雪道の自己紹介と、陽気な商人
馬車の中は、思ったよりも静かだった。
車輪が雪を踏みしめる音と、馬の鼻息だけが一定のリズムで続いている。
私は毛布にくるまりながら、向かいに座る男をちらりと見た。
――助けてもらったのは事実。
でも、知らない大人と二人きりという状況に、警戒心が完全に消えたわけじゃない。
「……あの」
先に声を出したのは、私だった。
「改めて、ありがとうございます。森で……助けていただいて」
「ん? ああ、いいっていいって」
男はあっさり手を振った。
「俺はロジャー。どこにでもいる、ちょっとおしゃべりな商人さ」
「ちょっと、ですか」
「おいおい、そこは否定しないでくれよ」
ははは、と豪快に笑う。
警戒心より先に、調子を狂わされるタイプだ。
「……私は、水瀬レイです」
「ミナセ……レイ?」
ロジャーは一瞬だけ首をかしげ、それからにやっと笑った。
「よし、覚えた。レイちゃんだな!」
「……ちゃん付けは、必要ですか?」
「必要だな!」
即答だった。
「若い子はちゃん付けって決まってるんだ。ほら、場も和むだろ?」
「……和ませる必要、あります?」
「あるある。雪国じゃ特にな」
私は小さくため息をついた。
否定しても無駄だと、理性が判断している。
「……好きに呼んでください」
「よし!」
即成立。早すぎる。
少し間が空いて、私は周囲を見回した。
馬車には食料袋、木箱、布の束。すべてが実用一点張りだ。
「商人……なんですよね」
「お、観察力あるな」
「積載効率がいいですし、嗜好品が少ない。定期的に往復しているタイプかと」
「ははっ、学者みたいな言い方するなあ」
ロジャーは楽しそうに笑った。
「まあ当たりだ。俺は中央都市と地方をつなぐ行商人だよ」
「中央都市……」
自然と、その言葉を繰り返す。
「この国の中心だ。商業で成り立ってる公国でな。
自然環境は厳しいが、金の流れは止まらない」
「……物流がある限り、都市は生き残りますから」
「おお、分かってるじゃないか!」
また、にやり。
「レイちゃん、頭いいな?」
「……普通です」
即答したものの、否定しきれない自分が少しだけ悔しい。
馬車は雪道を進む。
森は次第に開け、道はしっかり踏み固められていった。
「この辺りは、まだ未開拓なんですか?」
「そうだな。雪が深いし、農業に向かないと思われてる」
――“思われてる”。
その言い方に、私は小さく眉を動かした。
「……土壌と水次第、だと思いますけど」
「ほう?」
「雪解け水は安定した水源になりますし、寒冷地向けの作物もあります」
言ってから、はっとする。
――あ、喋りすぎた。
「……いえ、独り言です」
「いやいや、面白いこと言うなあ」
ロジャーは感心したようにうなずいた。
「大抵のやつは『寒い』『何も育たない』で終わりだ」
「……それ、思考停止です」
「おっと、辛口だ!」
私は視線を逸らした。
「……別に、否定してるわけじゃ」
「分かってる分かってる」
ロジャーは、からかうように笑う。
そのとき、ふと聞かれた。
「レイちゃん、魔法は?」
胸が、少しだけ跳ねた。
「……使えます。たぶん」
「たぶん?」
「詳しくないので」
嘘ではない。
私は理系だけど、魔法については素人だ。
「属性は?」
「……氷、です」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、ロジャーは肩をすくめた。
「地味だな」
「……ですよね」
少し、悔しい。
「でもまあ、雪国じゃ無駄にはならん」
「……そう思います」
私の声は、ほんの少しだけ強くなった。
やがて、視界の先に巨大な影が現れる。
「お、見えてきたぞ」
私は思わず息をのんだ。
高い城壁。
重厚な石の門。
雪に覆われながらも、人と物の流れが絶えない。
「――中央都市」
ロジャーの声には、誇らしさがあった。
「ここからが本番だ、レイちゃん」
「……はい」
未開の雪国から、文明の中心へ。
目まぐるしく変わり続ける状況に、私の胸は期待、不安、様々な感情が入り混じっていた。
それでも、ここが私の異世界生活の真のスタート地点になることを願おう。




