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赤下の画師 / Infrared landscape

 天池須弥あまちすみの携帯電話に記録されているメールの履歴によると、『でこポン』こと不知火蜜柑しらぬいみかんは彼女と同じ専門学校に通う友人であった。

 去年の四月に入学し、学科は異なるものの同じサークルに入ったことで親交を深めていたようで、(れん)ばあさんとの会話にも時折、名前が出てきていたことを記録している。


 すでに太陽は街並みの影に隠れていて、辺りは暗くなり始めている。

 アパートを出た須弥は下宿先である阿佐ヶ谷ではなく、吉祥寺駅の南側にある井の頭公園へと向かっている。それは、友人に頼んでいた課題のプリントを受け取るためだった。


「池でスケッチって、まーた朝からずっと同じ場所でやってんのかな」


 よく飽きないよなあ、と彼女は感心する。詳しい居場所を尋ねるメールを送りつつ、大通りから公園へと通じる道を歩いていく。


         †


 坂道を下り、井の頭池のほとりを五分ほど歩いてようやく、須弥は目当ての人物を発見した。

 まばらに灯る街灯の光の下。薄手のパーカーを着た短い金髪の若者がベンチに座り、数匹の猫に餌をやっている。


「でこポン!」

「ああ、スミさん。コンバンワ」

「おばんわー」


 須弥の呼びかけに顔を上げた蜜柑(でこポン)は、ベンチに置いていた道具一式を脇に避けて座る場所を用意する。表情を変えず、淡々とした様子の彼女に対し、周囲にいた猫たちは名残惜しそうに鳴きながら離れていった。


「休憩中?」

「そんなカンジ。そろそろ描こうと思ってたトコロです」


 ボードを抱え、片手に鉛筆を構えた蜜柑の横で、須弥はベンチに重ねて置かれたスケッチの束を拾い上げる。広い池と弁天島、周囲の木々と青空が、同じ構図で何枚も描かれているのを見て、はー、と気の抜けたような声を漏らした。


