6:思わぬ伏兵
「えっ、今すぐ向かうのですか?」
「当たり前です。カナッペをのんびりつまんでお喋りをするなど、意味のない時間を過ごしていても仕方がないですから」
「意味がないって……そんな、身もふたもない」
「ここに通したことが無意味だと申しているわけではありませんよ。あなたも既にお分かりのはずでしょう、ここがただの待機場所ではないということを」
ジャンの言葉に、小さくうなずく。やっぱりそうだ。この部屋での過ごし方も査定に含まれているのでは、という私の勘はしっかり当たっていたらしい。
食事の際の振る舞いを見せるために何か口にするべきか、それとも得体のしれないものにはおいそれと手に付けないという、警戒心の高さを見せるべきかが分からず悩んでいたけれど、面談ルートが確定したいま、もうそのことを考える必要はなくなった。
だから、どちらが正解かなんて知る必要がないことは分かっている。分かってはいるけれど。
「あの、ジャン。ちなみに、なんだけれども」
「いちおう極秘事項となっておりますので、答えはお教えできません」
私の思いは、きっちり見透かされていたようだ。
答えがあるものをうやむやのまま放置するのは座りが悪い、なんてもやもやしながら、ドアの方へ向かうジャンに付いて歩く。
「ジャン。ねえ、やっぱり」
「教えません。あとその呼び方、いまはおやめください」
「……まだ部屋の外に出ていないのに?」
「出ていなくても、ドアは開いております。それに……聞こえるでしょう。誰か来ます」
眉間にしわを寄せながら、外を覗き込むジャン。私もその傍らから少しだけ顔を出す。と、女性の激しい声が重なって響いているのが聞こえた。
「……ケンカでしょうか」
「いえ、違いますね。ちょっと面倒なことになっているようです」
ジャンは頭をふり、ため息をこぼした。
「やはり少しここでお待ちください。問題を片付けてから――」
「お待ちください! 城内を勝手にうろつかれては困ります!」
「酔い覚ましですよ、酔い覚まし~」
静かさを保とうとしながらも強く咎める声と、楽しそうな笑い交じりの声。喧騒はひときわ大きくなり、衣擦れの音まで聞こえたと思った瞬間、曲がり角の向こう側から大きく膨らんだドレスのスカート部分が見えた。
「はー、あっつい! ねえ、この窓は開けてもよいのかしら?」
「いけません! ……あっ、こら! だめですってば!」
どこかで見たことのある色合いだ。今朝、いや、昨日の午後だっただろうか。ものすごく嫌な感情を湧き上がらせるそのベビーピンクに、思わず顔をしかめる。
「クレマンス嬢、お部屋にお戻りくだ……何ですか、そのお顔は」
「あ、すみません。ちょっと思い出したくないことを思い出してしまって」
「……まあいいです、とにかく部屋の奥へ。巻き込まれると面倒なことに」
「あー!」
ジャンが私を奥へ押し込もうとしたその矢先、妙に嬉しそうな声が上がった。小さな子が面白いものを見つけた時に出すような、高揚感あふれる甲高い声。それが私たちの方に向けられていることは明らかで、面倒からの回避が間に合わなかったことを悟ったらしいジャンは、先ほどよりもさらに深いため息をついた。
「あなたもお見合いに来たお方!? てっきり私だけだと思っていたのに、まさか本当に……きゃっ!」
彼女がその場に崩れ落ちる姿を見た瞬間、私はジャンの制止を振り切って部屋を飛び出してしまった。面談確約、という背景がなければ、こんな風に優雅さの欠片もない所作で彼女の元に駆け付け、助け起こすことはしなかっただろう。
そしてこの行動がなければ、私は彼女と再会することはなかったのかもしれない。
「だ、大丈夫ですか?」
鏡面のごとく磨き上げられた大理石の廊下を転ばずに、しかもあのスピードで疾走できたのは我ながらすごいと思いつつ、手を差し伸べる。
「ふふっ! ええ、大丈夫ですわ。シャンパンがおいしいからって、調子に乗って飲み過ぎたばちが当たったのでしょうね」
楽しそうな声でそう言いながら、その女性がこちらを見上げた。
「あら、まあ……クレマンス様ではございませんか」
絹糸のように艶やかな黒髪に、神秘的な薄いグレーの瞳。先ほどのはしゃぎっぷりからは想像もつかないほどの清楚な美しさを湛えたこの人は、私のことを知っているらしい。
「奇遇ですわね、こんなところでお会いするなんて。先日お屋敷に伺った時はご不在でいらしたから、こんな形でも今日こうしてお顔を合わせることができてよかったですわ」
そう言えば、ジュリアンとの懇親会に臨んだ日、母から誰かが私を訪ねてきたと聞いた覚えがある。用事のついでらしかったし、不在時に置いていくあいさつ代わりのカードもなかったから、あまり気には留めていなかったけれど。
「お久しぶりです……と申し上げた方がよろしいかしら。あ、と言うよりそもそも、私のことは覚えておいでですか?」
あの時は、こんな可愛らしいフリルがたっぷりあしらわれたものではなく、体に負担の少なそうな柔らかな素材のドレスを着ていた。髪も今日みたいにきっちりまとめ上げずに、自然に肩から背中へと下ろしていたはず。
あの日、公爵邸にジュリアンに肩を抱かれながらやってきた当時の装いや雰囲気とは程遠いけれど、私はちゃんと彼女のことを覚えていた。
「セレスティーヌ、様……?」
尋ねるような口調になりつつも、心の中では確信していた。
この人は、セレスティーヌ。私のように捨て置かれた第一夫人ではなく、ジュリアンから順当に愛された第二夫人だった人だ、と。
私が差し出した手を取り、にっこり微笑むと、セレスティーヌはゆっくりと立ち上がった。




