4:木を渡る少年兵
通されたこの控室も、階段や回廊と同じように訪れた人間を一切甘やかさない造りになっていると思っていたけれど、意外にも過ごしやすい環境に整えられていた。
ジグザグを描くようにデザインされた寄木細工の床の上には、細かな花模様が織り込まれた絨毯が敷いてあり、深い緑のドレープカーテンがかかっていることも相まって、自然の風景の中にいるような気持ちにさせてくれる。座面の厚いソファはカウチタイプと一人掛けのものがあり、そのどちらにもシルク素材のカバーをかけたクッションが置かれていて、歩き疲れた足をゆっくりと休めることができそうだ。
また、ローテーブルの上にはチーズの盛り合わせやカナッペ、一口サイズの焼き菓子が乗ったプレートが置かれ、その隣にある白磁製のクーラーバケツからは、シャンパンのボトルが頭を覗かせていたりして、心身ともに癒される空間となっている。
滑りやすい床に、上りづらい階段、従者からの謎のプレッシャー。客人に対してあれだけ厳しい応対をしておきながらの、この落差だ。ぜったいに何か裏があるはず、そう思い私は慎重に室内を見渡した。
「お待ちいただく間の退屈しのぎとお思い下さい。どれでもお好きなものを、お好きなだけ召し上がっていただいて結構です」
私の警戒心むき出しの態度に気付いたのか、従者がそう言って用意された饗応を指し示す。
そんな甘言に乗せられはしないと、警戒を解かない意志を心の中でしっかりと固めながら、
「お心遣いに感謝いたします」
そう答えると、従者は黙って私を凝視し始めた。
まただ。そう思いながら、こちらも負けじと見つめ返す。
この宮殿に足を踏み入れた瞬間から、なんとなく勘づいていた。この従者は私のことを見定めようとしている、と。あの階段を上っている時も、その時にしたやり取りも、回廊を歩いてこの部屋までやってきた、いまの瞬間も。
貴族令嬢の発言、挙動一つひとつは人々から注目を集めるものであり、私自身がその立場にある人間だということは自覚しているから、こうして不躾に向けられる視線というものには慣れているつもりだ。
でも、この人は何かが違う。
好意や嫌悪といった、人間らしい心模様は一切見えてこない。ただただ私を見ている、この距離感で、この表情で。
もしかしたら私のことを、その辺に転がっている石と同等に見ているのではないかと、割と本気で思ってしまうほどにその瞳は無機質で――
「どう振る舞うのが、正しいのか」
話し出す前の予備動作もなく、急に口を開いたことに驚いた私は、肩をびくりと跳ね上げさせた。
「すでに査定は始まっている。わたくしの質問にどう答えれば、王太子殿下とのお顔合わせに結び付けられるか。あなたは先ほどから、そのようなことばかり考えていらっしゃるようですね」
「え……」
「どこにどんな罠が仕掛けられているのか分からないから、こちらが善意で準備したもてなしに素直にお手を付けられない。あなたは間違えない、そう評価したわたくしの言葉も額面通りに受け取れない。違いますか?」
淡々とした口調でそう尋ねられて、奥歯をぎゅっと噛みしめる。その問いに対して私ができる返答としては、”是”以外のものはない。でも……
「相手の機微を読み取ることに自信を持っておられる方ほど、そのように怯えた目でわたくしをご覧になります。自分はあちらに心情を読み取られているのに、あちらのことはまるで分からない、という状況が恐怖心を煽るのだとか」
このやり取りが第一関門という位置づけであるなら、正しい答えを返す必要がある。なのに、畳みかけるように継ぎ足されたその言葉の通り、私はいまこの人に怯えてしまっている。
交渉の場においてご法度なのは、相手のペースに飲まれることだと父は言っていた。ただの従者との会話でさえこんな風に主導権を握られてしまうような私が、果たして本番の交渉でイニシアチブを取ることなんてできるのだろうか。
そんな余計な不安まで湧き上がり、私の唇はますます凍り付いたように動かなくなった。
このままでは、せっかく掴んだ起死回生のチャンスをふいにしてしまうかもしれない。
あなたなんて怖くない、虚栄でもいいからそう言うべきか。それともここは正直になって、弱さを認めるべきか。鞭を振るう手と手綱をうしろへ引く手、どちらを動かすかを悩んだ結果、私が選んだのは全く別の手段だった。
「わ、私……」
かすれた声を整え、しっかりと背筋を伸ばして。こんなところでつまずくわけにはいかない、その一心で前を見据える。
「あなた様のおっしゃる通りです。きっと間違わないというあのお言葉は”間違えるな”という圧をかけていると感じたし、そのおもてなしにも何か仕掛けをしているのではと、いまも疑っております」
「ふむ、お認めになる……と。そのルートが正しいとお考えに?」
「正しいとご判断いただけるかどうか、ではございませんわ。私がこの選択を正しいものにするのです」
大きく息を吸い込む。コルセットをいつも通りに強く締めないでおいて良かった、頭の片隅でそんなことを考えながら、心を淀ませる不安も息と一緒に吐き出す。
「失敗すれば、ヴェルレー家は地の底へと凋落するかもしれない。それくらいに重要な使命を負って今日、私はこの宮殿へと馳せ参じました」
私の言葉を受けて、従者の眉がこれまでで一番の可動域を見せた。
ただの定期イベントと化している王太子とのお見合いに、ここまで重きを置いている令嬢が過去いただろうか。そこまで固執する理由は何なのか。
そういった疑問、私に対するある種の興味。ここまで不動を保ってきた彼の表情から、そんな心の動きを捉えた気がした私は、このまま押し切るしかないと覚悟を決めて一歩前へと進み出た。
「案内を通してご令嬢方を査定することを任されるほど、あなた様は王太子殿下から信頼を寄せられていらっしゃるのですよね」
「まあ……そこまで大層なことではないと思いますが」
「私からすれば大層なことですわ。ですから、まずあなた様に私の手の内をお見せします。その上でご判断を頂き、できれば王太子殿下に会わせて頂きとうございます」
かつて広葉樹が立ち並んでいたオー・デ・フイユ広場は、王城を落とすための最初の難関だったという。せまい木々の間で剣を振るうことに長けた国王軍に真正面から挑み、革命軍はことごとく撃退させられていたそうだ。
そんな国王軍を打ち破ったのは、革命軍の猛者ではなく、身軽な少年弓兵たちだった。
木を登って枝から枝へと渡り、地上で戦う国王軍の兵士を矢で射抜く。剣での接近戦が主だった当時、革命軍の中ではほぼ無力だった彼らの活躍が歴史を変え、今のエルダーニア王国が確立されたのだ。
未熟な私に選べるほどの戦術はないし、真っ向勝負で撃破できるほどの力もない。私にできるのは、木を登った少年兵たちのように、これまでにないまったく新しいルートを切り開くことくらいだった。
この一縷の望みに掛けるしかない。そんな思いで、私は口を開いた。