「やっぱり朝から居たんだ。でももうさすがに暗くない? こんな状態でよく描けるね」

「暗視メガネがありますので」


 蜜柑は手を止めて、自分がかけている細い眼鏡を指し示した。一見ただの遮光眼鏡(サングラス)に見えるそれは、実際には高度な技術が使われている代物のようだった。


「何それ、楽しそうじゃん」

「スミさんもかけてみます?」

「ん、ぜひともぜひとも」


 眼鏡を外すと、隠れていた青い瞳が露わになる。以前の蓮ばあさんとの会話によれば、外国人の血を引いているということらしい。

 蜜柑から手渡された眼鏡をかけ、言われるままに蝶番(ヒンジ)の横についた小さなスイッチを押す。内側から淡く漏れる光に、須弥の口が半開きになった。


「おー、これはなかなか。弁天堂とかくっきりはっきり」

「赤外線を補正して内側に投影しているんですケド、説明しても分からないですよね」

「うん、さっぱり」


 文明の利器に関しては、原理は分からずとも使えればいいという姿勢の須弥である。

 須弥はベンチから立ち上がり、くるくると周囲を見回した。しかし、ご機嫌な状態は長くは続かなかった。

 三回転したところで小さく呻き、眼鏡を外しながら座り込む。


「なんか酔った。それに目が疲れるねコレ」

「ナルホド。微妙なタイムラグや残像が脳を混乱させるのですね」

「わかんないけど、でこポンはよく平気でかけてられるなー」

「造りが違いますから。無くてもだいたい見えますし」


 淡々と告げつつ、蜜柑は眼鏡とクリアファイルを交換した。


「提出期限ですけど、少し待ってもいいって先生は言ってましたですよ」

「そっか。でもそれに甘えちゃうと、後が大変そうだ」


 うーん、と悩みながら、須弥は携帯電話を取り出してスケジュールを確認し始めた。


「お役所行かなきゃだし、もう一日は休まないとだなー。ま、連休の予定なんか無かったからいっか……」

「スミさん」

「うん?」


 呼びかけられ、須弥が顔を向けると、蜜柑はじっと蛙の根付を見つめていた。


「そのストラップ、この間までなかったですよね」

「ああ、この蛙? これね、ばあちゃんが鞄に付けてた奴なんだ。良く見ると変な顔してるんよ」

「そ、そうですか」


 失礼極まりない小娘の発言に、蜜柑は曖昧な表情で相槌を打つばかり。

 携帯電話を戻した須弥は、それにしても、と話題を変える。


「ホント、よく飽きないね」

「少しずつ描き方変えてるんですケド、まだまだですね」

「そう? けっこう上手いと思うんだけどな」


 眼鏡をかけ直した蜜柑は、紙の上に鉛筆を走らせ始める。


「駄目駄目ですヨ。心のこもった絵って難しいです」

「絵が難しいってのには、私も同意するけど。これ、仕上げもするの?」

「部屋に戻ったらやる予定ですけど、画材が足りませんね。帰りに買い足さないとです」

「ゆざー屋さん?」


 そうですね、と首を動かさずに答える蜜柑に対して、須弥は頷いて立ち上がった。


「それじゃ、これ以上お邪魔しても何だから、そろそろ帰るね。ちゃんと食事とんなよー」

「はい、スミさん。グッナイ」

「ぐっなーい」


         †


 翌日。前の日に続いてからりと晴れた青空の下、須弥は再び吉祥寺へとやってきていた。


 閑静な住宅地の中、低い垣根の内側にひっそりと建つ古い日本家屋の門前で、天池須弥は立ち止まった。入り口の引き戸には草花の模様と店の名前が入った()硝子(ガラス)が入っていて、彼女の目的地がこの場所であることが判別できる。

 敷地に入り、敷石の上を歩いて入り口まで辿り着く。須弥の手がかけられた引き戸は、がたりと音をたてただけで動かなかった。

 手を降ろし「留守かな」と呟いて、呼び鈴でも無いかと周囲を見回す。足元に落ちていた紙に気付いて、彼女はそれを拾い上げた。


「仕入れのため、四月二十九日まで休みます。って、今日までか」


 四隅に付いた粘着テープを見るに、引き戸に貼られていたものが剥がれて落ちたのだろう。そう推測した須弥が紙の処遇に悩んでいると、引き戸の先、建物の中からどたどたと物音が聞こえてきた。磨り硝子の向こう側にうっすらと現れた人影が、良く通る声で問いかけを発した。


「蓮さん? こないな場所まで珍しい。何ぞ急用でも?」


 年期を感じさせる男の声に対して、留守だと思っていた彼女は慌てて返答しようとしたものの。


「えっとですね、その」

「ああ、ちょい待ち。緊急事態なら中で話しましょ。いま開けますよって」


 間違いを訂正する間もあればこそ。螺子(ねじ)式の古い錠前が回し外され、慌ただしく戸が開かれる。

 顔を出したのは、部屋着に半纏姿の痩せた中年男性だった。右手で白髪混じりの頭を掻き、左手で丸眼鏡の位置を直しながら、店主は須弥と目を合わせた。

 無精髭の生えた口元が、何かを話そうとした状態のまま固まる。その視線が須弥の足元から顔まで往復してから、ようやく彼は口を動かし始めた。


「いやあ、蓮さん、ちょっと見ないうちに随分と。新しい義体(フィギュア)、いや、若返りやろか? なんや、地球の技術もなかなか……」


 左手を顎に当ててぶつぶつと呟き始めた店主に対して、須弥は首を横に振る。


「あの。天池蓮あまちれんは、三日前に亡くなりました。私は孫の須弥ですけど」

「……なんやて」


 冴えない店主は再び動きを止め、呆けた表情で須弥と顔を合わせたのだった。


         †


 古い引き戸から店の中に入ると、そこは薄暗い土間になっていた。八畳ほどの広さの店内には、バラエティ番組で「この道具の使い方は?」という字幕(テロップ)と共に出てきそうな年代物の代物ばかりが雑然と並んでいる。


