずのものだった。


「検疫済みって、どういうことよ?」

「ああ、それか」


 横目でボトルをちらりと見て、蔵原の表情が渋いものになった。


「少し前に取引をしてね。頼み事を聞く代わりに、ちょっとばかり加速空間を飛ばしてもらったんだけれども」

「お、てことはコレ、超空間熟成ハイパースペースヴィンテージか」


 一旦外宇宙に運び出し、時間の流れが異なる空間を旅して戻ってきた葡萄酒。ラベルの記載が二年前のものであっても、経過した時間はそれ以上ということになる。


「けれど、お勧めはしないよ。雑に扱うもんだからまた濁ってるし」

「いいじゃないの。ほら、新しい相談役の歓迎会ってことでさ」

「……そこまで言うなら一杯、飲んでみるといい」


 調理の手を止めて、ワイングラスを勇人の前に置く。立ち上がって(コルク)を抜いた勇人が、慎重にボトルを傾けていく。


「俺の必殺サーブをとくと見るがいい──ッ」

「いや、必殺って。(おり)ものすごい混じってるってば」

「大丈夫大丈夫。そんなん茶っ葉みたいなもんだぜ」


 ボトルを蔵原に渡し、一仕事終えた風に額の汗を拭う仕草を、須弥は呆れた顔で眺める。勇人はそれを意に介さず、グラスを持ち上げて香りを嗅ぐポーズをとる。


「どう?」

「よくわかんねえ。そもそもワインあんまり飲まねえんだよな」


 首をかしげつつも、勇人はグラスの中身を一口含んだ。

 数瞬の後、勇人はコップに手を伸ばし、水を口に流し込んでから感想を述べ始めた。


「苦いっつーか渋いっつーか。何だこれ」

「まあ、二百年はやり過ぎだったかな。そこまで劣化すると、いっそ清々しいね」

「なんだよ、勿体ねえな……」


 がっくりと首を落とした勇人に対して、蔵原はにやりと片頬を上げる。


「その一杯、全部飲んだらお代はサービスするよ」

「金取ろうってか、こんなので」


 溜め息をついて、勇人は再びグラスを手に取った。必殺の一杯はまだかなり残っていた。


         †


 本日のおまかせランチ、料理長自慢の特製オムライスを口に運びながら、勇人は「んでさ、本題なんだけど」と話を切り出した。


「本題? なんかあったっけ」

「いやお前、人形(ドロイド)探しするんじゃなかったのか」

「あ、うん。そうそう。聞き込みするんね」


 須弥は携帯電話を取り出して、『かがりや』で撮影した画像を表示させる。中腰になって、彼女はカウンターの方に液晶画面を向けた。


「蔵原さん。この人を探してるんですけど、心当たりとか無いですか」

「マスター不在の人形なんだけどよ」

「ふむ?」


 須弥が見せた画面を覗き込んで、蔵原はすぐに首を横に振る。


「残念だけど。教えられることは無さそうだね」

「そうですか」


 つれない返答にそれ以上尋ねることをせず、須弥は携帯電話を手元に戻した。そのままメールを打とうとして、圏外であることを思い出し、諦めて鞄の中に仕舞い込んだ。


「見かけたら俺かカカ=リの奴に知らせてくれよ。多少なりとも解決能力があるってとこを上の連中に見せとかねえと」

「ああ、なるほどね。心証を良くしておこうと」

「早いとこ見つけ出して、連れて帰ってもらえりゃ、肩身の狭い思いをしないで済むしな」


 ふたりの会話を横で聞いていた須弥は、不満そうな表情を浮かべる。それに気付くことなく、蔵原は話題を変えた。


「解決能力といえば、相談役が不在だからと僕に回ってきた仕事があるんだ。できればその仕事を頼まれてはくれないかな」

「面倒な話なのか」

「いや。話し合いの立会いをするだけのはずだから、新米相談役向けだと思うよ。ユート君もよく知ってる相手だしね」

「それならまあ、大丈夫かねえ。どうする、須弥?」


 その問いかけに、彼女は少し考えた後に答えを出した。

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