3:光の回廊
「この扉から北の翼棟に入りますが、国王陛下、ならびに王太子殿下が住まう棟でございますので、無闇な振る舞いはなさらないようお気を付けください」
「ええ。粗相のないよう、気品ある所作を心がけます」
扉の前で立ち止まったところで、従者から忠告を受けた私は、わずかに緊張を高めながらも落ち着いてそう答えた。
塗料で色づけたものではない、自然が作り出した黒が美しい両開きの扉。表面にアカンサスの生い茂る様子がローレリーフで表現されているのは、王妃の居住棟である南の翼棟でもよく見かけたけれど、これほどの威圧感と格調高さはなかったように思う。優しく明るいマホガニーではなく、こちらは深い冷徹さを感じさせる黒檀を使用しているからだろうか。
そんな風に思いながら、従者がドアノブに手を掛ける様子を見守る。
荘厳さすら感じる古びたきしみ音を立てながら、扉がゆっくりと押し開けられていく。隙間から光芒が差し込んだ次の瞬間、私は思わず目を細めた。光の波が押し寄せてきたように感じたのだ。
黒い扉をずっと見つめていたせいで、光に眩んだのだろう。そう思いながら反射的にかざした手を下ろす。
徐々に明るさに慣れはじめた目で、開け放たれた扉の向こうの景色を見た私は、その場で立ち尽くしてしまった。
峻別の階段から引き続き、北の翼棟は南のように優しい絨毯は敷かれておらず、冷ややかな純白の大理石の廊下が長く続いている。その床面はまるで鏡のように磨き上げられており、バルコニーの窓から差し込む日光を反射する光景は、足を踏み入れることが躊躇されるほどに美しかった。
「ご気分が優れませんか?」
動かない私を振り返ってそう尋ねた従者に、私は慌てて首を横に振って答えた。
「申し訳ございません。その……光り輝く廊下があまりに美しくて、つい見とれておりました」
正直にそう弁明すると、従者はまた無表情のまま、私をじっと見つめた。
「……あの、」
「バルコニーから見える庭園や壁床の装飾を褒める方は多数おられましたが、この回廊をそのように賞賛なさったご令嬢は初めてです」
また何か気にいらないことでもあるのかと、食って掛かりそうになった口を慌てて閉じる。
「少し、変わった感性をお持ちなのですね」
褒められているのか、揶揄されているのか分からない。その表情は先ほどと比べてどことなく緩んでいるようにも見えるし、何一つ変わっていないようにも感じる。
ありがとうと言うべきか、それとも、失礼だと不快感を示すべきか。
マナーや振る舞いだけではない、感情やそれに連動する顔の動きまで徹底的に管理されているであろうこの人が、何を考えてどんな思いを私に抱いているのかが分からない以上、余計なことは言わない方がいいだろう。そう判断した私は微笑んでやや首を傾け、ただその言葉を受け流すに留めた。
「これは、ただの独り言とお思い下さい」
どれくらい歩いただろうか。高く澄んだ足音だけが響いていた静かな空間に、不意に従者の声が混じり、私は顔を上げた。
「クレマンス嬢とサントクロワ公爵とのお噂は、この宮廷にも聞こえてきております」
「……」
「それを因果とした疑いは、あなただけに留まらず、ヴェルレー伯爵家をも不利な立場に追い込むでしょう。あなたの言動、所作の一つ、どれを間違ってもきっかけになり得るのです」
真意を探ろうとしてその後ろ姿を見つめるけれど、こちらに意識を向ける様子はない。きっと何を尋ねても答えてくれないだろうという予感が、私の口をつぐませる。
「繰り返しますが、これは独り言であり、大した意味はございません。ただ……」
足音が止まる。彼の歩みをなぞっていた私も、それに連動して立ち止まる。窓の外、かなりの遠方からかすかに聞こえる衛兵たちの号令をかき消すように、目の前の扉が音を立てて開かれた。
「あなたはきっと、間違わない。そう思います」




