夏の午後
夏はやけに蒸し暑くて、魂ごと蒸発してしまいそうな気がする。ミーンミーンと鳴る蝉の音と、車の走行音が鮮明だ。
八月のお盆を含んだ二週間、まさるさんは避暑地で休暇を取るので本屋バイトもお休みだ。
夏休みの宿題を済ませると、もうやることがない。公園に行こうにも、熱中症警戒報が出ているこの日に行くのは、あまりに自殺行為だ。
遠足のCDでも見ようかと思ったけど、部屋にいるのも辛くて、結局外に逃げ出した。少しの間なら大丈夫だろうと過信して。
本当に少しの間なら、炎天下でも歩けたけど、三十分も経ったら流石に歩くのも億劫になってきた。
知らない学校の前に置いてあるベンチに座る。ちょうど真上が木陰になっていて、日光が遮られて気持ちいい。
「なんだ、お前か」
声がして横を向くと、なぜか及川圭司がいた。
そしてなぜか隣に座った。
及川圭司が呟く。
「暑いな」
ぼくはそれに当たり前の返事をする。
「そうだね」
それ以降沈黙が続いた。
ミーンミーンと蝉の鳴き声がした。
汗が額を伝って、喉ぼとけまで落ちていった。
木陰から零れる光は、一閃一閃強烈だった。
及川圭司がこちらを見て笑った。なんのてらいもない、無邪気な笑顔のように見えた。
首を傾げて、及川圭司はぼくに質問する。
「いつも散歩してんの?」
「いつもじゃないけど、他にやることもないから」
「そうか」
ぼくの言葉に一つ頷くと、ペットボトルのお茶を差し出してきた。
「飲みかけで悪いけど、なんか飲まないと死ぬから」
ありがとうと言って、ぬるくなったお茶を一口飲んだ。自覚はなかったけど、喉は渇いていたようで、ひどく美味しく感じた。ありがとうと言って、ペットボトルを返した。
「なあ、お前さ。なんであの本屋でバイトしてんの」
少し俯いて、及川圭司が言った。
「俺と違って、金に困っているわけでもないのに」
何て答えようか迷った。当たり障りのないことでも言えばそれでいいんだろうけど、嘘はつきたくなかった。自分の心さえ、上手く分からないけど。
「お金には困ってないよ。衣食住にも。このバイトを始めたのは、親に紹介されたから。でもその前から、社会には馴染めてないんだ。いじめられたとかじゃないけど。それで親が、少しずつリハビリさせようとしてるんだ」
「じゃあなんだ。親のためにバイトしているのか」
首を横に振った。
「最初はそうかもしれないけど、今は違う」
「どう違うんだ」
その言葉に、あまり答えたくなかったけど、ぼくを見つめる彼の瞳があまりに鮮烈で、口を開くしかなかった。
「何かやることがあるのは、今のぼくにとってはいいことなんだ。その時だけ、息が出来るような気がする」
及川圭司は、ぬるくなったペットボトルのお茶を飲み干した。そして、ペットボトルのお茶を凝視したまま言った。
「簡単には言えないけど、分かるよ。今の心ごと、忘れてしまいたい」
二人して手を凝視したまま、黙って空間を咀嚼した。
及川圭司もそうなのだろうか。今の心を忘れたい。確かにそうだ。
どんな種類の心かは置いておくとして、ぼくたちは忘れたい。
それは現実逃避と言うのかもしれないけど、不穏の塊がずっとぼくの背後をついて回る。
及川圭司もそうなのだろうか。
おもむろに立って、夏の陽射しの中を歩いた。及川圭司もそれに続いた。
そのまま三十分ばかり、二人してアスファルトの道を歩いた。




