喪われた春
あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。
ゆうすけ、まゆ、あさひ、どうして死んだの?
酷い夢を見た。寝汗をびっしょり掻いて気持ち悪かった。息が荒く、喉が渇き、それでもだるくてベッドにうつ伏せの姿勢でいた。
最後に見た幼馴染たちの顔は恐怖で歪んでいた。体は戦慄き、叫ぶ手前の口元をしていた。実際に見たわけじゃない。でもそうだろう。そうだろうと確信している。
幼馴染たちは民族浄化派の過激派に殺された。
まだ十才だった。遠足で頭のおかしい武装団の無差別攻撃に巻き込まれて死んだ。
ぼくはその時、ちょうど熱が出て遠足には行けなかった。
記憶の底で、酷く痛ましげな表情で知らせを読み上げるニュースキャスターを、ぼんやり見ていたのを思い出す。母さんが電話口で悲鳴を少し上げ、泣き啜り、父さんがそれを支えていた。
あっというまに葬式で、被害者一同の合同葬式だった。あちこちで子どもの顔写真を抱えた人が立っていて、全ての感情を落としてしまったかのように下を向いていた。
初めての葬式は幼馴染たちの死に化粧だった。
それからは全ての時間が静かで、仄暗かった。
よくお互いの家で遊びあっていたゆうすけの、あのタバコの匂いが染みた家にもう行くことない。
まゆが毎月楽しみにしていた漫画雑誌を一緒に買いに行くこともない。
あさひの、始めたばかりにしてはやけに上手かったテクニカルなサッカーを見ることも。
もう全部、全部ないのだ。
涙を出したかった。でも出なかった。そんなことより、人生で大事な人を失ったことの絶望が大きかった。
涙が出たらきっと、立ち直れただろうか。分からない。でも今よりはましだ。そんな気がする。
立ち直れないし、立ち直る気もしないまま、そろそろと獣のように歩んだ。
まるで喪に服すように。喪に服すにはあまりにも未熟で腐った生き様だが。
ああ、何も考えたくない。寝たい、寝たい、寝たい、寝たい。
ふと、親が運動会でカメラを掲げ、頭を撫でてくれたことを思い出す。
こういうとき、泣けたらと思う。泣けたら、寝て、そしてまた、まゆとゆうすけとあさひに会いたい。
あの大きく笑う口元たちを見たい。
アルバム、夏休みに一緒に作った工作、運動会の動画、授業参観のときにグループワークで使った模造紙。
物置の一室はぼくだけの弔いにも似た、でも違う何かの集合物で溢れている。
月命日の十五日に毎月お墓に訪れるせいで、住職さんともすっかり顔なじみになった。
手を合わせながら思っている。いつも、いつも、思っている。
叫びに似た衝動をどこに追いやれたら、この辛さは昇華されるだろう。
でもいいんだ。これでいいんだ。
この辛さだけが、ぼくができる彼らへの最大の弔い花だから。




