7:汝、宿願成就を欲さば 戦への備えをせよ(2)
燭台の灯りに照らされて、衣裳部屋に散乱する色とりどりのレースやシルクが煌めく。
ねえかわいいでしょう、きれいでしょう。さあどうぞ、私を選んで。
そんな小鳥のさえずりのような甘い囁きが聞こえてきそうなこの空間で、私と母は必死の形相で衣擦れの音をかき分けていた。
「ねえ、白はダメなのよね?」
「ええと……そうですね。なぜダメなのかは思い出せませんが」
「白は相手に染まる色だからだ。心意気の清廉さは主張できるが、簡素で従順な印象を与えてしまうだろう」
「そう、そうだったわ」
「交渉の場において重要なのは、底知れない強さと狡猾さを感じさせることだからね。潔癖さを見せるより、腹に一物を抱えているかもと疑われる方がずっといい結果を得られる」
そうやって助言をくれる父の声も、どことなく疲れが見え隠れしている。
もう日が変わろうかという深夜になってもまだ、これといったドレスは決まっておらず、父だけではなく私も母も、なかなか進行しない現状に辟易し始めていた。
ライバルとなるであろうご令嬢方を蹴散らし、できる限り地位の高い男性に見初めてもらう目的であれば、今こうして手に取った愛らしいリボンとレースのドレスで充分役割を果たせるだろう。でも今回私が戦うのはご令嬢ではなく、鉄壁のディフェンス力を誇るグリフォンだ。そして見初められるべき、というか、政治的に心を掴まなくてはいけない相手というのが、単なる高位の人間ではなく王太子なのである。
いかに美しく豪華に自分を飾れるか、という本来の選定基準で選んだドレスしか持ち合わせていない私たちに、そもそも選択肢というものは存在しておらず。
「お母様、見てくださいなこのフリルの量。愛らしさがたっぷり詰まっていて、ちっとも交渉の場にふさわしくないデザインですわ」
「本当に! いったい誰がこんな甘ったるい意匠のものを選んだのかしら」
「私が気に入って購入してもらったんです」
「ああ、もう……シィが愛らしいせいで、ドレスも愛らしいものばかり集まってきてしまうのね。困ったものだわ」
私たちはいつの間にか、強いドレスを選ぶ、という本来の目的を脇において、デザインにケチをつけるという行為に走り始めていた。
「このカナリアイエローはとても理想的な色味なのに、どうしてこんなにレースがヒラヒラしているのかしら」
「情熱的な赤も素敵ですよね。でもこの白糸によるバラの刺繍には、なんだか苛立ちを覚えます」
「あら、どうしてでしょうね? 日中のお見合いだと分かっているくせにベビーピンクのイブニングドレスを寄越してきた、あの男を思い出すからかしら」
いいドレスも打開策も見つからない。残り時間の少なさに焦りを覚えているのに、現実逃避するために時間を使うというこの矛盾した行動を正したのは、不意に部屋に響いたノック音だった。
「……大混乱の中を失礼いたします。奥様、こちらのお召し物を発掘したのですが」
衣裳部屋を訪れたのはローゼで、腕に青い布らしきものを掛けている。母は手に取っていたドレスをその場に置き、ローゼの元へ向かった。
「ローゼ、あなた……これを一体どこで」
「奥様のお気に入りボックスの最奥で見つけました。桐の箱の中に、保管用のシルクの布に包まれた状態で丁寧にしまわれておりましたので、保存状態はかなり良いかと」
ローゼが簡易的にトルソーに着せたそのドレスを見た私は、胸の高鳴りを抑えきれずに思わずため息をこぼした。
金のボタンが前あき部分に並ぶ、まるでジャケットのような形の詰襟の上衣。襟口は金糸で覆うように縫い取りがされており、そこから胸元へ流れるように、植物のツルを模した刺繍が施されている。同じようなデザインの刺繍は、袖口とスカートの裾に沿うようにも並んでいて、いっそ紳士的な形にすら見えてしまうそのドレスに女性的な風合いを演出していた。
重厚なドレープも甘さの強いフリルもなく、優雅なレースさえあしらわれていない。
他のものと比べても明らかに物静かなのに、圧倒的な存在感を放つその青いツーピースドレスは、父が母に初めて贈ったドレスらしかった。
「私、これを贈られた時にエルネストにひどいことを言ってしまったの。流行りのワンピースではないし、スカートは足首までの長さだし、何より大きく広がらないし、ドレス選びのセンスがまったくなっていないって」
「凛とした君によく似合うと思って選んだんだけれどね。ばっさり切り捨てられたお陰で、ドレス選びに関してすっかり自信をなくしてしまった。だが……今までこうして大切にとっておいてくれていたなんて、素直に嬉しいよ」
「まあ……デザインは好きになれなかったけれど、色はすごく気に入っていたから。それに、実は着心地もとても良かったのよね」
母はそう言って父と腕を組んで頭をその肩に預け、父も腕に通された母の手に自分の手を重ねる。両親がまだ恋人同士だった頃の時代は、もちろん私が知る由はないのだけれど、よく晴れた日に公園で散歩をする若いふたりの姿が目に浮かぶようだと思った。
「お美しゅうございます、お嬢様」
厳かな声でのミラの賞賛に、はたと我に返る。
すべての”装備”を着け終え、鏡の中からこちらを見つめるのは、今まで見たことがないくらいに精悍な顔つきをした私だった。
ルシウスの瞳を思わせる、近づく夜の色のような深い青。父が母のために選び、今日まで母が大事にしてきたこのドレスは、家族の愛の原点とも言えるだろう。この装いならきっと、私がどんな苦境に立つことになっても心を強く支えてくれるはず。
「旦那さまと奥さまは、すでに馬車でお待ちです」
「ええ」
「……ご準備はよろしいですか」
問いかけに、静かにうなずく。
「行きましょうか」
私の声を合図に、部屋の扉が開かれた。
ここから踏み出した一歩が作り出す先の未来が、輝かしいものでありますように。そう願いながら、私は戦いの場へと続く道を歩き始めた。




