1:新たな1日のはじまり
「おはようございます、お嬢さ……おっ、お嬢様!?」
いつも通りに私を起こしにきた侍女のミラが、素っ頓狂な声を上げた。
彼女が驚いている理由なら、聞かなくても分かる。足だけをかろうじてベッドに残しつつ、上半身仰向けの状態で床に落ちている私が、メソメソ泣いている姿を目にしたからだろう。
「大丈夫でございますか!? お怪我をなさっているかもしれませんから、すぐにお医者様を」
「いい、いいの。どこも痛くないから」
大きく息をついて、体を起こす。……が、朝一番、起きたてで全身の感覚が鈍っているせいかうまく動けない。
しばらく体をモソモソ捩ったり、手足をゆっくりパタ……パタ……と動かしたりしてみたけれど、姿勢は全く変わらず。
「……差し出がましいかもしれませんが、一つご提案を」
「ええ」
「起こすお手伝いをしとうございますが、いかがでしょうか」
「ええ、是非」
ミラに体を引っ張ってもらい、私はようやく逆さまの世界から戻ることができた。
「怖い夢でもご覧になったのですか?」
「……どうして?」
「その……ものすごい体勢で泣いていらしたから。相当なショックを受けるほどのことがあったのではないかと心配で」
相当なショックなら、確かに受けていた。夢であればどれだけ良かったか、そう思うほどに私は結婚後にひどい生活を送っていたのだ。
私の髪を梳くミラと鏡の中で目が合い、私は首を傾げて曖昧に微笑んだ。
「大丈夫よ、ミラ。だって私、こうしてちゃんと生きているもの」
「生死に関わるような夢をご覧になったのですか!? ……それならベッドから転がり落ちていたのも、泣いていらしたのも納得です」
よくぞご無事で、そう付け加えながら眉を寄せ、髪を整えていく。その手つきをぼんやり眺めながら、そう言えば昔はよく髪を巻いていたな、とか、気分によっては、ミルクティー色の髪の流れがきれいに見えるハーフアップにしていたな、なんて考えていた。
自分を着飾ることなど、あの男は許してくれなかった。低い位置でシンプルにまとめただけの髪型に、肌をできるだけ隠すようなデザインの服。アクセサリーなんてもってのほかで、結婚指輪を着ける以外は小さな髪飾りだって認めてはくれなかった。
「ねえ、ちょっと首元が見えすぎてやしないかい?」
「これ以上詰襟の長さを伸ばすと、私のあご下に食い込んでしまいますよ」
「いや、それでもさ!」
「ご容赦ください。上からケープを羽織り、大きなボンネットも被りますから」
「……それだとちょっと不恰好なんだよね」
「それなら、襟元にレースを詰め込んでみましょうか」
「サーカスのピエロみたいになってしまうじゃないか。却下」
ではどうしろと。
そう言いかけて言葉を飲み込んだあの時の私は、一体どんな表情をしていただろう。あんなに色々と我慢をして大事なものを守ってきたのに、結局私は何もかもを失って――
「……あれ」
大事なもの、その言葉が私の琴線に触れる。そう、私にはとても大事なものがあったはず。それを取り戻すために、あの声に従ってこうして自分の人生をやり直すことにしたのだけれど。
「どうかなさいましたか?」
「うん、何か……私、重要なことを忘れてしまっているようで」
「重要なこと? んん、何でしょう……。まさか、今日のお約束のことではございませんよね」
「違うの。もっとこう、私の人生における重大要素、というか」
……うん? 今日のお約束?
「ねえミラ。私、今日はどなたかとお約束をしているの?」
「っ……!?」
私の質問を受けて、ミラが声にならない声を上げてブラシを取り落とした。




