6:袋のネズミは猫を噛む(1)
「結論から言おう。注文したドレスは届かない」
書斎に入るなり、父は机の上に封筒を叩きつけた。
ドレスが届かない事実よりも、怒りの感情を隠そうともしていない父の様子に驚き、思わず母の方に目線を送る。ただ事ではない何かが起きていることを悟ったのはどうやら母も同じだったようで、私たちの視線はすぐにかち合った。
「ただの取り越し苦労であってほしかったのだが、まさか懸念が現実のものになってしまうとは。とにかく今は、明日のことを最優先にして……いや、やはりまずは解決策を講じる必要が――」
苛立ちが先行してしまっているせいなのか、その言葉はどこか整合性に欠けているし、そもそも私たちに向けて話していることなのかすら分からない。そういった様子から、父が抱えている怒りには混乱も内包されていることが感じ取れた。
「エルネスト、待って」
一歩前に進み出た母が、父が開きかけた葉巻のボックスの蓋をそっと押さえる。私と母がいる場所では吸わないこと、という約束を思い出したのか、父は一瞬ハッとした表情で私たちを交互に見比べてから、すまない、と小さく呟いた。
「ここに私たちを呼んだのは、知らせるべき事情があるからでしょう」
「……ああ、そうだ」
「それなら、きちんと説明をしてちょうだい。まず、あなたはどうしてブティックに向かったの? そこで一体何があってドレスが届かないという結果になったのかまで、私たちに分かるように話して」
母にそう諭され、父は小さく何度も首肯してから口を開いた。
「公爵閣下が……いや、もう敬称をつける相手でもないな。サントクロワ公爵がブティックに手を回したようだ」
その名前を聞いた途端、母は顔色をさっと変え、私も思わず息を呑んだ。まだ事情も聞かない内から湧き上がる怒りのせいで、唇が微かに震えてしまう。私はそれを隠すように口元に手を当て、感情を暴発させないために静かに深く息を吐き出してから、父が続ける事情説明に向き合った。
ジュリアンが先ぶれもないまま我が家を訪問し、その上唐突にドレスを私に贈ったのには必ず裏がある、そう考える中で、父はそのドレスをお見合い用に使えという誘導をしたことが気になったそうだ。
形骸化しているとは言え、王太子とのお見合いに臨む娘に新しいドレスを準備しないわけがない。ジュリアンもそれはよく分かっているはずなのに、わざわざ別のものを用意するという定石破りの行動に出た理由を考えた結果、父が辿り着いたのは、一抹の不安だった。
「贈ったドレスを着ざるを得ない状況にシィが陥るシナリオを描いているのではないかと、そう思ったんだ」
「シナリオ、ですか」
「ああ。それを払しょくするために、ブティックに向かったんだが……」
父は机の方にチラッと視線を向けてから、小さくため息をついた。
「あの封筒には、マリーがブティックに支払ったドレスの代金が入っている。どうせなら小切手のままで返せと言ったんだが、銀行で換金した後だったらしくてね。不躾にも現金で渡されたよ」
「つまり……あのドレスは公爵が勝手にキャンセル扱いにしたということ?」
「それならもう一度買い直せばいいだけだろう。だが……その手段はしっかり断たれてしまっていた、と言うか……」
「ねえエルネスト、もっとはっきり仰って。私がシィのために選んだドレスは、一体どうなったのです」
「……もう店には置いていない、と」
問いに対する返答としては、あまりにも要領を得ない。母も同じように感じたらしく、詳しい説明を求めるようにまっすぐに父を見つめている。父は少しためらう様子を見せていたけれど、やがて諦めたように口を開いた。
「今朝がた早く、公爵家の人間がやってきて買い取って行ったそうだ」
「……!」
「どういうつもりでドレスを勝手に公爵に買い取らせたのかを問い詰めたら、公爵家で準備したものがあるから問題ない、伯爵にはこちらで話をつけてあると押し切られて、真偽を確かめる術もなく従ってしまったらしい」
ため息と共に吐き出されたその言葉を受けて、母は深くうなだれた。