「手動式の洗濯機に扇風機、こっちは……何だろう」

「ハエ取り機ですな」


 店のあちこちに視線を彷徨わせる須弥の独り言に、店主は解説を加えた。須弥は慌てて姿勢を正し、彼に向って疑問を投げかける。


「かなり古い物ばかりですけど、代々この店やってるとかですか」

「いえいえ、そんな。私が初代ですよって」


 彼は話しながら古い品々の間を通り抜け、須弥を先導して帳場に上がる。客間らしき座敷へと須弥を案内して姿を消した店主は、しばらくして湯呑みとお茶菓子を盆に乗せて戻ってきた。


「改めまして、店主の(かがり)と申します。この度は御愁傷さまで。葬式に顔も出せんと、痛恨の極みですわ」


 小さな机の上に盆を置き、「どうぞ」と須弥に湯呑みを勧める。


「ついさっきこっちに戻ってきてましてな。荷物を片付けていたら、表から蓮さんの反応がしよったもんで」

「はあ。反応、ですか」


 彼は、須弥の鞄のポケットからぶら下がっている根付を指し示した。


「正確にはその蛙の反応ですな。店の近くに来ると呼び出し(コール)が入るんですわ」

「お得意様の証明書、みたいな?」

「まあ、そないな感じで。ひとまずその辺りから説明せんとあきませんな」


 熱い煎茶を飲んで一息つくと、篝はゆっくり言葉を選びながら話し始めた。


天池(あまち)の長屋、今はアパート、ちゅうんでしたかね。そこの住人について、蓮さんから何か聞いてはります?」

「たしか、羽州(ウシュー)の方の人たちだとか。篝さんもそうなんですか」

「ええ。私ら宇宙人なんですがね」


 そもそもの根本から認識が異なっていることに気付かないまま、篝は頷いた。手に持った湯呑みを揺らしつつ「それでですな」と話を続ける。


「蓮さんには、私らの『相談役』をやってもろてたんですわ」

「相談役?」

「ええ。こっちに来る前にきっちりしっかり予習するんですけどな、私らの常識と違う部分が多いもんで。問題が起きたとき、それが大事になるまえに現地の人に話を持って行くわけですわ」

「なんだか、大変そうな感じですね」

「いうても大概は悩み相談くらいの話で、せいぜい月にいちど声がかかる程度ですけどね。しかし、蓮さんは自分からあちこち首突っ込んどりましたからな。ああ、そうそう。大変といえば……」


 しみじみと呟く篝がそのまま長い昔話を始めようとしたところで、それを阻止するべく鈴を鳴らす。手でも当たったかと視線を落とした須弥の向かいで、篝が溜め息をついた。


「……先に本題を、ちゅうことかいな。まったくお堅いことで」


 元々困ったような顔に、さらに少しばかり深刻そうな表情を浮かべて、彼は湯呑みを置いた。


「たしか須弥さん、でしたな」

「はい」

「その根付ですけど、私から蓮さんに渡した相談役の証みたいなもんなんでして。このままやと、須弥さんにいろいろ話が、相談事が行ってしまうわけなんですわ」

「ああ……えっと、どうにかするべきですか」

「須弥さん次第ですな。相談役を引き継ぐのが無理となると……証を返してもろて、別の人を探さなあきません」


 腕を組み、わずかに首を傾げて思案し始めた篝に、須弥は質問を投げかける。


「この根付、結構価値があるものなんですか」

「や、所有者の健康状態を監視したり行動記録を取ったりするくらいで、機能自体は大したモンやあらへんのですけど。この地域に新しくもう一体となると、許可が下りるかどうか、ちょっと」


 須弥にとっては祖母の形見である根付を取り上げるのは忍びない、そういった面持ちで篝は告げる。

 それに答えようと須弥が口を開きかけたとき、店の引き戸が勢いよく開かれる音が、座敷にまで聞こえてきた。


「ああ、しもた。張り紙を戻すの忘れとりましたな。須弥さんはちょっと待っとってください」


 そう言った篝が腰を上げるよりも早く、店内を横切る大きな足音が近づいてきた。


「カカ=リ、戻ってるか? ちょっとばかりマズいことになった」


 大声と共に(ふすま)を開け、顔を出したのは、須弥が良く知る茶髪の青年だった。

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